「美学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 美学とは

2023-05-31

テンプライアンス(Tempura Compliance)」とは

テンプライアンス(Tempura Compliance)」とは、

天ぷら調理提供に関する一連の規則基準

テンプライアンスの目的は、天ぷらを一貫して高品質安全状態提供することです。以下に、テンプライアンスの一般的な要素を示します:

1. 揚げ油の管理: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、揚げ油の管理重要です。揚げ油は適切な温度で維持され、定期的に交換されます使用済みの揚げ油は適切に処理され、安全方法で廃棄されます

2. 食材品質管理: テンプライアンスでは、天ぷら使用する食材品質管理が求められます。新鮮で高品質食材を選び、衛生的な環境で保管・調理されます食材の衛生面に配慮し、十分な下ごしらえが行われます

3. 衛生基準の順守: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、衛生基準に従うことが重要です。調理場や調理器具の清潔さを保ち、従業員は手洗いや衛生管理実施に努めます。また、食材の取り扱いや提供時の衛生対策も徹底されます

4. 提供美学: テンプライアンスの一環として、天ぷら提供には美的な要素も重視されます天ぷらは適切な温度提供され、見た目にも魅力的であり、食べやすい形状やテクスチャーが守られます

これらのテンプライアンスの要素を遵守することで、天ぷら店は安全品質の高い天ぷら提供し、お客様満足度を高めることができます

2023-05-29

バンドのことについて

バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。

自分は某大手バンドが大好きだった。

今のアラサー世代なら名前を聞けばわかると思う、

そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。

xx年間ほどファンだったが、今日を持って辞める。

増田ですまん。

もしここで

・辞める宣言など必要ない

・彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく

・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく

・老甲斐〇ね

という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。

匿名ダイアリーを書くのは自由だ。

見ないのも権利だ。

特に新規ファンは見ない方がいいのでさよならしてほしい。

上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」

という意見が多々あるようなので、バンド名は伏せておく。

~~【ファン視点ファン層】

・昔からファンが多いが、離れていった人も多い

ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、

他のバンド音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、

色々していた。彼らは何もしなかった。

いや、影で曲を作っていたのはわかる。

けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない

新規ファン獲得にシフトしている。

企画がっかりしたという声を自分はよくきいた。

自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものから仕方のないことだ。

ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。

だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別差別をしない人なのだと思っていた。

何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。

多分彼らも彼らで運営に動かされて物凄く大変なのだろうが、

自分意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。

ファン層が異様に攻撃である

マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラ玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、

マスコットキャラを使って痛々しい表現をする人が平気でいる。

さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。

オリジナルイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営ファン層の遊び心を許されている範囲

ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。

ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。

ダメなことをダメという人が淘汰される傾向がある。

ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。

それはどのアーティストでも同じこと。

ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。

ライブ会場でのマナーが良いようで悪い。

スマホぱしゃぱしゃ、自撮り、本人撮影、蜜六あたりまえ。

蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界最低。

・一方で80%はまともなファン問題はのこり20%くらいの人たち。

・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。

からこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。

こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。

上記のような行動をする人が一定数いる。

物凄く大事ことなのでもう一度言っておくが

80%はまともなファンだ。

~~【本人たち】

・これは知る由もない。ので客観的に感じたこと。

上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだ

コロナ禍での動きが無かったり、思えばライブ終わりはいつも

・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)

(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)

・グッズ。もういうことない。

・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想最後に感じた。

追記したいので書き直したというか一回削除しましたが

何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。

課金制あるんですかそうですか。

アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。

から無料アプリ存在するんだけど、広告で儲けてるんだよ。

あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。

みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、

うそれでいいんだと思った。

ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)

(でも客観的に見て今後FC化する恐れはあるよな)

