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はてなキーワード: 著作とは

2024-01-08

anond:20240108100412

内田百閒「…漱石センセイでも駄洒落は仰ったことがあるんよ、門下生たちとご自宅で牛鍋をお食べになったとき、みな遠慮してなかなか箸をつけづらかったんじゃ、ほしたらセンセイがの、

『きみたちはなべたべないの?』

と仰ったんじゃ、あの『なべ』は『鍋』と『何故』を掛詞にしたセンセイ一流のギャグじゃったんよ!」

内田著作より

anond:20240108121321

中島らも著作エッセイ啓蒙かまぼこ新聞かなにかで、ダウンタウンが登場した当時の関西人がかれらの漫才から受けた「新しい笑い」の体験が、結構生々しく書かれていたのを憶えている。単なる『あいうえお』でネタを創り上げたそのセンスは、決してどこかのギャグ漫画二番煎じや、何匹目かのドジョウではない。

東京に行ってからの彼らは知らんけど。

2024-01-06

山崎元氏の死去は愚かな失敗の結果

彼は飲酒を「人間関係投資」だとか正当化していた。

しか人間関係のためなら毎日欠かさず飲む必要はなかったし、ウィスキーストレートで飲む必要もないだろう。

さらには酒を飲みすぎて複数の友人に内視鏡検査を勧められながら、

内視鏡を飲み込むのが不快からと、トンデモ本根拠に定期検診は無意味正当化した。

その結果として食道がん死ぬことになった。

明らかに確証バイアス判断を間違えている。彼がさんざん批判的に書いてきたバカの行動そのものだろう。

自身も、定期検診を受ければよかった、酒の飲み方も変えればよかったと後悔している。

自分山崎元氏の考え方に感銘を受けてインデックスファンドを始めた一人だからこそ、

彼の考え方に沿って彼自身を愚かだったと断言する。

「用心していれば病気100%防げる(山崎さんはそれに失敗した愚かな人)みたいなヒドいコメントが目立つ。そんなに単純なら誰も死なないわけだが」

とか擁護している奴は彼の著作ちゃんと読んでんのか?

100%儲かる方法はないけど、リスクを正しく評価すれば最適に近い選択肢を選べると主張してきたのが彼だろ。

結果論以前の問題として、リスクを正しく評価できない人間バカだと彼は言ってきただろ。

ライブ】TOMOO LIVE TOUR 2023-2024 "TWO MOON"

・良良良ー・良ー良良だった

 新幹線+泊まりで来たかいありまくり

3次元を押す人の気持ちが少しわかった

 アー写、可愛すぎやろ!盛っとるわ!

 思ってたけどこんなに可愛らしいお顔立ちかつ

 歌が上手い(喋りの時の声質がもう歌ってるとき

 声に近い少しハスキーな声)お嬢さん現実

 「存在」するとは、ね…

 世界、生きる意味あるな…

・年齢マ?22か23かと思ってた

・「ライブ」というもの、こういうやつを

 見たかったんや…!と感動して最初感涙した

 アーティストとの目線の高さが

 同じ(距離感(音響ライト?調節ゾーン後ろ+

 アーティストピアノから直線上

 遮蔽物無しの神立位置だったので幸福やった

・歌がうますぎてCD音源と同じなんだけど 

 いい意味でのカラオケ?肉声がマイクを通って

 ライブ会場全体を振動させててよすぎた

・本当に生身の人がSpotifyで聞いた歌歌ってる〜!

 ってビビった

・途中、「もっと元気にー!」みたいになったとこ、

 少しハラハラした「名古屋を…ひいては東海

 嫌いに…ならないでッ…!

 不快な思いになって…欲しくない…ッ!」とキモい

 ファンの感じになった

バンドライブといえば

 高校生クソ下手文化祭バンドしか

 聞いたこと無かったから「上手い演奏者達の

 楽器演奏が重なると本当に

音楽」って完成するんだ」って驚いた 

・「これを生の声で歌ってるのを聞けたら

 成仏する…」と思っていた曲4〜5曲

 (スーパーボールグレープフルーツムーンオセロシンデレラとか)を全て歌って頂き最の高だった

 何度も何度も聞いた好きな曲を「ライブ」で

 本人の肉声で聴くとこんなにええものなんや…と

 「わからせて」頂いた

・客層、「曲調的に恐らくお客さん層はJKJD又は

 20代半ば位の女性多めのはず!」と推測してたら

 2/3ちょい位男性+年齢層もアラサー40代

 多めの印象+最初女性客はカップルの連れしか

 おらず「思ってたのと…違う、な…」って

 なったけど後半になると大学生位の小洒落

 兄ちゃん勢とか1人参アラサー女性勢もポツポツ

 出てきて「おっ仲間」ってなった

学生さんの頃作った曲?の

 「雨の総武線」みたいな感じのタイトルの曲、

 「クソにわか新規の私に、通じますか、ナ…」

 と思って聞いてたけど秒で屈した 

 もうあの歌ウマが直撃したら抗えねえ… 

・twomoonは録音室?のオーディオ

 左右対称だった事から〜みたいな話面白かった

・クソにわかファンなのでイントロで「この曲だ!」ができず「この曲は〜(しばらく聞いて)あっこれtwomoonに入ってたやつや!」になった 使う脳がカラオケ歌詞うろ覚えの時に思い出しながら歌う時と同じ脳の部分が働いてる感じした

