はてなキーワード: 自己嫌悪とは
25歳独身彼氏なし。 幼い頃7つ離れた兄から性的虐待を受けていた。
そのことをいつまでも引きずっている。
もともと暴力を振るわれたりちょっとしたことで怒鳴られていたので、逆らえばどうなるかわからないという気持ちからされるがままになっていた。
兄に彼女ができたことがきっかけで行為はおさまり、それからもう15年以上経つが、その頃の傷が癒えるどころか悪化している気がする。
虐待を受けていた当時、幼さゆえの知識のなさもあり、あまり事態を深刻には考えていなかった。
それどころかいつも私を罵倒したり殴ったりする兄が優しくしてくれることが嬉しかったのを覚えている。
今思うとそれは思い通りにさせるために猫なで声で調子の良いことを言っていただけに過ぎないのだが、「かわいいね」と言いながら頭を撫でてくれるのが嬉しくて、いけないこととわかっていながら従いつづけていた。(ちなみに行為自体を気持ちいいと感じたことは一瞬たりともなかった。)
性的な虐待がおさまってからの兄は昔に逆戻りでちょっとしたことで罵倒、壁を殴って穴を開けたり包丁を持ち出してきたり、兄に怯える日々は兄が家を出るまで続いた。
就職と同時に家を出た兄は、当時まだ学生だった彼女と半同棲、すぐに授かり婚をした。
一方の私は恋人ができたこともあるが、妙に顔色を伺ってしまったり嫌なことをされても我慢する癖がついてしまっていてなかなか正しい関係を築くことができない。
信頼していた既婚者の先輩に体の関係を求められた際も、断ったら怒鳴られるかも、殴られるかもと思って応じてしまった。
結局何もかも嫌になり会社を辞めてその先輩との関係を断ち切ることはできたが、自己嫌悪と男性への不快感でぐちゃぐちゃになっている。
男性と一言でいってもみんながみんな兄や先輩のような人ではないことはわかっているつもりだが、男はみんなそういうもの、という考えが呪いのようにこびりついていていつまでも私だけ進めない。
男の人を信じることができない。
先輩のように縁を切ることができたらいいのだけど、家族というものはなかなか縁を切ることができない。
それどころか何も知らない両親は、かけがえのない兄妹なのだから仲良く助け合って生きていきなさい、などと言う。
他人ならば犯罪者としてはっきり憎むこともできるのに、血縁者というのは憎むことも縁を切ることも難しい。
誰に打ち明けることもできずこの歳まで生きてきてしまった。
兄の結婚について私の親はめでたいめでたいと言っていたが、顔合わせの時の相手の親の複雑な顔を私は忘れられない。
義姉は難しい資格を取って念願だった夢を叶えて働き始めて半年も経たずに寿退職をした。
兄は本当に性的なことに我慢できない人間なのだと思う。きっと根拠のない甘い言葉で丸めこみ避妊をしなかったのだろう。私にかけたような猫撫で声で。そう思うと本当に兄という男が憎くて仕方がない。
とはいえ義姉と子どもには罪はない。彼女達を傷つけたくないので、私にはもう兄を告発することはできない。
兄のことを許すつもりはないけどもういい。この傷は私一人でかかえていく。
私は一人で生きていくので、どうか自分で築き上げた家族のことは大切に、幸せにしてほしい。
もし浮気や暴力で義姉と子どものことを不幸にして離婚をしたら、私はこのことを黙っていられないかもしれないから
--------------------------------------------
これが数年前の日記。
現在兄は不特定多数の相手と浮気をしていて、家族に暴力を振るっている。
泣きながら打ち明けてくれた義姉をなだめながら私は猛烈に後悔していた。
私が少しでも早く告発していれば、私たちの家族はめちゃくちゃになったかもしれないけど義姉は兄に出会わずに済んだ。
兄よ、お前はもうだめだ。一緒に地獄に落ちよう。
タイトル通りなんだけど、40歳手前で人生終わりかけてることに気がついた。
・37歳
・独身
・1年付き合ってる遠距離恋愛中の彼女あり(思い切って病気のことを告白したら引かれたので多分別れると思う)
・東海地方の人口5,000人もおらず高齢化率50%を超える自治体に住んでる
