はてなキーワード: 藤沢数希とは
http://anond.hatelabo.jp/20150922180836
男性観点だと年収が一定に達してないと、そもそも婚活しないよな。なにかお見合いとか外的なアクションがないと。
まぁ、そうなんだろうね。
男性側の現状のグラフもあって 多くの男性が年収300万円前後であることがわかる。
女性側の希望、『最低限これだけないと結婚相手として見られない』といった内容でのアンケートでは
大体「500万円以上」からの希望が多い。30代未婚男性で満たしているのは7.7%だそうな。
君の考える「40代になって年収が500万円を越えた」って男性は多いだろうね。
ただ残念なのは、女性の希望にどうやら更に『年齢』も含まれているようだ、という事。
君へのトラバにもついてるけど、あれだよね、中年には厳しいらしい。
『金融日記』著者・藤沢数希さん:自慢する金持ち男より年収300万円のナンパ野郎がモテる http://am-our.com/special/155/6939/
しっきー氏の言っていることはどうにも私の感覚と一致しない。
私はとあるPUAの信者ではあるが、恋愛工学はそれほど支持していない。
だが、私が支持しているPUAは恋愛工学を支持している。だから、間接的に指示をしている、という感じである。
恋愛工学まわりにいる人間は、決して藤沢数希だけを神と崇める宗教ではないと思っている。
思うのだが、藤沢数希はすでにたくさんの有名なPUAが集まる旗印を提供しているだけではないか。
藤沢数希よりも、彼を支持している有名なPUAこそが恋愛工学というコミュニティにおいて最大の戦力ではないかと俺は思う。
今まで個としてブランディングを確立してきたPUAは多い。そういう人間は、自分の理論に強い自信を持っている、ここには信者もすでに多い。
そんなかれらにお墨付きにて登場してきたのが恋愛工学であるというのが印象である。
実際に将来そういう検定を行うようになるかもしれない。
恋愛工学で紹介されるような理論や言葉(実は海外のナンパ本からそのまんま持ってきてるだけのものがほとんど)は他のPUAの話でも基礎編としてよく出てくる。
そういう底の浅い部分をガッツリ押さえているのはやはり強い。
他のPUAは、信者に成果を出させなければいけないので、理論はそこそこに、それよりも実践を強調し、理解もそこそこに現場でとにかくナンパさせることが多かったからね。
あるいはひたすら自分の実践した具体例を開陳していって俺SUGEEEEEってのをやるだけだったし。
そういうのと比べたら、実用度は低いかもしれないけれど、実践でどれほど役に立つかはともかく
いろんな心理学的な話とかそういう地道なところを揃えたり、PUAがだいたいみんなやってることに独特な名前をつけたりして
たとえナンパを実践しなかったとしても、ちょっとだけ賢くなったような気になれる。値段も安いから元がとれたような気分になれる。そういう絶妙なラインをちゃんとわかってやってる。
http://twilog.org/kazu_fujisawa
・芥川賞受賞の火花に続き、『ぼく愛』が日本文学カテゴリー2位です。200%の恋愛小説で、日本の文学会を盛り上げていきたい。
・芸人が芥川賞を取って、いろいろと批判もあるようだけど、これをきっかけにみんなが文学に興味を持ってくれると嬉しいなぁ。
・エンジニアリングやビジネスの世界にいると、評価はマーケットで決まるというのが身についているから、◯◯賞みたいなのって、子供相手に偉い先生がご褒美あげてるようなものにしか見えないんだよな。学生のビジネス・コンテストみたいな感じのやつ。
・そもそも自分が世界で一番で、それを評価できるのはマーケットだけなんだから、自分より偉い人がいるという上下関係みたいなものが前提の賞なんて、ダサいだろ。
・いや~、学会の賞とか、誰がこの村の偉いやつで、そいつがいろいろ決めるんだぞ、ということを知らしめるための儀式みたいなもんだったよ、マジで。文学賞とか、知らんけど、どう考えても、構造的にクソな臭いがする。やっぱりフェアなのは金だよ。金。Show me the money!
