はてなキーワード: 自己肯定とは
「普通」は「勉強は嫌なもの」だけど、なんかやはりその価値観は植え付けられているものだと思う。
嫌と感じる理由に「やらされてるから」「分からないから」があるが、分かった時の快感はやらされてる感を覆せる気がする。
とはいえ「勉強楽しい」と言うとそれはもう奇人変人の類いと呼ばれてしまう。オタクが筆頭。はてなもその類ですよね(悪口)。
かと思いきや「知識がある」風を装ってマウントを取りたがる人が山ほどいる。勉強して得た知識は紛い物で、それ以外の手段で楽して知識を得て「みんなの知らない知識を知ってる俺スゲー!」ってなりたくて、義務教育で習った基本知識と反するような「絶対勝てる投資」とか偽医療とか怪しいセミナーとか宗教とか引っかかる。ファストチェックなどされてないまことしやかな噂こそ本当なんだと。「俺は真実を見分けられる天才なんだ」と。
承認欲求の一つであるとは思うんだが、他人からの承認というよりは自己肯定なのかな。とりあえず「勉強が好きな奴は頭がおかしい」と言う割に知識人ぶりたい人多いなと思って。
部活(テニス部)の先輩、委員会の後輩、公文の同級生(同じ町内の別の中学)
初彼女(中学からの同級生)、二番目彼女(高校のクラスの同級生)、三番目彼女(高校の部活の後輩)
・浪人中
四番目彼女(予備校の同じコース)、現役で進学した高校時代の同級生、バイト先(居酒屋)の歳上フリーター
・大学時代
五番目彼女(同じサークル)、セフレ後に六番目彼女(同じ学部学科)、同じ大学のバイト先(カフェチェーン店)の先輩、通ってたジムの受付の女性、インターンで知り合った女子大生、授業が数個被った学科の後輩
大学のサークルの後輩、中学時代の同級生(酔った勢いで電話をかけたらそのまま飲むことになった)、現彼女(職種は違うが会社の同期)
マッチングアプリはびびってやらなかったし、去年ダウンロードしてみたが設定が面倒臭くて結局やらなかった。風俗は大学入ってすぐに新歓で知り合った先輩と行ったピンサロが一回。多いか少ないかは人によるだろうが、計18人とセックスをした上で言わせてもらう。セックスで承認なんかされないし自己肯定もされない。性的快感があるだけ。セックスで救われるみたいな話を見る度に馬鹿じゃないかと思う。セックスなんかより、たまに帰省した時の両親との会話や母親の手料理の方が余程救われる。
ありえねえだろ。
これは99%虹夏しかありえねえって。
ジャケも虹夏だし。
底抜けに明るいわけじゃなくて、陰は陰としてあって、その中で前向きに生きてる感じ。
そうやって聞いてくと「親を失ったという心の傷を音楽の力で癒やし続けることで陽キャとして成立させている虹夏のキャラソン」だってことが確証に変わっていく。
単に音楽や青春が好きってよりも、音楽を好きという感情を共有できる仲間たちとの青春の中にいることで油断した途端に崩れそうな足元を固め続けている感じというか。
虹夏って基本陽キャでリーダーシップあるんだけど、結局は過去の傷から立ち上がった思い出が人格のコアになっているっていう、ある意味可哀想というか痛々しさを抱えたキャラなわけで。
40間近
何でこんな遠回りしてるのに、こんなにどん底にいるんだろう。
極論、自分はただ可愛い物や綺麗な物に囲まれていればそれでよかった
周りに可愛い物があって、自分がそれを作れるようになりたいだけだった…
子供の頃に偶々ゲームで手に入れたフィギュアの美しさに衝撃を受けて、ああいうものを作りたいと思ったのに未だ何も作れていない
誰にも言えず、共通の話題を持つ友達もなく、自己肯定が低くて無気力な日の方が多く、幼稚な目標だと自分に言い聞かせた
自分の心に正直に生きられてない上に、自分の心に蓋をして出も歩んだ道は下り道
もし過去にもどれるならあのフィギュアで出会えなかったことにしたい
あの時、フィギュアに合っていなければこんな命題に悩むことは無かったんだ…
「泣いたら私が悪者じゃない!!」「泣かれたら困る」
自分も毒親育ちなんで分かるんだけど、元増田は奥さんに感化されないように、あと子供に奥さんが同じようなこと言ってないか気を付けてあげて欲しい。
文章読んでると奥さんのせいで元増田がおかしくなってそうなんだよな(元増田は否定するだろうけどモラハラ毒家庭被害者みたいな兆候がある)
毒家庭育ちが毒親みたいになるのはあるあるなので、本当に気を付けて。増田は自分と子供を大切にしてくれ。
既にほかの人から「奥さんがおかしい」って指摘も入ってるけど、もし可能であればリアルで誰かに話して
「奥さんがおかしい」ってジャッジを肉声と映像で自分の脳内に入れた方がいい。精神攻撃受けたときの防御壁になるから。
何でもいいから奥さん以外の話のわかる人とつながってくれ。浮気じゃなくて命綱だから。モラハラと毒被害者で一番危険なのは閉鎖環境と孤立な。
あと、自己肯定感はすぐ自己評価や自己効力感と混同されるけど「自分凄い」「〇ができる」「栄誉を受けている」って自認のことではない。
巷に流布する「自己肯定感の低い人にありがちなこと」はでたらめだから真に受けないで欲しい。
自己肯定感って言葉が出てくるまで考えもしなかった人、性犯罪被害者とか血統主義とかのやむを得ん理由以外の自由意思で子供作ってる人は