歌聞くときも歌う時も「音楽記憶を思い出す」時って同じ脳の部分が動くんやな…って新たな発見をした

・「バンドマンはモテる」を理屈ではなく心で分からせて頂いた これはモテる

・近くにいた高校大学生ニキ達の会話、いと萌え

(写真は撮らん心の目に焼き付けるわ~心の目とか無いやろ〜おまいとは絶交や〜のくだり)

・開演前のBGMで目茶苦茶好き曲流れたので

 ニッコリした(あの黒人の人の駅ピアノのやつ)

・「こういう近距離ライブ初めてだし、

 リズムに乗って体揺らすのやってみたいけど

 恥ずかしい///」ってなったけど前に

 体揺らしニキネキがいたから乗れた

 


ホテルの前にデッカホストクラブがある…

中国語韓国語?喋ってる人多すぎて日本語喋ってる人より多いぞ

・上に立て続いてチェックインロビーハングルラジオ垂れ流しおじさんいたり国際離婚?したいのに相手に逃げられてる話ネキがいたり「もしかして…この辺…治安あんまり良くない…?」ってなった

・おっバーガーキングやん!地元にないなら行ったろ!と思ったらバーガーぬるいしパイは温かくないしションモリした

特に冷めたパイ外食マズランキングの2位を更新した 1位はあの階段の傾斜がヤバい中華屋 

チェーン店パイは色々なものを熱とパリパリ皮でごまかしてナンボなのに冷めたらもう…もう…

ライブ帰りに寄ったインドネシア料理屋さんの

 ビーフン炒めが目茶苦茶美味しかった

 卵ふわふわたっぷりほんの少しピリ辛でウマー

 外食美味しかったランキング更新した

インドネシア料理屋さんあまりに美味しかたか

 お腹いっぱいなのに美味しかった+

 今後名古屋行く機会ないから追加で

 ティルスープ頼んで食べきれず

 ダークウェブスープ動画みたいになった

 スープセロリとかプチトマト入ってて斬新

 なにより牛背骨×3個の凄みがスゴい

・22:00頃のホテル周辺の空気怖ッ

 大きくてゴツくて黒いジャージorスーツ

 日本語じゃない言語を話す兄ちゃんおじさんが

 1.5メートルにつき1人の間隔でいる

コメダ珈琲包囲網密度すごさすが本場や

小倉白玉トーストうま

 バター滲み出とるのよき

 本棚に置いてある本、意識高え〜

・昼でもなんか怖い

 中国フェスやってる傍ら移民反対デッカ声演説選挙カー走ってて思想のぶつかり合い発生してて

その場にいるだけで緊張した

名古屋市美術館、トイレ物品に貼ってある

 テプラの四隅が角丸に切ってあってお上品…!って

 なった

ガウディ展は日美観てなかったからわからず 

 制作著作NHKだった

名古屋駅、東京の駅より出口迷った

名古屋、都会と聞いてたが予想以上に目茶苦茶都会でビビった 車社会駅前だけ栄えてて少し離れるとションモリでなく広範囲で都会だった

車無くても生きていけそう

あと夜も朝もどこかしらでアマプロわず小規模ライブがやってて都会だった 都会は…文化が…あるな…!

電源周波数違うの忘れてて

 スマホ充電器使っていいのかビビって充電せずしす

・行く先々で駿河屋寄ってるから全国駿河屋巡りしてんの?ってなる 実家のような安心感

明日仙台ライブに行く 

 好きなアーティストライブやるからって

 予定を詰め込み…過ぎた…ネ…

2024-01-01

ふるさと納税クラウドファンディングを用いた節税方法

子育て支援で著名な駒崎弘樹氏・著名なライターヨッピー氏と、Colaboの追及で有名な暇空茜さんと揉めているようだ。

その中で、駒崎氏がクラウドファンディングに100万円の自腹を切ったという記事があった。

このやり方を見て、非常に賢い、合法的節税方法だと思ったので備忘的に残しておきたい。

(駒崎氏やヨッピー氏と暇空茜氏の主張はどうでもいいです、念の為

ふるさと納税クラウドファンディングとは

従来のふるさと納税寄附金の使い道を選ぶことができますが、「ふるさと納税クラウドファンディング」ではプロジェクトごとに寄附金の使い道がより明確になっているのが特徴です。そして、寄附者様には共感したプロジェクト選択して寄附いただくため、従来のふるさと納税よりも寄附者様の想いをダイレクトに反映させることができます

