はてなキーワード: 薄茶とは
高3のとき、ガム食べながら塾の授業受けてたら突然、口の中にガムではない何かが出現して焦った。
ビックリして手を突っ込んでその異物を引っ張ってみたら、ペリペリ~っと舌から剥がれていった。異物の正体は膜状になった蓄積された舌の汚れだった。薄茶色。
隣の席に座ってる友達に気付かれないよう、慌ててその膜はティッシュに包んで隠したよ。
考えてみればそれまで一度も舌をケアしたことがなかったんだよね。虫歯にも一度もなったことなかったから、歯医者の指導を受ける機会もあまりなく、歯磨きがかなり適当だったんだと思う。以来、歯磨きするときは舌も丁寧に歯ブラシで磨くようにしている。
でも、歯磨きのとき舌も磨くようにって学校や家庭で習った?習ってない気がするんだよな。舌の汚れがある日剥がれるという自分と同じ経験したことある人、結構いるんじゃないかな。
数年前に食べたジャガイモの味が忘れられない。
スーパーで買った1袋150円程度の鹿児島産の小粒の新ジャガ。
そのうちの一つに大きな半透明の染みができていた。
最初見た時は「腐ってるんじゃねえのか?」と怪しんだが腐ってる臭いはしなかった。
成長して芽が出始めてるわけでもない。
半分に切ったら中まで半透明状の薄茶色の染みが深く入り込んでいた。
怪しい物を家族に食べさせるわけにはいかないと、とりあえず毒味してみることに。
食べるとものすごくあまーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!
何だこの旨さは!トウモロコシを食べてるような甘さだった。
どうやらあの染みは、蜜が凝縮されたものだったようだ。
リンゴの中心部に半透明状の蜜が溜まっているのと似たような感じだろうか。
新ジャガの季節になると、この蜜入りを求めて小粒の袋詰を意識的に購入しているが、これ以降「当たり」は出ていない。
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish
彼は無類のアナル好きで、毎晩可愛い女の子のアナルをおがんでいたそうな。
「エイノゥ(アナル)のシワの数が女の子によって違うのはなぜだろう?」
ふと、疑問に思ったザーメン・デルは、エイノゥの研究・開発に取り組むことにした。
シワのあまりない女の子の両親のエイノゥを調べると、同じくシワがあまりないことが分かった。
一方、しわしわの女の子の両親のエイノゥはシワシワであることが多いのだが、片親があまりシワがない場合もあることが分かった。
色素沈着もシワと同様に両親から影響を受けることが分かった。
研究を進めていくうちに、ザーメン・デルはある仮説を思いつく。
この仮説によると、シワの多いエイノゥと茶色いエイノゥは優性、シワの少ないエイノゥと薄い茶色のエイノゥは劣性であるというのだ。
シワが多い A
シワが少ない a
茶色い F
薄い茶色 f
これら遺伝子は対になっており、優性の遺伝子が表現型として発現する。
つまり、シワが多くて薄茶色いエイノゥは、AAffまたはAaffとなる。
純系の茶色いシワエイノゥAAFFと純系の薄茶色いシワ少エイノゥaaffを交雑させると、
茶・シワ多(AF) : 茶・シワ少(aF) : 薄茶・シワ多(Af) : 薄茶・シワ少(af) = 9:3:3:1
しかし、この偉大なる発見は歴史の闇に埋もれてしまうことになる。
なぜなら、ザーメン・デルが恥ずかしくて公には発表しなかったからだ。
後に、メンデルと呼ばれるザーメン・デルの生涯はここで幕を閉じた。
彼の死から50年後、このザーメン・デルの遺伝の法則は、ドフリース、コレンス、チェルマクらによって掘り返され再発見された。
色黒の顔を隠すかのように、全身黒の野暮ったい服を着た
すぐ傍には思いを寄せている係長がいた。
綾香さんが会社に来たとたん、係長が嬉しそうな顔になるしさぁー」
近くに係長がいることを知った上で聞こえよがしに厭味を言う。
その夜。
仕事が終わり、ある家での会話。
「ほーんと傑作っ」
差し出されたグラスを受け取りながら、綾香は答えた。
「『綾香さんが会社に来たとたん、係長が嬉しそうな顔になるしさぁー』って。
