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2024-04-25

バストアップ歴史

バスト(Bust) 胸像/胸像画

元々は彫刻用語である。人の上半身彫刻表現したもの。後に絵画にも使われるようになった。

発明されたのはヘレニズム期ギリシャ紀元前3世紀)

 

バストショット

意味は胸像画とほぼ同じ。ただし絵画彫刻ではなく写真テレビカメラ映像作品において使われる

いつから使われているか不明だけれども昭和には使われていたと思う

 

バストアップ/バストアップ写真

意味は胸像画とほぼ同じ。ただし古典芸術彫刻ではなく写真イラスト等に対して使われる

バストアップ

最近豊胸手術意味で使われている(?)らしい

英語では Breast implant

異国での失恋後のぐちゃぐちゃな感情について

2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!

4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらカオスな心境になってきた。

渦中にいるとき全体像が把握できないし、何より感情時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。

そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。

知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたこからすべては始まった。

その時になんて言われたのかを思い返してみよう。

「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」

今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」

などと言われたことを思い出し、カス元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。

実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。

ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである

元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。

コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。

ちなみに補足情報として春日外国人で、私は現在海外修士課程留学中の在外邦人である紆余曲折あって音楽趣味が合い意気投合したのが出会いだ。

慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。

春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。

春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。

私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。


そして、プロカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。

付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、継続して物事を続けたり安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。

ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式賃貸契約場合ニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。

状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんとも家賃交渉で一悶着したり大変だったが今では笑い話である。そして、春日不動産営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。

その頃、湖畔に弾丸キャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。

引っ越し後は、私は円安による金欠奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日ニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。

そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職春日留年して金欠外国人という最強の布陣が出来上がった。

一月頃、金欠、将来の不安引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神病み始めるが、打破するため近所のカフェバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。

私のバイト夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。

卒業必要単位も取り終わったこ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日牛丼を大層気に入り、吉野家すき屋松屋を食べ比べたのちにすき屋牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフ古本市場はしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。

日本から帰ってきたころ、私はリモート仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族問題論文プレッシャー円安制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。

一方春日は、貯金が尽きて彼の母から仕送り生活するようになった。とはいえ日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェ日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格たからえらいよね。

年末年始を彼の地元で過ごし、春日自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女コンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家活動したら?と提案したのだ。

そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである

出会った頃元気がなかった春日精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。

しか現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人メンタルおばあちゃんしかなかった。

春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。

私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語文化も違う二人が関係健康に維持するにはお互いの努力必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。

もちろん私にも落ち度はあった。私が学業資金繰り外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送り日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日イライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロ判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。

そして再び春日地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。

そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。

そもそもだって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも外国人ネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼

矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないか大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国家族に囲まれぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさら劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。

から最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。というか耐えれてないわ。

というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通りんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。

友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。

私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス

あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスしか思えなかった。

そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家必死感情爆弾のように抱えた。

急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。

「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してになんの責任もない別れの仕方をされたことで過去あんたとの思い出も、私の存在くそ薄っぺらものになったことに悲しんでるんじゃボケままごとしてたんとちゃうカス。この心境に共感するひとはSISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。

家に帰ったあと、春日SNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレSNSを見るのは一種自傷行為である

一カ月間、必死自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?

異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格否定される言葉一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。

私は無償を愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ

この一連の出来事のおかげで今まで出会たことのない感情たちに出会たことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなとき自己存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したこと皮肉である

また、時間が経つと不思議なことに、カオス感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。

人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペット植物筋トレ美容創作活動はいいぞ。

2024-04-24

芸術文学に触れることで、美の感覚を高め、心が豊かになります

人々との対話交流を通じて、共感理解を深め、絆が生まれます

クリエイティブアウトレットを持つことで、ストレスを解消し、心が軽くなります

3

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最強の寿司職人は手の甲で握る

芸術だね

2024-04-23

実際、本当に男女平等と言えるのは芸術の分野だけよな

日本で言えば漫画アニメ

この平等性ってのは売れたかどうか、要するに資本主義担保してる

金は本当に平等で公平だわ

残酷だけどね

NewJeansおじさんがきもがられる理由

昨日から、NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジンと、元締めであるHYBEがこれでもかと揉めている。詳細は適当に調べてくれればいい。

