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はてなキーワード: 自伝とは

2023-10-17

糞ほどどうでもいい作者の自伝を本の一章に据えるな

2023-10-14

anond:20231014225955

宗教家自伝をいくつか読むのが早そう

伝えたい事柄のないまま影響力を及ぼす結果に無責任な様は愚かしいけれど

2023-10-11

anond:20231011163644

小説家でも、半自伝的に体験作品にするタイプ対象を緻密に取材してドキュメンタリー的な作品にするタイプ自身体験から切り離して観念的な物語を作るタイプ、とか色んな人がいるから、漫画家作風によって体験との距離感はまちまちなんじゃないの。

2023-10-02

ジュリー氏がパニック障害ってのは本当だろうな

親とおじがあんなのじゃ病気にもなるよ

自分が加害したわけでもないのに責任取らされて可哀想

落ち着いたら自伝でも書いてほしい

2023-09-24

雨宮まみさんの『ずっと独身でいるつもり?』が映画化されてたんだ…田中みな実主演で。

さら知った。

ていうか、おかざき真里漫画映画化なのか。漫画化されてた事自体さら知ったわ。

原作者が亡くなってから大分つの映画化って凄いな。

漫画の連載は生きているうちに完結したらしいけれど

それでも自伝的な内容の作品が、原作者が亡くなった後で映画化されるって結構凄いな。

でも映画が良い感じで終わったとしても、主人公のその後も雨宮まみさんと同じだと思うと悲しくなる。

2023-09-08

東山社長

彼は古い時代成り上がりスターで、極貧の幼少期や複雑な生育環境川崎コリアンタウンで育った(ただしコリアンではない)ことなどは、自伝本で自ら告白してるんだよね。

から、この辺の部分を踏まえて、成り上がるための取引として性被害を受容した、でも時代はかわった、もうやらない、みたいな、昭和芸能哀史っぽくまとめたら、潮目を変えられたのになーと思ったけど、まあダメかなあ

2023-09-01

弱者男性にとって「有言実行」って「フィクションみたいなこと」なんだな

Vtuber子宮頸がんになって卵巣子宮を全摘出することになったのね。

で、その際にVtuberは「闘病日記出版するために日記付け始めたw」って言ってて、

この度、実際に闘病日記漫画化されて出版されることになった。

 

で、それに対して「配信で言ったことが本当になる漫画みたいな人」みたいなことを言ってる奴が結構いて

え?闘病日記出すために日記書くって言っててそれが実現することって

そんな漫画みたいなことか?って思っちゃったわけ。

 

もちろん、自伝出版したいなぁwって言って出版されるのは簡単なことじゃないのは事実だけど

漫画みたいっていうほどフィクショナルなことじゃないと思うんだよね。

そのために準備して、交渉して、実現したっていうそれだけの話じゃない?

そんなつもりなく付けてた日記評価されて出版社の目に留まって出版されて100万部の大ヒット!とかなら

まだ言いたいことは理解できるけど

業界にもある程度影響力のある人間が「出版目指して日記書きます!」って言って、

それが実現しますってそんな「漫画みたい」なことかね。

2023-08-31

「君はどう生きるか」すごく面白かったぞ?!

聞いてた評判と全然違うんだが?

 

宮崎駿自伝映画と聞いてつまらなさそうだな見ないでもいいかと思っていたけれど、いや普通に面白いよこれ

話も特段難しいわけでもない。千と千尋よりはわかりやすエンタメ寄りの映画だと思う

話の展開も早くてアクションシーン多め。話の構成がうまくて序盤から引き込まれる。ポップコーン食べる暇がなかった

 

感情描写ジブリ映画の中で過去一繊細かもしれない。劇中3回くらい泣いた

セリフではなく表情のみの演技だし、セリフと心情が違う(キャラクターが嘘をついている)ので見誤る人もいるのかもしれないと

他の人の感想を見て思った


以下見た人向け(ネタバレあり)

 

 

はてブスター集めてた感想、それは読み誤っているだろと思ったものをここに書くよ

 

 

「助けに行くのが父の好きな人から、は弱いよね」

 

違うよ!ほんとうは主人公はお継母さんのことが好きなんだよ!でも言えないんだよ!!!

