はてなキーワード: 腕力とは
アニメならお礼にとつくってあげてもっとクソいやつができて奥さんにたべさせて二人でうげーってなって「二人とももうお菓子作りはごめんだよ~」ってなって顔のまわりの○が小さくなっていく落ちやね
てか男女いれかえた釣りやろ
普通にいきてたらケーキなんぞ男性はそんな食べたくならないし甘党男子ならクックパッドみてHMでなんか作るくらいできるやろ腕力も火力もありそうやしな
元増田が本当に奥さんに食事まで支配されてみたい系の嗜好をもつ男性ならしゃーないから教えたるけど
パフェグラスとスプーンかってきてたまにこれでパフェ食べたいなー言うだけでええ
コーンフレークだのフルーツソースだのヨーグルトとバニラアイスに乗っけるだけだし失敗のしようがない
次はクレープやね
あれは失敗すると平らな円にならないから本人も見た目で判定できるやで
https://togetter.com/li/2293203
この方はn=1としてC99の体験の話をしているけれど、C99に限らず直近のC103(冬コミ)まで参加して相性悪いよなあ、と思ったので書こうと思います。
C99に矮小化してしまってるので、「あの回は特別で他のジャンルも似た感じだった」というコメントが散見され、自分もそこを加味してしまうとよくないなあ、と思ったのと、
書いているのはC100まで女性向けサークルでサークル参加(と日によっては一般参加)、以後は一般参加のみの人です。
また便宜上女性向け・男性向けという呼び方を使い、比較として現在女性向けの主流である赤ブーブー主催イベントの内容を書いています。
あくまで個人の見解であり、これもまたn=1の話というのは念頭に置いておいてください。
まず筆頭として「午後チケット」というものが女性向けと相性が悪すぎます。
公式によると午後チケットの人は12時30分から入場とありますが、C103は午前チケットで11時頃着の12時頃会場入りできたので、実際はもう少し後だったのではないか、と思います。
Togetterのコメントなどにもありますが、女性向けサークルは撤収が早い傾向にあります。
これは
という理由がよく挙げられますが(最後は男性向けもそうじゃないかと思いますが)
・搬出で並ぶのが大変
というのもあります。
マンレポでも「箱を持って並んでいたが台車に乗せてもらえて助かった」というのは鉄板の投稿内容です。
https://www.comiket.co.jp/info-a/MR/mr.html
箱1個でも本(紙)がみっちり詰まっていると重たく、腕力のない女性は搬出大変です。それを抱えてずっと並ぶのは結構きつい。
コミケの搬出は並びます。この辺りも過去のマンレポを参照してもらえると明白なんですが、閉会間際に出そうと思うと1時間は見込まないといけなかったです。
なので、早めに撤収し、列が出来る前に搬出してしまいたい、というのがあります。
昔はウエストウイングもHakoBookもなく、翌週にある赤ブーブーのイベントの搬入がクロネコヤマトのみというものあり、長蛇となっていました。しんどかった。
赤ブーブーは現在セルフ出荷といって予め専用伝票を受け取り、それを貼った箱を搬出場に持っていって渡して完了というシステムがあります。すごく楽です。
長くなりましたが、「女性向けの場合は撤収が早い為、一般参加者の中で午後チケットという選択肢は除外されてしまう」という話でした。
それはそうだろう、と言われそうですが、赤ブーブーのイベントは現在でも10時開始で遅くとも12時には一般待機列はなくなります。
規模が小さいイベントだったけれども、一番早かった時は10時30分に一般待機列が解消していた記憶があります。
コミケも以前は12時~13時頃にはフリー入場になっていたと思いますが、現在は上記の通り午前チケット・午後チケット別で並ばなければいけません。
並んでも買いたい本があれば別ですが、女性向けサークル数も減ってる現在ではちょっと遊びに行く程度では参加がしにくくなっています。
それならば通販を使って並ばず確実に手に入れたい、となってしまうのも道理です。
また、コミケの一般参加者は男性の方が比率が高いです。少し古い情報ですが、下記の資料が公開されています。
https://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81Ctlg35AnqReprot.pdf
女性向けが減った今では更に男性の比率が増えているのではないかと推測出来ますが、それは一度おいておきます。
もうこれはどうしようもないですが、それが参加者がほぼ女性の赤ブーブーのイベントと比べて忌避される理由になります。
個々の体格差の問題ではなく、女性が1000人より男性が1000人の方が質量が大きいです。またパワーもあります。
一般入場列が来ると机が揺れます。揺れるだけならいいですが、ずれます。机上の本が落ちます。押さえていても負けます。
「走らないでください」と言われてもお目当てを目指して早歩きになるし、あちこちに方向転換することによってえらいことになります。
また、一般参加で動くにも男波に揉まれると移動が大変です。容易に埋もれます。あとリュックが顔に当たります。
それと抽選というのもコミケを避ける要因になっていると思います。
ただでさえお盆・年末なのでスケジュールのやり繰りが必要になるのに、当落が出るのは1~2ヶ月前です。
C103ですと12月30日31日の開催で11月10日に当落が出るスケジュールでした。
シフト制の職の人はもうシフトの締切後かもしれないですし、遠方の場合は繁忙期なので新幹線や飛行機、ホテルを早く手配しなければなりません。
また、予約を万全にしておいても落選していたらキャンセルをして行かないということも充分あり得ます。