ふるさと納税クラウドファンディング」を通して行われた寄附は、従来のふるさと納税の寄附と同じように扱われます確定申告またはワンストップ特例制度を利用することで、寄附金額の2,000円を超える部分について、一定の限度額まで原則として所得税住民税から全額が控除されます

渋谷区Webより)

というわけで、使途を限定したふるさと納税という理解で良さそうだ。

駒崎氏が100万円の寄付をしたのは本当か

駒崎氏が自身noteにおいて「ふるさと納税ラファンで、100万円自腹切りました」(https://note.com/komazaki/n/n2c019ceec5fe)としているので本当だろう。

駒崎氏の自己負担額はどの程度か

渋谷区Webによると、2000円の負担金のみのようだ。ただし、ふるさと納税には所得に応じて上限額が定められており、100万円のふるさと納税をして上限に引っかからないようにするには年間所得で3000万円以上必要になる。(https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/8/itirann.pdf

もちろん、上限以上に寄付をすることもできるがそれをするなら直接NPO寄付をすれば良いだけなので、駒崎氏は自己負担額2000円と言うことだろう。

(厳密にいうなら、仮に100万円中限度額を超えている部分があるならその部分は「納税」ではないので、もとの駒崎氏の記事ミスリードになると思われる。)

寄付金の行き先は

寄附額に83パーセントを乗じた金額(千円に満たない端数は切り捨て)

渋谷区WEBより)

というわけで、寄付額の83%が、自己会長を務めるフローレンス交付される、とのことだ。

また、フローレンスでは役員報酬が支払われている。(フローレンス定款19条1項(https://florence.or.jp/cms/wp-content/uploads/2021/10/teikan2021.pdf))

交付されたお金の使い道は

皆さんののふるさと納税で、こどもたちにプレゼント

他にも、こどもたちに体験を届けるための企画管理システムの開発費・運用管理費、対象の方に情報を届ける広報活動費等に、活用させていただきます

https://furusato-shibuya.jp/cf/detail.php?unid=444e53ff2931d202cbe06b4e28212948

(※何故かここは画像だったので書き起こした。なお、どの程度の割合で用いられる予定かの記載はなかった。)

というわけで、わざわざ「等」と書かれているということはフローレンス運営費用にも相当程度用いられると思われるが、その割合が書かれていないので不明である

管理費には人件費を含むのが通例なので、フローレンス所属する者の給料役員報酬、その他様々な費用に充当することももちろん可能だ。

ちなみに、フローレンスの手掛ける他事業では直接子供に渡る部分は1%程度で、大部分が人件費広告宣伝費に充当されていた(https://togetter.com/li/1314349)。

子供に直接渡る部分は企業から寄付で賄ったりしていたのだろうか。税金の投入に見合う成果だったのかはこれから検証されるのだろう。

まとめ

◯駒崎氏はふるさと納税として100万円を渋谷区納税した。

本来支払うべき所得税住民税からほぼ全額が控除されるので、自己負担は2000円である

納税した100万円のうち83万円は自己トップを務めるフローレンス交付される。

フローレンス交付されたお金の使途割合について明記されていない。

◯駒崎氏はフローレンス会長であるので、フローレンスから役員報酬または給与その他金銭を受け取ることができる立場(実際の報酬額は明らかにされてないか不明)であり、またその肩書で多数の著作や講演等の実績がある。

◯このようにNPOふるさと納税クラウドファンディングを組み合わせれば、通常のふるさと納税還元率(最大50%だが、定価計算されているものが多く実質的には25%程度)をはるかに超えるリターン率を合法的に生み出すことができる。

◯更に、これを実績として宣伝して事業拡大したり、出版・講演などをすることも可能だ。社会起業家として非常にクレバーと言えるだろう。みんなも賢く金儲けしよう

◯追加として、自身ふるさと納税以外に他人から貰ったふるさと納税も、自身役員報酬等に充当することも含めて使途制限はない。

まとめのまとめ(1/2追記

自己納税額の83%を自己NPO還流させられる。

◯更にそれを宣伝することにより耳目を集め、他者納税額の83%を自己NPO還流させられる。

還流された税金の使途制限はなく、そこから自身報酬を受け取ることも可能である

ブコメ返し(1/2追記

本来支払うべき所得税住民税からほぼ全額が控除されるので、自己負担は2000円である。”←控除で戻って来るのは払った額×税率分だけなのでコレは悪質な印象操作と判定される可能性あり。

