はてなキーワード: 肺癌とは
以前に知り合いから、「ゴーヤの種が癌に効く」と言う話を聞いていました。彼のお父さんが膀胱に毎年検査で小さなポリープが発見されていました。そのたびに内視鏡手術で取ってもらっていました。そんな時テレビでみのもんた氏がゴーヤの種が効くという番組みをやっているのを見て、飲み出したところ毎年の検査ではポリープが発見されなくなったそうです。しかし、4-5年見つからなかったので、気が緩んだのか飲むのを中止したところ、翌年の検査で癌が見つかり、しかも手遅れで手術もできないと言われたそうです。もう高齢なので抗がん剤治療も受けられず、本人は「ゴーヤで治す」と宣言してゴーヤを飲むのを再開したそうです。そうしたら、驚くべきことに数ヶ月で癌が消えて、数年たった今でも健在だそうです。医者も何が起こったのか、と大変驚いたそうです。
これ一例だとたまたまということかも知れませんが、今度はその知人の母方の伯母が肺癌になり、これも手遅れと言われたのを抗がん剤治療と並行して、ゴーヤを飲み始めたら数ヶ月で癌が消えたそうです。2年たった今でも健在です。彼の母方なので、お父さんとは血筋が違いますので、効き易い血統ということでもありません。これも医者は大騒ぎだったそうです。
こんな話を聞いていたのですが、よくある民間療法のいいかげんな話かもしれないと半信半疑でした。しかし、その知人は物事を論理的に考える技術屋ですし、しかも人一倍論理的な人間です。ゴーヤとの利害関係もありません。
そうこうしているうち、私も身内に癌になる人が出ました。卵巣癌でこれも手遅れで手術もできないと言われました。最悪数ヶ月の余命とも言われました。知人の話を思い出し、駄目でもともとと、このゴーヤ治療を奨めたところ、抗がん剤が効いたのかもしれませんが、数ヶ月で手術ができるくらいに縮小し、手術後8ヶ月の今は普通の生活ができるまでになりました。1年前の絶望の淵と比べると、夢のようです。今度、私の家に招いてBBQをやろうと言っています。
ゴーヤが効いたかどうかはわかりませんが、身近なところで3人も癌が消えるか縮小する人が出ました。これが本当なら、世間ではもっと騒いでいてもいいとは思いますが、そんな話は聞きません。相変わらず半信半疑ではありますが、安いものでもありますので、私もパウダー状の市販品を買って毎日飲むようにしています。
今年はコロナの影響でゴーヤを家庭で植えている人も一杯います。実も沢山できるようです。利用価値のなかった種をこういう形で活用されたらいいと思います。
最後に余談になりますが、沖縄県はがんの死亡者割合が全国最小の県です。しかし米兵はゴーヤを食べる習慣がないのでガンを持っています。
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慶北慶山に住む70歳の男性1人がコロナ19で8日、死亡した。国内51人目の死者である。慶尚北道によると、この男性は先月26日、経産でコロナ19確定判定を受けて安東医療院に入院した。以後4日、東国大レース病院音圧病室に移送され、治療を受けたが、8日に死亡した。
大邱でコロナ19に2人追加死亡した。これ国内の死者は計53人である。保健当局によると、9日午前2時20分頃、嶺南大病院で75歳の男性が呼吸困難で死亡した。普段肺線維症を患っていたが、男性は1日、咳や呼吸困難の症状を示し、8日嶺南大病院の緊急治療室で治療を開始した後、確定判定を受けた。同日午前6時15分頃には、啓明大学東山病院で69歳の女性が死亡した。先月24日に発熱の症状を示し29日大邱医療院選別診療所を訪れたが、女性は1日確定判定を受けた。基礎疾患はないことがわかった。
19:45大邱でコロナ19 1人追加死亡...大邱36人・国内54人目
