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2015-01-13

エクスキュースとしてのリベラル

http://anond.hatelabo.jp/20150111070135

少し話が違うけれど、年末ネタのような話題があって

を書いたものです。

その記事はてなブックマークに、

mahomi4 全く的はずれすぎ。

というコメントがありまして、この人の見る当を得た見解ってのはどういうものなんだろうとブックマークをたどったところ、

http://blog.goo.ne.jp/iida-miki/e/0d68f604177d2bdeb387e20a5dc9afb0

フランス新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について

という記事にたどり着きました。扱っている事実が同じなのに見解正反対というのもなかなか面白いのですが、少々以上に気持ち悪いと感じたのも事実です。

その気持ち悪さを説明するのも手間がかかるのですが、やってみますと、

さて、そのアンテグラシオンやら政教分離があるので、

親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として

平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、

住む場所や肌の色、名前判断されていないかといえば

実際には「平等」なんて言えないだろう。アンテグラシオン

うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に

適応できないこともある。フランスは今でも階級社会の名残が

あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ

様々な葛藤感情を抱いて育つ人がいるのは想像できる。

(今朝のLe Mondeにはシャルリーの絵に対して今でも怒っている

イスラム教徒中学生の話が載っていた。)

アンテグラシオンやライシテの実態について、その限界認識しながらもルソーまでひもといて、全体的にはフランス万歳!とまとめている点です。ベルばらオスカルでしょうか。

私がすごく気持ち悪いと言うのは、こういうことをフランス人が言うならまだわかるのです。マジョリティの側にはどうしても見えてこないものというものがあります。それは善悪問題ではなくて立場問題です。

有働出人みたいな人がそうでしょう。まあ、あの人の活動はそれなりに有意義な部分がありますが、あの人に代表されるような白人マイノリティは、有色人種の国、それも支配階級にはならない日本韓国に来て、初めてマイノリティ性というものを味わうことになります。そうすると見るものさわるものすべてが刺々しく感じられる。

アメリカにいる時は警察官黒人を狙い撃ちにしてもあまり気にもしていなかったような人が、職務質問日本警察官にされると激怒する。年間何十人と言うレベルで何とかバッシングで死者が出ているオーストラリアから来た人が、じろじろ見られるくらいで韓国レイシストと騒ぎ立てる。

こういうことは日本では私たちマジョリティから言われて初めて気づくという面もあります。言われてもただ反発するだけということもあります。自らがマイノリティとなった時に、マジョリティである時の視線・態度をかえりみるにまでなれればいいのですが、残念ながら、女性暴力を振るう黒人男性同性愛者を差別する女性は珍しくありません。

そしてそれを更にマジョリティの側が、見ろ見ろ、連中はこんなに野蛮だぞとはやしたてる。

あるドイツ人と話していた時、我が国民主的リベラルで、世界に冠たる我がドイツ、みたいな話になって笑ってしまったのですが、まあそれはその人個人の話なので、ドイツ人って全然変わっていないよねとは言わないでおきましょう。ただその人には人種差別はどこにでもあるけれど、東洋人がしつこくチンチョンチャンとまとわりつかれる国はドイツ以外ではそんなにはない、年間百人以上ヘイトクライムで殺されている国はそんなにはないということは「見えていない」のですね。

リベラルであると言うことが、他者を見下すこと、見ろ見ろ連中はこんなに野蛮だぞってなることが、リベラルがそのためのエクスキュースになることがあるのです。

リンク先の記事の何が気持ち悪いかと言えば、日本人で、パリに住んでいて、未だにシャルリー・エブドに怒っている中学生新聞記事しか見たことがなくて、見えないゲットーに守られていてマジョリティのような顔をしている、それがすごく気持ち悪いのです。

国民戦線ルペンだって、アンテグラシオン同化政策と言う意味で、ライシテはイスラム強制的に同化せしめると言う意味で大賛成なのですからね。

歴史をひも解いて言うならば、フランス革命以後、フランスは確かにリベラル原則を打ち立て、それを徹底してきた歴史があります。公平を期して言うならば、第一次世界大戦後、日本列強要求した人種平等原則英国アメリカは反対しましたがフランスは賛成したと言うことも付け加えておきましょう。