 

お継母さんが頬に手を差し伸べた瞬間の主人公の表情を見ろよ!動揺し混乱した表情を。そしてすぐに無表情の仮面を被るさまを。

自分のことを愛してくれるお継母さんが本当は好きなんだ。でも近づけないんだ。あまりにも似すぎていて産みの母と混同しそうになるから

 

主人公は賢い子だから自分の態度が継母を傷つけていることはわかっている。継母が自分を愛してくれているのにそれを返せない罪悪感、でも本当は愛したいという気持ちが継母を追う原動力なんです

 

主人公は産みの母が亡くなったことを理解していると口では言いますが、本当のところは受け入れきれていません。だから何度も火事の夢を見るしアオサギにつけ込まれしまうわけです。

 

「その人が好きなのか?」

・・・父の、好きな人から

 

本当は”好きだ”って答えたい。でも言えないんだよ!

 

「なんで継母は帰ろうとしなかったの?」

 

継母がいってたでしょ!あの塔は一族のものを取り込むんですよ!

継母は自分犠牲になって主人公を助けようとしているんです

継母は「嫌いだ」といいながら泣き始めます。つまり嫌いというのは本心ではなく、自分を見捨てて帰って欲しいからそう言っているわけです

主人公はここではじめて「お母さん」って呼ぶんですよ・・・お母さん、お母さんって(号泣

 

画面では明確には描かれませんでしたが、継母をだまして塔に連れ込んだのはたぶんアオサギです。

主人公が「今日アオサギを見なかった」と言っているので多分そう)

おそらく主人公が塔にいると嘘をついて誘い出したのではないか

 

 

触ってはいけない人形に触ったのに何も起きない?

ちがーーーーう!そこのセリフ重要なのは「お前を守っている」だよ!

お前を守っているから壊すな(触るな)

 

ばあやたちが主人公を守っているという台詞は劇中3回くらいでてきたよ!

塔の中に生きている人間は5人

叔父、継母、産みの母、主人公の四人は石との契約により神のような力を持ちます。彼らは外の世界の記憶を失っていません

一方、巻き込まれしまったばあや(キリコさん)は記憶を失ってしまます自分あの世界で生まれたと認識しているようです

 

叔父仕事を継ぐのを拒絶すると

事前に聞いていたけれど、想像してたのとは全然違っていた

 

叔父戦争に明け暮れる人類絶望理想の世界を創ろうとしています。でも創った世界もまた罪に汚れてしまいました。

主人公に続きを託そうとしますが拒絶されます自分もまた罪に汚れている、そう言って額の傷を指し示します。

いじめっ子を陥れるためにつけた頭の傷。継母に嘘をつき悲しませた原罪

自分の弱さを受け入れた主人公現実に戻る選択します。外の世界に戻り友達を作る努力をすると。

 

展開的にはEnd of Evangelion ですね。人類補完計画の拒絶。現実に戻ろう。

でも創生神になるのを拒絶する理由自分もまた罪に汚れた人間から

 

うおーーすっごいな。庵野監督宮崎監督の違い!すっごいおもしろい!

 

 

あとアオサギよかったよ

 

じゃあな、友達

2023-08-23

Ah 僕は僕のママ

という替歌を投稿しようと裏取りしたら、

ゲイの人の自伝が引っかかってきて、

なんか意味深になってしまった。

2023-08-13

anond:20230812235344

谷崎潤一郎自伝でも、酒しおを飲む記述があったな

酒しおはみりんとは比べ物にならないくらいまずかったんだろうけど

2023-08-12

anond:20230811170853

畢竟 ひっきょう。「言ってみれば」

須く すべからく。語尾の「べし」とセット。意味は必ず何々しなさい(古代中国役人がよくつかってた命令文)。

兎も角 漢字意味不明だって明治文豪がつくった当て字ですもの

いやしくも 血筋や身元の話をわざわざ口にするのが卑しいくらい明白に高貴なお方なのに……の短縮形。だけどこの辺いやしくも字下げ増田様とか自称・他称するやついっぱいいそう。

よしんば 「ほとんどありえないけどもしも」くらいの意味場合とセット(おばあちゃん頭良い)