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は36人、国内の死者は54人に増えた。大邱市は慶北大学病院で治療を受けていた82歳の男性が、この日の午後3時54分ごろ、死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患に食道がんを患ったことが分かった。
3/10
10日大邱でコロナ19確定者4人が追加で死亡した。大邱地域死者は40人で、国内の死者は58人に増えた。大邱市によると、62歳の男性が9日午前、死亡した後、コロナ19確定判定を受けた。彼は7日、検査を受けたが、当時は音声であった。 76歳の女性は、慶北大病院隔離病棟で治療中に死亡した。普段糖尿病を患っていた。先月22日に確定判定を受けた59歳の女性は、啓明病院で嶺南大病院に電源れ治療を受けて死亡した。基礎疾患はなかった。慢性気管支炎を患っていた71歳の男性は、5日確定判定を受けて、集中治療室の治療中に死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人より出てきた。 10日、大邱市によると、死者は83歳の女性である。去る2日発熱、下痢の症状で、大邱医療院で検査を受けて、次の日確定判定を受けた。以後肺炎所見で音圧病床で入院治療を受けたが、この日の午前10時43分ごろ死亡した。患者は基礎疾患として高血圧を患っていた。これにより、大邱地域の死者は計41人で、国内の死者はすべて59人に増えた。
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は42人、国内の死者はすべて60人に増えた。大邱市は3日コロナ19確定判定を受けて、翌日、大邱医療院音圧病床に入院して治療を受けていた80歳の女性が10日午後3時55分に死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患として高血圧と糖尿病を患ったことが確認された。
3/11
大邱でコロナ19による61人目の死者が出た。保健当局によると、10日午後8時ごろ、慶北大病院音圧治療室で79歳の女性Aさんが死亡した。 8日発熱と呼吸困難の症状を示していが、病院の緊急治療室を訪れたAさんは、すぐにコロナ19確定判定を受けた。 Aさんは普段、認知症を患ったし、高血圧があった。
11:02益山で治療を受けた大邱確定者が死亡...国内62番目
大邱地域コロナ19確定者1人が益山円光大学病院で11日死亡した。国内62人目の死者である。全羅北道によると、円光大学病院で治療を受けた84歳の女性Aさんが午前8時20分頃に死亡した。 Aさんは、先月22日、コロナ19確定判定を受けて大邱嶺南大病院で診療を受けて29日圓病院に運ばれた。 Aさんは、移送時に肺炎や呼吸困難などで重症の状態であり、多臓器不全で透析を受けてきたことが分かった。
大邱でコロナ19による死者が追加発生した。国内63番目、大邱地域では44回目だ。死亡者は87歳の男性で、11日午前8時20分頃、大邱医療院で死亡した。この男性は2日峡ャ保健所でコロナ19の検査を受けて4日確定判定を受けた。 6日、呼吸困難と全身衰弱症状で漆谷慶北大病院の救急室に来院した。 7日大邱医療院に移送され、診療を受けて、11日に死亡した。
20:30慶北でコロナ19 2人追加死亡...慶18人全国65人
慶尚北道でコロナ19確定者2人が死亡した。慶北死者は18人、全国の死者はすべて65人に増えた。慶尚北道は11日、コロナ19確定判定を受けて入院していた90歳の患者と74歳の患者が、この日死亡したと発表した。去る4日確定判定を受けて金泉医療院に移送された90歳の患者は、この日の午前9時58分、肺炎で死亡した。この患者は、基礎疾患に糖尿病、認知症、血圧、退行性関節炎を患った。同日午後1時30分、国立中央医療院で敗血症で死亡した74歳の患者は、通常、糖尿病、高血圧、狭心症を患っていたことが確認された。
21:40大邱でコロナ19追加死亡...大邱45人全国66人
