はてなキーワード: 肝臓がんとは
保険の新商品を策定したり、料金を設定したりする役目であるアクチュアリのインターンを受けたことがある。その立場から、保険について語ってみようと思う。(ちなみに、数学が好きな人には、アクチュアリはいい選択肢であると思う。安定していて給料がかなり高い。ただし試験は多い。わたしはあまりに安定度が高そうでつまらなく感じてやめたけど。)
保険って、公共事業なんですよ。事業計画とか、保険料とか、責任準備金とか、全部審査されて、営利に走りすぎないように、かといって大判ぶるまいで損して保険料がほかの人に払えなくならないようになってます。
日本の医療や健康保険制度は世界一で、貧乏人でも非常に高い質の医療が受けられるようになっています。障害者認定を受けたら免除されるものが数多くあります。デフォで提供されているものを知ることにより、保険で何を補うべきかがはっきりしますし、いざというときに活用できます。
営業費(おばちゃんとか)や宣伝費は全部費用として換算されます。おばちゃんが訪問するタイプの保険だと、営業費はかなりかさみます。逆に、共済とかは還元率が高いです。
条件・審査がゆるいということは、それだけ保険料を受け取る人が増えるということでもあります。なので、保険料を高く設定しなければ、破綻してしまいます。むやみにゆるいところに入らないほうがよいでしょう。
会社に勤められるということは、それだけ健康であるということです。なので、保険が必要となる人も少なく、そのため保険料が安くすみます。宣伝や営業もほぼしていない点もプラスですね。
当方、人生に迷いましていま医学生だったりします。2008年のがんの罹患率を見ますと、こんな感じですね。
このうち、胃がん・大腸がん・前立腺がん・子宮頸がん・乳がんは早期発見が簡単ですし、早期であれば術後ほぼかわらない暮らしがおくれます。肺がんはX線や喀痰細胞診では早期発見が難しいことがありますが、CTは検出感度が高いです(タバコを吸っていない人でも腺癌という種類はなることに気をつけてください。特に女性。受動喫煙がリスクファクターかもと言われています。)。肝がんや子宮体がんも予防法はありますが、長くなるので次の機会に。
性格的に何がしっくりくるか、というのも人次第だと思いますので、どちらがいいと結論はしません。
保険会社は存続することが一番大事なので、高リスクの運用をしてはならないことになっていますので、保険会社側で保険料を大幅に増やしてくれることはありません。先ほど申し上げたように、宣伝や営業に一定割合振り分けられるので、積み立てで「返ってくる」とはいえその分は保険会社の取り分となります。しかし、積み立てならば払われなかった人の分自分にくるという面もあります。
父が危篤の時、ボクは家にいた。
「いつどうなるかもわかりません。」
酸素吸入は、限界まで10リットル流されていたが、SPO2は60台だった。
内服のモルヒネは効果がなく、点滴に変更したためほとんど意識はなかった。
呼吸は下顎呼吸になっていた。
痛覚刺激も殆ど無かった。
「今夜か明日が山ですね。」
その日はそう言われていた。
そう父に言って、一度家に帰った。
ipadでエックスビデオを開いているが父のことが気になってなかなか硬くならなかった。
でも、とにかく出したかった。
パソコンにHDMI端子をつなぎ、テレビでエックスビデオを見た。
42インチテレビなら等身大に近い感じで映し出されるからより臨場感があるだろうと思った。
すこし硬くなってきた。
でも、なかなかぎんぎんにはならなかった。
ボクはそこで間違った行動に出てしまう。
そして、すぐにその時がきた。
父の呼吸が止まっていると電話があった。
その時、ボクはあまりに固くならないのにイライラしてバイアグラを服用ししてしまったのだ。
本当に情けない。
父の呼吸が止まった瞬間、ボクはギンギンになっていた。
しかし、その後はどんな動画を見てもボクのあそこは反応しなくなった。
大好きな女優の大好きな部分を見ても、父との思い出が頭をめぐりまったくの無反応だった。
父に面会したとき、ボクのバイアグラ血中濃度は結構あったと思う。
父の死に目の時にボクがバイアグラを飲んだ状態であろうとは父も思いもしなかったと思う。
父も死んでも死にきれないだろう。
ボクも今まで生きていた中で一番悲しかった日だった。
胃がんだった。
21歳の時に父親が他界した。
肝臓がんだった。
約1年で潰した。
26歳の時に詐欺にあった。
2,000万近く失った。
18の時からずーっと空白。
母親っ子だった。
残りの人生も恐らく空白だろう。
見事フラれた。
当然その気があって来てくれたものだと思った。
体に触れた。
彼女は拒否しなかった。
正確には多少は拒む素振りをしたけれども、そのままコトは進んでいった。
彼女に囁いた。
『.....好きだよ.....』
抱きしめながら何回も囁いた。
でも反応はなかった。
寂しかったのだろう。
だから僕の家に来た。
ただそれだけ。
でも僕は勘違いをした。
久しぶりの恋だと舞い上がっていた。
『彼女も恐らく僕を好きだろう。』
僕は彼女のことが本当に好きだった。
でも結局、最後まではしなかった。
帰り際、彼女はひどく不機嫌だった。
理由を尋ねても不機嫌なまま。
しばらく連絡はなかった。
『この前はごめんなさい。』
僕も謝った。
それはわかっていた。
案の定だった。
本当に好きになっていた。
でも彼女は受け入れてくれなかった。
『最初はいいと思っていたけど、いきなりああいうことをされたから.....ごめんなさい。』
彼女は何故かそれを僕に報告してきた。
悔しかった。
辛かった。
こんなにも想っているのに受け入れられなかった現実が。
僕は愛に飢えている。
愛する人、愛してくれる人さえ現れれば、全てがうまくいくとさえ思える。
まるで母親が死んだ時のように。
でも僕は生きている。
人生は続く。
だから歩き続けなければ。
それが人の一生。
全てを受け入れて進んでゆくだけだ。
そして歳をとったらそのうち.....
会えるよね?
お母さん。