「自己憐憫」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己憐憫とは

2023-09-05

anond:20230904223603

一方通行欲情なんだから性癖と言うべきでは?

相互関係ゲイレズとはまったく違うよね

おまえらみたいな他者への当てこすりと自己憐憫だけの生き物嫌いだわ

2023-09-03

我々は増田のBである

自尊心はまだない。

親譲りのアスペルガー子供の時からヒトモドキをしている。

何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。

他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。

ウィトゲンシュタインコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。

まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的共感能力空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ

一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間コミュニケーション曖昧さが本当にもう耐えられない。

明確で論理的で常に同じ意味言葉が扱われることは、法律世界においてさえ存在せず、裁判所弁護士裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧ものがその場限りの意味解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。

からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。

恐ろしいのは、その99:1が出来る人間割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。

いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。

きっとこれは色盲と同じような物なのだろう。

彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出し必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。

犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?

ふざけているわけではない。

色盲にとっての戦隊ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉機微なのである

これはもう大変に厳しいことだ。

きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃん文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。

だってそう思う。

だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ

これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。

今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的パズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである

普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。

こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。

何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから

なんともしんどい人生だ。

これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。

私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。

行き詰まった人生方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家芸術家になりましょう」「発明家研究者に向いてますよ」と無責任言葉が返ってくる。

実に下手くそに「貴方社会不適合者なので、象牙の塔なり自分アトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋善意によっての社会から排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。

その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。

これはもう精神的なリストカットしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。

私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。

もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。

いい加減疲れた

人生の先行きのなさが、生来まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。

これ以上我々を責めないで欲しい。

責めるべきは、我々のような人間人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか

本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから

2023-08-28

闘争の週末AC6初週、インターネットテレビゲームの天敵であることを魂で理解した

皆、焦り過ぎだ。

1万円弱払った新作ゲームを皆に送れまいと2日間でクリアしようとうする謎の焦りがSNSから溢れてくる。

それを煽るのは無数のクリア報告とボス戦のネタバレ

あのキャラに苦戦した。

コイツ強すぎる。

どうだ参ったか

画像と共に貼られるまだ見ぬボスキャラの姿、

攻略法

撃破演出……

うんざりだ。

インターネット攻略情報無償でばら撒くからテレビゲームは手探りの面白さを失ってしまった」

この言葉は単に自分攻略情報を見るのを我慢できない精神薄弱者の戯言だと僕はずっと思っていたけど、

それは間違いだという確信に至るにはこの数日間の体験は十二分だった。

チュートリアルボスが物凄く強くて簡単には勝てないことを、SNSの噂話より先に自分の体で体験たかった。

コイツ強すぎるんだけど俺がおかしいんか!」と自分タイムラインで皆と同時に叫んで、皆が同じことを言ってるのを見て安心たかった。

でもAC6の発売日、俺は必死になって仕事を終わらせていて、土日に持ち込まずに済ませるために鬼の形相になっていたんだ。

から皆がチュートリアルヘリをぶった斬り終えてから、俺はようやく闘争世界に降り立った。

とっくに知っている「チョウ=スゴク=ツヨイ=チュートリアル」……

予定調和の苦戦……

そうだね皆が言ってた通りだね……

久しぶりにACに乗り込んだ自分が完全にナマクラになっていた事に対しての自己憐憫よりも「あーこれは確かに強いな―」と噂話を実体験していくことの感動が勝ってしまった。

辛い……感動がなかったわけじゃないよ。

皆が言うように本当に強いじゃんという都市伝説の目撃体験ちゃんと楽しめはしたよ。

でもさ、フロムが俺たちに突きつけたかったのって本当に「コレ」なのかな?

「え?俺はチュートリアルで負けるほどゴミなのか……俺だけがゴミ……俺はゴミ……

地雷伍長……

アップルボーイ……

エイトボール……

もうムリ強化人間になろ……皆もう先に進んでる……俺だけ置いてけぼり……」

そんな絶望だったんじゃないのか?

皆が同じように苦しんでると知らないままに挑んでボコボコにされて、

自分正真正銘クソザコナメクジだと思い知らされる所までがチュートリアルじゃなかったのか?

「ファイアワークスならきっとクリアしてた。俺だから駄目だった……」

そんな気持ちに包まれなきゃいけなかったんじゃないの?