そのとばっちりで改めて「NewJeansおじさん」がきもがられているわけだが、というのも、このニュースに注目して物知り顔で物申しているのがもれなくこの層だからだ。そもそも、ミン・ヒジンという裏方にやたら関心があるのもNewJeansおじさんたちの特徴であって、「にゅじたちが心配😭」とかつぶやいているようなティーンたちは、ミン・ヒジンが誰なのかもろくにわかっちゃいないだろう。

念のため、きもがられているNewJeansおじさんが中年男性である必要はない。ある特定性質を持った人は誰であれ「NewJeansおじさん」なのであり、非おじさんにきもがられる立場にある。

この性質がなんなのかといろいろ考えてみたのだが、一言で言ってしまえば、「NewJeansを作品として鑑賞しようとしている」ということになるのかもしれない。NewJeansおじさんたちはもれなく鑑賞者であり、非おじさんたちはそうではない。

要は、おじさんたちはよくできた作品を求めているのであり、その価値を堪能したいのであり、それをもたらした作者や文脈について知りたいのだ。なんなら言葉を尽くして批評したい。

残念ながら、ティーンたちからすればおじさんたちのこのようなふるまいはかなりきもい。非おじさんたちからすれば、肝心なのはまずもってメンバーたちであり、そのかわいさであり、人生である推し幸せが一番なのであって、彼女たちをひとつ作品の一部としてモノ化する視線そもそも持っていないのだ。

ここには、決してわかり合えないふたつの態度がある。おじさんたちはNewJeansメンバーたちのVlogなんて見ないし、非おじさんたちはミン・ヒジンインタビューなんて読まない。

いま、NewJeansはミン・ヒジンを追ってHYBEを去るか、ミン・ヒジンと手を切ってHYBEに残るかという選択実質的に迫られている。言うまでもなく、おじさんたちがより望んでいるのは前者であるが、おそらくティーンたちにとってより好ましい帰結をもたらすのは後者だ。ミン・ヒジン世界観、おじさんたちを引き寄せていたあの芸術性を失うことは、芸術作品としてのNewJeansの終わりを意味するが、「推す」側はそもそも芸術性なんて気にしていない。非おじさんたちはなんであれ愛を注ぐのだから、GODSみたいなクソしょうもない曲を連発して人気が停滞したところで、愛がより加速するだけだ。

おじさんばかりがきもがられるのであえて言うが、対象クオリティ度外視してひたすら「推す」というのは、それはそれで無責任だし傲慢なふるまいだ。

かわいい」「頑張ってる」ぐらいしか評価軸を持たないファンたちは、今回の件がこじれてNewJeansがいよいよ落ち目になったとしても推し続けるのだろうが、それにだって限度がある。そのうちどうせ、ILLITなんかに乗り換えるのだろう。

そして本当にひどいことに、HYBEに代表される大手企業は、このような乗り換えを推奨するかのごとく次から次へと新人グループを量産しては既存グループを切り捨てていっている。良い作品を良い作品としてじっくり長く嗜む、という鑑賞的態度が廃れているばかりか、「推し」に対立する態度としてけなされている現状が、このようなビジネスモデル助長していることは言うまでもない。

いくらかわいくて頑張っていても、作品として劣っていては意味がないだろうと、そう思う私はNewJeansおじさんである。多少なりともそう思うのであれば、あなたも多少はNewJeansおじさんである

作家には正しいことを言うより大事なことがある

それがわからないやつには芸術価値なんかわからない

「今」に迎合して消費されるだけのトレンドポルノ芸術でもなんでもない

2024-04-22

出羽守日本下げしたい奴らって日本以外の多くの国もディスってるのに気づいてない

俳優鈴木亮平韓国20年がーなんて記事

乗せられて日本がーって言ってる奴らも、実は日本以外の多くの国もディスってるのに気づいてない

映画音楽出羽守が持ち上げるのってアメリカ韓国だけなんだよね

それ以外の国の名前は出さな

普段北欧理想だと持ち上げる出羽守北欧各国の映画音楽芸術を見習えとは言わない

近い国なら中国台湾映画音楽を見習えとは全然聞かない

日本だけをディスってるつもりだが、アメリカ韓国以外全ての国をディスってるのを気づいてないのが笑える

そもそも映画音楽絵画など芸術にどの国が進んでる遅れてる良い悪いなどない、全ての国が等しく良い

特定の国を持ち上げるのはただの出羽守

2024-04-20

サントリー不買しない人ってどういう属性


軽く遡るだけでもこれだけの悪行を働いているクソ企業なんだけど、こんかい西村博之を起用したことで、さらに以下の属性が追加されたよね。



サントリー我が国にふさわしくない売国企業であり、さらには児童ポルノ陰謀論に対しても肯定的姿勢を取る世界的にもクズゴミで滅ぼすべき企業だという自己紹介。ここの商品を購入するということは以上に挙げた姿勢肯定的に捉える売国奴

