はてなキーワード: 絶対値とは
社会保障費が上がってるからいくら賃上げしても手取りが上がらないんじゃ!ってアルファXユーザーがこぞって発言してるが、まあ定期的に持ち上がる議論とはいえちょっと過熱じゃねえかな
今の現役世代が老後結局重たい負担を強いられるという点もさることながら、そもそも物価上昇に薬価や医療点数などの規定がついていってるか、また社会保障費自体にも物価が反映されているかどうかも確認がいる
社保値下げを声高に言うポストの中には絶対値とパーセンテージを混ぜて説いてるのもあるので、ちょっとポピュリズムの匂いが漂いつつあるから冷静に見ていきたい
まあ現役世代の負荷を下げることに異論はないが、長期的に「実はもっと苦しむ人たちが発生する」みたいなことになると目も当てられない
私ふと気付いたんだけど、
スプラトゥーンのフェスのさ100倍マッチとか333倍マッチとか10倍マッチもしかり
貢献度の絶対値ってもしかして関係なくない?ってことに気付いた誰か数学の偉い人教えて?って感じだけど
1つ勝つ一生一勝することは確かに大切だけど、
貢献度のポイントはもしかして割合だからそんなに10倍でも333倍でも関係ないのでは?って思ってしまうこれももしかして数字のマジックに私たちは騙されていたのかしら?
これは私の思い違いなのかしら?
あとさ、
塗りって基本なんだけど
一番大事だなぁーって思うの。
それは攻めには弱かったりするし、
やればやるほど納得感が増してくるのよね。
私が思う
塗りも強くて射程も長くて攻めも強いと一瞬思った
即射の塗りは面積は広く塗れるこそ、
接近してきた敵には即キルには及ばない火力だし
本当にバランスよく考えられているわーって
ポイズンミストをかましてから相手の動きを遅くしてセブンファイブオーライダーで仕留める!ってやつ!
でもそれはそれで、
ポイズンミストをかましたとき残りのインク量は絶妙な減り具合なので、
その残りのインク量
つまり当てずっぽうに狙って当てようとするとインク切れになっちゃうので
もうさー
いい戦い方だけど、
これキル逃しちゃったらこっちはインク切れで逆に相手の逆襲を喰らうって。
よく考えられてるわー。
やればやるほどそう思うのよね。
あとやっぱり火力は強い最強だけど
チャージが遅くってどうにもならない超重量級の「ハイドラント」
私はそれに変わる手に馴染んだ新たなるスピナーのブキを探すべく色々と試し撃ちをしていたら
色々使っていてなるー!って思ったのは
そうね
なるー!って言うのはなるほどー!って言う略だから
秋の祭典スペシャルじゃない方のなるほどなのでそこは間違えないで欲しいところよ。
そんでね、
そのいろいろ試し撃ちをしているスピナーで
いろんな特徴を有していて
チャージ後インクを射出中にもかかわらず途中でまた再チャージできるものとか、
ああ!なるー!って思ったのよね。
そんな秋の祭典!
でもどうしても私が思う射程距離と火力のキルさ加減で好みなの「ハイドラント」に変わるブキは
「バレルスピナー」ってことで
旅のテーマが決まったところよ。
こっちもチャージが速くて飛距離も「ハイドラント」に劣らずキル力も高くって手に馴染みそうよ。
スピナーは「ハイドラント」しか勝たん!って思っていた時代が私にもあったけど
やっぱりいろいろなブキを試し撃ちして合点がいくまで試すしかないわよね。
あとさ
ブキチの試し撃ち場で撃つブキの射程はバトルステージより短く感じてしまうのは気のせいなことは気のせいかも知れないわ。
きっと気のせいね。
と言うことで、
「私とブキ」をお送りしたところで
うふふ。
鮭おにぎりね。
とにかく凄い自信なの!