この増田(anond:20221114191846)、服用による改善の個人差が気になっていたのですごい参考になった。
ストラテラを服用しているみたいだけど、私はコンサータを服用しているので、そのレビューをしてみる。
同じくコンサータを服用している人、もしくは治療薬を服用するか悩んでいる人の参考になれば幸い。
あと自分語り。
30代後半男性。ITエンジニア。20代はディレクター、30代からITエンジニアに鞍替えし、今に至る。
20代中盤でうつ病になり、サインバルタを処方される。その後ADHDやらパーソナリティ障害も発覚し、コンサータ含め色々処方され、現在も治療中、服用している。
ADHDの症状に記憶障害がある。鳥頭ってやつ?私はずいぶん苦しんでいたけど、コンサータを服用してかなり改善された。
プログラムを触る人にとってこの症状は致命的で、考えたことをすぐに忘れるから論理が成り立たなくなって構築していたプログラムがすぐに崩壊する。
コンサータを服用してから、ある程度だけど論理的思考が可能になって、業務効率も上がった。
余談だけど、今でもオブジェクト指向に則った構築はできない。
上とちょっと被るんだけど、記憶障害は会話のキャッチボールにも影響が出る。
今までは相手の会話が頭に入ってこなくてそもそも議論というか会話自体ができなかったけど、相手の会話をインプット、整理できるようになって、ある程度だけど議論できるようになった。
ただ長考することもある。
服用するまでは、2つ以上タスクがあると優先度を無視してあっちらこっちら気移りしながら業務をしていた。
服用後、ある程度は集中して業務をこなせるようになった。
ただ本当にある程度で、2時間くらいしかもたない。(個人差あり?)
これが一番大きいと思う。
服用前はそんなに意識はしていなかったんだけど、服用して「普通」を知ったことで、自分は劣っているんだという認識が強固になって、劣等感が増してしまった。
割り切れればいいんだけどね。なかなか難しい。
先の増田にもあったとおり、趣味が義務になって楽しくなくなったからなのかな。よくわかんない。
現在、36mgを一日二錠服用しているけど、保険適用で一か月分で7千円くらいかかる。
診察費とかも含めると一回の通院で1万オーバーになる。他の薬代も含めると1万5千円くらい。これには参った。
なので自立支援の制度を利用させてもらっている。薬代で困っている人は区の制度を見てみてほしい。
なんであんなに高いんだろうね。
当たり前なんだけどコンサータはADHDの症状を改善させる薬なので、ADHD以外の症状には変化がなかった。
コンサータ服用前後での変化に驚いて、これなら他の症状も治るんじゃない?って期待してしまった自分が悪いんだけど。
ただ、私はパーソナリティ障害も抱えているから変化がなかったのかもしれない。
服用して集中力が向上→私もやればできるんじゃん→自己肯定に繋がるから、人によっては変化はあるかもしれない。
先の増田では勃起力が弱まったってあったけど、幸いにも私にはそういった症状は出ていないみたい。
年齢相応の勃起力ではあると思うし、デイリーで性欲の発散もできる。これも個人差なのかな。
色々弊害はあるけど、服用してよかったと思っている。というか私の生業で生きていくためには服用するしかなかった。
ADHDの症状は概ね改善されて、業務もなんとか普通の人たちに追いつけている、たぶん。
ただ、自分が劣っているという劣等感が強くなってしまって、治るはずのうつ病をずっと引きずっている。
一昨年?にコンサータを服用するには特別なカードが必要になったんだけど、そのカードを持たされると、改めて私は劣っているんだなと考えてしまったっていうのあると思う。
もしコンサータ、ストラテラのようなADHDの治療薬の服用に迷っていたら、先の増田にもあるとおり、まずは担当医に相談するのがいいと思う。
それを与える役目を負っているのは"親"だから
子に安全地帯を与えられない人は本来は親になっちゃいけないんだよなぁ
けど、もう既に生まれちゃったものは仕方がない。親チェンジして生まれ直す事できないしな
出来るだけリアルでは人に優しくする以外に具体に出来ることはないんじゃないか?
帰属意識の持てるコミュニティとか考えたし、昔、マイノリティ向けのSNSを運営してたこともあるけど秒で投げたよ
結局、人間は生きづらさで繋がっちゃロクな事にならないんだ
繋がるなら会社の人にも見せても大丈夫な『公的なぼく・わたし』でないとダメ
ただ、人に見せてもいい部分ってどんなポンコツでも必ず持っているハズなのに、
かつてゲマインシャフト(農村、ギルド、教会)の中にいた人間たちはそこに自分たちがいるは必然であり、昨日と今日と明日を来年も同じことが続くサイクルと捉えて、その中で生きてきた訳だ。必然の中で生きているので自己啓発や自己肯定、他者からの承認なんて必要ない。しかし産業化の過程でゲマインシャフトは解体されて作為的に組織されたゲゼルシャフトになった。そこでは人々は自分たちがここにいる意味を自分で作り出さなきゃいけない。時間の流れは主観的なサイクルから客観的に一方向へ不可逆に伸びていく直線矢印になった。その時間の流れと巨大なシステムにたまたま適応できた人間は永遠に自分の生きる意味や価値を見出すために「病的に」足掻き続ける。