可及的 そうそう、できるだけだけどなぜか速やかとセット。急急如律令

果たせるかな 「自伝を書くときに使う予定」←そんな思い通りの人生よんでもつまんねえのでは。どっちかというと「豈図らんや」な意外性の人生が読みてえな

希くは 語尾に「~んことを」とつけるとかっこいいぞ。希うのは天に対してが多いので「お願いだから自然と~~なってください。」 

のべつ幕無し お芝居に全く休憩時間(=幕間)がないってことです。2時間ごえで席に着いてるのめちゃだれてきた、もうあんなにみたかったお芝居が騒音しかきこえない系拷問

三三五五 大体居酒屋かにあつまったり解散するときの様子ですね。学校の登校とか。

徹頭徹尾 昇進しなくてもつかってええし粉骨砕身(力士昇進からけっこうつかわれるようになった)よりわりと気軽ちゃう? ウクライナ徹頭徹尾抗戦するとのことでした~とか。

ゆめゆめ 怠るなとかわするるなとかがセット。 反対語は「夢にも思わない」。

2023-08-11

カッコいいけど使いどころがない日本語副詞

畢竟

意味も分からないし読めないけど、カッコいい

須く

同じく読めない。当然、という意味らしい。漢文で出てきた記憶

兎も角

ともかく。漢字で書くとカッコいい!!漢字意味不明だけど

いやしくも

卑しい、という意味じゃないことだけは知ってる

よしんば

うちの婆ちゃんが時々使ってる

可及的

速やかに、と並べて使う。ていうかそれしか知らない

果たせるかな

思った通り、という意味らしい。自伝を書くときに使う予定

希くは

いねがわくは。偉い人にならないと使う機会がなさそう

のべつ幕無し

絶えず続くという意味。昔の文学しかたことない

三三五五

3人、5人とか少人数のかたまりで行動する様。そんな機会ある?

徹頭徹尾

これはなんとか使えそう!昇進したらメールで使う!

ゆめゆめ

時代劇で聞くかな。タイムリープするしかない

2023-08-05

少女を埋める』 桜庭一樹

anond:20230804192751

ちょっとだけ話題になった『少女を埋める』という桜庭一樹の”自伝小説”があった。

自分モデルにした、東京暮らしている直木賞受賞作家(私)が主人公で、父が危篤になったと母親から連絡を受け、帰省し、生活し、また東京に帰ってくる話だ。単純化すれば”田舎社会と母をスケッチしたお話”ということになる。

母が父を介護中に虐待していた(はず)と述べた書評に対し、そんなことは書いていないし事実でもないと桜庭一樹が抗議したことから小説読み手解釈のあり方をめぐって論争が起きたため話題になったのだ。もう覚えている人も多くないだろう。

 

短期間とは言え用事をすますために付き合わざるを得ない故郷社会構成するのは「田舎者」という言葉にふさわしい人たちで、母を含めた老人たちは自分勝手だったり無神経だったり、「私」の価値観からは低い評価が与えられているように描かれている。

とはいえ帰省するくらいだから彼女らとの関係を切断するほど全人的に否定してもいないし憎んでもいない。そのあたりの多面的描写は興味深いので読んでみてほしい。

現在のー故郷を離れたー東京での」自分人間関係描写がところどころ出てきてこれが好対照に「私」の価値観からは高い評価が与えられているように描かれている。

友人から洒落プレゼントセンスのいい会話が楽しめるかかりつけの美容師、「私」の苦しみによりそって適切な助けをくれる友人。

今の「私」生活はなんてすばらしいのだろう!今、「私」はなんて人間関係に恵まれているのだろう!という言外の叫びと(それに引き換え・・・)という独白が聞こえてきそうだ。

 

だが、美容師をはじめとする知人たちが「私」をちやほやしてくれているのは金回りの良い有名人からではないのか。

それに気づくとこの小説をどう読めばいいのかわからなくなってくる。

 

 

桜庭一樹は、「彼女たちが功利主義に基づいて私に接しているのかもしれない」と想像したことはないのだろうか?

気づいていてなお、「私の友人面をしている人たちを周りに集めることができたのは自分の才覚だ」と思っているのだろうか?

