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はてなキーワード: 美称とは

2024-01-22

エポニムみたいなやつ一覧

acronym(アクロニム):頭字語。単語頭文字を並べたもの

allonym(アロニム):別名

anacronym(アナクロニム):レーザースキューバなど由来が意識されないアクロニム

ananym(アナニム):文字を並び替えて作った名前

andronym(アンドロニム):男名

anonym(アノニム):匿名

anepronym(アネポニム):人名に由来するが普通名詞意識されているもの

anthroponym(アンスロポニム):人名

antonym(アントニム):反義語

apronym(アプロニム):アクロニムであり、かつその文字の並びが別の単語になっているもの

aptronym(アプトロニム):偶然にもその人の職業性格を表している人名のこと。スコット・スピードやパディ・ドライバー(いずれもF1ドライバー)など。

aristonym(アリストニム):貴族の姓

backronym(バクロニム):アクロニム意味付与したもの

basionym(ベーシオニム):基名

caconym(カコニム):謬称

capitonym(キャピトニム):語頭が大文字で書かれる名詞

charactonym(キャラクトニム):性格を表すあだ名

contronym(コントロニム):文脈によって反義になる名詞

cryptonym(クリプトニム):仮称

demonym(デモニム):族名

eponym(エポニム):名前人名を含む単語

ethnonym(エスノニム):族名

euonym(ユーオニム):美称

exonym(エクソニム):外名

gendernym(ジェンダーニム):ジェンダーを表す名称

glottonym(グロットニム):言語名前

gynonym(ガイノニム):女名

heteronym(ヘテロニム):同綴異義語

holonym(ホロニム):全体を現す名詞

homonym(ホモニム):同音異義語

hydronym(ハイドロニム):体液の名称

hypernym(ハイパーニム):上位語

hyponym(ハイポニム):下位語

isonym(アイソニム):同綴異義語

meronym(メロニム):部分を表す名詞

metonym(メトニム):換喩

metronym(メトロニム):母称。「(女性名の子」「(女性名の子孫」を本来意味する人名

necronym(ネクロニム):諡

paronym(パロニム):同源語

patronym(パトロニム):父称。「(男性名の子」「(男性名の子孫」を本来意味する人名

phytonym(ファイトニム):植物名称

pseudonym(シュードニム):偽名

retronym(レトロニム):同種の新しいものができたために区別して呼ばれるようになった名前

synonym(シノニム):類義語同義

tautonym(トートニム):学名の反復名。ゴリラ (Gorilla gorilla) の類。

taxonym(タクソニム):タクソン(生物の分類群)の名

toponym(トポニム):地名

troponym(トロポニム):様態を加えた細かい意味を表す語。

2023-07-28

anond:20230727215246

学年でも上から数えたほうが早い

偏差値51の美称

クラスで上から数えた方が早ければだいたい学年でも上から数えた方が早いわな。

2023-03-06

anond:20230306201838

位置付けとして中間であることの美称なので、何についての位置づけかは色々。量/質/順番/空間など。

2022-08-21

anond:20220821234816

北米先進地域では「子宮を持っている人」「生理が来る人」って呼ばれているんだっけ。

しかも遅れている日本フェミニズムでは元のやつを蔑称として扱うけど、北米の進んだフェミニズムではむしろフェアでエクイティティに即した美称として賞揚してた気がする。

2022-02-10

キモくて金のないオッサンを裏返すとヤバいツイフェミがいるのではないか

立て続けに、ツイフェミヒステリックな様子をまとめたものを見ていて、ヤバいツイフェミKKOの女版が多いのではないかと思うに至った。

KKOの女版とは、不美人で金のないメンヘラである

女性は不美人でも気立が良ければ割と結婚できる。気立てが良いとは、夫婦という共同生活を送る上で致命傷になりうる欠点がない(あるいは見えない)程度の意味である

ヤバいツイフェミプロフィールを見ると病名が書いてあったり、投稿している内容がずっと攻撃的だったりする。