新たに作るわ
二択だけど。
朝方もだいぶ涼しくなってきたから
そろそろ夜のエアコンもタイマー運用してもちょうどいいかもしれないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず「人によってプレイスタイルが違う」「強さは人それぞれ」みたいな言い訳をするのがイライラする。
強いか弱いかで考えたら、人力の最高値とか理論値や絶対値が存在しているので
強さは人それぞれというのは、ほぼノーミスで勝率が最大のプレイ「正解」を出せるプレイヤー、理論値を出せるトッププレイヤー同士のレベルで、勝率が変化しないごく微妙なスタイルの差とかには使えるだろうけど
その辺の有象無象一般プレイヤーの言う「強さは人それぞれ」は、むしろ「勝率が最大になるプレイができてない箇所やミスの箇所の多様性」「下手さは人それぞれ」に近いと思う
過剰にそのゲームのいわゆるwikiやセオリーに従っているのも気持ち悪い。
例:○○のキャラで○○を使うのは地雷!○○使え!○○戦術地雷!など
もちろん勝率を追う以上、地雷行動や明らかな不正解というのは存在しているのだが、そもそもトッププレイヤー以外のプレイヤーは全員不正解のプレイをしている(勝率が最大になる正解のプレイをしていたらトッププレイヤーになれてるはずなので。)
だから上手い人から見たら上手くない人のプレイは全部地雷と特に差がないんだよな
強いて言うなら不正解であることの知名度が妙に高いということなのだが、本質的には地雷とトッププレイヤー以外のプレイ、上手くないプレイは「勝率が最大にならないプレイ」つまり不正解プレイで中身は同じ
不正解プレイにしても、なぜ勝率を下げるのか、どの程度の影響があるのか、実際に数値上の差がどれだけあるのか、本当に不正解かどうかしっかり検証して正確に何がどのくらい強くて何がどのくらい弱いのか、内容を把握しているプレイヤーはそう多くない。
ほとんどの指示厨は、形だけにこだわっていて本質を欠くので、強さとか勝率という観点で話しているのではなく「これが弱いと業界でのお決まりになっているから」不穏や指示厨している。
例えば不正解プレイに見えても正解プレイとの差はほんの数コマとか0.2%とかの差であることもあるため、状況次第では正解に入れ替わったりすることもある。
一見数値上は弱く見えても強いプレイヤーは勝つために全ての可能性を模索するので、実績があるみたいな言い方をするかもしれないが基本的には「地雷だから全否定」とはニュアンスが違う(強いプレイヤーでも好き嫌いある人もいて、嫌いなプレーには冷たいこともあるかもだが)
弱いプレイヤーに限って、慣れてくると説明できないくせにデカい顔の指示厨になるのである(トッププレイヤーとの差が激しい、『不正解』プレイをするプレイヤーであることは言うまでもない。)
それが見ていて物凄くしんどい。
上手い人=トッププレイヤー≒キャラや状況に合わせてほぼ理論値かそれに近い値を出せる人。人力の最大値
上手くない人=それ以外
自称上級者=ゲームで強いと言われているセオリーや基礎知識はあるものの、自分で思考することはできない。強さを理解していないのでセオリーの形だけにこだわっている。検証ができない。よくセオリー警察で指示厨して不穏している
里帰り出産して両親にも助けてもらい、夫にも一ヶ月ほど育休取ってもらったけどそれでもしんどい。
そもそも出産がしんどい。身体がしんどい。深夜に産気づいてから産むまでほぼ一日がかりで、産んだ日の夜は身体もひどく痛むし変な興奮状態が治らず夜になっても眠れなかった。
次の日からは入院中でも赤子をそばに置いておかないといけなくて、眠るために少しだけ助産師さんが預かってくれるけど3〜4時間もすると宅配便みたいに赤子が戻されてきた。
「いま甘えると退院してから大変だよ」って言われて入院後半からは夜間の預かりも断られ、しかも預けて寝ている時間に採血とか血圧測るとかで叩き起こされることもしばしばあり入院中に連続で眠れたのは数時間がせいぜいだった。
