はてなキーワード: 経験とは
ただ、同じことはくり返されますし、その度に同様なお話し合いまで持っていく体力は相当です。そうなって次策が必要なときにこの書き込みに目が止まってくれればと思い、投下します。
当時の私の場合は、20年ほども同様な環境にいました。子供達が大きくなり思春期を迎えた頃、妻の矛先は彼達に向かい始めました。娘は相当に傷つき、息子はのらりくらりと逃げ回る私に対してさぞ幻滅したことでしょう。
その頃の私が子供へ反面教師の背中をみせていた状態から抜け出せたきっかけは、私の個人カウンセリングでした。それまでは問題行動を起こす妻がカウンセリングを受けるべきだと思っていました。ところが、私自身へのカウンセリングを通し、私も学び、成長することが必要な事でした。
問題行動は時間が経てば解決することはなく、私自身が自身の幸福のために自ら行動を起こすことで解決できることをカウンセリングは認識させてくれ、いざというときに最悪な事態が発生することを回避できるだけの行動力を与えてくれました。実際、振り返ると、別居や離婚、これらは必要な行動でした。
今、私の子供が元妻の問題行動をコピーしてしまわない事を第一の目標として日々過ごしています。私の解決策はそのためのものです。今のところ私にはその様な気配を見せる様子もないので、安心しています。私も幸福を追求できる喜びがあります。元増田さんの家庭環境等はうかがい知れませんが、良き人生であることを願っています。
元妻は何かしらの問題を抱えているとは思いますが、私ができることは何もありませんでした。本人が問題を自分のこととして認識し、向上心を持って取り組もうと意識しない限り解決しないと思います。あたりまえのことですが。
何かに秀でた人が熱いコメントすると「そんなのやっても意味無いよw」みたいな冷笑系のコメントする奴って大概おっさん。そいつのプロフィールや投稿見ると年齢で察せる。
俺も10代20代前半までは捻くれた冷笑系だったけど社会経験を積んでいくと結局熱い気持ちは大事だと思った。
ただかつての俺のような冷笑系、しかも俺より年上のおっさんが冷笑コメントしてると共感性羞恥心が込み上げてイライラする。
もうやめてくれ、恥ずかしい。
セックス以外がすべてあるわけじゃないから、正確に言えば「ほしいものはセックス以外は手に入る人生」だった。
少しだけ俺の半生を聞いてほしい。
俺は某政令指定都市の家庭で生まれた。今年で20代後半になる。
教育熱心な両親の庇護のもとで育ち、小学校受験で私立の小学校に通い、中学受験を経て中高一貫の男子校に入学した。
偏差値65〜70くらいの大学を卒業して、今は社会人として働いている。
幸い勉強はできた。
お金もたくさん頂いている。
たまにそのことで劣等感を感じることもあるけど、そのことで卑屈にはならないようにしているつもり。
体型は普通体型で、自宅のぶら下がり健康器を使って懸垂とかの筋トレをしている。
だからそんなに見苦しい体型ではないと思う。
YouTubeを流しながらTwitterをやったりしている。
2年前くらいから仕事が忙しくて(という言い訳をしつつ)取り組めていないけど、詩や小説を書いたりもしていた。
ネットの内輪でだが、褒めてもらえることもあった。
友人はそんなに多いほうではないけど、数ヶ月に一回くらいの頻度で飲み会したり映画を見たりする人が数人いる。
仕事の話からプライベートの話、話題のニュースや下ネタや学問まで、基本的にはどんな話題もオッケーの間柄だ。
ネットミームが伝わる友だちは最高。
上司からはあだ名で呼んでもらえてるし、仕事は取り立てて優秀というわけではないが、愚痴や文句は言わないようにしている。
後輩とご飯を食べるときは基本全部奢るけど、それよりかは仕事ぶりのほうが人望に直結すると思うから、偉ぶらず今後も仕事に取り組みたい。
両親の仲はそんなに良くなかった。
