はてなキーワード: 自首とは
年 | 名称 | 概要 |
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1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
IthacaChasma 現実では法的に罪を問えないのはわかってはいるけど、父親も潜在的には共犯(未必の故意に近い何か)のような気がしないでもない。
2023/05/09 リンク yellow29yellow
porquetevas 打ち明けられた知人、重かっただろうな…通報してくれて良かったと思う。事実を知りながら自首させず離婚した(妻から頼んだのかもしれんが)夫は一体何なんだろうな。
2023/05/09 リンク yellow24yellow
hachirotan 夫は仕事でほとんど家にいなかった。しかし、それ自体が問題ではない。←ほんとに? パートナーが子どもの問題を気にしすぎと共感してくれなかったのが最大の要因な気がするんだけど
2023/05/09 リンク yellow17yellow
pikopikopan 夫さあ・・精神疾患あるのに他の子供を引き取ることすらしなかったのか。あと発達障害のご家庭はシングルマザー率高くて男逃げがち。うちの近所の障害持ったお子さんのお宅の4人もそうだった。
2023/05/09 リンク yellow17yellow
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/b57fec7a31f5a262af61c8d6a1df23f9df7602d3
twitterだと息子の障害が判明して離婚されたみたいに言ってる人がいたけど、記事を読む限りでは違うじゃん
しかし残された娘達のためにに自首しないとか酷すぎる言い草。逆だろ、娘達のためなら自首して離れてやれ
殺害殺3年以上も平然と娘達を育てていたって、サイコパス過ぎて怖い
殺人犯をワンオペ育児させる事の一体何処が娘達を守る事なんだよ
これで懲役4年6ヶ月かあ…
https://news.yahoo.co.jp/articles/b57fec7a31f5a262af61c8d6a1df23f9df7602d3?page=3
翌日、夫に長男を殺したことを告白した。夫は動揺していた。残された娘たちのため、自首しないと決めた。京都府警の捜査員も事件だと気付かなかった。
その後、夫とは離婚。親族と娘2人を育てながら過ごした。ただ、わが子を手にかけた後悔が消えることはなかった。「苦しくて、一人では抱えきれない」。事件から3年半が経過するまでには、妹や知人など数人に犯行を打ち明けた。「聞かなかったことにする」「残された子どもたちを守れ」と口々に言われた。
宝石店強盗で自称50歳のおっさんが捕まった件でコメントに「罪が軽すぎる。最低でも懲役40年、まともな職にもつけず生活保護も受けられないようにしろ」みたいなコメントがついてたんだけど、このコメント自体は本当にアホなんだなとしか言いようがないんだけど、でも、罰則を重くしろ理論はわりとよく聞くじゃん。
でもさ、ちょっと考えてほしいんだけど。
罰則が軽いからこそ罰則が軽い犯罪を行っている可能性ってすげーあると思うんだよ。
実際あったかどうかは定かじゃないんだけど、昔、飲酒運転の罰則がはちゃめちゃに重くなった時に「飲酒運転して人を轢いてしまったときはいったん逃げてから、酒が抜けた後で轢き逃げで自首した方が罪が軽くなる」みたいな言説が飛び交ったことがあったのね。
俺は免許持ってないから「轢き逃げが飲酒運転よりも罪が軽いわけねーだろ」と思ってたんだけど、でも実際に「飲酒運転」と「轢き逃げ」で、飲酒運転のほうが罪が重かったらそりゃ逃げる奴出てくるよね。
例えばすげームカツク金持ちがいてさ、こっちの生活が究極に困窮して、そいつの家から金奪って逃げようぜってなったときに「強盗」と「強盗殺人」がもう大して差がないよね、みたいなレベルにまで「強盗」の罰則が重くなっていたら、それこそ「最低でも懲役40年、まともな職にもつけず生活保護も受けられない」とかになっていたら、まぁ、殺すよね。生きてたらリスクでしかないし。
