はてなキーワード: 粗忽とは
最初の頃は「怖い人」だった。
入社前、若手の先輩が内定者と社内の人の懇親飲み会を開いてくれた時、今の上司と出会った。
大学生でフォーマルな装いとしては就活スーツくらいしか持っていなかった私は、何を着て行くべきか散々迷った末、先輩の「普段通りの服でいいよ」との言葉を信じ、ジーパンとセーターで参加した。それが本当にいつもの装いだった。
のちに上司となるその人は、パリッとしたスーツを着たキャリアウーマンで、周りがおじさんばかりの中、負けずタバコを吸いお酒を飲んでいた。こういうバリバリした人もいる会社なんだなあ、と思った記憶がある。
飲み会も終盤になった頃、上司は吸っていたタバコを消しながら、「その服装は社会人と飲むにはカジュアルすぎる。それくらい気遣いをしなさい」と言った。
正直、先輩の言うこと違うやん、社会人こええ、と思った。
入社後はしばらく関わりはなかったが、案件の相談をすることがあった。「あの人は厳しい」という噂を聞いていたので、いつもビクビクしながら相談していた。
毎度、その場限りの解決策ではなく、私の提案内容に一歩踏み込んで「もっと営業として自分で動かないと」と、檄を飛ばしてくれていた。上司でもないのにそこまで首を突っ込んでくれる人はいなかったので、珍しいなと思っていた。
二年目になって直属の上司になった。それからは、もうひたすら怒られた。最初の半年くらいは様子見でそこまで怒られなかったものの、何か相談するたびに一点は怒られた。やる気あるのか、本当に決める気あるのか、お前は記憶する気があるのか、バカなのか、お客様のこと考えてるのか、それで相手が満足すると思うのか。
怒られるたびに周りが聞き耳立ててるように感じるのも辛かった。上司ほど仕事に熱意を持てないことが苦しかった。営業の仕事はイエスだけでは進まない。相手に無理を言ってお願いしたり、嫌がられてるものをなんとか進めなきゃいけないこともある。そんなとき私は人に嫌われるのが嫌で逃げてしまうが、上司はそんな弱さを許さない。やりきるところまでやりきって、それで案件に負けるなら仕方ない。やりきる前にやめてしまうのは何も意味がない。私が日和った案件は上司が最後まで取り組むこともあった。
一度マジギレされた後、自分のフロアにいられず他のフロアで先輩に愚痴をこぼしていたことがあった。わたし、営業向いてないのかもしれないです。毎日怒られてるし。そういう私に、同じく上司の檄をくぐり抜けて来た先輩は、あの人がそこまでいうのは育てたいと思ってるからだよ。と諭してくれた。そのとき上司から電話がかかって来て、さっきは感情的になってしまったことの謝罪と、アドバイスの要点を再度伝えられた。上司のような大人でも感情的になること、またそれを反省して改めて電話してくれたことに驚き、なんだかツンデレのような対応に笑ってしまった。
上司の下で働いて三年目、相談した際10回に1回は褒めてもらえるようになった。考えが足りなくても、とりあえず行動力を生かして客先にひたすら行ったりする姿勢を評価してもらえた。相変わらずアポの日付を間違えたり、持ってく契約書を忘れたり、粗忽者としかいえないようなミスで怒られることもあった。
四年目、大きな案件が取れた。今まで上司に80%力を借りていてやっていたが、その案件は30%くらいの力を借りて、残りの70%は自分で決められた案件だった。初めて、ではないが、心から大きな笑顔で褒めてもらえた。契約書をもらって来たときにはやったね!と両手を広げて抱きしめてもらえた。ふくよかな胸元が暖かかった。そういえば母にももう何年も抱きしめてもらってないな、女性に抱きしめてもらうなんて何年ぶりだろう、そんな風に思ったのを覚えている。
その案件以降運が続き、大きな案件が複数取れた。私だけの力ではないが、度々表彰されることで自分も仕事ができるような気になって来た。昇格もさせてもらった。気づけば後輩もできて、それなりに数字も持つ、中堅どころになっていた。
