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はてなキーワード: 納屋とは

2022-04-19

コンスタンチノフスカヤ・風街ろまん納屋バタレヤ

コンスタンチノフスカヤ・風街ろまん納屋バタレヤ

★JGF6+X6 セバストポリ

2022-02-21

私自身が経験したわけではないが伝え聞く限りでは1980年頃までの日本田舎では魚屋ハエだらけで、水洗トイレなんて無く、住宅不足で納屋に住みながら長男家族にいびられる。 そんな世界だった。

それが2000年を過ぎる頃には一般家庭でもインターネットが利用できるようになり、子供を産むたびに市から補助金バンバカ出るし、小中学校にまでエアコンが当たり前。

しか私たち年金負担が大きいことは不満だが、先人が作ったインフラ恩恵を受けている以上は先人を尊重する必要はあるだろう。

本当の不満は今の負担が大きいということよりも、その負担の見返りを将来受けることが出来ないという予測からくる悲観だと私は感じている。

でも、将来に年金を受け取れる社会にするのは私たち自信の責任だと思う。 そういう社会が欲しいならそういう社会を作るのは私たちである

今の老人たちも決して安穏とした生涯をくらしてきたわけではない。 先人の残した恩恵を受けつつも先人の残した (あるいは作り出した!) 社会問題の解決に奔走した。

そんなことは人類歴史上ずっとずっと続いてきたことだし、仮に老人達が悪の権化だという証拠を突き付けても私達の処遇改善されたりはしない。

改善したければ自分でやるしかしょうがない。

不利なスタート地点に立たされてしまったのは腹立たしいが、だからこそ他人事ではなく私達がやらなければならないことだ。

2022-02-08

納屋で見つけたおっさん宇宙人ちょっとしゃがれた声で

「E・D … E・D …」

って指(意味深)を差し出してきた

2022-02-07

anond:20220207020843

 その明くる日もごんは、くりを持って、兵十の家へ出かけました。兵十は物置でなわをなっていました。それでごんは、うら口から、こっそり中へ入りました。

 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家の中へ入ったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがった、あのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。

 「ようし。」

 兵十は、立ち上がって、納屋(なや)にかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。ごんはばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家の中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが目につきました。

「おや。」と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」

 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。

 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。(おわり)

2021-10-02

anond:20211002071524

地主電車に乗らないぞ みんな車だ

納屋にはコンバインより安いLexusが止まってるよ

2021-07-08

かわいがっていた野良猫に飼い主がいたことが判明。

飼い主はご近所、斜め向かいの家。

野良猫にしては異常に人慣れしているので、飼い猫だったのが捨てられたのかな、なんて思ってた。けどそもそも飼い猫だった。

そのご近所の方は他にも猫をたくさん飼っているとかで、室内飼いしてたけど家の中に場所がなくて、最近放し飼いになっていたとか。

しかにそのお宅の納屋の上にいるのをよく見かけたし、そこの家の人が車で帰ってきた時にはトコトコと近づいていってた。そういやそこのお父さんが玄関先で作業されている時にそばで眺めている猫を見かけたりもした。

けど、まさかそこのお宅の飼い猫とは思わなかった。首輪もしてなかったし、うちに頻繁に遊びに来てたし。朝も昼も夜も夜中も遊びに来てたし。きっと人慣れした野良猫でご近所でも私のように可愛がる人が何人かいるんだろう、くらいに思ってた。

今朝、玄関のドアを開けるとその猫がいて。その場から動かなかったのを、眠いのかなと思って自転車のカゴに乗せた。猫はそのまま寝てた。ここのところ自転車のカゴはすっかり猫の定位置だった。もうすぐお昼になるという頃に、玄関先で夫と女性が騒がしく話す声が聞こえて、何事かと聞いたら、猫の飼い主だと。見当たらないから探していたとの事で。

猫は昨日足をケガをしたらしく、病院に連れて行くとご近所の女性は言って猫を引き取っていったらしい。道理調子が悪そうだったなと思った。

ケガもしているのだし、猫はもう当分の間ちゃんと室内飼いにされるだろう。病院に連れて行ってくれるちゃんとした飼い主がいて良かった。ほんと良かった。でももう猫に会えなくなるんだなと思うとさみしい。