あるいは…

2023-08-04

anond:20230804173356

ユダヤ人女性収容所での少女時代を振り返った自伝を読んだが壮絶だった

坊主にされ強制労働、看守から暴力、脱走者は柵で感電死、同房は餓死、弟は別の檻で病死……

アンネの日記児童書に出来るぐらいソフトな内容だったんだなと

2023-07-27

anond:20230727182319

本人が自伝で、「睡眠は一日3時間だった、信号待ちで少し寝る」と書いてますasin:B0776TQGWV

しょうもないクソレスやめたら?

2023-07-17

史実では宮崎吾朗ジブリ継承しようとしたんだよな

鈴木敏夫にそそのかされて、宮崎駿後継者となるべく、

ジブリで毒にも薬にもならないような映画を何本かつくったんだろ?

な?

から史実では継承者になろうとしたんだよ。

でも、それはうまくいかなかったんだ。

なぜか?

映画の中で大叔父は言ってたよね。

世界継承者となるには必ず私の「血族」でなければならない、と。

からインコの王が適当に積み木を組み上げてもあっという間に崩れ去って世界崩壊する。

このへんをちょっと考えてたんだよなあ。

まああんまり現実投影しても

実はあまり意味はないような映画なんだ

ということは薄々感じているか

こういう文章自体意味はないのかもしれない。

 

でもさ?

叔父世界継承を促されて

いや俺は自分世界に帰って友達百人作るべ、

って、それを断った主人公というのはいったい誰のことなんだろうな?

まあそもそも自伝的要素が強い映画といわれている。

であれば主人公宮崎少年投影されていたものであるはず。

というか物語の冒頭は完全にそうだった。

とするならこういう考え方もできる。

俺がもしも宮崎駿の息子だったとしても、

そして正当な「血族』だったとしても

スタジオジブリなんて絶対に継がなかったね。

と「血族」でもないのに石を継ごうとした吾郎に言っているようにも聞こえる。

つーか俺が吾郎だったら、そう受け取ってしまって苦悩するかもしれない。

君たちはどう生きるかが響かなかった件について

普通にネタバレあるからまだ観てない方はスルー推奨】

結論から言って

犬王(アマプラ)

廻るピングドラム(アマプラ)

君たちはどう生きるか(劇場)

を立て続けに観た自分に、一番刺さったのはピンドラだった。

ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実しょんぼりした理由は、自分に響いたのが

持つ者の冒険

よりも

持たざる者の救済譚

だったからだ。

ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。

今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。

君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。

そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。

扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、

しか家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。

それと同様に、半ば宮崎駿自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。

冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象けがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。

金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。

目の前に展開されているのはフルスロットル宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。

金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。

なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。

と同時に、かねがね思っていた〝最前線文化教養は「生存不安のない者」たちからしかまれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分もびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。

ってゆー結論なっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?

ねえいない??

コミケ原稿落ち着いたらもっかい見に行く予定ではあるんだが、その時にはすっきり消化できてたらいいなあ…

こうなってくると俄然、富野由悠季にも自伝的な夢映画をつくって欲しくなってくるよな

でも例えバンナムお金出すと言っても、そういうことは絶対にしなさそうだよね。

anond:20230716190600

「作者の気持ちを答えなさい」

そういう教育を受けてきた大人社会の大半を占めている現状、読書感想文がそうなるのは否めない

から作る側はいつか国語教科書にあったその風景に近づこうとする

そうなると最後にはものづくりしてきた人間自分作品国語教科書に設問を掲載されるときには、いじわるく

「君たちのことをおしえてください」

って書きたくなる

客席を映して君たちだとかタイトルにつけた君は劇中にいないとか作者の自伝とか

そういう問いかけで喜ぶのは

 作者のカルトクイズで点数とりたい人か

 問うてるポーズを真似して成功者のようにかっこよくなりたいか

 全然意味わからんけどなんかすごいっていう人か

そういうお客だけ

いちいち全部自分の見た絵を喩でネタバレとして発表するやつ

そういう世間ってどうかと思うよと消費者側の消費スタイルマナーを物申すやつ

あれなんかすごいねわからんけどわからんわというやつ

日本以外での映画の楽しみ方は、切り出して自分のかっこよさにプラスするリソースみたいなものとして文化エンタメを消費してる

日本は切り抜けば版権マネタイズと作る側見る側を「手売りで売り切る」ところで現金回収すること以外なにも考えてない

それ以外の消費の仕方を自由にされてるとも言えるけれど、君たちはそれでいいんか?