しかし同時に、そのリベラルでライシテな共和国下においても、フランスもまた数々の非道をなしてきたことは忘れてはなりません。

フランスでは支配層の横の流動性が高く、文化人メディア関係者政界に横滑りすることも珍しくはありません。新聞人であったクレマンソーが第一次大戦期のフランス首相であったように、エリート層は全体として支配階級形成していますポールデュシャン二十世紀半ばのジャーナリストで、第四共和政期にアルジェリア行政官に就任して、監獄を視察しています。その時、アルジェ独立派囚人たちの身体に、拷問の後があるのを見て首都に報告しています。その拷問の傷跡は、デュシャン自身の身体にもありました。ナチスに捕らわれていた時に拷問された跡です。

パリ解放の日の記録をサルトルが書き残していますルクレール将軍に率いられた自由フランス軍の入城をもってしてナチスパリ占領は終わりを告げて、自由だ!自由だ!というはじけるような喜びを書いています。そうして成立した自由フランス、ライシテなフランスの下でアルジェリアでは拷問が行われていたのです。

インドシナでのフランスの動きも決してほめられるようなものではありませんでした。フランス当局もいちまいかんで行われた人身売買ナチスから解放された人たちの手によってなされたものですし、フランスインドシナ独立を抑えるため、アメリカに対して原爆の使用を執拗に求めています。これも、自由なるフランス言論の自由フランス体制下でなされたことです。

はいちいちフランス過去の悪行をあげつらって、批判したいのではありません。フランスリベラル諸制度国家制度の補完部分であるにすぎず、国家制度のものを、相対化して批判するようにはなっていないということを言っているのです。フランスの内部にいるシャルリー・エブドは水の中にいるため水の重さを知りません。自分がネジであるに過ぎないことを理解できていないのです。それは結局、彼の中にマイノリティ性がないからであってマジョリティ側の暴力について無自覚であったからです。能力問題ではありません。性格問題です。

批判と言うもの嘲笑侮辱にならぬよう、あるいはそうなっても構わないのは権力の側に対してのみ、その注意深さが必要です。風刺画というメディアは明らかに全方位になす批判方法にはむいていません。

2014-09-20

[]一世一元の伝統

山中郁子君 だから一世一元というのは千三百年の伝統じゃないんですね、これを御確認なさいますかということを伺っているわけです。

政府委員清水汪君) 私からただいまの大臣の御答弁をもう少し補足して申し上げたいと思いますが……

山中郁子君 そうか、そうでないかだけでいいんですよ。エンドレステープはいいです。

政府委員清水汪君) 一世一元ということは、つまり天皇の代がかわることを一つの契機として元号が改められるということを意味するわけでございますが、そのような元号の改まり方というものは先ほどもお話にありましたように、すでに千三百年来の伝統の中にいわば含まれていたということが言えるわけでございまして 元号歴史と申しますのは、一世一元あるいは変わり方としてはそのほかの変わり方、御在位中の変わり方ということも含めまして、元号というもので存続をしてきたと、このように理解をしておるわけでございます

山中郁子君 だから、私最初に申し上げましたように、私たち質問することにちゃんとまともに答えてくださればいいんです。いまお話伺ったのは、私もももうたくさん伺いました。そして衆議院議事録も読みました。要するに一世一元というのは千三百年の伝統ではなかったんですね。そのことを確認してくださいということを申し上げているんです。

政府委員清水汪君) 一言でという御要求でございますが、やはり元号の長い歴史というようなものでございますので、なかなか簡単には言い切れない面があろうと思いますけれども、ただいま申し上げましたように、代がわりによる改元ということも含めて元号は千三百年の伝統を持っているというふうに申し上げることができると思います

山中郁子君 委員長から御注意いただきたいんです。私は一世一元が千三百年の伝統ではないんだな、そのことはそうでないならそうでないと言ってくださいと質問しているんです。御注意してください。

政府委員真田秀夫君) 御質問者のさっきからの……

山中郁子君 法制局関係ないじゃない。

政府委員真田秀夫君) 御要求がございましたので、一言で申し上げますと、一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます。その前には天皇御一代の間に、もう何回も改元が行われ、最も多いんでは元号が八回も九回もあったことはございます一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます

山中郁子君 制度として確立したのは明治以降だと、だから少なくとも制度としての一世一元は千三百年の伝統ではないと、こういうことですね。

政府委員真田秀夫君) 元号制度日本でずっと行われておったのは大宝以来なんです。それが千三百年近くなります

山中郁子君 そんなこと聞いてない。質問に答えてくださいよ。そんな答弁されたら質問できませんよ。

政府委員真田秀夫君) そこで、御質問者一言でお答えしますと、一世一元が制度として確立したのは明治元年以来でございます

第087回国会 内閣委員会 第12号

昭和五十四年五月二十九日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html


国務大臣三原朝雄君) いま審議室長が申し上げましたように二十数代の天皇の際にはそういうこと、一世一元の制をおとりになったということは史実の上に明らかになっておるわけでございますが、しかし、いま申されましたように、それが一代の中に数回の改元がなされたりするようなこともありましたので、それを合理的に適正な方法でということで、明治以後におきましては、それを一世一元でいくぞという方針がとられたということは御指摘のとおりだと思うのでございます

山中郁子君 行政官布告詔書にそういうふうに書いてあるということの確認をいま求めたわけで、そういうふうに書いてあるということですね。

国務大臣三原朝雄君) はい

山中郁子君 確認なさったわけですね。ちゃんとそういうふうにわかるように言ってくださいね

 そうしますと、いままでの、皆さんが千三百年の伝統とおっしゃる元号はだれが決めてきたのか。

国務大臣三原朝雄君) 当時は側近の輔弼の任に当たる者が原案策定をして、天皇にこれを申し上げてまいったのでございまするけれども、最終的には天皇がお決めになると、そういうことでまいったと受けとめておるわけでございます

山中郁子君 天皇が決めたということについての例外はないわけですね。その決め方の中身に多少の違いはあるということは何回もおっしゃっていましたけれども、例外はないわけですか。

政府委員清水汪君) 私どもが理解をしております範囲では格別の例外はなかったように思います。もちろんいまお言葉のように実質的には、たとえば将軍家による影響というようなことはもちろん間々見られたところだというふうに学者などの解説があるところでございます

山中郁子君 そうしますと、一世一元は伝統ではなかった。天皇が決める、つまり勅定ということは千三百年の伝統であると、こういうことになるわけですけれども、伝統を重んじてということから言うと、どうして天皇が決める、そうすると当然天皇が決めると、こういうことになるのが伝統を重んじることになるんじゃないですか。どうして天皇が決めるということにならないんですか。今回の元号法案、伝統を重んじて出したという元号法案。

政府委員真田秀夫君) どうも山中先生一世一元が伝統だというふうに私たちは言っているわけじゃないんでございまして、元号という制度、これはもう千三百年に近い伝統があるということを言っているわけでございまして、天皇が決めるとかだれが決めるというんじゃなくて、元号制度を存続させるというのが実は今度の法案のねらいでございまして、だれが決めるということにそうわれわれはこだわっているわけじゃなくて、いまの憲法のもとにおいて、これは民主的な制度のもとでございますから国会で法案をおつくり願って、その御委任を受けてそして政令で決めるということでありまして、元号から天皇が決める、それが伝統であって、そうでなければ元号という制度になじまないとか、そういう気持ちは毛頭ありません。そういう気持ちで法案をつくったんじゃございませんので、もう国民の大多数の人が元号制度を残したいと、将来にわたって。そういう国民の御希望にこたえて元号制度を残すと。で、だれが決めるかどうかというのは、それは日本の歴史を見ますと、先ほど審議室一長が申しましたように、最終的には天皇がお決めになったという歴史はあります。ありますが、しかし、それはいまの憲法制度のもとでは天皇がお決めになるというわけにはまいりませんので、それで法案をお出しして国会でお決め願うと、最終的な決定権を国会にゆだねて、そしてその御委任を受けてその都度政令で決めるという手続をこの際はっきり認めておらうというのが現在国民要望にも合い、かつ現在憲法精神にも適合するという気持ちで法案を起案したわけでございまして、決して天皇が決めなければ元号とは言わないなんというような気持ちは毛頭ございません。

山中郁子君 だれも天皇が決めなきゃ元号と言えないじゃないかなんて言ってないんだから、よけいなことは答えていただかなくていいんだけれども、要するに、そうすると天皇が決めると憲法問題があると、憲法違反だと、こういうことですね。