特に犯人が今回みたいな50歳のジジイだったら、殺すよね。だって実質死刑じゃん。むしろ仮に最低懲役経て80歳くらいでまともな職にもつけなければ生活保護もうけられない状態で仮出所させられるくらいなら、いっそ死刑にしてくれって思うじゃん。
もちろん、実質死刑になるくらいならって思いとどまる奴らはもっとたくさんいると思うので、これまで「つかまっちゃってもそんな遠くないうちに出られるっしょ」みたいな犯罪の件数はぐっと減ると思うんだけど、いろいろ極まっちゃった奴はこれまでの「ワンチャン最悪捕まっても命までは取られない」レベルの犯罪から「つかまったら確定死刑です」レベルの犯罪にランクアップする可能性はすげー高いと思うんだよね。
いじめを重罪にしろ!みたいな話もあるけど、仮に「あ、やべ。これやりすぎたかも。捕まるかも」ってレベルにいじめがエスカレートしちゃったとしてさ、何割かは事故に見せかけて殺すよね。もしくは、家に乗り込んでミスミソウ強盗して逃げるよね。だって生きてたら親とか警察とか学校とかに訴えられて重罪にされて人生終わっちゃう可能性があるわけじゃん。もちろん、重罪になるくらいならやんねーよ!って奴らのほうが多いと思うけど、たぶん、一部はこれまでだったら命までは取らなかった奴らが最後まで行っちゃうと思うんだよね。
俺もコメントしてる奴らも多分、平均年収1000万の増田的には弱者側だと思うんだけど、でも社会的には強者なんだよね。少なくとも犯罪を犯さなくても生きていける程度には強い立場にいるわけ。そんな立場の人間が「もう強盗でもせにゃやってられんのですわ」みたいな本当の弱者から「死にはしない程度の犯罪」っていう逃げ場を奪えば、窮鼠猫を噛むじゃないけどその矛先がどこに向かうかは正直よくわからんよね。
ジャニーズへの性暴力を知りながらジャニオタを続けるのもまた犯罪だ… なる言説をみかけた。
なんと驚くべき事に、この増田で。
えぇ………
ひょっとして今のはてなユーザーって、まさか、低能先生事件のことを知らないのか。
知ってて助長論を信奉してるならそもそもその増田も書けないはずだよな?
嘘みたいに聞こえるけど、この場所にはかつて殺人鬼がいたんだよ。
犯行終了後、出頭の間にXは「はてな匿名ダイアリー」に、自分に批判を行った他のユーザー達を対象とした「最後の書き込み」を行った[注 2]とみられる。
この書き込みはインターネット上で他の利用者から「ネット弁慶」「『低能先生』に人を殺せる筈がない」と言われたこと[10]などを受けた内容で、「おいネット弁慶卒業してきたぞ。改めて言おう。これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく〈中略〉俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」などと書き込まれており、東京の「はてな」本社に向かおうとする計画だったが断念したこと、書き込みをした後「自首を行う」としたことが述べられていた[2]。
いや待てよ🤔?
『テロきっかけで原因を見直すのはテロ助長じゃない』理論も今のはてブで流行してるが、みんな特に事件後にネットリンチを反省したりもしてなかったよな。反省なんて全然無かったし炎上という名の社会的制裁は変わらず続いている。
私は体臭が原因で学校を退学に追い込まれ仕事もクビになった。無論、向こうもそう言えば問題になることを分かっているから、ひたすらクサイと嫌がらせして自首的に辞めるよう追い込んだり、別のもっともらしい理由をつけて辞めさせる。陰湿だよね。それで路頭に迷っても自己責任、自業自得で片付ける。
体臭を理由に障害者年金や生活保護等の支援も受けられない。だから誰も助けてくれない。どこに行っても迫害されて追い出されるから、もう絶望しかないわけ。どうにもならないものに人生を支配されてるから、悩みとしてはトップクラスなわけ。