まったく、何も知らないって怖いよな。
こっちは、会社でも家でも、綾香の顔を見てるっつうんだよ」
「でも、あんな言い方されて腹が立たない?」
「いや気にしてないならいいけど。…でもなんかひとこと言い返してやりたいよな」
「…じゃあ、さ。」急に真面目な顔になる綾香。
「えっ、なに?」
「ここに連れ込んでよ、あのひと」
「え?」
「だから、あの女を誘惑して、ここに連れてきて」
「で、どうするの?」
「復讐?」
「女はね、一度抱かれると、ますます、その男を好きになってくの。
で、もう後戻りできなくなった頃に、種明かしをするの。
…どう?抱ける?」
「うーん…女ってずいぶんと残酷なこと考えるんだな」
「その女がだーい好きなのは誰よ」
「うるさい」
黙らせる代わりにその唇を塞ぐ。
その肩を男の顔の前に差し出す。
数箇所、歯型の痕が赤々と残っていた。
祖母と母と三人で祖父の墓参りに行った。
お彼岸まではまだ遠いし、命日が近いわけでもなかったが、祖父母と実家の家が遠いので
行けるときにお参りをするのが習慣になっている。
実家と私の家は同じ関東圏といえど、父とは折り合いが悪かったことがあって
何のかんのと理由をつけて仕事を理由に家を出た後戻ることはなかった。
あるとき家に立ち寄った学生服の妹が、実家にある私の部屋は今お父さんのパソコン専用になってるよと
教えてくれた。多分、サーバールームかなにかなのだろう。そこまでするのかと当時はただただびっくりするばかりだった。
そんな次第で、母と会うのは久々だった。
記憶ではもっとふっくらした方だったのが、その面影はあとかたもなく、様相は一変していた。
20kg痩せたらしい。
ナイトメアビフォアクリスマスにまじっていても気付かないと思う。
祖母は変わらない。祖父が亡くなったことを機に髪染めを止めた頭は、
薄茶と白のまだらな髪だったはずだが、真っ白になっていたことくらい。
いつも穏やかに微笑んでいる姿はそのままだった。
会話が面白かった。
「私の孫です。」
娘をおいて挨拶するあたり、昔からなぜか自分に大甘の祖母らしかったが、その紹介がまさかの誤解に。
母とセットで兄弟に間違われたまま会話が進んで、
檀家さんが孫だと思っていた人が娘と知って目を丸くしていた。
東京オリンピックって何年だっけ。母の歳の計算を脳裏で思わずしてしまう。
恰幅がいいとは、親父のような男性に対する上品な言いかえだと知ったのは社会人に入ってのこと。
部署編成で久々に顔を合わした同期に先日も言われたが、仕事帰りにお酒で潰すほど呑ませた。
「まぁ、そんなに大きなお子さんがいるの」と対面のご近所さんに何度も言われて、
おかしいと思っていたら姑さんと奥さんと造作がよく似た二人に交互に言われていたのよと
祖母に自慢する母の姿は、確かに若かった。
ある雨の日に出掛けようとしたとき、初めて異変に気がついた。
地味な傘ばっかりささってる傘立てを華やかにしているはずの一本のピンクの日傘がそこにない。
何故?いつから?ここじゃない家の中のどこかにあるのか?
ないと困る。母親に買ってもらったそれなりの値段がするブランドものの傘である。
失くした?いつ?どこで?
申し訳ない気持ちや、怒られる恐怖や、喪失感、
何より失くした事にすら今まで気がついていなかった自分の脳みそにただ、ただ絶望する。
何故こんなことに。
いつどこで失くしたかもわからないものが、見つかるとは思えない。
もうダメだ。
とりあえずブランド名で検索、財布やら何やらは出てくるけど傘の情報はほとんどないし、
もうダメだ。
この不良品で使い物にならない脳みそをもう一度使って考えてみる。
何処で失くしたか。
基本的に折り畳み傘を使うし、自転車での移動が多い。
この3つが忘れる可能性が高いと思われる。特に前二つが可能性として考えやすい。
最寄り駅沿線が一番可能性が高い。
鉄道会社のホームページを見ると3日保管後、警視庁遺失物センターに保管されるとある。
警視庁遺失物センター…どこで落としたとしても最終的にそこに集まるのか?
だとしたら最初からそこに問い合わせれば事足りるのではないか。
なんせこの大都会東京のあらゆる場所からの遺失物が集まるところなんでしょ??
傘なんて何万本あるんだ?
