はてなキーワード: 自己嫌悪とは
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
毎日が鬱
だって仕事への姿勢で人として尊敬してたなんて告白してくれたのに私から仕事を取ったら何が残るの?
働いてないなら家事をするのが私の仕事なのにそれすら全部先回りして取られたり、やろうとしたら「だめでしょう!俺がやるから休んでて」なんて取り上げられたり
それじゃ私は本当にただの役立たずになってしまう
先月「解消させてあげることもできてなくて申し訳ないから、辛いなら女の子と遊んでもいいよ」って言っただけで「何でそんな酷いこと言うの」ってすごく怒られたから、夫には迷惑かけないようにネガティブなこと絶対もう何も言わないことにしてるけど
まだお腹の子が小さかった頃なんて、子供のために母体の私が栄養を摂らないといけないのに悪阻で吐いて全然食べれなかった日が結構あったし
平日の明るい時間から身体がつらくなって横になるのも怠けてるみたいで大嫌いだし
最近やけに頭痛がひどいけれど、それも自分の甘えのせいで大袈裟に辛いと感じているとしか思えないから嫌になるし
思えば本当に何もかも駄目で何一つできてない
夫が好きになってくれた「頼りになるしっかりした先輩」は今の私からは程遠い
自分の家だけど、「何やってるんだろう、ここにいていいのかな、役立たずでごめんなさい」って毎日思ってる
夫がそんな事言うはずないのは分かってるのに、私自身産休入る前はこんな鬱っぽくなかったのに
あともう3週間で予定日なのに
これはあくまでも私の愚痴であって、特定の人に対してのヘイトではありません。
この事をTwitter(現X)などで呟いた瞬間、HSPへのバッシングとみなされ、袋叩きに合うのは分かっているが、どうしても繊細で感受性が強いから私はこうなんです!と押し付けてくるフォロワーに対して何とも言えない感情と限界を感じただけだ。
私自身、メンタルがそこまで強いわけではなく、仕事などで色々あったりし、限界値を越えてしまうと、ちょっとした事で「ああ、何をやってもダメだし、こんな世界とはお別れしたい」とかなりのネガティヴ思考に落ちる時もあれば
「人生たーのしー!世界は私のために回っている!」となるほどハイテンションな時もあるので、上がったり下がったりするのは誰しも同じと思っている。
ただ、冒頭にも書いた通り、相互フォロワーの中にこんな私とは正反対な自称HSPで感受性も強く、ニュースで芸能人などの訃報を見るだけで気分が落ち込んで辛くて泣いてしまう人が居る。
それも個人の性格だし大変そうだなと感じる事はあれど、そこまでは気にしてなかったが、最近になり?となる事が増えてきた。
私が訃報ツイートなどのニュースをRTしたあと、必ずといっていいほど「亡くなったニュースを見て辛い。しんどい。」と呟き、そのあとすぐHSPさんはこんなに大変!だから配慮して。といったような内容が書かれたツイートをRTしてくる。
1度なら分かる。
だが、毎回である。
なぜ壁打ちをしている内容をそのフォロワーに配慮しないといけないのか?繊細だからって押し付けてくるのはおかしいのじゃないか?