見えている地雷である。これでさらルックスや金がなければ近づく男はいない。

この不美人で金のないメンヘラ家事手伝いという美称で塗りつぶされ、キモくて金のないオッサンと同様、社会から黙殺」に近い扱いをされてきていた。

2017-06-03

[]委員会の開催の流れと審議拒否

国会ウォッチャーです。

 なかなか分かりにくい国会委員会の開催のルールについて少しご説明します。

大前提政府国会に審議をお願いする立場

 これが大前提です。閣法の場合は、政府が提出する法律を、国権の最高機関である国会に審議をお願いすることになります与党は勿論、野党もそういう位置づけです。なぜかというと憲法第41条で定められている通り、国会が唯一の立法機関からです。内閣は、国会に頭を下げて審議をお願いしているわけです。そして基本的には過去のどの内閣も、野党にも議論に参加してもらうための努力をしています。なお国権の最高機関という言葉意味に関しては優先説は美称説で、国民に一番近いという意味で単に名称上そのように読んでいる、というのが多数説だと思われます。統括機関説は現在では多数見解ではないので、別に国会政府より偉い、という訳ではないとするのが一般的。これは当然に政府内閣国会より偉いことも意味しません。

常任委員会理事会

 規則委員会の開催日程を決めるのは委員長です。しかし慣例上委員長は、公平中立にふるまう事とされており、実際は委員の互選によって(実際には議院運営委員会で定められた割振りに応じて各会派が決まった人数を推薦する)選ばれた理事によって構成される理事会委員会の開催を協議します。ここも慣例上、委員会の開催は、理事会の全会一致によって決められることになります。これはただの慣例ですが、与野党が互いに「貸し借り」をすることで、全会一致の努力します。たとえば与党は、野党が追及したい総理大臣入りの質疑、野党理事地元での地方公聴会の開催などの提案をしながら、委員会の開催を打診します。それに対して野党は、参考人招致証人喚問集中審議などを要請して、理事の間でお互いの条件を出し合いながら開催を模索することになります特に大事なのは与野党の筆頭理事間の交渉です。これはいわゆる取次ですから、お互いの立場尊重して、お互いのメンツを立てあいながら慎重に交渉が行われます。「森友の事を聞くな」という条件で首相入りをお願いした田村憲久厚生労働委員会の筆頭理事と、柚木道義筆頭理事間の例でいえば、田村さんとしては、お願いベースであっても、首相入りについては譲ったのだからわきまえてほしかった、というような気持ちが出た結果だといえますし、柚木さんとしては「常識的範囲で行なう」と答えたと報道されていましたが、これはすれ違ったまま拙速に審議入りしたので、お互いの信頼関係が崩れたわけです。いったんこういう状況が起きると、委員会の開催は普通はいったん止まります。お互いの信頼関係正常化するまで様々な交渉を行う訳です。また今期の中川政務官不倫今村復興大臣失言のような、政務三役不祥事があった場合も慣例的に、質疑が止まります政務三役というのは法案委員会付託し、法案の審議をお願いしている立場なので、常にその資質が問われている、という理解です。

国会対策委員会

 普通はこういう時は国対委員長同士で交渉が行われます。森友の事を聞いたので強行採決したあの件に関しては、結局国対委員長竹下亘議員が、謝罪することで、野党メンツをたて、さら野党案の審議をするという譲歩を行うことで、審議が再開されました。こういう貸し借り、というのが政治世界では大事な話になっています国会対策委員長というのは大事ポストで、各委員会の日程も含め、実質的国会運営を決めています規則的には議院運営員会が担っているのですが、国対委員会という党の機関が「本国」と呼ばれ、議院運営委員会は「出先」と呼ばれるように、本質的には国会対策委員長同士の交渉が一番大事になっています。ちなみに国会対策委員会基本的役割のもう一つのものが、議員派遣です。これはバカみたいな話なんですが、委員会の開催は委員過半数がいないといけないことになっていますしか委員を務める国会議員複数委員会に出席していたり、その他の政治日程により参加できないこともありますので、その空いたスケジュール一年議員を中心とした暇な議員派遣する役割を担っています国対委員長管理が甘いと、頻繁に定足数割れが起きます。今国会はすでに3回ほど定足数割れを見た気がします。委員会審議の際に、野党委員から「定足数は足りていますか」と聞かれることがよくありますが、出席率わりーなーという嫌味なわけです。実際に割れていたら委員会が成立していなかったとみなされますので恥なわけです。話がそれましたが、国対委員長同士でもうまく交渉がまとまらないとき幹事長の出番です。幹事長が出てきても話がまとまらないときに、審議拒否が起こる土壌が生まれるわけです。

