はてなキーワード: 蛸壺化とは
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
こんなのが☆5乱発って……せいぜい☆3ぐらいだろ。
話の作りは「ゴジラ」という枠組みにとらわれすぎていて完全にゴジラマニアのオナニー。
スタッフの「よいこのみんなーーーー^^ゴジラ大好きだよね!^^」という呼びかけに対して「はーい^o^」と元気よく答えられる大きなお友達以外は退屈なシーンの目白押し。
そうと思いきや既存のゴジラ像を破壊してやったぜと庵野がご満悦であろうゴジラジャナイシーンも出てくるんだが、これまた既存のゴジラ像に飽々してない人は何でゴジラ見に来てこんなの見せられなきゃならないのという気分。
ゴジラシリーズのお約束ありきの様式美とカウンターばかりで元になるゴジラにそんな詳しくない人間からしたらどこをどう愉しめば良いのか分からないまま終わる。
えーえー私が悪いんですよ怪獣映画といえば午後ローのサメ映画ぐらいしか知らない無学な私がゴジラを見に行ったのが悪うござんしたね。
上京する学生は、東京40キロ圏の各駅について「交通利便性」「家賃水準」「物価」「お洒落度」などの基礎知識を持ちあわせていない。
しかも家を探す時間は少ないので、街探しも「急いで、妥協した結果」に終わりがちである。
例えば東大生だと、大半は(駒場東大前と同じ沿線の)井の頭線に群がる。
一本で通える点は魅力的ではあるが、家賃水準は安くない。木密エリアが井の頭線沿線は存在しないから、家賃が高止まりしている。
あの辺り、古いアパートも現存してるから家賃は安い。物価も安い。バイトも便利。
何より本郷キャンパスに行きやすい。(中期的には駒場キャンパスへの利便性より本郷キャンパスへの利便性が重要)
井の頭線の東大生は友人も東大生に片寄りがちだが、池袋とかだと、同じアパートに早稲田とか立教とかもいる可能性があるから、
というか、「東大生で蛸壺化している」井の頭線沿いに住むより、人脈の多様性を拡げる意味で、
井の頭線「以外」に住んだ方がいいような気がする。
駒場キャンパスにも本郷キャンパスにも中途半端に行きづらい立地だが、早稲田生とかと人脈出来たんだろうなあ。
※和敬塾は都電時代には、それはそれで便利な立地だったのかも。
在特会とレイシストしばき隊のデモとカウンターデモが激化していましたがついに双方に逮捕者がでましたね。
両方とも共感できないのでどうでもいいです。平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さい。
で、名前だ。
在特会は正式名『在日特権を許さない市民の会』
双方ともストレートなネーミングですね。
在特会について
今言われている在日特権については都合のいいように使われてはいるところがあるものの、過去彼らが受けた不当な差別を是正するためには必要なものである部分は否めません。
なので本当に特権と言えるか僕は疑問です。通名でなく本名で普通に生活できることが一番の幸せでしょうからね。
なので在日特権を許さないという在特会の名前も、彼らのやってることも共感出来ません。
レイシストしばき隊について
まず『レイシスト』
これは彼らにとって「新大久保や鶴橋でデモやってるネトウヨ」でしょうかね?