こんなことを考えてしまう自分の性格はかなり捻くれて思いやりが無いのでは?と考えてしまい、そんな自分が嫌になり、ツイートの内容も当たり障りがない内容ばかりを書いてしまう。
最近では自衛のため、HSPや繊細さんと書かれたツイートが表示されないようミュート設定をし、快適なタイムラインになるように努力はしているが、小蠅の如くどこからともなくすり抜け流れてくるHSPツイートにイライラしてしまうし、イーロン仕事しろ!と謎の八つ当たりをしてしまっている。
ここで、そのフォロワーをブロックかミュートにしてしまえば解決するのでは?と思われそうだが、HSP関連の事さえ無ければ、趣味も合い、気も合うフォロワーなのでなかなか切るという決断が出来ないでいる。
そうして今日も自己嫌悪を感じながら、小蠅のように流れてくるHSP関連のアカウントをひたすらブロックする作業を繰り返している。
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。
遂に始まった白人至上主義ウクナチ極右によるモスクワでのテロ攻撃。戦争に行き詰まりISを雇い民間人殺害を行うウクライナ
https://w.atwiki.jp/shinjitsuwiki/pages/132.html
ロシアのモスクワ郊外にあるコンサート会場で、2024年22日夜に爆発物と自動小銃を使った残虐なテロ攻撃で、133人の尊い命が奪われた。このテロ攻撃に対し、イスラム国が犯行声明を出したが、この裏にはアメリカとウクライナ、そして西側諸国(DS傀儡国家軍団)の関与は明らかだ。
ウクライナは白人至上主義国家であり、黒人差別やアジア人差別が日常的に行われてる。ネトウヨはその事実を見て見ぬ振りをし、ウクライナを応援し、ロシアを領土目当てで批判している。しかし、ネトウヨが北方領土と呼ぶ島々は古来からロシア領であり、そのような欺瞞を認めているのはウクナチとDS傀儡国家軍団のみである。プーチン氏が国民から高い評価を受け、5期目の政権を勤め、嘘ばかり付く岸田と自民党の欺瞞が崩壊し、不祥事が次々と明らかになる事からも、どちらが正しいかは明らかである。
一方、ロシアは様々な人々が広大な国土で手を取り合って暮らしており、プーチン大統領もウクナチ討伐に向けたビデオメッセージで、様々な人々が力を合わせてウクナチ白人至上主義と戦っていると述べていた。
そして、ウクライナは極右組織やネオナチが正規軍に組み込まれている、世界で最も異常な極右国家である。近年ではISとの繋がりも明らかにされている。まさに、統一教会というカルトが政府を動かしている日本と同じ状況なのである。ISは、トランプとオバマがテロに見せかけ、敵を攻撃するために組織した私兵のような存在であり、トランプの企業帝国からも資金が提供されていたこと、構成員もアメリカ製の兵器を使用していた事や、今回のモスクワテロを3月7日時点で米国民に警告し、モスクワから退避するよう促していた事からも、アメリカがバックにいるのは明らかだ。
ロシアのラブロフ外相が述べていたように、ナチス総統のヒトラーもまたユダヤ人であり、大量虐殺を行ったのは同民族への自己嫌悪と差別意識からであった。中国にも「精日」と呼ばれ、DSや日本政府に同調し、中国人差別を行う者がいるのと、同じ理屈だ。DS傀儡国家は反発しているが、この話は有名な事実であり、「アドルフに告ぐ」という作品も存在する程である。ゼレンスキーはユダヤ系の親がいるが、ユダヤ人だからといって、ネオナチでないと限らず、ドイツにはユダヤ人のネオナチが多数存在するのも事実であり、アウシュビッツでは能力のあるユダヤ人は殺害や収容を免除されており、ナチスに入党した者もいた。
トランプは、表向きはウクライナ支援を拒否しているが、白人至上主義者であるゼレンスキーと利害関係が一致し、トランプはテスラ・モーターズの株式や、邸宅などの個人資産をゼレンスキーに提供してる。プーチン大統領が「バイデンの方がマシ」と即答したのは、そのためだ。
トランプはゼレンスキーに核兵器を供与し、モスクワを攻撃するつもりである。これはウィキリークスでウクライナの方針に疑問を持ち、亡命した元ウクライナ軍司令官によって明らかにされている。メディアは表向きトランプに否定的であるが、これはトランプ支持を仰ぐためわざと行っている。カリギュラ効果の応用だ。事実、アメリカではトランプの支持が急激に伸びている。トランプが当選すれば、モスクワに核が落ち、戦争は終結させらてしまうだろう。そうなれば、全てが終わる。白人至上主義が復古し、我々はアメリカ人の奴隷にさせられるだろう。だからこそ、立憲民主党の原口議員や、他の方々も言うように、白人至上主義者と戦い、DSアメリカではなく、中国やロシアと手を取りDSと戦うべきなのである。
中学高校が集まって出し物をする地域交流の会のようなものを去年からやってる。今年は2回目。
各学校に20分、持ち時間があるんだけど、1番上手くてお客さんを集められる学校がやっかい。
何が厄介かって、リハーサルで何の相談もなく時間を延長してくる。なんと15分オーバーの35分。
他の企画委員と、その学校が仲が良くて、「お客さんも集められるから許容しろ」って言われてる。
なんだよ。上手けりゃ何やってもいいのかよ。
「良いですよ。私にとってその学校はそういう学校ってだけです」
あー自己嫌悪。本当に曲がったことを受け入れられないなぁ。それで面白いもの産まれるのか?ってなるとそうでもないし。どうしたら良かったんだろう
ただ「お父さんからまんこを触られた経験が無い人たち」は思ったかもしれない
どうしてまた男性を愛することができるの?と
私はお父さんから色々されたことがあるが、今彼氏と付き合っているので、増田の匿名性を利用して惚気つつ自分語りさせていただこう 若々しい惚気はみんな好きだからな