ついでに言えばサントリー芸術文化事業に乗り出しているのは衆知の通り。国民からアルコールを利用して大金を巻き上げ、サントリーホールを建てたりサマーフェスティバルと称して演奏会などを企画している。

このような演奏会ホールを利用している芸術関係者は深く恥ずべきだし、当然この企業依存しない体制模索すべきである

それをせずに演奏会に足を運んだりホール演奏している楽団演奏家、作曲家、すべて売国奴である

少なくとも、この界隈が健全であれば来週以降のスケジュールはすべて空白となるはずだ。そうならないなら、特にクラシック音楽でメシを食ってる関係者は自浄作用のないゴミクズ売国奴だと自己紹介をし続けることになるだろう。

国民はもちろんこのような存在絶対に赦してはならない。

2024-04-18

古典的な美の概念

美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアルネサンス絵画建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。

イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧バランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧イメージを達成しようと努めました。あらゆる形態自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的作曲システムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定独立性を維持します。それは原始芸術無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。

古典的概念では、美しさは、比例、調和対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。

これは西洋原始的な美の概念であり、古典および新古典建築彫刻文学音楽のどこにでも体現されている。

アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。

そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)

アリストテレス示唆しているように、この見方黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。

この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書パルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。

カノンは、完璧プロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。

医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率指定していると説明している。

その論文身体のすべての対称性私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体正典と呼んだ作品でその論文裏付けた。

古典的テキストにおける「対称性」の概念は、双方向鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要

それはまた、古典的意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能比率一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。

たとえば、『ソフィスト』 では、プラトン高潔な魂を対称的である説明している。

古代ローマ建築ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的概念体現している。

建築は、ギリシャ語タクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人ディアシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人エコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます

秩序とは、作品の細部を個別バランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。

プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。

シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます

アクィナスは、典型的アリストテレス多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)

18 世紀のフランシスハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。

「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。

実際、この見解の支持者はしばしば「数学スタイルで」話す。

ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッド命題を挙げる一方で、次のような普遍的物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然熱狂的に賞賛している。

「美しさはある、と彼は言いますアイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)

美とは部分間の特定比率問題であり、したがって古典的概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちアイデア起源についての哲学的調査」で与えられている。

植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えていますリンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えていますしかし、バラリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間身体には、相互一定比率を保っていることが観察される部分がいくつかありますしかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。

2024-04-17

anond:20240417162444

高尚な小説なんてあんのかよ





高尚な芸術なんてあるのか?

2024-04-16

「絵が上手いの、ずるい」と言われた

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。

子どもたち「絵、うま!どうして?」

「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」

親「え~w最初から上手だったんだw」

最初はこの子たちより下手でしたよ~」

親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」

子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。

こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。

ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。

最近オタク文化根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)

 

というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?

 

ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。

 

初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。

幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき

想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。

 

小学校に入ってからはつらかった。

漫画が好きで漫画をメインで描いていた。

しかし当時は

絵を描く=オタクキモイいじめていい

みたいな時代だった。それか自分学校治安が悪かったのかもしれん。

教室で絵を描いていればカースト上位にぶんどられて

「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」

である

移動教室ちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。

鉛筆や道具箱消えているし。

キャラを描いていたら

おっぱい描いてるwきっも~~~www」

だ。

しばらくして図工教室に籠もるようになった。

図工の先生だけは「上手!」ってほめてくれたから。

担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。

 

その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミク衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。

どんなに周りから馬鹿にされても描き続けていた。

同士がいることは本当に心強かったな。

 

中学に上がり、第一の衝撃があった。

絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。

マジで上手い。

な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!

ペリー来航だ!!!明治維新だ!(?)