ふるさと納税上の控除の概念理解してないのはこのブコメ

控除上限額−2000円が全額税金から減額されるって形になり、それを控除と表現している(というか自己負担額がない形で控除が計算される。)

渋谷区Webにもこの通りの表現で書いてあり、総務省でも特例としてそのように記載されている。(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/furusato/mechanism/deduction.html

というかそうじゃなきゃ誰がふるさと納税なんてするんだよ。

仕組みに疑問を持つのは良いと思うが、はてな民NPO会計は使途含め公開されていることや、利益剰余金社員に還付できない制度であることぐらいはわかってコメントしてるのか不安https://florence.or.jp/about/ir/

駒崎氏が大企業役員並みに報酬を受け取ってると自身で述べていること、フローレンスに随分資金が積み上がっていることはぐぐったらでてきたね

それに還付できなくても役員報酬給与にはできるよね

何かケチつけたいのか知らないが、肉とかメロンとか家電自己消費する人よりはよっぽど立派じゃないの。/ふるさと納税自体の可否はもちろん別だが、増田はもちろんやってないんだよね?

ふるさと納税することを「自腹を切る」とは言ったことはないかな。

あと、更にそれをアピールして自分団体の懐に入るクラウドファンディング宣伝したこともないね

更に、83%も還流するふるさと納税なんてやったこともないよ。

ふるさと納税で集まったお金自治体用途使用時期を申請して審査を受けたのちに交付活動期間が終了したら事業報告書などを作成して報告する決まりになっているから、好き勝手に使えるわけではないと思うよ

要綱のどこに使途の制限が書いてあるの?

事業報告しろと書いてあるだけだよ?

そこに「人件費」だとか「管理費」とか書いてあったら渋谷区拒否するの?しないでしょ

ちなみに駒崎氏と渋谷区長はそこそこ懇意なようだね。(https://florence.or.jp/news/2017/09/post19905/

あ、事業報告を厳しくチェックされないために、自治体側のトップを抑えておく必要があるって指摘かな?それならご尤も

2023-12-20

すでにプロだった人が小説家転向した人を教えてください

元々小説以外の分野で活躍し、プロフェッショナルな行き方をしていた人が小説家になったというケースを探しています

なぜこのような人を探しているのかというと、『巨大投資銀行』『トップレフト』などを著作に持つ黒木亮氏の作品があまり面白かったからです。

この小説は、金融世界プロフェッショナルとして生きていない限り、絶対に書けない小説でした。

金融世界にいた人間が書く小説。これは、その世界匂いがわかるほどリアルものでした。

圧倒的な知識に裏打ちされた小説は、それだけで心地よいものであるともわかりました。

単に文章うまい文学的表現する、などの小説家は求めていません。吉本ばななのような小説家は不要です。

小説家になる前に、すでに別世界プロフェッショナルとして生きていて、小説家に転向した人を教えてください。


追記

見当違いな小説家の名前を挙げてる方が多いので追記

「元々別の職業をしていた小説家を教えてください」ではなく、

「元々別の職業をしていて、その知識を活かして小説を書いている小説家を教えてください」が私の意図するところです。

そうとしか読めない本文のはずですが・・・

司馬遼太郎が元新聞記者からといって、「元新聞記者しか書けない小説」を書いていますか?

夏目漱石が元英語教師からといって、「元英語教師しか書けない小説」を書いていますか?

村上春樹が元バー経営者からといって、「元バー経営者しか書けない小説」を書いていますか?

誤読している人が多すぎてがっくり。

2023-12-10

anond:20231210184521

日本意図的法整備の結果として並大抵のAI利用は明確に合法にしてんだよ

検討段階で想定してなかった事態とかも別に起きてないし、そもそもAI被害が生じているという事実存在しない(そういう妄想おかしくなっている人がいるのをAI被害とは言わない)

違法可能性がある! 使ってるやつは犯罪者だ!」とかやたら威勢よく叫ぶくせにSNSお気持ち学級会とネットリンチするだけで誰も訴訟起こさねえじゃん

あと海外規制って画像生成AIなんか微塵も問題視してないからね。せいぜいディープフェイクぐらい

ああ、法整備で想定していなかった自体が一つだけあった。著作で飯食ってるはずのクリエイターどもが著作権に対して無知すぎ

何で「法律に書いてない権利存在しないんです」みたいなところから説明せにゃならんのか

2023-12-05

anond:20231205031210

今主流の画像生成AIってオープンソースから自由に使えるし5万ぐらいのグラボあれば完全ローカル環境でも余裕で動くんだが、あまりにも情報が遅すぎないか

そもそも色を塗ったり線を引いたりする"作業"と"発注"のどちらが創作かという二者択一なら後者だろ

法律的にも指揮命令下で創作した物の著作権原則として使用者帰属するし(職務著作

2023-11-28

共産党内部統制民主集中制志位委員長

2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員ちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929

だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420

はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416

では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。

本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。

伊里一智事件

論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的批判した論文となっている。

伊里一智事件とは、党員宮本顕治議長。当時の日本共産党トップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA

論文「変節者のあわれな末路」について

この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判志位和夫氏の党内での出世きっかけになったとも言われている。

当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。

(前掲Wikipediaより)

赤旗掲載され、論文集「投降主義者観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。

ちなみに、論文集「投降主義者観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。

(はしがき)

本書で批判対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代かば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党路線確信を失って、不まじめで小ずるい、しかピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)

(目次)

反動攻勢へのみじめな屈伏(赤旗

◯ふざけた計画、ふざけた弁明(赤旗

反動攻勢への政治的思想的屈伏(河邑重光)

◯変節者のあわれな末路(志位和夫

反共分裂主義者への容認、屈服を吐露する(行方克也)

原水禁運動変質・解体への賛美と共鳴金子博)

◯退廃と遊戯の「哲学」(志位和夫

◯敗北の「哲学」(長久理嗣)

偏向記者の異常な立場赤旗

虚構の「ゆらぎ」(小林栄三)

◯『朝日ジャーナル』の「歴史逆行の道」(河邑重光)

◯党規律否定の「言論出版の自由」論(水口春喜)

民主連合政府スローガンをめぐって(赤旗

◯「国政選挙での一進一退」とはどういうことか(赤旗

論文「変節者のあわれな末路」の分析

本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。

なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。

以下、引用は全て志位委員長論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの

結社の自由にもとづいて自発的意思政党に加入した者はだれであれ、出版言論自由をふくむ自らの基本的人権をその政党目的実現にむけて行使すべきである

いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権自民党目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。

いくら政党等の団体所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由行使できるもの認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。

わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、理論派閥容認」「党外出版物での批判容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義分派主義のあらわれとしてきびしく批判した

やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判NG認識しているようだ。

あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。

党の末端はあくま中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。

科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義客観的な真理性を否定する相対的見地にほかならない

すなわち共産党客観的な真理性を体現していると言うことだろう。

坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。

「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分提案に対する支持を、…求めてはならない」

坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。

まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。

ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・

次に、事前の議論多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。

結局、常日頃から末端を「指導」できる中央意見しか通らないと言うことだろう。

◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容

◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている

◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい

◯「伊里」が語れば語るほど、その言葉から卑しい分派主義者本質が、すけてみえ

おまけで志位委員長による罵詈雑言集をつけといた。

余談1

やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。

余談2

やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。

共産党場合は党を分裂させようとする行為、という認識問題ないと思う。

デジタル大辞泉より)

ぶん‐ぱ【分派

1 主となるものから分かれ出ること。また、分かれたもの

阿蘇の—の一峰の右に」〈独歩・忘れえぬ人々

2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」

ぶんぱ‐かつどう〔‐クワツドウ〕【分派活動

つの団体内部で、信条利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体基本方針とは別の行動をとったりすること。

追記

ブコメより

投降主義者観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者増田言及してる宮本批判のもので、不破にも触れられてる

国会図書館まで行った俺の立場

リプライより

誹謗中傷で訴えられても知らないよ

訴えられちゃうのか怖いなぁ

法律詳しくないけどいくらくらい賠償請求されるんだろう

2023-11-22

anond:20231122113007

何言ってんだこいつ江川Wikipediaぐらい読んでこいよ。
マスコミオウム真理教を持ち上げてたこからマスコミによる加害をずっと批判的に取材し続けている人。著作も多数。

羽生が具体名を明らかにして、そこに真実マスコミによる加害が存在するなら、まず真っ先に羽生の味方をするであろう人物

その背景を上手く読み取れてない奴こんなにいるんだな。

2023-11-13

anond:20231113105059

平等ではなく、公平に扱ってほしいのでは?

制作著作

━━━━━

 ⓃⒽⓀ

2023-11-02

anond:20231102151002

おまえ自分で表自戦自認するほどのバカだったのw

それともうるさいか増田代表して追い出そうとしてかえって引き寄せるタイプバカ

表自戦にしろそれと戦ってるつもりの陣営しろ真の意味著作権とか人権とかをないがしろにする陣営とは戦うよ、

AI著作について内閣府パブコメだって出した

おまえも11月5日締め切りだからまだまにあうからだしてこいよ

ただし出題のポンチ絵がおまえに正しく読み解けるとはとてもおもえないけどなwwwwwww

https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=095230820&Mode=0

2023-11-01

anond:20231101124252

インターネット世論とかネット史とかロスジェネとかこの辺の著作枚挙に暇がないくらい大量にあるよ

弱者男性論とは前からある繰り返しの似たような虚言の焼き直しだから

2023-10-27

anond:20230515213800

社会共通ルール著作権法やんけ

著作権法第一条でこういっとるやんけ「思想感情表現したもの著作物」 AI創作がそれをクリアしているかがまず一つ目 

ランダム出力されて思想感情も感じられないものフリー素材

著作権法はこうもいっとる「思想感情が含まれてる著作物をつくるにあたってだれかの著作物を丸ッとパクるのはあかん」 (複製権二次的著作物許可強制

入念なプロンプト選定によって「思想感情表現性」を得るにいたった創作物が、結果的に、有名なだれかの著作とまったくおなじことをしてたら?