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。大邱死者は45人に増え、全国の死者は66人になった。大邱市は11日、基礎疾患に狭心症、高血圧などを患っていた84歳の女性が、この日の午前8時ごろ死亡したと発表した。
3/12
京畿道城南市盆唐私の考え、病院で確定判定を受けた新型コロナウイルス感染症(コロナ19)患者1人が死亡した。 12日ウン・スミ城南市章Facebookを介して「昨日(11日)午後10時ごろ、毎分私の考え病院感染者した方が死亡されました」と述べた。死者は龍仁市に居住する82歳の男性で、6日毎分私の考え、病院で確定判定を受けてミョンジ病院に運ば隔離されて治療を受けたが、終了死亡した。基礎疾患としては、肺癌を患っていた。この男性の奥さんも同じ日に確定判定を受けて、現在城南市医療院で隔離治療を受けている。
3/13
08:44毎分私の考えの病院感染者1人が死亡...全国68人目
試合城南でコロナ19確定者1人が死亡した。首都圏では3番目、全国68番目の死者だ。城南市は毎分私の考え、病院でコロナ19確定判定を受けて城南市医療院で隔離治療を受けていた77歳の女性が13日午前6時38分頃、死亡したと発表した。肺がん患者の女性は、集団感染が発生した毎分私の考え、病院本館8階81病棟に入院したが、5日に確定した。
大邱でコロナ19確定者1人が死亡した。これ死者は合計69名である。大邱市によると、13日午前2時頃、大邱医療院で85歳確定者が死亡した。高血圧などの持病を患ってきたが確定者は、3日にコロナ19確定判定を受け、入院治療中だった。
13:29大邱でまた1人死亡... 70人目の死者
大邱でコロナ19で治療を受けていた確定者が13日に死亡した。この日の大邱で発生した2回目、国内70人目の死者である。大邱市によると、同日午前8時40分頃、啓明大学東山病院で入院治療中の75歳の女性が死亡した。この女性は4日峡ャ保健所でコロナ19確定判定を受けて5日発熱・呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院音圧病室に運ばれた。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
慶北東国大慶州病院でコロナ19国内71人目の死者が出た。慶尚北道によると、東国大レースの病院で治療を受けていた77歳の女性が13日午前11時35分頃死亡した。この女性は、コロナ19集団感染が起きた青島対南病院の介護者に21日確定判定を受け金泉医療院に移送されたが、症状が悪くなって、25日に東国大レース病院に移された。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
16:22大邱・慶北のみ4人... 72人目の死者出
13日大邱でコロナ19死者1人追加しました。大邱・慶北地域で、この日だけ4人死亡、国内の死者は72人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時15分頃、慶北大学病院で入院治療を受けていた86歳の男性が死亡した。この男性は、挙動不便と左側股関節部位の痛みの悪化で2日慶北大学病院の緊急治療室を訪問した後、コロナ19確定判定を受けた。高血圧、認知症、脳卒中などを患っていた。
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釜山でコロナ19確定者1人が死亡した。釜山で発生した最初の死亡者であり、国内の73回目だ。釜山市によると、13日午後10時40分88歳の女性患者が、釜山大病院で死亡した。慶北青島対南病院近くの居住者であるが、患者は3日清道郡選別診療所でコロナ19の検査を受けたが、「音声」の判定を受けた。以後、症状がひどくなり、12日、病院を訪れたが、確定されて入院した。普段心臓病・高血圧・脊椎狭窄症を患った。
