はてなキーワード: 花輪とは
作者の死がきっかけになるのもどうかと思うけど
どうしても懐かしくなってしまってアニメ見返したりまんが読み返したりしている
まる子がちょっと日常を飛び出したり身近な人の普段見ない側面を発見したりする回が楽しい
いつでもあの一編を読めばいやな日常から離れてキラキラした甘い南の島を味わえる感じがする
A Jolly Dayっていうまるちゃんがもっと小さい時の小さい(本人には大きな)冒険譚も楽しくかわいい
先生の家に遊びに行く回もいい おばあちゃんの家に行く回も楽しい
フランス料理食べに行く回も花輪くんちに行く回もヨッちゃんの彼女が来る回もいいな
まるちゃんとおねえちゃんが留守番して二人でカレー作る回も好き
おねえちゃんとは母の日にもグラタンとサンドイッチを作っててそれらがやけにおいしそうで
なんか懐かしくてほんとどんどん思い出してしまう
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
ふざけんな!
彼女もできねえ!
合コンに誘われるだけ良いだろうが!
目の前に座ってるだけで向かいの子に苦笑いされるような雰囲気してないだけましだろうが!
抱えきれないほどの選択肢をぶら下げておいて苦労人ぶってんじゃねえ!
死にてえなら死ね!
消えてえならさっさと消えろ!
世の中には絵になるネガティブ野郎と絵にならねえネガティブ野郎がいるんだよ!
てめえは前者だクソッタレ!
やる気にならなくても生きていけるだけましじゃねえか!
ときどき立ち止まって生きてく意味についてゆっくり考える余裕があるだけましじゃねえか!
そうでもしねえとパフォーマンス悪すぎて食ってけねえんだよ!
本場のネガティブ舐めんじゃねえ!
幼い頃、「ちびまる子ちゃん」を毎週見ていたが、学級委員のみぎわさんが大嫌いだった。
わがままで厚かましく、そのくせ学級委員としてその立場を盾にイチャモンをつけ自分に都合のいいことしか言わない。
とどめに本人はブサイク(に描かれている)ときた。どうしようもない。
現実世界の人間関係にそのような人はいなかったのは幸いだった。
ポリティカル・コレクトネスが声高に叫ばれる中でそれに反旗を翻す動きが生じ、巨大化して飲みこもうとしている、いや飲みこんでいる昨今である。
典型的なのはイギリスのEU離脱や先のアメリカ大統領選の結果だが、日本でもそのバックラッシュをちょくちょく感じる。
そして色々なニュース(おもに女性の萌えキャラであるとかポスターを発端とした炎上案件)に目を通すうち、ポリコレ棒で殴ってくるのはみぎわさんみたいな人なんだろうな、思うようになってきた。
自分が不快であるからという根拠を第一に押しつけの正義感で叩く。さながら花輪クンと話す他の女子に焼きもちをやくように。
こういう人は話が通じることはなくすこぶるめんどくさいので、距離をおくのが一番楽だ。
塩村文夏の経歴を見てみると都議として何故彼女を選んだかが疑問に残る。
高校在学中にスポーツ用品販売会社アルペンのイメージガールコンテストに応募し準グランプリ、翌年には「第8回ニューカレドニアプリンセス」審査員特別賞。写真集告知のため「熱湯コマーシャル」コーナーに水着で出演。「ミスヤングマガジン準グランプリ」になり多くのグラビアで活動。
一旦芸能活動を休止しイギリスに語学留学、帰国後に「恋のから騒ぎ」にて「不倫自慢女」として脚光を浴び、日本テレビの脚本・構成作家として活動。「日テレジェニックの穴」などで活躍。
2012年になり「維新政治塾の塾生」になるも、2013年に「みんなの党」に入党。
2013年6月23日東京都議会議員選挙、世田谷区にて14人中6人目(8人当選)にて当選。
塩村文夏の経歴だが、政治家としての活動はわずか1年だけという新人。
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/788/790/d00127490.html
7 当 里吉 ゆみ 日本共産党 22,541
8 当 西崎 光子 東京・生活者ネットワーク 21,503
http://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/2013.html
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201305/index.html
NHK世論調査では維新の会とみんなの党の指示はほぼ一緒、報道ステーションでは維新の会に投票するか?というアンケートでは19パーセント。
みんなの党は2013年5月21日に維新の会との連携を解消し、自民党寄りの政策に渡辺喜美党首が擦り寄っていた。
その結果、2013年7月第23回参議院議員通常選挙では8議席を獲得。