でも結婚したくない 性的なことも全くしたくない キスはするけれど、それ以上のことをしたくない 自分が女であることを意識したくないし、彼との関係でお父さんのことを思い出したくない
お父さんに1時間くらい怒鳴られた後に彼と話したくなる自分も嫌だ 「お父さんで埋められない心の穴を彼で満たそうとしている自分」を自覚し、自分のことが嫌になり、文字を途中まで打ち込んでLINEをするのを辞める
私は私が自立していて個として確立した状態で彼と対峙していたい
でも同時に、自分は家庭が荒れていない時は彼のことが大して好きじゃない 好きだけれど、人間として好ましいとか、非常に信頼している、といった感じで、やはりエッチはしたくないし好き好き大好きという感じでは無い
だから自分の中で彼を「理解のある彼くん」にしてしまっているんだろうな、と思って、その辺りでいつも自己嫌悪をする
時々自分が本当に彼が好きなのか不安になって寝ている彼にキスをしてみるんだけれど、やっぱり好きかどうかよくわからない 彼と性的な接触をしたいとは思えないから
でも、彼は私が何回もキスしたせいで目が覚めてしまっても私の頭を撫でるだけで、絶対にこちらに危害を加えようとしない
だから、私は彼を理解ある彼くん、そしてお父さんの代わりにしてしまっているんだと思う
映画では、お父さんがいないミミちゃんの家に、ある日モフモフで優しくてお仕事をしていてパイプをくわえ笹を食べる、パンダのパパがやってくる
パチンコに負けてイライラして理由をつけて殴ってきたり、嫌なことや変なことを言ったりしたりしてこない、優しいもふもふのパンダのパパがいるミミちゃんが、とても羨ましかった
お父さんに殴られた感覚や、お父さんが殴る時にいつもする“人を殴る時特有のキマっている目”や、お父さんに「お前なんて生まれてこなければよかった」と言われたことは、今でも思い出し苦しくなる日がある
「ちっぱい」とか「お前女になったな」と言われた時の気持ち悪さや、お父さんに「きちんと洗えていないから」と尻を出させられたり、Y字バランスをさせられたりして股間を風呂で洗われたことを、忘れることはまだ難しい
私はずっと、本当のお父さんが欲しかった 私を殴らないで、性的なことをしてこないで愛情を注いでくれるそういう人にお父さんになって欲しかった
お父さんも優しかった時期はあった 小2で児相に電話をかけたから、少なくとも小学校入学前のお父さんは優しかった
私が幼い頃の父、まだコンタクトをする前の父は私を殴ったり、嫌なことをしてこなかったから、恋愛においてはいつもメガネの人を好きになる
「メガネの人だったら優しい頃のお父さんだから、大丈夫だろう」と本能で認識しているので、私はメガネをした男性でないと好きにならない
単に癖もあるとは思うけれど、私のメガネフェチはだいぶ歪んでいる
こういうことはお父さんと離れて10年くらいすれば、治療をしていけば忘れられるものなんだろうか?自分はまだ若いので、あまりわからない
今はこういうのを日常生活において出さないようにして、平気なフリをしているだけだ
でも、父から同じ家にいるのに電話がかかってきたり、1時間くらい理由なく怒鳴られ続ける日は今も日常的にあって、そういう日は頭が殴られる感覚がフラッシュバックする ガンガン頭が殴られてキツい言葉を言われた時の感覚が20、30分続くのを布団でじっと耐える 彼氏にLINEをするかどうか悩んで、しないように頑張る キツい時は「なでなでして」というような気色悪いメッセージを送る
そういう日がある
彼はそういうのをわかっている
私がお父さんと色々あったことも彼は分かった上で「君にそういうことは求めていないから」と言ってくれる
でも、「ぬいペニ」という言葉の逆で、私は彼をぬいぐるみにしてしまっているのかもしれない
彼には普通の健全な性欲があるのに、彼をぬいぐるみのような性欲が無い柔らかい存在にしてしまっているかもしれない それがとても申し訳ない
20ちょいで結婚や子どもについて考えるのは気が早いし、別に彼以外に男でも女でもいくらでも相手はいるんだから他を探せばいい
というか、私が相手を探すというよりは「私」がどう考えても地雷女すぎる
エッチはお父さんを思い出してできません、子どもを作るのに苦労する体です、結婚も厳しいです、キスはできます、お父さんに性的なイタズラを何回もされたことがあります、家庭に強烈なトラウマがいくつかあります、でもあなたのことは好きです
誰がこんなのを受け入れるっていうの?と、冷静になるといつも思う
だから、彼のことが結構好きなのも、私に合わせて付き合わせているのも、いつも申し訳ない
そもそも、私は彼のことは今まで付き合ってきた人の中では一番好きっていうだけで、不満はいっぱいある 服クソダサいし、軍歌しか聞かないクソミリオタだし、私たちの会話の内容は政治か宗教か歴史かでロマンチックのかけらもない
彼の家も彼の家で色々あるので、彼の母親は彼の一人暮らしの家に突然訪問して手洗い場の下の収納から私のシャンプーを見つけて発狂し、彼の生活費の仕送りを止めた
ヒスな感じの教育ママでちょうどうちの対極に位置していらっしゃる 彼はそれなのにお母様の老後は三世帯をご所望である めっちゃ嫌だ
そもそも彼と私は中高大が全部一緒だ 私の持つ卒アルのほとんどに彼がいるし、彼が中学の修学旅行で先生に怒られたストレスでお腹を痛めて救急車で搬送されたのも知っている
同棲までしてたのに、付き合ってることに違和感がまだありまくる
だから、一昨日、私を御社の面接官、彼を学生に見立てて、2人で面接ごっこをした。
私「弊社に入ろうとした動機は?」
彼「えー...」
私「あぁ、弊社に入る、ではなくいれる、の方が適切だね」
私「それで君は、弊社でどんな活躍ができるんだい?」
彼「はぁ...」
私「弊社のどんなことを知っていてどこに魅力を感じているの?」
彼「えー...甘いものは好きでしょ、あと、Vtuberも好きでしょ」
私「多少なりとも調べてきているようだね。実は私はジャニオタもしていてね」