一方赤ブーブーは基本先着順で、満了近くなるとSNSやサイトで告知もあります。申し込めば不備などを除きスペースは用意されます。
つまり申し込んだ時点から参加に向けてのスケジュールなどのやり繰りが出来るのです。
スケジュールといえば盆・年末という日程がそもそも無理という人もいます。ジェンダーバイアスになりますが嫁仕事というやつです。
逆に「コミケは申し込みから日が長いからジャンルスパンが短い女性向けにあっていない」ということについては懐疑的です。
例えば2024年6月に開催される赤ブーブーのイベントがもうすぐ満了と告知されています。
こちらは募集スペースが倍になってからの早期満了であり、特定のCP(ジャンル)のみのイベントです。
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1739187539360260448
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1744545230106599600
ジャンルスパンについても昔は男性向けの方が短いと言われていた(「クール毎に嫁が変わる」など)ので、差はないと考えています。
つらつら長くなりましたが、元々C99以前から女性向け参加者が減っていたところ、更に追い打ちとしてチケット制で更に減ったというのが個人的な意見です。
減ったのはサークル参加者が先か、一般参加者が先か、については不明ですが、因果がスパイラルになって減っていっていることは確かだと思います。
ではコミケはこのままでいいのか、ということについては個人的にはこのままでいいと思っていますし、今更女性向け参加者を増やすことは難しいでしょう。
確かにコミケと赤ブーブーのイベントでは空気感も違いますし、評論系の同人誌などは後者ではあまりありません。
しかし、コミケは規模が大きくメディア露出などもしていますが、いってしまえば同人即売会の一つです。
先述の評論系ならば「文学フリマ」「おもしろ同人誌バザール」「コミティア」、さらに特定ジャンルに絞れば「技術書同人誌博覧会」「めしけっと」などのイベントもあります。
なんでも一強の時代というのは長く続きません。色々な同人即売会が存在し、それぞれが盛り上がっていた方がいいのでは、と個人的には思います。
人類は、有史以来、男女という2つの性別を定型として社会を営んできた。
今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティの社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義が必要になる。
だが、例えば視床下部のホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダーの定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件の被害者のレイプ犯女装男も含まれる。ましてや、このTwitterで問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。
(性同一性障害は医者による診断という一定の客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認は病気ではないという主張をしている。)
一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態を廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtFが女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論で運用する社会システムと新しい考えの性自認主義で運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在を否定することは包摂ではない。
ただし、自分は従来の男女二元論社会システムの否定は、女性差別を透明化すると危惧している。
定型的な生物学的女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学的男性から搾取され差別を正当化する理由として使われてきた。
産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間と労働量をやってみせても、生物学的女性だからという理由で差別をされてきた。
女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。
女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティブアクションが始まったのはつい最近のことだ。
自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会の女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツの奨学金や賞金の受賞者リストがMtFで埋まる状態を望まない。
かつ、性犯罪被害者が社会に被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠のリスクを抱える生物学的女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。
GⅠ七勝という偉大なサラブレッド・キタサンブラックを題材に、一体何をやりたかったんだこのアニメは?
