はてなキーワード: 良識派とは
https://b.hatena.ne.jp/agricola/bookmark
「法律で禁止されていない」を振りかざして散々オラついてたんだから、自演も詐称もこういう理論展開で正当化するのはごく自然だよね。その割に女性が安全ピンを所持する合法的な行為はご不満らしいけど(嘲笑
日頃「法律で規制されていなければ自由なんですドヤァ」と言ってた連中が「最低限の信用すら失った」とか言い出す無様。それってあなたのお気持ちじゃないですか(嘲笑
回線切ってチーズバーガー食ってろよ。ところで、法律で禁止されていないなら何をしてもいいセクハラ萌え豚の皆さんまさかパパミルク太郎を批判なんてしてないよね?どの面下げて良識派ムーヴかましてるのさ? パパミルクさん チーズバーガー二個分
流石のツイッター日本も「臭いでわかる」みたいな露骨なヘイトスピーチのプラットフォームにはなりたくなかったということでしょうかね。他者の著作権を侵害するコンテンツを拡散したこともあったよな。 パパミルクさん チーズバーガー二個分
数年前に女性声優がCDアルバムのジャケット写真だったかを積み重ねたパレットに乗って撮影していたときは非難囂々だったと記憶していたが……やっぱり「ヌケる」表現にはズルチンよりも甘っちょろいのな(侮蔑
さすが産経上がりのカスは言うことが違うwどんだけ社会人経験が不足してるんだ?(嘲笑
「エロゲとコラボするのは公式の自由」「not for me」「表現の自由はみんなが不快感を我慢することで成り立つ」でしょ?お気持ちをぴぃぴぃ鳴き喚く豆腐メンタルに一発キツいのかまして来い(嘲笑
長年病気で苦しんできた患者が自分が担当してから死んだら病気のせいではなく自分が殺したんだと判断するんですね。 あほか
犯罪沙汰は増えていなくても「こいつマジでゲームのしすぎで脳細胞が破壊されたゲーム脳なんじゃねーか?」と疑いたくなるレベルで知的能力に問題を抱えた大人が量産されてますよね。今後加齢で脳がさらに衰えたら… 萌えは脳神経を壊す
「サイゼデートで喜ぶ彼女」に対応するのが「ショボスペPCで喜ぶ社畜」なんだよ。せっせと社畜ちゃんの萌える絵をばら撒け(嘲笑)
なぜこのツイートの前にあんなことをしたんだ……。セクハラ萌え豚は「他者を勝手な判断で性的だと判断し、性消費する行動や言葉を押し付け」るな、という声明がツイフェミを掣肘すると思ってるのか。やべぇ。 セクハラ萌え豚
おや?「こういう場合は"コメントを求めたが回答はなかった"と書いてはいけません」と法律で禁止されてましたっけ?禁止されていない以上は表現の自由、なんでしょ?(嘲笑
ヤマーダ無双じゃね?プレイヤブルキャラクターとして他にレドマツ、スンシャックなどオタク政治家界隈が結集!押し寄せる不倶戴天の敵「ポリコレ」「フェミ」をなぎ倒せ!!最後は夢オチで裁判沙汰回避!!!(嘲笑
石川優実のTwitter引用裁判原告敗訴に「倫理」を持ち出して不平を垂れていない者だけが石を投げなさい案件。キャンセルカルチャーも法律で規制されてないけど何に依って批判するのかな。倫理?(嘲笑
その調子で戦車の方向指示器もとっぱらってくれ(嘲笑)↓え、ムッソリーニとヒトラーって戦犯として訴追されて有罪判決を受けて処刑されたんだっけ?(正解はリンチと自殺)お前らホント歴史を知らんのな(侮蔑
をお気に入りに入れてるのが168人もいる。はてなブックマークはヘイトスピーカーばかり
ほぼ毎日こういうはてなブックマークをしているためまともな人間はこの人物をお気に入りに入れていない。
にもかかわらず以下の3名は毎日のようにはてなブックマークを使っていてこの人物のヘイトスピーチを日々見ているにもかかわらずお気に入りに入れ続けている。
https://b.hatena.ne.jp/agricola/follower
D_Amon
the_sun_also_rises