と、こう書くとアレはやった?アレをしてないから臭いんじゃない?という物知り顔でアドバイスしてくる連中がいるため、あらかじめ書いておく。こちとら市販で売られているデオドランド製品(皮膚に塗るものから洗剤にいたるまで)は国内外のものを片っ端から使った。皮膚科にも行った。専門医によるワキガ手術も受けた。食生活にも気をつけてる。十数年色々調べたり体臭を消す研究してるんだよ。なのにこれ。
日本は体臭持ちに対する人権侵害が酷すぎると言いたい。ワキガなんて海外じゃ当たり前だから、人種差別とも言えるだろう。本人だって好きで体臭持ちに生まれたわけじゃない。それなのに「スメハラ(スメル・ハラスメント)」なんて造語まで作って加害者扱い。JKがクサイといじめて自殺に追い込まれた事件でも、そのJKを加害者扱いしたり臭くて迷惑なんだから仕方ないなんてコメントが数多く寄せられていたよな。何の罪もないのに自殺に追い込まれた10代の子供に対して。
言われた側はこれ以上ないほど努力しているのに、それでもクサイと言われ続ける。そうなるともう存在自体が迷惑だから「消えろ」。生きてるだけで害悪だから「死ね」。そう言われてるのと同じになる。それでも学校に行ったり職場に行ったり働かないと生きていけないから、周りから何を言われようがこの体で生きるしかないのである。
そういや近年ポリコレの流れに乗って今更「生まれながらに変えられないことでの差別はやめよう」なんて当たり前の倫理観が意識されるようになった。グローバル化に伴って日本も体臭持ちに寛容な社会になりますように。
麻原彰晃がかつて90年代前半にテレビや雑誌に出演していたことを何かメディアへの批判みたいに使う人をそれなりに見るけど
結局、麻原彰晃自体をメディアに出してはいけない・いけなかった具体的理由って何なの?
「カルト教祖だから」というならその社会に受容されてるか否かを問わず宗教関係者全員メディアから追い出せって規模ならまだ分かるが「あそこだけはダメ」ってのはただの趣味じゃん
「麻原みたいなのをテレビに出して面白がっていたから〜」という良くある憤りのあとの接続が良くわからんのよ
麻原がテレビに出て「実は弁護士殺してました、すみません、自首します」なんて言うわけないんだし
なんなら87年の片岡鶴太郎の番組に出てた時点では(薬事法違反とかはあるが)大犯罪犯してなかったからセーフで、90年代の生ダラ出演はアウトみたいな線引きでもするのかね
社会的影響力なんて、(麻原の対談相手でもあった)ビートたけしはフライデー襲撃したがいくらでもテレビ出てるし、他の芸能人は言わずもがなじゃん(オウムもサンデー毎日やTBSと揉めてとけど)
結局「サリン撒いた連中が、自分の身近にいた」と言う恐怖や複雑さに耐えられなくて、なんかメディアとか受容の問題にしてるんじゃないの
「ある(発覚前の)犯罪者、宗教指導者がメディアに出ていました」から導き出されるのが、「テレビはなんかあやしいあやふやな奴を出すな!」「なんか、こう、時代の空気を反省しろ!」なのって、発想が貧困過ぎんか?
俺は小学校の頃親の都合で転校したことがあって、言葉の訛りが発端になって転向後しばらくいじめられていた
悪口言われるとか無視されるとかなら別にどうということはなかったのだが、隣のクラスの多動系クズの行為がエスカレートして、そいつが休み時間のたびに物差しで頭を殴りにくるという状況になっていた
最初は怒鳴り返すくらいだったが、あまりに頭にきて一度そいつの腕をカッターで切りつけてしまった
ちょっと血が出たくらいで大怪我させたわけでもないのだが、校内で問題になって「友だちと刃物でふざけていて怪我をさせた」ということで親も呼び出され、治療費も払わされた
俺は納得がいかず「相手は友だちでもないし、遊んでいたのではなくて自分の身を守るためにやったことだ」と何度も訴えたが、聞く耳は持ってもらえなかった
まあ学年が変わると担任も話のわかる人に変わって学校生活は安定したのだが、俺はその多動クソ野郎のことは許してなかったしいつか絶対に償いをさせてやると思っていた
それが30年前の話だ
小学校粗卒業してから、そのクソ野郎とは大学生の頃一度だけ顔を合わせた
すると二人はクズ男の両親と合流して、女は彼女じゃなくて妹だということがわかった