政府委員真田秀夫君) いまの憲法のもとにおける天皇国家機関としての天皇の御行為につきましては、これはもう御承知のとおり憲法に列挙してある、天皇憲法に定める国事に関する行為のみを行うと、そういうふうに書いてございますから元号を決める権能を天皇に与えるというような法律をつくることは、これはいまの憲法のもとではもうとても考えられない事項でございます

山中郁子君 だから天皇が決めるということは憲法違反なんですね。

政府委員真田秀夫君) 天皇元号の決定権を与えるような法律をつくることは憲法違反でございます

第087回国会 内閣委員会 第12号

昭和五十四年五月二十九日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html

2013-12-13

この前の話

@**********様

以前の人権規定私人間効力について、思ったことを書きます。(メールツイッターだとアレだし、他にいい手段を思いつかないので、ここを使う次第です。)

初めにお断りしておくと、僕はことの発端となったその本(図書館学に関する本?)を読んでいません。

また、学がないので、憲法学の体系や諸学説の展開を十分踏まえた上での論述ができていません。

完全に自己満足のため、頼まれてもいないのに、自分の思ったことを適当に書いたものですので、当然スルーしていただいて結構ですが、

もし、気が向いたら、的外れであったり、誤りがあったりする点などについて、ご指摘いただけるとご幸甚です。

以下、本題

結論から言うと、

人権」という言葉バズワード

(よく聞く言葉である割に、実は、定義がきちんと定まっておらず、話者によって使い方がバラバラであり、時には話者自身も自分が何を意味するものとしてその言葉を使っているのか分かっていないような言葉

である、と考えます

法律学ちょっとでも齧った者であれば、

人権」と聞けば、まずは、憲法的な意味での「人権」を思い浮かべますが、

そうでない人達は、社会規範上の「個人は人格的に尊重されるべきという前提に立った場合に当然にその個人に認められる権利」くらいに思っているんじゃないかな、

という感触を持っています

しかし、彼らの中でも、具体的にどんな場合に保障されるどんな権利なのかという話になると、人によって言うことバラバラで、

その原因として、「それが権利とされる根拠」「憲法との関係性についての考え方」「権利としての保護の強度」などについての考え方の違いが背景にあるじゃないか、と考えます


「それが権利とされる根拠」のバリエーション

 (1)生来持っている(無自覚自然法自然権的発想)

 (2)そういう権利が認められるべきだ、という社会的合意がある

 (3)社会政策として、そういうことにした方がより良い社会になるので、そういうことにしておくべきである(思想家確信犯)

彼らは高校の地歴・公民で「人権」なる概念に触れますし、まあ、こんなもんじゃいかと。



憲法との関係性についての考え方」のバリエーション

・(1)(2)の立場だと

  (ア)  憲法規定は上記の自然権または社会的合意を単に明文化したものに過ぎない

  (ア-2)上記自然権社会的合意は素晴らしいものなので、当然、憲法法律かで明文化されていないはずがない。

  (イ)  憲法規定(およびそれについての裁判所解釈)はどのような自然権社会的合意があるのかということの間接的な証拠である

  (ウ)  日本国憲法国家の在り方だけでなく社会の在り方をも定めるものであり、社会的合意のものである(直接適用説?)