cinefuk
偶然入れてしまった可能性もあるが、なぜこの人物をお気に入りに入れているのか、これからも入れ続けるかについて弁明が必要だろう。
なぜなら「場で受け入れられている(ように見える)1人を標的にしたからかい」に個人が対応するのは決して簡単ではないから。壇上で話して観客をつかんでいる人は一種の「権力」の座にいるのであって、1人の観客、中でもターゲットにされた人間との間にはすでに大きな力の差があるのだ。それはそもそもFairな状況ではない。たとえば「いじめ」を思い起こしてみれば簡単に分かるだろう。すべての「いじめ」に対し、「一人前の人間なら自力救済できるのだから、口を出すのはその人を一人前扱いしないことだ」などと唱えてすましているやつがいたとしたら、そいつは単なるクソだ。見て見ぬふりよりも悪質な、いじめの共犯者ですらある。
だから、とりわけターゲットにされた人間の内心に共感でき、行動できる第三者がいれば、その人が行動するのは「義」によるものであり、方法はともかくとしてその行動原理に批判される点はない。それは、もちろんターゲットが男性であっても同じことだ。たとえば、今回ウィル・スミスが腹を立てたのがたとえば友人の男性のためであったとしても、私の意見は全然変わらない。ウィル・スミスの行動は「義」によるものであり、否定されたり男女問題などに矮小化されるような話ではない。むしろ、この増田のようなことを考えるせいで「義」なる行動がとれなくなるのだとしたら、それこそポリコレ棒の弊害だ。
ぶっちゃけアメリカと日本での反応の違いは、平手打ちしたあとのウィル・スミスの罵詈雑言のニュアンスの受け取りによるのではないかと思っている。あそこでウィル・スミスはあきらかにキレ散らかしており、”良識派”の人たちとしてはかばいづらい様子ではあった。だがその前の、親しい知人が侮辱され、その人に代わって怒る、という行動自体には何ら不適切な部分はない、というのが穏当な見解というものだと思う。
余談だが、なんでもジェンダーの問題にしたがる人は、聞きかじった知識を振り回して「啓蒙ごっこ」をやってると、こうやって、別の人権侵害に加担していることになることすらある、ということに気付くべき。棒を手にするなら「棒を振り回すと危ない」という最低限の認識くらいはもつ必要がある。
これ、実際そりゃそうだろうなと思うし、俺も絶対障害児を子供として持ちたくない(そもそも子供自体持ちたくないが…)
ぜってえ嫌だもんな
意味わかんねえもん
ちょっと近くで見るだけで、ウワ、これ無理やな…ってなるもんな
可愛くないうえに金と手間はメチャクチャかかる
もう生まれちゃったし、殺すわけにもいかないんで頑張って養います、養うからにはなにか良いこともあるって思いたい! って話にしか見えん
まあ、住めば都じゃねえけど、実際悪くない点もなくはないんだろうけども、しかし総合したら絶対マイナスだよな
少なくとも、健常児を持つことに比べて、障害児を持つことのほうが体験として総合的に勝るってことは絶対ないと思う
でもこう、この前のブコメは衝撃的でした
俺は増田だから素直に差別心むきだしにして「知的障害児なんてキショイし絶対ごめんだ!」なんて言えるけども、良識派ぶってるブックマーカーのみなさんもアッサリ「ガイジを生まれる前にあらかじめディテクトして殺害するのはOK」みたいな趣旨のことを言ってしまえるもんなんだな
ホンマに迫力あってすごかった
つか、みんなそう思ってんだし、やっちゃえばいいと思いますけどね、俺は
このテストをパスできんかったら人間じゃないんで殺してOK、みたいなやつね
もっと低くてもいいな
地面に引かれたラインを越える、とかそんなんでいい
なんも意思疎通できん存在って、ブタとかウシとか受精卵とたいして変わんねえじゃんね 生物種が同じってだけでさ
いいんじゃないですか
よくねえか
よくねえわな
よくねえのか?