・仕事は自営業。と言っても、親が飲食店を経営してるからそれを手伝ってる感じ
・双極性障害で病歴15年。毎月車で1時間半かけて通院している
・地方駅弁卒→元々コミュ症もあって、就活失敗し愛知の中小企業に就職→ブラックで病む→ニート→入院→フリーター→東京で正社員→病んでまた入院→実家に戻り現在に至る
この間久々に同級生と飲んだのだけれど、他の同級生は年収◯◯円稼いでる、俺は××円くらい、▲▲はベンチャー入って結婚して家を買った、◻︎◻︎は子供が4人目が生まれる、
等々聞かされて嫌になった。
自己嫌悪に陥った。
それなりの努力はしたつもり。自分が卒業した高校からは駅弁なんて1割程度しかいなかったし、そこに入るために吐いたり血便出るほど勉強した。
お金を稼いでる同級生は高卒で司法書士だったり、看護師で介護の会社立ち上げたり、都内の働いてた企業のツテでベンチャー入って海外に居たりと様々だけど、
俺が高校時代に戻ったとしても、今更彼らのようになることは絶対できないだろう。
何が悪かったのだろうか。彼らのようになりたい訳ではない・・・と言えば嘘になる。お金を稼ぎたかった。結婚したかった。子供が欲しかった。
タイムマシンがあったとして、18歳の自分に戻れても、彼らのようになれる気はしない。
どうすべきだったのだろうか。
あたりなら勉強すれば取れそうだなと思った。でも資格を取ったとして、37歳職歴なしただ資格持ってる中年を雇う会社なんてあるのか?俺が社長なら雇わない。
田舎すぎて働き口がなく、何か学校通ったりマトモな時給の職に就くにも車でメンクリ近くの地方都市に引っ越しは必須・・・
人生詰んでるのではないだろうか。
本当にコミュ症で人と話すのが苦手。顔色を伺ってしまう。それで鬱になる。会社に行けなくなる。
今からどうしたらいい?
本当にわからなくなった。
誰か教えてくれ。
来世に期待!以外の道があれば。
まず断っておくが、死刑反対とか、19歳への死刑反対とか、そういう話ではない。
世間にしてみたら冷酷な殺人者だろうが、親にしてみたら小さいころから育ててきた可愛い息子であるし、まだ独り立ちもしていないまだまだ子どもという年齢だ。
ついこの前までランドセルしょってたのにもう高校生かぁというくらいの感覚だ。
出産の痛みも、夜泣きの辛さも、学校の入学卒業も鮮明に覚えている。
その子供が国から、「死ぬべきである」と告げられとあれば正気ではいられないだろう。
親であれば子供を救いたいと思うかもしれない。
だが、それと同時に子供は殺人者であるのだ。自分の子供とおなじくほかの人が大切に思っている人を殺したのだ。
それを差し置いて自分の子供を救いたいと思うのはおこがましく思うし、なによりも殺人者にしてしまったという親としての責任も重く感じてしまうだろう。
殺人を許さない気持ち、自分が殺人者を生んでしまった気持ち、このような贖罪の気持ちと、自分の息子を愛する気持ちは矛盾しない。
同時に抱えてしまう感情だが、世間はその息子を愛することを許してはくれない。
逆縁はいかなる場合でも悲しいものだ。逆縁の不幸に直面した親たちは多くの同情を誘う。だが世間は自分たちの逆縁を望んでいる。
いっそ、失恋に苦しんで自殺でもしてくれたらとふと思い、そして自分の子供の死を思うなんてと自己嫌悪にも陥る。
もう子供は死んだのだと思う様にしても、まだ生きていて、そして確実な死が数年後に訪れると司法が判断をした。
被害者を悼む気持ちを強くすれば、息子を愛するという人間の正常な感情を殺さなければならい。
息子を愛するという正常な感情を出すと、犯罪を肯定しているような罪悪感が生まれる。
勝手にエンパシーを感じている僕は、この不協和を公正世界仮説に基づいて「こんな殺人者を生んだ親だから、毒親にちがいない。」というストーリーを作ってしまいたいが、現実はそうではないのだろうなと思う。
同じ様に他の家族連れも多くいました
ひと休みにとシートを敷いた場所に戻ると、30センチくらいの距離に知らないテント知らない家族
近い
すごい近い
な~んでこんなに広くて余裕があるのにこんな近くに?