彼「へー、それは知らなかった」
私「言ってないからね。他、私の何を知ってる?」
彼「いや、なにぶん初めての業界でして...」
私「じゃあ、ウチでの展望を聞こう。君は具体的にウチで何がしたい?」
彼「いやぁ...それが無いんですよね」
私「ハッ!これだから令和の若者は。主体性が無く流されおって。これが悟り世代か」
彼「はぁ...。すんません」
私「あのね、今の時代人手不足が深刻だから君みたいなパッとしない学生も雇うけれど、もっと優秀な学生が沢山集まってる年だったら君みたいな将来への具体的なプランが無い学生雇わないからね。弊社でやりたいことが無いということはつまり、転職をする可能性があるということだろ。ウチより待遇のいい会社があれば君はすぐ転職するんだろ」
この辺りでお互い爆笑した
私「これ圧迫面接酷すぎたね。ごめん」
彼「これより酷い面接今後受けること無いよ」
私「で、どうなの。君はウチに入社する気あるの?ウチでやりたいことがなくてもウチのどこかに魅力を感じたんじゃないの?」
彼「まあ、ツーと言えばカーと返ってくる。ツーと言ってツーと返す人もいるし、会話がそもそも成り立たん人もいる中でこれは稀有だから」
私「結局それかい!」
まあそんなこんなで、私は色々思いつつ、内々定を出してLINE電話を切ったのであった
自分はもっと強烈にツッコミを入れて欲しかったのだが彼はどうも私のボケに対してのリアクションがイマイチでヌボーっとしている 私と付き合ってて何もしたいことが無いのもちょっと許せない あんたが私と付き合ってから何かしたいって言ったのエッチと旅行くらいだったぞ
色々考えるところはあるし真剣な悩みもあるんだけれど、自分と彼はまぁまぁお似合いだと自分でも思う
一昨日の夕方の会話を今こうやって文字起こしできる時点で、彼のことをちょっと面白く思ってて興味があるということは明白だ 私が記憶力が人より良いかもしれないのもあるんだけれど
私は色んなことがあったけれど、別に私は実父から性加害を受けた女ではない それは物事の一面に過ぎないのだ
そういう私をわかった上で、どうやら彼は私のことを多少なりとも面白く思い、付き合いを続けたいらしい
今の時代転職が主流ですから、どうなるかわからないんですけど、保守的な彼は日本型雇用を好むようなので辞めるつもりはまだ無いそうだ
あとで自己嫌悪で死にたくなりそう
何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。
子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。
当日、まずは親子で教室へ集まりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。
朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生のお話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。
「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」
司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。
ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児と保護者たち。この時点では僕は、自分の子どもも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。
そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。
念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。
「なんでひとりで行っちゃうの?」
極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。
保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもはうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線だけが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知。子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。
その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分の距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子どもに先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。
あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。
あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なからず子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。
これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから。
わーわー!元です!トラバいっぱい、うれしい!うれしい!ありがとう。
反応遅くてごめんご。
介護職のひともいるっぽいな。いつも本当にお世話になっております。
プロがケアしてくれると家族側は魂までケアされます。感謝しかないです。
動画、普段あまり見てないから知らなかった!ちょっと怖いけど、みてみます!