でもその機会はSNSが全部ぶっわした。

無数のニュースサイト拡散していった。

10年ぶりの再開に対しての手洗い歓迎会

それを知らないままで挑まなきゃいけなかったんだ。

なんで俺は1日SNS我慢できなかったんだろう……。

本当にショックだ……。

というかまだ全然進んでないのに数々のボスの姿を知ってる。

テレビアニメOPでまだ存在さえ知らされてないはずの四天王が全員顔なじみになってしまうような状態だ。

インターネットテレビゲームは相性が悪いね

認めた。

お前らが正しかった。

俺が間違っていたよ。

2023-08-19

anond:20230819093857

要するに環境に甘えてるだけでしょそれ。無職なん?カネ稼ぐにはモノ作って売るか時間を売る以外に無くグダグダ自己憐憫して甘えてる暇なんてないんだけど。稼ごうとしたことすらないん?

anond:20230819090958

害悪なのはお前だよ。全身が甘えに満ちた自己憐憫おじさんを甘やかすな。

anond:20230819052621

なってるわ~俺今絶望的な気持ちになってるわ~って自己憐憫典型的なナルシズムだからな。グダグダ言ってねえで即やれやボケって話だから。っていうかそもそも自分次第でどうにでもできるのに何が絶望的なん?自分気持ち一つで変えられるなら絶望どころか希望しかねえじゃん。そりゃ他人政治絶望するならわかるよ?だって他人政治個人の力じゃほぼ変えられねえもん。でもお前の身一つはお前次第で即変わるじゃん。そんなん希望しかないじゃん。起業倒産を繰り返して結局成功せず借金抱えて60迎えた老人が自身能力絶望するならまだわかるけどよ、グダグダ言い訳して何もやってねえだろお前。語ってる暇があったらさっさとやれよ。

2023-07-28

正直弱者男性フェミニスト自己憐憫サイクルって凄く似てるよね

自分が恵まれていないのは社会のせい(認知の歪み)

社会に対して過剰な要求をし始め、身内で褒め合う

当事者の横暴な要求に対して世間は拒絶

自分たちは差別されているという感情を抱き、ますます思想固執する

2023-07-27

anond:20230726210123

これにぶら下がってるような「弱者男性」語りする人のほとんどは弱者じゃなくて自己憐憫気持ちよくなるのに女性を利用したいだけだよね

女性被害を訴えた時と強者男性がイキってる時のどちらに多く湧いてるか見れば一目瞭然

要するに弱い相手を見抜いたうえで「こいつより自分の方が立場が弱い」と高圧的に自分語りして気持ちよくなっている連中

弱者に含まれ男性普通に存在するが、君らのどこが弱者男性だよ

2023-07-16

anond:20230716143745

これが一番自分感想に近いな。

あの本を読むまでの眞人は「母親死ぬし、父親デリカシーないし、自分はなんて可哀想なんだ」という自己憐憫で頭がいっぱいなんだよな。

でも、眞人が「母親を亡くして、新しい家族の夏子さんと上手くやっていけるか不安であるのと同様に、夏子さんだって「姉を亡くして、新しい家族の眞人さんと上手くやっていけるか不安」だったんだ。眞人はきっとそれに気付いたんだと思う。

父親だってちょっと無神経なだけで決して悪い人じゃない。眞人のことを真剣に愛している。そういうことに気付いていくきっかけがあの本だったんだと思う。

ただまあ、あの本を読む前後で区切るのは正しいと思うけど、読んだ後での成長が一切ないかと言うとそんなことは無いと思う。ペリカンの死とか、「母さん」と初めて呼ぶところとか。あの本を読むことで「成長した」というよりも、「殻を破って成長出来るようになった」というのが正しいと思う。

2023-07-15

下品さを売りにするコンテンツを無くそ

パンイチ全裸男が海外評価されている。

嘆かわしいことだ。

下品であることの価値人類規模で高すぎる。

子供向け漫画雑誌は相変わらずウンコの話をしていて、少女雑誌イジメの話をずっとしている。

老若男女が誰かの悪口を言い合い、それを健康的な雑談だと思いこんでいる。

下品さそのものを楽しむのをいい加減やめて欲しい。

何が楽しいのだろうか。

モラルに縛られることを拒否することにより自己効力感を回復しようとしている?