もう一つの可能性、よく使うバス会社のホームページを見てみる。
遺失物は営業所で保管。営業所は近いぞ!とりあえず営業所に行ってみるか近いし。
窓口が非常に狭い。客が2人いたら満員である。
窓口のお兄さんに用件を伝えると奥にいったっきり暫く出てこない。
「いつ頃失くされました?」
「色は?」
「ピンクです」
ああ、ごめんなさいごめんなさいもういいです諦めます
「あの、ない、ですよね?」
「いや…」
(いや?)
「一件だけそれっぽいのがあるんですよね。骨は多いですか?」
骨の本数なんて覚えちゃいないが(聞かれるとは思わなかった)
「なるほどね」
骨の本数なんて記録してるんだろうか。特徴のポイントとしては盲点だった。
「30日に届けられたもので、日傘じゃなくて普通の傘として届けられてるのですが、取手が薄茶色で、リボンの留め具が付いていませんか?」
!!こっちが伝えてない特徴が出てきたぞ!これは期待できるかもしれない。しかし30日って!全然違うじゃないか自分!
「そうです!」
「警察署に届けてあるのですが、結構前なので、さらにそこから飯田橋の遺失物センターに送られてるかもしれません。とりあえず問い合わせてください。」
受領番号、管理番号、警察署の電話番号が書かれた手書きのメモをくれた。ありがとうお兄さんありがとう。
しかしこれが本当に私のものじゃなかったら?また振り出しに戻る事になる。まだ喜べない。
ここは電話するスペースもないし、天気も悪かったから、駅まで行ってから警察署に電話をかけてみる。
若い女の人の声で、たどたどしく対応してくれた。即刻伺うことにした。
警察署に行くのは免許証の住所変更のときに来て以来である。確かに遺失物コーナーみたいなのがある。
ほいさ、と出てきた傘は私が求めていたそれである。おまえこんなところにいたのか!放っていてゴメンよ!
遺失物届出書っていうのと、受領書っていうのの2つの書類を書かされた。
この遺失物届出書っていうのを書くのがまず最初にやるべきことだったのかもしれない。
やがて雨が止み、傘を2本持って街を歩くボケ女の姿がそこにあった。
我が家の傘立てに華が戻った。
ずーっと疎遠だった兄の家に居候して、兄すいませんとここに書いてから早4ヶ月。やりました、やっとこさ内定ゲット。途中うまく行かなくて嫌になりそうだったけど、やっぱり最後も兄のおかげで就職活動を終わることができた。
どうやっても面接に慣れないと嘆くわたしに、「面接って自分を売り込む機会だから、それ相応のやり方をすれば多分受かる」とボソリ。面接官が何を見て評価しているかわからないと悩むいうわたしに、「考えるプロセスでしょ、学生に社会での実績なんて求められるとは思えないし」とポツリ。面接での質問って何すればいいか迷う自分に「友達も会社も、選ばれるためにってだけじゃなく、こっちだって選んでるんだよ、そう考えりゃ質問のひとつやふたつ…ねぇ」とチクリ。いつも答えに飛びつこうとするわたし向けに、答えではなく、優しいヒントをくれた。
兄は自分のことを語ろうとしないから、兄が家を出てからの全てを兄カノに聞いた、もう全部。学生ビザだけ取って、母から手切れ金を手にし一人渡米した兄は、怪しいバイトをしながら向こうで大学を卒業。大学の24時間オープンの図書館には、いつも深夜までいたそうな。大学を出て現地で就職、祖国日本に「転勤」に。これまで壮絶なんて言葉で片付けられないものだったと思う。50万円だけ持って渡米、仕事がバレたら最悪は強制送還という環境の中で学費を稼ぎ、並行して学業を修める。3年で卒業し、現地人を押しのけ出世ですか。これもまた、ひとつのアメリカンドリームなのかも。
兄がまだ家にいた頃、あからさまにおかずが少なかったり、むりやり家に近い公立高校に入れさせられたり、血の繋がらない母に酷い仕打ちを受けてきた兄。こういうことは兄カノも知らなかった。当然、兄カノ爆泣。「これで彼の兄くんの性格や言動、どこかでその生い立ちは想像したけど、これで全てが繋がった」と。「すごくエゴな言い方だけど、私が彼を幸せにすることは、私のライフワークなの」と言い切る薄茶色の眼は本気そのもの。兄の昔を話す過程で、兄カノが兄に寄せる想いは恋愛とかそういうのを超えたものを感じた。兄カノとはそうやって、日本で育った兄と米国で生き抜いた兄の歴史をつなぎ合わせた。目眩がしそうなくらいの洋書に囲まれた兄の書斎、綺麗に片付いた机の上の"Stay Faced"という木彫りの置物。常に現実を直視せよ、と解釈してる。多分、兄はこれまでそうせざるを得なかったんだろう、と今やっと理解。
