はてなキーワード: 網羅とは
今は刑事事件やっていないが、登録してから数年は国選を年20件くらいやった。最初の就職地は首都圏ではあるが支部管轄だったので国選がかなり回ってきて、民事が手薄な新人には重要な収入源だった。
被疑者国選のほとんどは自白事件なので情状弁護をすることになるが、過去は変更できないから犯情事実でできることは少なく、したがって理論上は量刑に与えるインパクトが最も小さい一般情状の、さらにその中でも示談・環境調整・反省が仕事の中心になる。示談によって被害の回復を図り、環境調整と反省によって再犯防止を図り、これらの事情を起訴・不起訴の判断や量刑に反映させるのが仕事である。
謝罪文や反省文というのは、被害者を慰撫して示談の可能性を高めるツールであると同時に、本人の反省の深化・具体化を促すとともにそれを証拠化するツールでもある。というか、すばらしい謝罪文があるから示談できたなどということはまず無いので、主な目的は反省の深化・具体化と証拠化である。
さて、そこで被疑者に反省文を書いてもらうのだが、累犯前科者でもない限り、初めはまず非常に薄っぺらい反省文が出てくる。多少文字を書ける人でも、書いてくるのはせいぜい「反省しています」を「海より深く反省しています」と修辞しただけのものに過ぎない。
そこでより深く具体的な反省を促すために、被疑者に課題を与える。たとえば被害や影響をもっと具体的に想像させる。被害者への言及がなかったなら被害者はどう感じたと思うかを書かせ、「被害者は怖かったと思います」と書いてくるならその恐怖を味わった人はその後その時間その場所を避けて生活するといった行動の制約が出てくるんじゃないかと想像させる。そういう形で、犯罪者の自分本位な視野を広げるとともに、より被害者の視点に立った再発防止策を考える手伝いをする。
こうして深化した反省を、十分に反映された反省文として証拠化する。普通の人は、書くべきポイントをリスト化して良い順番で並べて網羅的かつ繋がりの良い文章を書くことはできないので、弁護人の方で草稿を作ってあげる。だいたいの被疑者は弁護士の文章を書き換えずにそのまま清書するので、弁護士の草稿はそのまま反省文の原稿となり、反省文は弁護士の作文という状況が出来上がる。
弁護士の作文ではあるのだが、基本的には被疑者本人の反省の内容と水準を反映したものになる。弁護士が考えた最高の反省文を書き写させたところで、被疑者本人の理解と実感が伴わなければ取調べや公判での被告人質問に到底耐えないし、反省文に含める具体的な再発防止策は被疑者本人の同意のもとでなければ外に出せないからだ。被疑者に全文を自書させるのは、反省文の内容を本人に内面化させるための手続きでもある。
被害者との関係でいうと、反省文というのはさして意味はない。だいたい犯罪被害者というのは犯人のどんな反省文を読んでも薄っぺらいものにしか感じないもので、示談のポイントは基本的に示談書に書く内容、すなわち示談金と再発防止(特定の場所への接近禁止など)だ。
ただ、これは私自身が一度失敗したことでもあるのだが、比較的出来の良い謝罪文を書く被疑者について、被疑者自身の言葉で反省を伝えた方が良いのではと思い、ほぼ修正無しの謝罪文を被害者に渡したところ、こんな汚い文章のまま出すなんて反省が見られないと立腹されたことがある(まぁそうは言っても示談は成立したのだが。)。謝罪文の出来が良いことで示談できることは無いのだが、謝罪文の出来が悪いのはリスクかもしれない。
謝罪文の作文のことを書いているのは、これを生成AIで作成した弁護士の話が読売新聞の記事になったからである。
弁護人が被疑者について「反省の気持ちはあると感じたが、(男は)文章を書くのが苦手で、とても被害者側に渡せる内容ではなかった」という状況下で、生成AIに「「改善策も盛り込んで」と繰り返し指示し、被害者の心情に配慮しつつ、男から聞き取った反省の言葉も盛り込んだ」謝罪文を起案させたというのは、背景事情を善意に解釈(記者の悪意を斟酌)するならば、通常の謝罪文作成プロセスとそう異なるものではなかったのでは無いか。刑事弁護人が被疑者に「反省の気持ちはあると感じ」るハードルはわりと高い。口や文章では立派な反省を述べる累犯者をざらに目にしており(累犯者の方が謝罪文を書き慣れていて、充実した反省文を書く。)、反省文の出来の良さと内心の反省に相関が無いことをよく了解している。
そんな謝罪文が量刑に影響を与えるなんてけしからんと憤る人もいるようだが、謝罪文は量刑理論の中でも最下層に位置付けられており、かつその内実も上記のとおりであることを実務家はよくわきまえているから、謝罪文それ自体で軽を軽くする効果はまず無い。
それでも弁護人が謝罪文を書かせるのは、その作成プロセスを通じて具体的・客観的な再発防止策や真摯な反省を促すことで、考慮に値するレベルの一般情状を作るためだ。手書きさせたのはロンダリングかという批判もあるが、本人という出力装置を介すことで本人に対する感銘力を企図していることは、大抵の被害者にも感じていただけていると思う(し、「弁護士の作文でしょ?」と聞かれた時に説明しやすい。)。
以下は、東北大学高齢経済社会研究センターの吉田浩教授が、国内で最も多い「佐藤」姓の増加率と人口動態を分析したとの記事である。
https://mainichi.jp/articles/20240331/k00/00m/040/076000c]
しかし、この推計は元となるデータの妥当性に疑問が残り、科学的妥当性を軽視した発表であると感じる。
そのため、そこから得られる含意(選択的夫婦別姓の必要性)についても、疑念を抱かざるを得ない。
佐藤姓の占有率と選択的夫婦別姓の是非は無関係の事象であり、そもそも価値のない計算であると言わざるを得ない。
政治的主張を行うために、科学的な妥当性を軽視した発表をすることは慎むべきである。
この推計の肝になるところは、PDF中の過去のデータの取り扱いにおける以下の記載である。
⚫ はじめに、日本の全人口の 99.04%以上の名字を網羅しているとする「名字由来 net」
(https://myoji-yurai.net/)提供・公表データにより、日本の佐藤姓の人数の値を得た。