下品であることを楽しむのは危険行為だ。

下品さそのものを求めればそれはヒートアップしてより過激非常識なことを求めるようになる。

最後には醤油をペロペロしたり逮捕されたりで人生崩壊する。

下品さの追求は最初から最後までチキンレースしかない。

どこまで社会規範を破れるかというゲームだ。

全裸で人前に出るのは犯罪だが、ピアノ股間を隠してチンコで鍵盤を叩くのならば許されることをビッグアイディアとして褒めたたえる幼稚な遊びだ。

そうやつてギリギリを攻める行為に対して、禁忌だとか挑戦だとかのやたら仰々しい価値を持ち出して過大評価をしあうのをやめろ。

度胸試しなんてのはそれをするぐらいしか価値証明する手段を持たないワテクシへの自己憐憫でしかない。

そんなことをすればかえつて自分達が傷つくだけだ。

その傷への癒やしを下品さに対する賞賛で補おうとすれば、いつかは裁判所に辿り着く。

そこに待つのは法による裁きと、さんざん持ち上げてきたはずの人間から冷笑軽蔑嘲笑侮辱である

下品さの高めあいは、無責任チキンレースしかなく、そこに本当の友情尊敬が生まれることはない。

下品さをコンテンツとして遊ぶのをいい加減やめろ。

イッキ飲みで人を殺したり、パワハラで人を殺したり、ネットリンチで人を殺したり、そうやって殺し合うことの何が楽しいのだろうか?


追記

下品なのはテメーの方だーヒャッハー」とコメント欄下品な袋叩きにあったので、最後の一行を削りました。

下品であることを憎むあまり自分自身もまた下品になっていたようです。

憎しみは人から品格を奪います

心穏やかな世界であることを願います

2023-06-15

anond:20230615180603

しかに、ゴキブリハイエナ言葉が相応しいのは、自己憐憫に浸りながら一方で他者への攻撃性の発露に余念がない、雑な憎悪クリエーターだわ

2023-06-05

こんな世の中 とかい自己憐憫

はてなで見る子供を産む産まないの話

好きなことをしたいという理由一本ならわかるんだけど

こんな世の中に産んだらかわいそうみたいな言い方を見るたびに

ホロコーストとかポグロムとか人類色々あったんじゃんよお!と

奴隷とか征服とか戦争飢饉難民と、ついこの間でもアフガンタン

飛行機から振り落とされる人の映像みて

いつだよ

理想時代とやらはいつだよってなる

2023-06-01

anond:20230601121249

日本はもうダメだ」自己憐憫ムーブみたいなのも古臭くなってきたなと思う。2010年代までの空気感をいまだに引きずってる老害という感じ。

2023-05-29

anond:20230529192823

どうせ増田だしお返事も返ってこない前提で書きます

あなたマッチングアプリで見かけた男性に感じたことが「引け目」や「私なんかが...」という遠慮や卑下ではなく「気持ち悪さ」「胡散臭さ」なので、あなた自己肯定感が低いのでは無く、プライドが高いのです。自己肯定感が低いのはもしかしたら本当かもしれないけれど(この文面からだと残念ながら私にはそうは見えなかったけど、あなたの背景を何も知らないので決めつけはよく無いわね)、プライドの高さは自己肯定感相関関係には無いからね。

失敗したらカッコ悪いから色々理由付けて恋愛結婚忌避しているだけで、それを「自己肯定感高い人しか恋愛なんか無理(笑)」と自己憐憫に逃げるのは間違っていると思います。あと恋愛結婚している人は自信満々だねと若干ひと様をdisっているのも正直よく無いです。増田に落ちてる変な人よりはずっとマシだけど。

その前述の自己憐憫認知の歪みがあるし、もう少しあなた自身を「客観的に」分析してみることが大切なのではないでしょうか。

こういうタイプの人って、己の内側に意識が行きすぎて、自分のこと考えるので精一杯で他者不在なことが多い気がする。まだ若いんだから頑張ってちょうだい。

自殺未遂をした話

【本記事自殺奨励するものではありません】

自殺ニュースを目にする度に羨ましく思う。

いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザ検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る

からいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。

とはいえ自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。

自分20代前半で、シス男性身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学卒業しており、家族との関係円満で、住む場所もあり、友人もいる。

社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。

そんな自分が死にたがる理由は色々ある。

新卒入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。

微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。

まれから一度も恋人ができず、未だに童貞であること。

クリエイティブ趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。

そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。

そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。

二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。

もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。

今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。

から死にたい

前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分自殺未遂をした。

もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。

その日は突然だった。

いつものように仕事休みTwitterで「死にたい」だの「いか自分が無価値人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。