・Amazon日本文学カテゴリーでは1位だけど、文芸総合では、スティーブン・キングに抜かれて2位になってしまった…。ハァ。
・僕もはじめて文学作品を書くに当たって、文学を勉強しようと思って、原著を読み始めたんだけど、文章がこなれてないし編集がダメで、くっそつまんなかったけど、このシリーズで、すげー短期間に文学が勉強できたよ!> 金融日記 まんがで読破シリーズ
・英文学の教授とかインド哲学の教授とかの年収なんて200万円ぐらいで十分。
・小説を書くのに参考になると思って、夏名漱石とかいろいろ読んでみたけど、読みにくい上に、みんな、くっそつまんなかったわ。
・まあ、僕のは文学ですけどね。 @tabbata 藤沢数希さんの小説って、なんだか、ロバート・キヨサキに似てるんだよね。
・最近の文学は、全く面白くない。理由は簡単で、もはや「IT」無しで成り立たない現代の日常を誰も描いていないから。ITで繋がる、出合う、可能性と広がり、現代をリアルに描くには、新しい文脈が必要だった。遂に藤沢数希氏が開拓してしまった。(信者ツイートより)
だが実は、強烈な非モテコミットのストーリーです。非モテコミットした主人公が負けて、不倫してる奴がモテたまま終わる。極めて現実的なストーリー。
20世紀の恋愛工学小説がこれなら、21世紀は『ぼくは愛を証明しようと思う』だね (信者ツイートより)
・藤沢数希氏の新著を読んだけど、この10年で最高の文学だ。この10年、誰も、ITで自由に繋がり個人がコミュニケーションする現代を、描けなかった。個人が自由に繋がり、出会う可能性。一見チープに見える「恋愛工学」というフロント看板は、作者の照れだろう。芥川賞のレベルを遥かに超えている。(信者ツイートより)
・文豪や村上春樹の文章を文学だと思っていると、文学ではないと思う人が居るかもしれない。だが凝った表現を使わないと文学ではないなんてことはない。100年後に読まれてるのは村上春樹じゃなくて藤沢数希かも。(信者ツイートより)
「年収1,000万円な会社の人って、ワインが似合うようなオサレな店に行くんでしょ?」と見事な誤解をしている人が多そうだが、
自分の職場の同僚(年収1,000万円)と、よく「京成立石」とか「十条」とか「大井町」とかの「せんべろ」に連れ立って行く。
女。28歳独身。
都内在住実家住み。仕事はIT企業広報。S女子大英文科卒。中高は神戸の女子校
愛読書はFitzgeraldの「Tender Is the Night」、
Calvin Tomkinsの「Living Well Is the Best Revenge」
容姿は三十路近いというのにノースリーブのワンピースを気張って
武装してまんねん。
ほんでな、職場の仲間と一緒に、バーベキューか何かをしている写真を撮ってやな、
たとえばWantedlyにでも上げれば、リア充女子やんか思われて、高学歴エンジニア氏や
渋谷、六本木のIT業界界隈で有名な営業マン氏からのつながりコンタクトが
あったりなかったりする今日この頃やで。
すまん。標準語に戻す。
んで、ある知人男性がいるのだけれども。まあ元彼というやつだ。
この男、東大出の金融関係勤務で3年前に半年ぐらいセックスする関係があり、
彼の海外赴任とともに別れたが、1ヶ月ほどまえに東京に帰ってきており、
それで連絡が復活した。一度会って当然のようにセックスに誘われたがそのときは断った。
しかしまた会うことになっていて、今度強引に誘われたらわからん。
あて、意志弱いし快楽に流されるタイプやもん、やってしまうかもしれへん。
あ、すまん、標準語に戻す。
ところで主題の件。
「ぼくは愛を証明しようと思う。」
という本が出ていて、藤沢数希という方がお書きになったご本である。
面白いよと、その男性から教えてもらった。職場の同期入社の女子(コンサバ女性雑誌で、
それなりに有名な読モだった女だ)に話したら彼女も知っていて、
その本を持っているというので借りてみた。
尼のレビューをざっと読んでみた。あと、この本の感想を書いてる
が。
つまらない。
レビューには恋愛工学信者による賛美か、恋愛工学を批判するdisしかない。
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/money/1403901468/l50
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94 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:31:10.79 0
>昔からヤリ手の男は日替わりでハイレベルな女を運用しまくってたし、ヤリ手の女も男を運用しまくってたしね。
まあ、それは正しいんだろうけど。
どんどん逸れていくリスクがあると俺は思う。
自分、知り合いを介しての知り合いで、何度かお会いしたことがある。仕事がらみで。
で、俺にとって、実際に会ったことのある「いい男」の象徴ってヒデなんだ。
で、会社の同僚(男)の匿名ブログで恋愛工学なるものを知り、ぼく愛っていう本の
存在を知って、その知り合いの男が傾倒して実際にナンパもしているというので
興味があり本屋で立ち読みしたんだけど。最初の数ページで棚に戻したよ。
ヒデさんは、イタリアで、いい女たちと無数につきあったかもしれないが、
こういう手法で女と仲良くなっただろうか?そんなはずがない。
俺はこの本を最初の数ページだけ読んで「自分には無関係」と無視する
ことができた。
だが他人のことは知らない。なぜなら、
「いい男」と聞いて具体的に誰をイメージできて、そのイメージから
どのように情報を取捨選択できるかというスキルには個人差があるからだ。
95 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:45:33.10 0
お前わかってないな。
そりゃ中田はかっこいいよ。あたりまえだろう。
自分から物欲しげに女に近づくようなナンパなんかするはずもない。
といったところで誰もくいつかない。
でも
「(ぼく愛に出てくる)永沢みたいなのを目指そう」
といえば大衆はついてくるんだよ。
これは自分を傷つける可能性がある
つまり「男ならヒデを目指せよ」的なメッセージは今の時代売れない。
お前らもセックスにありつけるぞ
と言って彼らに寄り添ってくれ、彼らのコンプレックスを癒してくれる。
だから売れるんだよ。
この本が売れたらいいなと思っているし、実際に売れている。
96 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:54:17.65 0
94だけど。
===
引用は以上。
ちなみに、私の今所属している会社は、ある有名IT企業が出資していて
めざせIPOで勝ち組万歳モードでやっているんだが、その有名IT企業の
って、そんなことはどうでもえーねん
私が快適に生きていければ、それでえーのや。
とりあえず会社を上場させたい。そしたらウチもプチ成金やでえ。
ほなな。
藤沢数希は「出来るだけ沢山のいい女の膣に射精することがオスとしての勝利」
二村ヒトシは「性的な相性のいい相手と最高のセックスをすることが人間の喜び」
と主張しているように見えて、最終目的地が余りにも違うから話が噛み合わないんだと思う。
これはもう、どっちが正しい間違ってるという話じゃなくて、セックスの趣味の話なんじゃないか?
