はてなキーワード: 腱鞘炎とは
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
人生において、その年齢でできることって決まってるわけで、
自己啓発だと、遅すぎることなんてない、何歳からでもなりたい自分になれる、
みたいなことをYouTubeの某元お笑い芸人みたいな詐欺師めいたことを言うのだろうけど、
当たり前の話だけど、そんなの無理なわけで、
70まで生涯現役で仕事してきて、まだまだ健康で肉体年齢が20代だったとしても、
俺、本当はサッカー選手になりたかったんだ、なんて無理なわけで、
結局そこで、肉体年齢だの能力だのはこの社会で大した問題でなくて、
そんなことより最年少で竜王になるとか、そういう物語性とかの方が重視されるわけで、
少なくとも、昔は10代で新人賞ぐらいは取ってないと駄目なわけで、
要は、俺はまだ本気出してないだけ、が本当だったとしても、
じゃあ、10代で本気出してくれないとデビューできないよ、という話で
逆に趣味で漫画をTwitterなりネットに放流する方が注目されちゃったりして、
最近は漫画家は兼業でやるべき、という考え方がプロでも定着しつつあるというか、
昔は必ず出版社を通さなければ世に出すことができなかったからで、
彼等の考えであって、それがネットなりで覆されてしまったわけで、
でも、老人になってから漫画で食ってくなんて寧ろ考えられなくなった
やっぱり体力が続かない
液タブで作画するようになっても、結局作業量が同じどころか増えてしまって、
個人的には、タブレットが紙より滑るのとかが良くない気がするのだけど、
まあ、眼も悪くなるし、少なくとも緻密な絵を描くのは続かない
水木しげるみたいに、背景は誰か若い学生とかに描いてもらってそれを貼り、
そこにサラッと少ない線のキャラを描くとかしないとやってられない
でも、線が少ないということは、それだけ表現は制限されることになる
少なくとも、絵がスゴい、というインパクトでは攻められなくなる
結局、若いときとか、その年齢に適したときに適したことをしないと、
後々になって、それをやれる能力があったとしても、無駄になってしまったりするわけで、
やれるときにやっとけ、
やれないときになったらもうやるな、
というのが正しいんだろうなぁと思ったり
女性が男性に並ぶには、爪を切るのがとりあえず一番早い。ぜひ爪を切ってほしい。お願いだ。
そもそも爪を伸ばしてマニキュアを塗るという行為は、「私は下働きをしない高貴な身分である」ということのアピールだ。
実際、中国やアジアでは貴族男性も爪を伸ばしていた。家事をしなくてもいいことの証明、ひいては富裕層であることのアピールだったからだ。これは肥満にも言えることだが。楊貴妃がその典型例だ。纏足、長い爪、豊満な体。それは全て富裕層の証だった。
とある儒者などは、生涯一度も爪を切らなかったことを自慢していたほどだ。儒者特有の「親からもらった身体を傷つけない」という価値観のせいでもあるが(この価値観はタトゥー問題として現代にも生きている)。
今はもうそのような時代ではない。どんな身分の人も、働く時代なのだ。
だからぜひ、爪を切ってほしい。
爪が長いままスマホを使ったりキーボードを操作したり家事をすると、バネ指(指の腱鞘炎)に非常になりやすいのだ。「女性はバネ指になりやすい」という話があるが、これは爪が長いままいろんな作業をやるからだ。
爪が長いと指先の力が使えない。だから指の腹を使って力を入れることになってしまう。これはとても不自然なことなので、「女性は力が弱い」ということになるのだ。
女性の方、瓶のふたを開けるのに苦労したことはないだろうか?男性の方は、女性に瓶のふたを開けてくれと頼まれたことはないだろうか?