ネクタイで首を吊ろうと思って、全身スーツに着替えた。

失禁があると聞いていたので、足元にタオル珪藻土マットなどを敷いた。

最期音楽を聴いていたくて、Spotifyを起動した。

死ぬとしたら遺書遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。

その日はもう遅かったし、一人暮らしだったか邪魔は入らないと思った。

何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。

ネクタイ片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。

息苦しかったが、それだけだった。

意識朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。

姿勢を変えて、うつ伏せで首を吊ることにした。

結果は同じだった。

大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。

曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。

自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。

今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。

あれから日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。

満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。

とはいえ自分は今生きている。生きてしまっている。

これから自分自殺をしないとは限らない。

もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。

でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。

より良い自殺のために。

2023-05-26

HSP増田がバズってるから

HSPテストかいうのググってやってみようとしたけど「Q1: 人より考える時間が長いですか?」ってなんだよ知らねぇよ

大体考え事の深刻さで考える長さなんていくらでも変わるし、そもそも他人が何か考えてる時間なんて知らんから比較しようもないだろ

これさあ、自分は繊細とか感受性豊かだとか思いたい奴が回答して「私って繊細……生きるの大変……つら……」って自己憐憫に浸るだけなんじゃないの?となんか馬鹿らしくなったので画面そっ閉じしたわ

 

2023-05-23

母親のどうしようもない病気について

まあどうしようもない病気でした。

小4くらいかヤングケアラーっていう奴を16年やって、態度のでかい介護病人から散々罵倒されるのに疲れ切って、ゴミを捨てて今の会社で4年目。人生めっちゃ楽。はよ死にたい。誰か殺してくれ。

マジで16年全部無駄にした。孤独孤独は楽よ。でも死にたい。殺してくれ。アレはいまだに元気でアレらしい。ホントにどうしようもない。16年アレに吸われたの、なんなん。アレに私の16年消費する価値あったの?どう考えても無いでしょ。アレは不幸を撒き散らす兵器よ。アレが生きがいだったの?なら死んだほうが良い。どっちにしろ死んだほうが良い。ゴミの子供はゴミだよ。ゴミみたいな人生送るほどの気力もない。

アレって何をモチベーションに生きてるんだ?あの「私は世界理不尽に嫌われてるし、最低の親不孝息子を持った世界一の不幸者」って自認で、生きるモチベーションなんて湧くの?酒飲むため?酒のんで暴れるため?世界を呪うため?私は不幸の自己憐憫でベロベロに酔っ払うため?まあなんでも良いんだけど。

あーーーーーー有休って余計なこと考えて余計に辛くなるな。死ぬ仕事に没頭するかしたい。

2023-05-09

晴れた日の踏切

その前日は、プロジェクト責任者として費用対効果目標に至らず、詰められ、報告と対策提案は翌週に持ち越しになった。

その日は燃えるゴミ収集日だった。虫が苦手だから燃えるゴミの日は何が何でもゴミ出しをせねばならない。

ギリギリ近所を歩ける格好に着替え、靴を履き、ゴミ袋とスマホと鍵を持ち、すやすやと寝ている夫を背に玄関を出る。ごみ収集所に向かいゴミを捨て、天を仰ぐ。雲ひとつない晴天。