委員長の職権開催

 ここに裏技があります。慣例を破って、理事会合意抜きに、公平中立運営するという与野党の申し合わせを無視して、委員長が開催を宣言することです。これをやると与野党信頼関係は最低ラインまで落ちます与党がどうしても通したい、なんとかあと数回の開催をしたい、というときに使われますふつうこれを使うと野党はヘソを曲げますので、割と奥の手です。通常でいえば、国対幹事長まで行く話です。ベジータ戦での3倍界王拳ぐらいには。4倍程ではないと思う。今回の共謀罪法案では、衆参両院法務委員会では、職権ではない開催は衆院最初の2回だけです。残りは全て職権で開催されています。これは異常事態です。普通な審議拒否一直線コースです。

「空回し」審議

 野党が何を求めても与党が反応しないとき信頼関係は地に落ちているけれども、それでもどうしても法案を通したいとき与党委員会質疑を開催し、野党は出席を拒否します。これを「空回し」といいます。何の質疑も行われず時計けが進んでいくからです。これが狭義の審議拒否です。今期民進党は、参考人招致をしても無視され、資料請求しても無視され、集中審議要求しても無視され、予算委員会の開催を求めても無視され、委員会は職権で開催され、政府参考人登録委員長に行われ、かつてないほど愚弄されているわけですが、それでも出席拒否をしていません。例えば自民党野党時代に、特例公債法人質審議拒否をしたときは、当時の野田政権は空回しをやりました。安倍政権でもTPPや安保法制の時にありました。私は出ても出なくても同じなら、出席拒否して、同メンバー国会前で演説をする、市民との公開討論会をする、などでもやってみればいいじゃないかと思っているので、別にそのことを褒めるつもりはないのですが、先日の安倍総理ラジオ発言に反発して、「審議拒否議論妨害もしていない」と言いたい気持ちはよくわかります。現民進党執行部は審議拒否をしてみても、与党は屁の河童で空回しして来るだろうし、そうした時に読売産経などを中心に大きく非難されることを恐れているのだろうと思いますしか無抵抗で審議に出席して、「十分な審議をした」というアリバイ作りに加担しているということも自覚していただきたいし、そういう意味で厳しい目で見ている人もいるとは思いますよ。

広義の審議拒否を多発しているのは与党

 保守速報やら痛いニュースやらが「審議拒否」と言っているのは、先決事項である不信任案の採決による休憩、流会、与党側の不祥事に伴う、竹下国対委員長の出した譲歩条件による流会、さらには交渉段階での発言しかありません。このレベルを仮に広義の審議拒否しましょう。今期国会に関しては、そういう意味での広義の審議拒否与党側の方が多く行っています野党側は3月からずっと予算委員会での集中審議を求めていますが、与党はほぼ全てを無視をしています。また重要参考人昭恵夫人前川次官などを交えた集中審議無視していますさら質問にまともに答えない、資料を提出しない、和泉佐官北村滋明内閣情報官らの政府の高官の参考人要求理由なく拒否しています。また財政金融委員会野党が求めているのにもかかわらず、森友学園のことを聞かれるのを嫌って開催が流れ続けています。ここで大事なことは、与党法案を通すために、審議を要求することと、野党法案疑義政府要人資質をただすために必要資料要求したり、参考人招致したりしたうえでの審議を要求することの間には本質的な差がないということです。ですから野党の「審議拒否」をあげつらう方々は、ぜひぜひ与党にも「資料を出せ」、「参考人を呼べ」、「集中審議で方をつけろ」とおっしゃっていただければと切に願う次第であります