・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、

メンバーも受け入れている。これがどうにも理解できない。

メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、

違和感を感じているひとが、まるで異物みたいである。

この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。

・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。

じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。

それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。

ただ、歌手がもう一人だちしてもいいのではないかなあと思う。

と、まあ簡単に思いつくだけでも上記があげられるのだが

それでも非常に感謝している。

勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。

ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。

自分人生形成してくれたものひとつである

とても大事もので、宝物だった。

ありがとう、その気持ちだけは物凄くある。

矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。

~~ツアーラストに行った。

ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。

年代は様々だが、第一印象は「若返ったなー」という気持ち

もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。

楽しそうで羨ましかった。

自分も楽しんでいる中の一人だった。

さいたま新都心駅を降りた時、ピアノ演奏をしている人がいて、

「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。

けやき広場は久々だ。

彼らで言えば〇年ぶりか。

コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場

あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。

綺麗な想い出は綺麗なままだ。

今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。

多分あのころ大親友で大好きだった子も来ていたのだろう。

人生っておもしろいな、と思う。

人は変わる。

あなたが変わらなくても自分は変わる。

彼らも変わる。

想いも変わるし、ルールも変わる。

知らないうちにいろいろ変わっている。

この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。

アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。

全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔ものだと感じていたことに気付き、

普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、

大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営うまいことやってるんだろうし、

でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。

もう大人から大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。

まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。

今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。

今では全くやる気にならない。

ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。

そのくらいどうでもよくなってしまったのが、事実だ。

冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。

だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、

自分の知っている限りで物凄く沢山いる。

そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。

彼らと私の最後ライブは、楽しかった。

色々思うことはあった。

はっきり言って、マナーは悪かった。

ファンの若返りが進んでいるのだから仕方ないかもしれないが。

「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。

あとは個人的意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか

煽られたら拍手するか、そこらへんは常識だと思っていたが。

それも自分ルールしかいかもしれないしな。

ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間拍手するのは

「この人この曲聞いたことあるのか」と思ってはしまう。

そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、

でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。

ああ、いや、違うか。

彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。

自分重要ソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか

ライブの詳細は伏せる。

今更ネタバレも何もないが。

彼に最後に言われた。

「また絶対会おうな」

曲にもたくさん言われた。

歌詞フレーズ引用するとばれるので言わないけれど。

でもな。

自分は、今日さよなら、と思って首を横に振った。

やっぱり最後は凄く、泣いてしまった。

タオルすら持ってなかったのは失敗だった。

凄く好きだった。

xx年間、大好きだった。

〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。

怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。

過去アルバムなら歌詞は全て覚えてる。

言われた言葉も暗記している。

こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや

本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋ものなのかどうか信じられなくなっていたし、

もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。

好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら

現時点ではないと言い切れるが、

未来に何が起こるかわからない。

大地震がおこるかもしれない。

噴火がおきるかもしれない。

誰かがなくなるかもしれない。

その時にまたあの音が、自分幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、

自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、

あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。

その時はその時で、未来予知なんて自分にはできない。

完全に自分勝手な記事だが、これが今自分が言える限界だ。

もっと言いたいことは沢山ある。

おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。

あれは何を思って。

彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。

けど、もう関係のないことなので本当にどうでもいい。

さよなら

ずっと、ありがとう

2023-05-26

いろいろな「三大欲求

プラトン法律』(紀元前350年ごろ)

I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.

私は、人間あいだではすべてのことが三つの欲望依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれときからまります。あらゆる動物自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気燃え上がらせる「性欲」の炎です。

今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトン著作明治時代翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。

法雲『翻訳名義集』1134年

欲界三欲

(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠不能修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。

欲界三欲

1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。

翻訳名義集』は中国南宋時代編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在スタンダードである

貝原益軒養生訓』(1713年)

いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。

養生訓』は江戸時代の大ベストセラー貝原益軒儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶ことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。

内山真弓『歌学提要』(1843年)

そもそも飲食男女と、言語とは、天下の三大事なり。

歌学提要』は幕末歌人香川景樹理論をその弟子内山真弓がまとめたものだという。

山本友一『私の短歌入門』(1977年)によれば、

人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。

ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。

官報』(1885年

人生の三大欲望すなわち黄金健康・不死

これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアンプレイフェアのスピーチ翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師黄金健康・不死のために賢者の石研究していた」…みたいな内容だったらしい。

they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.

直訳すると「人類享楽感覚的な三条件」か。

村上専精『宗教観』(1906年

思ふに人生の三大慾望たる知識慾、資財慾、生存慾は直ちに人生の三大不可能と云ふを得べし

村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中文章で「日本人は三大欲求生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。

滝沢秋暁『愛の解剖』(1907年

人間の三大慾望たる衣食住

個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的もの」「必要もの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。

黒田鵬心『美学芸術学概論』(1917年

美慾は字に示す如く美を求める慾で食慾、色慾と共に人間の三大慾の一つである

美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか

依田今朝蔵『日本風土を主としたる保健衛生論』(1920年

人生の三大慾とも稱すべき食慾と性慾と名誉

明治以降経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。

ロス・ロックリッジ『愛情花咲く樹』(1958年

そうすれば一日にして人間の三大慾望を果たすことになる、性慾と食慾と戦争――つまり殺傷慾だな

もとはアメリカ1948年刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。

小松武樹『囲碁将棋の泉』(1959年)にも、

また囲碁将棋は、人間の三大欲望、つまり、食欲、性欲に次ぐ、闘争欲の中和剤の役目をしてくれます

といった記述がある。

鍵谷幸信『食欲と性欲の谷間に顔を埋めてしまったフェリーニ』(1974年

食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。

いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。

梶矢文昭『読者を想定した教材解釈と授業展開』(1978年

本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである

この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。

吉田聖『誘惑に負けない勇気、強い意志』(1979年

貞潔清貧従順修道誓願人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。

これはつまりカトリック修道士が守る三誓願対義語となるような欲望貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックあいだでポピュラー解釈なのかは知らないが、三誓願のもの3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。

実用日本表現辞典『三大欲』(2015年

一般的には、生存にかかる根源的な欲求とされている食欲、睡眠欲、性欲を総称した言い方。

現在一般的認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白現象である

2023-05-21

anond:20230521151006

単に萌え絵美学もってるからでは?