ほっとしただけじゃなく、あの妹をめちゃくちゃに犯されたらあいつはどう感じるかなとか考えてしまった
次の日から俺は卒業アルバムからそいつの住所を調べて周辺をうろつくようになった
そいつの家は低所得者向けの市営住宅で、便所も汲取式のみすぼらしいものだった
庭では年老いた犬がいつも寝ていた
別になにかしようと思っていたわけじゃない
実際、そいつら一家と鉢合わせたことはなかったし、正月休みが終わると俺はそのまま東京へ戻ってきた
それからも実家に帰ると俺はなんだかんだと理由をつけて家を抜け出し、自転車でそいつの家の周りをぶらついた
俺は先日40歳になった
ちょうどその誕生日とかぶる日程で父親が海外に出かけることになり、見送りにいった
時が流れたんだなと思った
いい歳してあんなことはもうやめようと思った
そう固く決意して実家へ戻ったが、いつも使ってたママチャリが目に入った瞬間に決意が溶けて消えた
ただ、本当にこれで最後にしようという気はあった
いつものように何事もなく、周囲をふらついて、あいつが出てきたら殺してやるのに、妹が出てきたら犯してやるのにという呪詛を内心で唱えて、ただ帰ってくる
鉢合わせと言うか、すれ違っただけだ
妹は小さい男の子の手を引いて自宅に向かって歩いていた
喪服姿だった
俺は数十メートル走ってから自転車を停め、徒歩で背後から妹を追った
それを取り出して右手に持った
不思議なことに興奮も緊張もなかった
俺は歩調を速めながら、幼児の速度でのんびり歩く妹との距離を少しずつ詰めた
息を潜め、チェーンを握り直す
しかし俺は妹に追いつくことはなく、彼女はあのみすぼらしい長屋に入っていった
薄そうな木製の玄関ドアを俺はしばらく見つめていた
妹が残したものか、それとも家の中からなのか、線香のにおいが漂っていた
犬はまだ生きていた
薄汚れて毛並みも悪く目も濁っており、どこからどう見ても老犬だ
あまり散歩に連れて行ってもらえていないのか庭の済に放尿した跡があった
俺はチェーンを振り上げ、その一端を汚い犬の頭に振り下ろした
「あふっ」とかなんとか声を出したので、やばいと思ってもう一度、思いきり殴りつけた
急に怖くなって周囲を見回した
俺は早足で現場を離れ自転車に飛び乗り、投げるように実家に自転車を乗り捨ててタクシーで駅に向かった
新幹線で東京に向かう間、ついにやってやったぞと思うとにやけ顔が抑えられなかった
遅れて来た興奮で震えるほどだった
それが良くなると同時に犬に申し訳ないことをしたという罪の意識が俺を支配した
レイドレースは、世界中のff14プレイヤーが一緒に遊べるお祭り。
MMORPGとはいえ、ワールドもデータセンターも別れていて、別データセンターの人と交流する機会はほぼないので、もちろんプレイヤーも知らない。
けど、レイドレースになれば、世界中の猛者が参加し、攻略スピードを競い合う。
world 1stになったところで、得られるものなんて名誉しかなく、公式からは世界一おめでとうのtweetがされるのみである。
レイドレース自体はプレイヤー間で自然発生的な感じで始まった非公式のお祭りだけど、公式も称賛だけだが一枚噛んでくれる。
ゲーム内にNFT的なもの、、それこそ某アニメなどにありそうな、世界で唯一のユニークスキルだとか、唯一のアイテムとか、そんなものはない。
あるのは吉田P/Dからのコングラッチュレーションだけである。
とはいえ、日常的に配信しているプレイヤーであれば、実利はある。
もともと配信に向かないと言われているff14だからそんな大したことはないだろうけど、14内での唯一のeスポーツ的なものと言えばこの非公式レイドレースである。
名前を売るにも絶好の機会ではある。
ff14自体外部ツールは利用禁止である。利用規則にも明言されている。もちろん、ソフトの改変やリバースエンジニアリングなども禁止である。
じゃあどこまでが禁止か?ということに関しては、吉田P/Dはずっと言及を避けてきている。
まぁ光の戦士であれば常識だとは思うが、詳細は過去の吉田P/Dの発言などでも見てほしいものだけど、
あたりであろうか。