これも爪による。指先の力をしっかり使えていれば、瓶の蓋は簡単に開く。
女性は力が弱いわけではないのだ。もちろん上限値は男に劣るかもしれない。しかし、日常生活で「男に劣る」場面ははっきり言って、ないのだ。
女性はいろいろな面で枷をはめられている。ハイヒールやスカートを履くから「活動的ではない」し、爪が長いから「力が弱い」のだ。
だからぜひ、まずは爪を切ることから始めてみてほしい。長い爪が必要な場面では、付け爪を。そして男性には、爪の長さを女性に求めないでほしい。
もう楊貴妃の時代ではないのだ。電動工具があるから大工だってできる。We can do it.の時代からもう半世紀以上たってる。
そして、何よりも、今はスマホとキーボードの時代だ。スマホとキーボードを使うためにも、ぜひ爪を切ってほしい。指の腹で打ちにくそうに操作している姿を見ると、とても心配になる。バネ指まっしぐらだからだ。
バネ指というのがわからない人は、「指のぎっくり腰」と思ってもらえばいいと思う。朝起きると指が折りたたまれて、動かない。恐怖の体験だ。身の回りの中年女性に聞いてみるといい。経験者は多いはずだ。
指先の力というのは本当に大事なものだ。指先の力を使えるかどうかで、力の出し方は全く変わってくる。これは武術をやっている人には大いに同意してもらえると思う。指先の力は本当に本当に大事だ。
爪が長いことが女性の上限値を大幅に下げている。纏足と同じだと個人的に思う。纏足の人に100m走で勝って「こいつは脚が遅いな」って言っているようなものだ。
この「指先が大事論」を実証するため、在宅ワークを利用して2か月ほど爪を切らないで生活してみた。爪の長い女性と同じ体験をしてみたのだ。爪を整え、割れないように気を使って生活をした。
すると、全く力が入らない。とんでもないハンデだ。袋を開けるにも苦労する。料理だって大変だ。キーボードで文字を打つと、肩甲骨のあたりが異様に凝る。なんというハンデだろう。これはもはや現代においては障害クラスなのではないか。
筋肉には多少の覚えがあった自分だが、爪が長いことによりパワーは半分以下に落ちた。筋トレをするにも、指先に十全な力が入らないので効率が悪すぎる。
爪を伸ばす前までは40kgのダンベルカールを2回ギリギリ行けるくらいだったが、爪を伸ばすと34kgで2回が限界だ。
指先ではなく指の腹に力を入れるので、利かせることが難しい。これは無理だ。
タイトルではハイヒールやスカートより、と書いたが、これらも同様な枷だ。
爪の影響は非常に大きい。本当に大きいのだ。
とにかく爪を切ってほしい。爪を切って(爪を気にせず)指先の力を使う世界は別世界だよ、と、全ての女性に伝えたいのだ。
そして男性にも。生爪よりも付け爪。付け爪のほうがネイルを盛りまくれるので楽しいしかわいいよね、くらいの価値観になってほしい。
爪が長いのは、貴族だけだということを覚えてほしい。
必ずしも、美術学校へ行っているとか、絵を描く仕事してるわけじゃないからスゲー不思議
むしろ絵を習ってはいたけど過去やる気がなかった→やる気を出したみたいなのは
たかだが半年〜遅くても1年くらいで完全に別人かつ絵の仕事が余裕で取れるレベルかつ仕事で絵を描く人間でも上手い部類になる
短期間で何をどうやったらあんなデッサンが上達する&立体感のある厚みのある絵を描けるようになるんだろうな?
(現在は通っていなくても過去習ったの思い出してやる気出したのか?それにしてはスタート時が下手過ぎるが)
新都社の某氏もそうだが短期間で異常に上手くなる人は職業作家でも無いのに
ガチで腱鞘炎になるレベルで絵を描きまくってることだけは共通している
異常に上手くなる人は異常に絵を描いてる
ワイも子どもの頃からゆるっと好きで描いているけど腱鞘炎になる程は描かないなぁ
ある期間までは全然絵に興味がなくて、動機はともかく、突如腱鞘炎になるまで絵を描き出すとか
あと、真面目に絵の勉強してきたヤツらは知らんし、美術絵ではなく、いわゆるマンガ絵・アニメ絵に限った話だが、
絵を描きまくることで得られるのって手癖で形を描けるようになることなんだよな
形を練習で覚えているだけなので、"物を捉える目" と "写す技術" と "立体の表現力" が養われるかはまったく別の話だ
にも関わらず、"物を捉える目" と "写す技術" と "立体の表現力" が半年とかの短期間で異様に鍛えられているので
