はてなキーワード: 菓子パンとは
アラサー、女、既婚、ダイエット開始時のBMIは24.07。身長は平均より2cmほど上。
【ダイエットやる前】
・在宅ワークも多くほぼ座りっぱなし。外出しない日も多い。月平均歩数は約2000~6000歩。
・日々の食事は野菜少なめ、味濃いおかず、多めの白ご飯。汁物なし。
・朝起きて一発目に菓子パンとジャム入りヨーグルト。血糖値爆上げ。
・体が硬い。前屈したら脚も腰も痛い。床に指が全然届かない。
・冷え性。
・水分あまり摂らない。
・便秘。
こんな生活だったが、妊娠した。そして初期流産。胎児側の異常によるもの、と言われた。
しばらくは何もする気が起こらなかったが、体質改善しようと一念発起。
じっとしてると考え込んだり検索しまくったりしてしまうけど運動すると気分も紛れた。
【ダイエット後】
・ジムに入会した。トレーナーは付けず。きんに君の動画とか見ながら自力で頑張った。
・ほぼ毎日ジム通い。運動らしい運動をしない日もストレッチだけは必ずやった。
・歩いた。月平均歩数は5500~9500歩。徐々に増えて、現在の目標は毎日8000歩。
・副菜、汁物をなるべく付けるようにした。野菜スープとかお味噌汁とか、めちゃおいしい。
・大豆製品を積極的に摂るようにした。甘い飲み物に代えて水、お茶、豆乳、リンゴ酢。
・菓子パンをやめた。というか菓子類をやめた。一切買わず、たまに貰い物で食べるだけ。
・前屈余裕。このまま頑張ればそのうち床に手のひらがつきそう。
・よく寝た。
・腹巻き、レッグウォーマー。冷えを感じたら家でも体を動かした。
・意識して水を飲むようにした。氷は入れない。
・快便。
最初の3週間くらいは体重・体脂肪率ともに横ばいで心が折れかけたが、1ヶ月過ぎたあたりから減り始めた。ついでに夫も痩せた。月末までにあと1キロ痩せたい。
総額数百万の借金をようやく完済した。
社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得の10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。
借金問題に詳しい増田の読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったからである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。
任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなたの家計は終わっています。任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。
ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田の読み手ならばお分かりだろう。
そうです。ただの浪費です。
私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。
新卒入社した会社の手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである。携帯代1万円、ネットと電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。
所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金の心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通の生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活をスタートする土台であったと確信できる。要するに、自分は借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。
当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社のデスクで菓子パンと缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊。休日は映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフで古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップで一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。
気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。 自分の欲望はささやかなもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。 これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。 だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。
ある時、ATMにキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法にリボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法のカード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。
ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング。預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れることなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。
若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資。
そんな欺瞞で自分を正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。
そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。
短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。
借金とは別の問題で離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。
夫婦間のストレスを言い訳に風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚のストレスを言い訳に女性と遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。