なにしろ暴力というのは、人々が自分勝手に行使すれば、ときに人権を脅かし、社会秩序を乱し、それを収めるには軍隊や警察など、さらに強い武力が必要となってしまう。人間社会では、いかに人の持つ暴力性を抑え、あらゆる対立を非暴力的な手段によって理性的に解決する努力がなされてきた。
だから格闘技においても、暴力性をいかに否定し、大衆文化として認知されるかというのは、常に大きな課題なのである。朝倉やABEMA、スポーツ紙などに欠けているのはその認識で、格闘技に関わっていても、そもそも格闘技とは何で、どのような均衡の上に成り立っているのかという点を十分に考えていないように見える。
多くの格闘技はそれぞれルーツを辿れば血なまぐさい原点を持つ。プロボクシングもその原点は奴隷を死ぬまで戦わせる古代の見世物だった。原始的で野蛮なものが、社会が成熟する過程でスポーツとして整備されるのには、かなりの年月を要している。
歴史の古いボクシングは、かつて白人が黒人との対戦を拒否できる制度のために人種差別問題と無縁ではなかったり、プロモーターによる選手の独占的契約が「奴隷制度」と重なって、アメリカではこれを規制するモハメド・アリ法もある。五輪競技となるまでにも紆余曲折あり、良識派の人々から「暴力ショー」と見られることから、関係者たちは必死に自分たちの協議を守ってきた。
総合格闘技の変化
一方、朝倉がやっている総合格闘技についても、いま世界的な人気イベントとなったUFCでさえ発足当初はルールが整備されておらず、1993年の第1回大会は目潰し、噛み付きなど最小限の反則以外は自由で、無制限ラウンド、体重の階級制も判定決着もなかった。
そこで暴力ショーとの批判が各地で巻き起こり、アメリカ国内でも開催が許されたのは一部の州だけだった。実際、ケガ人も続出。日本でも初期UFCの影響下で行なわれた1995年の「バーリ・トゥード・ジャパン」では、中井祐樹が相手の反則で右目を失明した。
背景には、ポルトガル語で「何でもあり」を意味する大会名のために、大会がノールールの喧嘩マッチのようなイメージとなっていたことがある。いまほど格闘技が「スポーツ化」されていない時代には、ルールを守る意識の薄い格闘家がいたのだ。
結局、エンターテインメントの発展がうまいアメリカでは、UFCは、2000年に州のアスレチック・コミッションが指導した統一ルールに従って、28回目の大会から一気に「競技化」が進んだ。ルールが整備されると参加者が増え、喧嘩屋レベルの者が淘汰され、いまやプロボクシングに並ぶ人気イベントになった。
アメリカのコミッションは、日本のボクシング・コミッション(JBC)のような一財団法人ではなく、知事が責任者を選ぶなど行政下の組織で、強い権限を持つ。格闘技イベントの聖地、ラスベガスのあるネバダ州コミッションの責任者、ボブ・ベネット氏は元FBI捜査官で、力の差が大きいと判断したマッチメイクは、主催者が大手の組織でも遠慮なく却下した。
ベネット氏は「とても危険な職業なので、できるだけ安全にするのが我々の義務」と語っていた。アメリカであれば、朝倉と素人の喧嘩ショーは、コミッションが開催許可をしなかったはずだ。
小山田圭吾をネットリンチするのはいじめと同じだからやめろって意見が、冷静な良識派を気取るやつらから出始めてるね。
違うんだよ、小山田圭吾のやったことを「いじめ」と捉えるからそんなエセ良識派になっちゃうんだよ。
あれは刑事事件に相当する陰惨な暴力。それも圧倒的な力の差で反撃できない弱者に対する直接的な傷害なんだよ。
たとえば小山田圭吾が「あるクラスメイトをみんなで無視したり悪口言ったりした」といういじめ行為を告白したのなら、ネットリンチはそれと同じなのでやめろという論も成立する。
今回は違うだろ。直接的な暴力行為に対する言葉による批判だろ。