なんか向こうも気まずそうにしてるし、なんでやねん
こっちが先に敷いてた所に君たち敷いたんじゃん
旦那は、スルー対応でしたが、やだよ我慢出来ないよ誰だよ君たち
こういう事例、初めてじゃない
【悪意があるパターン】
大勢で来てる輩が「はいはい私たちここで騒ぎますよーごめんなさいね〜」とばかりに寄せてくる
【悪意がないパターン】
多分発達障害。だいたい妻に「近過ぎや」と指摘されて場所変えていく
単なる愚痴です。
乗り継ぎ駅への到着が新幹線遅延により、ちょうど乗り換え先の新幹線が発車する予定時刻に到着。
ホームに下りたら乗り換え先新幹線が見つからなかったので、『まさか接続電車を待たずに発車したのか、それとも別のホームなのか』と思いながら近くの駅員さんに切符を見せて、この新幹線に乗りたいんですが、と質問。
その時点で、発車予定時刻を3分程度過ぎていたので、『その特急はこのホームからしか出ませんが、今いない、ということはそういう事(既に発車済み)でしょう』との回答。
「じゃあ払い戻せますか」と質問。「この切符は払い戻し出来ません」と回答。
流石に納得できなかった。私が勝手に乗り継ぎを目論んでアテが外れた、というのならともかく、その切符は目的地までの切符を買ったらJR(のシステム)から指定された乗り継ぎの切符だ。交通機関の乱れで乗り継げないのは仕方ないにせよ、全面的にJRの責任である以上、払い戻しくらいするべきだ。
理不尽さに「ちょっと待ってください……」と頭を抱えたところ、駅員さんは「ちょっとお待ち下さい」と言ってどこかへ行った。
きっと、なんとかならないか上長に聞きに行ったのだろう。『ええ人や』と、結果的にゴネ得狙いみたいになってしまった自分のムーブを自己嫌悪しつつ待つこと数分、視界の隅で、別のホームから目的地の方向に動き出す新幹線を目撃。
あれ、と思いながらその新幹線を見たら、自分が乗るはずだった特急の号数がクッキリハッキリ表示されている。
つまり、本来乗るはずだった特急新幹線は実際はまだ発車しておらず、自分が駅員さん待ってる間別のホームに停車していたのだ。(eチケットには発車番線なんて書いてなかった。)駅員さん……。
戻って来た駅員さんが何を言うかと思ってたら「ここでは何も対応できないので、改札で続きをお願いします」とのこと。
「あっちのホームから私の乗るはずだった新幹線がたった今出ていったんですが……」(こんな事言われても駅員さんも困るだろうけど、言わずにはいられなかった)
と言ったところ、『いえ、本日はその特急はこのホームからしか出ません』と繰り返す駅員さんの主張。
そんな事言われても、だったら私が見たものは何なのか。
これ以上は問題解決につながらんしクレーマーにしかならんな、と諦めて『じゃあ何にせよ改札に行きますね。ありがとう』と言って駅員さんと別れて改札へ。
「駅員さんに間違った案内されて新幹線に乗れませんでした」と伝えた所、謝罪されて次の特急の立ち席を案内された。目的地についたら指定席券からの差額が払い戻されるとのこと。
「払い戻せない」という話はなんだったのか……。
ちなみに、私が乗ることになった次の便の新幹線は、案の定、私が目撃した別ホームからの発車だった。
駅員さん……。
ま、人間間違いもあるさ、と特急の通路に座って今これを書いている。
(追記)
自由席との差額ではなく特急券の半額払い戻してくれるとのこと。
ありがとう駅員さん。
つらいポイント
①私の服装や雰囲気と合わないので、私のことを考えて選んだと思えないところがつらい
②ほしい色や雰囲気を伝えていたのに、聞いていなかった(覚えていなかった)らしく全く違うものがきて、話を聞かれてなかったのがつらい
③おじさんぽいマフラーで、今時の女の子がつけるマフラーとはかけ離れてて、彼氏がいかに時流に乗ってないか、周囲を見ていないかがわかってつらい
④でも伝統のブランド(ハイブラではない)ので、それなりのお金が趣味に合わないプレゼントに消えてしまったことがつらい
⑤とはいえ彼氏もそれなりに考えてくれただろうにそれを素直に喜べない自分の性格がつらい
普段の私の様子を見て、シンプルで王道のものが好きなんだなと普通の予想をしてくれてれば、、
あと、彼氏から、無地がいいだろうなと思ったけど、なんか変わったものあげたくなっちゃったんだよね、って言われたのもなんか嫌だった。
普通に喜んでほしいって思わないのかな?