コンプレックスというか、もっと切実な問題ですよね。とにかく目の前に、セックスできないという切実な問題があって、それをどう解決するか、みたいな。
二村さんは恋愛を語るにあたって、「自分とはなにか」「愛とはなにか」といった部分で悩まれていますよね。それが僕にはよくわからないんです。だって、お腹が空いたら食べ物を探しに行くじゃないですか。それと同じで、恋愛って、性欲が満たされなかったから、満たされるように活動する、というだけの話ではないでしょうか?
二村は昔から女性の主体性に固執していたが、藤沢にとって女は食品に近い。
食品が承認欲求ではなく食欲を充たすものであるように、女も承認欲求ではなく性欲を充たすものなのだろう。
『ぼく愛』を書くうえで、似たようなジャンルの本を調べていて、男性向けの恋愛マニュアル本もかなり読みました。すると、ほとんどが、女性と喋ることもできないし彼女なんて夢のまた夢みたいな人を想定読者とか、物語の主人公にしていて、この本に書いてあるテクを使えば、童貞が爆発的にモテるようになるという書き方をしているんですよね。
ヒットしたスポ根作品の主人公って、地力があるし才能もある、というキャラクターばかりなんですよ。『スラムダンク』でもなんでもそう。野球漫画だったら、主人公は、最初は粗削りで下手くそだけど、キャッチボールはできるし、もちろん野球のルールも知っている。それなのに男性向け恋愛マニュアルだと、「コミュニケーション能力が普通にある人のためのモテ本」というのが少ない。まあ、そういう経緯があって、『ぼく愛』の主人公であるわたなべも、設定が、童貞ではなかったわけなんです(笑)。恋愛マニュアルは完全に非モテのためのもの、という思い込みが世の中にはあるのかもしれませんが、「普通の人がモテるようになる」作品があったっていいはずです。
たしかに所得が高く異性にも不自由せず生きてきた男性にとって、コミュ力が破綻した貧乏ブサイク男性との接触頻度は低い。
学生時代の友人も、同僚たちも、そこそこの容姿と収入とコミュ力を持つ。だから彼女持ちの弁理士を「普通」としたのだろうが。
恋愛工学は、要領が悪くてスペックの割に損している男性を持ち上げるノウハウであって、スペックが死んでいる人には使えない。
二村はスペックが死んでいる人にも何かしらの希望を提示したいのかもしれないが、藤沢は無関心なのではないかと思う。
より上を目指す、より「いい女」を得るっていうだけではない、横道にそれた「いい恋愛」「いいセックス」の探し方も人それぞれあると僕は思うんですよ。ていうか僕はそっちのほうが人を幸せにすると思う。これは女性に関しても言えることなんですけど。女性向けの成人コンテンツも増加しているし、女性の世界にも男性の世界と同じことが起きてきていますよね。僕はもっと女性の性欲についても考えたいですね。
女性の場合、男性の視界に入らないのは下位のせいぜい2〜3割だと思うんですが、確かに、性欲を持て余している女性も多いかもしれませんね。
いや、そういう“階級”の話じゃないし、モテる男になって抱いてやればすむという問題でもない。僕が「人妻との五反田でのセックスは関係が対等だから、藤沢さんの小説の中で唯一エロい」、つまり、それ以外の場面はセクシーじゃないと言ったのは、セクシーさというのはコントロールが不能で、おたがい支配できないのに波長が合ったときだけ匂う空気だからです。
藤沢は、階級と勝ち負けにしか関心が無いのではないかと思う。ビジネスには向いた性質だ。
女の価値を、「自分にとっての良さ」ではなく、容姿のランクにして定量化するのもビジネス的だ。そこでは「誰もが理解できる価値」が重要になる。
もちろん藤沢は、男もランク付けされるものと思っていて、ランクが上がるよう努力しろという人間だ。そこが負け組ミソジニストと違う点。
負け組ミソジニストは自分の未来より女に関心があり女を傷つけようとするが、藤沢は女に関心が無く自分の未来に関心があるため、
二村は「自分にとっての幸せ」を重視しており、マゾヒスト男性などのマイノリティに関心があるからこそそうなるのだろう。
趣味がマジョリティであればあるほどスペック重視になり、マイノリティであればスペックよりも性的な相性がピッタリであることが重要になる。
藤沢は変態の真逆なのではないか。セックスの内容に微塵も興味が無いのではないか。
藤沢にとっては「やれた」という達成感が重要で、それは仕事における達成感と同じものであり、
次はもっと良い仕事をするぞ!のノリで、もっと良い女を抱くぞ!となっている、あまりにも天然で無邪気な男なのではないか。
とにかく二人のエロ観が全く違うのだ。
ここまで違われると同じ「男」と括って、「男とは~」と語るのもバカらしい。
[恋愛]
20歳