自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。

ここで初めて自分の絵が「下手」ということを認識する。

下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。

 

そいつ鈴木とする)はまじで上手かった。

しか鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。

絵に対しての自信が違いすぎる。しかも懐もでかい

増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」

いいやつすぎる…なんだこいつ…。

こいつと一緒に絵を描いていると、下手なのが申し訳ない!!!

 

鈴木コミュ力も高くてどんどん絵描き仲間を作っていく。

私立だったからしらんけど、絵描きいじめるやつはいなかった。

しろ絵が描ける=すごいって認識だった。

 

そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。

「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」

と、好き勝手描くのではなくちゃんと人体や構図を意識して…。

鈴木コミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。

 

ここで自分の親は偏見を持たなかったのもでかかったきがする。

パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親相談した。

父親電化製品が大好きで、PC自作するタイプ人間だった。

秋葉原学生時代から足を運んでいたらしい。

父親ペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。

「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。

 

ここでアニメ絵という存在を知る。

すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。

この絵柄ジャンプとかじゃみない!かわいい

逆に渋くてかっこいいのもある!

 

イラストの描き方本がたくさんある場所も教えてもらった。

ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。

 

ますます絵を描くのが楽しくなった。

デジタル最初、まったくわからなかった。

レイヤーバケツ解像度ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?

でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。

 

中高一貫だったのでそのまま鈴木とともに高校に上がる。

このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。

美術部を差し置いてそんなそんな…。ありがたいことだった。

自分バリバリ運動部だった)

 

鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。

自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。

でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。

 

このあたりから自分は絵が上手いんだと思うようになった。

鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。

 

Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。

とあるジャンル二次創作にはまってどんどん絵を描いた。

ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?

でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。

 

大学受験が疎かになってペンタブ没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。

変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。

 

大学にはなんやかんや頑張って受かった。

……芸術系の。(美術専攻ではないが)

そう、これがやばい

 

第二の衝撃。

みんな………………絵が………………うますぎる。

え?みんな先月まで高校生だよね?

え?え?

プロじゃないの?!?!?!?!?

美術専攻でないのにこのうまさ?!?!??!!

落書き!?!?

同人誌だしている?!壁サー?!?!?

 

井の中の蛙大海を知らず。

鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。

鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)

しかネット上ではない。リアルにだ。

ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットから実感がなかったんだと思う)

 

比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分もっと下手になる。

 

改めて自分の絵を見る。

へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!

は?何が「自分は絵が上手いんだ」だ。馬鹿か。ドアホ!

クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!

恥ずかしいわ!!!!!!!!!!!!

 

みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!

でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!

息をするように神うま激うま絵が出てくる!!

 

困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラスト漫画

計5部くらい売れた。終わり。

(身内+他の島の本も全部買うタイプ富豪人間の5部)

隣接サークルボンボン売れている。

明らかに通りすがりの人の立ち止まり率が違う。

ようやく現実を突きつけられた。

自分はうまくないんだ…」

 

鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。

もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。

ありがとう鈴木。本当にいいやつだな君は。

 

 

大学時代結構つらかった。

何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。

ペンを動かしても「違うよな…」となった。

塗り方を変えてみたりした。

たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物構造は何があるかちゃん勉強した。

 

高校生まではちゃん勉強して絵を描いていなかった。

なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。

でも限界があった。

 

嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。

だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。

絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。

どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。

授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。

片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。

下手だから上手くならなきゃとただ漠然と絵を描いていた。

 

周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。

「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。

だってもっともっともっと上手い人が周りにいる。

つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?

人体通りに描けていれば上手いのか?

でもそうじゃない人もいる。

崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。

ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。

 

絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?

鈴木を超えたら終わり?

楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい

想像が目に映る形になるのがうれしい!楽しい

でも上手いってなんだろう?

 

そんな時、大学とある講義教授がこんなことを言った。

 

芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。

技術科学芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。

社会貢献という形で自己確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』

 

自己完結世界自分一人ならいいが、そうじゃない。

絵が上手い人は自分世界を持っている。

その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。

絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。

想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。

なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!

 

そのために、もっといろんなものを見よう!

せっかく芸術系大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!

他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!

そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!

それでこそ自分想像が完成する!自分勘違いで終わらせない!

という結論になった。

 

自分自身の絵を振り返って、自分の描ける絵柄を見直した。

流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメギャル塗りを極めようと絞った。

そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分100%実力が出せるように調べた。

 

大変だった。

初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。

漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。

何を描いても必ず楽しいにはならなかった。

ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。

何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。

くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。

でも、自然ペンは握っていた。

 

ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。

急にだった。どうした?