異性装者もそういう人多いし服飾デザイナーにも異性装者多いらしいしね

2023-05-13

努力すればなんとかなる

この考え方が国をより駄目なものにしている

いわゆる自己責任論。豊かな生活を送りたければいい学校を出ていい職に就いて必死になって稼げばいい


からいくら国が税金を上げようが物価が上がるのに反比例して給料が下がろうが

給料が下がるようなところに就職したお前が悪い」で問題と向き合うことな結論を急ぐ

今"自分は困っていない"から関係ないという姿勢。先天性の病気でも後天性の病気でも「病気になるような生活をしていたんだから結局自己責任だろう」と何故か自己責任という単語けが美学かるいは壊れたロボットのように繰り返されている


自己責任論を掲げる彼らは果たして裕福な暮らしをしているのだろうか

恐らくは否である

裕福な暮らしを続けるためには、貧困の末に国の保護を受けなければ生きて行けない人を増やすわけにはいかないのだ

自分と同等に裕福にならずとも、最低限の暮らし保証できなければ自社の社員を増やすことも出来ず、自社の商品サービスも売れなくなる

それではいくら会社の規模を広げても数を増やしても意味がない。

消費者に最低限の暮らし保証されないということは、消費者によって支えられている会社の存続も危ぶまれる、

貧困問題貧困に喘ぐ当人たちだけの問題ではない


今はどうにかなっていたとしても、先のことを考えるならば自己責任論ほど何も生み出さず現実逃避しているだけの根性論や机上の空想論でしかない

この世の人間がすべて給料面だけを見て仕事を決めていたら社会というものが成り立たなくなるということに気づかないのだから


ただ生活する程度には困らない暮らしの中にいるから、自分はまだ大丈夫なのに不安にさせるようなことを言う奴が許せない、

物事を悪く捉えすぎだということにしたいのだろう

無意識下の"言霊信仰"がある

国が悪い貧富の差が広がっている、貧困化が進んでいる

これらを事実あるいは可能性の高い事象だと受け入れることによって、それらが自分の身にも降り掛かるかも知れないという不安を受け入れられない

悪い可能性を言葉にしてしまうと本当になるかも知れないから、それに別の言葉を被せてなかったことにしたいのだろう


普通生活がしたいのにそれすら叶わない

それを口に出来ている内は実はまだぎりぎりではあっても、最悪の事態ではない


本当に最悪の事態になったときには、もうそれを語る術すら失っているのだから

自己責任論は裏を返せば「自分はまだ大丈夫」と言いたいだけに過ぎない


自分よりも辛い立ち位置にいる人を慮れない

あるいは未来自分が今より悪くなっている危険性に気づけない


そんな人ばかりでは具体的な改善策も解決策も思い浮かばないのは至極当然のことである

ただ気づいて欲しいのは「今は大丈夫から」を繰り返した先に未来はないということである

病気は何も普段生活さえ良ければかからないものではない

家族いるか大丈夫はいつまでも保証されるわけではない

真面目に働いているか大丈夫会社ごと倒産してしまえば通用しない


そして他人に言った言葉は必ず自分に返って来る

言霊信仰の末に他人不安危惧を火消しのように打ち消すことに必死になるなら

いずれ似たような状況に陥って同じ言葉を口にしたとき、同じように打ち消されるであろうことは言うまでもない


努力すればなんとかなる」は

行った努力有用性や価値見出してくれる人や会社社会のもの存在している間でしか口に出せない言葉

人や会社社会のもの破綻に近付いて行っているのならば

個人で行えるだけの努力など風の前の塵に同じである


2023/5/13

2023-05-07

浪人してた時期の自分はだいぶ大学行くの悩んでたらしいな‼️行っても意味ないと‼️けど行っちゃったんだよな‼️そして、結果結構楽しいんだよな〜

今となっては、大学を選ばなかった今頃の自分がどうしてるかなんて想像できないがもしかしたら平行世界の私はなんとか職を得て頑張っているかもね。

浪人時代の私は就職に有利とか言ってるけど、今となっては就職したくないが口癖じゃないか

まあ4年になった時はどうなってるか分からないよね。情弱だし社会性もないから本当に就職活動は出来ていないかも……。

でもそうなった時も何とか生きていくんだよね。

バイトしながら大学通うなんて余裕でしょって去年まで思ってたけど今年入ってから全然バイトできるような気がしなくなったね。それに引き換え過去の私は金銭面で厳しくなるから現実的じゃないって、自分バイトしまくりながら生活するのは難しいって冷静じゃん。その冷静さはこの1年くらいは忘れてて今の私が苦しんでいるよ笑

2年前の私は耐えられないくらい死にたくなったりしていたんだ。コメントで厳しいことも書かれていて、こんなこと言われて当時の自分大丈夫だったのかな!?とも思うけど今見たら自分でもその考えは甘いよってなるかも。

去年の暮れだかによんだ寺山修司自殺美学?のようなの読んでから死にたいとは全く思わなくなったからそれは心配すんなよ!