(他に聞きたいことがあったら言ってくれ。)
2015 7 13 はじまり
藤沢数希 『ぼくは愛を証明しようと思う。』をAmazonにてポチった。
別に彼女が欲しくて、とかそういうわけではなくて、ホリエモンが面白いと言っていたから読み物として楽しんでいただけだった。
ここまで恋愛工学が公のものになってくると、果たして恋愛工学のテクノロジーが本物か、確かめたくなってくる。
そこで、ぼくが恋愛工学を実際に使ってみようと思ったわけである。
少し前から継続的に行っている筋トレに加えて、オナ禁も始めてみようと思い、アプリを導入した。
決して人には言えないが、着ぐるみやゼンタイ系の着衣エロが好きだった。
まあ、そんなことはどうでもいいかw
とにかく、わかっているのは、明日、”聖書”が届くということだけだ。
だけど、今ぼくの大学ではそろそろ試験がある科目もチラチラあるような状態なので、あまりアクティブに活動することはできないし、藤沢さんの本も読む時間は取れないと思う。
先日からテレビ東京で『LOVE理論』というドラマが始まった。水野敬也さんという『スパルタ婚活塾』や、このドラマの題名でもある『LOVE理論』という、婚活や恋愛のハウツー本を出されている方の本が原作で、このドラマはその本に登場するメソッドを、面白おかしく、ドラマ仕立てにして、パロディにして紹介している。テレビ東京だからこそ可能な際どいラインを攻めたドラマだ。まだ1話しか放送されていないが、「非モテがLOVE理論を学び、実践し、意中の女性を手に入れる(語弊があるかもしれない)サクセスストーリー」であることは間違いないだろう。
さて、このドラマやこの話題に、いち早く反応しそうなクラスタが、昨今はてなやTwitter界隈で話題になったことが記憶に新しいのではないだろうか。「恋愛工学」、「藤沢数希」、「ナンパ師」。
藤沢数希さんを長に作られている「恋愛工学コミュニティ」では、メルマガ上で、日々履修者たちが実践や経験を共有し合い、スクリプトやメソッドを共有し合い、開発し合い、切磋琢磨してる。ナンパ師クラスタでは、カリスマナンパ師を筆頭に、ナンパ講習が行われ、ルサンチマンを抱えた男性の自己啓発の一面も担った実践が、都内各所で行われ、ナンパ師同士で切磋琢磨している。似て非なるこの2つのクラスタが、時には交わり共にフロントラインに立ち、切磋琢磨している。
Twitter界隈では、ナンパ師や恋愛工学履修者たちの行動について、様々な意見が飛び合っている。クラスタ外の人でも目につくほど、最近話題に上がっている。最近というか、ここ半年というリアルタイム感。ここ一週間で言うと「街なかでの声掛け」についてだ。とてもHOTで活発な議論が日々いたるところで行われているこのタイミングで、良いネタきた。このドラマというわけだ。タイミングが絶妙すぎて、個人的には、何もかも藤沢数希所長の計算だったのだろうなと思うほどである。
前置きが長くなってしまった。僕は前者、つまり恋愛工学受講者である。数ヶ月前まではTwitterでも盛んに議論に加わっていたり、成果をブログに報告したりし、一定以上のつながりもクラスタ内外で形成し、日々仲間達と切磋琢磨していた。しかしながら、そこで利用していたアカウントを、自分の所属している別のコミュニティでも利用していたため、その別のコミュニティから恋愛工学等への批判が多く、トラブルになる可能性が高まったため、そのアカウントは削除して、僕は現在ネット上での活動を自粛し、ひたすら淡々と個人で実践を繰り返していた。そこから、数ヶ月が経過し、ほとぼりが冷める頃を見計らって、新たにアカウントを開設し、活動の報告やコミュニケーションを再開しようと考えていて、その最初の一歩が、この匿名ダイアリーへの投稿である。本来であれば、ブログを新たに開始し、そこに投稿すべきなのだけれど、もともと僕が成果や記事の投稿を頻繁に匿名ダイアリーに投稿していたので、その名残で、今回の一発目はこちらに投稿した。
自己紹介も長くなってしまった。本題の「LOVE理論、あるいは恋愛工学(戦略・戦術)」について、僕の思うところを、自己満足的に、ひたすらに淡々と、書き綴っていきたいと思う。これは、僕の主観に満ち溢れた、独断と偏見に満ち溢れた、ただの戯れ言である。
僕は昨年の10月~今年の3月にかけ、多くの女性を抱いた。すべての女性は、別々であり、Sexの回数であれば、その倍以上になるだろう。彼女たちとの出会いは、基本的に、語弊を恐れずに書くと「ナンパ」である。渋谷のスクランブル交差点付近で目的もなさそうにしていた女性、恵比寿駅の西口改札前で浮足たっている感じのルブタンのヒールを履いた女性、新宿バルト9で席が隣になったサブカル系女子、Twitterで相談によくのってあげたキャバ嬢、そのジャンルの幅はとても広く、一人ひとりについて書くことは不可能に近い。そんな活動を、モクモクと、ある種、ロボット的に、日々こなしている人たち、それが「恋愛工学受講生」や「ナンパ師」であり、僕も、例によって、それなのだ。僕達には、これがとても日常的で、それは一方で、とても感覚が麻痺していることも気がついてはいる。心が磨り減るだけのこともあれば、深い愛情と安心で満たされることもある。