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大邱でコロナ19で治療を受けていた80代の男性が死亡した。大邱で52番目、国内77人目の死者である。 16日大邱市によると、先月28日に発熱と呼吸困難に慶北大病院の救急室に来院したA(84・男)氏は29日、確定判定を受けた。去る1日音圧隔離病床に入院して治療中だった。
大邱ファティマ病院でコロナ19確定判定を受けた後、病院で治療を受けていた71歳の男性と64歳の女性が死亡した。国内の死者は79人に増えた。 16日、慶尚北道助け大邱市によると、70代の男性Aさんは化学療法を受けている間、過去15日確定判定を受けた。 60代の女性は、高血圧など基礎疾患を患っており、過去12日確定判定を受けた後、入院治療中だった。
コロナ19確定判定を受けた81歳の女性が16日に死亡した。国内80人目の死者である。高熱・悪寒の症状を見せたが、女性は今月5日確定判定を受けて金泉医療院に入院した。以後肺炎が悪化して国立中央医療院に電源たが、この日に死亡した。基礎疾患に糖尿病と高血圧を患っていた。
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定判定を受け、治療中だった65歳の男性が16日、死亡した。大邱地域死者は54人、国内の死者は81人に増えた。大邱市は慶北大学病院で入院治療中の患者が、この日の午後12時35分ごろ死亡したと発表した。先月21日、コロナ19確定判定を受けたが、男性は先月28日、心停止が発生して機関の挿入と心肺蘇生治療を受けている。この男性は、基礎疾患に糖尿病と食道がんを患っていた。
とあるYouTuberについて思ったことです。調べればわかるでしょうが宣伝するわけではではないので固有名詞は避けます。
昔、趣味でアーケードゲーム、特にメダルゲームをよく遊んでいた。
生活スタイルの変化と共に自由な時間も無くなり現在はほとんどやらなくなってしまったが、YouTubeで検索したらプレイ動画が結構上がっていたので、いくつかのチャンネルの動画を見るようになった。
そんな中の一つにその人はいた。いろんなYouTuberが例えば顔出し配信をしたり他がやらないような企画を考えたりすることで登録者数を増やそうとする中、
その人は自分で撮ってきた動画を編集して、後からアフレコ実況を被せるというオールドスタイルな実況プレイを淡々と同じ時刻に毎日1本、
機種が違うだけで毎日延々とメダルゲームを見せ場が来るまで回して見せ場が来たら終わり、そしてそれを実況。このスタイルを数年間維持していた。
昔やってた人は懐かしみ、現役でやってる人は一緒に盛り上がる。長くやっているのもあり、登録者数も地味に伸びて1万人を超えている。
まとめて収録しているであろうとはいえゲームプレイだけでも数十分、そこから編集、実況録音、さらに編集と1本作るのにもそこそこ時間かかると思うのだが、その人は数年間休むことなくほぼ毎日決まった時間に動画を上げていた。いつしか彼の動画を寝る前にサラッと見るのが日課になっていた。
ところがその人が最近唐突に「重要なお知らせ」と題した動画をアップした。
・ついては月末までは毎日投稿できるがそこから週一での投稿予定になる
という内容。
そこで彼のTwitterを初めて見たら、明らかに症状はヤバそうな雰囲気。驚いた。何故なら彼の実況は後付けで編集もされているため、病気の気配が消されていたからだ。(稀にやっていた生配信では咳が明らかにやばい時があったらしいのだが、生配信は見ていなかったので知らなかった)
彼は肺癌に侵されていたのに喫煙者だらけのゲーセンに足繁く通い動画を撮影していた。(恐らく肺には良くはないだろうが…)
そして体調悪いであろう状態なのに入院対策で20本近い動画のストックまで作っていた。
何がそこまで彼をYouTubeの動画投稿にに駆り立てたのだろうか?金なのか?自己顕示なのか?そこまでするほど、ゲームセンターが好きだったのか?