父親が仕事の都合で単身赴任を初めてから、そのまま夫婦の別居状態が続いて、結局そのあとは一度も家族が揃って一緒に生活することはなかった。
そういう家族だったからか、俺は漠然と「あたたかい家庭」に憧れがあった。
天から(あるいは人から)与えられたもの(家族)だったから、自分の手元からなくなってしまったんだと思うようになった。
これまで、何人かの人と付き合ってきた。
現実の人間関係がぎくしゃくするのが怖くて、ネットでの出会いがメインだった。
今思うと、精神的な安定性に欠ける人で、身体の繋がりに彼女は縋っていたのかもしれない。
でもそれは期間の話であって、時計の針が進めば勝手に増えていく数字だった。
年単位で付き合っているのに彼女とはキスすらもしたことがなかった。
そういう雰囲気にならないのだ。
夜には必ず実家に帰るし、ラブホのように二人きりになれる場所に行くことすらなかった。
ある日俺が彼女とセックスをしたい、身体の関係を持ちたいと言ったら、彼女は「自分はそういう感情を持ったことがない、なんならしたくない」と言った。
俺も詳しく知らなかったが、そういう性自認があるらしい。
「じゃあどうしてマッチングアプリをやってたの?」と訊くと、「味方になってくれる人がほしかった」と彼女は言った。
結局その彼女とは別れたが、俺はそこから異性をセックスに誘うことが怖くなってしまった。
そのあとも、ありがたいことに学生時代の知り合いの紹介や、マッチングアプリで女性と付き合うことができた。
でも、付き合ったその先、セックスをすることはなかった。
一緒にカフェに行く、映画を観に行く、酒を飲む、それ自体は楽しい。
同性の友だちともできるし、そういうところに一緒に行ってくれる異性の友だちもいる。
わざわざ「付き合う」と口にして、彼氏彼女という名前がついた関係性なら、セックスをしたかった。
でも、どうやって誘うのかがわからなかった。
彼氏彼女ならセックスをするのが当たり前、ではないことをおれは前の彼女に身をもって知らされた。
断られるのが怖く、その誘い方で幻滅されて別れることになるのが怖かった。
友人たちには基本的にどんな話もできたが、この性に関する悩みだけは打ち明けることができなかった。
たぶん今もできない。
自分の弱さを見せたくないという自尊心もあると思うし、その弱さを曝け出すのは友人に失礼だとも思うから。
彼女たちと別れたのは、俺がその悩み、要は自分の欲望のことばかりに夢中になって、彼女たちへの思いやりが欠けてしまったからだと思う。
ひどいことをしてしまったと思うし、彼女たちがちゃんと人間性を判断する女性なんだと再確認できて安心するところもあった。
風俗に行って、金で女性の膣を借りたこともあったけど、プレイの最中に「好き」という言葉が喉元で詰まった。
好き好き言いながら腰を振れば、気持ちよくなれるのはわかっていたけど、出会ったばかりで名前も知らない女性のことは好きでもなんでもないのだ。
そう思うと、なんだか虚しくなって、汗で湿った風俗嬢の身体がいやに冷たく感じられた。
健康な身体に生まれ、食べるものに困らず、読みたい本を買い与えられ、高級な教育を受け、友人に恵まれ、暮らすのに困らない金を貰い、人に感謝し・感謝され、自分のこの魂も魂の容れ物も、決して嫌いじゃない。
でも、この先もうセックスができる気がしない。
俺とセックスをしたいと思ってくれる、俺を男として好きな異性が現れる気がしない。
贅沢な悩みだけど、みんなが当たり前のように持っている「それ」を、俺もほしい。
時どき思うんだ。
セックスがしたくてたまらない状態と、心に波風が立ってない凪の状態、どちらがニュートラルなんだろうって。
それを眺めながら穏やかに生きていけばいいじゃないか、と思うこともある。
でもそうじゃないんだという心の叫びもある。
はじめに言っておくが、この内容全体が狂人の思考だから、一切共感は得られないと思う。自分が思考の整理のために書いている。できない理由探しにも捉えられられる文章なので、苛立つ人もいるだろう。というか大多数だと思う。