 くらいでしょうか

・(3)の立場だと

  (エ)偉い人が考えてつくった憲法にもそう書いてある(or賢い人である裁判官もそう言っている) → だから自分の政策提案は正しい

 という感じなのかなぁ、と。まあ、(ア)~(ウ)もありうるかもなぁ。


権利としての保護の強度」

 ・彼らの統一見

  (あ)社会のある成員は別の成員の「人権」を侵害してはならないし、第三者はそれに加担するべきではない。

 ・バリエーション

  (い)だから人権侵害にあたる行為は全て禁止するべきであり、侵害したものは必ず法的制裁を受けるべきである

  (う)法律のことはよく知らないし、法的制裁云々はよく分からないけど、社会的な非難は受けるべきorはず。

  (え)その他


法律学を齧った一行政官として思うこと

 行政官としては法治主義の建前から実証主義的な立場を取らざるを得ず、

 どんな社会的要請があろうとも、

 行政が他人の権利利益を制限・侵害する根拠として別の人の「人権」を持ち出す場合おいては、

 その「人権」は日本国憲法上保障されているものとして解釈できる範囲を越えてはいけないのではないか

 但し、勿論、他人の権利利益侵害とならない範囲で社会規範としての「人権」を尊重する方法がないか、十分、意を用いるべきである、と考える。

 また、それ以外の場合では、社会的規範としての「人権」の尊重は心にとめておきながら、施策を進めていくべきである

 (が、そもそも、別に人権」とかそういう話ではなく、法規範だけでなく社会規範にも従うことを心がけるべきであるという話に過ぎない。)


○一個人として思うこと

 僕には自由主義者なので、(1)に親和性が高く、

 (3)みたいな「僕が考えたすごい人権」みたいなものに付き合わされるのは勘弁してほしい、と思ってます

 人は本来自由なのですから(というか自由じゃないと不満を持つ生き物なのですから)、その自由の制限は最小限であるべきです。

 「○○した方がいい」というマナー社会道徳レベルで済む話まで、無理に「人権」という概念に取り込んで、それを「守るべき」という価値観押し付けたり、法的に強制することには反対です。

 また、マナー社会道徳を越えて、法的保護に値する権利と言えるものであっても、「どんな場合でも他人の言動を縛るための根拠として使えるもの」とすることにも反対です。


まあ、結局、みんな「人権」という言葉をよく分からないまま使いすぎ。

かつ、よく分からないまま「武器」として振り回しすぎ。

もっと意味内容を限定的にしてくれないと、聞いている方が訳わかめ

少なくとも「基本的人権」なんて言葉憲法上の意味に限定して、それ以外のものは別の言葉で説明してくれた方が議論が捗るのに。

(多分、意図的に混同している人もいるんだろうな、とも)

2012-12-09

最高裁裁判官国民審査

再来週は選挙なわけですが、それと同時に最高裁裁判官国民審査も行われます

普段はなにも考えずに無記入で投票してきた私ですが、今回は考えさせられる記事を幾つか目にしたため、考えを表明しておきます

江川紹子 選挙後に「こんなはずでは」と言わないために》

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/politics/elex/gooeditor-20121205-01.html?pageIndex=2

簡単に抜粋

 今年、再審無罪となった東電OL殺害事件では、一審が「疑わしきは被告人利益に」
 という刑事裁判の鉄則に忠実に無罪判決を出したのに、東京高裁がそれをひっくり返
 して有罪とし、最高裁がそれを追認した。このような明らかな誤判があっても、誰も
 何の責任もとらないどころか、なぜ間違ったかという検証さえ行わない。誤判で無実
 の人を刑務所に送り込んだ3人の裁判官のうち2人は今も現役で、出世街道を進み、
 今は東京高裁東京地裁裁判長だ。

 このような状況に対する批判も込めて、私は全ての裁判官に×をつけようと思う。10
 人に×をつけるので、勝手にこれを「×10(バッテン)プロジェクト」と名付けてみ
 た。

これだけの記事であれば、

・そうかぁ「全部×」を入れる人ってこういう人たちなんだろうなぁ。。

・それって、単に妬ましいだけなんじゃないのかなぁ。。

・わざわざ他人を否定するために「×」を書くのってネガティブで気がひけるよなぁ。

というのが正直な感想

なんだか性悪説に基づいているみたい。

それならばむしろ人を信じる意味でも「×」は書かないで信任したい。うん、立派な裁判官たちのはずだ、と思いたい。という気がします。

しかし、次の記事を読んで、ちょっと考えを改められました。

さすがマッキンゼー出身(と思われる)Chikirinさん、Q&A形式になっていてとても読みやすいし、論点もまとまっていて分かりやすいです。

下記の記事はできればリンククリックして全部読んでみてください。。

《Chikirinの日記 国民審査一票の格差

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20121206

 Q9.でも、過半数の不信任がないと罷免できないんだから、ちゃんと意思表示して
    も無駄なんじゃないの?