データソースとなっている名字由来 net には、年度ごとの苗字人口を非公表の独自集計で計算している。
https://myoji-yurai.net/oneYearAccessRanking.htm?rankingId=13]
これによると、佐藤姓の人口は以下のようになっており、変動がない。
2023年 約1,830,000人
2022年 約1,830,000人
2021年 約1,830,000人
2020年 約1,830,000人
2019年 約1,830,000人
2018年 約1,830,000人
2017年 約1,830,000人
2016年 約1,830,000人
2015年 約1,830,000人
2014年 約1,830,000人
2013年 約1,830,000人
このデータソースは、佐藤姓人口の経時的推移を補足できていないと考えるのが妥当であろう。
佐藤姓の占有率 x(t)は 2013 年の 1.480%から 2023 年の 1.530%と、10 余年で 0.05%ポイント伸びている
と述べている。
定数を、減少する日本人口で割っているので上記のような計算となると思われる。
上記のことから、吉田氏の推計は、不十分なデータソースをもとに数値を無理やり当てはめて推計を行っており、科学的な推計・将来予測・試算というには無理がある。
もう受験生でもない自分が高校レベルの参考書や問題集をいつまでも解いたりするべきなのか分かりません。
解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。
以下から持論です。
まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います。
だから私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います。
それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚の場合が混ざるおそれがでてくると思います。
つまり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからないかわからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。
そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります。
つまりその高度な理論を理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論や概念は複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。
理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。
しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識が必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。
単に用語の意味を知らないといったことなら、その用語をネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。
しかし学術的文章が理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからないから」というような、わかりやすい輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。
大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争を経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます。
それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。
その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います。
特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述がシンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます。
それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります。
これは、角度のことについてなら、中学受験の算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます。
しかし書き手にはすべての読者のレベルに対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。
そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないから理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なものを特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。
上記は高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造的問題を共有していると思います。
因数分解や極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています。
なのでその人たち自身が見てきた高校レベルの参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人が研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的に自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。