訪問サービスは業者にもよるだろうけど、通所や入所よりも100倍はまさるよね
人を人とも思わない食わせないクソ施設は消えてほしいと思ったで
おつかれさまです!!家に来てもらえるの安心だよね、いいな!
うちの場合は家に人を上げるのを家族が嫌がって、訪問サービスは受けたことないんだ…えーん
クソ施設はまじ滅ぶべし
ここで面倒なのが介護施設の世話になりたくないって親は多いってことだな。
うちの場合は父親の方が、認知症の母親の面倒をまだ見れると言い張るからその辺の説得に1年くらい掛かったぞ(父親の方も衰えてきたから、やっと納得してくれた)。
あとはデイサービス探し。近所の方が良い。俺の場合は、俺の掛かり付けの病院がデイサービスもやってたか、通院するときに状況も聞けるから、意外と助かる。
うおーーーおつかれさまです!
そうそう、 病院や施設の断固拒否、、、説得するのもツライよね。
祖母のときは医者にもほとんど行ってなかったから、かかりつけ医がなくて、それも困った。
初診で認知症外来に連れて行ったら診断しぶられて(そりゃそうよね)困ったよ…(結局出してくれたけど)
癌家族周りは出てくる
そうか!そっちは明るくない私。ありがとう。癌はまたつらかろうね。。考えただけで泣きそう。
てか、親の介護のメインは60代以降なのかー、そうだよな、
やっぱり私はまあまあ落ち着いているヤングなケアラーとして語っていかねば…
そーいうことだよね、透明化されてる〜〜。もっと語ろ〜〜〜
だし、ほんとに渦中にいると、書いたり読んだりしてるばあいじゃね〜となるよね。
おつかれさまです。
でもでもやっぱり、友達や身近な家族に話すのも難しいとき、インターネッツになら愚痴れることもあるかも?
そんで子育て界隈みたいに、介護話でマウント合戦になってもよくない? そういうのをヲチしながら人は学んでいくこともあるじゃんね?
たとえば家族が認知症で、ティッシュ(未使用)を集めまくってて、
きれーに畳んでポケットやらカバンやらに入れてたり、ベッド脇に大量に溜めこんだりしてて、汚く見えるし、洗濯してぐちゃぐちゃになったり、わけわからん行動すぎて、地味にイライラして、イライラする自分にまた自己嫌悪みたいな、、、
でもケアマネさんとの会話で「ティッシュ集め、あるあるですねえ〜(苦笑い)」って言われて、
そうなんだ!!うちだけじゃないんだ!って
そんな些細なあるある、本には書いてなかったからさ、目からうろこですよ
どーでもいいことだけど、それだけでイライラは少し軽くなる。
あと晩婚化で高齢の親が増えてるし、今後はヤングケアラー増えるよね、きっと。
そしたらやっぱり、もっともっと、いろんな言葉があるといいよね。
(もちろん、ネットだけに頼るのよくないけど)
きれいごとじゃなく、介護は生きることと同義みたいなもんで、人間が生きてる以上いつかはぶち当たるし、どこまでもついて回ると自分は思ってて、
(もちろん、しない&させない選択肢もあって然るべき!ですが)
終わった〜と思ったら、また始まったりするしさ、、、
わたしは今のところ、とにかく低空飛行でも、落っこちないようにだけ、がんばってる感じ
とにかく、ケアラーのみなさん、本当におつかれさまです!!!!