なんか漫画もすんなり描けたぞ?小説も苦じゃない。

徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。

無我夢中だったのか?

積極的コンテストに出始めたのもこのあたりだった気がする。

SNSでも反応が増え始めた。

 

大学4年になってもう一度コミティアに出た。

完売した。50部

 

え…?

え……?

え"?!?!?!?!?!?

 

しか漫画完売した。

 

は?!?!?!?!?

 

感想めっちゃくる。賞もちまちまと頂けた。

 

へ?!?!?!?!?

 

た、たどり着いたってこと?!

第三者が見ても絵が上手い人間!!!!!!

 

人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。

まらねぇ~~~!!絵描くの楽しい~~~!!!!!!

つか作るのたのしぃ~~~!!

思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分勘違いじゃない!

 

賞をいただけて、意図が伝わっている!

伝わっているってこんなにも楽しいなんて!

 

20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。

なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!

 

1つのゴールにたどり着き、次のスタートが始まった気がした。

 

 

ばーっとかいたけど、頑張ったんだな自分

「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。

どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。

 

 

「絵が上手いね。どうして?」と言われたら

「ずっと描いていたからね」と回答する。

とりあえずの最適解なんだよな。

 

でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。

 

自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。

からおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。

 

AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。

ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。

考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。

 

 

<余談>

鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。

鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。

絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。

でも鈴木には負けない自分の上手さがある。

そして鈴木に勝てない自分の下手さもある。

中学から変わっていない。

カオスラウンジは今

2011年炎上

東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジメンバーである梅ラボ

画像掲示板ふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚

リーダー黒瀬陽平が「ネット画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したこと

pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。

 

当時のカオスラウンジ

アート業界から村上隆オタク業界からpixiv言論業界から東浩紀という

三業からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。

 

しかし、この炎上が原因となり、村上pixivカスラジとの関係を断ち

以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。

 

東浩紀との関係

当時、東浩紀は「福島チェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから

カスラジとともに福島での活動を行っていた。

特に有名なのが2013年の「福島第一原発麻雀計画である

https://togetter.com/li/609484

 

また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ芸術校」を開設。

ゲンロンの美術部門としての活動を行った。

表現不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には

この新芸術校の出身者が複数人出展している。

 

パワハラ不倫裁判

2020年、当時カオスラウンジ社員女性黒瀬セクハラパワハラ告発告訴

カスラジは当初公式にて事実を認め謝罪したが

後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。

 

2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。

被告黒瀬ら3名は告発以降表向きは沈黙していたが

判決後にTwitter更新を再開し、活動を再開した。

 

なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。

2011年炎上当事者である梅ラボは、本件には無関係被告にもなっていない。

本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として

女性告訴があった日にカオスラウンジ離脱している。

  

ゲンロンは本件を受けてカオスラウンジとの契約を解除した。

同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジ提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。

 

近年

訴訟以降、黒瀬は公に活動していなかったが

2013年8月キュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。

カオスラウンジとしての活動ではないが、参加アーティストはほぼカオスラウンジと同じであった。

参加者によれば、会場は第1から第3まであり、第3会場に入るには「個人情報所属を提出した上」での「抽選制」とのこと。

2024-04-15

anond:20240415082941

お仕事でやっている人はガチgeekには勝てない これよくわかんないな 少なくともTwitterご意見番やってるようなやつは実務はできないってのはほぼ真実 一部例外もある

(anond:20240415142336)

 

そこで、𝕏・・・・って感じですけど、まぁそれは横に置いておいて、前提は、下記なんですよね

最前線の開発だとポンコツはいなくていいというか積極的排除したい

https://anond.hatelabo.jp/20240415080921#

 

何を持って最先端としているかはわからないですが、

とりあえず、ポンコツが入り込まないだろう(例外的に入ることもあるけど身バレするレベル)の案件を想定しました

geek以外は働いていない・採用されない・勤務していない認識です

ITサラリーマン必要なのは技術じゃなくて、テキトーさしすせそなんで

 

某ミドルウエアとデストリにいた時、見ている限りでは技術的な正論は歓迎されてましたけど、

それ以外のところではあらゆる正論が歓迎されてるの見たことないですね

 