社会学者の宮台真司は、昨今の近代化や合理化について以下のように述べている。
〈システム〉と〈生活世界〉の関係を確認します。〈システム〉ではデニーズ的アメニティが提供されるのに対し、〈生活世界〉では地元商店的アニメティが提供されます。前者は「役割&マニュアル」優位な関係性で、後者は「善意&自発性」優位の関係です。だから前者は匿名的・入替可能で、後者は記名的・入替不能です。
近代化とは、〈生活世界〉で賄われて来た便益を〈システム〉に置き換える「合理化過程」。置き換え途上の段階ゆえに〈システム〉化され切らない〈生活世界〉が残っていると信じられるのが「近代過渡期」(モダン)で、置き換えが完遂して汎〈システム〉化=脱〈生活世界〉化した段階が「近代成熟期」(ポストモダン)。
近代化がある程度進んで、「まだ〈生活世界〉が残っている」というより「敢えて〈生活世界〉を保全している」と言えるようになるのが「再帰的近代」です。これにも2段階あって、いったん汎〈システム〉化した後に、かつての〈生活世界〉の機能的等価物を再構成したのが「ポストモダン的な再帰的近代」ということになる。
昨今の国内の人々の恋愛関係の事柄の矛盾や苦悩は、まさに宮台が上で指摘していることだ。近代化の影響ですべてが合理化されていくことは自明の事実である。それは恋愛(〈生活世界〉)というカテゴリーに対しても同じだ。恋愛〈生活世界〉の合理化<システム>化、突き詰めると、人間の生殖、子孫繁栄、それに対してこれまでは、「恋愛」「愛情」というとても曖昧なもの〈生活世界〉がそれを肯定していた。しかし近代化が進むにつれて、それすら合理化する波が押し寄せてきている、しかしその合理化に適応しきれない部分も存在し、それが苦悩や悩みと表象されている。<システム>化され、合理化が進んだ現代であれば、本来であれば、そこに恋愛という後押しが、「人間の生殖、子孫繁栄」には必要でなくなるのだ。ただ、現状はその過渡期であるから、そこで私達は苦悩する。「敢えて<生活世界>を保全することによって発生する負荷/代償」というとわかりやすいかもしれない。今回のネタでもあるLOVE理論や、恋愛工学のメソッド、スクリプトは極めて現代的であるのだ。理詰めされた戦略、整然としたロジック、曖昧性を排除した合理的で、もっともシステマティックな、生殖へのアプローチ方法なのだ。それを「心のないロボット」と揶揄する人も多くいるだろうが、それは<システム化>された社会の行き着く先であることは否定できない。
僕達が信じている(あるいは信じていた)恋愛観など、欧米から輸入した価値観でしかない。その押し付けられた恋愛観、一種の洗脳、から開放されることは、非常に難しい。生まれた時から、その価値観を埋めつけられているからだ。人は環境に規定されてしまう、一度規定されると、なかなかにその規定から外れることはできないし、規定され続ける限り、自身を客観視することは非常に難しくなる。
だからこそ、恋愛工学クラスタ、ナンパ師クラスタ、が発生することは、合理化された社会では当たり前なのだ。合理化が進んだ、<システム>化が進む恋愛市場への、一番合理的なアプローチであり、社会への適応なのだから。もちろん、そのアプローチが時には、女性への迷惑行為になり得ることも十分に承知している。一種の危険性を孕んでいる事実は隠せない。しかし、それを頭ごなしに否定することは、それも全く違うのだ。「ナンパ・声掛け」とてもマイクロ的な事象を、もう2,3歩さがって改めて考えてみると、全体が見えてくる。<システム>化という波にのみこまれそうな恋愛<生活世界>という具合だ。
僕はこんなことを考えながらナンパをしているのか、と改めてこのように文字に起こしてみると、新しい発見がある。現代病とくくれば、そうなのだろうけれど。
①恋愛工学が謎タームばかりでめっちゃキモ面白い件 - 青柳美帆子のまとめ @ao8l22
http://ao8l22.hatenablog.com/entry/2015/03/07/160128
②周辺ナンパ師・恋愛工学者アカウント ano @ano_hisagi サウザー @Fist_of_Phoenix ヒデヨシ @np_hideyoshi
③男と女は永遠に分かり合えない。(美女は除く) - またこのナンパブログ!? @gagigugego_jp