もういっそ美術やデザインの講師した方がいいんじねぇかな?って思う
でもこういう人たちはほとんどの場合、言語化・システム化するの下手だよな
あとややこしい奴が多いクリエイターの中でもさらにとっつき難い性格をしていることが多い
(ある時点でまではいっさい興味なかったのに突如腱鞘炎になるまで描きだすんだからそりゃそうだよな)
現ジャンルに参入して、2ヶ月が経とうとしている。
小さいジャンルだからフォロワーは少ないけど、以前のジャンルより絵の感想をいっぱいもらえるし、いいねもRTもしてもらえる。
調子が良ければ、1日2枚は簡単なイラストを描けるし、どんなに空いても2・3日に1枚はコンスタントにアップしてる。
自称落書きだけどフルカラーだし、とても他人には落書きに見えないらしい。
キャラクターがかっこいいとか可愛いとか言ってもらえると、嬉しい。
学生だろうと、みんな一所懸命絵を描いて色を塗って、作品をアップしてる。
スマホで描いてるのかな。
私はiPad Proだから、指でちまちま描くという苦労が理解できるには程遠い。
ポケモンGOがサービス開始した頃、ボールを投げすぎて人差し指が痛くなってしまったのを思い出した。
あんな感じ。
いいねだけつけてくれる人、
ずっと見ていたけど、恥ずかしくてなかなかコメント出来なかったから、ようやく感想を送れた、と言ってくれた人もいた。
いろんな人がいて、対立してる人もいないし、心地いいなと思った。
恥ずかしくて感想が送れなかったなんて私に言ってくれる人、本当にいたんだと思った。
私も、以前にいたジャンルでずっと閲覧していた人がいた。
見ていたけど、BL表現は苦手で、顔をしかめる表現も多かった。
でも、その人はとにかく毎日のように、日記に添える簡単なカットを描いてはアップしていた。
すらすらと描いているみたいに感じて、
数年前のイラストよりもだんだん上手くなっているのが一目瞭然だった。
至ってシンプルなのだけど、男の子が華奢で小綺麗で可憐だった。
ちょっと間の抜けた表情のイラストは、本人が何か思い立った時くらいしか見たことがない。
ギャグみたいな豊かな表情は苦手らしい。
多分、その人は、私にとって神絵師だった。
アナログ線画デジタル塗りのその人は、つけペンの線一本一本が綺麗だった。
同人誌を買いに行ったけど、一般向けのものを2・3冊しか買えなかった。
他はBL色が濃くて、どうにも買う気になれなかった。
少ない同人誌を何回も見返して、
と思った。
「この人の作風は、こんなにスカスカでも物語が成立してうらやましいな、1ページのペン入れにかかる時間は30分か1時間だろうか」
と思った。
結局はBL作家も、少女漫画のようなモノローグの多いコマ割りを好むんだと思った。
対する自分はどうだろう。
あの人に比べたら、キャラだけでも6倍は描いていると思う。
少しでも緻密さをあの人に近づきたいから、
あの人みたいに、描写をシンプルに出来るところは少しでもないか、描き込みとデフォルメの間でずっと悩んでいた。
多分小綺麗な絵柄に寄せていけば、今までBL本目当てで買っていた人も、私の同人誌を目に留めてくれるかもしれない。
そんなことを暴露しても、誰が気付くだろうか。
漫画が上達するのは、アマチュアであろうと漫画家の当然であり義務みたいなものか。
原作は、絵柄が独特だった。
みんな大体、二次創作でも原作の絵柄に忠実に描く人が多かった。
その人は、どうにも原作に寄せ切ることは出来ないらしい。
心ばかりの原作に寄せた顔のパーツはあったけど、
それでも、サークルの前に足を止めて同人誌を買っていく人は多かった。
50冊くらい売れたのか、早々に切り上げて14時頃にはいつも撤収していた。
でも、私にだって私の絵柄がある。
自分の絵柄で物語が描けたら、こんなストレスを感じなくていいしどんなに気楽だろう。
あの人みたいに、自分の絵柄を尊重して、最初から原作に似せずに描く方法もあったか。
色んな後悔が押し寄せる。
不満はどんどん溜まっていった。
ある時、新刊用に書いていたシナリオと、別の同人作家の新刊告知とが
「ネタ被りした」気がした。
かなり長いこと悩んだ結果、
と割り切って、描き切ることにした。
作品は無事仕上がったし、パクリを疑われるようなこともなかった。
私がこの作品の二次創作をするために書いたシナリオは、きちんと私が原作を考察して書き上げたものに間違いなかった。
ある時、別のジャンルにハマった。