まぁ万規模のインフラ構築も炎上していなくてエンドの担当者がやる気あれば正論通るか

https://anond.hatelabo.jp/20240207225600#

 

 

あと、そもそもなんですけど、主題そこじゃない

[] アニメーターIT屋さん



アニメ制作の流れや、趣味商業目的使用されている技術についての説明に使えそうな動画を探してたら、かなり辛辣というかキツい主張をしているアニメーターの動画を見つけた

動画主(アニメーター) の主張は雑にこんな感じ

  1. アニメーターの平均年収は440万円で、日本の平均よりも若干高い
  2. トップ層のアニメーターは年収が1000万円を超えるし、原画トップ層は1600万円を稼ぐこともある。トップ層には届かずとも、監督であれば600万円台の年収が見込める(これは地方役職付き社員首都圏の中堅社員と同等の水準)

    ※1と2は、一般社団法人日本アニメーター・演出協会の情報を参考にしている模様

  3. アニメーターは誰でも目指せる職業だが、そのためにトップクラスとそれ以外の間に大きな差が生じている。技術が低いアニメーターのポンコツ作画修正するのは、作画監督やより優れたアニメーターの仕事となっている
  4. 稼げない、生活できないのは単純にアニメーターに向いていないからでは?トップクラスになれなくても、必要技術能力があれば、平均的なサラリーマンよりも稼ぐことが可能
  5. ポンコツをクビにしたくてもできないというか、技術が低いポンコツアニメーターが多いことがアニメ業界の本当の闇

 

動画主(アニメーター) の主張を聞いたワイの感想は、その意見も一理あるというか、ほぼ全面的に『まあ、そうでしょうね』という感じ

特に動画主(アニメーター)が指摘する『トップクラスとそれ以外の間に大きな差が生じている』という現象は、アニメ業界に限らず、ほとんどの分野で見られる

 

例えば、『20代から40代までなんとなく続けてきた人』と、『40代から新たに挑戦する能力の高い人』だと、後者が勝つ傾向にあったりする

これは、人間能力が、身長のように目に見えるほど差があるという、残酷現実を示す一端だ

 

からこそ、世に溢れる自己啓発書では、わがままが許される状況下なら、『特別に好きなこと』もしくは『競争に勝てる得意なこと』のどちらかを仕事に選ぶべきだと大昔から説いているんだね

競争に勝てなくても三度のメシより好きなことに情熱を注ぎ続けられるなら、後悔のない自分らしい人生を送れる可能性が高いし、好きなことでなくても競争に勝ち続けられることなら、プライベートに注力できる時間や余裕が生まれから

 

ちなみに、年収が低いアニメーターはアニメーターに向いていないという意見だが、IT業界にも当てはまる。年収が低いIT屋が、IT屋に向いていない可能性はそこそこ高い(もちろん、金銭的な成功ではなく、技術探求に情熱を注ぐ人もたくさんいるし、無給で自宅で勉強するのではなく、会社給与を得ながら学ぶ戦略一時的に取る人もいるので、そういうのは例外)

 

強いて動画主(アニメーター)の主張に対してワイがツッコミを入れるとしたら、ポンコツアニメーターも人間であり、尊重されるべき存在であること、ポンコツにも生活があることを忘れずに、接しましょうかな。気軽にクビに〜とか言ってるけどね。つか、業務を依頼したり、雇用した時点で、責任は伴うもんでしょうよ

自分がどのポジションにあっても、すべての人に敬意と思いやりを持って接するべきだよね、スキル関係なくさ

 

 

ちなみに、日本IT業界も、アニメ業界と似ていて、業務必要スキルを持った人を揃えることができない問題に直面することがそこそこある

要領が悪いSISEや社内開発のプロジェクトリーダーが、業後や休日ポンコツ技術者の作業を手直しているケースを見かけたりもする(おそロシア)

これは、過労死リスクを高めるだけでなく、まぁフツーにプロジェクトの遅延にもつながるよね

 

しかし、本当にやるべきなのは、適切なスキルを持つ人材を事前に準備し、アサインすることなんだよね

事前準備や根回しが間に合わない場合でも、『いや、○○の経験をある人揃えられないなら無理ッス』とハッキリ言って、とにかく周囲に理解を求め、状況に抗う姿勢を示すことが大事なのよ(無理なものは無理)

 