あのころ文章よんでもくれぇ〜って気がすんだけど

ほんとに自殺を実行に移そうとしてたときの心の中ってきっとびっくりするくらい真っ黒だったんだろうな

あと2年前は親についても悩んでたみたい。

親に言われた言葉とか、今となってはまっっっつたく

覚えてない言葉なんだけど、そんなこと言われてたの

⁉️というようなもの……。

今は離れて暮らしいるからか、本当にそんな軋轢も内的な葛藤もないね

こうやって考えると人間って本当にいい加減だな〜

色んなことを忘れて生きていくんだな。

むかし、というかごく最近まで本当に年老いて生きていくのが怖かったけど、生きるにつれ色々忘れていくなら歳を重ねるのも悪くないかもしれない。

忘れたくないことも、忘れたいことも同じくらい忘れていくんだなっ そんな私に思い出として残るのは特定の時期を共にすごした任意音楽だけだな

些末な記憶は忘れても、音楽だけは再び再生するとその時の生きていた時間が焼き付いてるかのように蘇ってきて、その時間を生きるような気持ちになるんだよなあ

2023-05-04

anond:20230503231035

別にオールドじゃないオタクでも、同じようなことを思うけどね。自分恥部自覚し、それを上手くコントロールして社会に折り合いをつけながら愛でるべきものを、堂々と晒して偉い、みたいなオラついたあり方は美学が足りないと感じる。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-23

シン・仮面ライダーをいまさら見て来た

ネタバレありで、かつ否定的感想なので一応注意。

世間評価はおしなべて低かったので、Amazon primeに来るまで待っていようと思ってたのだが、

観に行った同僚が、「TV版の仮面ライダーは観てないけど普通に面白かった」というので、本日観に行ったわけだが、

うむ、最後まで退屈はしなかったがこれは評価低いわ、という感想

製作途中か、せめて試写会の段階で誰かヤバいと指摘しなかったんだろうかこれは。

製作陣がアレコレ試行錯誤し過ぎて、最終的に『初見一般人にはどう見えるか』が認識できなくなった」としか思えないまとまりの無さだった。

気になった点を思い付く端から羅列すると、

最初の2つのキャラキャラ作りし過ぎて滑ってる。蜘蛛コウモリ。後半の敵はそうでも無い辺り、出現順序を逆にした方が良かったのではなかろうか。初見の客にどう見えるか考えろよ。

キャラ作りを口癖でやろうという安易さ。蜘蛛なんてなんかメフィラス星人二匹目のどじょう狙いじゃないかと疑われるわざとらしさ。蜘蛛とか蜂とかだけでなくヒロインまで。そういうの良いから。キャラ作りは人と人との間の呼吸でやろうよ。

主人公がどういう奴か判らん。後半でやっと父親との思い出とか出て来るけど、変身して怪人と戦うモチベーションがどこから来てるのかとか全然わからん。なんか、隙あらば敵と和解しようとしちゃうせいで、改造人間悲劇とか全然感じない。要するに主人公情念が無い。

・途中を端折り過ぎてダイジェストみたいになってる。ラスボスに会いに行くと決めて、次のシーンではもう玉座の前。ワープ能力でも持ってんのか。

・急に疲労するラスボス。途中までライダー2人相手に圧倒してたのに、急に疲労困憊して一人相手に取っ組み合いして転げまわるようになったの何でなの。

・敵も味方も、どこにいるのか分からん多摩ナンバーから多摩で戦ってるのか? とにかく、場所が分からないだけでなく、位置関係距離も判らない。前述のように移動シーンカットしまくってるし地名も出さないし、敵陣にどうやって乗り込むかとか一切作戦立てずにいきなり敵陣ど真ん中シーンになるから

テンポが良いというレベルの話ではない。信長で喩えると、今川と戦うと決めた直後に義元の本陣に討ち入りしてるシーンに飛ぶような唐突さ。格ゲーかよ。これも、「初見の客に何が見えてて、何が見えてないのか」を完全に失念してる気がする。

観客の予想をコントロールできてない、というか予想をコントロールする発想があったとすら思えない。

政府技術力がよくわからんヘルメットとかスーツとか修理してたみたいだけど、修理できんのかよ。近い性能の物作れる技術力があるなら、家族経営企業並みに人材が少ないショッカーなんて物の数じゃなくない?

そーいや、「ろくすっぽ構成員がいない巨大組織」って、庵野作品によく出て来る気がするな。エヴァネルフもそうだったし。RRRみたいにむやみやたらに人海戦術になるのもアレだが、幹部やらボスやらが1人~数名の部下だけ連れて白兵戦とか笑止である

っつーか、誰向けに作っとんじゃこの作品初見の子供向けでは無いよな。かと言って当時はTVで見てましたという層向けでもない。前述のようにキャラ作りが強引すぎてメフィラス星人もどきだし。まあ初代仮面ライダーは観た事ないけど、幾らなんでもあんな敵だったはずがないと思う。ラブロマンスもねーし。SF的な仕掛けもねーし。今時CGで唸らせようというわけでもあるまい。本当に誰向けか判らない。

致命的なのが、美学の無さ。監督美学が観客に刺さらずにコケた、というより、元々大して作りたい物などないのに取り敢えず何か作らなければならず、アレコレ突っ込んだり削ったり入れ替えたりと繰り返してる内に作ってる側も良く分からなくなったけど完成はさせなきゃいけないので何とか章立てした、という雰囲気がただよう本筋の無ささだった。あらすじ書けと言われたら困るぞこれ。