まったく別のベクトルのセンスを求められるファンアートを描く必要があった。
しかもそこには、プロの漫画家もファンアートを投稿しているらしい。
ここも小さいジャンルなのに、友達になれたら、イラストをお互いに描き合ったり出来て楽しそう。
私は、箸にも棒にもかからない。
またたく間に飛ぶように売れた。
次の日、友達になってくれた子が、サークルに私の本を数冊置いてくれた。
「いない間に飛ぶように売れて、完売しちゃったらどうしようかと思った」
と言われた。
あの人もまた、新しい作品と巡り逢って、サイトを閉じて、名前も変えて、別ジャンルの同人誌をせっせと描き始めた。
現在、私は新型感染症のとばっちりで、コミケに参加できていない。
でも、今いるジャンルはもうたくさんの同人誌を描き上げたし、あの飛ぶように同人誌が売れた時代も一瞬で終わった。
ファンは見切りをつけるのがとても早い。
そんな風に、ファンと購買層を分けて考えられる余裕があるのは、二次創作にあまりに慣れすぎたせいか。
私は筆が速いので、ファンアートを描き上げるのもあっという間になってしまった。
あの人に憧れて、もっと上手にとか、もっと速くとか思い悩むことも今はない。
自分の思い通りの品質で絵が描けるようになったから、あとは何枚もイラストを描いて、何人も私の作品に目を留めてくれたらいい。
絵が上手だと思われているかもしれない。
可愛いとか、かっこいいとか、思ってもらえてるかもしれない。
「原作の絵柄」なんて前提も取り払われたので、私は現在、無敵状態だ。
その中で、私は感じた。
誰か私に憧れているのだろうか。
私の絵を見て悔しいと思っているだろうか。
自分の執筆の手が止まってしまうくらい、私に嫉妬しているだろうか。
そう考えたら、私はあの人のことを思い出した。
あの人は、あの時の私にとって神絵師だった。
どんな気持ちで日々絵を描いているのか、
よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだと悔しくもなった。
だって、自分はここまで憧れて悔しくて苦しんで、原作と自分の絵柄との間に苦しんで、逃げるようにジャンルからいなくなったのに。
苦しんでいる私を、神絵師は知らない。
知恵熱を出そうが、ガリガリに痩せようが、神絵師はそんなことをいちいち聞かされないんだもの。
今の私は、誰かから「よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだ」と思われているのだろうか。
あれほど苦しんだことを度々思い返しながら、
私は今日も黙々と絵を描き続けている。
誰の苦しみもいちいち聞かされないから。
まず全ての面で、世界人口の多さとそこから発生する死者数の多さという事実がプロットを破綻させている。
個人がいくら全力でボタンを押しても、押した数は死者数のゆらぎの範囲にしか収まらない。
(死の許可ボタンなら、いくら押しても誤差の範囲でしかゾンビ増加は減らない)
別に現代地球の話とは書いていないが、「誰かが死ぬボタン」でボタンを押したレスポンスを確認できる話を書くなら、
ボタンを押したことで死者数に影響を与えたという結果が測定できる舞台を明示的に設定すべきだった。
あとボタンを貰った時の状況とボタンを次の人に渡そうとしている状況の整合性が無いとかも気になる。
最後そういう落とし方するなら、前代からボタンを引き継ぐプロローグにしろよ。
ある男が神のお告げを聞き、1回押すと人が一人死ぬスイッチを受け取りました。
男はそれが神より自分が授けられた使命だと思い、スイッチを押し続けました。
男は日頃の恨みやこれで世界が変えられるはずだという信念のもと三日三晩の間、スイッチを押し続けました。
三回目の朝を迎えたとき、男は体の気だるさと充実感に満たされ、眠りにつきました。
次に男が目覚めたとき、何もかもが夢だったのではと少し疑いましたが、彼の傍らには確かにスイッチがあり、彼の手には関節の痛みが残っていました。
男は自分がしでかしたはずのことを調べるためにテレビをつけましたが、ヒルナンデスでは南原が笑っており、バイキングでは坂上忍がしかめっ面をしていました。
チャンネルを続けて変えましたが、リモコンのスイッチを押す手が痛むだけで、原因不明の死者増加のニュースはなく、世界は何も変わっていないようでした。