同時に、慣れてしまった仕事について物足りなさを感じて来た。もっと大きな挑戦がしたい。その思いが強くなった。
前からいずれ他の部署で挑戦してみたい話はしたことがあった。今の部門でやりきってからにしろ、と頭ごなしに否定する上の人もいた。上司にその話をした際には、真剣に聞いてくれた。自分でいくつか異動先を交渉し、新しい部門に移ることになった。
異動するいまになって、この想いを書き留めておこうと思ったら、上司のことしか出てこなかった。上司の存在が自分の会社人生の中でどれだけ大きかったか、今更になって思い知った。
上司とはプライベートな話はほとんどしない。電車の移動中も案件やチームメンバーのことばかり話している。社内で人と距離を詰めるには、プライベートを少し曝け出したほうが仲良くなりやすいが、上司にはそれは関係ない。仕事の距離感で、純粋に仕事の結果、仕事の姿勢で評価してもらう。それが心地よかった。自分が、”若い女性”として、何かを許してもらったり軽んじられたりすることもある中、上司はそういった甘えはなかった。人として、営業として、評価をしてもらっていた。
上司からは、営業とは何かを教えてもらった。人を育てるとはどういうことかを教えてもらった。人の叱り方を教えてもらった。諦めないとはどういうことか、やりきるとはどこまでやるのかを教えてもらった。大きな案件に取り組むチャンスをもらった。給与も上げてもらった。昇格もさせてもらった。後輩育成のチャンスももらった。
私は上司に何が返せたのか。数字はベテランに比べれば全然できないし、まだまだ未熟なところも多く、相変わらず逃げてしまうこともある。今朝も怒られた。後輩とは仲良くなれるものの、育てたとは言い難い。ダメな部分をあげればキリがないが、完璧になることもない。そう思って新しい挑戦をすることを決めた。もらったものほど返せてないのは痛いほど実感している。それでも自分のわがままを通して異動を決めた。だから、これからの頑張りで返すしかないのだと思う。
こんなに面倒見のいい、厳しくも優しい上司の下で働けることは、もうないのだと思う。その機会を棒にふる自分も馬鹿だと思うが、それでも他に行きたいと思ったのは自分だ。自分で決めたことだから、自分で納得するまで、今度は上司に教えてもらったことをとことん他の場所で実践しながら、結果を出せることころまで、頑張り抜きたい。
言葉にしきれないが、本当に上司のことを尊敬している。いつか私が部下になったら、あなたのようになりたい。上司そのものになることはキャラクター的にできないけど、あなたの哲学を受け継いで、愛に溢れる、影響を与えられるような人になりたい。
最初の頃は「怖い人」だった。
入社前、若手の先輩が内定者と社内の人の懇親飲み会を開いてくれた時、今の上司と出会った。
大学生でフォーマルな装いとしては就活スーツくらいしか持っていなかった私は、何を着て行くべきか散々迷った末、先輩の「普段通りの服でいいよ」との言葉を信じ、ジーパンとセーターで参加した。それが本当にいつもの装いだった。
のちに上司となるその人は、パリッとしたスーツを着たキャリアウーマンで、周りがおじさんばかりの中、負けずタバコを吸いお酒を飲んでいた。こういうバリバリした人もいる会社なんだなあ、と思った記憶がある。
飲み会も終盤になった頃、上司は吸っていたタバコを消しながら、「その服装は社会人と飲むにはカジュアルすぎる。それくらい気遣いをしなさい」と言った。
正直、先輩の言うこと違うやん、社会人こええ、と思った。
入社後はしばらく関わりはなかったが、案件の相談をすることがあった。「あの人は厳しい」という噂を聞いていたので、いつもビクビクしながら相談していた。
毎度、その場限りの解決策ではなく、私の提案内容に一歩踏み込んで「もっと営業として自分で動かないと」と、檄を飛ばしてくれていた。上司でもないのにそこまで首を突っ込んでくれる人はいなかったので、珍しいなと思っていた。