http://murakami-gagigugego.hatenablog.com/entry/2015/03/08/073947
時系列まとめ
・藤沢数希などが提唱する恋愛工学とやら(有料メルマガなので詳細は不明。はたからだとセフレ増殖テクにしか見えないが後述のように高尚な理論らしい)の用語、
・「ともだちんこ」(勃起したチンコを接触させることで本番にもっていくテク。曰く「先人たちの知恵」)
・「聖帝十字撃」(謎)
などのセンスを笑いものにしつつ、これらの行動がデートレイプにあたるのではないかと告発。
更に恋愛工学者のブログ等から感じられる女性軽視について糾弾する記者(以下青柳・敬称略)。
・①がバズり、②恋愛工学者たちが①のエントリに対していくつかツイート。(「わからないものを否定するのは簡単だよね笑」など)
・青柳が②に相次いで反論。双方「恋愛工学は正しいあるべき男の姿。男は皆セックスしたいだけ」
「いや女にも感情ってあるんですけど…」のあたりから議論は進まない。
https://twitter.com/ao8l22/status/574274764014907392
https://twitter.com/ao8l22/status/574237503957266432
https://twitter.com/ao8l22/status/574397287847198721
・恋愛工学者のブログエントリ③があがる。内容は①への反論。といいつつも反論になっているかどうかはわからない。
「年収数億の藤沢さんが間違っているはずがない。あのエントリは無視すべき」
「恋愛工学は自然科学であり、人文科学社会科学哲学心理学というチンケな学と違い神が作った世界に切り込んでいく本物の学問」
【双方の言い分概要】
ナンパ師:男はみんないい女とセックスすることしか頭にない。そうじゃないやつは気取ってるだけ。
女はバカ。バカな女が正しい。恋愛工学にゴチャゴチャいってくるやつは女としてブスでモテないオタクに違いない。
青柳:女にも感情あるんでゴミ箱にされたくない。恋愛工学の目標がとにかくセフレを大量生産することだとしたら、それは幸せに思えない。
現在進行中。意見を添えたくないのであとはエントリやらツイッター読んでください
---
(略)
★東洋経済の3か月前の教育特集に載ってた記事だが、「年収1,200~1,500万円の子供」の学力の方が、「年収1,500万円以上の子供」の学力より高かったのが興味深い。
露骨に書くと、「東大クラスは1,200万円クラスの部長が多く、慶応クラスが2,000万円の経営者クラスが多い?」ので、それが子に遺伝した?
★単に収入面だけだと、白い巨塔な大学医学部教授って、そんなに「儲からない」。せいぜい年収1,000万円でしょ?
※しかし、製薬担当者からのバックマージンが巨額・・・おや、誰か来たようだ。
★東大理科3類な人々って、生涯年収が3億円に達したら、それ以上の上積みはあまり望んでないような気がする。
それより権威と名声を望む、的な。
藤沢数希的には「頭がいい人間こそ、10億でも100億でも目指せ」と嘆くところだろうが、第一使いきれない
ラグジュアリーな生活でもカワイイ子供でも猫でもシェアしてもらって構わないんだけどさ。
いい歳こいて、SPA!とかAMみたいな恋愛とか合コンのテクニック記事みたいのシェアしてるおっさんたちは何なの?
既婚で子供もいるのに、はあちゅうの書いた記事とかシェアして恥ずかしくないの?
それに対して、これまたおっさんが「俺だったら有無をいわさず次のアポ決めちゃうけどねw」みたいなコメント残してたりするんですよ。
もう見てらんないわけ。
「おまえら、いつまで“男の子”のつもりでいるんだ」としかりつけてやるたくなるね。
おまえらはもう「父親」であり「夫」であり、何より「おっさん」なんだと。何よりそれを自覚しろ!と。
誰もお前のたいしたことない合コンテクとかしょぼい恋愛観とか知りたくないんだよ。
部下の女の子とかもお義理で「いいね!」してたり、「○○さんさすが肉食系!」みたいに調子あわせてっかもしんないけど、本当はお寒いと思ってるから。
どうせたいしたドラマもなく落ち着くべきところに落ち着いたような結婚してるくせして、ドヤ顔で恋愛語るなっつーの。
語ってもいいけど、それをfacebookみたいなオフィシャルな場でやるなっつーの。
自分の上司が藤沢数希の恋愛工学とか絶賛してるとがっかりするわ。
「こういうのわかるわ」とかわかんなくていーからもう。
飯テロよりリア充自慢より何より、こういう恋愛ノウハウ記事シェアしてキャッキャウフフしてるおっさんどもが一番腹立ちます。
皆さんはどうですか?