要するに、陣痛が来た日の深夜以来ずっと朝日がのぼるまでぐっすり眠れたためしがない。これは今も(多少マシになったが)続いている。
この夜間の育児のことをママたちは「夜勤」なんて呼んで頑張っているがまあ普通にしんどい。しんどすぎて後になってみんな口を揃えて「記憶にない」と言う。私もすでに記憶が薄れかけているから本当だ。語り継がれないのでしんどさが全然周知されてない気がする。
ただ子が成長するにつれて夜間の授乳の周期は伸びるしオムツ替えの回数も減るので多少マシになる。なので新生児育児でいま心が折れそうになっている人は二ヶ月ごろまでこらえてほしい。
記憶を失うほどしんどい新生児育児を乗り越えてからは、身体的にはかなり楽になったが別のしんどさを感じるようになってきた。
育児以外の何もできない状態が原因だと思う。もはや家事すら息抜きに感じるし、スーパーのレジの人にあたたかい声を掛けられるだけで社会とのわずかなつながりを感じて涙ぐんでしまうし、粉ミルクの匙を数えるより複雑なことができなくなるくらいバカになってしまった。いわゆるマミーブレインというものなのだろうが、これは体感的には内分泌的な要因ではなく外的環境のせいでそうなるんだと感じる。本も読めないし映画も観られない。ブコメもツイッターも書けなくなった。悲しい。今もこの増田を書きながら構成がわけ分からんことになって苦しんでる。
例えるならメモリの解放がうまくいってないクソアプリがずーーーっと常駐している状態に似ている。他のことが何もできないし、時間経過とともにしんどさがどんどん募っていって私の場合は定期的にフラストレーションが爆発してヤケを起こしそうになる。
もう少し長期的に見ても、子の成長と引き換えに何もしない日々がずっと続いていくことに絶望を感じる。つまり社会的にしんどい。仕事のための資格試験の勉強もストップし、年度が改まって後輩が役職に就いたという報告を聞き、趣味の活動も休止中でフォロワーがどんどん減っていく。まるで透明人間になったみたいだ。
そんなわけでとにかくしんどい。しんどいのよ。育児ってしんどい。
子はかわいいよ。自分が望んで産んだ子だよ。我が子の寝姿を見てると残りの人生全部あげてもいいと思える自分もいる(でもしんどい)。だいたい結婚して子どもがいるだけいいじゃないかと言われると思う。他人の苦しみは理解し難いものだと思う。世の中には別のことでもっと苦しんでいる人もたくさんいる。人はやがて死ぬ。でもそれはそれとして絶対値としてのしんどさをここに吐き出しておきたい。
一方で夫はどうしてるのって思うよね。うん手伝ってくれているよ。手伝いね。できる限りの範囲でね。ありがとうね。同じ状況で自分のご飯作らせる夫もいるくらいだからかなり頑張ってくれていると思うよ。でも今はその「できる範囲」っていうのが羨ましいよ。できない分はやらないんだもん。仕事に差し支えない範囲で、健康に差し支えない範囲で、時には息抜きも。やるかやらないかを選べるのがズルいと思ってるよ正直ね。共倒れになっても仕方がないし、夫が損しても私の得にはならないから言わないけど本当は一緒に禁酒して息抜きの趣味の時間もナシにして同じ地平に立ってみやがれと思わなくもないよ。勤務中のきっかり1時間の昼休みも自由にスタバでコーヒー買う自由と時間もエナドリ飲んで集中タイム作れるのも今は死ぬほど羨ましいよ。こっちは温かいものを温かいうちにいただける時の方が稀なんよ。
そのうち仕事を理由に子を寝かしつけ終わった後に帰ってくるようになるのかもしれない。そうしない理由がないもん。あんまりやると寝首をかかれるかもしれないからきっと程々にそうするよね。残業って言ってマクドに寄っててもこっちは分からんしね。それができる側とそうじゃない側の落差に狂いそうになるけど「僕だって精一杯やってる」って言われたら何も言えないよ。こっちはその「精一杯」を超えたところでやりくりしてるんだけどね。2人とも超えたらいけないラインだから仕方がないのも分かってるんだけども。
こんなに呪詛を吐くつもりじゃなかったんだけどいかんせん頭がバカになっててまとめきれなかったわ。chatGTPにでも要約してもらってください。なんかすまんな。
