はてなキーワード: 自転車置き場の議論とは
第一波のときはフェミニズムだのの話題なんてホットエントリーに全然上がってこなかったぞ。くだらない自転車置き場の議論がなくなってそれはそれは洗練されたインターネッツだったよ。
それが今や都の感染数が1日4桁もいくというのに、どーーでもいーーことで争い続けている。やれブランド名が気にくわない、やれエッチな絵がTwitterにあがってる。
お前らほんとコロナなめてんだろ。お前らにオトモダチがいたら絶対に忘年会だの新年会だのしてただろうなと容易に想像ができるわ。
お前らの足りないオツムでも経済と両立するためになにができるか?人がもっとも死なないためにはどうすべきか?そういうことをネットで議論する方が百倍マシだよ。
ほんとコロナなめてんじゃねぇよ。飲食店の感染対策は意味のないものとか考えてるだろ。そういう地道なところが大切でもあるんだよ。
お前らにとってコロナでさえ政権攻撃とかパリピ批判の道具に過ぎないんだろうな。そして感染数を茶化してるのをみれば今度は不謹慎厨になる。攻撃することだけが生き甲斐か?悲しい人生だな。寄付でもしろよ。ボランティアでもしろよ。フレンドホームにでも登録しろよ。
前向きに生きろ。お前らの脳がかわいそうだ。
ブコメ見てると、「まじで現政権を支持する30%で別な国作ってくんねえかな」みたいな発言をみたりする。
俺もそう思ったりもしてた。けれどそれこそが、分断の原因の一つではないかと思いはじめた。
某院長が、サイバー攻撃を受けたと思い、その原因を解説してくれたリプに、「あほ」といったツイートがある。そこにぶら下がっているリプに「解説したリプ送った人は我々の支持者をフォローしてないが敵はフォローしてるので解説者はおかしい」という旨の発言があった。発信者の是非を議論の内容でなく、属性で判断している。
この人を責めているわけじゃない。ただ、人間は誰しも自分がわからないことに直面すると、わかるところで無理やりにでも理論を完成させようとする。わかる範囲の内で関わろうとする。俺だって、そうしちゃってることもあると思う。まあ、自転車置き場の議論といえばそうだろうし、いまここに俺がこう書いているのだって、まさにそういう行為なんだろう。
むずかしいことはわからないけど、顔がいいから。むずかしいことはわからないけど、人柄が良さそうだから。むずかしいことはわからないけど、今支持してる人に反対してるから、賛成しているから・・・。
俺だって応援する野球チーム決めるときは「よくわからんけど地元に近いから」とかで決めている。
前置きが長くなったが、あえてこう書かせてもらうが、支持者は、民主主義が破壊されることや、文書が保全されないことの重要さをわかっていない。それと民主主義の関係と、それと自分の生活の関係も。
けれど、それを、「ばかだなあ」で済ませたとしても、なにも解決はしない。なぜならそれは彼らが感じている閉塞感の原因のひとつだからであり、その閉塞感を打破するために、より大きなものに自我を寄せる必要がある。
多くの人が信奉できる思想の受け口がない日本においては、「国」という圧倒的強者にみえるものがその受け口としての候補に容易になりうるのだろう。
権力に立ち向かう勇気ある記者を、半沢直樹の顔のスクショで威圧をするリプを送る人がいるのも、そういったことが関係しているのだと思う。難しいことを考えずとも、わかりやすい勝馬にのること。
民主主義の本質がわかっていれば、意見が異なるとしても、その姿勢を褒めることもあっただろう。
しかし、繰り返しになるが、「お前はわかってない」と言ったところで本当になにも解決しない。逆に、そう言われれば言われるほど、わかりやすい大きな権力を求めるようになるだろう。それが、将来的な自身の生活に悪影響を及ぼすとしても。いま、精神を救ってくれるのだから。
だから、真っ当な民主主義を目指すならば、安倍政治に反対するものも、反対するものの理由を知り、幸せになることを考え続けなければいけない。けして、切り捨てることではない。「こんな人たち」とは、民主主義国家の政治において、どの立場の人も相手側に言ってはいけないのである。