それでも許せる人だけが読んで欲しい。なお、この先「音楽ライブやフェス」をまとめて「ライブ」と書く。
私はライブに行くことができない。人混みだとか、環境や財力とかは問題ではない。あえて言うなら、私は私のことを「どのライブにも行くに値しない人間である」というふうに考えている。
音楽ライブに行くためには、どのようなアーティストに行くかの選定と、そこに対する深い知識が必要だ。
いくら優れたミュージシャン、自分のお気に入りのミュージシャンであっても、知名度や同世代(筆者は所謂Z世代に分類されるようだ)からの評価的にその名前を出して場が盛下がるのであればリソースを割くべきではないと感じる。
そして、私にとってより大きな問題なのが、「ライブに行く人間たるものそのアーティストの全てを知らねばならない」と言う感覚である。
ライブではどのような曲が演奏されるかは、その瞬間まで完璧には予想不可能である。ゆえに、可能な限り、すべての楽曲を把握していなければならない、と思っている。前で述べた、盛り上がる有名な大物アーティストほど、この傾向は強まる。少し大袈裟に言えば、そのアーティストの(せめてA面)全曲に聞き覚えがないと楽しめない気がする。しかしこれは時間的にとても難しい。
(余談だが、SNS上でセトリが公開される文化と言うのは、追いつこうとしているからでは、知らない曲が出る対策ではと言うふうに私は解釈している。絶対に違う)
若者に人気のアーティストは大概発表された曲数が多く追いつけず、曲数が少ないアーティストはそもそも盛り下がる。そんなジレンマがある。有名かつ物故者の場合は追いつけるが、そもそももうライブがない。
知らない曲を知ることができる、新しいアーティストに出会えると言うのはよくある言い分だと思うが、そもそもそんな無知な状態で、ライブに行って良いものか、ミュージシャンとその全ての曲を知るファン(絶対に存在する)への明確な侮辱ではないだろうか。
ヒット曲だけを追った「にわかファン」がライブという参加できる人数が限られる聖域に来ることは、単にサブスクで聞くことと違い、心の奥でしかめ面をされるのではないかと思ってしまう。実際ノることもできないで間違え、冷ややかな目で見られることも容易に想像がつく。
おまけに、このような私にとって、チケット代は高い。平気で安くても5000、6000円取ってくる。おまけに交通費などもかかる。全曲知らない確証がある状態で、そんな大博打をできるか?私にはできない。
ここまで言っていて、意外と思われるかもしれないが、別にライブなどのノリ、空気は嫌いではない。別のジャンルのそうした会にも行った経験はある。しかし、ことこうした音楽では、全てのコンテンツを聞くことができない。むしろどう頑張っても全て追いきれないジャンルの方が、受けは悪いが気楽だ。
先に言っておくが、
「彼女を作ることが全てではない」。
・性格が悪く(人が寄ってこない)
・外見(造形、体格)が悪く
・運が悪い
これら全てを兼ね備えている事実を端的に表している。(逆に言えばどれか一つでも外れていれば彼女を作れるし、作っているからね。)
もちろん例外は常に存在するが、非モテを集めたときにその大半は上記の要素を全て持っている。
するとこの中から、非モテであることを自覚し、真っ当で健全な人生を諦める者が一定数出現するわけだが、彼らの予後は極めて悪い。
彼らは往々にして「趣味を極める」「仕事に打ち込む」等と宣うが、頭と性格の悪さ故に交際経験を積めずに逃げ出したわけで、頭の悪さ故に趣味や仕事で満足できる結果や成果を出せる訳が無い。
身も蓋も無いことを言えば、人生を通じて何かに満足したり成功することのない人種の症状の一つに「交際できない」というものがあるわけで、彼女を作れない人というのはそのような生涯を送りかねない人種ということ。
→NO
彼女ができないやつは不幸か?