死ぬならこんな綺麗な日がいい。

ふと思い浮かんだその気持ちに、抗うもなく、肯定するもなく、ただ足は近くの踏切に向かって歩いていた。

踏切までは徒歩10分ほど。線路沿いをぼんやりと歩いた。

永遠を誓ったはずが独身自由さに戻るため離婚したいという夫。人の意思自由から

何度も調整し言質をとり議事録にも残っていることを認めず責任を問う経営層。立場上、弱音を吐くことを他の従業員役員に見せることはできないから。

期日を過ぎても成果物を提出してくれない取引先。他の案件も忙しいなかで大変だから

疲弊するだけで工数ばかりがかかり成果の見合わないプロジェクトを売った営業担当。彼には達成しなければならない売上目標があるから

人にはみな都合があり、都合のぶつかり合いで世の中は意思決定がなされていく。

都合を主張するのが苦手な自分は、かと言って『察しろ』と開き直ることもできず、都合と都合の調整に追われ、今日まで来てしまった。ただ疲れてしまった。

連休が終わればまた都合に振り回される人生だ。

自分の都合などとうに捨てた。何がしたかったのかも分からない。

いや、正確には一つあった。夫と老人になってもただ二人で緩やかに暮らしたかった。

しかしそれは叶わぬ都合だった。では、私にはもう望むものなどないのだ。

踏切前まで来る。カンカン警報がなり遮断器が降りる。

シミュレーションのために1本、2本と踏切の先で通り過ぎる電車を見る。 駅の近くにあった踏切から電車は遅く見えた。

この速度なら、跳ね飛ばされるよりも車輪下に入り込んですり潰されかねない。それはとても痛そうだ。

電車が通過し遮断器があがった。踏切に入り、横に遠く伸びる線路を眺めた。

少し先にいくつかまた踏切が見える。あちらの方が、電車の速度が出ていそうだ。

気づくと歩みは次の踏切方面に続く道に向かっていた。

次の踏切に来た。狭い踏切だ。様子を見るため電車を待つ。

手押しのカートをひいた白髪のおばあちゃんがよろよろ歩きながら私の後ろにいるのに気がついた。

いま踏切にとどまれば、このおばあちゃんグロテスクものを見せてしまうかもしれない。

そう思うと、踏切で止めるべき足は止まらず、渡りきってしまった。

ここは住宅街線路沿いには家が連なる。

次の電車を待とうと踵を返そうとしたら、線路脇の一軒家、2階ベランダ洗濯物を干している女性と目があってしまった。踏切前をふらふらしている人間なんて不審者しかない。

居心地が悪くなり、線路から見えた一つ奥の踏切に向かおうと思い、歩き出した。

その踏切には「いのちの電話」の看板がかけられていた。

いのちの電話、かけたことあるよ。ただ、電話口で「さあ話して」と構えられても何から話していいかからずロクに話をせずに一言謝り切ってしまったけど。救われる人もいるのだろう。

閑話休題、その踏切は道幅の割に意外と交通量が多かった。どこかの抜け道になっているのかもしれない。

人に見られると思うと憚られた。遮断器に入ってる間に緊急停止ボタンを押すかもしれないし、白昼堂々、あまりよろしくないものを見せるのは望んでない。

ここもダメだと歩き出した。首都圏ベッドタウン連休初日の朝。

都合よく人のいない踏切や道などなく、次の踏切、次の踏切、と歩いている間にとうとう隣駅についてしまった。

ゴミ出しのために家を出てから3時間半が過ぎていた。

ついぞ踏切で立ち止まることはできなかった。

駅前コンビニコーヒーを買って、ロータリーのベンチに座る。

子供連れの男女。老夫婦。

私以外みんな幸せそうに見えたが、そんな自己憐憫に浸っている自分が恥ずかしく、思わず下を向いた。

ベンチの足元には花が咲いていた。小ぶりで白い可憐な花。

じわりと視界が歪み、涙が目に溜まり、地面に落ちた。

来た道を戻りもう一度踏切行脚をする気力も体力もなかった。

スマホに入れたSuicaで改札に入り、駅のホームに設置されたベンチから空を眺めた。

今日でなくて、明日でもいいかもしれない。いや、明日するなら今日でもいい。

今日なら、夕方でもいいか今日ずっと考えて、明日結論を出すのはどうか。

猶予は5日間あるのだから焦らなくてもいいと結論を出すまでに2時間が経っていた。

その日はおとなしく帰宅し、ただ泥のように眠った。

次の日は曇りだった。踏切を思うことはなく、持ち帰っていた仕事を片付けるためにPCを開いた。

作業をしていると気が紛れて、やがて連休が終わった。

詰められるかと思った会議は一緒にプロジェクトに入っていた先輩がフォローに入ってくれて、なんとかなった。

問題は山積みで何も解決していないが、もう一度生きようと思った。

2023-03-30

自己主張しろ甘えるな

SNS文句を書くな。

 

現実自己主張しろ

 

ネットに「社会はこうなっているか自分は報われない、可哀想だ」と書く行為はただの受動行為にすぎない。

同じような境遇の仲間といつまでも傷を舐め合い、甘え合い、他人自分に何もしてくれないと嘆く。

他人の作ってくれた糧を食い、他人から供給されるエンタメを見て、他人治安を守ってくれている世界で寝る。

お前は自分世界自分で変えられない赤ちゃんだ。

他人への一方的ヘイトネットだけに書き込み、さも世界を動かしたような感覚に一瞬陥っている。

責任はすべて他人にあり、自分には一切の非が無いといった空想に浸っている。

 