前回2009年東京都議会議員選挙では民主党圧勝から民主党惨敗に変わり共産党よりも議席数が少ない野党になった。
2013年に落選した山口氏、花輪氏、関口氏は前回の東京都議会議員選挙世田谷区民主党選出都議でトップ当選組で、正に自民復権で手のひら返しの結果。
わずか1年の政治家活動でアベノミクスに乗って都議に転向なんて凄いですね。
だから政治家活動前のツイッターではbotよりも酷い発言ばかり目立つのですね。
押尾のニュースを読んで気分が悪くなる。田中さんの両親、自分の娘の事は棚にあげすぎ。ニュースだけ読むと、一方的被害者のよう。助かってたら、一緒に犯罪者です。「普通の人なら
救急車を呼ぶ!」と主張したようですが、「普通の人なら、妻子ある男と役物不倫」しません。知るほどに気分が悪い。
https://twitter.com/shiomura/status/24161021159
使い続けるアレルギー持ちの被害者に問題がある気がするわ。「茶のしずく」被害提訴、240万円支払い求め - BIGLOBEニュース
https://twitter.com/shiomura/status/116314165982920704
大阪に向かう新幹線なう。 猛烈に咳&喉が痛痒く、これまでに風邪薬も抗生物質もアレルギーの薬も効かずに辛い。今朝はアレルギーの薬を飲みましたが、そのせいか全身倦怠。 困りました。
https://twitter.com/shiomura/status/239179104342134784
↓
スーパー銭湯のリクライニングチェア。隣は咳の酷い子供。周囲は感染するんじゃないかと不安な顔の人も。親は子供置いてお風呂かなと思っていたら来て「咳治らない?うつるといけないから、ここにいなさい」と。この部屋にいる人には感染っていいということ? 親の教育から必要だわ(´Д` )
https://twitter.com/shiomura/status/285709824472276992
一番酷いツイートはこれ。今回の騒動の平成26年第2回定例会の発言と真逆のツイートとは酷い。
「東京は都会であるが故に、周囲との関係が希薄で、女性が妊娠・出産・育児に関わる悩みを一人で抱えてしまうという弊害があります。こうした問題を抱える女性たちのサポートを東京都は積極的に進めていくべきで、特に、周囲に相談できる人がいない妊婦さんを支える仕組みはとても重要であり、私も所属をする厚生委員会で、この件についての充実をお願いしてきました。」で鈴木章浩都議に「早く結婚した方がいいんじゃないの?」とヤジられたが、塩村文夏氏は真逆のツイートに対して記者会見して謝罪すべきでは?
そう。私、倖田來未に同情しましたよ。羊水は腐らないけど、的外れでもないなと。@以前批判されたコウダクミさんの発言、あれは羊水でしたけど、生殖器全体ということなら、あながちウソではないということでしょうか??
https://twitter.com/shiomura/status/12931401590505472
最後に、大卒でバイトや無職は支持率の高い政党の地方議員にボランティアで奉仕して地方議員選挙に立候補すれば余裕に当選出来るんじゃね?お給料だってそこそこ良いんだし知名度アップでWin-Winだぞ。
なんか、どう見ても国民のご機嫌取りしてるようにしか見えない。
三月いっぱいで国民的長寿番組が終わるというのもあるんだろうが、小泉の示した前例のように、電話で済ませたって良かったろうに。
たまたま昼飯食ってたらテレビに映ったので見たけれど、バラエティ出てタモリとぎこちない会話してないでさ、だいたい国会会期中なんだろう?
そんなヒマがあるんだったら、増税を少しでも軽くする方法を真面目に考えて欲しいなあ。
首相の仕事はバラエティ番組から国民の皆さんに挨拶する事じゃないだろう?
「長寿番組の有終の美を飾りに永田町からもやってきました」てアピールする事じゃないだろう?
エグザイルから贈られた花輪を見て「私エグザイルと食事した事あるんですよ、晩餐会にゲストで招いて」とか言ってる場合じゃないだろう?
せめて選挙の前の時期とかだったら、「ああ得票に大変なんだな」と思えるし、まだ微笑ましいで片付けられるんだが、
消費税増税前、しかも国会会期中にわざわざお昼のバラエティ番組に出るとか、それはもうちょっと笑えないと思う。
あの時も首相が迂闊な現地視察のような行動をとって制御不能の危機に瀕した原発の現場を混乱させたり対処を遅らせたりしたよな。
もちろん菅と安部では首相としての評価も全然異なるだろうが、それでも安部が何やってもいいって事にはならないし、ましてや賛否両論百出する事が想定され得る行動なら、そもそも選択するべきではないとは思わないのか?