あと一応しんどさ緩和のためにできる限りのことはやってることも申し添えておきます。
使える行政のサービスや補助は全部アクセスしてるし親族の助けも借りてるし時短家電もフル活用してるし育児のこだわりも極力捨ててる。
むしろDINKS期間も長くて当面の生活には困ってないし夫も平均以上に協力的だし子も健康なのにこんなにしんどいのかという驚きがあると言ってもいいのかもしれない。
これが二人目や三人目、あるいは多胎だったり、看護が必要な子だったり療育が必要な子だったらどんな生活になるのか想像もつかない。
私のしんどさは増田に書いて、ブコメがいただけたらそれで済みますから、私よりしんどいママさんたちがもっと楽になりますように。
もういい加減にしておきます。
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ブコメたくさんもらえて嬉しいです。励ましや共感や暖かいコメントにも救われました。
・夫も育休取ったのになぜぐっすり夜眠れなかったのか
これは夫に「夜勤」をやってもらわなかったから。人員が2人しかいないと日勤と夜勤の入れ替えでインターバルが取れないからそうしたのだけどもう少しやりようがあった気はする。夫婦とも超夜型で宵の口は私がうまく眠れないし、早朝は夫が起きられなくて睡眠時間帯のスライドがうまくできなかったのが敗因かもしれない…。
・夫の稼ぎをあてにしてるくせに働く夫に文句言うな
増田は稼ぎがあるから夫が仕事を辞めたり育休交代してくれるならどうぞ支えるよだけど、この手の言説がこれまで何人の母親を追い詰めてきたかと思うと非常に腹立たしいのでそういう物言いには抗議します。仮に専業主婦でも、というか仮に子どもがいなくて養ってもらっている身でも、しんどい思いをしている人はしんどいって言ったらいいと思う。働く側のしんどいもあるだろうから聞くよ。でも頑張ってもどうにもならん立場かもしれない人を攻撃して口を塞ごうとはするなよ。
(というか全体的にトラバが荒れててこわい。いつもトラバまで読まないから知らんかった。こんなもん?増田に成り変わってる感じのレスもあるけど全部増田じゃないです…)
・夫について
増田の一方的な書き捨てだったのでちょっと悪く書いちゃったけど夫も「精一杯」に至るラインまではやってくれてたし感謝はしてます。日中の細かいタスクとか家事とか短時間のワンオペとか。それでも正常範囲の対応だと負担が半々には到底ならないのが育児の恐ろしいところなわけで。
早々に復職して働く夫を羨んでいるだけで恨んではいません。ごめんね
・余裕がないのにこんな長文を?
本業はネットワーク屋なんだけど、無線LAN周りのトラブルで「いや~電波ってそういうものなんでこの環境じゃあムリっすよ」「そういうものって??」みたいなやり取りが客とあってそもそも「電波ってなんなんだ?」と思ったのでぐぐって調べた。高校では物理取ってたはずなのに欠片も記憶にないので深い睡眠学習をしていたのだと思う。
電波法では「3THz以下の周波数の電磁波」を「電波」と呼ぶ。間違っても「電磁波」の略では無いし、電磁波の中の一部を電波と呼んでいるだけ。
導体を電流が流れると磁界が生じる(右ねじの法則)→電流の向きが変わると磁界の強さが変わり電界が生じる→電界の強さが変わると磁界が生じる→…の繰り返しで空間を媒体にして飛んでいくものが電磁波。ただし電界と磁界がリングのように繋がっていく絵(が高校物理の教科書に載っているらしいが全く記憶に無い)は厳密には間違い。電界と磁界は直交して発生し位相が一致するため。
electric fieldの訳語なので同じ。慣習的に工学系は電界、大学の理学系では電場。
コンデンサの応用。コンデンサの電極を棒状にしたイメージ(=ダイポールアンテナ)。アンテナに交流を掛けると電極間で電荷が流れ(ていないが後述の通り流れていると見做す)、電界が生じる→磁界が生じる→電界が生じるのループによって電磁波が空間を伝っていくのが電波の送信。電荷が行ったり来たりする速さが周波数、流れる電荷量(電流の大きさ)が生じる電界の強さになる。
