はてなキーワード: 育児放棄とは
性的虐待は物的証拠はないものの、娘の証言に真実性ありとして有罪
A 上2人の子とは血縁ないが下1の実父? 60代ぐらい。別にイケメンではなく細身で背が低い。生活保護受給の無職
長女 中学生だが通っておらず制服も買ってない。Aに性的虐待されたと主張
長男 小学校高学年だが通っていない。性的虐待について知らない
次男 未就学児ぐらい? 性的虐待について知らない。Aを慕って釈放を強く希望
更に下にもう一人子供いる?
Aは過去に二回結婚したことがあり、一つ前の妻との間には子供もできたが親権を取られ会わせてももらえない
中卒だか高卒だかで働かず適当にやってるAに対し、前妻は大卒でちゃんとしていたので性格が合わなかったとのこと
その友人の娘が、後に三番目の妻となるBである
Bは当時既婚で子供がいたが、旦那にDVされて逃げたいと相談してきた
その後、北海道でシングルマザーをするようになったBが自殺未遂して、Aが呼び出される
一人で子供を育てるのが不安、幼少期から知っていたAのことが好きだったとBは告白し、男女の関係に
AはBの連れ子も受け入れた。会わせてもらえない実子への未練があったので、子煩悩だったという
でも働くことはせず、一家は大阪へ戻って生活保護を受けるようになった
北海道に逃げる前から、DVから逃げて借宿を転々としていたので子供たちは全員学校に通っていなかった
大阪に戻ってきてから通わせようとしたが、今までまともに通っていなかったので浮いており馴染めないため行かなくなった
家の中にwifiを飛ばしているので、子どもたちはスマホをいじるなどして時間を潰していた
Bは息子たちには普通の対応だったが、長女にだけご飯を用意しなかったり、いないもののように扱った
なんでも、長女は5歳の時に弟である長男に自分の性器を舐めさせていたという
Bはそれを見て以来、長女のことが気持ち悪くて仕方がなく、Aと長女の接近もひどく嫌がった
だがBに育児放棄されているからこそ長女はAを慕い、Aも長女をことさら可愛がった
Aの弁護士は「長女は5歳の時からそのような異常行動を取る子供で虚言癖もひどい」と主張し、
検察と長女を保護してる団体の人は「幼児の頃の話ですよね?」と返していた
ある時、長女が「知らない男の人に追われている!」と言って整体院に逃げ込んできた
不審者が外にいるかも知れないから怖い、泊めてほしいと言ってきた
家が併設されてるような個人の院らしいが、長女は顔見知りとはいえいきなり泊めることはできない
警察に通報しようか、お家の人を呼ぼうか、と提案すると長女は「じゃあいいです」と外に出るのを怖がっていたはずなのに普通に帰っていった
そのことはABの知るところとなった
見舞いに一家で来ていたら、長女は「頭が痛くて歩けない、病室に泊まらせて」と言い出した
Bも次男が心配なので付き添いで泊まりたいと行ったら、「じゃあいい」と長女は普通に歩いて帰った
「頭が痛い」というのを長女はしょっちゅう言っていたが、病院に行かせてもなにもなく、常習的な虚言癖であるという
Aによれば、Aは長女に性的なことなどなにもしていないが、長女から誘ってくることがあったという
小遣い稼ぎのためにAが遠征した際に、長女は同行し、「お母さんは怖い、Aさんに味方になってほしい。Aさんの女にしてほしい」と言ってきたという
長女は学校にいかずに無料の割れ漫画など読んでおり、子供が見るものではない性的な漫画を見ていることもよくあった
気づいたら叱ってはいたが、隠れて読むだけだろうし長女は変に性的な知識が多くあった
Aは性犯罪などしていないが、長女は漫画の影響でありもしないことをでっちあげていると主張した
Aは長女が小5ぐらいから体をさわってくるようになったという
Bには物心付く前から嫌われているし弟たちも幼いし、周囲に他に大人もいなくて誰にも相談できなかった
襖を隔てて隣に弟がいる部屋でフェラを強要されてもう人生が終わったと思った
その後もまたフェラをさせられて、このままもっとひどくなっていくと危惧した
Aをずっと刑務所に入れて自分や弟たちに関わらせないようにしてほしい
子供たちの環境が悪かったのは認めるところで、詐欺だけだと数年で出てくるから、長く入れるために性犯罪も加えようとでっちあげたのではないか
長女の体には性犯罪の物的証拠はなにもなく、元からの虚言癖と漫画の知識が合わさればリアリティのある嘘もつける
詐欺は罪だが、詐欺で儲けた金で子供に物を買ってあげるなど一貫して子供好きであり
Bのことを愛していたので、Bを裏切るようなことやBを自殺に追い込むような性犯罪は絶対にしないという
次男がABの不在を悲しんで泣き暮らしているとの報告があり心を痛めているので、早く家族で暮らせるようにしてほしい
長女の虚言も許し和解したい
捨てるというと、置き去りとか育児放棄って思われそうだけど、そうじゃなくて安全に育ててくれる他人に預けるかんじ
乳児院とか児童養護施設のサイト見ても、イマイチ預け方がわからん、こういうところってやむをえない理由がないと駄目なの?やむを得ない理由って何?母親のうつ病とかなら大丈夫?