そもそもちゃんと国民の事を考えているのか? 庶民や苦しい生活をする人々の事を、たった3%のちっぽけな消費税増税の負荷が生活にもっともかかる層の事を本当に考えているのか?
「笑っていいともは国民的番組、国民的番組」て免罪符のように連呼していたが、国民的番組の最終回付近にゲストとして首相として出ておく事が、すなわち国事を考える事にはならないんだぞ?
この年度末に家やら車やらばんばん売れているけど、それは大勢の金持ちが金を吐き出しているのではなくて、たった3%の値上がりを許容できないレベルの貧乏の裏返しでしかないんだからな?
サンプル数が少ないので、傾向といえるかどうか微妙なところですが、ここ20年から30年の間にできた新興住宅地でのお葬式について書いてみます。
このパターンが多いです。地縁が強いわけでもないので、町内会レベルだと町内会長さんがあとでその事実を知ってお参りにくるくらいの付き合いなのかもしれません。
家族と身近な親族のみで行うと、お香典のやり取りも省略され、見栄とは無縁の葬儀になります。
大きな花輪が出ることもないですし、広めの葬儀場でポツンとみたいなイメージになります。
子供の会社関係者や子供の友人には知らせずにそっとしておく傾向があるのではないかと思います。この対応で参列者はほとんどいなくなります。
80歳以上の高齢者の場合、友人や元会社の知り合い、兄弟がすでに他界していることが多いです。なくなった故人は、そのような人たちの葬儀にはいったのに、自身が亡くなったときには、関係者は身内のみしか生き残っていないことがありえます。
となると、葬儀に参列するのは主に子供と孫ということがこれから時代、増えていくのではないでしょうか。
地縁が残っている農村くらいになってしまったかもしれません。自宅の広間と仏間をぶち抜いて葬儀をするとなると、いろいろと人手がいります。
そのような互助ができる素地がないと難しいでしょう。
かつて地縁があった商店街では、店を閉めてしまい、それだけの盛大な葬儀を出す余裕がないと思います。現役の会社経営者のような人たちはまた別でしょう。
ttp://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-1ea7.html
書記長「話が抽象論になっているが、再度聞きたい。巻き返しのための方策はあるのか」
常務「それは、とにかくドンドンやればいい」
書記長「? 何をやるのか」
書記長「?? 具体的にどうやるのかという話だが」
書記長「それがどのようなものであるのかを聞いている。営業部長に聞くが、ガンガンやるとは具体的にどういう方策なのか」
委員長「埒が明かない。全力で仕事をするにしても、どこに向かって力を出せばいいのか」
書記長「??? そことは、どこ?」
一同「は?」
社長「前の会社のときにね、従業員が亡くなったんだよね。キャンペーンの後だったからね、過労だって話も出てさ」
社長「労基署は入らなかったんだけど、自宅で突然死だったから労災にもしてなくてね。お葬式行ったんだけど、小さな子がいてさ。奥さんは泣きっぱなしで、ご両親も逆にご迷惑かけてって頭を下げるくらいだったんだけどねえ」
社長「ところが直属の上司が焼香に上がったら、奥さんがものすごい剣幕で『出ぇてけえぇ!』ってねえ…」
社長「それがさ。すごい声でねえ。美しい奥さんだったんだけど、そりゃあすごい声だったよ」
社長「それからしばらくしてさ。その上司の人が辞表を出してね。あのとき、受け取っとけばよかったんだけどね。受け取らなかった。お前のせいじゃないんだからって。そしたら、死んじゃったんだよ。これが、自殺でねえ」
社長「うわあまた葬式だ、と思ったら、今度はご家族が来てくれるなと言うんだね。そういうわけにもいかないから、大げさにならないように個人でっていうことで伺ったんだ」
社長「いざ、会場になってる自宅に行ったら、うちの花輪が放り出されててねえ。参列の人も、気にせずにそれを踏みつけてて、ああ、これは本当に来ちゃいけなかったんだって、門前で手を合わせて帰ったよ」
社長「そんとき思ったね。従業員が死ぬようじゃだめだよーって。死ぬような働かせ方は、その時の関係者に一生祟るんだ。僕はあれ以来、会社関係の葬式に出るのが怖いもん」