http://netgeek.biz/archives/19832
http://netgeek.biz/archives/14727
「うちは他のバイラルメディアとは違う!」みたいなこと散々言ってるけどさ。なんで、そんなに吹き上がれるのかよくわからないんだよね。
サイバーエージェントのバイラルメディアSpotlightが2ちゃんまとめアルファルファモザイクの記事を丸パクリ
http://netgeek.biz/archives/18714
この記事の中で、
「このパクリ問題、最大の焦点は情報に付加価値が加えられているかどうかだ。」とか言ってるけど、「自分の記事は常に付加価値が加わってるから著作権違反してもOK」とでも言いたいのかな。んなわけないでしょ。
そもそもメディアとしての誠実さだって疑わしい。最初から求めるべくもないのかもしんないけど。
【速報】首都大学東京が大学名を「東京都大学」に変更へ!舛添要一知事が記者会見で発表
http://netgeek.biz/archives/18292
こういう最終的にデマと分かったような釣り記事とかシレッと放置してるしさ。
【速報】藤沢数希の元交際相手が正体を暴露!!「奴は経歴詐称をしている。年齢も10歳サバを読んでいた大嘘つき」
http://netgeek.biz/archives/18300
これもどこの誰だかわからないような一ブログの証言を丸呑みにして「虚偽のプロフィールでファンを騙し、アフィリエイトやメルマガ、書籍で金儲けに走る藤沢数希は許されざる存在だ。」とかキリッと言ってるけど、そんなに確度の高い情報か?これ。違ったら藤沢数希もいい迷惑だろ。
こういうことしていながら、「うちは他のバイラルメディアと違うでござい」ってのは通らないと思うんだよね。2ちゃんまとめと一緒か、それ以下でしょ。
Webを見ていると至る所で色んな記事が炎上し、その都度ツイッターでリツイートされ、はてブのホットエントリに取り上げられ、拡散した記事は怒りと共に広がっていくのだが、
そんな炎上を観察していると、ある特徴に気がついた。
世の中には、
「低学歴に拍手喝采で迎えられるが、高学歴にフルボッコにされる人」
の二種類がいる。
前者は金融日記で有名な藤沢数希(@kazu_fujisawa)氏やちきりん(@インサイドチキリン)をはじめとする、自由主義バリバリの合理的なロジックタイプの人々。
後者はイケダハヤトや安藤美冬、家入一真(@hbkr)をはじめとする、ロジックなんて関係ねぇ。やりたいことをやればいい。既存のルールは糞だ、という人々。
なぜこのような「高学歴と低学歴の溝」ができているのかと考えると面白い。
客観的に見て筋が通っている主張に好感を示し、理屈で割り切れない主張にはケチをつけたくなる。
それは、小さい頃から筋道立てて物事を考えるように習慣づけられ、会社では論理立てて物事を説明することが求められる人が多いからだと思われる。
だから、ドライなように見えても、合理的で筋が通っていることは納得するし、筋の通らないことはどんなに面白いアイデアでも違和感を持ってしまう。
直感的に「気に食わない」ことを言う奴はロジックなんて関係無しに批判する。
「こいつ何言ってんだ?(何を言いたいのかは考えない)」
「あなたは可哀想な人ですね(その理由は説明しない)」
そして、彼らに共通するのは、既存の仕組みへの大きな不満だ。
今の自分が報われないのは、世の中のルールが間違っているからだ。
この狂った世の中をぶっ壊してやる!闘ってやる!
俺達は自由だ!楽しい!(実際は自由になれていないし、楽しくない)
そんな感情のはけ口として、イケハヤや家入氏に一種のカタルシスのようなものを感じているのではなかろうか。
さてさて、高学歴、低学歴の両者に共通するのは、異質なものを認めたがらない姿勢だ。
ってね。
http://anond.hatelabo.jp/20130528120421
ちきりんや藤沢数希が質が高いとか冗談でしょ?日本中探してもあんな質の低い文章書く奴はまず出会えない。褒め殺しならそう書かないと伝わらないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130528124814
これ本気で悩んでるけど解決案が全く見つからないんだよね。啓蒙で何とかなるなら2chから転載禁止されたブログは潰れてるはずだし。
さらにタチが悪いことにマスメディアもそれを追っかけてる。特に日経の劣化が酷い。パズドラ2というデマとか。
俺自身がどうかというと、アクセス増えるのが嫌になってブログ書くのをやめた。アクセス集中する記事ってだいたい文意が取れてないトンチンカンなコメントが付くし。読む側のスキルが低すぎるんだよね。
日本の質が高いブログを書いているとされていた一部のいわゆるアルファブロガー層(小飼弾、ちきりん、藤沢数希、…等、敬称略)も最近は更新が減っている。
いやまああくまで仮説というか、確信ではないんだけども。
しばしば日本のブログ論壇(なんだよそれって話だけど、まあウェブ上の議論を行なっている一角とでもしてくれ)は他の国よりレベルが低いと言われている。確かに、最近では特に、読む価値があると感じるブログなんて少なくなってきた。それがなんでなんだろう、というのが自分の問題意識であり、それは今後改善されうるのだろうか、というのがまたもう一つの問題意識になる。
※前提として筆者は外国語全然できないので帰国子女系の人とか、他国のウェブの生態系というか、そういうの分かる人教えてください。
日本の質が高いブログを書いているとされていた一部のいわゆるアルファブロガー層(小飼弾、ちきりん、藤沢数希、…等、敬称略)も最近は更新が減っている。Twitterとかメールマガジンの影響とかあるんだろうか。
なんかひどい雑文になってるけども問題意識だけ共有できれば。日本のウェブは残念なんだろうか。そしてそれは変われるんだろうか。