そらAIつかって選定したものを「これ俺がつくった」つって出したやつに責任が生じるのはあたりまえなんよ

ピカソの絵っぽいもの、ならピカソ死後70年たってるからええよ

アンパンマンっぽい、あるいはコナン・鬼滅・呪術ポケモンっぽいもの、これは創作者生きてるし大山鳴動するやろなあ

実在人物アイコラ これは著作ちゃうけど実在アイコラとおなじ肖像権侵害あるいは名誉棄損やろなあ

・ドエロマンコ絵暴力絵のだしっぱなし これはピクシブしろXにしろ規約違反で即垢BAN 繰り返せば単なる中華表現やくざ、まあ自分だけでもってる分には素材集めご苦労さん

これらは判例によりほぼ確なんよ 

それが結果を見る目がない・予測できない中学生が初めてPC買ってもらって浮かれて「AI通せばなにを公表しようが無罪」とおもいこむのをとめてやるのが大人の役目

ならやっぱりAI絵師はとめないとあかんやろなぁ

 ===

追記:「っぽい」に引っかかるやつが増加してるようなので追記するけど、

単に「例示作品公式絵っぽい」と読み替えてくれればいいよ。

「弱小絵師Aっぽい」なら公式などないので「弱小絵師A本人の作っぽい」とよみかえることになる。

https://twitter.com/gamerokuda/status/1670940661481357313

ここでいわれている「本質的特徴」ってやつだ

 

まあこないだの階段の絵みてわかるように、AI絵師wは目の数と指の数だけはようやく気を付けられるようになったレベルからどんなに上手っぽくても違和感は残るけど

顔さえかわいけりゃいい中学生は全く気にしないでシコシコ濫用して公表して世の中を混乱させまくるだろうよ

2023-10-22

インターネット住所不定が多すぎる

創作しろ活動しろ自分著作纏める時ってSNSじゃなく自分保有するドメインに置いておくの割と常識だと思ってたんだけど、ていうか小中高とそう習うはずなんだけど、全然やってない人多くて逆にすげえなと思った

anond:20231022012038

そうならざるをえないんだろうなぁ 変に人の画風食わせたら著作で引っかかるし、だからといってAI出力100%はまだ完全じゃないし。

2023-10-21

anond:20231021164834

wikipedia:ミステリと言う勿れ

架空実験問題

編集

第3巻にて主人公が語る「母親乳児の世話をしながら家事をする大変さを、父親たちに擬似的に体験させる実験」[15]のエピソード子育てにまつわる興味深い話としてインターネット上で広く取り上げられた[16]。あたかもその実験実在するかのような描写であったが、実際には小説家の水木ナオの作品を元にした架空のものであり、田村インターネット上で目にして事実だと誤認して使用していたと判明したため、編集者と共に謝罪表明し、以降の重版および電子書籍更新では該当のエピソードが登場する箇所に水木ナオの著作を元にした旨を記すようになった[16]。

2023-10-12

ノーベル経済学賞のおかげでネット言論を見る無意味さを再確認した

フェミアンチフェミもどっちも、ゴールディン氏は我々の主張に沿って本を書いたと勝利宣言している

これはフェ/アンフェのどちらもが間違っているのではなく、どちらも正しく著作を読んではい

ただ、現実経済は多くの主因から現在の結果が生まれていてフェミの主張もアンフェの主張もどっちもある程度は正として扱われる

ゴールディン氏の研究は著者のバイアスが少なく統計に由った冷静な研究の結果なわけで、だからこそ経済学賞に相応しいのだろう

ただネット言論者はどうしても二分に分かれて盛り上がる習性が染み付いてしまっているのと、

私は正しい/相手は間違い という話に終始してしまうのが一番ネット言論の良くないところで、そこに永久アウフヘーベンは起きない

このアウフヘーベンが起きないというところが、ネット言論を見る必要が無いという認識に繋がるからそれはありがたいのかもしれない

或いは、自分自身止揚することができる人間ネット言論を見る価値はあるかもしれない

それにしても精々少しの時間で十分だと思うけども

2023-10-09

新本格ファンの見た陰謀論傾倒作家現代ニッポン論壇事情数十年史

次の文章を眺めてみて欲しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているかである。』

インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家評論家小森健太朗著作探偵小説論理学」269ページから引用した文章である