逆に、磁界がアンテナに当たりアンテナ周辺の磁界が変化すると電流が流れる(ファラデーの電磁誘導の法則)ので、それを良い感じに拾い上げるのが受信…なのだと思うが正直この辺は欲しい情報が探せず自信なし。
絶縁体を電極で挟んだもの。絶縁体なので電荷を通さず蓄えることができる。ただし交流の場合、電荷の流れる向きが変わるので見た目上電荷が流れると言える(らしい)。
「電気」のミクロな表現。原子の周りを回っている電子が飛び出すと正電荷、飛び込まれた方の原子は負電荷で異なる電荷同士は反発し合い同じ電荷同士は引き合う(静電気力)。
この静電気力が働く場を「電界」と呼び、電荷から延びる静電気力の働く方向を線にしたのが電気力線。
電荷の移動で磁界に磁力線が生じ、正電荷と負電荷の間で電界に電気力線が生じる。
電波の送信で電界と磁界が生じていくという説明は電気力線と磁力線が生じていくとも言える。磁力線は磁石のNからSへ延びる線。
送信機のアンテナ端子に電力計を繋いで測った電力。送信電力とほぼイコールだが、厳密にはアンテナまでのケーブル減衰を差し引いてアンテナに掛かる電力。よって「送信電力-ケーブル減衰」が空中線電力。
指向性アンテナによって見かけ上、エネルギーをマシマシにしてくれることをアンテナの利得と呼ぶ。アンテナに増幅作用はないので送信電力が増える訳では無い。
等方性アンテナ(指向性を持たず全方向へ等しい強度で放射される仮想的なアンテナ)と同エネルギーのアンテナ利得を基準(0dB)とする利得を絶対利得と呼び 0 dBi とする。あまりよくわかってない。
等価等方放射電力。アンテナからある方向へ放射されるエネルギーを等方性アンテナによる送信電力としたもの。
アンテナ利得 20dBi のある指向性アンテナに送信出力 30dBm(1W) を掛けると送信出力 30dBm + アンテナ利得 20dBi = EIRP 50dBm (=100W) 。これは等方性アンテナ(アンテナ利得 0dBi)に送信出力 50dBm (100W)を掛けたといういう意味になる。
1mW = 0dBm として、1mWより大きいか小さいかを対数で表現した絶対値の単位。
電波の世界ではめっちゃ小さい桁数の数字の数字になるので、常用対数を用いることで使いやすい数字にする。
対数なので 3dBm の増減は2倍または0.5倍、10dBmの増減は10倍または0.1倍。
・23dBm = 10dBm + 10dBm + 3dBm = 10mW x 10mW x 2mW = 200mW
・-60dBm = -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm = -0.1mW ^6 = 0.000001mW
といった計算が出来る。
何処まで正しいのか全くわからんが、知識皆無からぐぐって読み比べたらなんとなーくわかったような気がする段階まで持って行くことができるのは単純に凄くねと思った。
便利な時代になったんだなあ。
それはそう思う
でもそれ書いちゃうって自覚あったら「かっこいい俺理論」としてなんかタイトルつけて「俺理論定義なんで」を理由に反論とか相手にしなくていいと思うんだよね
イケメンが顔だけでそういう持論をもってくみたいにね
イケメンは顔に絶対値があるし知名度や売り上げなんかもそこに絶対値があるから揺るがないけど仲間うちっていう事実と現実についてはそこに絶対値はないから守り方が「本当にあった話だ」をごり押すしかなくなるのが痛いね
自身が仲間内のリーダーとしてブランドになって自分の名の下に定義をばんばん発行すれば先のおひとりさまカリスマみたいな話で定義をつくって盤石な論説が組めるとおもうんだよね
わりとおもしろ記事でパパになってまともなブロガーみたいな感じにおもってたけどいきなり理由ぬきのあんな発言してくるようになったのかもともとそういう素養があったのかびっくりしたよ
Q: 人間の認識能力に限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?
AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界の存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報と理論を提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実の可能性を指していると思われます。量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙が複数の並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論である。しかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠に裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間の認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正確である可能性があります。結論として、「フレームとフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。
Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界を体験しています。
特に、精神作用物質の使用や瞑想・精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実や世界を知覚しているように思わせることがあります。しかし、これらの体験は主観的なものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的な現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝、環境、個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たちの世界を超えた別の世界や現実が存在するかどうかについては、科学的・哲学的な議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たちの現実の認識や体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界の理解は、私たちの認識能力や調査するためのツールによって制限されているということです。
Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?
哲学的な観点からは、個人の世界に対する認識や理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識や理解に依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定の話題や問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識や理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化や社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールドや別世界の存在を示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ、私たちが世界を理解し経験する方法は、私たちがアクセスする情報や文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実の性質とその中での私たちの位置は、何世紀にもわたって哲学者や科学者によって議論されてきた複雑で多面的な問題であり、今後も継続的に調査・研究の対象となる可能性がある。
Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元のセルがあり、ボブ君は奇数列を脳内で認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合の主観と客観の区別はどうなっているのでしょうか?
この単純化されたシナリオでは、主観と客観の区別は次のように理解される。
しかし、知覚の主観的な経験は、個人が客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的な体験と客観的な体験は相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。
Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元のセルを任意のcos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的なものだと思い込んでしまうが、実は共通の主観的認識に過ぎないのではないだろうか?
もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的な認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識は客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測者個人の経験や解釈に基づく主観的な認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人の経験や解釈から切り離された、検証可能な証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターンを機械で客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法で独立に検証することができる。結局のところ、主観と客観の区別は複雑で、個人の認識、解釈、文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通の主観的な体験をしたとしても、それが必ずしも客観的な体験であるとは限りません。
Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的なものがあるのでしょうか。
現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人の主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的なものを特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります。
ただし、このような客観的な現象であっても、個人の偏見や見解に影響され、ある程度は解釈の余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的、主観的と簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。
Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう。
物理法則や数学的原理、科学的データ、歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人の解釈や主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則や科学データを解釈し、適用する方法は、科学者個人の視点、偏見、仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象が主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ、客観的な現象の理解と解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験と主観的体験の区別は、現象の性質、測定や検証の方法、検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである。
Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。
客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的・神学的問題である。哲学者や神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実の存在は、宇宙に目的と意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主の証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在と世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在を意味するのかどうか、疑問視する人もいます。客観性は物理法則などの自然現象で説明でき、超自然的な説明は不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係は哲学的・神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在の証拠と考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然のプロセスで説明できると考える人もいるだろう。
Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?
波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定の状態にあることを発見する確率を記述したものである。量子力学では、電子、光子、原子などの粒子は、重ね合わせの状態で存在する波動的存在として記述される。つまり、同時に複数の状態に存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態の確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したときに特定の状態で観測される可能性を決定するものである。波動関数はギリシャ文字のPsi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数の絶対値の2乗は、粒子が特定の位置に存在する確率密度を与える。波動関数は量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測・理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈や意味については、現在も科学界で議論や考察が続けられている。
Q: 現実はヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。
量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態を記述するために用いられる数学的空間である。ヒルベルト空間は、特定の内積が定義された複素ベクトル空間である。
ヒルベルト空間は、量子系の状態をベクトルとして表現するために使用されます。システムの状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトルに対応します。システムの状態を表すベクトルは状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字のPsi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数を記述する複素値のベクトルであり、系の各可能な状態の確率振幅を与える。現実がヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態がヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学的対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。
Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなたは明日フォン・ノイマンのゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCでLeague of Legendsをプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかわからない人は、それを知るまであなたの状態は読書とゲームの重ね合わせなのでしょうか?
二重スリット実験の文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定の場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたのシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなたは明日ノイマンのゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたはPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり、実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書とゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システムの状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。