はてなキーワード: 股間とは
見た目は老人、股間は若人!
その日私は友達の家で遊んでいて、習い事の教室にそのまま向かっていました。
少し向かうのが遅れてしまい軽く駆け足だったことと持っていた傘に足を引っかけてしまったことで転んでしまいました。
擦りむいた膝が痛いのを我慢してすぐに起き上がって歩き出そうとした私のもとに、男の子が「大丈夫?」と話しかけてきました。当時小学4~5年生だった私より身体も小さかったので小学1~2年生くらいだと思います。
人見知りだし年下も苦手だった私は一言「大丈夫だよ」と言って去ろうとしましたが、男の子は人懐っこい顔で「こっち来て」「ケガ治してあげる」と言いました。
同級生の男の子とはよく遊んでいましたが、下級生と遊ぶお姉さんになることもできない私は習い事の時間もあるし断りたかったのですが、断ろうとすると泣きべそをかかれてしまい仕方なく男の子について行きました。
着いた場所は地面に大きめの石があり、いくつか車が停まっていた気がするので多分駐車場だったと思います。男の子は大きい車が停まっている横のスペースに私をしゃがみこませました。
前後の記憶はあまり覚えていませんが、そこで突然男の子口にキスをされました。そのまま私のズボンの上から股間を触ってきました。何が起こってるのかわからず、ただただ怖くて身体が固まりました。
口が離れたタイミングで泣くのを我慢しながらか細い声で「用事があるから帰るね」と言いましたが男の子は無邪気な笑顔で「ううん、ダメ」と言いました。頭が真っ白になりました。
そこからどうやって抜け出したのか覚えていませんが、抜け出した後は泣きながらとにかく走りました。
何者かも知らない男の子に自分がすごく怖い目に遭ったことは何となくわかったけどどうすればいいのかわからなくて、ずっと泣きながら走ってました。
その後に習い事に行けたかどうかは覚えていませんが、帰宅して母親に相談をしました。同じ学区内の男の子だろうから学校に行きたくないことも外を歩きたくないことも言いました。ありがたいことに母親も親身になってくれて翌日の学校は休みました。
私の担任教師には母親から連絡をしたのか、次学校に行くときに呼ばれて低学年クラスが外にいるのを2階の教室のベランダから見せられました。
母親から聞いた特徴の男の子が知ってる子に一致していたらしく、その子かどうか確認するためでした。正直顔なんて知らない人だから覚えてないので覚えているのは髪型だけでしたが、かなり特徴的な髪型をしていたので学校内に該当する子は恐らくその子だけだったのでしょう。
多分そうだと肯定すると担任教師は「甘えん坊な子なんだよね」で終わったような気がします。特に注意しておくとかは言われなかったと思います。
当時の私はどうにかしてほしいというよりもただただ怖くて顔も見たくない状態でしたので教師のその言葉に何の感情もありませんでしたが、甘えん坊なら異性の股間を触るのだろうか?とか、名前も顔も知らない自分よりも身体の大きい女の子にキスするのだろうか?と今では山ほど疑問に思います。
でも、この話はこれで終わりました。
私も忘れたふりをして学校に普通に通いました。母親は心配していたと思いますが、私の中では学校を休み続けてクラスで目立ってしまうことも嫌でした。
ほんでチマチマ髭脱毛に取り組んできた。
まだ全然生えてくるけど、長年の友人から「明らかに髭が薄くなった」 「生えてきてる髭も前より確実に細毛になってる」と言われて嬉しい。
という雑談を某大手商社の営業(アラサー目力強い系美女)と商談の合間にしてたら、
「股間も脱毛すると快適でいいですよ! 実は私も脇と股間脱毛済なんです!」
男の小便器ってぶっちゃけ革命だよ。スペース効率がよく近づく離れるだけで自動で洗浄されるし、仕組みも形も単純だから壊れにくくて掃除しやすいし、何より大きいのがサボりができない。ずっと立ちの状態だし、排尿中かどうかはすぐにバレてしまうため、スマホ見ながらサボるってことができない。男のトイレのチェックイン-チェックアウトの快適さはこの小便器によって維持されている。
女も小便器作ればいいのになんで作らないんだろう?もちろん服が小便用ではなくて脱ぎづらいってのは理解するが、今の混雑具合を見て小用だけでもスピード感を上げて対応したいと思わないんだろうか?男女で小・大の発生割合が変わるはずがないので、女もほとんどは小をするためにトイレに入ってるはずで、それであんなに混むことの理由がわからない。化粧直しなどの目的があるのは理解するけど、単純に個室でスマホ弄りしてサボってる人が多いのが悪いんじゃないか?やはり個室は悪。女トイレにも小便器を普及させていくべきだ。羞恥心を捨てて、股間のダム放水を周囲に見せつけていけ。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
女の性欲は視覚よりも触覚や言葉などによる精神的な快感から増加するので
「女の胸を見て興奮する」のミラーリングとして「男の股間を見て興奮する」にはならないんだ
イケメン俳優やアイドルの上半身裸を見て喜ぶ奴が一定数いるけれど「その人が好きだからその人の体を見たい」であって「上半身裸になっている有象無象を見たい」ではないだろうし
(実際有象無象の男のグラビア写真集が少ないのは女性にはあまり売れていないって理由だし)
「何故か行く先々で現れるイケメン金持ちが平凡な女に無条件で金を与えて、呼べば車で駆けつけて足になり、欲しいものがあれば代わりに買い、でも干渉はせず、どんな愚痴や文句を言ったとしても女に対して愛だけを囁いてくれる、男の人格を無視した都合のいい存在」
といったおぞましさを一枚絵で表せたら男から反発がくるのかもしれない
僕の股間を眺めてくださいってことです😢