ですから、大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。
でなければ結局「何がわからないかわからない」「なんでわからないかわからない」という状況に陥ると思うわけです。
予備校講師の数学のアドバイスで「数3は数1Aと数2Bの知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2Bを完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います。
つまり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。
一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧に理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。
また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います。
先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベルの文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。
そして、どの大学レベルの理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論が理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。
なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベルの文章に高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合、高校レベルだけど初見だと解けない問題が死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。
たかが高校レベルだから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。
しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。
2000年以上前ならピタゴラスの定理を理解することも十分意義深いことだったでしょう。
時代が進むことによって、より高度な定理や理論が発見され、既存の定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。
このような文脈での主語はあくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分を主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。
あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。
一方実際に世界を経験する主体の単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。
ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類や文明が主語である場合、それが最先端の知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値が規定されていたのですから、個人を主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。
つまりその個人が理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。
大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界や現象に対する理解の解像度をあげると思うのです。
だから大学レベルのことには書いてない高校レベルの問題の解法も赤本や難関大を意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばして大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。
まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。
ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。
なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。
この地方出身者がメンバーのうち複数人いる東京で人気者になったコンビ二組呼んできて凱旋番組作るのにお金すごくかけたんだろうなあと勝手に思う
なにせ一つじゃなく同じタイプの複数の番組が終わるくらいだからな
二組とも好きだけど東京で作られる番組でもラジオでもポッドキャストでももう十分あの二組のクドいところもエキセントリックなところも芸人芸人したところも見てるしもはや出せない時代でもないからもう地方で今更やらなくていいよ
今やtverもラジコもあって全国どこの番組でも大体網羅できる時代お笑いコンテンツはもう正直飽和状態なのになんかまだ「東京っぽい」番組っていうか「尖ってる(か超絶ゆるいかシュールかのどれか)地方の番組」やりたいんだな
これのせいとは言わないけど十数年も続いた番組が終わるの寂しすぎる
あの人たちのああいうのを見ていたいんだよ
本当に面白くて好きだったので悲しい、惰性があったとしてさえ
プロ芸人からしたらこういうもんのほうがよっぽどつまらんと思うのかもだしそれは事実かもしれんけどもうどうにもならんなら断末魔くらい増田で書いてもええやろ
なんで全国で見れるキャストで全国で見られるみたいな番組改めて地方でやんねん