そういう話題になるたびに「君たちはそれでいいんか?」って言いたい作者がタバコすいながらにやける

何をどう解釈しても説明してもレポートしても、それが第三者からみて正解だとか事実だと言っても、作者本人が

「それはちがうよ、それは僕の中にだけにしかいからね」

と言えば終わるだけの話なんだけどね

2023-07-16

君たちはどう生きるか なんか七面倒臭い感想ばっかりなので

別にそんな難しい話でもないよ。

倒すべきラスボスがいないだけで、十分にエンタメだったし楽しかった。

少年の成長を描いた話で、話の流れも千と千尋みたいなもんだし、難しくもなんともない。

近年レベルの上がりまくった日本アニメ界の他の映画と比べても、作画は滅茶苦茶いいし相変わらず久石譲音楽はすごくよかったし。


いちいち自伝だの言わなくて単純に楽しい映画でした。

10/10です。


楽しい映画から見に行くといいよ。

オタク男の子には特にいい映画だと思うよ。

昭和漫画家自伝漫画みたいのを読むと、よくチンピラみたいなガラの悪い編集者が出てくる。

はてブで、少女漫画家編集者に呼び出されて酒を頭からぶっかけられたって記事を見たが、誇大表現じゃなくてガチでガラが悪かったんだろうな。

君たちはどう生きるか感想(後半ちょいネタバレ

公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有経験を与えてくれたことに感謝します。

これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕経験であり、その後のジブリアニメ国民アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます

 

ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメである評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。

ゲド戦記アリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。

風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。

 

この作品制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。

 

私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。

 

行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきますストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます

 

 

 

 

 

面白い

 

カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。

 

◆この作品を見るべきか否か?

 

文字通り宮崎駿集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本アニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれ作品になるでしょう。

 

◆良かった点

 

文字通り集大成なので過去宮崎アニメの要素が全て入っている

 

風立ちぬトトロ千と千尋ハウルポニョコナンカリオストロラピュタ

と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます二番煎じではありません。

本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。

そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります

 

宮崎駿自身実存が感じられる

 

主人公モデル少年時代宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります

何より宮崎駿インタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。

 

ストーリーが練り込まれている

 

コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。

既存ストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。

千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくり自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています

 

・泣ける

火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。

 

◆悪かった点

・なんか説教くさそう

 

説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。

2023-07-15

君たちはどう生きるか」が失敗作であること

観客が作品本体の話で盛り上がるのではなく、作品の中に自伝的要素を探しはじめてあーだこーだやりはじめると失敗作の証拠で、かつは黒澤明の『夢』、ジョージ・ルーカスのプリクエル、コッポラの『ゴッドファーザーPart3』なんかもそうだった。作品として強度が弱くつまらいからこういう現象が起きるのだが、たとえ自伝だったにせよ、作家人生のうち我々に見えているものなんか0.01%もないわけで、作家が何に何を投影たかなんて全く関係ない観客が正確に理解できるわけもなく。

老境に入ってから作品といっても『かぐや姫の物語』とか『アイズ・ワイド・シャット』とかそんな現象は起きなかったでしょ? 優れた作品とはそういうもの作品本体の話で盛り上がれるもの

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である

この作品宮崎駿自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面バックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマ一貫性を保っている。

彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアしかからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品オマージュという形で追想しているのだ。

そしてここから重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。

戦闘機の風防を量産する軍需工場経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦左翼に傾倒して東映アニメーション高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。

これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。

だがそれは一部のマニアけが知るものとなり、実際に「大人である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品ストーリーアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである

それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。

いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。

そうして作った過去作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。

まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なもの攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカル表現である

そして現代日本人代表するように庵野のような表現個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。

こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界スタジオジブリのものである自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ

作家経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。

この作品を単なる消費物としてみたとき評価駄作であろう。

だが、この作品は紛れもなく宮崎駿自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかである

追記

残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeレビューをするだろう。

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