はてなキーワード: 職工とは
読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下?ファッション売り場?
増田は搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。
売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。
しかしデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。
という事で離れた場所に搬入口が設けられて秘密の通路で結ばれていることがあるのだ。
それを幾つか紹介するよ。
因みにこういう所は仕事でしか入れないもので、増田が仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。
ヤマダ電機が運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業は昭和29年の地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。
LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色な運送会社的なところがある。
https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8
ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ。
かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。
https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A
元々ここは東上線の線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車の留置線が伸びていた。
国鉄が貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。
90年代に東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。
それまで旧館は東上線の北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画のダウンタウンのようだった。
https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8
ミロードの甲州街道のルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。
https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8
ここは急勾配&高さ制限がキツイ&急勾配登ってすぐに急カーブのクランクというデンジャラスなコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。
危なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ。
ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。
https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7
ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道陸橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道陸橋の下が公共地占有だ。
因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。
実はここは土地取引を巡って管財人の司法書士とヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地&駐車場のままだったところだ。
また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアとJR本社とトンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地や職工の詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである。
https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68
西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通り向かいのB館、ロフト、パーキング館とあるが、全て地下トンネルで繋がっている。
特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。
搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。
珍奇な搬入路の王者と言ったらここである。もう無くなってしまったが。
駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像)
https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9
ここからR246の下を通り、東横店東口店までずっと地下トンネルが通っていた。
更にここには空港の手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。
このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。
つまり、昭和2年の東横線開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である。
因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。
東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。
あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルとストリームの地下で荷物の輸送に使われているんだろうか?実に気になる。
肝心の「東横店東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。
開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社の帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。
これらには公共地である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。
普通はこういう占有方法は認められないが、施設の公衆性が強い場合は許されるのである。私鉄が道路地下を走っていたり病院の渡り廊下が道路跨いでたりと同じだ。
デパートの場合の公衆性は、公衆が自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場の性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。
余談だが、中野ブロードウェイのまんだらけが性的な商品を通路側に陳列して対面の商店とトラブル、その商店をネット民が攻撃して炎上するというトラブルがあった。
この時にネット民は中野ブロードウェイは私有施設だから陳列は自由、まんだらけの占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。
でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイは公衆施設の一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路は公道が準用される。
そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準で取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品を押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。
また、デパートは売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。
売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。
そこでデパートの流通センターか搬入代行業者の倉庫に搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパートに搬入するという形になっている。
当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。
これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方の業者が東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者の倉庫内に置いてしまう事もよくある。
「東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。
いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷な仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠と瞑想と野菜不足だろうか。
https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950
『人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』
とはいえ車夫になってからの平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』
とある。
ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海のカニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。
気になる点はいくつか。
まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。
『あなたも知っているとおり、この乗り物は日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』
7年前に生まれた職業の平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。
なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。
人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列のイメージかな?日本には駕籠があった。
人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。
人力車は安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治期都市に流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A
二人以上で運ぶ駕籠と車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷な労働かはわからない。しかし運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠の時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化・職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。
次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。
ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。
"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?