子供を育てられるだけの環境(金銭的な面で)がある人は、保護責任者遺棄罪に問われず、子供を手放す方法って今の日本にはないかんじ?
別に子供に死んでほしいわけじゃない、ただ自分が育てたくない。そんな人が養育者を探せるマッチングサイトとかってないの?
知識として知りたい。
子供欲しくない側の人間だけど、最近動物にハマってて、動物観察と繁殖を通してようやく子育てはメリットデメリットではないということがわかった
個人が子育てに興味持てるような環境で育ったか、そもそも個人が子育てに興味を持てるように生まれてきたかによる
だからそもそも興味持ってる人からするとコイツ何メリットデメリットで語ってるの?ってなるし、興味が薄い人からするとそんなコスパ悪いことなんでやるの?になる
動物は個体によって、何匹も産むけど育児放棄をしょっちゅうするメスもいれば、毎回丁寧に子育てをするメスもいる
そもそも交尾はしても子はできないメスもいるし、交尾すらなかなかしないペアも多い
同じ親から生まれた兄弟でも子がいたりいなかったり、育児放棄したりしなかったりで、動物も決して子孫を残すことが本能!ってわけでもないんだなぁというのを知った
※動物の場合、メスだけが子育てすることが多いので、メスの話になってしまうのはごめんなさい
だから、人間も動物なので、子育てに興味があるように育ってきた、生まれながらに子育てに興味がある人はそのまま何も考えず子を育てるんだと思う(ただ、経済的なキャパシティは考えるだろうから人数などは調整するだろうし、興味が薄い人は撤退するだろう)
だけど子育て欲を持ってない個体からすると、子育てってなんでやってるの?って疑問になるのは当たり前と思う
すごく社会に有益な趣味なので、政府が金で支援するみたいな感じ
社会の存続に必要なものを趣味に例えるのは良くないんだけど、やりたくなけりゃやらなくてもいいって観点から鑑みると趣味に近くなってると思う
結局社会が強制しなかったら育児に興味持つ人の割合って半分くらいなもんなんだと思う
どんなにキャンプの魅力を語っても興味持たない人は一切興味持たないし持てないし、メリット感じないのよね
育児も全く同じよ
芸能人の私生活に付きまとって勝手に写真撮って世間にばら撒いていく週刊誌の発刊と報道に関わってる人間は全員今すぐ地獄に堕ちろって思ってるし
芸能人と不倫してそれを必死に隠すどころかSNSに書くような脳みそミジンコ以下のクソ発情期女はこの世のあらゆる病にかかって苦しんで死んでくれって思ってるし
顔と名前と声と歌で売ってる男とよりにもよって音楽業界で出会って交際して結婚して人気アニメのおかげで分不相応にアニソン界の歌姫とか散々持ち上げられたあと
悲劇のヒロインぶって信者の同情票集めて暢気に暮らして幸せに子供産んだ女も、頼むから世界から消えてくれって心底祈ってる。
でもこの女に何かあったら元推しも生まれたばっかりのお子さんも悲しむだろうから結局健やかに長生きしてもらうしかない。
やってられねー。この世で一番憎い女がネット上で祝福される世の中、最悪すぎて泣いて暴れて吐いた。
芸能人だろうがなんだろうが恋愛して結婚して子供産むのはその人個人の権利で、同じ業界にいれば出会いがあるのは当然で
そんでどこまで本当か嘘か知るよしもないただの一般人どもにいつまでも元推しのことねちねちねちねち叩く権利があるか?