二年目になって直属の上司になった。それからは、もうひたすら怒られた。最初の半年くらいは様子見でそこまで怒られなかったものの、何か相談するたびに一点は怒られた。やる気あるのか、本当に決める気あるのか、お前は記憶する気があるのか、バカなのか、お客様のこと考えてるのか、それで相手が満足すると思うのか。
怒られるたびに周りが聞き耳立ててるように感じるのも辛かった。上司ほど仕事に熱意を持てないことが苦しかった。営業の仕事はイエスだけでは進まない。相手に無理を言ってお願いしたり、嫌がられてるものをなんとか進めなきゃいけないこともある。そんなとき私は人に嫌われるのが嫌で逃げてしまうが、上司はそんな弱さを許さない。やりきるところまでやりきって、それで案件に負けるなら仕方ない。やりきる前にやめてしまうのは何も意味がない。私が日和った案件は上司が最後まで取り組むこともあった。
一度マジギレされた後、自分のフロアにいられず他のフロアで先輩に愚痴をこぼしていたことがあった。わたし、営業向いてないのかもしれないです。毎日怒られてるし。そういう私に、同じく上司の檄をくぐり抜けて来た先輩は、あの人がそこまでいうのは育てたいと思ってるからだよ。と諭してくれた。そのとき上司から電話がかかって来て、さっきは感情的になってしまったことの謝罪と、アドバイスの要点を再度伝えられた。上司のような大人でも感情的になること、またそれを反省して改めて電話してくれたことに驚き、なんだかツンデレのような対応に笑ってしまった。
上司の下で働いて三年目、相談した際10回に1回は褒めてもらえるようになった。考えが足りなくても、とりあえず行動力を生かして客先にひたすら行ったりする姿勢を評価してもらえた。相変わらずアポの日付を間違えたり、持ってく契約書を忘れたり、粗忽者としかいえないようなミスで怒られることもあった。
四年目、大きな案件が取れた。今まで上司に80%力を借りていてやっていたが、その案件は30%くらいの力を借りて、残りの70%は自分で決められた案件だった。初めて、ではないが、心から大きな笑顔で褒めてもらえた。契約書をもらって来たときにはやったね!と両手を広げて抱きしめてもらえた。ふくよかな胸元が暖かかった。そういえば母にももう何年も抱きしめてもらってないな、女性に抱きしめてもらうなんて何年ぶりだろう、そんな風に思ったのを覚えている。
その案件以降運が続き、大きな案件が複数取れた。私だけの力ではないが、度々表彰されることで自分も仕事ができるような気になって来た。昇格もさせてもらった。気づけば後輩もできて、それなりに数字も持つ、中堅どころになっていた。
同時に、慣れてしまった仕事について物足りなさを感じて来た。もっと大きな挑戦がしたい。その思いが強くなった。
前からいずれ他の部署で挑戦してみたい話はしたことがあった。今の部門でやりきってからにしろ、と頭ごなしに否定する上の人もいた。上司にその話をした際には、真剣に聞いてくれた。自分でいくつか異動先を交渉し、新しい部門に移ることになった。
異動するいまになって、この想いを書き留めておこうと思ったら、上司のことしか出てこなかった。上司の存在が自分の会社人生の中でどれだけ大きかったか、今更になって思い知った。
上司とはプライベートな話はほとんどしない。電車の移動中も案件やチームメンバーのことばかり話している。社内で人と距離を詰めるには、プライベートを少し曝け出したほうが仲良くなりやすいが、上司にはそれは関係ない。仕事の距離感で、純粋に仕事の結果、仕事の姿勢で評価してもらう。それが心地よかった。自分が、”若い女性”として、何かを許してもらったり軽んじられたりすることもある中、上司はそういった甘えはなかった。人として、営業として、評価をしてもらっていた。
上司からは、営業とは何かを教えてもらった。人を育てるとはどういうことかを教えてもらった。人の叱り方を教えてもらった。諦めないとはどういうことか、やりきるとはどこまでやるのかを教えてもらった。大きな案件に取り組むチャンスをもらった。給与も上げてもらった。昇格もさせてもらった。後輩育成のチャンスももらった。