2021-06-26

猫大好き

うちの近所にやたら人懐こい野良猫がいる

うちにもよく遊びに来る

餌はやらず、ブラッシングおもちゃで遊ぶくらい

あとは膝に抱っこしてのんびりするくらい

けど、この猫ちゃん、ぜんぜんケモノ臭くないことに最近気づいた

クンクンしてみても全く臭くない

ということは、他所ちゃんとした飼い主、もしくは地域猫管理グループがいるんだな、と思った

そもそもこの猫ちゃん、近所に定位置がいくつかある

斜め向かいのおうちのタンクの上、反対向かいの家の納屋の上、など

近くのおうちの車が来たら、駆け寄っていったこともある、先日は玄関先で作業されている近所の方の近くをウロウロしてるのを見た

案外かわいがっている人は多いのかもしれない、と思うとちょっとホッとする

2021-05-24

傘がある

うちには傘がある。たくさんある。

大人2人、幼児1人、赤子1人にたいして20本ある。

ここ数年、わたしが買った傘はせいぜい5~6本。主にビニールじゃない傘で、折り畳みと日傘も含まれる。

残りの傘はすべて夫が買ったビニールうちには傘がある。たくさんある。

大人2人、幼児1人、赤子1人にたいして20本ある。

ここ数年、わたしが買った傘はせいぜい5~6本。主にビニールじゃない傘で、折り畳みと日傘も含まれる。

残りの傘はすべて夫が買ったビニール傘。

数年前に同じことでキレ、「徒歩数分の場所から帰宅するだけなのに買うな。職場に置き傘せえ。雨が降るときは傘を持ち歩け」と口酸っぱく言ったが一向に改善せず。

本人はおそらく数百円のものから買ってもいいか、という考えのよう。

その考えが、今に至る。

家に不必要ものを置きたくない派のわたしとしては、とても嫌な状態

ありますよねー「とりあえず」でコンビニで買い物したついでにスプーンとかおはしをもらってため込んでおく人。

あれね、すごく、嫌なのよ。

すぐ使うんならいいけど、使わないんなら今家に置いておく必要ないんじゃないですか?

外でゼリーやお弁当を食べるのならスプーンいるけど、家で食べるんなら家にある食器で良くないですか?

断捨離をしたいわけじゃないけれど、住んでる家のスペースは限られているし、モノをため込んだところで使わずにいて最終的に捨てるくらいだったらそのスペースに何かしら必要もの収納しておく方が建設的じゃないですかね?

ごみ収集芸人マシンガンズ滝沢さんの本を読んだせいもあって、ごみの捨て方にこだわるようになってしまった。

そもそも実家がわりと片付いている家だったので物があふれている状態ちょっと嫌。

実家の、全員が住んでいる家は片付いているが、旧家と納屋にはよくわからない農具や使い古しの家電があちらこちらにおいてあるのでちゃんと片付いているとは言えないかもしれない)

っていうか傘なんて2、3本あったら良くないですか。

これはわたし価値観であって夫としては10本欲しいのかもしれない。

「いいものを買ってもなくしたらやだ」といってやすものをゴンゴン買う。

そのやすものの金額で、いいものが何本か帰るんじゃないですか?

とにかく、家に使わない傘が何本もあって必要な傘をとるとき邪魔になって腹が立ってしまうので、なんとかしてもらいたい。

夫になんとかしてもらいたいのは、余分な傘を買ったのが私ではないから。

いくら邪魔でも、一応は人が買ったものなので勝手に捨てるわけにはいかない。

数年前にキレて「壊れてる傘は捨てろ。捨てないなら私が燃えないごみで捨てるからな」と前置きして捨てた。

なんだ?

テメーで処分したくないだけか??

と、それも含めて腹が立っている。

2021-04-24

anond:20210424143609

本当にはてなユーザー自国歴史を知ろうとしないな。

増田の言うとおり、昭和から平成初期の日本は、まんま施設主義だったんだよ(まあ欧米もそうだが)。

府中療育センター闘争」とかご存じない? 入所者は今のウイグル民族ばりに虐待されてたよ? 映像資料もあるけど? ま、十年後には歴史の闇に消えてるかもね。

で、その虐待はどうやって救われたと思う? 利用者自身ハンガーストライキをする事で問題視されたんだよね。つまり障害者自身で立ち上がったわけ。日本って優しいしすぐれてるなあ。

しかも、府中療育センターなんて氷山の一角昭和以前は障害者虐待時代だった。施設だけじゃないよ。精神障害者ってだけで爆弾の振る監視穴?にぶっこまれたり(NHKで見た)。視覚障害ってだけで子供の頃から納屋隔離されて毎日木製バットで殴られたり(知り合いのおじいに聞いた。おじいは成長して東京に出た。工場で務めて何とか生き抜く事ができた)。日本って優しいしすぐれてるなあ。