他局で別のコンビがやってるやつ(超絶ゆるい)もめちゃくちゃ出演者のファンだけどその贔屓目があってすら番組の中身は死ぬほど面白くないと言えるほどつまらん
若者も女もこんな書き込み信じてしまう馬鹿を見ると頭悪いのかなって引いてるわ
こんな反論がとんでくる
これは一部を抜粋したまでだが、「全て」の書き込みがツッコミどころしかない基本的な誤りを含むもの「しかない」んだわ
驚くだろ?こいつら映画館経営者でも立法者でもないんだよ。映画館経営者や立法者から見たら知らない有象無象の狂ったおじさんがなぜか映画館経営や立法者かのように語ってんだよ
対応できないってwお前誰だよ
何の知識もないくせに間違った事を偉そうに語っているが根拠はネットの書き込みか漫画アニメのフィクションのセリフが出てくる
義務化って立法府の専門家たちが妥当性や市場への影響、というのはごく一部でありとあらゆる全てを網羅的に細かくさんざん議論して高度な専門技術を駆使して作られる
専門技術ってことは、判断や遂行に長期の経験や訓練や特殊な知識を要するものってこと
経験訓練知識の蓄積がない人にはできない事だから専門なんだよ、、、
そう思うとセルジュルタンスはけっこう網羅してるし好きの範囲も広がったと思う
本格的に香水にハマって初めてのブランドだったのも、ニッチのうちでは手に入りやすい方なのもあるかもだけど
でもメンズ向け、レディース向け関わらず、どれも好きで使うタイミングがある
そう言われるとブランドイメージというかカラーというか、キリアンの陽キャっぽさは合わなさを感じてはいた 香りは好きだけど、なんかこう自分が利用しづらい雰囲気
じゃあルタンスが自分にピッタリ合うとまでは言わんけど、闇属性というか自身の内面を問うみたいな香水ポエムも多く、キリアンほどの居心地の悪さはないかなと
そんなこと言ったらルタンスも資生堂に行ったことがあるだけで、ルタンスの店舗というわけでもないのか
まあいいや
ルタンス、キリアンときて、次はラルチザンあたり攻めてみようと思ったり
ラルチザンは前の2つよりは空気感的には試しやすそうな印象を持ちつつも、手にする機会が少ない
まずは手始めにディスカバリー買おうかと迷っているうちに公式の在庫がなくなってしまった
タイミングがいつも悪い
京都市バスの混雑っぷりがヤバい。なので、京都市は極力電車を合わせて使う観光を推しているが……。
バスが混雑する京都駅周辺や四条周辺ではバスを使わないようにして観光地へ行く方法について考えてみる。
京都駅からはJR奈良線を使えば2駅で付く上に駅の目の前に伏見稲荷がある。電車を活用しない手はない。
ただ、奈良線は京阪との乗り換えがある東福寺駅、そして稲荷駅はめちゃくちゃ乗降者数が多いから、京都駅の時点ではヤバいくらい混んでいるんだよね・・・。
ちなみに歩いて行けば30~40分ほどで着く。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線を使えば着く。ただし、JRの駅から嵐山の中心部からは少し距離がある。
地下鉄で丸太町まで行ってそこからバスか、地下鉄で太秦天神川まで行って嵐電かバスに乗るか。
嵯峨嵐山駅から嵐山中心部まで少し歩くとはいえ、普通にJRを使った方がトータルでは早いか。
でも奈良線と同じく、嵯峨野・山陰線も京都駅ではめちゃくちゃ混むぞ。何が嫌かって、京都駅始発の電車だからメチャクチャ混んでいる状態で発車するまでしばらく待つ必要があることなんだよな。
京都駅から地下鉄で終点の国際会館まで行って、そこからバスか、叡電の岩倉駅まで歩いて叡電に乗る。
それか今出川駅で降りて、出町柳駅まで歩き、そこから叡電の始発に乗るか。
京都タワーの広告(今はない)では、東福寺で京阪に取り換えて行くことを進められるけど、乗り換えも手間だし、清水五条から清水寺は遠いし全く推奨できない。
京阪の七条駅まで歩いて祇園四条で降りるルートか。でも祇園四条から祇園までまあまあ歩くし、清水寺と同じくバスを使った方が無難そう。
ちなみにJRと京阪の乗換駅の東福寺は普通か準急しか止まらないので、特急が止まる七条まで歩いた方がいいと思うぞ。
一応、京都駅から17系統に乗れば直通で行けるけども、四条も通るからあんまり勧められんな。
二条城前というズバリそのものの駅がある通り、数少ない地下鉄だけで行ける観光地。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、まあ地下鉄の方がいいだろう。
地下鉄で鞍馬口駅まで行って歩くか(徒歩20分)、北大路駅まで行ってバスに乗るか。
京都駅から直通バスも多いけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
ちなみに北大路駅からバスに乗る場合は、上賀茂神社の目の前で止まるバスはないので数分歩く必要はある。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線で円町まで行って、そこからバスか。
京都駅から地下鉄か近鉄で竹田駅まで行き、そこからバスか歩くか(15分ほど)。
こうして調べてみると、むしろ京都駅からバスで行けない観光地の方が珍しいな。
ここまでバス路線が網羅されてたとは。そりゃ、みんなバスを使いますわ。混むとはいえ、バスが便利すぎる……。
だからそこを避けて使うと、比較的混雑なく使える。だから市内北部の場合はまず地下鉄で丸太町駅より北に出た方がいい。
205系統のように京都駅発着でないバスの場合は、京都駅の1つ前の下京区総合庁舎前で乗れば100%座れるので混雑していたとしても車内で苦しむことがない。
バスの1駅分くらい歩いても大した距離じゃないし、何より京都駅から目と鼻の先だからな。
京都駅から3駅先の九条車庫は市バスのデカい車庫なので、ここから発着するバスが多い。
それに混雑する京都駅を通らない系統も多いので、ここから乗るのもアリ。地下鉄で1駅分であるけど、京都駅~九条車庫前は超閑散区なのに、この区間を走る205系統は西大路周りも河原町回りも両方とも走るのでただでさえ本数の多い205系統が2倍になり、本数がめちゃくちゃ多いからバスで行ってもいいかも。