久保田重孝'6)はこのバードの旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在の作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである。
横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定の駐車場に所属する株車夫である。
そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。
「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に不規則の労働に従ひ不定の収入に服する人力車夫の常として,途中不用の飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活
まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入の不安定さまで述べられている。
バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベルの貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数の聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではわからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金、寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。
ひとつ付け加えると引用の横山は1871年生まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。
あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業のラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。
2,3のwebページを見ただけだが、自分の感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計的事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。
そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人の世間話の採集かもしれん。
ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。
そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化を解説する立場のキャラクターが自分の持つ知識としてセリフを披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。
作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。
原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保の立場で流せたのだ。
…
毎月勤労統計調査は、前身の職工賃銀毎月調査が大正時代に始まったという、約100年の歴史がある経済統計。これだけ長期の時系列データが取れる賃金統計は世界的にも珍しい。一方で、時代に合わせて少しずつ改良が重ねられているものの統計の継続性を保つことの必要性から改良にも限界があり、どうしても調査方法の骨格に古さが出てしまっていて、動きが不安定だったり精確でなかったりする問題を抱える。それもあってか調査に充てられる人員も少なく、厚労省内部でも統計の中身を理解している人に事欠くことなどが原因となって、推計値の算出方法を改定する時に不適切な方法が採用され、これが統計不正調査問題を引き起こし世間的にも有名になった。
金隠湾から望むコンスパンティノープルはパンティ型の城壁に囲まれている。
かつて、この都はパンティの総本山と呼ばれ世界中のパンティが集まるところであった。
そのパンティを守るため、時の皇帝パンティオン12世はパンティ型の巨大な城壁を築き上げた。
パンティオンの壁と呼ばれた三重構造のパンティ建築様式の枠を極めた城壁はただの軍事施設ではなく、
いざというときには、その壁の中でパンティを生産するべく様々な職工たちが居住した。
そんな職工の一人がパンティルネサンスの祖、レオナルド・ダ・パンティであり、
早く終わったと伝えれば次の作業が振られるだけで、振られた作業によっては余裕を持った仕事ができなくなるから
まるっきりサボるつもりはない、ただ仕事の余裕を持ちたい、それだけだ
が、上で仕事を振り分ける側に立つと、下のメンバーのこういう内職的なやりくりは正直あまりうれしくない
カツカツのスケジュールにするつもりはないけど、手持ち無沙汰で別のことしてるくらいなら終わったと言ってほしい
こちらはやらなきゃならないが指示まで落とせてない話を何本も抱えているから
そういう意味で、今、仕事を一緒にやってる若い女性はとてもやりやすい
終わったら終わったと伝えてくれる
案件が固まらず手持ち無沙汰な状況になると、定例会議で他の作業でできるものをやりましょうか、と自分から言ってくれる
これはやりやすい
新人で配属されてから契約が切れず、結果的にもう5年目くらいになるらしいがよく分かる
一方で、とても愛想が良い中堅の男性
よくやってくれているが、この内職工数を取りがちだ
サボってるとまではいかないけれど、どうみても終わってるのに報告はしてこない