で、脱施設の流れになったのは、別に日本が優しいからだけじゃない。すぐれてはいるのかもね、身の保身に。

まずは外圧1975年障害者権利宣言があったから、それに乗らないといけなかった。我が代表堂々退場す意味も度胸もないからね。その上、アメリカ様もADA法とか作って、ますます施設の流れになったわけ。乗るしかないでしょこのムーブメントに。

それに、脱施設国民ひいては霞が関にとって悪い事ばかりではない。

なんせ施設コストがかかりすぎる。障害者であれば支援もせずに、施設にぶち込むとなれば。今自立出来ている人もまとめてぶち込まないと行けないわけである。まあ、すごい量の施設必要になるよね。

そしたら、次は殺すにはどうすればいいかって考えるよね。でも、そんな事ナチスぐらいしかやってないからね(T4作戦)。中国が表立ってやらないぐらいなんだから。まあ、優しいすぐれてる日本ならやってもおかしくないけど。

というわけで、障害者サイドの自立運動が盛んにはなっていたものの、カネの問題霞が関が自立を推奨してるって事情もあるわけ。

その割に、障害者嫌いの日本人が伊是名さんを叩いている現状はウケるね。

伊是名さんはバリアフリーの為に店舗異動しろとかアホみたいな事を言ってる過去もあるけど、障害者が自立して生きるためにバリアフリーを充実してほしいと言ってるのが主な主張なわけ。しかも、鉄道全部エレベーターつけろとかじゃなくて、JRは事前に行けない駅の情報提供しろってのがメイン(J-CAST記事)。それを寄ってたかって叩いてるんだから障害者には自立して欲しくないって事だよな。じゃあどうして欲しいんだろうな彼らは。

霞が関も「あほやなあ国民」とゲラゲラ笑ってるよ多分。

でも、一番ヤバいのは伊是名さんみたいな裕福な障害者と、今伊是名さんを叩いてるような奴らがタッグを組んだ時だな。そこで、自立できない障害者死ね、という流れになった時だ。

重度障害者や静かに社会的に殺されかねないな。障害者だけじゃねえ、超無能の俺も殺されるかもしれん。昭和日本のことを考えれば、いや最近でも国連の「障害者権利に関する条約」の批准先進国で最も拒み続けた日本なら、十分ありうる未来や。なんせ優しいすぐれてる日本からなあ。間違いないわあ。

2021-03-29

自殺できなかった

うつ病を3年間患っている。

新卒の時に入った会社いじめにあったのがきっかけで3年も苦しんでいる。

いま勤めている会社には不満はほぼない。

それでも死にたい

どうして密な眉納屋を山からなみやはなかたせ

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2021-02-07

昭和8年の資料

納屋掃除してたら、昭和8年発行の種痘証明書が出てきた。

真っ赤な紙だから赤紙!?と思ってドキッとしちゃった。まぁ赤紙も探せば出てくるんだろうけど

うちのじいさんが受けた時のものらしく、シミだかカビだかで少し汚くなってるが、保存状態は良好だと思う。

ただ、個人情報だしこれに何の価値があるかって言われると正直特にないよなー。

調べたら昭和8年は88年前で、国際連盟脱退の年らしい。

今のうちにスキャンなりコピーして、資料として寄付するとかも考えたけど、個人情報だし迷惑なだけだよなー

このまま朽ちさせるのももったいないけども

2021-02-03

実家暮らしとは言ってもそこは

知る人ぞ知る

納屋風呂場旧脱衣所暮らしなので

まぁなんとかします以外の問いを待たない環境だなぁ

2021-01-17

雪国の人ってバイクどうしてるんだろ?

冬は屋根付きの納屋の中?

それともそもそもバイク乗ってない?

2020-12-01

anond:20201201031952

無機質な見た目だけど無機質(たとえばサーバー倉庫)にも非常に良くない、使い道がわからない箱

農家納屋として芋を入れてねずみ対策でもしたかったのだろうか

2020-11-22

その匂いはもうすぐお前では無いあるいはネズミーランド洗濯機遅刻

実家にあるネズミにやられた洗濯機掃除納屋しまってから1週間近くが経過したけれども何だか

いわゆる母親の死後の弔い合戦のような言葉無意識的なコピーが終わりになっている気がする

まぁ洗濯機掃除したときは切れましたけど

まぁ人が死んだら洗濯機を替えてやるのが……礼儀なのかも知れません

2020-11-20

anond:20201119234440

懐かしいな。実家の周りも昭和50年代初めまでは舗装されていなかった。

家は近所でも一番最後まで五右衛門風呂が残っていて、なんと昭和63年まで現役だった。近所の大工さんやってる家から薪を分けてもらって、祖父が薪割りして釜にくべてお風呂を沸かしてくれた。夕方、家の中は燻されたような匂いでいっぱいになった。途中で湯がぬるくなったら大声で呼んで、父か祖父が追い焚きをしてくれた。

