はてなキーワード: 自覚とは
みたいなタイトルのエントリが立ったら「学マスのバズりで久々にオタク覇権」まで読んだ段階で
下らないなぁって笑い飛ばして内容も下らないのを確認したら、下らないねーとかブクマに残して終わりでいいんだよ
もしくは浅い部分だけしか掬ってない事を批判するなりまだ一週間の学マスについて色々結論づける事を批判する事も出来るだろう
それが「○○知らないの?」 「○○が入ってるのはおかしい」 「○○というジャンルの流行じゃん」関係のコメント出してる奴らがいて本当アホだなって思った
同じ土俵に立って同じかそれ以上に歪んだコメントしてんじゃねえよ
本人は自分の方が本当の覇権コンテンツを知ってるとすら思ってそうなコメントが気持ち悪いわ
はてブってオタクを批判しながら自分がその批判対象と同等か未満な事に気付いてなさそうな人達が多いよね
下らねえもんはただ下らねえと笑い飛ばしてりゃいいんだよ
出生主義とは「産まないより産んで虐待する方がマシ」という思想である
多分出生主義者っていないぜ。
オマエが反出生主義で、出生主義と戦いたいからだろうけど、単に「自然」と逆らうバカな近代人の霊長ってだけだから。
スウェーデンの若い女性漫画家がそれについて、日本に来て物凄い衝撃を受けたって漫画描いてた
多分自分らが、インド人が牛の〇〇〇の隣で平気で飯食ってたり、カースト差別してたり、韓国人が犬食ってるのと同じ位の衝撃なんだと思う
うわ、土人!みたいな
まあその国ごとに背景も文化も違うけどさ
昔は子供産めない農家の馬詰の嫁は自殺するくらい義実家にいびられたっていうじゃん
多分、まともな外人さんから見たらそれと同じくらい下劣極まる慣習なのかもしれないね
って事を女さん達は自覚して生きていってね
偏見というのは、配慮すればなくなるというもんじゃないんだろうな。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
男女の役割の固定化についても思うんだけどね。例の出産の件とかね。
配慮に欠ける発言をバッシングして偏見を乗り越えたつもりになって、その内実は、しらずしらず別の認知のゆがみに囚われているってことはある。
例えば、女性の傷つきやすさを前面に出さないと大臣の発言を叩き潰せない、というところに。
男女の役割の固定化を理性的に批判するつもりでいて、ふっと自然に強さや傷つきやすさの自らの偏見が滲みでてしまうというか。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それ以上のことはあえてしないほうがいい。
しかし、偏見を解消しようとして、制度的公平といいつつも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、変なことになる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
俺なら
・色々試しつつ周囲の反応で察する
この三択を同時進行する。どれも大したコストじゃないだろ。
どれを実行するか悩んでる時点で楽観視してるのを感じるよ。本当に心の中からヤバいとは思ってなさそう(実際やばくないんだろうが。誰も他人の匂いなんか対してきにしちゃいない。
・家の中の物と家具・壁・床をアルカリイオン水か消毒液(名前わらんけどコロナの時みんなが使ってたやつ)でシュッシュしながら拭き取る
・これを定期的に続ける
・臭ってる絨毯・ラグはワンシーズンで買い替える(ニトリ・しまむら・イオンとかで安いのを買ってくる)
・マウスパッドとかリストレストも定期的に消毒でシュッシュする
・頭皮・体は二回洗う(乾燥するなら風呂上がりにクリームぬればいい)
30代も半ばになると、仕事でもプライベートでも年下の子と話をする機会が増えてきた。
「求めていないときのアドバイスほど嫌なものはない」というのは、その通りなので、なるべく意見を言わないように気をつけている。
でもそれって、かなり一方的で都合のいい考えじゃないかって、思うようになった。
直近であった具体例をひとつ挙げよう。
趣味の会で知り合った知人が、4月に新卒で就職したものの仕事が合わなくて悩んでいるのだという。
集まりのときに「仕事が本当につらい」「この前も身体が動かなくなって休んでしまった」「もう限界だ」という話をされた。別にアドバイスは求められていないと思い「へえ」「そうなんだ」とだけ返していたら、それでは足りないらしく「どうしたらいいと思いますか?」と尋ねてきた。
「辞めるとしても、失業保険がもらえるようになってからの方がお得かも」
「失業保険ですか?」
「1年以上勤めたら、自己都合退職でも月に十万ずつくらいもらえるはずだよ」
「1年は辞めない方がいいってことですか?」
「限界ならすぐ辞めてもいいけど、結局また別の仕事をしなきゃ生きていけないし、無職期間を長くしたいなら失業保険はもらえた方がいいよ」
「どういうことですか?」
「まあ、いろいろあるから調べてよ」
と、このくらいの会話をした時点で、相手はもう話を聞く気がなくなっている。「どういうことですか?」とは口にしているが、本当に説明してほしいわけではないのは、なんとなくわかる。
「仕事大変だよね」 「辞めちゃえば」と言ってほしいだけで、具体的なアドバイスなんて求めていないのだ。
それはそうなんだろうけれど、だとしたら、その話、私にする必要なくない?と思ってしまう。
自分自身、仕事が嫌いで、新卒で入社した会社は半年で辞めたし、その後も次の仕事を決めずに辞めたことが何度もあるし、失業保険とか、職業訓練とか、年金の免除とか、実体験を元にして話せることはたくさんある。