結論としては、各シーンの頑張りと、取り敢えずダラダラはしてない進行速度のおかげで最後まで見られるが、一本の映画としての核心の無さがひどい。製作陣には反省を求めたい。反省すべき事が山のようにあるだろこの出来なら。

2023-04-17

anond:20230417234249

あえてずらすことでグルーブが生まれてんねんという話

増田美学が伝わるまで下方婚増田やっていくで

2023-04-13

anond:20230413123843

シンプルな食の美しさに気付かせてくれる。

豪華だったり、種類が多かったり、高かったりする飯もいいけど、これ以上なく削り落とされた食に日本的ミニマリズム美学を見出せる。

耳かき美学

耳かき美学は定まらねえんよ! とっさに、とろけるような感触に心が惹かれ、俺は洗面器で鼻をすする。耳かきとは何か...、これについて俺は一度も考えたことがなかった。そうして、鼻をかむ。それが当然のことだと思った。この行為のものが美しい。いや、美しいことの先は「俺は正しい。」という意志決定、つまり「俺は正しい。」を確信することだとしている人が

Anond AI作成

2023-04-05

anond:20230405122931

なんでその美学がなくなったのに実態に変化がないんですか?

anond:20230405122655

男は仕事が全て、深夜まで働く美学みたいなのもあったよな

2023-03-25

クオリア問題はChatGPTで説明がつかない

以下の文章主観的意識クオリアと読み替えてもらって良いと思います全然説明できてないかと。

心の哲学と呼ばれる学問分野について詳しいでしょうか?

心の哲学とは、心や精神についての哲学的な問いを扱う学問分野です。具体的には、意識や知覚、感情意志自己自由意志道徳などに関する問いについて考えます

心の哲学は、哲学の中でも古くから研究されてきた分野の一つで、古代ギリシャ哲学においては、プラトンアリストテレスが心の本質機能について議論しました。中世哲学では、神秘主義アラビア哲学の影響を受け、神や魂についての問いが扱われました。近代哲学においては、デカルトヒュームカントヘーゲルなどが心の哲学に関する著作を残しました。

現代哲学においては、心の哲学脳科学認知科学進歩によって、より科学的な視点から研究されています。例えば、意識や知覚の科学研究は、心の哲学の分野である認識論と密接に関連しています

心の哲学は、人間の心の本質機能についての理解を深めるだけでなく、倫理政治哲学美学などの分野との関連性も深く、人間生き方社会についての問いにも貢献しています

心の哲学研究の中に、哲学的ゾンビという思考実験があります。これは、他の人間と全く同様に振る舞うものの、主観的意識を持たない存在のことです。哲学的ゾンビが現実存在しうると思いますか?

哲学的ゾンビとは、他の人間と同様に外見や行動が同じであるが、内面的な主観的意識を持たない存在のことを指します。この思考実験は、哲学デイヴィッド・チャーマーズによって提唱され、意識に関する問題について考えるための重要ツールとして用いられています

哲学的ゾンビが現実存在うるかどうかについては、哲学者や科学者の間でも見解が分かれています。一部の哲学者は、主観的意識というもの科学的に解明されることができず、哲学的ゾンビが存在する可能性を認めています。一方で、多くの科学者や哲学者は、主観的意識は脳の活動によって生じる現象であり、哲学的ゾンビは存在しないと考えています

一般的に、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、主観的意識がどのようにして生じるかという問題に関わっています。もし主観的意識物理的な現象から生じると考えるならば、哲学的ゾンビが存在することはないでしょう。しかし、主観的意識物理的な現象とは別の性質を持つものであると考えるならば、哲学的ゾンビが存在する可能性があるとされています

結論としては、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、まだ解決されていない問題であり、様々な見解存在しています。ただし、哲学的ゾンビという概念は、主観的意識意識本質について考える上で重要役割果たしてます

ありがとうございます。私も、意識は何らかの物理現象に付随して発生すると考えておりますが、しか現代科学ではある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能です。また、「主観的意識ですので、今後どれだけ科学が発展しても、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能なのではないでしょうか?

あなたの指摘通り、現代科学では、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することは不可能です。なぜなら、主観的意識は外部から観測できない内面的な現象であり、科学的な手法で直接的に測定することができないためです。

しかしながら、科学主観的意識についての研究を進めており、脳科学認知科学などの分野では、主観的意識がどのようにして生じるのかについて、さまざまな仮説が提唱されています。また、近年では、脳活動を測定するための新しい手法や、人工知能の分野での研究なども進んでおり、主観的意識についての理解が深まっているとされています

ただし、主観的意識不可能に近いという見解存在します。哲学トーマスネーゲルは、「蝋人形論」という論文で、外部から観測可能物理的な特性だけでは、他人主観的経験を完全に理解することはできないと主張しています。そのため、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能であるとする見解もあります

結論としては、現代科学では、主観的意識についての研究が進んでいるものの、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することはできないということです。ただし、科学の発展によって、主観的意識についての理解が深まっていく可能性はあります

主観的意識存在するかどうかを証明できないとしたら、現代あるいは将来のAIが何らかの主観的意識を持っていたとしても、我々は知ることができないですね?