氏のSNSにおける華々しい戦歴説明割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人ネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである

====

 

単刀直入に言って、日本語が怪しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。』

主語がないのは先に出ているかである。一つ前の文の「西尾維新作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である

『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』

冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているかである

様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』

まり、著者はこの箇所で「西尾維新作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理親和性のある』とかい語句意味不明)。

 

それを踏まえた上でも文の後半は日本語おかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意理解できている(と信じたい)ので無視しよう。

さて引用の一文目は次のように書き直せそうである

・(西尾維新作品では)狂気妄想が、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない

・(西尾維新作品は)狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものとしていない。

引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実正気論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトン泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である

なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである

・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているかである

 

この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。

例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである

西尾維新作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新作品』を目的語とした「西尾維新作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である

西尾維新作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。

すると『西尾維新作品』は、『西尾維新作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動能動態を変えても意味が通じるであろう。

・(西尾維新作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している

・(西尾維新作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している

いけそうであるしかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである

『(西尾維新作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているかである。』

「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???

 

余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手定義した「A」を、他の意味「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。

 

海法紀光や、アレな発言非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に自身の立論が苦しくなってくると、文法崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンひとつである小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。

これは結論に対して必死理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである

 

などなどと、かつて新本格ムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。

https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446

https://megalodon.jp/2023-1009-1415-22/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1708094283780325790

『「人類進歩」といった虚構観念蔓延させ』

氏にとって人類進歩虚構観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。

だが、そういうことかと得心もしたのである

かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ特に思想政治について色を出さず、特に「後期クイーン問題」等の話題珍説披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである

311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼リベラル敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞有耶無耶になった。

しか上記発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言ひとつではない。

 

https://megalodon.jp/2023-1009-1430-28/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1566269069547819008?lang=jp

『紀藤さんは、カルト宗教弁別ができる超越的な裁定であると自認しておられるのでしょうか?』

これは、統一協会話題になった際、紀藤弁護士発言に対して、なされた引用RTである

カルトであるカルトでないか区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。

カルト宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』

まさにあの堕落したポストモダン思想かぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥???

 

結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである

思うにこれは一人の哀れな高齢男性だけの問題ではないのである

2023-10-06

anond:20231006153210

本件写真発信者情報開示仮処分命令申立書をiPhone撮影しただけの

ありふれたものであり、著作物には当たらない。また、発信者による本件投

稿は、公正な慣行にも合致し、原告による投稿批評するという目的のため

さらに、本件投稿については、前記目的等に照らせば、著作

権者が創作であることを主張する利益を害するおそれはなく、公正な慣行

にも合致しているから、著作権法19条3項により著作者名の表示を省略す

ることができる。

名誉侵害の主張については争う。

2023-10-05

anond:20230817115047

トロイ戦争 (Trojan War) → 世界的に有名なギリシャアパレルブランド Troy Bros の創業者兄弟間における経営上の内紛。有名なブランドだけに全業界に与えた影響は大きく、今でも語り草になっている。その経緯については、マーケティング専門家である Homer氏らの一連の著作に詳しい。(イーリアスオデュッセイア

anond:20230817115047

チョコレート戦争カカオ生産地をめぐって繰り広げられた帝国主義勢力による争奪戦。詳細は長い間不明であったが、大石真のルポルタージュにより広く世に知られることとなった。(詳細は大石真の著作チョコレート戦争』を参照)

二度名前を消されかけた馬鹿な私の話

これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。

どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。

この日記を一行でまとめると下記の通りだ。

業務時間外に書いた云十万字の小説権利が、一切自身になかったことを知った話、である

* * *

学校卒業後に就職したのは小さなさな編集プロダクションだった。執筆編集者がやるタイプ編プロだった。

ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。

好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。

編集者のいいところは、自分の関わった商品本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分名前が載ることだと思う。

「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。

会社はいろんなタイプオタクがいて、コミケサークル参加するような同人作家も在籍していた。

スタッフ創作であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。

私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋創作する側のオタクだ。もちろんコミケサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。

前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引から面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。

ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。

とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手ライター)が見つからない。

そういえば御社小説を書く人がいたよね? ――と、取引からお声がかかったらしい。

素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。

小説が書けて、編集者視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。

人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。

そして、企画が動き出した。

当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。

そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。

徹夜もよくしたし、午前中にネカフェ執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。

執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。

会社を空けることが多くなり、雑用確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。

通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。

初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。

上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。

反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。

忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。

デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)