進捗を確認すると一気にいくつか連絡してくる
うん、だからさ。
BIってのはそういう連中に「やることはもうやった、潔く死ね」って突きつけるための制度なんですよ。
ネットで買った痛み止め飲んで、自力で整復して、後は家で震えてろ当然の結果だゴミクズ。っていう。
大体、生産業がグローバル化の浸透圧+機械化の波に押されまくって
単純職工の需要が激減してる時代に、そんな生き物に費やすゼニはねぇってこと。
その辺りの馬鹿を差し引いても、日本は回るからね。むしろ、生活保護費やらなんやらのしちめんどくさい
社会的アレコレが省けて、かなりのコストダウンになる。ケースワーカーさん全部要らなくなるから公務員も相当シェイプアップ出来る。年金もナシに出来るしね。
まぁ、なんにせよ。「親子三代生活保護」とか「字もかけましぇーん」みたいなゴミクズは
現代日本では生産性的に無視していい、というかいない方がマシな生き物なので、そんなのを慮ってやる必要は1ミリもないんでね。
新卒就職率が六割っつーニュースを読んだが、これは言い過ぎかね。
若年失業率は2割程度と言われているが、これを正社員のみに限定すれば「半数近く」で間違いとも言えんのでは。
まぁ、昇給も雇用保険もない職を「職に就く」と見なすなら話は変わるだろーが。
現在非正規二十代の若者、どーすんのかね。40になる頃にはマジで自殺するか反政府組織になるしかないんじゃね。
もちろんこういう人間はいつの時代も一定数いるもんだが。にしても多いわなぁ。
増田にも無論一杯いるんだろうが、あんたらこれからどーすんの?と言いたくなる。
まぁ、知ったこっちゃねーんだけどさ。競争に負けた以上の何者でもないし、なんともしてやれないし。
ここまで比率が増えると当人だけの責任とも言いがたいんだけど、出来ることなんか何もないし知ったことかと言うしかないよなぁ。
気の毒には思うけどさ。
この先、雇用の要である製造業の製造拠点が国内に戻ることはまずないし、単純職工の需要が回復する見込みはないよね。
となると、職を得るためには職で得たキャリアや能力が極めて重要になるんだけど、一度そのルートから外れると
それを得られる見込みはまずないっていう素敵社会だからなぁ。職を得る職が無いって感じで。
現在非正規雇用の職になっているものだってどんどん海外移転や無人化をしていくだろうし、ホントどーすんだろうねこれからの若者。
切り捨てるのはかまわないんだけれども。
切り捨てたところで人間は消滅しないんだよな、社会の底辺として残る。
だからこそ、社会の底辺には底辺用の職を用意しなければならなかったのだけれど、現代は所謂
単純職工っていうものの需要がどんどん減ってる。特に国内では。
だから、どんな弱い固体にもそれなりの生存権利を与えなければならない。特に現代のような
「若者の半数近くが職を得られない」って状況で「切り捨て」をやると、その反動は間違いなく国家に降りかかる。
ほんの少し前までは建設業のドカタ、製造業のライン工などの職が豊富にあったのだけれど、現代ではそれはない。
だから釜のメシを分けてやるしかない、ってわけ。
そういうわけで、競争に晒せっていうところまではともかくとして
「切り捨てろ」っていうのは、「切り捨ててどうするの?」ってところまで答えられないと馬鹿のたわ言でしかない。
個人的な感覚で言えば、日本は既に弱者に「見切り」をつけてると思うよ。でも、見切りをつけたところで
彼らは生きて行動している。選挙権もあれば生存権もある。その上、メシが食えなければ当然の行動を取る。
だから、雇用創出や互助的な政策が必要になるわけ。
例えば、君が何か物凄い性能の武器か何かで無職を一人残らず撃ち殺してくれるっていうならいいんだけど。
そうでないなら、もう救いの無い馬鹿としか。
ところで、隣家の娘息子がニートになったり、あるいは年寄りが要介護になった場合、その生産性のない人達のツケは誰に廻るって
普通に働いてる人達に廻るわけですよ。だから「ざまぁ」は正しくない。というか、考えが足りない。
高齢化社会にくわえて雇用不足ででどんどん働く若者にツケが回されてるこのご時勢「ざまぁ」はどうしようもない馬鹿だ。
そもそも現在日本に必要な「淘汰」は教育による若者の淘汰じゃないよ。絶対数が不足してるんだから。生産性のない老人の淘汰こそが今必要。教育云々言う前に、年寄りを一匹でも多くこの世から送り出す方法を考えた方がいい。さもないと、我々がそりゃもうモノスゴいツケを払う羽目になるっていうか、まぁ確定路線ですよねこれ・・・。
ゲリラ弁当で、まいにち創意工夫して、自分で売って、お客さんの反応を自分で見て、明日ちがうメニューを作る
っていうのでは、全然、労働の楽しさがちがうだろ?
今はBIがないせいで、生きていくために大資本の下につかなくてはならず、自分で弁当作らない、高学歴が決めた内容に低学歴が従ってる。それはおかしい。
生きて行けることを保証してやれば、ゲリラ弁当でもくっていける。自分で考えて、自分で決めて、自分で創意工夫できる。
それって、重要なことだと思う。
その上で、コンビニ弁当つくる仕事に流れたいなら、そうすればいい。
ただ、この国は、資本主義による生活圏を縦にとった単純労働が多すぎる。人を機械以下にしてしまっている。それはよろしくない。
結局、創意工夫がなくなって、国としての想像力が落ちて国家として衰退してる。 それはよろしくない。
創意工夫できる、創造的な産業が増える国家にするためにもBIは必要。
俺自身はわければ、学歴組の方に入るんだが・・・学歴は良くない。
技術系だからだ、技術は一生、定年まで現役なんだよ。定年したって現役。そう考えれば、学歴なんて・・・って話だし。
生涯現役で60年黙々と働くという生き方があっていいと思うんだよね。そして、その方がスキルは高い。
そういう生き方もみんなが選べるように。BIはあったほうがよい。