ネットも確認しましたが、Twitterではvtuerが配信したゲームがトレンドに入っており、ユーチューブではカワウソの動画をお勧めされ、はてなははてなでした。
回数が足りなかったのだろうかとそこからまた半日ほどスイッチを押し続け、腱鞘炎になりました。
それでも世界は何も変わらずそこにありました。
男は痛みに耐えかね、 病院に行きました。
男は手の治療を受けながら、何もかもが嘘だと思えたらよかったのにと思っていました。
男には確信が二つあったのです。
一つは、自分にお告げをしてくれた存在が確かに神であったこと。
疑うことすら叶わぬ強烈な印象を神は持っていたのです。
男は足りないものは自分にあったのではないかと何度も何度もスイッチを押しましたが、世界に異変は起こりませんでした。
それからしばらくは男は暇な時間にスイッチを押しましたが、世界は何も変わらないのでめげてスイッチを押すことを止めてしまいました。
それから5年ほどたち、男がネットサーフィンをしているととある動画を見つけました。
全身が血だらけで、顔がつぶれたトマトみたいになった男がひしゃげた車体から顔をのぞかせて這い出し、ねじ曲がった体を動かしながら奇妙な歩き方でカメラに近づき、「キルミーキルミー」と話しかけてくるというものでした。
できそこないのホラームービーみたいな動画でしたが、よくあるネタ動画と違ったのはその自動車事故を目撃した大勢の人物がいたらしいということ。
「キルミーキルミー」とつぶやく同じ男を別の角度から撮影した動画が他にも5つほど出てきました。
テレビをつけると「キルミーキルミー」の男が羽交い絞めにされ、病院に運ばれている映像がニュースで流れていました。
アナウンサーは「この事故は一昨日アメリカのミネソタ州で起こり、男は病院に運ばれたそうです」としか言いませんでした。
「病院に運ばれ間もなく死亡しました」という決まり文句を言いませんでした。
明らかに致命傷を負ったはずのトマト頭はまだ生きているということらしい。
病院の病床はいっぱいになり、町中には救急車の音が鳴り続け、大事故からの生還者のニュースは日に日に増えていきました。
どうやら世界で誰も死んでいないらしい。
メディアはおおっぱらに報道はしないがネットでは致命傷を受けているはずなのに死んでいないゾンビの動画にあふれていました。
男は押し入れからほこり被ったあのスイッチを取り出し、1回押してみました。
男はすぐさまネットで検索すると、すぐに別のゾンビのライブ放送が見つかりました。
男はスイッチを押すと、画面の向こうのゾンビはぐしゃっと音を立てて倒れました。
何度か同じような放送で試しましたが、ゾンビは男がスイッチを押した途端電池が切れたように倒れるのでした。
男はこのスイッチが1回押すと一人を殺すスイッチではないと悟りました。
また、とある人物に死因が訪れたとき、このスイッチがあらかじめ押されていたらその人物はすぐに死ぬ。
しかし、死の許可を与える回数がその人物の前に切れていたら、致命傷を受けていたとしてもその人物は死ぬことができず、生き続ける。
このスイッチは押した回数だけ、死の許可を予約することができ、その回数が切れると世界中の誰も死ねなくなる。
人をゾンビのままにするのも、殺すのもいまや男の意のままに操ることができます。
気が狂うほどに高橋名人がごときスピードで、笑いながらスイッチを押し続けました。
男が押せば押すほど、死ぬはずだった人が順当に死に、世界はゾンビ楽園から元の死んだら死ぬ世界に戻っていきました。
それから100年後、男は体がボロボロになりながらもスイッチを押し続けていました。
昔は押すごとに高揚感のあったスイッチも今や彼の義務のようになっていました。
男は二つのことに気づいていました。
ひとつはこのスイッチは押すことで自分以外の誰かに死の許可を与えるものだということ。
自分が老いさらばえた体でいつまでも生き残っているのはこのスイッチを自分が押しても自分に死の許可を与えることができないからだと。
その証拠に男は何度も何度も死に至るほどの痛みを経験してきていました。
そしてもうひとつはだましだましつかってきた自分の体に限界がきていること。
このままでは自分は死に至るほどの痛みを抱えながら動くことも死ぬこともできず、ずっとずっと生きてしまう。
なるべく他者に容赦なく残忍で、人の死に快楽を覚えるほどストレスがたまっていて、腱鞘炎になるほど一つのことに熱中できるようなやつがこのスイッチにはふさわしい。