わたしは彼氏に喜んで欲しくて、彼氏のライフスタイルや持ち物やキャラクターに合うブランドとか素材とか色とかめちゃめちゃ調べるタイプだから、気持ちがわからなさすぎて。
彼氏が一生懸命選んでくれたものならなんでも嬉しい♡みたいな女じゃないことが辛い。
それなりの値段って言っても1.5万とか。
でも1.5万払ってもいいって知ってたらもっとちゃんとお願いしていたというか、、、
なんか、、、、
こういう時の気持ちの整理の仕方が知りたい。
ていうか歴代の彼氏全員プレゼントのセンス悪い。王道でシンプルな素材と色とデザインのものが欲しいし、見てたらわかるだろって思っちゃう。奇抜なものなんか持ってないし。
なんか、それを選ぶ時点で、こういう奇を衒ったプレゼント選びができる俺!のために買ってる感じがするのが辛い。
あとこれからもずっとこのセンスで選ばれるの?これからもずっと?って思っちゃう
今回は
大判でモコモコしすぎない素材の白か薄いベージュの無地のマフラーが欲しかった、欲しすぎて自分で買いそう。
彼氏が買ってくれた、おじさんがダブルコートの首元につけるために買ったみたいな、ボリューム少なめのダークブルーグレーのタータンチェックのマフラー、いつつけたらいいの?
------------
フェイクが薄かったのでここまでバズっちゃったら彼氏の目にいつか触れるかもと思って彼氏に言いました
彼氏はめっちゃ笑ってくれてそういうところが好きだからこれに笑ってくれる人柄の彼に今時点選んでもらっていることは私はありがたいな〜と思ってます
どちらかというと見ず知らずの人にこんなに色々書かれて大丈夫?って心配してくれた
人からもらったものに文句を言う女を選んじゃった彼は見る目ないと思うし何よりも本当にこんな女で申し訳ないと心から思う…
あと、ちなみにそのセンスで選ばれたのが増田、のコメントは私も天才かと思った、
私が彼氏のセンスをこきおろしてしているとすれば大打撃だったと思うけど問題はそこじゃないので笑えて済んだ
一緒やんて言われるかもしれないけど私は彼氏からのプレゼントや彼氏のセンスをダサいとは思っていないです
品物としてはすごくいいしこれが好きな人もたくさんいると思う
グッチの財布って素敵だけど私の趣味じゃないんだよね、みたいなかんじ
なので彼氏のセンスそのものを問題視したりセンスが悪いと思ってたりしているわけではなくて、そこに至るまでの思考プロセスのありかたの違いとかズレを悲しんでいるかんじでした まあ普段から人の話を聞けではあるけど
今回はプレゼントっていう形のあるものでアウトプットされて問題が表出しただけで、そしてどこかに吐き出したかっただけです、
センスあるブコメとそれを取り上げてくれたツイートで変にバズっちゃった
蛇足だけど私が考えていた以上にいろいろ考えて用意してくれていたこともわかって、彼氏は話は聞いてないけどすごく優しくて面白い人です
ていうのは朝の戯言で、いかなきゃいけないから行くんだけどさ。朝から怒られに行くんだけど。 やってらんない。自己嫌悪すごいけど。
まあこれは本題ではなくて。
あのね、
すごい、私の思い描いてた普通の家庭なの。
中流階級ていうのかな。その中でも良い方っていうのかは、私の目からは分からないんだけどさ。
まだ、私の前では見せてないだけだろう、時にある喧嘩や仲違いは。
でも全体的にすごく穏やかな雰囲気なの。
うちの貧乏特有のひねくれ?みたいな雰囲気がない。まあ、その前にうちはちょっと。
すごい何か、親は若干機能不全の親で、しんどい幼少期だったんだけど。片親がまだマシだったから良かったけどさ。
あちらは、幼少期は家族旅行も年1くらいでいってたみたいだし、いま定年を迎え夫婦でゆっくりした生活を送ってる。学費も何とかなってるし。
んで、お母さん優しい。
あんまり母性って感じたことなかったけど、相手のお母さんに「お母さん」を感じている。
分かんない。これから仲違いしちゃうとか、気遣いとか色々あるかもしれないけど。
義実家にふれて、思ってた普通の?理想の一般家族ってこれだったんだって感じ。
同時に、なんか心が埋まった感じも一瞬できて。
もう30代なんだけど、ひどく自分に欠けてたものを獲得した感じがあった。
逆に実家に帰ると悲しいんだけど、すごく寂しくなるのね。
長年感じてた違和感みたいなものからようやく解放されようとしてる気になってみて。
すこしずつ埋まってくといいなと思う。
心の穴。
朝すごい嫌な仕事があって
安心感を得たやすらぎを思い出して平常心を保っていたので、このような文章になりました。
ここからまた色々なことが始まると思うので
結局1週間も経たずフラれた。イブにデートどこ行こうかって話で盛り上がってたのに。