Twitter(X)でキショい言い回しをするオタクキショいよな、みたいなツイートがバズってる
https://x.com/pnqtikra083____/status/1762658665130295330?s=46
地元のオタク友達がマジでこれに当てはまりすぎてFO中だから、「古来からの日本語だが?そちらの教養不足では?」と腕組み前方眼鏡クイクイ反論オタクに対してつらつら書く。
オタクは「カックエ〜w」と気に入ったフレーズをトンチンカンな場所で使いまくる。使いたい気持ちが抑えきれず、会話をぶった斬ってまで使いたがる。
現在FO中のオタク友達は、21歳の頃夏目漱石の『こころ』にハマり、作中の「恋は罪悪ですよ」のフレーズが気に入りすぎている。
アラサーの今、昔の推しキャラが年下になったことに対してしつこく(本当にしつこく)「この気持ちはもう罪悪になってしまった…」とか言ってきてキモい。
オタクがアピールしたいのは【自分が年下キャラクターに発情するヤバいオタクであること】【夏目漱石も引用してしまうカッケー自分】なので、
こちらが「二次元だからしゃーないわな」や「推してる気持ちは10代だからセフセフw」などの言葉を返しても、返ってくる言葉は「もうこの恋は罪悪なんだ…」みたいな同じきしょセリフである。コミュニケーションが破綻しているのだ。
どれだけキモいことが言えるかチキンレース的な発言がキショいオタクの中で多くあるのも、誰かに自分がヤバいオタクであると常にアピールしないと気がすまない奴らが多いからだ。
この前会った時の友人は、Twitterをドブ川と称するのが面白いと思っていた時期なのか、Twitterの話をしていない時も「ドブ川でさあ、あ、Twitterのことなw」を場所を問わずに言いまくっていた。
それこそ落ち着いた喫茶店に入ってもドブ川を連呼し、【ドブ川でも離れられないツイカスのおれらw】をアピールしていて本当に本当に恥ずかしかった。
途中からドブ川と言いすぎてカウントをしていたが、1時間に三回はドブ川と言っていた。ツイッターの話はしてないにも関わらずである。
インテリ的な会話をしたいんだろうがオタクは網羅的な教養がないのでソシャゲに出てくるような浅瀬の知識しかない。
また上段で書いたように【このセリフでかっこよく決めるオレ/ワタシ】がやりたすぎるあまり、トンチンカンな引用や慣用句をもってくる。
キショいオタクはそんな上級コミュニケーション(周囲の知識レベルの把握、通じるかどうかの見極め、言っても変ではないタイミングや流れの空気読み)はできないんだから大人しくクレメンスやンゴンゴいってオタクの中のミームではしゃいどけよ。
読んでおくだけでいい。中身は覚えている必要はない。読んでおくことで「読んだことがある」と言える。それが大事。
内容について思い出したくなったらググればいくらでも出てくる。でもググって知ったのと読んだことがあるのは違う。何故なら「読んだことがある」と言えるようになるから。
読んだことがあるビジネス書の数や傾向でマウント取ってくるアホに対して全方位に万能に最低ラインを超えていると思わせたいならひとまずこの2冊が高コスパ。ビジネス書マウントで人を値踏みするような連中からの評価を簡単に稼げてオススメ。
「じゃあこれも読んだほうが良いよ!」と言われたときは「今、資格の勉強してて時間なくってえ……」「ポケモンの名前覚えて子供と話合わせなきゃいけなってえ……」とか言っとけば読まずに済むよ。この2つさえ読んでおけばね。
純文学的な何かっぽい何かを読んだことがあるかどうかでマウント取ってくるアホに対して同じように高コスパで好感度稼げる2冊。
漫画や映画で元ネタになることも多いし、内容的にも簡潔に面白いところが纏まっているので大体誰でも楽しめる。
「「それから」も読めよ」とか言われたら、「どんな話なんすか~~~」と聞いて、途中途中に「つまり高学歴ニートなんすねー」「でも気持ちはわかるな―」「現代にも通じますねー」を挟んでいけば勝手に相手が全部ネタバレするから最後に「なんかもう内容分かっちゃったから、忘れた頃にでも読みますわ~~~自分の頭で感動したいんで~~~」で〆れば逃げれるよ。
別に動画でもいいけど、とりあえずこれで数を水増ししておけば良い。物語の基本的な類型を一通り味わってないと大人になってから「叙述トリックまじですげぇ!読んだことがない奴は人生損してる!」みたいな最悪のハシカにかかって周囲からドン引きされるので。
漫画や映画でも一通りは味わえるけど、一通りの原液に触れておく方が予防接種として確実性が高いので。
しょーじきクッソつまらんけど一度読んでおいた方がいい。別に漫画でも映画でもいいけど、適当な邦訳で原本をササっと読み終えちゃう方が結果的に楽だと思う。
如何に宗教が滅茶苦茶言ってるかに触れておくことで、カルトにはまりにくくなるし「神様は超えられない試練は与えないんだよ」みたいなアホすぎることを抜かす輩にもなりにくくなる。
宗教的な何かを神格化してしまうのは、まともに触れたことがない証拠みたいな所あるから、マジで少しでいいから触れておいてアホクサを味わったほうがいいよ。
知るべきでない社会について超スピードで勉強するために読むべき。
ギャンブル・借金・薬物・風俗・極端に頭の悪い友達との関わり方について考察するための材料になる。
特に家庭科の教科書は生活習慣病予防における基礎知識が一通り網羅されているのでその辺だけでも読むべき。
高校3年の内容まで来ると大学への入門編みたいになってくるけど、高校1年ぐらいまでのは本当に覚えておかないと色々な所で躓くので、自信がないなら一通り読みなおした方がいい。
俺はもう20年読み直してないから世界史とかかなり曖昧になってきてるけど、読み直すのは面倒くさいから放置してるせいで世界情勢とか見ててもイマイチ頭に入らんことがあって困ってる。
X見てたらそういうポスト流れてきたので記憶を頼りに合体要素あるものをリスト化してみる。ついでに変形要素も。
細かい作品まで網羅すると大変なんで、メジャーと思われる作品群のみに絞る。
作品名 | 対象 | 合体 | 変形 | コメント |