政治的または予算的な制約で人材確保がどうしても不可能場合は、開き直って、誰が参画してもスムーズ業務を進められるような効率的ワークフローを構築することに全力を注ぐべき。社内の過去案件資産を徹底活用し、チームで仕事ができる環境を整えることが最優先。つか、IT本来効率的ワークフローを作るお仕事から

 

もちろん、ちょっとナレッジ整えて教育したくらい、枠整えたくらいでは、どうにもならねぇポンコツメンバーってケースもあるだろう

しかし、それでもやっぱりやるべきことは、ワークフロー構築に全力を注ぐだよね

なぜなら、どうにもならねぇことはどうにもならねぇからだ。選択肢は、『メンバーが育つのを待つ』か、『危機感を持った人が人材を投入してくれるのを待つ』か、『プロジェクトから逃げる』の3つだよ

 

いや、それで査定は乗り切れない、俺私の無限残業リカバリーする!!!!って言ったって、どのみち、俺私に社内やプライベートで予期せぬ予定が入る度に、プロジェクトは遅延するよ

同じ体力と時間を使うなら、予期せぬ事態にも対応できる体制を作り上げることの方に使おう(次回も使える)

 

IT屋さん(geekではなく、並な人々や技術ポンコツな人々)にとって、効率的に少人数で業務を回し、負荷が偏らないようにチームで仕事をする仕組みを作ることは何よりも重要だけど、

アニメーターのような芸術職ではまた考え方が異なるのかな?

動画主(アニメーター) の辛辣な主張のように、パヤオのような天才トップ層だけいれば、ポンコツな人々はいなくていいみたいなマッチョ思想の人が多い業界なのかしらねって思いました

数学の美

数学者数学に美しさを見出していることは知られている。

多くの数学者は最も美しい証明を見つけることに意欲を持っており、数学芸術の一形態と呼ぶことがよくある。

「なんて美しい定理だろう」「なんてエレガントな証明だろう」と言う。

 

完璧な部屋の形状は、ルネッサンス建築家によって、壁が一定比率を持つ長方形の部屋である定義され、それを「黄金分割」と呼んだ。

建築家今日でも、最も調和のとれた部屋には黄金分割比があると信じている。

この数値は、多くの数学現象構造に現れる (例:フィボナッチ数列の極限)。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、均整のとれた人体と顔の黄金分割を観察した。

西洋文化やその他の文明では、均整のとれた人体の黄金分割比は、上部 (へその上) と下部の間(へその下)にある。

 

モザイクは、固体部分(木、石、ガラスなど)を重なりや隙間なく平らな面に組み立てる芸術形式である

その洗練された形式では、モザイクには認識可能パターンがあり、それが 2 つの異なる方向に繰り返され、中心も境界も優先方向も焦点も特定されない。

モザイク作品のような模様が無限の広がりを感じさせる。

19 世紀には、数学的な観点からタイリングには 17 個の対称性しか存在しないことが証明された。

アルハンブラ宮殿モザイクは、考えられる 17対称性をすべて表していることが発見された。

数学用語では、モザイクタイリングと呼ばれる。

タイリング形成するとは、2 次元平面を幾何学的形状 (多角形または曲線で囲まれた形状) で重なりなく完全に覆うことを意味する。

タイリング画像を変更せずに仮想的に回転または反射できる場合タイリングは対称と呼ばれる。

歴史上最も印象的なモザイクは、中世イスラム世界活躍した芸術家、特にスペインアルハンブラ宮殿の美しく洗練されたモザイク作成した芸術家によって制作された。

アルハンブラ宮殿は、グラナダ旧市街を見下ろす赤土の丘に、13 世紀初頭にムーア人によって建てられた。

ここは、膨大な量の模様、装飾品、書道、石の彫刻など、イスラム教の建築デザインを展示するものである

オランダ人芸術MC エッシャーアルハンブラ宮殿を 2 度訪れ、宮殿と周囲の中庭タイルに見られる華やかな模様をスケッチし、カタログ化した。

エッシャータイリングは必ずしも周期的ではない。

これは、タイルが一定の間隔で表示または発生することを意味する。

何百年にもわたる熟練した建築タイル張り、 (調和する力としての)対称性への深い敬意、(宗教商業のための)幾何学研究知識により、17 の考えられる対称性グループすべてがアルハンブラ宮殿の壁に表現される。

 