土曜午後、最寄りの郵便局の窓口が閉まる前にメルカリで売れた服を発送すべく、TV画面で観ていたNetflixを消し重い腰を上げた。
部屋着を脱いでベットに投げる。そのまま洗面台に向かい、水で適当に顔を洗う。
タオルで顔を拭き鏡の前の化粧水を取ろうとした時、自分の右手首にちいさな痣があることに気付いた。
青とも赤ともつかない色の丸い痣だ、昨日までは(多分)なかった。どこかにぶつけた記憶もない。
スマホ腱鞘炎とかいうやつか、いや多分違う、分からない。何だこれ、もしかして病気の前兆なのか。健康には人一倍気を使っているのに。
何故か涙が込み上げてきた、先程顔を拭いたタオルに顔をうずめ1分程泣いた。
先日、発達障害の診断を受けた。長年自己診断だったが遂に医者からお墨付きを貰った。ワーキングメモリがえぐいほど低い。
知ってたけど、なんやかんやで自分は普通であると思っていただけに軽く凹んだ。
先日、なんの気無しにピロリ菌の検査を受けたら陽性だった。若者の感染率は低いというし、なんやかんやで陰性だろうと思っていたので結構凹んだ。
子供の頃おばあちゃん家の裏山で湧水を飲んでたっけ。あれが原因か?子供の頃の美しい思い出の一つなんだけどな。
今度初胃カメラを受ける、正直怖い。
鼻から管を入れられることにではない、己の胃の中が見るも無惨な状態だったらどうしようという恐怖だ。
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コロナ禍で趣味の遠征が出来ないことで浮いたお金と時間を自分自身の身体のために使おうと思った。
これに関しては自分を褒めてやりたい。
ただことごとく引っかかってちょっと凹んだ、それだけだ。ADHD分かった以上、適切な対策を取ればいい。ピロリ菌もこの歳で分かって良かった、ありがとうロビン・ウォレンとバリーマーシャル。
私は腰を上げるのは人一倍遅い癖に、ひとたびスイッチが入ると一気に取り掛かる。そして電池切れを起こす。
今がそれだ、検査に検査を重ねてことごとく×を貰った。都度自分の身体と脳の真実に向き合った。
凹みはしたが刺激的な経験だ、ぶっちゃけ胃カメラ自体は結構楽しみなのだ。しかし今、手首の小さな痣でちょっと折れた。
好き好んで各病院の敷居を跨いだ癖に
度し難い、実に度し難い。
けどこうやって書き散らかしていたら少しメンタルが回復してきた。
手首の痣もよく見たらとても小さい、っていうかこれよく見たら火傷ではないか。こっちは身に覚えがあるぞ、いずれにせよ悪化したら病院で診て貰えば良のだ。
とりあえず手首の痣らしきものを氷で冷やしてみた、両手が塞がってしまったのでぼんやりと天井を仰ぐ。涙はもう乾いていた、窓の外からどこか惚けたガラスの鳴き声が2度ほど聞こえた。
郵便局の窓口には多分間に合いそうにない。
強力粉に目覚めてからというもの3日に一度は捏ねていて腱鞘炎になりました。
痛くて休んでいるうちにちょっとだけ「もう十分つくったし、パン作りはこれで終わりにしてもいいかな…」という気持ちが芽生えた。
作りたてのパンはおいしいけれど、仕事から帰ってきて晩ごはんをたべてから仕込んで発酵させて、と深夜までかかってしまい睡眠時間が減ってしまったのもある。
次の日の朝食が楽になるおくさんは「今日はパン作らないの?」と毎日のように聞いてきたが、いつも「手首痛いから無理だなー」と返事をしていた。そんな問答が続いていたある日、ホームベーカリーがぼくの机の上におかれていた。「ありがた迷惑」という言葉について考えるきっかけとなった。
ともあれ、作らねばならない。
最初に焼いたのは説明書通りの食パン。まぁまぁおいしい。市販の食パンを違って「ミミ」がおいしいのが面白い。つづけて、フランスパン風・スウィートパン・ごはん入りパンを試したけど、こちらはちょっと微妙だった。とくにフランスパン風がおいしくない。
結局、主に生地つくりモードで使用して、ベーコンチーズパン、ウィンナーパン、あんパン、メロンパン、チョコレートパンなどを週に3,4回焼いている
ホームベーカリーはパンだけではなくピザ生地やそば、うどん、餅だって捏ねてくれる。というわけで、台湾風肉まん・水煎包の皮を捏ねるのに、ホームベーカリーが役立ってくれた。
この焼き肉まんはなかなかおいしかった。おくさんは調子に乗って老祥記の肉まん(最近レシピ公開していたよね)を作ろうと言っている。
4年間も手が塞がっていたら腱鞘炎にならない?