このエントリの趣旨は「稼いでいる奴は儲けようとして実行に移している」ということだよね。
それはその通りだ。
「短絡的」
このエントリの趣旨は、「事業はカネだけではない」だよね。だから、論点が違っているだけであって、親エントリの批判にはなっていない。
ちなみに、結論としては正しい。しかしこのエントリの2行じゃあ、世間で言われている有り体のことばのコピペみたいで、なんか負け犬の遠吠えみたいな印象すらあるね。
また、たとえがよくない。震災とか言われても、それは説得力がない。災害対策のためにミクシィつくったのではない。たまたまの結果論でしかないよね。
けどともかく、世の中、カネだけがすべてではない。カネだけですべてが計れたら、公益法人もNPO法人も要らない。国家さえ要らない。自由主義の原点のレベルの話で、夜警国家っていうやつだ。
現実には、そういうものではない。多くの人間にとっては、カネよりも、生きること自体の方が大切なんでしょ。さらに人間の立場から言うと根本的には、カネなんかより人類が滅亡しないことの方が大切だよ。
だから正直に言って、そこまでしてカネ儲けすることなんか、目先のニンジン追いかける未満だと思っている。カネは食えないから、ニンジン未満だよ。
いまはカネのしくみが失敗しているから生きづらくて、不景気だだのなんだのといって、苦しい苦しいとあえいでいるんじゃないか。
いま、なにがなんでも稼いでやろうと思ったら、生活が苦しい奴からも、病んでいる奴からも、むしりとればいいんだよ。
私だって、悪魔に魂売ったみたいにしてなにがなんでもカネを稼ごうと思ったら、いくらでも稼げるよ(笑)。それこそマジで、「ブラック企業なめんな」ってそういうことだよ(笑)。
けどさ、私は、それはしたくないわけさ。
ちなみに、「ルールにさえ反していなければ」という理屈だったら、「焼肉酒家えびす」みたいになるんだよね。
あるいは、かつてのライブドアもそんな感じだったのさ。金儲けはゲームだったわけさ。書いていないルールがあったら困るよね。
ちなみに、かつてのライブドアはさ、「ホリエモン」はどっちかというと、夢想家であって、生粋のエンジニアの類なんだよ。だから、金儲けよりかは、なにやったら面白いかっていうことを考えている。それに対して、とりまきのほうが、その面白い夢がビジネスとして機能する、金儲けとして機能する理屈を装飾してやるわけ。
本来のビジネスっていうやつは、人間の生活のためにあるんだからさ、金儲けの理屈が後付けで来るはずなんだよ。たいがいは、誰かの生活に役立ったら、その誰かから対価を受け取っていい。そういうしくみだよね。
現実にはそのしくみが失敗しているからさ、対価が受け取れなかったりして潰れる企業があったりさ、たいしたこともしてないのにたかってむしり取るブラック企業があるわけさ。たとえば、サラ金とかだってそうだよね。最近は銀行までサラ金やっているけどさ(笑)。無縁社会だからサラ金から借りる奴は増えているのだろうけど、借りてもそれを元手に儲かんなきゃあ、利子は返せるのかい?
先日、クリプトン・フューチャー・メディアのひとがTwitterで電通に対して嘆いていたけれど、クリプトンって結局は、なにがなんでも稼ごうとは思っていなくて、音楽づくりの支援をすること自体が本望なんだろうね。自分とこで出した道具で、音楽がつくられて、それで感動したら、それが本望なんだろうね。初音ミクをダシにして稼ぎまくってやろうとは、あんまし思っていないんだろうね。
「初音ミク開発者がTwitterで電通に激怒 - NAVER まとめ」
けれど、「カネを稼ごうと思うのが当たり前」「ビッグになりたいと思うのが当たり前」って思っている人間からすれば、そういう想いをもっている人間のことはわからないわな。
結局いきつくべきジンテーゼはやっぱり、世の中カネではない、って結論にはなると思う。その結論に行き着いていないから、みんなカネのしくみにとらわれてばかりで、いまの日本人は生きづらくなっているんだよね。
ところで、だいたい、固定観念にとらわれずに、生活に役に立つことを見つけ出してビジネスにすりゃあいいんだよ。
「vs元ライブドア取締役・熊谷史人氏(4) もし、フジテレビの買収が成功していたら|藤沢数希の金融対談日記|ダイヤモンド・オンライン」
↑この記事みて思ったんだけど、やっぱり、固定観念にとらわれていて発想が柔軟でなかったら、儲けられない奴になるか、しくみを利用して儲ける奴どまりなんだと思う。
すんげー発想をする俗に言う「天才」みたいな人間がいて、そこに、その発想を収益化するための裏付けをする人間がいて、はじめて画期的かつまともなビジネスとして回るのだと思う。
ちなみにふと思ったが、M&Aのデューデリも、買収者の買収するという結論が先にありきで、コンサルが後付けでペーパーを書いていることも多い。それと似ているかもしれないな、となんとなく思った。
BLOGOS_AWARD 金融部門受賞のブロガーは匿名で経歴詐称疑惑がもたれていた。
経歴の胡散臭さを原因でwikipediaから削除抹消されていた。
http://news.livedoor.com/category/vender/kazu_fujisawa/
藤沢 数希(ふじさわ かずき、Kazuki Fujisawa)は、日本のブロガー。 本職はアメリカ系投資銀行勤務であるとしているが、経歴はすべて架空の設定である[1]。
http://ceron.jp/url/ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%95%B0%E5%B8%8C
削除 百科事典に記載するほどの著名性・特筆性は確認できない。自称する経歴が虚構で、その他の情報源からの言及もなければ、百科事典的な記事に成長する見込みもない。ケースEに該当。-