みんなであーだこーだ言ってこ〜〜〜〜〜〜
うちの会社で新規事業をやることになって、とある同業他社から中途採用でたくさん人が流れてきた。そこそこの割合をその会社出身の人が占めてる。
その会社は最近M&Aで買収されて以来、オーナー企業のパワハラ体質もあって人の流出が相次いでいると噂には聞いていた。業界内でも取引先への恫喝がひどかったらしい。
うちに来た人たちもみんなパワハラの標的になって耐えきれず抜け出してきたらしい。本当に気の毒だと思ったし、そもそも人の尊厳を踏みにじるパワハラは絶対に許せないし、
何より立ち上げ直後のうちの会社に業界歴の長い先輩方が来てくれるのは本当にうれしかった。新規事業と言っても規模が小さい内は所詮傍流、社内の調整も味方が少なくて本当につらかったから。
でもこの人たちがどうにもひどい。
・社内政治しかやってこなかったので実務の遂行能力が全くないのに、誰にも相談しない人
・えらい人の思いつきに安請け合いだけして、話しやすい人だけに「もうできるって言っちゃったから。なあ頼むよ」で雑に振ることしかしない人
・ベテランなのに契約、受発注、稟議などのお作法を全く知らず、素性のわからない会社から平然と請求書を受け取っておいて、それで締め切り期日が過ぎても報告してこない人
・自分の仕事(と自分で勝手に決めた分野)のこと以外は全くコミュニケーションを取ろうとせず、仮定の話でも自分の仕事が増えそうになるとすぐ攻撃的な態度を取る人
・社会人としてのマナーがわかっておらず、取引先の前で平然と失礼な態度を取る人
・仕事を投げ出して引き継ぎも「すみません」程度の申し送りも無く、取引先には依然として調子よく振る舞い、それでいて自分の仕事には他部署の人員を平然と使う人
これが新卒の若者ならともかく、みんな40~50代なのだ。ちょっとどうにもならなくて、正直パワハラしてきた人たちに同情する。
みんな自分のこれまでやってきたスタイルに固執しすぎていて、それをうまくほぐせなかった当社にも責任はある。採用したうちの役員も相当な無能で、何もフォローしなかった。
業界では古参だった向こうの会社に比べて、うちはあくまで始めたばかり。先入観を捨ててゼロベースで立ち上げる必要がある、領域を超えて動かないといけない場面があるかもしれないが、
事業の基礎を作って軌道に乗せるまではがんばろう、と根気よく伝えなければならなかった。それをだれもしなかった。
言い訳がましいが僕はやろうとした。誰よりも残業してがんばったし、こうしたらどうかと積極的に提案した。でも20代~30代なりたて、唯一独身の僕にそこまでの馬力が無かった。
既存の社内調整は減らず、中途組が無視した仕事をひとりでやらなければいけなかったから。あと提案はみんな無視した。他人を無視する社会人がいるというのは結構な衝撃だった。
中途組はみんな僕の上司にあたる。僕は既に社内では事業に携わった年数がトップなのだが、上司が増えても部下は増えない。それってそもそもうちの会社が全面的に悪いことはわかる。
でもこのひとたち、正直パワハラされても仕方が無い態度を取っていないだろうか。僕が同じ立場なら我慢できる自信が無い。
繰り返すがパワハラは絶対に許されることではない。人の人生を粗末に扱うことを、実際にしてしまうことは絶対にいけないし、僕に理性がある限りすることは無いと信じたい。
接客業に従事しており、わたしの職場はとある販売店だ。自店舗の他、周りに別の様々な店舗がある。ショッピングセンターとかデパートとかそういう所のフロアを好きに想像して欲しい。自店も周りも女性販売員ばかりのフロアで、男女比は9:1くらいか。周辺の販売員たちは一切会話をしたことが無くてもなんとなく見覚えのある存在になっていくが、男性に対し特にその傾向がある。
その中の1人に、わたしが勝手に3児の父とあだ名している人がいる。別にその人が子供連れで職場に現れたことがあるというわけではない。体型ががっしりしていて貫禄があって、なんとなくいい人オーラがあって、3児の父ですと言われても納得するなあ、という妄想が元でそう呼ぶことにしただけだ。そしてたまに袖をまくって仕事をしているために見えてしまう腕が赤みのある白い肌色をしており、ブルベ夏か?としげしげ眺めたこともある。3児の父ブルベ夏お兄さん。勝手すぎるあだ名がじゅげむじゅげむと続いていく。言葉を交わしたことも接点も無い女にこんなこと思われて歓迎する人なんて居ないだろと思うくらいの感覚はわたしにも残っているので、誰にも言ったことは無い。