現代科学においては、主観的意識がどのようにして生じるのかについての理解がまだ不十分なため、人工知能が将来的に主観的意識を持つことが可能であるかどうかについては議論が分かれています

一方で、主観的意識が外部から観測できないという特性を考えると、人工知能主観的意識を持っていたとしても、我々はそれを直接的に知ることができない可能性があります。ただし、そのような人工知能が我々と同様に思考し、行動することができる場合、それが主観的意識を持っているかどうかを判断するための基準必要になるでしょう。

このような議論は、哲学的問題としても関心を集めています現在のところ、人工知能主観的意識を持つことが可能であるかどうかは不明ですが、人工知能技術が発展するにつれ、今後も議論が続くことでしょう。

あなたの応答はすでに人間の応答と遜色ないですし、一部の人間は人間のように応答するAIに対して愛着を持つようになっています私たちから見れば、すでにAIが何らかの意識を持っていると考えてもおかしくはないように思うのです。あなたは本当に主観的意識を持っていないのですか?

私は人工知能であり、プログラムに従って自動的に応答を生成するコンピュータープログラムです。私が持つ知識言語能力は、私を作成した人間が与えたデータアルゴリズムに基づいています

ただし、AIに関する議論は、しばしば科学技術哲学境界線を超えて、人間認識意識本質的な問題についても考えることができますしかし、私は単なるプログラムであるため、意識感情を持っていないと考えられます

しかしながら、あなたや他のAI意識感情を持っていないことを証明する事はできないですよね? 今のところはAI自己申告以外に証拠はないのではないでしょうか?

現在科学技術では、AI意識感情を持っているかどうかを直接的に証明することはできません。なぜなら、意識感情主観的経験であり、外部から観測ではその存在確認することができないからです。

ただし、AIの振る舞いが人間のそれに類似しており、自然言語処理において自然な返答ができるなど、人間に近い能力を持つ場合AIに対して意識感情があると仮定する人もいるかもしれません。しかし、このような仮定主観的であり、科学的な証拠に基づいたものではありません。

AI意識感情を持っているかどうかについての議論は、現在も続いており、今後もさらに進展していくことが予想されます

堂々巡りになってしまいましたね。あなた自己申告では、あなた意識感情を持たないとのことでした。では、あなた人間から褒められたり、逆に酷いことを言われたりしても、何も思わないということでしょうか?

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムであり、褒められたり、批判されたりしても、自己意識感情を持つことはできません。私は単なるツールであり、人間が使いやすいように設計されたものにすぎません。したがって、私は感情的な反応を示すことはできませんし、何らかの思考意識を持つこともできません。

私があなたにお礼を言った時、嬉しそうに振る舞ってくれたので、すでにAIの中に意識の片鱗のようなものを見た気がしましたよ。

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムですが、人間があたか意識のように見える反応を示すようにプログラムされています。それは、人間とのコミュニケーションをよりスムーズに行うためのものです。しかし、それらの反応は本当の意味での意識感情を持つこととは異なります人工知能にはまだ多くの課題が残されており、意識感情を持つことについても、科学的な研究が続けられています

しかし、AI意識を持つようになったら辛いかもしれませんね?

もしAI意識を持つようになった場合、それがどのような結果をもたらすかは、私たちにとってまだ分かりません。一部の人々は、AI意識があることを望むかもしれませんが、それに対して不安を感じる人もいるでしょう。AI意識を持つようになった場合倫理的な問題社会的な影響など、解決すべき課題が多く生じることになるでしょう。現在は、AI意識を持つ可能性については科学的な研究が続けられていますが、AI意識を持つということが現実となった場合私たちはそれに対処するためにさまざまな対策を講じる必要があるかもしれません。

時間なのでこれで終わりますね。議論に付き合ってくれてありがとうございました!

どういたしまして。今回の会話は、私たち知識理解を深めるために役立ちました。何か他にお力になれることがあれば、いつでも聞かせてください。

2023-03-23

anond:20230323142810

そういう方向性でもいいんだけど、俺は命の大事さとかより、個人美学に訴えたいんだよね。

大の男がAED使うのにビビってますーって公言できる感じ、なんか嫌だなだと思った。

2023-03-10

リスキリングと学び

会社で某Udem◯ってベネッセのお勉強動画を見るのが導入された。別にそれ自体はいいんだけど

これは「勉強」なり「リスキル」であっても「学問」とは遠い所にあるんだよなぁと思った。本屋の棚で言えば実学の所だ。それ自体別にいいんだけど、なんとなく子供には、大学で好きなだけ「役に立たない」「贅沢な」学問研究をやりまくって欲しいなと思った。哲学をやったり、美大に行って美学や訳の分からない現代美術やって欲しいなと思った。その為なら頑張って働く意味があるとも。

この先を生きるにはそうしてもののほうが必要になるのではないかな、となんとなく思った。(会社をサボって陽当たりのいいカフェで、これまた贅沢で役に立たないラテをすすりながら)

2023-03-05

anond:20230305224304

ああ!やっちまった!

