はてなキーワード: 耳毛とは
👴「耳毛をパイパンにしたいんじゃがのぅ…」
2.うちのおばあちゃんの耳のなかもふっかふかに生えてる(しかも白髪)なんだけど耳すごくとおい。毛のせいじゃないかっていったら本人におこられた
3.理容室では美容室とちがってカミソリがつかえるが、なんと理容室用の耳毛剃りというものがある。おばあちゃんにつかったことはないしたぶんあぶないから素人はつかわないほうがいい
4.インドの理容室では耳にマッチの火を一瞬いれて全部焼いてくれるらしいが熱いらしい
5.それから連想してイヤーキャンドルとかいうのやると耳に蝋燭カスをいれられることになるからやめたほうがいい(一時期吸いだされた耳垢がびっしりといって詐欺商品として流行った)
6.うちの家族に黒くて長い耳毛が生えだした壮年男性がいるが、耳珠から1本だけ遮断機のように耳穴をよこぎっており、耳かきした耳垢がそれで叩き落とされてとても邪魔なのでまず最初に毛抜きで抜いている
タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分の気持ちに整理をつけられればと思い、はてなに新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います。
物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可の新築のマンションに引っ越してから数ヶ月が経った頃。
せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだが夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン。
生まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。
しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。
(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)
初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワに喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間のご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます。
共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。
2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。
電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。
当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)
そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。
ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。
父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。
麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さな小さな黒い腫瘍になっていました。
その腫瘍は癌の一種、メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきます。トイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。
その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます。
大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。
酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。
酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がります。ご飯を吐くようになりました。
1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。
母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。
いつも行っていた公園をカートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。
最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。
目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。
そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。
帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっとお散歩行けたのにね。
家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。
2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。
寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。
会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまいます。
でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛い。クリクリの耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球の香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。
まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。
大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から、一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。
私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています。
何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います。
ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます。
たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。
一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かいお言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます。
一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。
で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。
彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日を確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!
耳が痒いなと思うことが増えて、耳掻きが習慣になっていた。
指で掻いてもあまり解消しないが、綿棒で少し掻けば痒みは治る。
耳垢で耳の聞こえが悪くなることがあって、大抵、夜に聞こえが悪くなり、不安になりつつも日が明けてから耳鼻科に行こうと考え、次の日の朝にもう一度掻いてみると取れた。
直径5mm弱の塊が取れて超スッキリ。
家族も昔、大きな耳垢が取れた経験があるようで、そんなものかと思っていた。
しかし、近年、
耳掻きは悪、耳掻きこそ耳垢の要因だという風潮があり、家族に言われて自分もあまり耳掃除をしなくなった。
耳が痒くても我慢したり、綿棒を使うときも奥まで入れずにサラッと拭うだけにしていた。
すると、半年ほど経ったあたりから、痒みが増し、1年ほど経ったあたりで、左耳だけ、明らかに聞こえが悪くなった。
試しに、耳掻きを奥まで入れてみると、ガサガサと音がする。
「大きいのがあるな」と探ると、引っ掛かりがある。
「おっ」と思い掻き出そうとするが、全く剥がれない。
耳の中の皮膚が痛い。
ふやけて剥がれるかと思いきや全く剥がれない。
恐る恐る爪楊枝で境界をなぞるが、剥がれる気配が無い。
そんな中、夕食後の食器洗い中、耳がものすごく痒くなり、我慢出来ずに洗剤がついた指で耳を掻いてしまった。
痒みはおさまったが、洗剤によって肌が荒れてしまうだろうと、水道水をつけた指で、何度も濯ぎ洗いをした。
その後は、耳の中がスースーとさっぱりとしていて気持ちが良く、これからもたまに洗顔石鹸で洗ってやれば良いか等と思いながら床についた。
するとだ、
夜中寝ている間に、ラップ音が聞こえる。
目が覚めるくらいの「ピシッ」「パシッ」「ペリッ」という音が何度もあった。
耳の中で鳴っている。
脱脂された耳垢が乾燥して剥がれる音?
そして耳の中が猛烈に痒い。
起きて耳掻きで耳を掻いた。
ザシッ、ペリッという音の後に、
スッと物凄い清涼感。
恐る恐る引っ張ってみると、直径8〜9ミリほどの肌色〜薄茶色の塊が落ちてきた。
大きすぎてドン引きしつつ、写真を撮って、ティッシュにくるんで捨てて、また寝た。
起きて家族にこのことを伝えると、(眠い中で撮った写真が不鮮明だったこともあり)実物が見たいと言う。
そして驚いたのが、耳垢の取れた左耳だけ、音が大きく聴こえる。
今まで左耳の詰まりからくる感音性能の低下によるステレオのバランス異常を、脳が補正していたのか。
それが、いきなり解消されたものだから、補正分大きく聴こえるのか。
念のため週明けに耳鼻科に行こうと思う。
今まで放置していたり、結果的に洗剤で耳を洗って解消されるなど、Twitterにもブログにも恥ずかしくて書けないので、増田に失礼した。
■2021/06/14追記
なんとまだ、大きな耳垢が存在していた。
自分の場合、今回の出来事で、外耳道を塞ぐ形に存在していた耳垢が取れたのだけど、さらにその奥の鼓膜の手前で少し曲がっているところにも、周囲にこびりつくように耳垢が溜まっていた。
耳の中に薬を垂らして、横になって少し待って、ピンセットみたいなもので取ってもらった。
「左耳の音量は高くなったけど、若干低音が聞こえにくいかな…。安いスピーカーの音に似た感じだ。久しぶりに聴こえるようになった違和感からそう感じるのかな。」と思ってたけど、穴が狭くなってたからか。
ついでにクリーニングしてもらったけど、大きな耳垢は無かった。
その他は、やはり少し耳の中が荒れていて、点耳薬をもらったのみで、「薬が無くなって、痒くもなくなったら、来なくて良いよ」とのこと。
「これからは、耳掻きはやりすぎず、週一くらいで、違和感あったら早めにきてね」と言った感じだった。
痒みには市販薬使っても良いとのこと。
あと、耳の中の画像見せてもらって驚いたんだけど、自分の耳毛が思ったより凄かった…。
2mmくらいの白い産毛が全体に「ふぁさふぁさ」というレベルかなと想像していたのだけど、黒々とした鼻毛みたいな立派なのも生えてて、こりゃ痒いわと思った。
炎症の程度を見るために、そして自分でも耳毛を見てみたいがために、Amazonで耳掻きカメラ注文した。
3000円弱。楽しみ。