お前の正体はただの自己愛を拗らせたコミュ障だ。

努力をしないで自分が称賛されたいだけだ。

自らは何も与えずに他人に優しくされたい幼児なのだ

他人自分人生責任押し付けているにもかかわらず、努力なしに自己称賛だけはされたいナルシストだ。

 

よく聞け。

お前は社会の一部だ。

社会というシステムには穴がある。

お前がその穴に飲み込まれてるのが問題だ。

 

お前な自己主張も行動もしないか一方的他人にひどいことをされていると思っているだけだ。

SNSに書き込んでもそれは行動にはならない。

自己憐憫に浸って甘えていても決して現実は変わらない。

 

社会はお前を待っている。

お前が何を思い、何が不満なのかを直接ぶつけるのを待っている。

そしてその行動を必ず受け入れる。

 

お前は特別存在ではない。

この世の主人公ではない。

特別称賛される才能もない。

 

悲劇お姫様ごっこはもうやめろ。

#毒親育ち #発達障害 #AC etc

 

自分悲劇ハッシュタグをつけるのはもうやめろ。

 

いつまで他人のせいにしている?

 

お前は何者だ?

お前はどう感じている?

お前はなにがしたい?

 

自己主張しろ

現実自己主張しろ

SNSアカウントを消せ。

 

受動的になるな。

能動的であれ。

 

beでなくdoで行動しろ

 

「○○したいけどできない」じゃないんだよ。

「○○したいからする」んだよ。

 

行動しないなら他人のせいにするな。

全て自分のせいだ。

全て自分の力で変えるんだ。

まれてきたのは生きるためだ。

 

自分の力で世界を変えたいなら、まず現在世界と向き合え。

自己主張しろ

汗をかいて働け。

 

今日できることをしろ

 

2023-03-26

スカッジャパンのこと馬鹿にしているが

タイトルの通り馬鹿にしているが、自分がビミョーな目に遭った時、心の中でスカッジャパンをやっているので馬鹿に出来る立場ではないのだ。

今日は自宅用と熨斗付けた贈答用のちょっと良いお菓子を買ったら贈答用の紙袋が付いてなかったので店員さんに「ください」とお願いしたところ、心底めんどくさそうに無言で雑に渡された。すみませんでした、とこちらが謝ってその場を後にした。

しかし帰り道段々モヤってきたので、前買った時の店員さんや他のお店では贈答用の品物には別に紙袋を付けてくれるか有料なら案内してもらえるんですけどねとか言えば良かったかな、とか、強気に出たらあの店員さんもスミマセ〜ンくらいは言ってくれたかな、とか、もう二度とチャンスは無い場面を何回も何回も思い出して、その店員さんが頭を下げてくれるところをゴールにしてスカッジャパンin空想を繰り返した。

別に今日だけではない。他の毎日の、似たようなしょ〜もない場面でもそうだ。ああ言えば良かったばかりで、己の人生自己憐憫傲慢な「もしも」で出来ているのだ。ということを晩御飯作りながら考えてたら悲しくなってきたから、食後はその店で買ったちょっと良いケーキ食べる。

2023-03-13

私の自己憐憫歴史

自己憐憫第一章(2018〜2022)

今までネットについて詳しいと思っていたが、そこまで詳しくない

何もかも無知だし、好きなことはない

Twitter楽しい、何かを叩けるから

弱者男性同族嫌悪

自己憐憫第二章(2022〜)

Twitterで何かネットに詳しくて面白いムーブをしていたと思ってたけど、それは全く違うこと、何故かというと色々叩きすぎて沢山の人からブロックされていたか

自分ネットですら上手く出来ないゴミ

ネットを真に上手く使いこなしているのは話題に触れない、更新することが少ない人達

なんGから去る

ネットでも沈黙を続ける石になった

これが以上なんだけど、現実世界に居場所いからさあ困った

もう何も考えたくない

2023-03-12

anond:20230312201052

俺はお前寄りだけど、直視するやつって直視してどうするか分からん

忘れず合ったことを後世に伝えるってなら、個人ブログでもツイッターでもいいし、なんかやれやって思うし、大体なにもしてないやん?自己憐憫とか共感可哀想症候群なだけではと思っちゃう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん