はてなキーワード: 苦悶とは
小学生のころ美形の友達がいた。美形な上にノリもよかったので男女を問わず人気者だった。彼の母親がフィリピン人で、母親譲りのくっきりした顔立ちが印象的だった。一番美しいのは目とそのまわりで、眉毛が濃くてまつ毛が長い上に目自体が大きく二重で黒目がちと非の打ち所がなかった。鼻は筋が通っているものの横に広いにんにく鼻で口はたらこ唇だったが、それも不格好すぎるということはなくむしろ愛嬌と色香をもたらしていた。俳優の赤楚衛二をはじめて見たときはその同級生がこっそり芸能界入りしたのかと思ったぐらいである。
6年生の春に彼はフィリピンの祖父母に会いに行った。そして向こうで割礼というのを受けさせられてから帰ってきた。割礼とは文化として行われる包茎手術のことである。帰ってきた彼は割礼体験のことを「いきなり今からチンコの皮切るって言われてパンツ脱がされたんだぜ」「チンコから見たことないぐらい大量に血出てた」「かなり痛かったけど泣いたらオカマだと言われるから耐えた」とどこか自慢気に語り、クラスの男子は筆者も含めみんなえげつない体験をした彼のことを尊敬の眼差しで見ていた。元から人気者なのにその一件で彼の株はさらにあがった。ただ、筆者はそんな体験を平然と語れる彼のことが少々恐ろしかった。心がどこか麻痺しているのではないかと思ったのだ。
筆者はその同級生と同じスイミングスクールに通ったりしていてけっこう仲がよく、家によく遊びに行っていた。あるとき彼の家でふざけてチンコがどうこう言って騒いでいたら居合わせた彼の二つ上の姉が、「こいつがチンコ切られた時の写真見る?」と言ってデジカメを見せてきた。日本ではありえないが、フィリピンでは割礼は男なら誰でも子供のうちに病院などで受けるもので、大人に近づいた記念のような意味合いがあるので手術室に家族が同伴して写真を撮るのは珍しいことではないらしい。写真は何枚もあったが、不服そうに手術を待っている姿、股に麻酔注射を打たれて絶叫している瞬間、おさえつけられて号泣しながら局部を切られている様子などが鮮明に収められていた。割礼体験を武勇伝のように語っていた彼は、本当は号泣していたということを知られるのが恥ずかしいらしく、なんでこんなの見せるんだよと姉にキレていた。だが姉の方が強い姉弟だったので姉はカメラをしまわなかった。そして筆者はというと、むしろ彼にもちゃんと恐怖心があるのだと確認できて安心したのだった。それからそのような辛い体験を乗り越えた彼に優しい言葉をかけてあげたくなった。あまり共感性の強くない子供だった筆者にとってはあまり馴染みのない感情だった。
最後に見せられた写真は術後のもので、痛いのか彼は不機嫌そうな顔をしてハーフパンツを履いて股間のところを指で摘んでいた。傷口や亀頭が服に擦れると死にそうになるのでそんなふうにガードするのが向こうでは常識らしく、その姿のことを現地語で割礼ポーズなんて言ったりもするらしい。筆者は青いハーフパンツの布越しに彼の性器の存在を感じ取って不覚にもドキリとしてしまった。それはボディーラインを強調するような服を着た女性を見たときと同じ胸の高鳴りだった。この下にデカい乳が潜んでいるんだと想像してワクワクするあの感覚である。当時はそんなボキャブラリーは持っていなかったが、彼の性器から幼い私はエロスを感じていたのだ。そしてエロスを感じさせてくれる人というのは男でも女でも皆尊い。
写真を見終わって「お前すげえな」と声をかけたら、「この写真のこと絶対誰にも言うなよ」と強く口止めされた。本当はもっと「頑張ったな」とか「もう大丈夫だからな」とか言いたかったけれど男子同士でかけ合うような言葉ではないのでやめた。代わりにそれからというものの、給食当番で彼によそう時だけ肉を多めにして心のなかで「手術頑張ったご褒美だよ」と呟いたりした。
やがて筆者はダメだダメだと思いながらキッズケータイで撮った彼の写真を見てマスターベーションをするようになった。彼が異国で割礼の痛みに苦悶する様子を思い浮かべて「頑張れ、我慢しろ」と励ましながらである。そして射精するタイミングで「よく頑張ったな」と褒めてあげるのである。長じてはマスターベーションなら同性でも異性でもできるようになったが、同性をオカズにする時の筆者は相当なSである。肉体的な痛みに苦しめたあと労ってあげたいのだ。
彼はいま英語の能力を活かして某有名大学で学んでおり、しかも同じハーフの彼女がいる。彼女とも面識はあるが、やはり美形で人間性も素晴らしい人だ。敬愛する友人が痛みを乗り越えたそのどうしようもなくエロい性器で彼女と気持ちいいことしているのだったらいいなと思いつつ、今でも私はときどきその友人が割礼で苦しむ姿を思い浮かべながら己の性欲を解消している。彼が苦痛に顔を歪ませる姿は何よりも尊いけれど、それでもそんなこととは関係なく彼にはずっと幸せであってほしいと思う。
そもそも人をけなすということは難しい行為である。まず相手を知らなければならない。ここではその相手のことを敵と表現しよう。
敵の情報を知らずしてけなせば、的はずれな批判だったときに敵はノーダメージとなる。敵がダメージを得るかわりに自分が仕掛けた技によって自分が自爆する。それはもう惨めなものだ。
そしてまた「なぜ自分はこいつをけなそうと思っているか」という感情についても注意を払うべきかもしれない。
明らかに相手が自分よりも格下であり、あえて自分の中で言うまでもなくそうなのであれば、あえてけなす必要はない。けなすことで変に敵対されて足を引っ張られては困るからだ。それでも相手をけなしたいと考えるとき、多くは自らに強いストレスがかかっている状態である。けなしたいと考えることの根底はストレスである。
敵をけなすことで得られる利得は自らのストレスをやわらげること、それから敵が苦悶の顔をしているのを見て世界の正当さを確認することであると思う。
つまりけなすことで「敵に打撃を与え破滅させることで、自分の利益を拡大すること」を狙っていると言い換えられるかもしれない。
そのためにわざわざこちらが強制的に「お前は愚かだ」と伝える必要はない。「自分はもしかすると愚かかもしれない」と気付かせることが重要なのだ。その大きな恥こそが強い打撃であり、相手の自己破壊につながる。
しかしこれはけなしではない。そうした覚醒の機会を提供することは別に悪徳ではないからだ。
したがって、何も言わずけなさないこと、そして相手を知っておくこと、もし敵を知ろうと思わなければ敵とはまるごとそういうものなのだと納得することが肝要になる。それによって相手は愚かであることに永久に気付かない愚かであり続ける人間でいられる。それこそが強い処罰なのだ。
何も言わず相手をよく知るだけで「お前はそういう人間でありたいと考えているのか」というシンプルな問いを突きつけることになる。
この問いによって人間は容赦のない攻撃にさらされる。自らが持つ刃を全身で自分に向けることになる。
けなさずして相手は自然と萎縮し、あたかもけなされたかのような振る舞いをする。そしてそうした状況を是とする。これがけなすことの極意であると思う。
殺害じゃねぇんだよなぁ。
解剖・解体系のファンアート(FAって訳すな。訳すんだったら初出は書けクソが)は「取り返しの付かない状況にハァハァ(性的だけではない)している」んであって「殺人を嗜好しているわけではない」つーこと。
もちろん、殺人嗜好もいるけど、グロリョナ系の半分ぐらいは苦痛・苦悶おいしいです(^q^).なので。
不適切かも知れんが『殺し屋1』の垣原。「やったら終わるじゃん!」からこその妄想具現化。
オタクの悪趣味狂人たちをずっと見てきたし、ソイツラに餌を与えてきた(コンテンツ屋)側なのである程度は分かる。
だがVだと確かに生身があるから「勘弁してくれ」ってのは分かるがアイツラは「止めるぐらいなら殺せ!(止めません)」って人も多いので残念だが、残念だ。
【苦手な傾向】
・ホラー
あえてSEKIRO
SEKIROから逃げるな
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R11CFCIDNWJZD5/
ここまで難しいと、ゲームというより何かの修行をしているような気分になってくる。
忍耐力、反射神経、分析能力。そういったものを養うための修行。そう考えれば、この苦行にも納得がいく。
楽しさを求めてゲームを購入したのだ。
それなのに何だこれは……。
プレーしていると、どんどん気分が滅入ってくる。
全体的におどろおどろしい雰囲気が漂っており、登場人物の顔も怖い。
無精ひげを生やしたむさくるしいおっさんたちが寄ってたかって襲いかかってくる。
日本刀で斬りつけてきたり、槍で突き刺してきたり、火縄銃をぶっ放してきたり、火矢を放ってきたり、
大勢で取り囲んで滅多斬りにしてきたり……もうやりたい放題だ。
やられてばかりいるわけにはいかないので、こっちもおっさんたちを倒すことになるのだが、
おっさんたちの絶命時の表情が凄まじい。
苦悶と絶望、さらには何かこの世に訴えたいことがあるような顔をして死んでいく。
トマトジュースのような血を大量に撒き散らせながら。
殺して、殺されて、殺して、殺されて。
地獄絵図。
そんな表現がしっくりくる。
ゲームに登場するキャラクターは、プレーヤーを含め、ほぼ全員、隙あらば誰かを殺そうとしている。
ボスキャラに至っては、殺意メーターが完全に振り切れてしまっていて、もうわけがわからない存在だ。
もう、新しいボスは出てこないでくれ。
そう思う。
やめたい。
つらい。
でも、なぜかやめられない。
刀と刀を激しく打ちつけあい、最後は『忍殺』でフィニッシュという一連の流れが、
すでに病み付きになっているのだ。
やめようと思っても次の日になると、また忍殺している自分がいる。
忍殺中毒だ。
やりはじめた頃は『忍殺システム』がどうもしっくりこなかった。
今までの剣戟アクションゲームは剣で敵の体を斬るというのが常識だった。
敵の体ではなく、敵が持っている刀を狙って攻撃しているような気分になってくるほどだ。
なぜ刀を狙うのか?
でも、何度も何度もプレーしていると、刀と刀を激しく打ちつけあう攻防が無性に気持ち良くなってくる。
そして『隻狼』が、とても奥深く、よく練られた極上のアクションゲームだということが分かってくる。
今までやっていた剣戟アクションゲームはニセモノかもしれない。
そんな気さえしてくる。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
映画「ドリーム」でも、自らの立場で人種差別・性差別と闘いながらも、「公民権運動」とは距離を置く黒人女性達の姿が描かれている。
政治活動というのはいつだって功罪ともにあるもので、そこに身を置くなら、「嫌われる勇気」を持たないことには立ち行かなくなるんじゃないだろうか。
政治活動って要するに「広告」なんだよね。そこに興味を持たない人々に対して、興味を持ってもらうよう誘導するのが目的なんだから。
https://anond.hatelabo.jp/20200311165317
~中略~
だからこそ代理店の制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。
広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。
さらにこう続く。
それは「数値化」だ。
~中略~
すると何が起こるか。
~中略~
むしろ、自分が潮吹きするのは感覚が痺れたときに出るだけで何も気持ち良くないらしい
男も射精した後の陰茎を刺激し続けると潮吹きするのは有名な話でだと思う
しかし、男の方は耐え難いくすぐったさを覚える
どうやらそのくすぐったさを耐える俺の反応が壺らしい
結婚する前からセックスレスになったら、離婚が現実的になってくるという認識があったから、とにかくセックスだけは手を変え品を変えなんとか飽きつつも継続させるようにお互い気をつけてきた
それがここに来て盛り上がって来たのは、潮吹きの力と言えるだろう
とにかく俺は耐える必要があるが、夫婦を長続きさせるにはこの手の工夫は避けられないだろう
頭痛が酷いらしい妻
緊張型頭痛だか、後頭神経痛だかと
誇張抜きで10秒に1回痛みを訴え、
1分に1回は悲鳴を上げ、
30分に1回は泣いている
夜中に痛みで起きて慟哭、悶絶
当然俺も寝ていられるわけもなく起こされる
ただ痛みに耐えているわけではなく、
「助けて〜助けてよ〜パパ〜」と縋ってくる
俺にどうにもできないのは承知の上だろうが
それほど苦しいのだろうが、やはりどうにもできない
ろくに眠れず、それがもう一週間になる
今日もどうせ寝れないのだろう
妻は痛みが酷すぎて動けないので、ここ数日は家事と育児はすべて俺がやっている
そこに妻の看護も加わり、残業もできず溜まっていく仕事、もう限界が近い
鎮痛剤も飲みすぎると逆にダメと言うので、
最初の頃は飲んでいたが今は飲めない
いつまでこの地獄が続くのか?
これほどの痛みに誰も何もできないのか?
モルヒネ処方して欲しい
せめて夜寝られれば…
こうしている今も、隣で妻が苦悶の声を上げている
誰か助けてくれ
クキキキキ…(苦悶の表情)
入力:
https://ncode.syosetu.com/n6683ej/4/
互いに剣を構える。
「いくぞッ!」
「うむ」
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!
むっ、さすがは〈剣技・中級〉スキルだ。
巻き毛や小太りとは、剣速も重さも比べ物にならない。
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!
赤髪が跳び退って間合いを取った。
出力:
剣士たちは、静かな緊張が漂う中、互いに剣を構えた。その瞬間、一方の剣士が声をかける。
「いくぞッ!」
もう一方の剣士は、うなずいて応じた。
「うむ」
そして、その一声と同時に、二人の剣が激しくぶつかり合った。
彼らは剣を繰り出す度に、その動きを相手に先読みされないよう、しなやかに身体を動かしていた。一方が斬りかかれば、もう一方は横に跳び、切り裂かれることなく攻撃を交わす。そして、その攻防の瞬間に、互いに相手の弱点を探り合っていた。
一方の剣士は、機敏な動きで攻撃を繰り出し、もう一方の剣士は、その攻撃を見切って、一瞬で反撃に転じる。剣同士の激しい音が、彼らの動きとともに響き渡っていた。
技を織り交ぜ、機敏に動き回る二人の姿は、まるで踊りを踊るかのように美しかった。しかし、その美しさの裏には、それぞれが命を賭けた戦いがあった。
「くっ!」と、一方の剣士が苦悶の表情を浮かべる。しかし、それも束の間、彼はすぐに立ち直って、攻撃を仕掛けた。
「ああっ!」と、もう一方の剣士が叫びながら、彼もまた応戦した。
「ふん、さすがは〈剣技・中級〉スキルだ。」と、一方の剣士がうなずいた。
もう一方の剣士も、微笑みながら返答した。
「そうだな、お前も悪くない」
そして、再び激しい攻防が始まった。
しかし、剣速も重さも比べ物にならないと言われる巻き毛や小太りとは違い、二人の剣士はそれぞれ熟練した剣士であった。互いに譲らず、一対一の戦いはいつまでも続いた。
「おのれっ!」と、一方の剣士が怒りを込めて反撃する。
そして、二人の剣が激しくぶつかり合った。
「ぐっ……!」と、一方の剣士が大きく息を吐き出した。しかし、その隙をつくことができず、もう一方の剣士はすぐに次の攻撃を仕掛けた。
「いいぞ、もっと来い!」と、一方の剣士が勝ち誇った表情で返した。
その言葉に刺激されたかのように、もう一方の剣士も攻撃を強めた。剣同士の激しい音が、会場中に響き渡った。
しかし、その攻防の中で、少しずつ二人の距離が近づいていく。そして、赤髪が跳び退って間合いを取った。
「ふん、やっぱり強かったな。」と、一方の剣士が微笑んで言った。
もう一方の剣士も、うなずいて応えた。
「お前もなかなかだ。次は俺が勝つよ」
そして、彼らは再び剣を構え、次の一戦に備えた。