はてなキーワード: 虚数単位とは
譲渡担保とは、 以下のように、 BがAに、物であるCを譲渡するという方法によって、BがAから金融を受け、もし、Bが返済しないときは、AがCを取得する
A → B
物C
立木法では、立木は動産とみなされているが、法律の技術では、みなす、というのは、別に、数学において、虚数単位 √ー1=i は存在しないが、有益だから使用してもよいのと同じで、
みなしてもよい。法的確実性における技術的な矛盾が生じているのではないかと思われるが、 哲学では、 √ー1のような矛盾したものでも認められているので、法学にそれがあるとしても
不合理ではない。 次のように土地が二重譲渡されて、登記をするかどうかについても、 法的確実性と 民法の公正公平の原理、具体的妥当性の矛盾を超克するために、
甲 → 乙
↓
丙
↓
丁
法的安定性と具体的妥当性は、一見矛盾する概念である。 人間は、一度決めてある規定を機械的にその通りにしたくて、事案に関する中身のことは考えたくない。
しかし数学でも、一見矛盾する概念がなぜかつながっていることがある。 有名なものは、 e^πi +1=0という、オイラーの等式である。 虚数単位が実数とつながっているというフォーミュラ
であり、数学界では、絶賛されている。昭和30年代の裁判官は、 法的安定性と具体的妥当性という矛盾する概念の統一を務めてきて、それをなんとかやった。数学でも、 自然対数の
底を i 乗して、ー1になるわけがない。しかし、そういう、一見矛盾する、いたるところに存在する有益な概念同士がつながっていることを示唆する数学の公式は大量にある。
数学という、自然法では、 結論の定理の関係と、支持証明の手順の手段方法の2つを、法と言うように、 法学部では、人間社会関係の複雑な事項に関する関係と支持証明関係
を法と言う。
要するに、法とは、関係であるとともに、技術であって、小学校で習う道徳的垂範事項ではないから、面白いはずであるが、 裁判官である佐藤富美男の話を聞いていても、少しもまんこが
濡れたことがない。 逆に・・・ 国際数学オリンピックのいわゆる超難問では、 天才が発見した問題があり、それに対する証明も天才的である、そういうものがあることを知ったときに、子供心にも
へえ面白い、と思うのは当然であるが、 法については、判例六法に、文章が平板に書いているだけで、何が面白いのかと思ったことは一つもない。
もうかなり前です。
留学した当時は,その大学はスポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。
ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボールで留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります。
ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューターを雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。
さて,講義レベルのことですが,まず米国の入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。
つまり日本の一般入試というシステムではなく,日本のAO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。
そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国の中等教育の
しかし,SAT の成績がいいから合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。
しかしとうとう,今年からだったか MIT も共通テストのスコアを参考にすることになったようです。
秋ごろの日本の全国紙に,ハーバード大学が調査した大学卒業率の記事がありました。
米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試に筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究型大学の卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。
さて,そういう事情ですから,例えば米国の研究型大学1年生と,東大の1年生に,東大の理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数の試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学の学生は20%しか合格しないかもしれません。
僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数の講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本の大学の数学の講義よりも丁寧で,分かりやすいです。
ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。
日本の大学生なら,文系の学生でもこの発言にはびっくりしますよね。
つまり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキングで東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。
これが,米国の高校までの教育目標と日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。
ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。
僕の知人が勤めている日本の旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生で英語で不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。
ところが,東大よりもランキング上位の大学に留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。
講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。
卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。
僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学や力学などの一部の講義をすべて英語で実施しています。
これは,交換留学の公式のプログラムに,欧米やアジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語で実施しているものです。
僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後にピークが来ます。70点あたり
http://anond.hatelabo.jp/20130808203552
ところで上の話は別に間違えたことを言っているわけではない。
だが「虚数単位とは二乗して-1になる数のことです」というのは黒寄りのグレーだ。
そういう元が複素数全体の集合に二つあることを見逃している。
は、表現が良くなかったかもしれないけど、正しく数学を拡張していく過程で虚数という概念が出てきて、
開発された、との意味で。
もちろん、「値域を拡張する」というアイデアについて考える段階では、「虚数単位という1パラメータを考えればいい」かどうかも明らかでないわけで、その過程でクォータニオンや外積代数みたいな構造にまで思い至る奴もいるかもしれない。
コレ的な意味で、"i"を"便宜上開発した"と言いかった感じかな。
虚数的な概念は、数学を拡張していく上で"ロジカル"に必然として生まれたものなので、おっしゃることに全面的に同意します。
もしかしたら先の増田は実数の概念を完全に理解しており、この様に2乗したら"-1"となる数を考えることにより、この様な拡張の思想自体をロジカルに自分で考え出すことが出来たスーパーマンなのかもしれません。
「お手並み拝見」とかキモいこと言われた増田だけど、さすがに「虚数は便宜上開発された」というのはやや言い過ぎな気がする。
数学で重要なのは構造やルールそのものであって、「二乗して-1になる数」とかいう具体的な実像はそれらから必要不可欠的に導かれたものに過ぎない。
「二乗して-1になる数を考えてみよう!」なんて全く数学的にロジカルな思考とは言えないと思うね。
関数には定義域や値域というものがあって、それは集合である。sqrtという関数を考えると、普通の初等関数と同じように定義域と値域をRとするとどうもうまくいかなさそうである。
定義域をRとするとR-のときに少なくともR上には値を持たないようだからだ(全射とか単射とかの概念もやっとくといいかもな)。
でも多くの関数と同じように、sqrtもR上で定義できる方法はないのか?
このくらいまでは持っていってようやく考えさせるフェーズに入るべきだろう。
もちろん答えは「値域をRからCに拡張する」であるわけだが、ではCという構造をwell-definedに決めるためにはどういうものが必要か?という話に当然なるわけで、それを表記的にきれいに表現できるのが虚数単位iという数(Cの元)の導入なわけだ。
i自体はC上の普通の演算に対してゼロ元や単位元になっているわけでもなく、別に何ら特別な性質を持った値ではない。いきなり「二乗して-1になる数を考えよう!」とか言い出すことのセンスのなさはここにある。
もちろん、「値域を拡張する」というアイデアについて考える段階では、「虚数単位という1パラメータを考えればいい」かどうかも明らかでないわけで、その過程でクォータニオンや外積代数みたいな構造にまで思い至る奴もいるかもしれない。
それがロジカルってことだろ。「二乗して-1になる数があるぞー!それになんの意味があるのかとか考えるな!とにかくそれを探し出せ!」とかいうのは全然ロジカルじゃない。ただのクイズ。
いやそれこそ逆だから。まずモノゴトがそこにあって、そのモノゴトに名前をつけるんですよ。
「2乗すると-1になる数」を先に考えて、「これを虚数単位iと呼びます」と名前をつけるんだよ。
「2乗すると-1になる数」という言葉の意味が理解できないなら、虚数がどうたらこうたらと言われたところで、
Φανταστικός αριθμός と書いてあるのと変わらんの
「分数の分母分子に同じ数をかけても結局は元の分数と同じ数」ということを理解できていないなら、「倍分」というのは意味不明な秘密の合言葉でしかない。
少なくともこのケースではどうでもいい部分だと思うよ。
「分数の分母分子に同じ数をかけても結局は元の分数と同じ数になります。それではやってみましょう」と言って
2/3から4/6を作らせたり、7/9から56/72を作らせたりするのも
「分数の分母分子に同じ数をかけても結局は元の分数と同じ数になります。それぞれに同じ数をかけることを倍分と言います。それでは倍分してみましょう。」と言って
2/3から4/6を作らせたり、7/9から56/72を作らせたりするのもほとんど変わらんよ。
そんな複雑な状況を仮定するより、単に教師が手を抜いてこの性質をきちんと説明してなかったり、この作業をちゃんと演習させてなかっただけ、と考えた方が自然。