自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事も収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分は普通の暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。
自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。
難しいのは、その愚かさを改めることだ。
借金を借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分は普通の収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考とマネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。
それらの問題を根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。
自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態を改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。
もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出を管理したり、食費・交際費を節約したりもした。だがそうした行為も破綻してからでは遅かった。アンコントロールな状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである。
世の中は様々な借金に満ちている。闇金や消費者金融、キャッシングにリボ払い、住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン、奨学金。
これを読んでいる増田の読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出と収入のバランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。
だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。
返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガルな借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段はちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。
借金は、欲望をブーストさせ、思った以上に人生をスポイルし、自らの可能性を削っていく。
もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなたは自分が思うよりずっと賢くなければならない。
少なくとも私はそう思う。
今日、最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。
空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。
人生の半分をともに過ごしてきた借金、負債。文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。
ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。
もう給料日に10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからはストレスのない、幸せな生活が待っている。
別れた妻が笑う顔が好きだった。
なのに泣かせてしまった。
将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。
ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心からの友達が欲しかった。親孝行をしたかった。
今はただ後悔しかない。
借金なんてしなければ良かった。
これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる。
長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。
もう二度と帰ってくるなよ。
最近夫が太りすぎていて、すごく嫌だ。
結婚相談所で婚活を経て結婚したのだが、その当時でも身長161cmで体重が90キロ(多分過少申告)ほどあった。
40になるまでに体重を落とす事を条件に結婚し、五年ほど経つ。
カロリーを意識した食事を一緒に取っていたら、私の体重は減ってしまった。
40歳を過ぎても夫は痩せる事なく、太り続けている。どうみても100キロ超えている体型になっている。
そりゃ隠れて清涼飲料水飲んだり、お菓子食べたり、仕事中の食事に菓子パンだの食べていたら痩せる訳がない。
私がコートを着込んでいる日でもTシャツを着て、汗をかいていたりするのも嫌だ(太っているから暑いらしい)。
夫は過去に鬱をやっているので、この状況をキレ散らかしたいけど、それでぶり返しても嫌だなぁと思って強く出られない。私のストレスは毎日蓄積されてる。
買う野菜といえばほぼキャベツともやし。キャベツは半玉で百円ほど。もやしは一袋50円弱で、運がいいと30円弱のものもある。焼きそばは、一袋三玉で100円程度ものもある。20年間あまり変わっていない。
あとは菓子パン。100円未満で買える菓子パンはたくさんあり、値引きされているものも普通に多く、これも20年間あまり変わってないと思う。
酒はストロング系が一缶100円を超える程度で、別に高騰していない。ビール系は税率変更で若干値上がりしているが、今はあまり飲んでいない。
実感するのはカップ麺かな。でも昔からあまり食べていないので、それほど影響はない。
大手コンビニは高いので、10年以上前からほぼ使わなくなった。買い物はスーパーとディスカウントのみ。24時間営業のコンビニなんて高い上にオーナーの自殺者がバンバン出ているんだから、早くなくなればいいと思う。
ディズニーの入場券が1万円を超えたとか、二千円のかき氷とか、絶対に一生関係ないし、別世界すぎてリアルに想像できない。物価高に文句を言っている奴は、それを実感できている時点で、じゅうぶん恵まれているじゃないかと言いたい。
菓子パン3つくらい食べれば2000kcalくらいいくよ
商品名や一般名詞が意味の悪い言葉になったもの一覧では、発売・発表時にはそうした意味がなかったものの、後の時代や流行などによって差別用語や蔑称などの「悪い言葉」になったものを述べる。