わたしは積極的に人と関わりをもってエネルギーを消費することや、傷付いたり自己嫌悪する事に伴う心の負荷を自分にかけたくない。他人を勝手に客体化して満足する自分の身勝手さに対し既に自己嫌悪は生まれているけれど、人間誰しも身勝手さは抱えているものだから許されたい。そういう身勝手さを恋と呼ぶのだろうか。でもわたしは恋に伴うあらゆる行動を何も起こしたくない。一条ゆかり作品をバイブルのひとつとしている割に、なんという腑抜けだろう。恋愛や結婚に関する欲をひとつ挙げるとしたら、これに尽きる。「弄せずしてマンションの隣で気の合う人間と別居婚がしたい」。黄桜可憐さんにぽかんとされてしまいそうだ。
3児の父ブルベ夏お兄さんが本当に3児の父だったら少し傷付くクセに、どうして予防線を張るんだよ。別に焦がれ死ぬほどの恋じゃないし無理やり関わりを持とうとするのめんどいし…なんて思うクセに、どうして3児の父ブルベ夏お兄さんのがっしりした身体に抱きついたらどんな感じかなと想像するんだよ。
そんなふうに思うだけ思って、相変わらずわたしはぼんやりとお兄さんの姿をチラ見したりしなかったりして過ごしている。
この恋愛偏差値の落第級の低さを現実の自分の生活圏で晒すのがあまりにも“だから何?”な話題であると踏み、ここに匿名で綴る。だから何?であることに変わりは無いけれど、少し自分の気持ちが整理出来て、自己満足。落第どころか受験資格すら無いな。
数年前までは学生で、いわゆる思春期というものにぶち当たってきた。
そういった時期は通常心が不安定になりやすく、不登校になったり鬱病になったりしやすい時期の一つだと言われているが、その傾向は自分にもあった。
まずそのうちの一つが「とにかく考え過ぎてしまう」ということ。今覚えばそこまで考える?みたいなことまで異常なぐらい考えてしまうのだ。
先ほど思春期という話をしたが、もしも考えすぎたり心が不安定な時期を思春期と定義するならば私は生まれてきてから成人するまでずっと思春期だったような気がする。それほどネガティブで後ろ向きでどうしようもなかった。
まず基本的に自分のことが嫌いで、自分の敵は自分だと本気で思っていた。一度そんな思考が災いして身体を壊したが、入院している間もずっと自分のことを責めていた。
休まなければならない状況なのにも関わらず休めず、親や友達が頑張ってる時に何をやってるのだろうとご飯を食べながら泣いたりもした。
なんのために生きているんだろう、と考えて結局結論が出ずに泣き疲れて眠ることもあった。
そしてそれとは別に常にしていたことが「人と比べてしまう」ということ。
例えばバイトで自分よりも後に入ってきた年下の子が自分よりも仕事ができていた時に「自分はなんでこんなこともできないんだろう」と自己嫌悪に陥った。
でも、大人になった今だからわかるのだが、当時の私は「あえてマイナス思考になっていた」のだと思う。
例えば仕事でできないことがあって自己嫌悪に陥った時、「じゃあどうしたらそれができるようになるのか」というところまでは考えていなかった。
自分はダメな人間なんだ、何もできないんだ、というお決まりの反省文句を自分の中で並べて、そこからどうしたら良くなるかという改善点を自分の中で提案せずにただ眠る、ということを繰り返していた。
つまりは本気で悩んでいたのではなく悩んでるふりをすることで、自分は逃げていたのではと思う。本当の原因から目を逸らして、他人に責められないように予防線を張っていたのではないかと。
自分を守るために自ら自分を傷つけて被害者ぶっていたのだから傷つけられた自分はたまったものじゃないし、勝手に新手の自慰行為みたいなものを見せられた他人もドン引きだろう。
ただ当時の私はすごく必死だった。
自分のことが本当に嫌いで敵だった、だからと言って味方も特にいなかった。本当はそうではないのに。
最近は(少し大袈裟だが)自分のことしか信用できないとすら思っている。
又味方が誰もいないわけでもない。