---|---|---|---|---|
機動戦士ガンダム | ガンダム | ◯ | - | TVシリーズ中盤はスポンサーの要望か毎話合体シーンが挿入される。Gアーマーもあるが、あれは合体シーン自体は無かったかも |
機動戦士Zガンダム | ガンダムMk2・Ζガンダム | △ | ◯ | ガンダムMk-2はスーパーガンダムに合体するが、主人公は乗ってないので微妙な判定 |
機動戦士ガンダムZZ | ΖZガンダム | ◯ | ◯ | 凝った合体バンクの印象が強い。Gフォートレスには1回くらいしか変形してない気がする。 |
機動戦士Vガンダム | Vガンダム・V2ガンダム | ◯ | △ | Vガンダムが一度だけ巡航形態のような変形を見せたことがあるにはあった |
機動武闘伝Gガンダム | シャイニング・ゴッドガンダム | ◯ | - | コアランダー自体は結構でてくるが、合体描写自体は数回レベルだった記憶 もしかしたらどちらか一方は合体描写なかったかも ブコメ指摘の風雲再起は確かに。 |
新機動戦記ガンダムW | Wガンダム・Wガンダムゼロ | - | ◯ | - |
機動新世紀ガンダムX | ガンダムX・ガンダムDX | ◯ | ◯ | Gファルコンに合体して巡航形態になる描写はある。ただ戦闘シーンはない |
∀ガンダム | ∀ガンダム | ◯ | - | ターンXに負けそうになって急にコアファイターが出てくる。一応そのあと合体する描写もあったはずなので◯ |
機動戦士ガンダムSEED | ストライク・フリーダム | ◯ | - | ストライカーパックを戦闘中に換装するのは実質合体描写。あとミーティアもある |
機動戦士ガンダムSEED DESTINY | インパルス・デスティニー | ◯ | - | インパルスは出撃のたびに合体バンク挟むので合体回数はトップクラスか |
機動戦士ガンダム00 | エクシア・ダブルオー | ◯ | - | オーライザーが該当(GNアームズは合体描写あったか失念)。 ちなみにダブルオー合体時の見得切りがダサいのは、反SEED的な制作方針でSEEDで見られたパース描写を避けたせいだと思われる |
機動戦士ガンダムAGE | AGE1~3・AGEFX | ◯ | ◯ | AGEシステムで戦闘中の換装(実質合体)描写は多い。 AGE3が合体ロボ然した登場だったのにあまり活躍しなくて個人的に残念 |
ガンダム Gのレコンギスタ | Gセルフ | ◯ | - | コアファイター回がある。バックパックについては、ストライクのように戦闘中の換装・合体シーンは無かった記憶 ブコメ指摘の高トルクパック、確かに帰還時合体してましたね。格好良い回です |
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ | バルバトス各種 | - | - | クタン参型というGNアームズみたいなデザインのサポートメカいるが、劇中描写はほぼ輸送機だったので該当しないと判断 |
機動戦士ガンダム 水星の魔女 | エアリアル・キャリバーン | - | - | ビットオンフォームを合体と見なせなくもない |
『ガンダムビルド』シリーズ | 各主役機 | ◯ | - | ビルドストライクとコアガンダムが該当か。コアガンダムは特に合体要素が多い。 意外なことに主人公機縛りだと変形はないか?(A-Zガンダムを主役機と見なすか否か) |
作品名 | 対象 | 合体 | 変形 | コメント |
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機動戦士ガンダム 逆襲のシャア | νガンダム | - | - | - |
機動戦士ガンダム F91 | ガンダムF91 | - | - | - |
機動戦士ガンダム 第08MS小隊 | 陸戦型ガンダム&Ez8 | - | - | - |
機動戦士ガンダム ポケットの中の戦争 | アレックス(orザクⅡ改) | - | - | - |
機動戦士ガンダム 0083 | GP01&GP03 | - | - | 設定ではコアブロックはあるが劇中で合体描写はなかったはず。GP03も最初からデンドロビウムで出てくる |
機動戦士ガンダム UC | ユニコーンガンダム | - | △ | デストロイモードへの形態変化は「変身」らしい |
機動戦士ガンダム サンダーボルト | FAガンダム・アトラスガンダム | - | - | - |
機動戦士ガンダムNT | ナラティブガンダム | - | - | コアファイターが印象的な作品だが合体描写自体はなし |
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ | クスィーガンダム | - | - | - |
新機動戦記ガンダムW Endless Waltz | ウィングガンダムゼロ(EW) | - | - | - |
劇場版 機動戦士ガンダム00 | ダブルオークアンタ | - | - | 厳密には刹那は最初フラッグに乗ってるので変形は◯かも |
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM | ライジング・マイティフリーダム | ◯ | ◯ | 公開中作品の為コメント控える |
・TVシリーズはスポンサーの要望が強いのかそういう要素が多い
・主役機変形は全体的に少なく、エアマスターやキュリオスなど仲間メカに担っているケースが多いか。
・それとは関係なく、富野監督はコアファイターというギミックが多分好き
・特に合体ロボらしい作品はZZ、DESTINY、AGE、ビルドダイバーズリライズの印象。
【追記】
対象は主役機であり、その描写があるかどうかの観点にしています。合体ロボアニメを構成する要素と考えるとそれかなと。
ナラティブのネオ・ジオング合体は確かに…。でも未遂な気も…。
Gディフェンサーみたいな追加パーツやコアランダーみたいな分離コクピットを合体かというと言わないと思う。ジェットスクランダーとホバーパイルダーがあるマジンガーZは合体ロボットか?