多分感想は人それぞれだと思う。性善説で任せてもらっていると思う人もいれば、バレないようにやれよお前らと言われていると感じる人もいるでしょう。
今回の騒動の中でも、act(ダメージログの自動集計)はいいけどズームハック(クライアント改ざん)はダメって言ってる人もいるわけで(個人的にはどっちも難易度に直接関わるものなので両方ダメに決まってるだろと思うわけですが)。
で、この騒動の中で吉田P/Dがずっとぼかしていた部分を明言したわけですよ。
「今回、外部ツール不正使用が調査によって明らかになった場合、少なくとも僕は、当該チームをワールドファーストチームとは認めません。」
一歩踏み込んで来ましたね。僕はね、これはちょっとなぁと思っちゃったわけです。全方位に配慮する吉田P/Dにしては珍しいなと思った次第です。
まず、今回ツール発覚はチーム内部・関係者によるハッキングの結果の告発になります。前々回のネバーランドは自らツール使っていることを晒していましたが、今回はハッキングされた上で情報がバラされています。
もし、サーバー側で外部ツールの利用が確認できているのであれば、前回覇者にもペナルティが来るはずですが、それはなかった(と思う)。
ということを考えたら、ズームハックしてもログ上ではバレず、ペナルティはない。
まぁ、今回は大炎上したし、チームからも自首したようなので、そちらがメインなのかもしれませんが。
細かい経緯はわからないけど。まぁハッカー(正確にはクラッカーですけども)が得をするということは、今後レイドレースを行うチーム、ユーザーは常にハッキングに怯えることになるのもセットで考えなくちゃいけないのではなかろうか。
ツールを使っていなければいいというわけじゃなくて、ツールを使っているだろうお前!!って疑ってくるやつがクラッキングを繰り返す可能性があるということです。
なぜなら、吉田P/Dの発言は、クラッカーに正義棍棒をもたせることになったなと思うのですよ。
大炎上している、燃やしている側に正義棍棒を持たせるっていうのも、なんだか吉田P/Dとしてはなんとなく珍しいなと思った次第であります。
吉田P/Dがかのように明言されている以上、今後レイドレースは、外部ツールを使っていないことを証明しながらのクリアをしなくてはいけなくなるのですけども、
まぁいわゆる悪魔の証明との戦いなのよね。
なんだかドーピングと戦ってきたロードレース業界みたいだなと思った次第。
戦ってきたというとなんか違うな。ドーピングスキャンダルまみれだったという方が近い。
最高峰のレースであるツール・ド・フランス、99年から95年まで優勝者無しなんだから。
ランスアームストロングが7連覇したときだけど、ドーピング発覚で優勝剥奪になったけど、
何位までの選手がドーピングしているのか、今更全部調べきることできないからもう空白っていうことで!みたいな。
大きなレースとか大会の優勝者が、何年その座につけるのか、そっちの方が気になっちゃうのがロードレースだから。
ロードレースのドーピングは2つに大別されて、トレーニング中と大会中の2つ。
トレーニング中は回復力を高めることができ、質の高いトレーニングを通常より多くこなすことができるためのもの。
大会中もやはり回復力を高めることができるもので、心拍数190くらいで死にそうな状態で山を登っているときのもう一踏みを手助けしてくれるもの。
俺自身はドーパーなんて優勝者として認めないけど、とは言えドーピングすることで、他の誰よりもつらい状況に長時間いることができるようになるものかつ、
ロードレース界でいえば、当時上位者は全員ドーパーだったこともあり、結局のところイコールコンディションなので、まぁそれはそれでええんちゃうっていう気持ちもある。
ロードレースはドーピングスキャンダルにより、長い長い低迷期を迎えることになった。
今それなりに人気が戻ってきているのは、チームスカイがゼロトレランスをうたいながら、クリス・フルームという偉大な選手を育て上げたからだろう。
その流れを見てきたあとで、ff14の不正ツールスキャンダルを見れば、
それらを使ったところで俺にはクリアできないし、劇的に簡単になるわけでもない。