私には私の経験と考えがあって、誰かと会話をするのなら、なるべく自分だからこそ話せることを話したい。誰が相手でもいいのなら、私じゃない人に話してほしい。
共感してほしいだけでアドバイスはいらない、というのは、正しいのだろうけれど、「デートとか面倒だからホテル行ってセックスだけさせてよ」くらい下品な気がする。
なんというか、欲望丸出し。
「身体だけ貸してよ」は、言っている方も、下品さを自覚している気がするけれど「アドバイスはいらない」は、言っている本人は、まっとうな権利だと思ってそうで、それも嫌だ。
「アドバイスは求められていない」というのは、あくまでも年下の子に嫌われないためのテクニックであって、本質的にはナンパ術と変わらない。正義などではないはずだ。
合皮なのを差し引いてもバリええやんと思った色のadidasの靴を買った。
結局comfirmedで本革モデル出しまくってるとはいえ、一応スタンスミスだって合皮をスタンダードにしてるのだから。
ただABCマートモデルという一点だけが心にしこりを残してる。なんか根本的な部分の感性がヤンキー的というかオタク的なのかもしれない。あるいは自覚している以上にミーハーなのかもしれない。
肝心なのはそんな所じゃなく自分の好みに確信を持てるかという事だ、なんてのは分かっていてもいまいち開き直りきれない部分がある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/287016/1/1/
Twitter で事件を知ってビビってる女が多いのはなんでだろう、と思ってたけど自分達がやってるからなんだな。
心配だなぁー🥺
古谷徹が70にもなって安室ファンに手を出して不倫をし、安室の台詞を変えて愛をささやいたり、妊娠中絶させて暴力も振るっていたコンボで文春砲を食らった。
ファンを自宅に連れ込み不倫や情報漏洩もしていた鈴木、未婚詐欺で三股不倫をやっていた櫻井、男性声優の不倫は毎度ゲスの極みだ。
若い頃は顔が良いでもなくモテてなかったオタク男が、キャラの皮をかぶっていきなりオタク女に爆モテになり、下半身暴走するからなんだろうな。
アラフォー男、収入ある(2000万前後)、結婚願望ある、恋愛経験少ない、マッチングアプリは知らない人とのメッセージがとにかく疲れるから続かない
……という条件からすると結婚相談所で婚活するのが良さそうだと思うけど、
童貞のくせにサイズはでかい方なようで(全長17、円周13.5)、サイズも一因で性交渉に至らなかったこともある事を気にしている
……ことからセックスなしでのプロポーズとか無理だと思ってしまう。(ここを気にしている事自体が童貞をこじらせている自覚はある。風俗で脱童貞しておく、という選択肢も潔癖なので無理)
詰んでる……と考えたけど、あれか。結婚相談所で婚活進めて真剣交際に進むことがあればその中で相手と相談すればよいことか。相手にとって問題ないことが確認できればよいだけなので。
書き出すと整理されるものだな。
あのさ
おもしろいってのはさ
おまえだけのことなの
おれがおもしれーのはさ
女が偉そうにしてるの見ると、イラっとすることが多い。
コールセンターで女性に担当されると、つい不満をそのままクレームしてしまうが、男性が担当の時はかしこまってしまう。
チャットで問い合わせしてる時も、女性の名前だと敬語を使わなくてもいいやってなりやすい。
私は大学でフェミニズムの授業とったし、ジェンダー論はかなり研究したし、娘もいるのに、
それでも↑のように思ってしまうよ。実家の父とそっくりな行動で嫌になる。
自分の中にステレオタイプがあるんだな〜って自覚できても、抗うのって難しい。
だから男だったら尚更だろうな。自分が女性だって事実が死ぬほど悔しい。女同士でもそういう差別心があるから、保守派男の気持ちはわかる。
疲れた。こんなわたしをどうにかしないといけなかった。なぜそう思うのかわからない。自分が本当に悲しい人間だからだとも、本当にそう思うのかもわからない。だけどわたしは「こんなわたしをどうにかしなくてはならなかった。」という強い意志をもって生きたいと思っている。 嘘吐きだった。私は嘘吐きだという自覚がある。いわゆる偽りの私として生きている。あまりに最近、ちょっと新しい人脈の人たちと知り合い、「〇〇ちゃん、一ヶ月間スペイン一周の旅
もう電燈もガスも鉄道もある、道義も人情も仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。
このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、
アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。
正しい思想というものは、オレと大衆の優劣感のあるところから生れたものではあり得ない。
つまり、たゞ人間、キリストは原罪をとき、孔子は生活の原理に仁を見た。
何千年逆転してもかまわぬ。
モロモロの何千年の時間、カミシモはすべてムダであったと見なければならぬ。
人間性は万人に於て変りはない。
罪人に於ても聖人に於ても変りはない。
この自覚の行われざる社会に於て、いかなるカミシモをつくりだしても、折あれば中世の群盗精神へ逆転する、それだけのものにすぎないのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html