 そんな気もしますよね。でも、ちきりんは違う考え方を持っています。下記は前回の
 国民審査の結果です。

 <前回、2009年8月国民審査の結果>
 氏名(元職業) 	罷免要求票数	率%
 桜井龍子行政官)	4,656,462 	6.96
 竹内行夫行政官)	4,495,571 	6.72
 涌井紀夫裁判官)	5,176,090 	7.73★
 田原睦夫弁護士)	4,364,116 	6.52
 金築誠志裁判官)	4,311,693 	6.44
 那須弘平弁護士)	4,988,562 	7.45★
 竹崎博允裁判官)	4,184,902 	6.25
 近藤崇晴裁判官)	4,103,537 	6.13
 宮川光治弁護士)	4,014,158 	6.00

 率のところに★記がある2名の裁判官は、この審査の前に、「一票の格差憲法上問
 題ない」というトンデモ判決に賛成していた2名です。ちゃんと不信任率が高いです
 よね。
 さら東京都神奈川県などの都会部(一票の価値において非常に軽んぜられている
 地域)では2人の罷免要求率が10%を超えるなど、より明確な結果が出ています

むむ。

正直10名の名簿をみても誰が誰だがわからない、ってのも「×」を書きにくい一つの原因ではあるのですが、ただ、上記のように人によってブレがあるということは、見ている人は見ているんだなぁ、、という気もします。

ただ、国民審査では今まで罷免された人はおらず、最高でも15%程度しか行っていないとのこと。

ということは、見ている人が見ていても、ほとんどの票が白票(信任票)になっているため、見ている人の判断が活かされてない状態になっている、とも考えられます

とするならば、全部「×」を書くという行動は、以下の考え方をすることもできないだろうか?と思いました。

自分は10人の裁判官の誰が誰だかよくわからない。。

ネットで探すも、どうも意見が偏っているようで信じがたい側面もあるし。

・ただ、世の中で言われているように、一票の格差問題は合憲とかいちゃう裁判官もいるし、検察の異常な取り締まり放置している裁判官もいるのは事実

最近、偽装クリック誤認逮捕されて、自白を共用された冤罪事件もありましたよね・・・。)

・でも、世の中にはちゃんと見ている人は必ずいます。結果にばらつきがあるのがなによりの証拠。

であるならば、その人たちを信じて、判断を委ねてみるのはどうでしょう

・具体的には、票に「全部×」を記入して、罷免要求率のベースを上げるのです。

・少なくとも、今の状態ではちゃんと見ていて投票している人が報われない仕組みになっています

・そういう人たちを助けるために、罷免要求率(×)のベースを上げる取り組みの手助けをするのです。

決して他人を否定(罷免)するというようなネガティブ感覚から投票するのではなく、ちゃんと見ている人を信じて、その人たちを助けるために投票してみませんか?

という考えに傾いてきた時に、ダメ押しの記事。

あの"おだじまん"が柄にも無く関連記事を。(笑)

小田嶋隆ピース・オブ・警句 最大与党を代表して一言

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121129/240317/?P=5

  総選挙と並行して行われる最高裁判事国民審査については、はっきりしている。
 私は、こんなにバカげた制度は無いと思っている。

  「×をつけなかった場合承認したと見なす」

  という設定が、そもそもどうかしている。

  どこの商店でも、どんなお見合いでも、「選ぶ」「承認する」「賛成する」「結婚
 する」という決断は、「棚から手に取る」「◯をつける」「クリックする」「レジに
 持っていく」「プロポーズする」という、消費者ないしは選択者の側の「積極的な行
 動」を待って成立することになっている。

 「×をつけない以上承認する気持ちがあったはずだ」

 という類推は、一種の詭弁だ。背理法。まるでたちの悪い法廷じゃないか

まぁ確かに。(苦笑)