俺には「ウマ娘今人気だから続編作ってね。主人公はキタサンブラックで。」って言われて仕方なしに作った、くらいにしか思えなかった。
1期はサイレンススズカという伝説を再び現代に蘇らせてやろうという野心を感じた。
2期もトウカイテイオーの奇跡の有馬記念は衝撃だったし、メジロマックイーンとの激闘を友情というフィクションも絡めて見事に表現したと思う。
3期は何?
サトノダイヤモンドとのライバル関係が一番やりたかったのか?それにしては、「サトノダイヤモンドの方が覚悟が決まってたから勝った」なんて安直な理由付けであっさり負けさせるのはひどく淡白だった。
ジャパンカップでようやく勝てたシュヴァルグランが裏主人公という構成にもできただろうが、それまで何度も出てきたのにただ出てただけで、ようやくキタサンブラックへの執着が描かれたのが12話では…12話でそれやるなら、それまでの11話で伏線張っておこうとか思わなかったわけ?
馬主が有名人だからこそのお祭り好きとか人助けとかのキャラ設定、なんで商店街の人たちなんて狭い範囲に限っちゃったかな。最終話で老若男女が皆応援していた、あれが本来のなりたかった自分だろうが、それならやっぱり商店街以外の人とロクに関わってないのが雑すぎる。
他にも、ドゥラメンテという強い相手に勝てない、自分は才能がないというコンプレックス。GⅠに出場できてるだけでも相当な才能だろう。全く納得できなかった。
全体的に、立ちふさがる壁として「女子高生の等身大の悩み」みたいなものが多かったと思うけど、それなら女子高生の部活のアニメでやってくれ。ウマ娘たちは、日本中の人たちが熱狂する舞台に立つ特別な存在だろう。
一番気になったのは、中盤辺りで八百屋が仕入れてたバナナのダンボールのデカさ。確実に人間では持ち上げられない、ウマ娘の腕力頼みの巨大ダンボール。お前、自分の仕事キタサンに押し付けてんじゃねーよ。手伝ってもらうとかいうレベルを逸脱してんだよ。
「デカすぎる箱っていうギャグだろ何ムキになってんだw」「重箱の隅をつつきすぎw」と思うか?俺は背景とか細かい演出は、目立ちにくくてもそれを描く以上は、世界観に説得力を持たせる役目を負ってると思う。何も無いなら描かなきゃいい。あれを見て、監督も誰も何も言わなかったんだなと思った時点で一気に白けて、その後は視聴のモチベーションが「この文句日記を書くためだけに一応最後まで観る」だけになった。
ソシャゲの方は今はもうやってないけど、プレイしてた当時はストーリーが素晴らしいと思ってた。アニメと遜色なく動いて喋って、誰を主人公にするかなんて制約もなくそれぞれのウマ娘の輝かしい戦績、頑張り、苦悩や葛藤がいきいきと描かれてたように思う。
わざわざアニメを作る意味って何だと考えさせられる作品だったな。こんなもんよりゲーム画面そのまま放送したほうがよっぽど良かったんじゃないか。
商鞅の法にはこのようにある。『敵の首一つを斬った者には、爵位を一級上げて、官吏になりたいという者には俸給が五十石の官職を与える。敵の首二つを斬った者には、爵位を二級上げて、官吏になりたいという者には俸給が百石の官職を与える』と。これは官職や爵位の上昇の移り変わりが、敵の首を斬ることと相関しているということを示す。今、『敵の首を斬った者は、医者や大工にならせる』という法があれば、家屋はできないし病気も治らないだろう。
そもそも大工は手先が器用でなければならない。そして、医者とは薬を調合するだけの知識を持っている者である。だから、敵の首を斬ったという功績で医者・大工にすれば、その職業にふさわしい能力を持っているということにはならないのだ。今、官吏として務めるのに必要なのは智慧と才能である。そもそも敵の首を斬るのに必要なのは、勇気と腕力である。勇気や腕力が必要な分野(戦争・敵の斬首)の功績によって、智慧や才能が必要な官職を与えるというのは、これは首を斬った功績によって医者や大工にするというのと同じことなのである。
現場で実績上げるとマネージャーに出世するけど必要な能力全然違うやんけ問題は韓非子が2500年前に指摘してるけど解決してないから無理やで
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/beatangel/n/n0cfb0cbe8c71
heaco65
こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね
このホモソ批判を書いているはてなブックマーカーheaco65さんがどんな人かは一切知らんけど、このコメントだけで間違いなく女性だと思う。男性ならどの方向の人生を過ごしてきた人であれここまでホモソーシャル的なものの解像度が低いということは無いから。
「モテる彼女が通行手形になるホモソ村」なんて一体どこにあるのかという話。ホモソ的な男達が気にすることは徹頭徹尾おのれの能力。子供の頃は腕力や運動神経、大人になれば仕事の能力。その面でイキれる人間なら「交際相手がどんな人か」なんてことは問われんし、逆に能力がまだまだなのに車だの女だのの”持ち物”だけ頑張りましたなんて男は一番バカにされたりいじめられたりするのがホモソの世界。
彼等が競い合い認め合うのは「こんなすごい仕事をした」とか「こんなに稼げるんだぞ」というところで、車・女・腕時計なんていうのは自分の能力の後に付いてくる”形”に過ぎない。競争に勝てることお金を稼げることが重要なのであって、そのお金で何を買うかはわりとどうでもよく、重要なのは己の仕事の能力と成功。
大人しいオタク男性代表みたいな赤松健先生ですら若い頃の一時期テストステロン溢れるファッションスタイルに変身したことがあるけど、先生を組の若い衆みたいないでたちに駆り立てたのはもちろん仕事での大成功。ラブひなだけで凡百の漫画家の人生20回分ぐらい稼いでるから。
こんな例に挙げるのは申し訳ないけど、芸人の陣内智則が超格上大物女優と結婚した時、彼の”格”は上がった?全然でしょ。むしろ跪かんばかりの披露宴などして「情けない男」扱いになってた。
結局離婚して「縁起悪い」「祝儀返せ」といじってもらいながら仕事を頑張ってポジションを築き、前妻と比べればまるで知名度の無い10歳くらい年下の女子アナと再婚した今の陣内智則の方がずっと男としての格は上がってる。
小室圭が日本で一番お姫様な女性の婚約者になったとき、彼の”格”は上がった?全然。逆にバカにされまくっていたでしょ。「お姫様のお父様のコネで勤め先やら諸々配慮してもらっても無能で資格も取れないらしいぞ一生ヒモかよw」のような扱いだったよね。
彼が一転認められるようになったのは米国でついに資格を取って結構な年収を稼げるようになり降嫁した奥さんに不自由させず立派にやっていく実力を見せてから。「お姫様を手に入れた」時点ではむしろバカにされていて、仕事の能力や扶養能力が出てきたところで認められてる。
(ここでの”格”とは全て、あくまでホモソ的な価値観の中での「男の”格”」の話。)
そもそもとして、オスというのは「自分のメス」を見せびらかすインセンティブがあまりない。だっていいことないでしょ。
自分の格は周囲に証明した自己の能力で決まっているんだから、変にきれいな彼女や奥さんを見せびらかして「こいつ、能力(格)以上のいいメスを囲ってるな」なんて周りに思わせても災いにしかならない。聖書にすらきれいな妻を隠す男の話が出てくる。現代で一番男尊女卑的だと言われるイスラム国の戦士達はどう?セクシーなモテる妻を見せびらかしてる?逆でしょ。妻を家の奥深くに置きたがり、その美しさを隠すように命じてる。
男達はホモソ的になるほど男尊女卑的になるほど「女子供は取るに足らず」という態度になり、女は被保護者、家政婦、子を産む資産になる。あまり一人の彼女に入れあげてるような男はむしろ心配されるし、やけにキレイで奢侈な女と結婚する男はもっと心配されたり「こいつ結構バカなのかも」と疑われたりする。まして、付き合う女で自分の格が上がったり格上グループに入れてもらえたりなんてことは男の世界にはありえない。
残る問題は上で見たはてなブックマークの分析が一体何から生じたか。
heaco65
こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね
https://b.hatena.ne.jp/entry/4745493109321036975/comment/heaco65
主張の要点は以下の通り、
・横にモテる異性を連れることでのみ入会を許されるエクスクリューシブな同性集団が存在する
・その同性集団においてはパートナーがモテない異性だとそれだけで認めてもらえない
男性ホモソーシャル集団が全くこのようなものでないことはすでに上で見てきた。ではこのコメントの分析は一体なんなのか?パートナーによって自分の地位が引き上げられる傾向がある、パートナー見せびらかし欲がある、これは明らかに男ではないけどじゃあ何について語ってるんだろう?