レース一位を競うには有利にはなると思うけど、使ったところで自キャラがコエチカモリモリのワンパンマンになれるわけじゃない。
一段と窮屈になるのが嫌だなーっていうね。
まぁ、個人的にはズームハックはもちろん、actもダメだし、discordも外部ツールだし、ヌシ釣り用の各情報サイトも外部ツールだし、YouTubeの攻略情報も外部ツールだと思っているので、グレーのままが良かったんだけどねぇ。
公式フォーラムに書く場所なかったからついでにここに書いておくけど、
もし本当にレイドレースを公式にしてレギュレーションも決めるのであれば、ぜひ一度ロードレース界の話を聞いてみるのがいいと思う。
個人的にはこれまで通り非公式且つコングラあり、ツール発覚時には通常より重めのペナルティ(一発垢バン)とかでいいんじゃないかなーと思っちゃうけど。
最後に、これだけの最高のコンテンツを、長時間に渡って開発してくれて、見ているだけでもドラマチックで感動的なバトルで胸が熱くなるもんで、
それが最終的にユーザー同士のいがみ合いの場として終わらせてしまったことに関して、
何よりも吉田P/Dはじめ開発スタッフの皆様に本当に申し訳なく思う。
吉Pごめんよ(土下座エモート
https://anond.hatelabo.jp/20230130001756
増田の気持ちもわかる。大学の先輩が飲酒運転で人をはねたことがあるから。
とはいえ、大きな事故じゃなくて、道路に横になってたおっさんを、轢いて、他の人に怪我とかはなかった。
轢かれた人は、後で亡くなっちゃったんだけど。(酔っ払って道路で寝るの、本当に危ないよね)
そこからが大変だった。
判明したのは、部活のみんなに警察から「居場所を知らないか」という連絡が回ってきたからだ。目撃者がいたらしい。
先輩は、俺と同じ武道系の部活の人だったんだが、そこの部長が「警察に見つかる前に探せ!今日中だ!」って大号令をかけて、部員全員で探す羽目になった。
まあ、当時は飲酒運転はそこまで重い罪じゃなかったんだけど、やっぱり自首と逮捕で重さが違うのは俺でもわかったし、
人を轢いた先輩も、子供向けの武道スクールとかで一緒にボランティアしてて、すごいいい人でお世話になってたから、俺も部活のみんなと探しに出た。
俺はバイクを持っていたので、単車を持っている同期と一緒に外に出た。
実家周り、パチ屋、よく行ってたラーメン屋や雀荘、銭湯なんかも周ったけど、マジでどこにもいなかった。
しかも、途中で、ヤバメの連絡が来た。
みんな、不味いと思った。そのへんの人ならともかくとして、警察は身内案件の時はやたらとやる気出すものだ。警察OBの先輩ともよく話していたので、よく知っていた。
同時に、実は俺達は、先輩を見つけたくない、というのもあった。
ひき逃げの先輩は強かったのだ。身長は190cm近く、ウェイトも100キロ近くて、明●大のラグビー部と路上でモメた時も、相手の頭をカチ割って場を収めた、なんて話もあった。
当然ながら腕は全国クラスなだけでなく、あんまり言うと流派バレるかもしれんが、「喧嘩の時は急所を狙え」と教わる所なので、金的とか目つぶしを普通に狙ってくるはずだった。
正直、手負いの熊を捕まえる方がまだ気楽だ。(そういう意味でも、警察より早く見つけたいんじゃね、と話した記憶がある)
3,4時間はめぼしい場所を探して途方に暮れた俺達は、近くのコンビニで酒を買って、どうするか作戦会議、と称して休憩していた。
見つけるのも、嫌だし、仮に警察が先に見つけてしまった場合、連座で俺達も部長から罰を受ける…当時は冬。寒空の下、酒を飲む手が震えた気がする。
正直、酒の力抜きだと、すくみ上ってしまって、本当に殺されてしまうかもしれない、と思っていた。それほど先輩は強かった。路上で戦うのはごめんだった。
だが、日頃の行いが良かったからか、『先輩が見つかった。すぐ戻ってこい』という連絡があって、俺達はホッとして、大学までバイクを走らせた。
そこからが大変だった。
先輩は、なんと寮の友人の部屋にいたのだ。
(寮で何をしていたか、という話は2パターン伝わっていて、1つは部屋の隅でガタガタ震えていた、というもの。もう1つは麻雀してたよ、というもの。俺は流石に前者だと思っている)