2017-02-13

夢は南海トラフ上野女史への反感―

本来、三大命題二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。

この論考は以下のURLにたいする一人の若者から反論である

https://togetter.com/li/1080097

以上の新聞記事で、上野女史は「経済犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。

この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。

平和国家という「ファンタジー

上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。

この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。

そもそも、戦後日本社会体制1940年代の「総力戦体制を「経済最優先」の形として再編したものである

扶養控除、源泉徴収終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。

社会実態についても、「平和」と呼ぶにはほど遠い。

1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動市民運動社会不安が吹き荒れていた。

70~90年代にかけては、家庭や企業社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。

これが少年非行いじめ過労死などの狂気的な状況を引き起こした。

戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたか社会である

まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである

後期近代―不確実な私、国家社会

しかも、「ゆたか社会」は90年代2011年にかけて完全に崩壊した。

まず、政府安全神話が崩れ、

企業身分制保障崩壊し、

最後に、原発事故とともに社会安全神話が吹き飛んでしまった。

この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である

では、現在社会とはどのような社会なのか。

それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的である

企業におけるセーフティーネットが「生産性自己実現神話」の名のもとに縮小され、

パートフリーターという不安定生活者が生まれた。

政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、

監視カメラSNS監視なしに、人々は安心して生きることができない。

不誠実な脳科学認知神経科学AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、

人々は常に失職と人間尊厳消失心配するようになっている。

そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。

このように、後期近代社会とは

当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間永遠の虚無へと投げ出すのである

相対的剥奪感と存在論不安

このような状況では、人々は二つのレベル不安を抱えることになる。

一つは生活レベル不安相対的剥奪感―

もう一つは存在レベル不安存在論不安

である

私たち人生ほとんどを仕事をして、生きている。

しかし、その仕事価値が急速に低下してしまった。

人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。

一方、ただ一日中パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。

この二極化する現実は人々に

「不当な地位にいる!」

「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」

という相対的剥奪感を抱かせる。

また、後期近代社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。

軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。

そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。

二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論不安を抱かせる。

しかに、ここであげた例は極論である

しかし、似たような体験をする人は多いだろう。

そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。

「私はこうなれたのに……」

「私もこうしたかった……」

ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情現代社会不安の核心にあるように思う。

上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である

この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである

夢は南海トラフ赤木理論の失効―

――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。

このような後期近代グロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。

彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺理論を主張した。

しかし、私は「戦争」を夢にはできない。

今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。

今や「自殺」ですら「富裕層」を富ませる資本である

加藤智大植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。

そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆不可能性を解き、

「後期近代」の隊列にから逸脱しないことを促進させる。

後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっと積極的な「支援行為なのだ

私の夢は「南海トラフである

防ぎようのない「天災」によって、

嫉妬の中心地である太平洋ベルト東京

ありとあらゆる社会資本が壊され、嫉妬の根源が無化される。

私はベンヤミンのいう「法維持暴力」に立つ者であるが、

この瞬間を心の底から待ち望む。

私はそのとき、心の底から嗤うことができるだろう。

109崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町サーバーがダウンし

白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき

後期近代はその柔らかな恥部を表出する。

私は笑顔でその恥部憎悪の限りをぶつけてやり、

後期近代を殺し、末期近代を出現させてやるのだ。

そのときに来るのが、

東のいう変質したファシズムなのか

笠井のいう生存のためのサンディカなのか

佐藤のいう無慈悲アナーキズムなのか

知ったことではない。

私が心の底から嗤いたいのである

相対的剥奪感や存在論不安に晒されることなく嗤いたいのである

そして、私は嗤いながら確信する。

東北の「土」と「血」が正しかったことを

東京の「コンクリート」と「鉄道」が虚妄であったことを

このような自己破滅願望について納得する解答を提示できない上野女史に

後期近代現代社会を語る権利はない。

彼女はせいぜい自らの理念後生大事に背負って、大学瓦礫に押しつぶされて死ぬのがお似合いだ。

2015-07-24

中華思想

中華思想(ちゅうかしそう)は、中国宇宙の中心であり、その文化思想神聖ものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義思想[1]であり美称[2]である漢民族とは異なる周辺の辺境異民族文化程度の低い禽獣であるとして卑しむことから華夷思想かいしそう)とも称す[1][2]。また夏、華夏中国とも同義である[2]。

中国語では中国中心主義(簡体字: 中国中心主义、英語ではsinocentrism ともよばれ、また「華夷」については中国では「華夷之辨」(英語で Hua-Yi distinction) とよぶ。

引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3

 
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