交際相手・結婚相手のステータスを自分の身分のように扱う話、それらを同性と張り合う話は男性の話としてよりも圧倒的に女性の話としてよく聞く。世の中には夫の学歴・勤め先・収入で互いを格付けしマウントを取り合うお母さんの界隈というものもあるらしい。(男が同性相手に同じことをやれば心底見下されて「ヒモ?笑」「で、お前の実力は?」と言われて終わり。)
そうして考えてみると、自己の能力で直接競うことの少ないメスにとっては、「自分の子の父親は集団内で高い地位のオスである」とか「自分と子の庇護者は大変に力がある」とか同性に対して誇示していくことのインセンティブは大いにあるのよね。少なくとも猿やライオンの世界ではメスとその子の運命・待遇はわりと子の父親の力や地位次第。つまり女性性なる本能が野放図に強化された集団は彼氏自慢・夫自慢の旦那マウントワールドになるのでは。男性性が疾走したときのホモソワールドの写し鑑として。
heaco65さんのホモソ批判が実は女性内メスザルワールド由来の話だったとしたら、それは女性として同性集団のメスザル面を見て来た経験知ぽくね?しらんけどさ。で、経験知ならそれは軽んぜられるべきでないものの、メスザルとオスザルでは欲望も行動も異なるでしょ。メスザル行動そのまま投影してホモソ批判すると上で見たようなわけわからん感じになるのでは?
自分の属性の欠点を他者に投影して罵るのは批判というより自身のコンプレックスの吐露や八つ当たりであって。
別に特定の一人の人をどうこうではなく、このガバガバな批判コメントが人気1位になってしまう社会の空気はどうなんやという話。配偶者を自慢したりマウントし合ったりそれで自分の格まで決定したりという、どちらかと言わなくても女性性でしかないもので男のホモソ批判をして一体何がどうなるの。
こんな乱暴無検討な「批判」が通ってしまい人気1位まで取ってしまうことの背景には、ある種の道徳的傾斜、「男性批判・ホモソーシャル批判は正義である」という傾斜があるのでは?ホモソーシャルが重大な社会問題だって言うならそれこそ慎重に厳密な観察と健闘が必要な筈なのに、「正義」側である男叩きは厳しい反論がつきにくいからこんなのが一位になっちゃうって言うそういう空気。
(あとreiって人、確かに一種異様さは感じるけどホモソ志向ではなくね?)
もしもheaco65さんが男性だったら増田の負けだから大笑いしてもらって構わないしそう申告してほしい。
「文壇バー!」というアホみたいな反論がトップコメになってるけど、君達は話を理解してんのか?
その村は「モテる彼女がいると入村できるホモソ村」じゃないでしょ?「高い筆力とそれによって勝ち得た社会的ステータス(つまり自分の実力)によって入村できる村」でしょ?
実力を認めあった男同士の村で、実力になびいてきた女をポケモンみたいに使って遊んでる、って話なんだからその例じゃあ全く反例にも反論にもなってないじゃねーか。
勤勉に日本語勉強してるグエンさん(来日3年目)とかの方がお前らより日本語読解テストいい点とると思う
漫画ではドラゴンボールを筆頭に戦闘力を可視化してるわけじゃん
わかりやすいなら現実世界でもやってみよう。って話になったとして、
現代の戦闘力って何だろうと考えると、真っ先に頭に思い浮かぶのは、経済力になるよね
より具体的に言うと、年収または可処分所得に貯蓄額(不動産、投資なども含む)を追加したものになるだろうか
これが可視化されてしまうと、低収入の奴は見向きがされなくなってしまうんだよね
可視化って究極の客観視のわけなので、脳みそが足りないやつでも比較ができてしまうから
経済力のほかには、容姿、健康度、知能、生活力、腕力、コミュ力、繁殖力なども挙げられると思うけど、
したがって、現代において、戦闘力(=年収)を可視化してしまうと、これまで曖昧になってた人間としての魅力が
単純比較できるようになってしまい、弱者が這い上がるのはより困難になってしまうわけだ
このため、現代においては一部の高収入を除いて年収の公開なんてしてないわけだ
もちろん、年収の公開によって泥棒など犯罪に巻き込まれる可能性が高くなるって側面はあるけど、
それ以上に可視化によって自分が下層に行くのが嫌だから誰も公開しないんだよ