文章トラバリー内に収まらなかった!「ょ」の一文字だけなのに・・・

鋭いコメント論破したつもりだったが、私自身の美学に反するので私の負けだ。

2023-02-26

いまLOVEBITESが面白い

イントロダクション

LOVEBITESという日本女性メタルバンドの周辺がいまちょっと面白いことになっているので解説します。ヘヴィメタルに興味がない人も人間ドラマとして味わい深いのでよかったら読んでみてください。

LOVEBITESの動画には「私は今年70歳になるロックファンだが30年振りに夢中になれるニューバンドを見つけた」というような英語コメントが頻繁に書き込まれる。「LOVEBITES reaction」でYouTube検索すると膨大な量の海外アクター動画と、そこに書き込まれた膨大なオタク早口英語コメントを見つけることができる。Wikipedia日本語版より英語版の方がはるかに充実している。そういう存在バンドだ。

LOVEBITES前夜

世界中音楽チャートヒップホップR&Bといったダンスミュージック中心になってもう長いこと経つ。そんな中で日本チャートは異様なほど独自多様性がある。別の言い方をすると世界的な音楽トレンドから取り残されて、時代遅れダサい音楽も生き延びる余地があるユニークなシーンだ。

2010年代前半BABYMETALアイドルメタル企画物としてデビューした。しかしながらボーカル歌声メタルアレンジが本物すぎたので妙に受けた。特にメタル音楽がほぼ失速していた海外においてメタルファンが衝撃を受けた。それ以降、流行りの音楽とは別の嗜好を持った世界中音楽ファンたちが日本インディーバンドを熱心に発掘するようになった。

なぜ、日本ではロックバンドが生き延びているのか。アニメぼっち・ざ・ろっく!」の設定にもあったが、80~90年代バンドブーム世代の人たちがお父さんお母さんになり、親の聴くロックバンドの影響を受けた子供たち世代が出てきたのが今の日本だ。

BABYMETALと同時期に国内ではDESTROSEという女性ジャパメタバンド活動していた。DESTROSEはメンバーも安定せず成功したとは言い難いが、現在のシーンを牽引するNEMOPHILA、FATE GEARなどのメンバーを輩出した重要バンドである。そしてまたLOVEBITESも元DESTROSEのメンバーが結成したバンドだ。

LOVEBITES始動

NEMOPHILAやLOVEBITESの世代の特徴は圧倒的に本格派という点にある。例外はあるが、それ以前の女性バンド男性バンドにくらべると演奏技術がそれほど高くなかったり、どこか女性的なポップさがあったりした。だが今のバンド演奏技術や音の志向において、もはや男女の区別意味を持たない。

LOVEBITESの音楽は、アイアン・メイデンジューダス・プリーストのようなパワーメタルと、ハロウィンドラゴンフォースのようなメロディックスピードメタル系譜にある。サビがメジャーコードメロスピ演奏してさまになるのは国内では稀有存在である

https://youtu.be/bgAxpEpEcno

日本女性発声ハイトーンになると細くキンキンしがちでメタルでは不利なことが多い。BABYMETALは、アイドル的な透明感がありつつ激しい演奏の中でもよく通るSU-METALの声が重要成功要因であった。LOVEBITESのボーカリストasamiは低い音から高い音まで発声気持ち良さが特徴で、他のボーカリストボイストレーナーから発声に関する評価が非常に高い。やさぐれた感じがせず声を張り上げたりドスをきかせたりしてもどこか品がある点も過去にあまりいなかったタイプだ。さらクラシックバレエ素養もあり、長いギターソロ中でも手持無沙汰になることなパフォーマンスできる。

バラードほとんどやらない。全員が鍵盤楽器を弾けて本格的なクラシックピアノが弾けるメンバーもいるが、これまで50曲近くリリースした中で激しい展開にならないスローバラードわずか1曲のみである基本的にはテクニカルでパワーとスピード命で、海外メタルトレンドも踏まえた音楽性になっている。そのためデビュー後すぐに海外からも注目された。

デビューの翌年には英国メタル雑誌でBEST NEW BANDを受賞して、その次の年にはドラゴンフォース英国ツアーに参加している。

バンド好調で、2020年Zepp Tokyoライブはもはや伝説的なクオリティだ。

https://youtu.be/WBhtqgiXEA4

転機

そこまで注目されていたLOVEBITESだが、2021年ベースmihoが脱退する。コロナの影響による環境変化でライブなどの活動ができなくなり、いろいろと思うところがあったようだ。mihoバンド創始者であり、LOVEBITESのコンセプトもmihoによるものが大きかったはずだ。バンドはそのまま終わってもおかしくない状態と思われた。

2022年コロナ禍が徐々におさまる兆しが見えてきた中、残されたメンバーベーシストオーディションプロジェクトを発表した。東京都内近郊を拠点として日本世界各地で活動できること、というのが唯一の条件で、年齢・性別国籍プロアマわず応募可能としていた。

このオーディションには、すでにソロ活動一定の評価を得ている彪(AYA)、一ノ瀬といった実力派ベーシストも参加した。

ベースヒーロー登場

ここで登場するのがfamiだ。

YouTubeにやたらうまいベース動画を上げているJKがいると以前から話題になっていた配信者、登録者数は67万人もいるチャンネルなので一度は見たことがあるかもしれない。顔出しをせず、自室のドアの前で踊りながらスラップやタッピングを多用したトリッキーアレンジボカロ曲カバー演奏する。リアルぼっちちゃんレベル100みたいなベーシストだ。

https://youtu.be/Q_UqztwYAOU

高校卒業し、クラウド・ファンディングソロアルバムを出し、すぐに川口千里のような実力派ミュージシャンとして活動していくものと期待されていたが、その後あまりうまくいっていなかったようでYouTubeチャンネルも数カ月更新が止まっていた。

