はてなキーワード: 被差別者とは
ネットの中では、賢さ上位のはずのブックマーカーらがコロッと騙されただと!?
以上が、匿名の素人差別審査官による「問題のある差別」の判別ツリーである。
例えば、ネットで知り合った友達をリアルのパーティーに誘うとき、黒人がいると解った時点でその人だけをハブるのは問題ある差別だろうか。あるいは寿司屋が福島出身の客を入店拒否にするのはどうだろうか?
注意深く差別判断基準を眺めると、「公正にしなければならない社会的立場」「不当な要求をしてるか」がチェックすべきポイントであることがわかる。
しかし、公正にしなければならない社会的立場ってなんだろう? 教師は?上司は?フォロワーの多いはてなブックマーカーは?慕ってくれる友達の多い人気者は?
さらに、不当な要求ってどこまでだろう? 黒人はパーティーに来るな、福島出身者は入店するな、は不当な要求だろうか。交際相手を拒絶するのはいいのか。
おわかりいただけただろうか。「公正にしなければならない・不当」は「問題ある」を言い換えただけなのだ。 トートロジーの証明に感動したあとでは、素人差別審査官の好き勝手な判断が通ってしまう。これは問題あり、これは問題なし、これはグレー… このような差別判断基準を心のうちに持っていても、大して役に立たないどころか、自分の偏見を現状肯定する免罪符になるだけだ。「オレは偏見に基づいてアイツを仲間外れにしたけど不当でないなら問題ないって増田も言ってたし。オレは社会的立場も高くないし。差別だけどいいよね。」。まあ。自分の恋愛は好き放題して、差別概念を他人の言動をバッシングするときの叩き棒にしたいだけの人たちが差別免罪符を喜んで受け入れるのは想像に難くない。
道徳的理屈を熟慮せず運用して他人を攻撃するのに、それを自分に当てはめて自分を顧みたりはしない人、決して反省しない人は、私は嫌いだ。
差別によって問題になるのは、いくつかあって、まずは、公正にしなければならない社会的立場の機関が公正にしないこと、つまり入試や入社試験で肌の色や国籍で跳ねられる、とかがダメ
あとは、差別を理由に相手に不当な要求を飲ませようとすること、つまり飛行機の座席が黒人の隣だったから、黒人をつまみ出せ、とか、俺の席をファーストクラスに変えろ、とか、そういうのが不当な要求だからダメ
飛行機に乗ったら黒人の席の隣だったので、嫌だから飛行機乗らずに帰った、というのは差別なんだけど誰にも不当な要求をしていないから何も問題はない
朝鮮人街に家を買うなんて嫌だから家はその街に買わない、というのも差別だけど自分の家をどこに買うのも自由だから問題ない
自分はこの街に家を買いたいけど、周りが朝鮮人だらけだから全員追い出せ、とかやると問題のある差別で悪
同様に、交際相手を身長で選ぼうが人種で選ぼうが出生で選ぼうが個人の自由なので、全て差別だけど何も問題はない
愛し合ってる2人なのに、人種が違うからとか肌の色が違うからという理由で、親や第三者が別れさせようとしたり結婚を認めなかったりするのは悪い差別だよ
まあ親なら悪い度は多少グレーな気もするけどね
交際相手を差別なく選ぼうとすると条件を出して公募式にするしかない
将来ビジョンとか家事力とか金銭感覚に関する試験や面接をして、点数をつけて優劣をつけるしか差別じゃなく交際相手を選ぶなんてできないよ
もちろんその試験で、顔や体型や年齢や人種を審査に入れてはいけないよ
顔が好みじゃないから付き合えない、は差別だけど問題ある?ないよね
あっ、あともうひとつ悪なのは自分の差別心、差別的価値観を公言して被差別者を攻撃すること
これはヘイトスピーチというやつ
自分が朝鮮人街に家を買わないのは自由だけど、「あの街は朝鮮人だらけだから近寄るな」とか公言したらアウトだね
それは悪
もっと単純な構図で
「差別」として撤回を求めてきているのだから、「表現の自由」として、撤回させたいなら裁判でもしてみろ、という提示がされているに過ぎない
チートスレイヤーの例を見るまでもなく、消費者が不快を感じたりした場合、簡単に消える可能性があるもの
でもそれは、メリットデメリットを権利者が勘案して判断するものだ
だが差別は違う
非難された側は、それを撤去することで、差別を容認しないという姿勢を見せる必要がある
法的に裁判にかけるでもなく、「差別」を掲げた踏み絵を行い、「社会的合意」の体で不快な表現を消そうというのは
それも賛同者は少数派で構わない
これほどの心地よい暴力があろうか
昨今、きちんと事例が詰みあがって、ツイフェミ側の暴論が残されるようになると、世間の反応も違ってきたが
「碧志摩メグ」は現地の海女を巻き込んで騒ぎ、公式辞退するはめになった
それがどうだ?