当時はまだ男にも家事の割り当てがあった。

祖父夕方になったら家中ゴミ箱からごみを集めて焼却炉で燃やす(禁止されていなかった)。生ゴミ堆肥用に。回収日に金属ごみを出しに行くのも天ぷら油の処理も祖父仕事だった。

さな畑と田んぼしかなかったので農業での現金収入はないが、家族が食べるぶんの野菜を育てるのも祖父仕事だった。それから農具の手入れも庭仕事も。

祖母家事分担は私と妹の子守り、自分祖父のぶんの洗濯掃除。父と母が勤めに出た後、全員の茶碗洗ってくれるのも祖母だった。午後みんなの洗濯物を取り込んで畳むのも祖母料理は苦手だったので主に母が作った。祖母はあと内職の仕事をしていた。その間子供子供同士勝手に遊ぶかひとり遊び。大人に遊び相手をしてもらった記憶はあまりない。宿題も見てもらってなくて、一人で適当にやってた。

母が1番働いていて、朝起きたら田舎の広い家の掃除食事の支度、夕方は6時ごろに帰ってきて、また食事の支度と洗濯洗濯物は納屋一角に干す。

祖父が元気だった頃は父はあまり家事はしていなかったな。子どもたちにとってはただただ口うるさい父であった。

両親は共働きだった。北陸では珍しいことではなくて、祖父母もその昔は共働きだった。祖母は母が嫁いでくるくらいまでは工場事務員仕事をしていた。

というか、私は小さい頃、専業主婦なんてサザエさんドラえもんみたいな架空の話の中でしかたことがなかった。

近所はみんな三世帯同居で、両親共働き。地区にはアパートなんて洒落ものもなかったし、親と同居せずに夫婦だけで住む場合もっと町中の便利なところに居を構えたからかなあと思う。

もし万が一専業主婦がいたら、働かない嫁って言われそうだな。いなかったけど。

そういえば家の電話が親子電話?っていうやつで、たまに受話器を耳に当てると、近所のおばちゃんの話し声が聞こえたんだけど、あれなんだったんだろ。

あと昭和の思い出で覚えてること、、駅の近くの踏切は、横に詰所みたいのがあって、国鉄の人が手動で安全確認して遮断機を上げ下げしていた。

蛍がたくさんいた。

明治まれ曽祖母洋服じゃなくて着物を着ていた。志村けんコントで着ていたみたいなやつ。曽祖母は自宅で療養していて自宅の畳の上で亡くなった。曽祖母が亡くなった時、家に大工さんが来て金ぴかの祭壇を作ってくれて、自宅で葬式をした。

平成の初め頃まで土曜日半ドンだった。私は高校卒業まで土曜日学校行ってたな。休みがなさすぎる。

週休1日だった代わりに両親ともバブル前は定時で仕事を終えて帰ってきてたな。夏場なんて明るいうちに家に着いてた。それだけは羨ましい。

2020-11-16

anond:20201115231806

その脱穀機の名前唐箕じゃないかな?ばあちゃんちの納屋にあったよ。元増田は米農家?好きな品種は?うちははるみ!

2020-11-01

納屋コンクリ床を掃除した結果浮き出てこびりついてる黒いのあれネズミのクソだぞたぶん掃除人僕ちゃん経験ダメージ感で言うと

あーあやっちまったなあ

まぁデッキブラシでゴシゴシやれるまでご老体のクソ親父も入らないほうがいいですよ

実家納屋コンクリ掃除9年ぶりぐらい

いろんなもん吸って辛えなぁ

物多くて半分も床出ねえし言い訳程度のユニット畳拭いても何か体にダメージあるし

とにかく食ってうんこ製造するしかなかった

クソ親父にエアコン使ってる部屋との温度差で湿気が納屋に溜まるんだよって叫んどくの忘れた

あとは誰だ窓開けとくの意味ねえとか嘘ついたやつ

繰り返しま

換気という言葉意味があるように窓を開けとくの意味があるんです

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