はてなキーワード: 終末論とは
いやぁ、とりあえず世界の終末は回避されたけど、昔の名作がディズニーの資本によってプロパガンダ作品に変容していく世界線になるとは
30年前の僕たち私たちは予想できなかったんじゃないでしょうかね?
とりあえず旧作の見どころをなぞって、とりあえずポリコレコードとフェミニスト神話を放り込んで出来た作品って感じでした。
以下ネタバレ入るけど、
救世主の母親として「母親だからって簡単に殺せると思いました?無理でした!」って突きつけたカタルシスに溢れる1作と2作は無視して、サラの息子はお茶飲んでのんびりしてたら
その殺人マシーンは数年後人間の温かさを学んで優男になりました!赤ちゃんのオムツもすぐに変えられるよ!ってなんだこれ。
神話を崩壊させるのはいいけど、残ったのはタダのロボット映画じゃん。そんなんインド映画で十分じゃないの。じゃぁ代替になるような登場人物だしてくれんだよな?
って思ったところに出てくるのはヒスパニックの普通の女。まぁ女が成長してカッコよく戦うのも悪くないけど、こいつはサラの血縁関係でも、性格が魅力的で野心に溢れるわけでもない普通の女。
ジョンは「終末論を信じるイカれた親に育てられて、ハッキングもしちゃうちょい悪少年」っていう魅力があったのに、こいつは何にもない。
女だからって理由で選ばれて、能力があるわけでもないのに戦うほぼ姫プレイ女。戦いの途中でなぜか神が舞い降りて、「その目はリーダーの目……!」みたいに言われるんだけど、こっちとしては完全に意味不明。
まぁ全てが「ポリコレだから」で説明できちゃうし、それ以外じゃ説明できない。
そもそも、というかここが一番言いたいんだけど、「ジェームズキャメロンは現代をちゃんと見ていない。見ていないので未来が描けない」
というのを言いたい。そりゃポリコレに当てはめれば「若い人はみんなリーダーになって世界を救いたがっていて、その中で女が這い上がってリーダーになる」ってのは素晴らしい脚本に思えるかもしれないけど、
ちゃんと周りを見てみろと言いたい。アメリカンドリームなんてとうの昔に終了していて、女に限らず、男も女も若い奴はみんなリーダーになりたくない。
自分の小さい世界の中で生きるのに精いっぱいで、車なんてぜいたく品で、身の回りを守るのに精いっぱい。それをキャメロンみたいな資本階級が「ポリコレ」を突きつけて、その世界を崩そうとしてくる。
そんな「正しい世界」には自分たちは入ってなくて、そこにあるのは老人たちのお金と富だけ。昔と違って、今じゃ「世界」は救うには値しないし、リーダーになってもその世界の操り人形。なる価値ない。
結局、そんな知識階級は五寸釘ほなみみたいな「可愛くて綺麗で自分たちを守ってくれるような女」を適当に選んで、それを素晴らしいものと信じて疑わない。自分たちは守られるに値すると信じて疑わないんだよな。
まぁ、流石キャメロンだけあって、コンセプトの作り方とか映画の妙、ターミネーターの良さは出てたと思うし、男をボコって快感!とかは無くて、まぁそれなりに男女平等的な扱い(ただし男は依然として特攻隊員要素として消費)なんだけど。
一番言いたいのは、
今の時代、若い奴はリーダーになりたいとか思ってない人が多いし、老害がはびこるこの世界なんて滅べと思ってるよ。全然感情移入できません。老人用の介護映画が増えて気持ちわりいなって話です。
元記事はなんか終末論みたいなやつで終わるし正直微妙なんだけど上位コメントが詭弁のカタログみたいだったので、詭弁のガイドラインを使用して反論を書いてみた
参考:詭弁のガイドライン http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3
ホームレスなら避難所に受け入れを断っていいのか? という話なのに「ホームレスが入店を断られても命の危険はない」という点で異なるコンビニの話を始めている。
そのあとも、「受け入れるかどうか」の話ではなく受け入れた後に他の避難者が我慢できるかどうかの話をしている。
受け入れて他の避難者が我慢できなかったら、他の個室に移動してもらうなり、次善策を考えればよいのであり、何なら皆で話し合って仕方がないとなったら追い出せばいいではないだろうか。
そもそも臭いのが我慢できないから受け入れないという人が大多数なのであれば、受け入れたけど臭いから追い出しました、というのも問題ないはずであろう。
うん。そうですね。
うん。そうですね。
8.知能障害を起こす
だと思います。落ち着いてください。
うん。そうですね。
5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる
これは5,6の合わせ技であろう。
混雑した車両内と外に出たら命の危険がある避難所が関係ありそうで関係のないのは言わずもがなですが、「みんな」の使い方がなかなか巧妙だと思う。
「それが現実です」のあたりは
4.主観で決め付ける
であるとも言えるかもしれない。現実と言っているが客観的な証拠は示されない。
これは皮肉なんだろうけど、とりあえず受け入れてその後次善策を考えるべきというのは自分の考えに近い。
そうですね。
でもまあ災害時のなどの緊急事態っていうのは、一緒に居たくない人と同じ屋根の下で過ごさないといけない、というような問題はたとえホームレスを排除したとしても絶対に発生するのです。
翻って「台風の夜にホームレスは見殺しにしろ」というような不寛容な人とできれば俺は一緒に居たくないんですが、同じ日本で過ごさなければいけないという問題はいかんともしがたいですね。
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩
でも団塊の年少組(1950年前後)とか、浪人、留年、就職浪人組は就職シーズンにかかってた者もいたはず
さらに、すでに就職していても、就職して3年目あたりで当時としては未曾有の経済混乱と大インフレに直面だ
生活用品が買えんだの、下手すっと原材料の高騰に耐えられなくて会社が潰れただのという話も少なくはなかったはず
現代に生きてる俺らは、長期的視野でみればこの混乱期は数年で、1980年代にはバブルが来たと知ってる
でも1970年代当時に20代だった人間には、そんな未来は知らないから、本気でお先真っ暗と思った奴は結構いたはず
*
さらに少し先の話をすると、1980年代になってもしばらくは「低成長時代」だの「円高不況」だの「日米貿易摩擦」だの、さんざん暗いことが言われてた
バブル時代で世に貧困はなくなったと誰もが思うようになったのはだいたい1988年ごろかあな
*
あと石油ショック以外に、公害、米ソ冷戦核戦争の恐怖、凶悪犯罪などなどで1960年代は暗かったという傍証はウソだという反論はないの?
1945~1950年生まれの団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ
昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた
当時の超有名作品だから観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう
このころはしょっちゅう地上や離島で核実験やってたから死の灰も降ってた
公害が問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年)
*
オイルショック(1973年)に直面した時期に団塊世代は20代前半
下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる
連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊が20代前半の時期
「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊が20代の1970年代には
『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論が流行
「環境汚染や核戦争で人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった
*
いっけん関係ないかも知れないけど、団塊世代が10代の1960年代には
幼児が誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか
女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年)
在日韓国人が差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件(1968年)
などなどが起きてる
団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです
*
兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった
団塊世代が10歳前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年のテレビ普及率は50%以下
テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず
どうでもいいことを買く、
日本人はやばいと思う。生きる力を失って、どんどん弱っていっている。
戦後、自らを悪役と教え込まれ、信じ込み、自分たちを否定する文化を持ち続けていた日本人。島国故に外敵を身近に持たなかったためか、国民はぼんやりと平和ボケしている。日本にミサイルが、核弾頭が、飛んでこないとどこかで思っている。でも、いつ飛んできてもおかしくない状況が
、、実はうっと続いている。国は絶対の存在ではない。なくなるときにはなくなるのだ。
日本人はどんどん間抜けになっている。500年技この国は残っているのだろうか。日本文化は正しく継承されているのだろうか。
バカがと思った。言いたいことはいくつもあるがとりあえず二つに絞る。
さっさとやれや。さもないと悲惨なことになる…という煽りは正直インチキ宗教の勧誘と同じだ。
私は友人に誘われそういうところのセミナーを一時間ばかり聞いていたことがあるがそれをしないことがどうして悲惨かばかり滔々と語っていた(8割くらい)。似ている。
もし加入すればこんないいことがあります(聞いてると詐欺としか思えないが)を少し主張する分インチキ宗教のほうが幾分ましかもしれない。
昔オウム真理教が終末論ぽいのを説いて事件を引き起こし結構な問題になったが、冷たく例えるとそれ。いうなれば結婚真理教。
あの手のインチキ宗教勧誘は1000人煽って一人でもバカが引っかかれば成功なんだけども結婚煽りもそれでいいのかね。
結婚教の連中はそれでもいいのかもしれないが。
誰でもいいからとか本当に正気かこいつと思う。ちょっとでも孤独の恐ろしさ知っていたら出てこない発言だ。
私には偽装派遣で一人誰も知らない連中ばかりのIT派遣にたたき出されて死が頭にこびりつくレベルの孤独に1年苛まれた経験がある。
私に限らないならもっとひどい例もある。時折起きる小中学生のいじめ自殺や去年自殺の原因が発覚して大問題になったTENNさんの事例だ。
端的に表するとはなから一人の苦痛が0から1とするなら周りから全く受け入れてもらえない私が経験した悪夢が50から精々100くらいだと思う。
そこにいじめが入り時々発生する自殺学生の悲劇はきっと桁が上がって1000くらいだろう。彼らには逃げる選択肢がほとんどないからな。
信じるものに裏切られて自分でその責任を抱え込み死を思い込むしかなかったTENNさんの孤独もそれこそ1000か2000の苦痛だったと思う。
孤独とは最悪そのレベルまで行きつくものだ。ハナッから一人なんて孤独のうちに入らないんだよ。
仮にそれが少しでもわかっていてそれでも一人が仮に嫌だというのなら「ちゃんといい人を探して選ぼう」とは言えるかもしれん。多分そういう人ならいるだろうし少なくとも理解はできる。
あれらの論がよくわからんのだけど、何が問題で何が気に入らないんだろう? 少子化は先進国共通の問題だし、経済に関してはいいときもあれば悪いときもあるだろう。世界経済の中での地位が低下しているという話だって、低下するのがなんらかの(神の?)ルールに逆らってるという気はしない。
そもそも日本は戦後好景気で経済拡大をしてきたわけだけど、拡大するのはいいが縮小するのは許さん!というのは理屈に合わない。「俺が不快だ!」というのは判るが、それって要するに個人的な好みだし、世界がそれに従わなければいけない理由は全く無いように思える。
この種の話をすると「じゃあお前はこのままでいいと思ってるのかよ!?」とキレ気味なレスが付くのだけど、その終末論が事態解決に何か役立ってる気はしないし、そんなことをがたがた言ってるくらいなら「今日もお仕事しましたー」なんていっていっぱい飲みに行ったほうがよほど消費に(つまりは経済高揚に)貢献する。
あれらの愚痴(もはや論ですら無いと思う)を言う人に共通して感じるのは「日本は選ばれた先進国なので、未来永劫世界に冠たる地位が保証されてしかるべき」みたいな非言語感覚なのだけれど、そんな保証どう考えたって無いだろ。無いし、日本に限らず、そんなものが特定の国家に与えられるべきでもないだろ。
少子化って世間では(とくにWebでは)絶対悪であり、日本終末論みたいに語られているわけだが、本当にそこまで言うほど絶対悪なのか?
どうもこの件に対する議論は「少子化は絶対悪なのは皆さんもご存知の通りなのですが~」みたいな雰囲気で始まり、議論参加者もそこに同意してるかのように扱われるので、「少子化は絶対悪なのかどうか?」という部分が棚上げされている感がある。
内容の分析もいい加減で、例えば「高齢化社会」というのは「総人口に占めるおおむね65歳以上の老年人口が増大した社会のこと。」なわけなんだけど、これと少子化がイコールで結ばれるのは間違いだ。もちろん少子化が高齢化社会を助長している場合もあるんだけど、平均寿命の延長化なんかも関係している。つまり、「高齢化社会」議論においての別の問題点、たとえば平均寿命とか定年の問題とか老人の定義であるとかのテーマが「少子化が悪い!」という声でかき消されてるんじゃないかと感じる。
介護テーマの議論も一緒で「介護職の給与が低い」という問題点があったとしても、「これから老人が増えるのに介護人口増えないなんて少子化が悪い!」みたいなごまかし方をすれば、介護給与なんて増えなくなるだろう。
消費人口議論も全く同じで、総消費をあげたければ給料を二倍に(実装部分で言えば最低賃金を大幅に上げれば)物価上昇を伴いつつGDPは拡大するはずなのだが、「少子化で国内需要が壊滅!」という終末論ばかり目につくような気がする。
各論レベルで切り分けて考えていくと「少子化は確かに原因のひとつなのだが、別の原因から、あるいは別の解決方法で解決したほうが低コストに解決できる」問題ばかりなんじゃなかろうか? 例えばの話で言えば、介護人員の解決なんて短期的には現場の待遇改善をすべきだろうし、中期的にはロボットの活用のほうが圧倒的に低コストであるように思う(生産人口もおおむね同じだ)。そもそも、少子化問題は解決に非常に大きなコストがかかる問題だと考えられる。
もちろん「少子化は実は善だったのだ!」なんていうわけではなく、当面不都合ではあるんだけれど、「そのほかの問題を放り出して莫大なコストをどぶに捨ててまで解決すべきこと」であるような気がしないし、いろんな記事や本を読んでみても、そこまでしなければならないという納得のいく説明を見つけることが出来なかった。
Web世論的には、「少子化=老人社会=経済沈没=日本壊滅」的な自虐世界観で生きている人々を散見するんだけれど、彼らはどういう洗脳を受けているんだろう? 日本より人口密度の低い国も人口が少ない国もたくさんあるのに。
転生があることを示しながらも基本は移動しているだけだったり、
同一世界でありながら膨大な時間軸のために時代が完全に分断されているような作品をどう位置づけるんだろう。
レイアースや十二国記の90年代となろう系のような異世界転生がトレンドにありつつある10年代の間にある
移行期としての00年代におけるファンタジーに対しての世界観のあり方を突き詰めると面白いそうだ。
あとこれだすと胡散臭くなるけど311によって終末論に似たイメージが人々に植え付けられたとして
ハイファンタジーという括りはフラクタル(厳密にはSFだが)で一旦終わり、
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
39 ソーゾー君 [] 2013/03/01(金) 00:23:23 ID:db0rslLA Be:
しかもそのアカデミー賞を決める組織を設立して資金提供してるのも同じ連中だよ?」
「3sって知ってる?あれはWW2
後の日本に導入された事で有名だけど
欧米ではWW2以前から導入されてる政策だよ?ベースは歪解した聖書=終末論=メシア再臨です。」
草加所属の偉大な漫画家テコキ治虫の「ケツマン♂アトム」なんかもろプロパガンダだろ?
放射能と放射線を撒き散らし付近の人を被爆させ飛び回るケツマン♂アトムw
ホラーだなw
アルカイダ=欧米政府別動体=国連の飼い犬=欧州の銀行 家の私兵
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1359207037/
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
月曜日怖い。
残業怖い。
でも土日あっただけマシ。
でも冷静に考えたら新人がこんなこと考えてる時点で破綻してるのかな。
どの業界もわざわざ「苦労して赤字」出してるんだから。それとも儲かってんの?偉い奴(というかいわゆる老害?)
笑って仕事してる上司や先輩が頭おかしいようにしか見えない。あいつら恋人もいないし友人とも遊べないんだぜ?
だから若い連中が頭の悪い飲み会で気を使うことになる。(そして下にしわ寄せが来て新人に)
俺一人会社辞めた所でどうせ何も変わらない。(いや、既に同期一人潰れて辞めたけど)
周りの友人もいつの間にか非正規ばっか。バイトでさえ鬱病とか病んでるよこの国。
早くこの国の経済潰れて欲しい。欧州危機とか株価下落とか円高とかもっとやれよ。
こんな生活を前の世代がやってきたってことは、もう何十年も続けているんだろ?
荒治療じゃないとどうしようもないだろ、もう