自然界の結晶(雪の結晶鉱物宝石など) は、秩序と対称性規則に従って原子的に構築される。

2、3、4、6 回の構造対称性があり、周期的。

非周期的タイリング、つまり周期性のないタイリングは 1960 年代数学的に可能であることが証明されたが、当時は秩序はあっても周期性を持たない固体構造自然界には存在しないと考えられていた。

1982 年、イスラエルテクニオン大学ダン シェクトマン教授は、後に準結晶として知られる自然が作る非周期結晶存在予測した。

準結晶パターンには 5 つのエッジを持つ多角形が必要

このような自然で作られた石は、ロシア山岳地帯最初発見された。

2009年、この発見プリンストン大学教授であるポールスタインハートによって科学的に発表された。

2011 年、シェクトマンはその予測によりノーベル化学賞を受賞した。

 

数学は常に美の起源本質説明できるのか?

そうでないなら、美しさは見る人の目にあるか?

美しさは(文化的地理的歴史依存まで)絶対的用語であると断言できる。 

2024-04-14

anond:20240414123952

書く方には限度がないが、現実人間には限度があるから、そんなに書いたってもうだめという一線に至って悲劇が起る。

思うに彼の作品も限度に達した。

こうなって欲しいという願望の作風が頂点に達し或いは底をつき、現実とのギャップを支えることができなくなったから、

彼には芸術上の転機が必要となり、自らカラを突き破り、その作品の基底に於て現実と同じ地盤に立ち戻り立ち直ることが必要となった。

然しそれが難なく行い得るものならば芸術家に悲劇というものはないのである

オモチャ箱 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56800_56883.html

2024-04-13

anond:20240412233453

今日教授ルソーの「学問芸術論」を”社交界に馴染めない田舎者ルサンチマンの爆発”としつつ「art=人為/ 自然状態に人が手を加える/ 人間artは結局、圧政を飾り立てる(利己的)ものであり、習俗環境を向上させることなどできず、nature=自然堕落させる」

2024-04-12

anond:20240412021624

なんか有名なボカロPビートルズ知らないって言って非常識だーって叩かれてるんだってね。

まあ確かに音楽だの美術だの、芸術の分野ってクラシックじゃないけど昔の傑作に触れた方がインスピレーションというか感性が育まれるってのはあるのかもな、とは思う。

けど…ビートルズ聴いてるけどヒット作出せない無能よりビートルズ知らないけどヒット連発する人の方が価値あるんだよなぁ。

2024-04-11

anond:20240411075356

だといいが。

機械学習人間が学ぶのと違って、すべてをデータ転送速度で学んでいく。

いま辛うじて勝ってるエンタメ芸術分野でも、それらの成果を瞬く間に奪われるだろう。

日本国内SNSで足を引っ張りあってローカルモラルをせっせと作り上げてる間に、

ルールにのない場所ライバルは育ってくる。

追い上げてくるぞ。

anond:20240411063908

大丈夫中国アニメゲーム漫画とかジャパニメーションが先行してる分野では、まだまだ日本に追い付けない。

もちろん人件費が効いてくる白物家電生産とか科学技術分野では、あちらさんの方がずっと先に行ってるが。

きめ細かい芸術方面日本に分がある。たとえ生成AIの力添えがあっても、監督とか旗振り係の年季が違いすぎる。要するに歴史の厚みが高い壁となって阻むのさ。

芸術の生成AIが短命に終わりそう

「AI脚本」を人気声優が朗読…銘打ったイベントは中止、「盗作」と批判相次ぎ : 読売新聞

ヤバイヤバイ

ついに生成AI芸術方面での利用がキャンセルされだした。

隠して利用したわけでもなく、現行法に照らしてチェックして完全に合法を確かめたのに

それでも中止に追い込まれ謝罪してる。

生成AIを使ってゴメンなさい、そんな状況が目の前だ。

芸術に生成AIを使ったら燃やされて、片棒担いだら炎上するような状況は危険だ。

例えば生成AIを使ったゲームプレイしたVチューバー謝罪する未来が見える。

例えばアニメ予算不足で背景を生成AIに任せたら糾弾されて対応に追われ頓挫してしまったり。

日本芸術での生成AI頓挫したら、中国にあっという間に抜かされてしまうだろう。

ヤバイヤバイ

人間同士の問題人間が解くしかない、生成AIには頼れない。

何とかしなきゃダメだが、しかしどうすれば良いのか。

このままじゃマズイ。

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