3回しか会ってない状態で気持ちが追いついてない、曖昧な状態で会い続けるのが1番良くないからって言われたけど、だったら告白したときに断ってくれた方が何倍もよかった。また会おうって言ってくれてた他のマッチ相手にも謝ってアポ取り消しとかしてたのに。ほんと惨め。
でも正直フラれた瞬間にそんな喪失感を覚えてない自分もいて、やっぱり3回会ったから告白しなきゃっていう義務感だけで付き合おうとしてたことも見透かされてたんだと思う。良い子だし一緒にいたいなとは思ってても、その子のこと考えると胸が苦しくなるとか喋ってて緊張するみたいなことは全然なかったし、ただ上辺だけ取り繕ってるだけの自分だった。非モテのくせにヤリモクみたいなマインドでいた自分のクズっぷりを思い返すと、自己嫌悪で死にそう。
ここからまた27歳童貞は自分磨きをして、限りなく細い筋の出会いを見つけていかなければいけないのかと思うと、気が遠くなるし既に心が折れそう。道行くカップルへの憎悪はもうなくなったけど、それでもSNSを見てると、ただ惚気てる奴とか弱者ぶってるけどパートナーは当たり前のようにいるみたいな人を目撃してしまって、本気で死んでくれないかなぁと思ってしまう。
知らない間に手遅れのレベルで拗らせてしまった。自由恋愛できてる人が俺とは別世界の住人に見える。自分はここからどうしたら良いんだろう。もう末期なのかな。
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
数年前、短期間だが発達障害(ADHDが主)の人とお付き合いした。
これまで発達障害の人と深く関わったことが無かったので、衝撃的なことが多かった。
何かの参考になればと思い、フェイクを入れつつ書く。
初期の彼の印象は、博識かつ行動的な人だった。
知識が豊富で会話のスピードが速く、賢い人だなと認識していた。
フットワークも軽く、出会って間もなく告白され、率直で素敵だなと感じた。
でも親しくなった途端に、はて、と感じることが増えた。
彼はとにかく常に自分のことで頭がいっぱいなのだ。延々と自分のことを喋り続ける。
例えば、彼に「誕生日はいつ?」と訊くと「12月15日!」と返答がある。
また、デートで待ち合わせの日時と場所を決めるが、ほとんど守られたことが無かった。
本人もこれまでの人生で何度も同じ失敗をしており、気を付けようとしていた。
彼「行こう!」
(1週間後)
彼「会いたい」
彼「わかった! 伊勢丹行きたい!」
(土曜日の朝5時)
彼「上野に向かってるよ」
彼「あ」
増田「バイトで疲れてるのかな? いったん家に戻って休んだほうがいいと思う」
彼「そうする」
(11時55分)
(13時半)
彼「いま起きた……」
増田「えーと」
彼「ずっと楽しみにしててめちゃめちゃ準備してたのに…こんなのばっかりだよ……」(激しく落ち込む)
まず、どうしたら土曜日に上野だと思ったのか本当に分からなかった。おそらく彼にも分からなかったんだろう。
とにかく朝寝坊しないことに必死で、「待ち合わせ時間」という概念も頭からすっぽ抜けてしまったのだと思う。
ほとんど同じようなことが何度か起こった。
一度も「ごちそうさま」「ありがとう」などとは言われなかった。
ある時、店で会計を終わらると開口一番「安っ!」と言われた際には、唖然とした。
また彼は、日常的にどうでもいい嘘(というか言い訳)をついていた。
あるとき、駅のホームで隣り合っていると、彼が飲んでいた飲み物がこぼれて増田の服が濡れた。
「ちょっと~」と軽く言うと、即座に「最初から濡れてたよ」と言われた。
そんなわけはないし、別に彼を責めているわけでもない。わけが分からな過ぎて、何も言えなかった。
おそらく、発達障害の特性による失敗を幼少期から叱責され続け、
自己防衛のために自然とそういう嘘が口をつくようになったのではと想像している。
例をあげたらキリがないが、このような言動に疲れてしまい、早々にお別れした。
ここに書いた以外にも、ADHDの特性にピタリと当てはまることばかりだった。
これこそ言い訳になるが、恋愛まっただ中でIQがダダ下がりしていたため、付き合っている時には気付かなかった。
「親御さんとも相談して医者にかかってみては」と提案できたと思う。
こうした恋愛関係以外でも、彼は何度も詐欺にあったり、衝動的な行動や失言により
友人を失ったり、浪費をして生活費に困ることを繰り返したり、
たびたび激しい自己嫌悪に陥るなど、とにかく生きづらそうだった。
そして彼は自身を双極性障害ではと疑っていた。少なくとも、付き合っていた期間に発達障害の話は出なかった。