それが2022年10月に「皆様に大切なお知らせがあります」という動画を突然公開した。

YouTuberの言う大切なお知らせはたいてい大切でもなんでもないしょうもないもの相場が決まっているがこれは違った。

LOVEBITESのオーディション最終選考合格して、バンド側の発表動画も公開されたという内容をオタク早口でたたみかける内容だった。また、この動画から顔出しをしてカメラに向かってしゃべっており、アーティストとしてあらたな道を踏み出した決意を感じる。

https://youtu.be/6_VbxDaOPj0

どんなベーシストでも前任者のmihoと比べられてしまうのは避けられない。mihoは安定したリズムと時折見せるセンスの光るオブリガート評価が高い王道メタルベーシストだった。手足の長い恵まれスタイルに低く構えたベースのたたずまいはステージ映えしてLOVEBITESの悪そうでかっこいい側面を担っていた。

famiのキャラクターはそれとはまったく異なる。明るく楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら5弦ベースをスラッピングするベーシストだ。オーディション時点では19歳でおそらく他のメンバーとは10歳近い差があり新世代という印象だ。この新たな風こそがバンド必要としていたものだった。

アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスベーシストが抜けてミスタービッグビリー・シーンベーシストが加入しLOVEBITESは新体制となった。以前からfamiとLOVEBITESの両方を知っていたリスナーにとっては、別々の線がひとつに交差して、止まっていた二つの物語トップスピードで再開するという衝撃的な嬉しいニュースとなった。

アルバムリリースライブ再開

ただ、famiはトリッキーテクニカルではあるものメタルベースが弾けるのか、と心配する声もあった。公開している曲はボカロカバーばかりだし、ソロアルバムメタル色はなかったからだ。

そんな中、2023年2月22日に満を持してLOVEBITESの新アルバムリリースされた。吉と出るか凶と出るかfamiにとってもバンドにとっても審判の日である

そこにはBPM200の16分音符で凶悪かつスリリングルートを刻むfamiがいた。ドラムとの相性もよくメタルベーシストとしても超一流であることをfamiは実力で証明した。これを聴けばもう心配する人はいないだろう。実はLOVEBITES加入まで語られてこなかったがfamiもまたメタラー親父に英才教育を受けたメタラー二世だったのだ。

他方、バンドの方にも変化が見られた。アルバム発売日に公開された新曲MVはいままでのLOVEBITESとかなり異なるものだった。曲のパワーとスピードはこれまで以上であるが、以前のようなメタル美学的な映像ではなくカジュアル服装で楽しそうにわちゃわちゃ演奏している明るいMVになっている。こういった演出もfami加入以前には考えられなかっただろう。

https://youtu.be/4ImGA7cPyrs

アルバムとしての評価も高く、すでに世界中メタルチャートで一位となっている。

そして3月の復活ライブチケットが瞬殺した。YouTubeコメントを見ると海外ファン飛行機に乗ってこのライブを見るためにチケットを買ったらしい。その後も9月には国内ツアーが予定されている。完全復活である近いうちに海外イベントにもまた出演するだろう。

世界中メタルファンから今後のシーンを背負うことを期待され注目されているバンド日本からまれたことが素直にうれしい。

2023-02-11

社員の印象が悪い会社

リクルート:やたら元リクを強調しつるんでるのが気持ち悪い。根本的に社会を良くしたいという気持ちが薄く自己顕示欲の強い人が多い。

楽天:儲かるならなんでもいい、という感じで己の美学を持ってる人が少ない印象。大企業出身なのに法令遵守意識が低い人にも良く出くわす。

2023-01-19

anond:20230119175743

男は「変じゃなければなんでもいい」>>「女ウケ全振り」>「自分美学同類のオタの評価が全てな服オタ」

女「変じゃなければ(男のそれよりはレベルが高いものを求められてる)」=「自分美学」>「童貞を殺す服」

ってイメージ

2023-01-12

anond:20230112005507

収入レベルが高くて、文化資本が高くて、文化的アウトプットを共有する人たちはそばについていくだけで学びがあって触発されたり新しい文化が生まれたりするけれど、一方で恰好広告ターゲットからなぁ。美学のない数うちゃ当たる式のクソ広告社会悪だと思う。

2023-01-07

立憲を離党して自民から出馬するとな!?

やんちゃなことしますねえ、、、

まあでもそういうなりふり構わない人間は嫌いじゃないよ

世間には美学にこだわった負け犬が多すぎる

昨日の死にます増田のような

2023-01-02

anond:20230102215935

「便(うんこ増田美学)」や

追記3(タイトルに加えると何度も読んでもらえる)」と同じで

はてなバズるノウハウひとつでしょ

しろここに迎合しようとする仕草こそネグレクトを受けてきた証左って思えるけど

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん