はてなキーワード: 純潔とは
食べまくって発散
エロいことして発散
集めたいもの全部集めて発散
キレて発散
サボって発散
物事を下に見て優位性を維持
ん?妬みがなんか薄いな
原作の方の修行論の方ならより“なんだストレスの発散方法じゃん”って思いやすいな
食いたがって
ヤリたがって
儲けたがって
泣きたがって
怒りたがって
無駄なことを辞めたがって
偉ぶろうとして
自分以外は下であってほしいとか考えちゃって
ただまぁストイックな奴が『ストイックにやろうと思ったら〜こういうのにぶつかるかもね』って書いてただけのやつなんだよな
そう、罪だとか書いてるけど元は「お前がやり遂げようとしてるものにはこんなに障害があるんだぜ!」の奴でしかなかった
原罪とか言われても、『いや、こっちは全然その欲望との折り合いつけて生きてますけど』って言われたら「あ、そうですか…こりゃまた失礼しました…」で終わる奴だった。
逆にそれに対応した美徳を遂行しようとしたらすげえストレスが貯まるやつだし
節制だの、純潔だの、慈善だ寛容だの、忍耐だの、勤勉だの、感謝だ人徳だの、謙虚だのって文字で並べただけでストレスが溜まる単語ばかりだな、修行論は結局その誘惑を振り切った先に不動の心だ愛だ超然とした状態が持てるだのがあるから“その8つの想念を振り切る利点”がわかりやすかったけどさ。
美德ってなんだよって感じだよな
そう、社会が美徳を維持してくれる人にちゃんと利点を分け与えてくれるならみんな美徳を維持するんだよ、そのストレスが溜まる行為をさ。
純潔であれば肉体にハンデを背負う心配や不貞によってお互いを疑い合わなくて済むし
慈善行為をすればその行為によって人も社会も一時的に助かるからより進歩したものが手に入る可能性が上がるし
忍耐すれば怒りによって破壊されるようなものがなくなるわけだし
勤勉であればどこかで役に立つ知識が増えるかもしれないわけだし
感謝していれば感謝を返されたりして充足感を得たり、返されなくても嫉妬する程ではないと気付けたりするし
そういう見返りがあるなら美徳してても問題ないのよ、多少のストレスは誤魔化せる
見返りが無くて、それこそその信仰を熱心に維持して超然としたい訳ではないなら最初から関係ないんだよな
みんな変に超人にさせられかかってるんだよな
でも中身が人間だから『なんか理解できない〜』ってなって調子がおかしくなるんだよな
そして普通に暴れたりヤッたり、食ったり寝たりして『なんかわかんねえけどストレスなくなったわ〜』ってなるんだよ
何の信仰も抱けねえストレッサーには『そんな発散方法が!』ってなる内容なだけなんだよな
ちゃんと信仰を抱いた時にやっと『まぁ神に祈るっていうオナニーをしてる訳だしそれをもっと気持ちよくなれるところで維持したいなぁ』って神経になって大罪だなんだを意識するんだよな
別に維持する意味がないなら超然人間を維持する為の秘訣で終わる。
それでもストレスは溜まる。
何の宗教にも属していないのに超然人間しててワロタと指差されることもなく、ただただ超然人間を目指すために生きてストレスを溜めることになる。
だからちょっとご褒美で飯食ったり、シコったり、金稼いだり、泣いたり、怒ったり、やる意味がわからんことを辞めたり、自分の実力を上げたり、地位上げたりしてストレスを発散していいんだ
そういう宗教をしてる訳じゃないもんな、俗っぽいと笑われても単なる哀れな人間として生きてるのだから大罪が8つ9つ提示されようがストレスの原因を探して発散していいんだ。
犯罪被害を比較するのがおかしいっていう大前提は横に置くにしても、なぜ性犯罪だけを魂の殺人と呼ぶようになったのかな。
精神的含めて犯罪のダメージが長期にわたることは残念ながら多いし、自殺する人も多くの犯罪被害で見られる。
暴力被害、いわゆるDVの精神的身体的被害の大きさが性犯罪よりも軽いと思えないし、交通事故などでも故意ではないから罪が軽いだけで、被害の大きさそのものは甚大だ。
子どもが事故で殺されるケースは言うに及ばず、本人に障害が残るケースも多く人生を悲観して自殺する人もいる。
最近あったロマンス詐欺で数千万の被害にも近い感覚があって、こんなこと匿名でしかいえないけど一応女の私でも被害にあう前提の二択なら強制性交被害の方がマシだと断言できてしまう。アラフィフになったからか人生でコツコツ積み重ねてきた成果を奪われることが致命的に感じるからかもしれない、恥ずかしさも相まって衝動的に自殺してしまうかもしれないとすら思う。
量刑の軽重を議論することはどんどんやって欲しいと思う一方で、性犯罪だけを魂の殺人と呼ぶ、それらの犯罪とは違うんだという主張には首をかしげてしまう。
これは純潔をどれだけ重要と考えているのかの違いなんだろうか?純潔を重視している人がそういう主張をしているなら理解できる。
YouTubeチャンネル経由で発生した、ストーカー(以下Sで統一)の時系列まとめ
Sは1000通以上の一方的な長文メールを送り、「不同意性交等罪がまだなかったけれど訴えたい」「70万円欲しい」「警察署に相談へ行くよ」と脅しを掛けてきて、無限に複数アカウントを作って、迷惑行為を配信中にしておきながら、「そっとしておいてください」と居直り、どうしようもない状態になっている。
こちらの要望としては、「今後一切関わらないでくれ」の一点だけである。
ちなみに僕自身は、YouTube26000人/TikTok10000人、無名で細々と生きる男だ。
Sが自発的に、「〇〇見たい?」「〇〇したい」「やりたい」などと書き、脱いだ写真/動画を送信してくる
この時点では、『ちょっと積極的な普通の明るい子』だと思っていた為、不快感はなし
■札幌で会う
流れで枕を交わす
翌日以降、ご飯を食べて街巡りし、電話/DMを続けてみたが、生い立ち、会話のテンポ感、文化的ベクトルなど、相性が合わなかった為、付き合うには至らず
■自然消滅(SがLINE/Twitterをブロックしてきた)
■会って半年後に突然、長文で告白DMが送られてくるが、「彼女は作らない」と断った
元カレからの求婚に悩んでいる、ホストにナンパされて添い寝した、茨城出身の彼氏ができた、男の車に乗り込んだらホテルに連れて行かれた、うつ病になった、休職するなど
「やりたい」「結婚してください」「会えなかったら自〇する」など、一方的な感情の暴走が始まる
遠距離だったが、顔と性格と生き様が可愛かった為、復縁や曖昧な状態も含めて、長い事、仲が良かった
この事を、事後的にYouTubeで語ると、「同い年の子を選んだのが悲しい!」と、Sの暴走はますます過激化
■会う約束もなしに、Sが飛行機で札幌に来たが、完全に無視をした
■昼夜問わず長文DM、求めてもいない自撮り画像/18禁動画が届く
YouTubeライブの際も、何十回もブロックしたところで、「責任をとって」「捨てられた」などと、複垢を用いて、長文の迷惑発言を連発する
※4年で3回しか会っておらず、恋人関係にもセフレ関係にも、一秒もなっていない
「付き合う事は100%ない。他者との境界線について学んで、ちゃんと自分の人生を生きて」と説得するべく会う
関わりの拒否を求めたかったが、聞き耳を持たない様子だったので、「あくまでも友達ね、100%、絶対確実に、何があっても、恋が発展する事はないよ。両想いになれる相手を探してね」と強めに伝えた
「当時は、不同意性交等罪がなかった。そのせいで、わたしの悲しさをみんなに伝えられない」「警察署に相談へ行きます」「訴えて70万円くらい欲しい」といった風に、脅しを掛けてくるようになった
そう考え、実行するのは自由だが、枕を交わすまでのDM/LINE/Skypeのやり取りはすべて、SSDに保存してある為、むなしい訴えになるだろう
あまりこんな事は言いたくないが、会う前から、ほぼ全裸の動画を送ってきたり、Sから馬乗りになって来ておいて、望み通りの関係に至らなかった瞬間、曖昧ながらも金銭的な願望を口にして、『不同意性交等罪』を連呼するのは、脅迫行為なのでは?
さらには、「わたしの考えを否定して、関わりを拒否をするのは人権侵害だと思います」などと、暴論までぶちまける始末だ
■「一度デートしてくれたら終わりにする、この関係を忘れられる」との事で、短時間ながらも、最後の最後に会う
この時、僕の失敗として、「わたしはストーカーじゃないよね?」の問いに、Sの心を落ち着かせるべく、「ストーカーではないけれど、どんなに連絡して来ようと、会うのはこれが最後だし、どうしてもタイプじゃないから、恋愛の可能性は0.1%もない。ちゃんと自分の人生を取り戻してね」と伝えてしまった事で、Sは都合良く、前段の言葉、『ストーカーではない』だけを脳裏に焼き付け、自己正当化を覚えてしまった
■そうこうして今に至るまで、「二度と関わるな」と伝え続けているが、「これは関係の前進だ」「どんなに怒られてもエンタメだ」と歪んだ解釈をする為、心底迷惑している
まず一つ言える事として、僕は社会の道外れ者、本名/顔出しの配信者として生きている為、こんなリスクは織り込み済みだ。
山もあれば谷もあり、光もあれば闇もあり、躁もあれば鬱もある。
そら持たざる者が、ありったけの力でネット世界を走っていりゃ、大問題の一つや二つ、当たり前に発生するだろう。
でもその分、心優しき視聴者さん達が、ヘリコプターに乗せてくれたり、タクシーを貸し切りにしてくれたり、焼肉や寿司をご馳走してくれたりと、数々の救いを与えてくれる。
僕は元より社会不適合者であり、ずっと不安定な人生を歩んでいる為、なんなら、明日死んでも良いと思っている。
……と言ったように、狂いを受け入れている僕だから、アホみたいなストーカーが出現しようと、「こんなもんは人間社会のちょっとしたエラー」と捉えて、心を守れる訳だが、もしもこれが、普通の生活をする労働者だったら、どうなるのだろう?
こうした、ごくごく一般的な男女関係において、自分の思い通りにならないと分かった瞬間、『不同意性交等罪』を叫び、金銭的な願望を喚き、「裏切られた」「捨てられた」と集まりの場で騒ぎ立てる。
そのような女性に引っ掛かった場合、相当に苦しいのではないだろうか?
ちなみに僕自身、社内恋愛、ブログオフ会、チャットサービス、ネット掲示板、ホスト、ストリートナンパ、YouTube、TikTokなど、あらゆるところで、様々な女性と絡んで来たけれど、ここまでおかしい奴には、はじめて遭遇した。
本件のストーカーは、「わたしは一途な乙女」という自己認識があるのかもしれないが、はっきり言って、かなり醜悪なモンスターでしかない。
神学校がルーツの中学/高校に通っていたらしく、意識的には、「純潔なわたし」を保とうとしているが、育ちによる自己愛の不全や、現状に対する不満により、無意識に野蛮になってしまい、その二律背反を解消すべく、「わたしを汚した!」という幼稚なピュアさを誇るのだろう。
表現の自由がある国ゆえ、何をどこで叫ぼうと、どうぞご勝手にといったところだが、出会い頭のホストと添い寝し、街でナンパされて雑に付き合い、求めていない卑猥な写真を大量送信し――など、純潔とは程遠い行為をしておいて、自分に不都合が生じた時だけ、「純潔なわたしをもてあそんだ」「レペゼン地球みたいな奴らと同類」などと、高潔さを気取りながらヒステリーを起こす。
そして、数え切れないほど、「タイプじゃないから付き合えない」と伝えているのに、「理由が分からないから辛い」とゴリ押しして、被害妄想を膨らませ、悲劇のヒロインになってゆく。
『タイプじゃないから付き合えない』を曖昧な言葉として許さないなら、残酷非道なワード選定でもって、地獄の果てまで叩き込んでしまうが大丈夫か?
もちろん、対人関係はリスペクトありきゆえ、そんな愚かな真似はしない訳だ。
その為、仲良くなれない理由を問われるたび、「話のテンポ感が合わない」「文化的ベクトルが違う」「雰囲気がマッチしない」「好きになれるキャラじゃない」などと、小出しの答えを投げ込むのだが、「あの時のわたしは、本当のわたしじゃない。本心で接していないから、そう思うのは間違っている」といった寸法で、可能性を無限拡張してしまう。
はっきり伝えておくと、無限のパラレルワールドに、無限なるあなたが存在していたとしたら、こちらも無限のお断りをするくらい、根本からタイプじゃないので、「あの時に、ああしていれば」と考えるのは無駄でしかない。
ここらで、一度と言わず、何十、何百、何千、何万度と冷静になって考えて欲しいのだが、この約4年間で3回しか会っておらず、元彼でも元セフレでもなく、何かを貢がせた訳でもない、すこぶる浅い関係にも関わらず、一方的に配信を見て、妄想して、暴走して、「貴重な時間を奪われた!」「なぜ責任を取らないんだ!」などと、いつまでも発狂するのは、幼稚園児の駄々っ子と変わらない。
なにをとち狂っているのか知らないが、『デートして枕を交わす』=『絶対に付き合う』という異常なる図式が、大脳に刻み込まれているのだろうか?
肉体的な相性が合わなかった場合は?
そうした諸条件がうずまく中で、運命が味方する事もあれば、死神が舞い降りる事もある。
それこそが男女関係――残酷なる色恋沙汰……本能の営みって奴だ。
『愛とは差別』なる言葉もある通り、誰かを好きになる世界とは、誰かを嫌いになる世界でもある……という事を、ゆめゆめ忘れるな。
こちらとしてはこの数年、散々、DMや配信のコメント欄で、好き勝手に言われ、それでもSの本質には触れず、傷つける事なく、なんとか去ってくれるのを期待していた。
しかし、Sの蛮行はおさまりを見せない為、致し方なく、こうした文章を書いている。
また、ストーカーの狂った解釈で、「これだけ本気で書いてくれるのは、きっと愛が残っている証だ」などと、さらに厄介な存在になるかもしれない。
だからこそ伝えておくが、容姿、人格、雰囲気、脳内メカニズム、あなたの発する生物情報のすべてが嫌いだから、好きになる事は不可能だ。
動物的にも人間的にも受け付けない為、今後一切、関わらないで欲しい。
さらに言えば、僕をイメージする事で生じる、あなたの微弱な波動すら不快でしょうがない。
一刻も早く、僕に関わろうとするのを辞め、自分の道を歩んで欲しい。
※ストーカーへ、本文に関する、あらゆる感想/意見/反論は、断固として受け付けません。
個人情報も記載しておらず、なんの名誉毀損にもならないゆえ、たとえ、「わたしの本心と少し違う」などと感じても、知ったこっちゃない。
そもそも論、あなたは家族でも友達でもありませんから、あーだこーだと御託を並べたところで、一文字残らずノイズでしかなく、まったくもって興味を持てません。
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。