お前らの同僚が不倫したって別に通報も報道もする必要ないじゃん。
そんなん個人の家庭の問題であって、正直仕事に問題が出てなかったら別にお前らの人生に関係無いだろ。
●●ッ子です!って言って同情して生活上関わりのない人間のこと好き勝手非難してるオタク全員キモイ。
お前らみたいに他人の失敗とか不幸とかを娯楽にするゴミカスのせいで、自分は何年も好きだった人が突然この世から消えた。
コロナも落ち着いてきて、オンラインライブやってくれてた。もうすぐ現場も行けるようになるかもって楽しみにしてた。
それがいきなり犯罪じゃない、けど誰にも擁護できないようなことやったって暴露されてさぁ。
声と歌を売り物にしてた人であって、人間性はその人の自由だろ。お前らに関係ないだろ。
でも世間的には元推しが100パーセント悪だから、擁護の声なんか上げられなかった。実際悪いことではあったし。
この絶望がお前らにわかるかよ、わかんねーだろ。好きな人のこと好きって言い続けられないんだよ。
発表間近だった曲は発表されなかった。最後の曲はシングル発売すらされず起用作品のサントラに突っ込まれた。
解散ライブも無い。会える場所がどこにも無いまま永遠にお別れになった。ずっとずっと好きだったのに。
元推しって言ってるのは、自分が好きだったのはバンドでフロントマンやってる推しだったから。
主の仕事の方は正直そんな興味無い。アニメは作品で好きになるから声で推したこと無いし。
だから音楽業の方が完全に絶えた時点で元推し。だってもうこの世にいない。
確かにさぁ現場何年も通ったけどMCとかたまにン?って思うような発言あったりブログとかSNSもアレな時あったりしてて
めちゃくちゃ良い人だったのに、とかは言えないよ。
でも売り物にしてたのは声と歌とパフォーマンスじゃん。少なくとも自分が金払って受け取ってたのはそれだった。
ガチ恋してた時期もあったけど、だからって人格とか生活まで売り物にしろとは思ってなかった。
だからマジで、パフォーマンスの低下とかじゃなく、本来なら世間に曝されることが無かったはずの事象で潰されたのが耐え難い。
逆恨みなのは100も承知してんだけど、奥さんがあの人じゃなかったらなんぼかマシだっただろってずっと思ってる。
ていうかそもそもクソ週刊誌記者に撮られることもなかっただろ。声豚女ついてる若手と違ってもういい歳だったし。
あんな異常な持ち上げられ方して世間に注目されてる女が妻だから、追っかけられたんじゃん。大々的に叩かれたんじゃん。
だから交際報道出た数年前から大嫌いで、名前ミュートにしたし歌番組も出たらすぐ音消してやり過ごしてるけど
それでもあのアニメ始まってからは街に出たらどの店入っても流れてくる曲が堪らなくおぞましかった。
歌姫って持ち上げられるほどの声でも顔でもねーだろ。ここは完全に私怨籠ってるけど。
それでもあの報道出るちょっと前にはさすがに諦めついて、あのアニメは2期で主題歌変わってからやっと原作読む気になれてた。
現場が無いのはコロナのせいだから、また現場行けるようになったら完全に気にならなくなるだろって思ってた。
でも今こうなんだよな。推しときちんとお別れさせてもらえなかった元オタクの成れの果てだよ。
元推しと奥さんがどういう私生活でどういう会話しててどういう経緯でああなって今に至ったのか、そんなん1ミリも興味無い。どうでもいい。
別れろとかもあんま思ってなかった。そんなんされたところで元推しが経済的に困るだけだろうし。
ただいつだったか奥さんの希望で結婚式やったって報道チラッと流れてきたときは嫌悪だったな、憎すぎて。