おかし制度ですよね。

そんな制度は変えなくちゃですよね。

同意されたかたはぜひ、最高裁裁判官国民審査票には全部「×」を。

2011-09-19

悪に染まった社会を認めない日本人がうざい

社会をよくするどころかむしろ犯罪者や悪意を増殖させている 悪意と自殺を誘発している 2chは社会の不幸生産装置

益となるものは何もない 政府が2chやヤクザ規制しなかったことで日本は悪に染まった 2chもヤクザも失敗作

学校でいくら善意を育成しても2chのせいで悪意に変わる 社会の癌 ここ10年の2chの成果はある意味犯罪レベル

健康社会破壊した 規制しなかった政府クズ 学校行政国民をいい方向に誘導してたが2chが邪魔した

なんのために偉い学者教科書にいい文章まとめて教師が人生かけて国民善導してたんかわからん ひろゆき

見つけ次第処刑だな あんだけ国民善導してきてた政府が2chに無反応だったのはやばい学校行政が誘発してきた

善な風潮は死んだ 2chは悪。 何も誘発する気はなく 社会カオスにするだけ 何かを誘発するだけの安定性も内容も

そなえていない みるとただ精神崩壊するだけ 実に悪質 学校行政失敗しといて公式のざんげも何もない 政府は死ぬべき

社会はけっこう行政論理でできてるのにそれが死滅してるのが悲惨 お前が失敗して国民を道連れにしたんだろうが

死ね ヤクザは最悪 弱者の心を踏みにじるだけ ヤクザの用意周到で超絶な悪意はやばい 善良者に有害 今の日本は2ch

の悪と中途半端な善が同居してるより最悪な風潮だろ 政府は失敗して復讐されるのを必死で防ごうとしてるだけで今何も

やってないからな。何も生み出そうとしてない あんだけ自分を信用させきった行政についていった者が一番かわいそうだが

戦前と同じ 敗戦した中高年のストレスを解消するためだけのクソ掲示板 犠牲になるのは若者 クソ中高年のストレス解消の

ために弱者いじめのはけ口として誘導するようにしてるあたり最悪 経済戦争に失敗したならこんなところで暴

れずに自殺しろカス 若者に迷惑 厚生元事務次官暗殺されたのがその証拠 自分でシコってその失敗を弱者ぶっかけてる

んだから暗殺されるわ ヤクザや2chがないと生きられないってことは日本人本質が悪なんじゃね 日本政府が善良な心

を生むなんてこと自体土台無理だったんだろ 2chのせいで、けっこう親子間、兄弟間、師弟間の喧嘩殺人自殺があった

んじゃないか 自分のためなら犯罪の誘発も辞さない政府悪徳ぶりがすごい 日本=悪論はほぼ固まったといえる 政府も2c

hも悪の塊 日本人自体が悪。可能ならばどこまでもやるような人種。 こいつらに善も正義観念もない 可能ならばなんでも

やるという本性がこの発展を可能にした ひたすら結果論で可能ならどんな隙間にでも入り込んで成し遂げるはず

美への惑溺はあるが真も正義日本人人生と関係ない 生き方自体がゴキブリ 戦後きまぐれで推進してきた学校

政の割合素晴らしい教育わずか2,30年で死亡した 日本人から善を引き出そうとする教育はあっさりと形骸化した

である日本人善導するなんて土台無理な話だった 土台無理なことを企てて当然に失敗した行政の残骸である学校が虚し

い いまやこの社会デザインで実質は2chで悪を引き出そうとする始末 悲惨 今の行政は形骸で実質は悪なんで正論をぐだ

ぐだ言っても無効 法律を悪意で運用するような言い方でないと通じない もともと善を引き出すために整備した法律常識

で悪をなしてるのだから形容しがたい悲惨さ 善への道を封じ込めすぎて良心の呵責もない状態 行政官に善を引き出そうとす

る念力はない 善を引き出すために勉強したのに悪をやってる行政は一番悲惨 教育行政を受ければ心が善になるつまり善を引

き出そうとはしていたが失敗したか言い訳しているんだ 日本人善導せんとした文科省の企ては完膚なきまでに失敗した

日本善導計画の失敗が戦後日本歴史上最も悲惨 善導できなかったのだから 今の日本風景善導意思がないかすっからかん

風景の1つ1つに本来の善導意思はない 死体の屍のようだ 善導に失敗したならただの馬鹿 司法行政学校善導力はない

悪に勝てない 2chは悪導力が凄まじい 今はせいぜい悪を一定のところに封じてるだけだろ 善導意思まではない

善導を中止し、悪を一定のところに封じる政策で諦めたのが日本 この諦めは近年著しく推進されている 悪を封じればよいで

おわたのが日本 というよりむしろ2chなどで悪が死なないようにしてる始末 所詮生活意思しかないんだろ 善なぞやる気は

なかった 持続可能な悪だろ。日本人は 要するにお前は悪

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