「いや違う」って言われそうですが外野からはそう見えます。そして「なんだこいつらもネトウヨをレイシストというカテゴリーに入れて攻撃してんじゃん。差別じゃん」って感じです。
次、『しばき隊』
本人たちは非暴力を掲げてるつもりみたいですが非常に暴力的な名前です。
隊は「~したい」という願望の表現と集団である「隊」をかけてるんですね。ダジャレです。寒いです。
なのでこの「レイシストしばき隊」からはふざけ半分で差別的かつ暴力的な行為を行う集団という印象を受けます。
今後在特会に関するマスコミ報道で僕が注目しているのは『市民団体』という言葉がどう使われるか?ってとこです。
『市民団体』って【決まりはありませんが】左翼に使われることの多い言葉ですね。
しかし在特会は『在日特権を許さない市民の会』です。
ここでマスコミが「在特会を名乗る右翼グループが」というと、『市民団体』とは左翼のためにある言葉と暗に認めてしまいます。
そうなると左翼に対しての見方が厳しくなりつつある昨今他の「市民団体って言われるところはやっぱ左翼だね、胡散臭いね」ってより多くの人が思っちゃうんじゃないかな。
逆に『市民団体』と言うと「ほれみろ市民団体なんて胡散臭い連中ばっかだ」ってなっちゃいます。
名前だけなら『何らかの政治思想のある団体VSチンピラ』です。
まぁどうでもいいのには変わりないので平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さいと重ねてお願い申し上げます。
さて
「うるせーよこのノンポリ野郎の卑怯者!」って声も聞こえてきそうですね。
なんで僕の立ち位置はどこかと言っておきましょう。
『レイシストやネトウヨではない保守より』といったところです。
かの国と戦争はしたくないけどテキトーに経済破綻で自滅してくれんかなって感じです。
僕もロックが好きで10代の頃は反体制の思想にかぶれたこともありますよ。
でもね、日本のカウンターの皆さんを知れば知るほど「ダセェwww」って思っちゃったんですよね。
崇高な思想を掲げていた学生運動のはずが内輪もめで別れてお互いしばきあってねぇ、挙句の果てはテロリストですよ。
何やってんだか。
流行りの学生運動やってりゃ女とヤレるなんて不純な人もいっぱいいたでしょうね、青春ですから。
そのうちの多くの人は学生が終わると同時に体制側に吸収され日本の発展のため身を粉にして働いたんですね。
ありがとうございます。ご苦労様でした。
やめなかった皆さん
僕の通ってた大学にもその残党と残党に捕まった若者が沢山いらっしゃいました。
彼らは僕が10年前でも「闘争」「革命」「団結」と威勢のいいタテカンをキャンパスのアチラコチラに設置し、折にふれてコート、白ヘル、ゲバ棒の伝統的装束に身を包み、正門で難しい言葉で僕のような意識の低い学生に説教を説いていました。
「立ち上がれ」と
僕は思いましたね
他にも某音楽グループに所属していた時に知らず知らず左翼的な活動に引きこまれたこともありました。
グループにその色が濃くなった時僕を含むメンバーは逃げましたね。ついていけないもの。
反原発運動も最初は支持してたんですけどね、彼らの色が濃くなって離れました。
「そうか、反原発は名も無き個人の声を届けるものから左翼の新しい戦いの場にシフトしたんだね、ああ、止まっていた彼らの時間がまた動き出した。青春は終わっていなかったんだな。彼らの瞳を見ろ、青春の喜びでキラキラと濁ってる」
やり方も相変わらずですね。
敵認定をしたものに屈辱的な名前をつけ悪いイメージをつけ己の行為を正義とする。
過激なパフォーマンスの先鋭化。
ついていけなかった人々にそっぽを向かれ、支持しいたはずのその人達にすら石を投げる。
そして待っているのは蛸壺化とカルト的地下活動に精を出す日々でしょう。学生運動からの40年で何も学んでない。
しかしまぁレイシストしばき隊のやることは火に油を注ぐことしかやってないでですね。
本人はそれで低収入のネトウヨに屈辱を与えたかったそうですがそれで「悔しい!負けた!」なんてなるはずありません。
しかしね、これがどんどん大きくなっていく背景ってのは確実に不況なんですよ。
ドイツの若者の間でネオナチが支持されトルコ移民が迫害された事がありましたね。
本当に在特会の活動を封じ込めたかったら使うべきではなかったですね。これを使うことで『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図ができちゃった。
でもね、今韓国への悪感情は多くの普通の人達にもジワジワと広がってるわけですよ。
そんな時に上の構図ができると
「俺は中国も韓国も嫌いだけど在特会じゃないからネトウヨでもレイシストでもねぇよ。」って解釈が成立しちゃうんですね。
はい、もちろん僕もそれですよ。
本当にこの問題を解決しようと思うなら『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図はフェンスの向こうの外野を作った悪手。大失敗だと思います。
世論を形成しているのは大多数の問題意識の意識の低い普通の人、つまり外野の人ですからね。
そういう人を味方に付けマジョリティになり勝利するってのは選民意識のたかいエリートさんには何十年たっても学ぶことができなかったようです。
さて、長々と書きました。
在特会の皆さん、韓国も眼中になくなるくらいお給料増えていい暮らしできるようになればいいですね。
僕も給料安いっす。
頑張れアベノミクス!
レイシストしばき隊のみなさん、言葉のセンスをもっと磨きましょうね。
大丈夫、知的エリートで文化人がたくさんいるあなた達ならできるわ。
そして3度めになりますが
在特会の皆さん、レイシストしばき隊の皆さん、これからも元気に潰し合いより一層のフェードアウトを期待します。
では、さようなら!