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はてなキーワード: 終末時計とは

2017-01-30

自己肯定感インターネット世界的にやばい

分かる人はもうタイトルだけで十分にわかってもらえると思う。

日本世界的に見ればとても恵まれていて、富にあふれる国だ。

それなのに一部の人間は、必要のない世界まで覗き込もうとして、自らの境遇と比べては意味もなく自己肯定感危機さらしてしまう。

理屈ではわかっていても、自分よりも豊かな生活を送る人間がいると、それを妬んでしまうのが人間というものだ。

そもそも自己肯定感というのはとても曖昧価値観だ。

狭い世界であれば十分満たされていたのに、突然視界がひらけたと同時に危機さらされてしまうことがある。

意味が無いことだとわかっていながら、ハリウッドセレブ生活自分生活比較しては、自らの境遇に嘆いてしまうのだ。

しかもそれが世界中で起きている。

勝ち組になれるのなんてほんの一握りなこの世界で、このことは本当にやばい

自己肯定感に飢えた人間がどんな行動をし始めるかなんてちょっと考えればわかるはずだ。

トランプが票を得ることができたのは、正義や正しさを訴える大統領を選ぶよりも、彼を選んだほうが自己肯定感危機から逃れられそうだと思えたからに他ならない。

世界の富より、目の前にある自分たちの富を優先したいと思ったから、彼に票を入れたのだ。

そもそもテロリストの行動原理自己肯定感危機である以上、このことは更に彼らのテロリズムを刺激することになる。

それだけでなく、第二第三のテロリズムが生み出されるきっかけにもなりかねない。

残念なことにカナダテロが発生してしまった。

しかし、そのことに屈して首相非難したり、トランプの考えを肯定するようであればまさにテロリストの思う壺である

まずはみんなでSNSを閉じよう。

自らの自己肯定感をいたずらに満たすことを止めよう。

あなたが満たした飢えは、それ以上に多くの飢えをもたらしている。

言葉の壁なんてもう無いに等しい世の中で、人間感性けが原始的なままに取り残されてしまっている。

そのことが理解できないのであれば、終末時計さらに針を進めることになるだろう。

残された時間はそう多くない。

無いものを妬むのではなく、無いことを誇れる人間に生まれ変わることが、人類に最も求められている進化にほかならない。

2017-01-27

終末時計

30秒進んだっていってるけど、定量的現実時間であと何年なんですかね?

宇宙のどの時間から1日が始まってるのかわからないけど、地球誕生を始まりにしてるとしたら相当余裕あるしトランプ大統領如きで30秒も変わるってどんだけだよって。

人類誕生を起点にするとしたら何処から人類とするかによって10倍くらいスケール変わるから30秒とか誤差だし。

科学雑誌が出してるならきちんとしてほしい。

2016-03-10

世界終末時計を1時間戻す方法を誰か考えろよ!

そしてそれがまたあと数分になる可能性も考えろよ!

2016-01-28

終末時計が零時を回ったら

どんな音楽を流そうか

2015-07-08

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!23

つーわけで今年も七夕終了、竹を燃やしましたと。

まあ燃やす前に吊るされた短冊はきっちり全部読みましたけどね!ウケケケケ。

今年もまた相変わらず

「温い家庭が築けますように」

などと腹筋と想像力を鍛えてくれる短冊も沢山あったんだが(ヌクいならいいがヌルいだと)、

今年は少し別の事が気になった。

普通に竹を見上げただけでも、



世界平和”“世界平和”“世界平和”“世界平和”“世界平和

なんか、やたらとアーチャーがいる。



だいたい「世界平和」なんて単語七夕短冊なんぞで出てくるのは、願いを書こうと思ったんだけど自己の願いを特に思いつかなかった奴が書くせい、という事情はもう解っている。

なので、去年までも皆無ではなかったが、あくまでも少数派だった。

だが今年は多い。やたら多い。目立つくらい多い。

筆跡から見るに年齢層に特に偏りもなく、老若男女が書いている様子。ただ老人は若干少ないか。

何じゃこりゃ、と素直にキモく思えたためその原因について考えてみたんだが、

去年と今年とで参拝者を取り囲む状況が大きく変わったとは思えない。

強いて変わったとするならば、どうにか変化を見出すならば、それは世相の方だろう、とは思った。

ISの台頭だの日本人人質の惨殺だのテロだの特定アジア情勢だの、まあ確かに物騒な事もこの頃多かった。

でもそれは別に、去年の七夕以降に限った話というわけでもないように感じる。

一昨年も物騒だったし、その前の年も十分に物騒だった。

エントロピーは着実に増大し、終末時計の針は刻々と進み、モヒカンヒャッハーする世紀末の訪れも近いね!と感じさせるに足るだけのステキ世界だったように思う。おお末世こわいこわい。

じゃあ何で一体、今年の七夕に限って大勢アーチャーが揃って短冊世界平和とかふざけた世迷言を書き始めたんだろうか…と考えたのだが、

まあ当然の事ながら、誰だって自分かわいいし、見るのは身近で目の前のものばかりだ。

から、私幣(個人的な願いや祈り)ほど短冊に書かれやすいし、公益や公徳を望む願いほど書かれにくい。当たり前のことだ。

では、その当たり前が覆されているのは何故なのかと言えば…

今年あったなにごとかから、乱暴な例えをするならば“第三次世界大戦の端緒”のような、「取り返しのつかなくなりそうなギリギリの状況」みたいなものを皆が何となく感じ取り、それが漠然とした不安となって現れたからこそ、普段あまり書かれない“世界平和”なんて短冊大量発生したのではないか、と感じる。

匿名社会不安煽り立てたい放火魔ではないが、今年の笹の下では普通にそう思えてしまう。



――などという事を、燃え上がる「世界平和」の短冊を竹ごとぶんぶん振り回しながら考えた。(湿気で火の回りが悪い)

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