特にZ世代に多いネットスラングには、一般名詞や商品名などを使った蔑称が非常に多く、「チー牛」や「片親パン」はその一例である。
なお本来であればこのような使用は威力業務妨害などに問われる危険があるのだが、そんなことはお構いなしに使用し続けられている。
単語 | 意味 | 被害に遭ったもの | 備考 |
チー牛(チーズ牛丼) | オタクや陰キャ、弱者男性などを相称した蔑称 | すき家、及び類似商品を販売する吉野家、松屋など | |
片親パン | 父もしくは母の片方が居ない片親の子供に買い与えてそうな菓子パンを相称した蔑称 | 山崎製パン、及び類似商品などを販売するパンメーカーなど | |
黒人スイカ | アメリカの黒人がスイカに対して食欲を示すNワード的考え方 | スイカ | |
フライドチキン | 黒人奴隷が食べるソウルフードというNワード的蔑称 | ||
スイーツ(笑) | お菓子やデザートなどの甘味をスイーツと総称する人物に対しての揶揄 | お菓子、デザートに類する食品全て | |
和室界隈 | TikTokにおける、オタクや垢ぬけない雰囲気のことを指す蔑称 | 和室メーカー及び和室を取り入れる施設・物件全て | チー牛や弱者男性に似た単語? |
ストゼロ文学(ストロングゼロ文学) | 安く酔える酒の代名詞からなる貧乏人などの蔑称的に使われることもある | サントリー酒類 | |
D.A.D | 「どうあがいてもダサい」 | 自動車のアフターパーツを販売するチューニングショップ全て | 「4℃」も同じように言われることがある |
ピザ | 太っている人間に対しての蔑称 | ピザメーカー及びピザに関連するもの全て(イタリアも含まれる) | 「デブ」自体も蔑称であり、隠語の一種とも |
メガネ | 弱視に対する障碍者差別 | メガネメーカー及びメガに関するもの全て(VRグラスなども) | もうすぐ終わる日本のトップも含まれる |
キムチ | 韓国の蔑称 | キムチメーカー及びキムチの素材を製造しているもの全て(きゅうりなどの野菜も含まれる) | |
くまのプーさん | 習近平の蔑称 | ディズニー | |
猿 | 日本人の蔑称 | 日本以外にも生息する地球及び地球外にも居る「猿」と呼ばれる生命体全て | |
Hitachi | いわゆる電マの別名 | 日立製作所 |
10代の頃から拒食症→過食嘔吐で15年ぐらい悩んでいたよ。本当に辛いよね。わかるよ。駅のトイレとかでも全然吐いちゃってたし、家でも深夜に吐いてた。外のトイレだと、どんなにきれいなところでも小さいゴキブリが出てきて、本当に悪いことをしているんだと実感したな。悪いことしてるもんね。罪悪感から友達づきあいも、恋愛も楽しめない。食べたら吐かないといけないし。お金もなくなるし、歯もボロボロになるし、吐きだこもやばいよね。自分は手にビニール袋かぶせて吐いてたよ。匂いが怖いから歯ブラシ持ち歩いて、香水つけてさ。察するに、増田もそうなんだろうなぁと思って、キュッとなったよ。生きてるだけで本当に偉いよ。治そうと思っているのも本当に素晴らしいよ。
自分の場合は、朝に炭水化物を食べてプロテインを飲むようになってから、あの切羽詰まった「今、はち切れるぐらい食べないと死ぬ!!」みたいな感覚が薄れていったよ。あの感覚は多分、栄養失調から来るんだと思う。菓子パンはスイッチが入るから避けて、ベーグルか玄米のおにぎりから始めるのがおすすめ。プロテインも、カロリーの割に腹がふくれるし、スタバのフラペチーノ的な感じもあるからすごくいい。試してみて。ここ3年ほどそれでカショオしてない。カショオやめてから人付き合いもできるようになったよ。がんばれ。大丈夫。
クソデブ女です。
あすけんで食事管理、フィットボクシング、隣駅まで歩く生活続けて現時点で8キロ減!
まだまだ社会的にはデブだけど周りからは痩せた?って言われる!嬉しい
今までもガチの食事制限したりキツすぎる筋トレですぐ痩せようとして精神を追い込みすぎたせいかすぐ挫折してたけど、今回はゆるい内容のおかげか継続できてる
私みたいなズボラでやる気のない人間はゆるダイエットじゃないと続かんわ
せめて標準体型になれるまで頑張ろうと思います
(追記)
・間食について
今は夕方につまみ食いやめて、どうしてもお腹減ったらミニトマト食べてる
たまに菓子パンとかアイスも食べてるよ〜我慢しすぎると続かないなと思ったので!
・停滞期について
外国産レモンの増田(https://anond.hatelabo.jp/20240708211707)が燃えた。
そもそも俺は男だし、恋人もいないし、童貞だし、食事の話で他人と揉めた経験もない。
「こういうことを書けばはてなーが喜ぶだろうな」という勘で書いただけの嘘八百の増田だ。
最近はそういう増田が週1くらいの頻度でホットエントリ入りするので、伸びてる増田の殆どは釣りなんじゃねーかという気がうっすらしている。
まあそれはともかく、書いてあることの全てが嘘かというとそうでもない。
俺は外国産の食材と国産の食材を選べるタイミングがあるなら迷わず国産を選ぶ人間だ。
外国産を排斥する動機は全くないが、外国産のレモンを買おうと思ったことはない。
醤油でもみりんでも酒でも、原材料が国産かしっかり確かめてから買っている(もちろん、選べるならそうするだけで、そもそも国産が無い食材は特にこだわらない)。
そういう人間なので、外食は付き合い以外ではしないし、菓子類も食べない。アルコールにいたっては未経験だ。365日自炊する人間でありたいと思う。
そんな俺だから、食事というものは表現活動の一種なんじゃないか?と思う瞬間がある。
休日、スーパーに買い出しに行ったとして(時にはスーパーを梯子して)、膨大な食材の中から自分なりに選び抜いた食材をカゴに入れるわけだ。
そして自宅で調理法をあれこれ思案して、YouTubeなんかも参考にしながら、より美味く体に悪くなさそうなものを、適量食べる。
俺の体はそれを消化して、それに基づいて細胞なり筋肉なりを作っていく。多分、自分の性格なり気分なりにもそこそこ影響してくるだろう。
だからこれは「どういう自分を作るか」という創作活動なんじゃねーかと思う。
転じて、他人の食事に目を向けると、たまに目眩をするような感覚を覚える。
コンビニのカップラーメンとたまごサンドと菓子パンを休憩室で食べる同僚を目の当たりにして、「何を考えてそれを選んだのか」と聞きたい衝動に駆られる。聞かないけどね。
一方で、「それを食べてどんな自分になりたいのか」という問いはある。
仮にそこに何の意図もなかったとしても、自分というものは食べたものによって形作られてしまう。
俺にとって会社の休憩室は創作活動の場だし、みんな思い思いに何かを主張しているように思える。
今日食べるものがどんな自分を導き出すのか、考えるだけで俺はウキウキするんだが、世間の人らはそういう感覚はないのだろうか。