現在彼は入院している、胸水を抜いたらしい。匿名とは言え悪い事は言いたくないので頑張って良くなって欲しい。
動画は未だ毎日、ストック分が淡々と同じ時間に上げられている。実況の彼は病気の話はせず楽しそうに自分のゲームプレイを実況している。これが毎日上がらなくなったら、僕は喪失感を感じるのだろう。
父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。
私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。
例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。
父親は典型的なクレーマーでもあった。理髪店で自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要は断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。
そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。
小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まりで旅行など、温泉に一度行ったきりだ。
今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。
「子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。
私には兄がいる。私とは違い、高校も大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年の危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。
そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く、高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。
そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。
私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。
社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。
その頃父との関係は冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶だからであり、家ではとても口が悪く我儘だった。
父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。
家を出てからはほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。
その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから。
今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。
退職後から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。
それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。
担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。
モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。
私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。
寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。
母からの電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。
父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。
それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯やタブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。
今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。
葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。
きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。
生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。
今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。
タバコの副流煙は、日本ではマナーとか好き嫌いの問題だが、欧米では健康リスクの問題だからだ。
副流煙曝露のことをsecondhand smoke (SHS)と言う。反タバコ派諸氏はもちろん御存知の通り、タバコにはもう一つ害となる経路があり、皮膚や口から喫煙後付着物を摂取してしまうもので、thirdhand smoke (THS)と言う。
程度はどれくらいかというと、肺癌リスクについて、配偶者が喫煙者である非喫煙者なら1.21倍、職場が喫煙環境である時の非喫煙者について1.22倍、など。
この1.2倍程度は室内空間と予想される曝露により起こっているため、欧米ではまず室内禁煙をやった。路上などの喫煙はOKだと思っているわけではない。確かに開放空間でのSHSのリスクは定量されていないが、生物学的に考えればリスクがないと考えるほうがおかしい。しかし、まずははっきりとしているし明らかな健康被害が証明されている公共の室内全面禁煙がまず必須だったということだ。また、THSを考えると喫煙室の設置も良い案だとは言えない。喫煙室のような狭い空間では、喫煙後の発がん物質の服などへの付着はより強く起こると考えられる。
一方、日本はまず路上禁煙が先んじた。健康リスクから考えるとおかしな順番である。
まず室内を全面禁煙し、路上など屋外禁煙はその後の話だ。そうなっていない理由は、日本では禁煙運動は健康リスクの冷静な判断によっていないからである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000093-jij-pol
だいぶ頭が沸いてる方々が集まってきている。
人気になっているものだけでも、以下の通り。
"できるだけ早く増税してほしい。歩きタバコと飲食店での喫煙を徹底的になくしてほしい。"
→歩きタバコをなくす趣旨は賛成だが、増税と論理的なつながりが薄すぎてただの愚痴になっている。
増税すれば確かにそれを機に喫煙者の総数は減るだろうが、何の解決にもならない
"逆に即死するくらいニコチンとタール増やせば医療費もかからない"
そうでなければこの人の頭の治療費を国庫で負担してあげよう(提案)。
"人間にとって全く不要なものだしなあ。医療費カットも考えると仕方ないね。"
→人間にとって必要なものを定義する恐ろしく深遠な智慧を持っている。人類の至宝。
の4点に大別されると考えている。
どれも違う問題だ。
たとえば①は喫煙所以外での喫煙に対し強い罰則規定と取り締まりをおこなえば
ある程度解決するが、どれだけ喫煙場所を遵守しても②~④は解決しない。
③は深刻な問題だと思う。たばこは公共のスペースの割を食う数少ない嗜好で、
これに対する反発は非常に共感する。
喫煙所の設置・管理・維持はたばこ税による税収だけでまかなえているのかな?