その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。

前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。

当然、この「脚色」は私の創作である些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソード創作して物語を盛り上げた。

たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手エピソードを作ったりした。

こうした追加エピソードについては、原案からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。

そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。

怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司出版社担当者にメールを書いた。

個人アドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審メールとしてはじかれたら元も子もないかである

要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。

私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネーム原案者と併記されることになった。

ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司文句などすでに聞き飽きていた。

今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。

その後無事本は出版されたが、ろくな広報はされなかった。

発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。

印税についての話である

個人出版社契約でなく、会社出版社契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。

当時二十代半ばの私は、この言葉意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。

ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。

その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。

なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。

同じ家に暮らす家族から最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。

それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職比較スムーズに進んだ。

* * *

それから結構時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。

私がそれを知ったのはネットニュースでだった。

起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。

何事かと思って公式サイトに飛んで、さらに驚いた。

スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。

とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。

何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。

ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。

なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。

その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。

加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。

少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。

それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。

私の印税ってどうなっているんだろう。

前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。

メディアミックスされるとなると話は別だ。

この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。

正しくない書影掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。

微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。

小狡い私はこの問い合わせを、出版社ライツ部に送った。

担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。

結果、私は惨敗することになる。

なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。

午前の早い時間に送ったメールは、午後には返事が来ていた。

お久しぶりです!」の文字にくらくらした。

この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。

問い合わせのメールには、連絡が取れないか名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題はらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。

当時を知る人がいない前提の文面だ。

だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。

連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。

返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。

「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」

あのずさんな加工画像を、製作過程画像だと言い切った。

製作に関わっていた私が、そんな画像存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。

誤魔化すつもりなのだ公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。

まり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。

大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。

念のため最初からメール署名から電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしま可能性があるし、丸めまれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。

この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務制作した著作物の著作権は会社帰属するというものだ。

わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。

とはいえ契約である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。

会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。

(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)

結果、分かったことは以下のとおり。

著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。

印税契約は元社長が持っている別会社が引き継いでいる。

はあ、つまりだ。

職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである

ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。

こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。

そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。

結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ

いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。

本来書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」

シンプル名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネーム商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。

消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。

それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。

とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。

それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。

* * *

若人よ、契約書を作れ。契約書を読め。

この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。

手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。

自分無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。

提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足とき危険だ。

教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。

なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから

ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。

印税契約譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である

連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。

献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。

メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。

もう一回ぐらい重版からいかな、と思っているが難しそうだ。

2023-09-27

東浩紀について

現在東浩紀新刊「訂正可能性の哲学」を読んでいる

私にとって、彼の著作は、何かを始めたいが不安が先立ち一歩を踏み出せない…といった折々に、背中を押してくれるものだったと思う

振り返ってみて懐かしくなったのでここに記してみる

(断っておくが、私は彼の熱心な読者ではないので、以下解釈が間違っていてもご容赦願いたい)

初めて読んだのは、書店たまたま目にした「弱いつながり」(2014)だった

この本には、固定化した状況での思考から導き出されることが選択肢の全てではない、不確かな状況や偶然に身を委ねることで思いがけない新たな出会いが得られ人生が豊かになる、というようなことが書いてあったと思う

他の人には当たり前なことかもしれないが、すぐに頭でっかちになって動けなくなる私にはとても新鮮なメッセージだった

当時20代後半で(当方女)、漠然結婚への焦りがあり悶々としていたのだが、読了後、通勤電車広告で目にした結婚相談所にエイヤッと登録し、もうなるようになるさと婚活を始めた

そして現在の夫と出会いトントン拍子で結婚に至ることができた

それから後の「観光客哲学」(2017)にも背中を押してもらった

(このとき書店トークイベントにも参加した)

この本で最も心打たれたのは、

子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。

という箇所だった

これは、生物上の親と子を指すだけではなく広い意味で自らが何かを生み出すこと(誤解を恐れずにいえば無責任生み出すことを恐れない)の大切さを説いているものだが、文字通り私は子どもを持つことへのエールとして受け取った

私自身が親との関係があまり良くないため、「どんな子が生まれるのか、上手く育てられるだろうか」との不安を感じていたが、たとえ自分が完全な人間でなくても、どんな子が生まれてくるかはわからなくても、とりあえず子どもをつくってみよう、そしてその子どもがつくり出すものを見てみようと勇気づけられた

そして今では2人の男の子に恵まれ、日々四苦八苦しながら賑やかに暮らしている

背中を後押ししてもらったといっても、結婚出産というご普通ライフイベントだし、他の人ならすんなり経験できるのかもしれないが、私の場合、もしこれらを読んでいなければ全く違う人生だったかもしれない

「訂正可能性の哲学からもまた新しい何かを受け取れそうだと、わくわくしながら育児の合間に読み進めている

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