これが大学生とかならまだ良かった、社会人になるともうどうしようもないんだよ。
ほっといても40年後には土の中だよ
社会人4年目の俺は子供、結婚どころか、彼女いたことないし、異性の前で裸になったこともないよ
この先どうなるんだろうね
それが叶わなそうなことが分かって動揺している。気持ちは平然としてるが吐き気がする。気持ち悪くて食欲が湧かない。
昨日、友人と帰宅途中、不意に彼のLINEが目に入ってしまった。LINEの相手はドキドキした感情を抱いている子。彼女は社交的な子だからLINEでやり取りをしている分には何も動揺はしない。ただやり取りが見えてしまった。彼女の方から「明日空いてる?」「勉強しよー」というやり取りが。ちょっと想定外すぎて固まってしまった。やり取りを覗き見してしまったから謝るべきであったが、衝撃のあまり期を逃した。彼には悪いことをしてしまった。
彼女は普段から僕やその友人に勉強の教えを乞う仲で、親交のある同級生といったところだ。だから勉強の教えを乞うことに対してはあまり驚いていない。ただ目に入ってしまったやり取りが彼女の方からアクションをかけて、デートに誘うような文面だったから動揺している。帰宅してからも調子がおかしい。食欲が湧かない。ずっとあの文面と後悔が頭の中を支配する。普段はスッと寝れるのになかなか寝付けない。布団の中で悔しいを連呼し続けた。片想いしていたのだなと思った。
今思えば、勘違いと腰の重さがこの事態を招いたと思う。ある日の帰宅途中、カフェの話になって「行きたいなぁー」と彼女がいった。その数週間後、彼女が付き合っていた彼氏と別れたという話をしてきた。ここから胸がざわつき始めた。翌週カフェに誘った。OKはもらえたけど、「また行く日決めよかー」と自分が言って日程を決めきれなかった。その翌週が昨日である。だからとても後悔している。昔似たようなことがあって、その時は本当に勘違いだった。その時の経験がトラウマで石橋を叩いて渡っていたら先を越されてしまった。直感を信じるべきだった。はぁ僕は彼女からしたら一介の同級生なのか。
自分に彼女ができないのはこの腰の重さとメンタルの弱さなんだろうな。ひとまずはこれまでと同じように同級生として接しようと思う。
必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田だ
とわ子や夫たちの造形とか性格や容姿、関係性とか社会的立場とか諸々
社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在と関係も
音楽は今でも最高と思うけど
今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生や人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……
結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分はもしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ
次作?で警察ミステリもののときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界や事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した
昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないものを排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った
クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ
排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者に排除を実行する自身も十分に異物(自身の挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的に成功しているしまさんの存在がその二分された価値観の対立というか、現在のポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった
最後にワイフに助け出されるのも
リリコ最高だった
全話も最終話も見事だったな
全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手にハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたから最終話本当にあれでよかったと思った
よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃんの場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ
それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがないか……って言うとこも好き
この子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまったこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う
街の女同士の連帯も不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように
「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情や感情や生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた
こういう描き方もあるんだよね
この辺を見たはずなのに「クドカンはポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな
そんなこと増田みて考えた
35までの時間制限までに人生が間に合わなかったような人間が慌てて作った子供なんて基本的にダメ人間だよ。
まず遺伝子レベルで駄目だし、それ以上に親の未熟な生き方をトレースして未熟な人生を歩んでしまう。
しかも親側も「高齢出産のせいでガイジに生まれてたらどうしよう・・・」みたいな焦りでプレッシャーかけたり甘えさせまくったりで育て方もおかしくなりがち。
30までに産むのが難しいってのがそもそもよく分からないんだよね。
出会いの場所として高校・大学・会社で15年ぐらい猶予があって、出会えてないってのもよく分からんのよね。
高校・大学が共学じゃなかったせいでホモソのヤバイカラーに染まったとしても、まともにやってたら「ゆーて恋人ぐらい普通に作って結婚するやろ」となるでしょ。
少なくとも社会人になってコンパ参加すれば簡単に出会えるし、アプリだっていくらでもあるわけで。
そうならないならやっぱ本人に問題があると思うんだよね。
時間がないっていうなら、それは趣味に時間を使いすぎてるか、会社をちゃんと選んでなかったかで、人生設計のミス。つまり本人が未熟すぎる。
経済的な自立においても院卒後からの計算で5年もあるわけじゃん?