金になると分かったら、地元は大歓迎だ
良いのか?
差別じゃないのか?
相手が差別の踏み絵でレッテルを貼るなら、こちらは「表現の自由」で踏み絵をしてレッテルを貼るんだよ
それで面白くなったのが「たわわ」だ
という物だ
差別的で許されざる性的な表現なのに、作品は許容するという自己矛盾
これだけをもってしても
キリスト教圏に住んでたが、あれは貧しくて暴れる貧乏人をまとめるためには滅茶苦茶賢い仕組みだよ。
困ってる人を見ればチャリティや寄付が活発だったし、お腹が空いても教会に行けばご飯や服を恵んでもらえるし、孤独で偏屈なオジサンオバさんも教会に行けばみんなに歓迎され神に愛されるイエスに祝福される神の子だし、泥棒にだってパンと服を与えて聖書を勧めてるレベル。
まず金持ちがお金やパンを貧乏人に渡すようになる。パンも葡萄もあげなさい。神の国に行ける。
貧乏人も争わなくなる。左頬を打たれたら右頬も差し出しなさい。神の国に行ける。
乞食や孤児や犯罪者や病床人や女に優しくなる。乞食や犯罪者や被差別者や女の集まりにも秩序が生まれ、治安が良くなる。隣人を愛せよ。神の国に行ける。
これはなかなかすごいよ
いやこれはBlack Lives Matterのやつと同じだと思うんだよね?White Lives Matterだと
けどそれだけじゃない
男ならわかる、女性差別をしているのは他でもない男たちなんだ。男ならよくわかるよ。みんな女を差別する気持ちがどこかにあっただろう。
そんな差別されて搾取されて医学部で減点され賃金の低い女が、女性差別を無視して自己犠牲的に男性差別について語り男を解放しろと言って男をケアして尽くしてくれるのは気持ちいいんだよ。教養がないと思われてる賃金の低い被差別者たちが、恵まれた金持ちの俺たちを助けるべきだと主張してるんだからな。
金持ちならこういう貧乏人を祭り上げて支持しまくればいいだけなのはわかるだろ?
フェミニズムの概念にのっとるなら、男は女のケアを期待せず男自身で自分達でケアしていかなければならない。気持ち悪いことに気づかないのは女には特権を与えられた経験がないからなのかもね。
https://twitter.com/maromiso1/status/1517404401706717185
よく差別を訴えた時に、被差別側にそれ受け入れている人がいるんだから問題ないと差別側が反論するケースがあります。例えば、これは女性差別にあたる表現だと指摘すると、女性にも嫌がっていない人がいるから問題ないと反論したりします。しかし、この反論には極めて大きな誤解が含まれています。
まず当たり前ですが、そもそも差別的な表現や言動とは全ての被差別者が同じように差別されたと感じるものでも不快に感じるものでもありません。例えばある女性を差別する表現を不快に感じる人も感じない人もいるのは当たり前です。そして、何より誤解してはいけないのは、被差別者は社会的なマイノリティであるため、差別に対して反対することは簡単ではないという事実があるということです。差別のある現在の社会では、社会は基本的に社会的なマジョリティである差別側が動かしているため、被差別側は、差別を感じず受け入れる方が生きやすいという場合が多くあります。
差別と感じなかったり、不快に感じない女性がいることは当たり前ですし、だからこの表現は差別に当たらないという反論は、差別というものを全く理解できていない現実と剥離したものです。それは差別だ、不快に感じると言うことがどれほど難しいことか、それを言う人がいることがどれほど重たいことか、それが分かっていたら、不快じゃないと言う人もいるという反論がどれだけ現実から離れているか分かると思いますし、取るべきは、差別や不快さを訴えるその勇気ある意見と向き合うことです。
・そうですね。「私はオタクだがオタクは陰に隠れるべきだ」というオタク差別世代の人がいるからといってそれが正しいわけではないですしね
・ これオタク側が差別を訴えるケースもあるんだけど被差別側になることはないのなんで?
bigapple11 私はガチオタクだけど差別されてると感じること2022年の今ではほぼ無いので、ブコメの他オタクが感じてる具体例を純粋に知りたい。ちなみに公共の場にエロ持ってって怒られるのはオタクが悪い。差別ではない。
maromisoニキは、こっちの言い分は100%信じるだろ。
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。