狭義の合体ロボットならかなり絞られると思います。ターンエーが合体ロボと言われても正直しっくりこないですしね。ただ今回は上記観点でピックアップしてます。線引が難しいというか、あんまり考えたくないからです。
と言うと、if文でAという条件の処理だけを追加する奴
本当にそれが適切な場合はそれで良いのだけれど99%ぐらいこの手の対処は間違えている
仮にif文でAという条件だけを判定してエラーにならなくなっても他に潜在的なバグがあって解決しない
次のBやCという条件でエラーになり、それのif分を追加するっていうのを繰り返す
これが誰かが指摘するようなプロダクトだとまだマシだけど
エラー条件A、B、Cを見つけてそれぞれif文を追加して処理する
テストが網羅的でないので潜在的なDやEのバグが残ったままになるんだが
しばらくしてからDやEのバグを発見するが、αやβの機能追加にも影響するのでDやEの判定が複数箇所に増えたりする
要約 バーで色々なウイスキーを飲むと楽しい。バーでウイスキーを飲んでみよう。
「オーセンティックバーに行こう」 https://anond.hatelabo.jp/20240110155226 を書いた増田だが今度はウイスキーのことを書く。
オーセンティックバーでバックバーに並ぶ酒のボトルを種類毎に数えたとしたらほとんどの店でウイスキーがもっとも多いと思う。どんなウイスキーがあるかは店によって違いがありウイスキーの品揃えはバーの個性の一部となっている。
ところでバーではウイスキー1杯(シングルショットとかシングルと言う)は日本では一般的に(ストレートで)30mlである。その1杯のバーでの提供価格を700mlのボトルの市販価格と単純比較するとかなり高く感じるかもしれない。それにもかかわらずバーでウイスキーを飲むことの最大の利点と楽しさはバーの豊富なウイスキーの品揃えの中から色々なウイスキーを飲めることにあると増田は思う。前回のカクテルと同様にバーテンダーと相談してどのウイスキーを飲むか決めるのが一番であるがウイスキーにはどんなものがあるか、どんな違いがあるかを理解するために役に立ちそうだと増田が思うことを書きたいと思う。
と思って書き始めたら3つに分割する必要があるほど長くなってしまった。この「その1」のスコッチウイスキーの「「シングル」という言葉と「ブレンデッド」という言葉」の項目の後は「その3 」https://anond.hatelabo.jp/20240122184434 まで飛ばしても十分である。あとはバーテンダーに聞こう。(もっとも何も知らず何も聞かなくても飲んで美味ければそれで十分ではある)
サントリー等のサイトではスコットランド・アイルランド・アメリカ・カナダ・日本の5ヶ国で作られるウイスキー(スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキー)を世界の5大ウイスキーとして紹介している。 https://www.suntory.co.jp/whisky/flight/about.html
この5大ウイスキーという分類のしかたが的を射たものなのかはよくわからないがとりあえずこの分類を出発点とする。
そして今回はこの中からアメリカンウイスキー、スコッチウイスキー、ジャパニーズウイスキーを説明する。カナディアンウイスキーについては増田がバーで見かける銘柄はカナディアンクラブとクラウンローヤルくらいだし増田としてはアメリカンウイスキーと合わせて北米系ウイスキーでいいんじゃないかというイメージということもあって省略する。またアイリッシュウイスキーは主にブレンデッドウイスキーが増田がよく行くバーにも置いてあるのだが増田があまり飲んでいないので省略する(詳しい人向けに書いておくとアイリッシュでもボトラーズやティーリングが出している中・長熟のシングルモルトはいつも行くバーで抜栓されたら一度は飲むという程度)。
アメリカンウイスキーにはライウイスキーやコーンウイスキーもあるがアメリカンウイスキーといえばなんといってもバーボンウイスキー(単に「バーボン」とも言う)である。
アメリカの法律ではバーボンウイスキーは主に以下の条件を満たす必要がある。
このチャーされた樽によりウイスキーにはバニラのような風味がつき主原材料がコーンであることと相まってバーボン独特の甘さがもたらされている。
が挙げられる。ここに挙げたバーボンについては入手が容易であり200mlボトルもコンビニやスーパーで販売されているので自宅でも試しやすい。
なおジャックダニエルはテネシーウイスキーとされるがテネシーウイスキーはバーボンウイスキーの条件も満たすのでバーボンウイスキーに含めて間違いではない。
まずいくつかの言葉について説明する。用語は国によって定義が異なることがあるのでこの説明はすべて"スコッチウイスキーにおいては"という前提が付く。ただし日本のウイスキーはスコッチウイスキーからの影響が大きいため法律に基づくことを除くとスコッチウイスキーと同じ意味で用語を使っていると考えて良い。またここでの説明は対比する別の用語と区別する部分を主に書いていて定義としては網羅しておらずかなり省略している。なおスコッチウイスキーは単に「スコッチ」とも呼ばれる。(特にこのスコッチウイスキーの項がかなり長くなってしまった。面倒なら最初の2つ(「モルトウイスキー、~」と「「シングル」という~」)だけでも読むと「シングルモルト」という言葉の意味がわかって役に立つかもしれない。)