全てを把握したところに帰宅する兄。私も兄カノも目がボンッボンに腫れてて直視できない。板チョコみたいな腹筋をボリボリ掻きながら「さて夕飯でもいただきましょうかねぇ」とお風呂から出てくる兄。畏怖の念さえ覚えてうつむく二人を気にすることもなく、「今日のおみやげは…じゃーん、スイス帰りの部下にもらったチーズ、ワインいきますか兄カノさん、ワイン」と。
わたしはもう我慢の限界。「兄カノちゃんから全部聞いたよ、わたしも兄カノちゃんに全部言った」と。「ん?何を?」と兄。「だから、全部」とわたし。少しため息と沈黙の後、兄。「大体何話したか想像つくけどさ…どれも過去の話でしょ、後にも先も生きられないんだからとりあえずいま妹の内定祝いってことで飲もうよ」
「いや、でも、嫌かもしれないけど、お金のことも聞いたし」「それもまた過去」「じゃあ過去の話としてさ、兄はどう思ってんの?」「昔の話だし、どうとも思ってないよ」「母のことも?普通あの扱いはひどいんじゃない?」そんなやりとり。
少しの溜息のしぐさだけして、兄は言い放ちましたよ。「じゃあさ、もし、昔がひどいとか可哀想とか、いまさら何かできる?可哀想といま思われちゃっても、『ああ酷かった辛かった』って言って今が楽しくなる?まぁこの際だからちょっと言うけど、当の本人としては、どうしようもないことをウジウジ思い悩む暇も余力もなかなかないわけよ、そもそも自分は可哀想じゃないとどこかで思ってるから人が可哀想と思えるんでしょ、自分一人だとそういう考えないんだよね、もうね、すぐそこに対処というか対峙しなきゃいけない現実があるんだな、だから、俺が気にしていない、もしくは気にできないことを他の誰かが気にするとかさぁ…とまぁ当の本人は言ってますよ… ハイ昔話おわり、喉かわいた、さ、ワイングラス」
これが唯一過去に関して兄の過去に関しての見解が聞けた機会。触れてほしくないと思わせる言い方というより、兄の中で完全に区切りがついているということだけはわかったので、もうこの話にはならなかった。兄もいつもどおり無口に戻った。
この人は本当に強いと思った。飄々としてるけど、ブレない何かを持ってる。だからこそ、言葉がずっしり重い。寡黙が故にたまの発言が注目を引くからでもなく、大きな身体から発せられる野太い声だからでもないんだ。この人の魅力は上のような経験に裏打ちされた深みから来ている、不思議な引力みたいなものなんだと思う。
もし、人生ゼロサムゲームなのであれば、この兄にしてこの初見でドン引きするくらい美しく、聡明で、慈愛に満ちたカノジョは当然の果報だ。お金にしてもそう。最初は成金だと心の中ではちょっと軽蔑していたけど、彼の不遇の時期を考えれば、表参道の家も、3台の車も、3人なのになぜか15万の食事も、すべて兄自身で獲得した富だ。ましてやあんな母に対しても、娘の学費・結婚費用と、その豊かさを分配している。
依頼元の不満は、主に配色という意味だと推測する。
「文字と背景のコントラストが高くないと、若くない人は見にくい」
beforeを見ると、メニューとかコンテンツのタイトルが薄茶の上に濃茶になっている。
afterでは緑地や青地に白文字。コントラストはbeforeよりずっと高め。
そういう意味で、目を引くのはどちらかといわれたら、後者なわけだ。
対策としては、作った距離+1mくらいから見てみること。
どこに目を引きたいのか、実際に目を引けているかがけっこうわかると思う。
そこはそこそこ気に入ったというか納得してるんだと思うんだよね。
デザイン性の高い品物を売っている人への対策としては、
手書きでもいいのでできるだけイメージを相手側から出させること。
自分は清書機になったくらいの気持ちで。
とにかく見た目のコンセンサスをしっかり取ること。
打ち合わせが1回多くなったからって、リテイク1回よりはよっぽど楽だ。