調べていないので分からないが、もしその他の予算を割いて運用しているなら、
それを100%たばこ税の税収でまかなえ!そのための増税、という考えには賛同する。
④タバコの問題だけではない。突き詰めると、"タバコを吸って肺癌になったやつは自業自得だから死ね"と、
どこかの元レギュラー8本おじさんと似た話になる。
じゃあ酒を飲んで肝硬変になったやつも死ぬべきだし、寒いのに薄着で外に出て風邪にかかったやつも死ぬべきだ。
パッと浅い考えだけでもこれだけ違った問題が出て来る。
黙っていて欲しい。
それを夫に伝えたら、「へえ」とただそれだけ。
祖母と私の親はひどく気落ちをしていて、
私もできることなら会いにいって元気づけたいけど、
飛行機でないと会いにいけない距離なので、気軽には行けないのがもどかしい。
「うち(夫)の家系に癌になって治った人が多いから大して心配でもない」
みたいなことを言っていたから、
夫にとって癌になるのは大したことではないのかもしれないけど、
かつて夫の親に癌が見つかったときに夫も随分暗い様子だったから、
今の私の両親の気持ちが分かるはずなのに。
鬼のように怒られた記憶があるから余計に、夫の今の態度に腹がたつ。
私が夫の両親を大切にするのは当たり前だけど、
夫は私の両親を大切にする必要はないとでも思ってるんだろうか。
児童ポルノ禁止法改定の真の目的は何か? 単純所持禁止、マンガ・アニメ「調査研究」への懸念(ITmedia ニュース) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000092-zdn_n-sci
タバコの害を周知させる必要あんのか。一息つきたい気持ちは肺癌になるリスクを上回る。
20代で出産した方が良いに決まっているが、わざわざ教えてもらわなくても知っている。
シートベルトしてなくて事故にあっても困るのは当人だけなので点数引くことない。
欲望があって、赴くままに行動する自由はないと大人なら知っている。
一息つきたいなー→でも今は我慢しよう
それをあからさまにするのは大人のすることじゃないと思うので、しない。
ポルノを見たい気持ちもあるけど、白昼堂々言うことじゃない。
大人には理性がある。
馬鹿にしてるのか?
どんなえげつない内容だろうが、思うことは自由で、規制できないししちゃいけない。
人間には理性がある。どうしてそれを信じないのだろうか?
児童ポルノを見せられたところで、そこで完結する効用の方が大きいんじゃなかろうか。
見たら犯罪というのは違うんじゃなかろうか。
しかしそれは現実にやったことに対する罰で、下劣な感情を持ったことに対する罰ではない。
罪を憎んで人を憎まず、である。
犯罪を防ぐ為にやらなきゃならないことは
その犯罪者予備軍の理性が働くように子供たちを守るのみである。
私も人の親だが、変な人を見たら全力で我が子を遠ざけるのみである。
原発と同じだ。事故があっても助かりそうな場所に住むしかないのである。
話が脱線した。
要するに、自分ではどうにもならないことを法律でどうにかしようと思っても無駄なのである。
乙武さんは「僕のように悲しい思いをする人がいなくなるように」とか何とか言ってたけど
また脱線した。
従軍慰安婦の人は悲しい思いをしたことをお金で解決出来るようである。
だけど気持ちに値段はつけれられないのである。
私は何が言いたいんだ?
よくわからなくなってきた。
法律で規制しようと考えるのはおかしいんじゃないかということである。
だけど人ん家の子に何かしようと思うなよ。少なくとも家の娘やら姪っ子、友達の子どもに妙な気を起こすな。
その汚い欲望は周りから見たらすぐわかるんだよ。
法律で規制されようと規制されまいと、私があんたを見張ってるからね。
感情はナマモノで刻々と変わるから、書いておく必要があるだろう。
父の肺癌が刻々と進行しているそうだ。
2ヶ月半後に私の結婚式がある。
父の癌が判明して急に進んだ話だが、その時まで父が生きているかは全く判らない。
今の率直な気持ちをメモしておこう。
結婚式はほぼ親のためにやると思っているので、
父がその日まで持たないというのは正直考えたくない。考えるのを避けている。
お医者さんも大丈夫だろうと言っているし、車椅子でもバージンロードは歩ける。
父ともあまり話していない。話すのが怖い…と何となく思っている。何でだろう?
父は正直家庭的ではなく、家事は全く手伝わず飲み会で連日午前様、金遣いは適度に荒く単身赴任後はほぼ家にいないという人だった。
当然夫婦喧嘩も多く、ここ数年は穏やかになったが母は「定年後ももうちょっと働いてくれないかなー」
父は「地元戻りたくないわぁ」とお互い、お互いのいない場所で愚痴っていた。
(当時、父の赴任先と私の就職先が同地区だったのでたまに飲みに言っていた)
これは反面教師にしようと思っている。