私のことを気にかけてくれてる人はたくさんいたのに、これまた被害者ぶって不幸アピールをしていただけだった。
ただそれは今だから気がつくことで、渦中にいるのではどうしようもない。ただもしこれを見てる同じ気持ちの人がいるなら少しだけ考え方を変えてみてほしい。
どうして自分はダメなんだ、ではなくじゃあどうしたら今の状態よりも良くなる?を考えてみてほしい。
そんな余裕ねえよ、でも全然いい。
「幸せはいつも自分の心が決める」とか「いじめられる方にも原因がある」とかそんな言葉は好きではないし、加害者や他人が言っていいことではないと思うが、自分で思う分にはいいと思う。
自分の考え方を少し変えれば今よりちょっとよくなるかなーとか、確かにここは直さないといけない部分かなーとかそれぐらいでいい。ぜひ心に余裕があれば考えてみてほしい。
数年前までは学生で、いわゆる思春期というものにぶち当たってきた。
そういった時期は通常心が不安定になりやすく、不登校になったり鬱病になったりしやすい時期の一つだと言われているが、その傾向は自分にもあった。
まずそのうちの一つが「とにかく考え過ぎてしまう」ということ。今覚えばそこまで考える?みたいなことまで異常なぐらい考えてしまうのだ。
先ほど思春期という話をしたが、もしも考えすぎたり心が不安定な時期を思春期と定義するならば私は生まれてきてから成人するまでずっと思春期だったような気がする。それほどネガティブで後ろ向きでどうしようもなかった。
まず基本的に自分のことが嫌いで、自分の敵は自分だと本気で思っていた。一度そんな思考が災いして身体を壊したが、入院している間もずっと自分のことを責めていた。
休まなければならない状況なのにも関わらず休めず、親や友達が頑張ってる時に何をやってるのだろうとご飯を食べながら泣いたりもした。
なんのために生きているんだろう、と考えて結局結論が出ずに泣き疲れて眠ることもあった。
そしてそれとは別に常にしていたことが「人と比べてしまう」ということ。
例えばバイトで自分よりも後に入ってきた年下の子が自分よりも仕事ができていた時に「自分はなんでこんなこともできないんだろう」と自己嫌悪に陥った。
でも、大人になった今だからわかるのだが、当時の私は「あえてマイナス思考になっていた」のだと思う。
例えば仕事でできないことがあって自己嫌悪に陥った時、「じゃあどうしたらそれができるようになるのか」というところまでは考えていなかった。
自分はダメな人間なんだ、何もできないんだ、というお決まりの反省文句を自分の中で並べて、そこからどうしたら良くなるかという改善点を自分の中で提案せずにただ眠る、ということを繰り返していた。
つまりは本気で悩んでいたのではなく悩んでるふりをすることで、自分は逃げていたのではと思う。本当の原因から目を逸らして、他人に責められないように予防線を張っていたのではないかと。
自分を守るために自ら自分を傷つけて被害者ぶっていたのだから傷つけられた自分はたまったものじゃないし、勝手に新手の自慰行為みたいなものを見せられた他人もドン引きだろう。
ただ当時の私はすごく必死だった。
自分のことが本当に嫌いで敵だった、だからと言って味方も特にいなかった。本当はそうではないのに。
最近は(少し大袈裟だが)自分のことしか信用できないとすら思っている。
又味方が誰もいないわけでもない。
私のことを気にかけてくれてる人はたくさんいたのに、これまた被害者ぶって不幸アピールをしていただけだった。
ただそれは今だから気がつくことで、渦中にいるのではどうしようもない。ただもしこれを見てる同じ気持ちの人がいるなら少しだけ考え方を変えてみてほしい。
どうして自分はダメなんだ、ではなくじゃあどうしたら今の状態よりも良くなる?を考えてみてほしい。
そんな余裕ねえよ、でも全然いい。
「幸せはいつも自分の心が決める」とか「いじめられる方にも原因がある」とかそんな言葉は好きではないし、加害者や他人が言っていいことではないと思うが、自分で思う分にはいいと思う。
自分の考え方を少し変えれば今よりちょっとよくなるかなーとか、確かにここは直さないといけない部分かなーとかそれぐらいでいい。ぜひ心に余裕があれば考えてみてほしい。