院卒で5年も働いてたら、まともな会社でまともな仕事してたら片方専業主婦になっても児童手当あれば食っていけるぐらいの収入はあるよね?
それでまともに給料貰えてないなら転職し方が良いし、30歳で業界経験5年あってまともに転職できないなら、それはもう人間性レベルでなにか問題があるっしょ?
つまりさ、35までに産めないような人間はなにかしらどっかで足りてないわけ。
んでまあそれって社会との相性を含めた才能に寄る所が大きいわけよ。
そんな才能のない人間が子供を産んだら、まあ子供も才能がないまま生きることになるよね?
それって可愛そうじゃん?
無理して生まれた子供ばかり増やしても世の中うまく行かないでしょ。
弱者男性・弱者女性で35まで未婚で来ちゃった人達はそのまま独身として終わるか、結婚しても子供は作らずに過ごすのか皆の幸せのためだと思う。
そんなことはないと思っている人に聞きたいのですが、ではなぜ実質賃金が下がっているのでしょうか?
実質賃金というのは言うなれば「資本主義的な支配者層が考える労働者一人辺りの価値」となります。
それが下がってきているということは、人間の価値が下がってきているということです。
少なくとも、特別な技能を持っていない人間、特別でなくともその業界で重要視されるだけの経験を持っていない人間の価値は下がっています。
資本主義における価値とは需要と供給で決まるわけですから、人間の需要に対して供給が上回っているわけです。
多くの企業が人手不足を語ってはいますが、実態としては「十二分なスキルを持った人間が突然低賃金で雇われて欲しい」という意味でしかなく、能力のない新卒を雇う意思はほとんどありません。
過去の栄光でダラダラと失われた50年を食いつないでいる日本とは比べ物にならないほどに成長している国家が近隣にはあります。
日本はベビーブーム時代の栄光を忘れられず「子供が沢山生まれると社会が活性化する」とよく分からない思想に染まっていますがそんなことはありません。
むしろ逆です。
中国が経済的に成長した時期と出生率の相関を考えていけば、見えてくるのは「人口増加∝経済成長 の幻想を断ち切ることが重要」という現実でしょう。
事務所の中でおじさんたちが鉛筆で必死に契約書類を書いていたような50年前に成功したパターンを自動化・IT化の進んだ現代で繰り返そうという発想が愚かしい。
年金政策のようなネズミ講によって見せかけの福祉を維持することはいい加減やめましょう。
そもそも、多くの若者が社会から「金を稼げない社会のお荷物は死んでしまえ」とばかりに扱われているのに、老人たちだけが昔払ったわずかな年金を頼みに「寝たきりの役立たずだけど大切に扱ってあげよう」とされているのがおかしいのです。
若者に「弱者は死ね。金を溜め込めないなら死ね」と語るなら、老人に対しても「年金だけで暮らしていけないとか舐めたこと言ってるんじゃねえ。溜め込んでこなかったお前たちが悪いんだから死ね」と言って回るべきではないでしょうか?
というか、「働けなくなった奴は自分や身内の貯金で食い投げる範囲を超えたら死ね」というのを半端にオブラートに包んで誤魔化そうとするから歪みが生まれるのです。みんな本心ではそう思っているんですから。
ある時は「老人は偉いから俺の言う事を聞け」と騙り、ある時は「老人は可愛そうだから助けない奴は地獄に落ちる」「と脅す。
こんなことはいい加減辞めましょう。
老人が若年層に依存することを前提とした社会構造を変革させなければ話にならない。
答はシンプルです。
それは経済に回すべきエネルギーを目先の少子化対策や福祉政策に回しているからです。
今、目の前で困っている誰かを助けるために、種籾を食べ尽くしてしまっているのが今の日本です。
直近5年の誤魔化しのために使っているお金を、20年後40年後の社会のために使おうとしていないのです。
貧困国に井戸を作っても、明日のパンを買うために部品をバラし売ってしまうような状態ですね。
目の前にある出生率を一度諦めましょう。
もし本当に50年後の事を考えているなら、一時的に出生率を犠牲にしてでも経済を立て直すほうが正しいことに思い当たりませんか?
結局のところ、出生率を上げようとしている多くの人が口で「何十年後」と言っていながら実際には「直近数年の出生率」しか考えていないのですよ。
すごい。SEO的に瑕疵がない専門家の文章に見える。プロが書いたって言われても信じられる。日本語力とは別の技能なので数年の実務経験無しにこれが書けるならウェブライティングで飯が食べられる才能がある。
んなわけない
こういう心にもない世辞で人をその気にさせて路頭に迷わせるのが一番有害
どうにかして刑務所にぶち込むべき
気の毒だけど性被害経験が多いのはそういう生育歴のせいもあるんじゃないの?
割とよく聞くじゃん
女性に限った話じゃなくてジャニーズ問題の時にもそういう話題は出ていた
勿論当人が悪い訳では全くないけどさ。
日本で女に生まれるというとこうなる、という一般化は出来ないと思うんだよなあ
『日本で』『女に』というクソデカ主語を用いているから、それに当てはまらない女性からは違和感を持たれて当然なのに。
小さい子を狙う痴漢が大勢いると言っても、全員が全員被害に遭うって訳ではないじゃなし。
この人の経験はあくまで、この人が特に美人で狙われやすいゆえの経験であって、世間の一般女性が必ず同じ目に遭ってる訳じゃない。
ナンパ?っつーかキャッチに遭った事ならあるが、怖いので走って逃げたし愛想を良くするという発想がなかったよ
何つーか、女なら全員体験してて当たり前みたいな言い方をしたら
そりゃ反発を食らって当然なのに、それをセカンドレイピスト呼ばわりするのはどうなのよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/bambi_yoshikawa/n/n7035883b5e2e
「考え」ってやつは、十分な知識がなければただの「勘」に近いんだよね。
初めての物事に向き合うときに、勘、つまり仮説ってのは確かに大切だ。だって、最初は手探り状態なんだから。でも、それで事実と向き合って、その仮説をどんどん修正していく必要があるんだよ。
問題は、十分な情報が無い時に、勘を信じ過ぎるってこと。これがヤバい。
情報が少ないのに、自分の勘が当たってるなんて思っちゃったら、それこそ大間違いだ。なのに、人間って歳を取るごとに、なんか勘が事実に近いと思い込む傾向がある。これが本当に厄介。
若い頃は、「俺の勘はまだまだ」って謙虚に思えるんだけど、年を重ねると、自分の経験がある分、妙に自信がついちゃうんだよね。その結果、「俺の勘は正しい!」なんて錯覚に陥る。実際は、それが大きく間違っていることがあるんだけど。
だいたい、「考え」ってのは、事実に基づいていなきゃ意味がないんだよ。
仮説を立てるのはいいけど、その仮説を検証して、事実に基づいて修正するってプロセスがなければ、ただの「勘」に過ぎない。それを忘れちゃうと、いつまでも間違った方向に進んじゃう。
情報が少ないのに、自分の勘だけを頼りにするなんて、まさに愚の骨頂だよ。だからこそ、慎重に事実を集めて、仮説を検証し続けるってことが大事なんだ。
つまり、年齢を重ねるごとに勘が事実に近いと誤認するのは、経験が増えた分、自信も増えちゃうからなんだろうな。
でも、そこで一歩引いて、「本当に自分の勘は正しいのか?」って自問自答することが必要だ。結局、勘に頼りすぎず、常に事実と向き合って、柔軟に考えを修正していくしかない。
えー、そんなんで頭抱えてるなんてマジウケるんだけどww♡
でも、そんな大したチョンボじゃないと思うよ♡
そんなことでクビになるわけじゃないし、心配しすぎじゃない?♡