「なんで、すぐに見つけられなかったんだ!」と部長が俺達を叱責して、大学の校舎の周りを2週させられた。
まあ、そんなことは別に些末なことで、部長が何故、先輩を探していたのか。その理由が理由だったのである。
ああ、と思った。部長が、大学の女の子を引っ掛けて、先輩と一緒にスノボ旅行に行くはずだった。しかも、その翌日の土日に。
女の子達に、自分の後輩がこれなくなった、と言わせる気か!と部長は怒髪天を突かんばかりに、激怒していた。
そういうことになった。
2人は、そのまま長野県のスキー場まで出かけて行った。しかも、人を轢いた先輩の運転で。運転する方も運転する方だが、乗る方も乗る方である。
どういう気持ちだったのだろう、と今になると思うが、当時は折檻が大したことがなくて、全員ホッとしていた。
それからが、大変だった。
(発見者の部員が署まで同行し聴取を受けたのだが、『なんかこいつ、変な日焼けしてね?』と質問され、笑ってはいけない事情聴取状態になって、大変だった、という話もある)
そして、女の子達と楽しい時間を過ごして、スキー焼けの後でパンダみたいになっていた部長は宣言したのだ。
1人のノルマは100人だった。部員は全員、大学でクソ寒い中、大声で署名をかき集めることになった。
正直、先輩が見つからずに、部長たちにボコボコに殴られた方がマシだったんじゃないか、と思うくらい恥ずかしかったし、時間の無駄だと思ったし、最悪だった。
まあ、その甲斐あって、先輩は大分緩い刑、つまり執行猶予つきで済んで、その後の就職活動等にも影響が出ない、という話で落ち着いた。あと、ついでに報道もされなかったはずだ。
(部長というか、その部活が法曹筋に強い人だらけだったし、警察OBも沢山知り合いなので、手を回したんじゃないかという話も聞いた。署名の意味とは…?)
今では、その部長や先輩たちとは繋がりはないとはいえ、学生時代はもうすこし血生臭くて、それよりヤバい事件が2,3個起きていたので、増田を見るまで、その話をすっかり忘れていた。(嫌な思い出だったのもあるが)
とにかく、人はみんな、そういう思い出を抱えたりして生きているのだ。あんまり自分を責めないで良いと思う。
ていうか、結構有名大学の話なので、当時、署名してくれ!とムサい男達に頼まれた人もいるかもしれん。その節はすまなかった。
この場を借りて、謝罪したい。
線引きどこにするかって問題なんよなぁ
ストーカー被害が出るから恋愛描写禁止しましょう! ってとこまで行く?
教科書検定みたいなの通した教材だけで性教育とかその他諸々教える?
簡単で高威力な爆薬のレシピ公開とかでも、爆薬なかったら違う方法考えるだけだと思うし
探してどうしても殺そうという人もいるし、たまたま身近に材料揃ってたからって行為に及びやすくなる人もいる
誰でもよかった系の無差別のやつで、めっちゃ強い爆弾が使われて、その被害者がそんな情報公開するなよっていうのは納得する人多いと思う
その爆弾の強さをじゃあどこで区切るかって考えたら、爆弾じゃなくてガソリンとか灯油とか包丁のことも考えなきゃいけなくなる
性描写も異常なことを異常だとわからないような描写とかは良くないと思う
まあ異常の線引きでまた揉めるんだけど
あと犯罪系の性癖(自首しときます)が生えてしまって犯罪行為に繋がってくってケースがどれだけあるかだよなぁ
車輪の再発明はどうしても起こるし、報道も無くせってのも無理あるし
(報道では興奮しないから問題にはなりにくいとも思ってるけど。自殺とかもまあ取り扱い方次第で。ただノーリスクにはならない)
結局線を動かし続けないといけないってだけの問題で、社会の状況と自分の意見のすり合わせでこれはセーフ、これはアウト~ってやってくんだから、まとまらないわ
安易に線を言われるがままに動かし続けるとどんどん表現の幅が狭くなってくから出来るだけ自由度は高くしておきたいよねーっていうのと、
線を動かそうとしてる人達が特定分野ジャンルに偏って問題視しがちって思ってしまうから、自由派っぽい考えが強くなっているのもある