なおスコッチのブレンデッドウイスキーではいくつもの蒸溜所のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドするがその中で中核的なモルトウイスキーをキーモルトという。例えば現在のバランタイン17年のキーモルト(の一部?)はスキャパ、ミルトンダフ、グレンバーギー、グレントファースということである https://www.ballantines.ne.jp/products/17years.html 。
(言葉の説明に飽きたり面倒になって実践的な話に行きたくなった人はここから「その3」へ https://anond.hatelabo.jp/20240122184434 )
アメリカンウイスキーの項で説明したがバーボンの条件のひとつが「新品のオーク樽で熟成すること」である。ということは一度バーボンを熟成したオーク樽はもうバーボンの熟成には使えないことになる。このバーボンの熟成に使われた樽はスコッチウイスキーやジャパニーズウイスキーで熟成に使われる樽のひとつとして使われている。バーボン樽によって熟成された原酒にはバニラ香やハチミツのような甘さ、洋梨やリンゴのようなフルーツ感がもたらされていることが多いとされる。
またスコッチウイスキーやジャパニーズウイスキーで一般的に使われる樽には他にシェリー樽がある。シェリーはスペインで生産される酒精強化ワインであるが歴史的にはこのシェリーがオーク樽に詰められてスペインからイギリスに輸出されその樽をスコッチウイスキーの熟成に利用したと言われる。ただ1980年代に樽の状態でシェリーを輸出することができなくなったため現在はウイスキー熟成用の樽を作るためのシェリーを詰めて(シーズニングという)ウイスキー熟成用のシェリー樽が作られ、その樽が輸出されている。シェリー樽によって熟成された原酒にはベリー系のフルーツ感がもたらされるとされるがタンニンの苦みや硫黄臭のようなくせが感じられることもある(そのくせも必ずしも悪いことではない。それが好みの人もいる)。ウイスキーの熟成に使われるシェリー樽のシェリーは種類が明示されている場合オロロソシェリーが多いが甘口のペドロ・ヒメネスシェリーも見かける。ペドロ・ヒメネス(Pedro Ximenez 略してPX)シェリー樽の場合はウイスキーも甘口であることが多い。
他にもポートワインやマデイラワインなどのシェリー以外の酒精強化ワインやラムなどに使われた樽や新樽がスコッチウイスキーの熟成に使われる。
また途中で熟成に使う樽が変えられる場合がある。例えば16年バーボン樽で熟成し最後の2年をシェリー樽で熟成するということがある。この場合の最後の2年の熟成を追熟という。最初と別の樽で熟成することで複雑な香味が与えられる。追熟した樽についてはラベルに○○ Cask Finishと書かれることが多い(例えばシェリー樽で追熟されていればSherry Cask Finish)。
樽がウイスキーに与える影響は樽が熟成に使われた回数と樽の大きさによっても異なる。当然ながら最初にスコッチの熟成に使われたとき(ファーストフィルという)が一番影響が大きく2回目、3回目…(セカンドフィル、サードフィル…(セカンドフィル以降をまとめてリフィルとも言う))と影響が小さくなっていく。また樽の大きさが小さい方が樽と原酒が触れる割合が大きく影響も大きくなる。いずれも影響が大きければ良いとか悪いとかではなくて原酒や熟成年数等を含めたバランスでウイスキーの味が決まる。なおスコッチウイスキーの熟成に最もよく使われる樽の大きさは220L~250Lのホグスヘッドと呼ばれる大きさである。
ウイスキーは樽の中で熟成され樽の影響をうけながらまろやかになっていく。スコッチウイスキーを名乗るためには最低3年の熟成が必要である。スコッチウイスキーの熟成年数は満年齢で数えるため例えば9年364日であれば熟成年数は9年となる。一般に熟成年数が長いほど高価になる。またウイスキーは一般に味を均一化するため多くの樽をブレンドして製造されるがスコッチウイスキーでラベルに書くことができる年数はそのボトルの製造に使われている原酒のうち最も若い原酒の熟成年数だけである。仮に熟成年数60年という超長期熟成の原酒が含まれていたとしてもそのボトルに使われている一番若い原酒が15年であったらスコッチウイスキーでは15年としか書いてはいけないことになっている。
スコッチウイスキーのスタンダードクラスは10~12年の熟成年数のものが多い。また10年未満の原酒が使われていると思われる場合は年数の表記がないものが多い。この年数表記の無いものをノンエイジステイトメント(NAS)もしくはノンエイジ(NA)という。ノンヴィンテージ(NV)という言葉を使う人もたまにいるがウイスキーでヴィンテージと言えば蒸留年(いつ蒸留したか)のことだろうと思うので増田は使わない。
ウイスキーは樽熟成している間に少しずつ蒸発して減ってしまう(気候に左右されスコッチで年1~4%と言われる)。この蒸発分をエンジェルズシェア(天使の分け前、天使の取り分)と呼び長熟のウイスキーが高価である理由のひとつである。
なお蒸留酒であるウイスキーは樽の作用により熟成されるものであって瓶詰め後は熟成されないと増田は考える。ただ瓶詰め後にアルコール分が蒸発する等で変化はありうる。この変化が好ましい変化だと感じる場合にその変化を瓶内熟成と言う人がいるのも言葉の使い方の違いとして理解はできる。ただ例えば熟成年数12年のボトルを買って6年保管しておいても熟成年数18年の味には絶対にならない。
スコッチウイスキーは瓶詰め時に40%以上のアルコール 度数であることが求められる。大量生産される製品は加水されてアルコール度数が均一化されているが少量で販売されるボトルは加水せず樽から出されたそのままの度数であることも多い。この樽から出されたそのままの度数のことをカスクストレングスという。カスクストレングスであっても長熟のボトルは度数が低めであることが多い。