はてなキーワード: 素数とは
APMOの問題がつまらないのは、p=5のときを見てみたら、フェルマーの小定理も効かないからで、なおかつ、それ以外で素数に関する定理を知らないからで、自分で紙に書いても
私は整数に昔から興味があってなんで整数の問題が解けないのかを考えたときに、考えたことがないか、系統的な訓練がないか、だと思った。
整数論をひたすら研究すると、 自然数と素数はこの世界で別なセットであり、 お互いに関係していない。 だから、自然数と素数の間に関係を見出すのはないだろうと言われていた。
しかし、 自然数と素数は、整数論の世界で、基本的な真理であり、これだけいたるところに出て来るのであれば、何かあるべえではないか?と思われていたところに、普通にありました
というのが、 a^p-1 ≡ 1 mod p であり、
俗本では、 素数の現れ方に規則性はなく、 云々と書いているが、 その素数と互いに素な自然数 a であれば、上のような関係が存在する。
なお
互いに素などと言われるといかにも酷いように思われるが、 p以下の、1からp-1までの自然数は、pと互いに素であるので、 自然数と素数と言う一見無関係なものの間には
このような美しい定理がある。しかし、 小中学生の世界では、 この定理は、フェルマーの発見時代に驚愕されたもので、今の整数論の世界ではあって当たり前だから別に美しいとは思われていない。
数理談話会
会場: ハイブリッド号室(大学院数理科学研究科 大講義室+zoom)
講演者
講演題目
© 2024 東京大学大学院数理科学研究科 ビデオアーカイブ・プロジェクト
講演題目
フェルマーの最終定理は、 x^p+y^p=z^pには解がないという定理として確立したもので、不定方程式と素数という一見無関係なものの間を統一する定理である。
しかし、不定方程式に対する解の不存在性は、無限降下法の他に、まどろっこしい方法しか知られておらず、初等数学界では、どのようにしたらいいのかが知られていない。クンマーのイデアル理論は、z^p-y^pを因数分解して迫る理論である。しかし、それによっても、全部を解くことは出来なかった。1つの考え方として、国際数学オリンピックの問題作成者、解答作成者たちに解答を求めるという方法もあるが、
東京大学を含む学会では、そのアプローチを試みた者は誰もいない。そこでこの講義では、高校生向けに、なぜこの問題が解けないのかの様々な理由を紹介することとしたい。
部屋にあるフェルマーの最終定理と言う本によると、証明の最後のピースは、ロシアの計算機学者のコルイヴァギンが発見したフッラハ法であり、それは美しいものだったので自動的に真でなければ
なければいけなかったのだ、という記述があるだけで、どの程度に美しいのかに関しては評価も何もなかったし、ネットに上がっている論文をみても、フラッハ法を適用?したのかしなかったのかに
大体・・・
x^p+y^p=z^p
は整数解を持たない、 なんでこんな単純なことが証明できないのか? 不定方程式と素数という一見無関係な事柄を関係する問題ともいえる
x^4+y^4=z^4 だと、赤チャートの一番後ろに解答が書いてあって大学入試レベルだが、 x^3+y^3=z^3のときは、学習参考書にもないので、
全部証明になると思ってるだけでそうすることが出来る人はいないだろう。ワイルズの論文みても何書いてるかわからないし、三枝先生の講義も何言ってるのか分からない。
発狂して、スーパーコンピュータ使っても、スパコンでは、フェルマー予想は解けないし。
C×からC×に行くような、アーリュドグループの準同型をとってきたりして? しかしこれは、コリヴァギンフラッハ法という正統な解き方ではないので、別解なので
コリヴァギンフラッハ法がありました
という説明はもう既に、1996年に本が書かれていてそこに大体の歴史は書いてありますが、そういう状態のものを作ることはできないということです、はい。
手ランスタオの定理というのは、 素数と言う基本的なものの中に、どこにあるかは指定されてないが、任意の長さの等差数列が必ず入っているという状態な美しい定理で魅力がありますが
お前を見たときに魅力があるのかないのかというとありません。
ちなみに、素数くらいなら誰でも知っているが、等差数列の方は
東京のメゾンときわ台で暮らしている人の類比からすると、 201号室の人はライフで食べるものを買って来てねているもぐらのおっさんなので
白根ペコマリオが自宅でどんな状態にあるかというのを想像すると
東京のオリジン弁当で食べているサラリーマンが、門川のヘケの仕事ができるとは思わないので、 前者の状態にあるものが突然飛躍して、後者の状態のものになることはないと思う
数学的結論が美しい状態であるとすれば、しかし、ものであるかどうかは数学者が言っていないので分からない。例えば、素数の中にはどんな等差数列でもあるというのは、ものなのか
状態なのか、まだ分かっていない。
仮に状態であるとして世の中の誰もがその届かない状態を目指しているとしても、何をしてほしいのか、一向に分からない。 みんながみんな、何らかの装置や体系を認識し、
そこにいるわけではない。Youtubeをみていたら、頭が腐った状態になって、タテマエが分からない状態になっているかも知れない。しかし、 世の中の残酷なもぐらは、その目の前の相手が
腐った状態になっているのを見ていたり知っていたりしているのを前提で、寝ている間に何かをしようとしているのではないかと思う。そうするとその腐っている方からしたらたまらない。
なおかつ腐っている方は対処や対応のしようがない。それはともかく・・・ 世の中の残酷なもぐらと言っても、誰がそれであるのかにわかに認識し難い・・・
いわなくても分かるだろ、社会にはそうやっていう者がいる。確かに犯罪性は高い。かといって、私が覚醒して移動している間に誰かから切り付けられた体験がない。国道は自動車が走っていると
認識し、ホテルに入ればそこには誰もいない。切り付けられた経験がないから危機感など持ちようがない。
確かに、はるか昔に、かつて、頭がそういう状態になっていたことはあるが、その後に頭を書き換えられたので、その当時の事は頭にない。今は普通に安心してネット動画をみられるような