不倫後に結婚式ってそれ針の筵みたいなもんじゃないの?参列者知らんけど双方の家族はいたんだろうし。
でもそれも忘れてかけてて、曲はずっとずっと聴いてるから、そういう良い思い出だけ繰り返してそれなりに平和に生きてたんだけどさ。
子供の報道見た瞬間、自分でもちょっと意味わかんないくらい泣いた。泣いて暴れて最終的に吐いた。
持論なんだけど、子供産むってマジで覚悟決めないと罪だと思ってて
子供って生まれたいって願って生まれてくるんじゃなくて親側のエゴでこの世に連れてこられる被害者だから
産んだ以上、その後に親が暴力振るうとか育児放棄とか別れるとか、絶対ありえなんだよな。
だからもう、元推しと奥さんって別れられない。別れたら子供が可哀想だから。
さすがにそれは無いだろって思ってるから、マジで絶望したんかなと思う。
子はかすがいって言うじゃん。鎖でもあると思ってて、子供いたらもう絶対「家族」じゃん。
そんでまたキモイ信者たちが「不倫されたのに許してあげる●●ちゃん優しい!」とか「子供まで産んでもらってこれで一生頭上がらないね」とか
本当に本当に本当に本当におぞましい。どの立場なんだよ。キモイよ。
一生あのキモイ信者どもの玩具にされるんだと思うと、堪らなく憎い。
ずっとずっと好きなバンドです!っていろんな人に紹介したかった。
ライブハウスで世界一好きな声に内蔵揺さぶられるような、あの時間をずっとずっと味わいたかった。
なんでバレるような不倫なんかしたんだよ。そんな頭ゆるゆるなバカ女に釣られたんだよ。
なんで解散したんだよ。ふざけんなよ。
文化的な分け方で性別をわければもっと細かくも大ざっぱにもわけられるのは当たり前だ。
でも生殖科学からみると、すくなくともホモサピエンスは産む性と産ませる性の2種の袋小路に進んだわけよ
(産むことに関与したくない立場の人もレイプされたりでこの「体は子を産めてしまう/子を産まれてしまう」生殖科学上の事実に直面することがままある
もちろん子供を産めることを期待されても体が答えない不妊も男女両方あるけどね)
ウクライナ人女性とロシア男性の間には合意がないから決して子供が生まれないというのならもっと世界は簡単で多様性があり自由だっただろうけれど
あるいは二次元キャラクター抱き枕にしかシコりてぃを感じない人たちはもうすでに人外という第三の性に手を出しつつあるのかもしれない
昭和生まれだから私の母親だってムチャクチャだった。長女だから、子育てはザ・マイルール。暴言・暴力は日常茶飯事。結構、理不尽な思いもした。
確かに自己評価の低い子に育ったし、バリバリの「いい子症候群」なのは自覚がある。
でも考えてみれば、普通の女性が初めての子育てに孤軍奮闘していたわけで。そんなに完璧な親でいられる訳がない。
それでも彼女なりに一生懸命だったのは確かだし、こうやって還暦過ぎても、子ども達に頼らずに生きていられるのは、やっぱり、あの母親のお陰だ。
短大を出れば十分だった時代に、大学に進学させて、手に職をつけさせてくれたのは、他ならぬ母親だからだ。先見の明があった。
本当の意味での「毒親」は、社会的にも問題だし虐待や育児放棄の問題は放置してはいけないが、昨今は何でも「毒親」にし過ぎだ。
自分のワガママが通らないだけで「毒親」呼ばわりしていないか?
親として100点満点だと胸を張れる人がどれだけいるというのか。
不完全な人間が、不完全ななりに、一生懸命子育てするのでは駄目なのか?
だとしたら、人格的にも経済的にも完璧な人しか親になれない。それも若い年代のうちにだよ。
そんな事は無いと思わないか
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。