私は上司に何が返せたのか。数字はベテランに比べれば全然できないし、まだまだ未熟なところも多く、相変わらず逃げてしまうこともある。今朝も怒られた。後輩とは仲良くなれるものの、育てたとは言い難い。ダメな部分をあげればキリがないが、完璧になることもない。そう思って新しい挑戦をすることを決めた。もらったものほど返せてないのは痛いほど実感している。それでも自分のわがままを通して異動を決めた。だから、これからの頑張りで返すしかないのだと思う。
こんなに面倒見のいい、やさしい、母性溢れる、厳しくも優しい上司の下で働けることは、もうないのだと思う。それを棒にふる自分も馬鹿だと思うが、それでも他に行きたいと思ったのは自分だ。自分で決めたことだから、自分で納得するまで、今度は上司に教えてもらったことをとことん他の場所で実践しながら、結果を出せることころまで、頑張り抜きたい。
言葉にしきれないが、本当に上司のことを尊敬している。いつか私が部下になったら、あなたのようになりたい。上司そのものになることはキャラクター的にできないけど、あなたの哲学を受け継いで、愛に溢れる、影響を与えられるような人になりたい。
何度もありがとう。
読んで、ちょっと考えてから思考停止になってスマホから書き込もうとしたら辿り着けなくて遅くなりました。
えらそうではないです。
むしろ、こんな状態でなければそういうものだよねと思ってる側だと思います。えらそうに似たような言葉をかけたこともあるんだけど、そうは思えなくなったりするんだなという感じ。明確な主張があるわけじゃなく、そう思える余裕がないというか。
潔癖だとかそういう風にくれた言葉もこれまで何回か言われたことがある。
けど、実際は粗忽者でだらしがなくて、甘やかしてくれるひとに甘えるだけ甘えて、不義理を重ねてだらしなさを加速させた結果がここなんだと思う。
自分が招いた結果なので、誰のせいでもなく、それがこの前の瞬間に許せなくなったってところが完璧主義とかそういうところにかかるのかな。
かけがえのないと言ってくれたけど、自分以外のかけがえのない、周りにある素晴らしい存在をふみにじってるようにしか思えないんだろうなって。
(実際はそんな人のことまで考えてるつもりないし余裕もない、勝手なものです)
ほんと、ちょっとしたことの積み重ねがつもりつもって嫌になっちゃったんだなと。
何度も貴重な時間を使って書き込んでもらってるのに、勝手なことばかり返してすみません。
ありがたいと同時に、そのやさしい心を、ご自分の大切にしているひとやものに向けてください とも思います。
良いようには考えられそうにはないですが、かけてもらった言葉はなるべく思い返すようにしたいです。
思うに人間の理解能力ってのはあんまりにも小さくて、何かを受け止める事が本当にできない。
それは、いわゆる小説的なテキストを理解する能力が人間によってはびっくりするほど低いってことだけじゃなくて、現実世界で起きてる様々なことを咀嚼して取り込む理解力が根本的にかけているということこそが中心だ。
ごく一般的な人間は、何か事件が起きた場合、その理解をするために、相当に圧縮をかけて、派手な見出しをつけて、感情移入ポイントをマーキングして――もっと粗忽に言うのならば脚色して戯画化しないと、それを理解することができない。
たとえばマスコミのニュースだ。国の政策や予算という、基礎的な情報が全部オープンになっていて、それに対する研究論文が溢れていて、ほとんど正解といえる説が定まっていることでさえ、仕分けだとか節約だとか国民一人あたりの借金だとか、そういう次元に落とし込まないと理解が出来ない。そして当然戯画化されたその理解は、現実の理解としては粗悪品なので道案内としても役に立たない。人間の理解能力は、本当に限定的だ。びっくりするほど限られたテンプレートの、個人の感情ベースのことしか、人間は受け取ることが出来ない。
人間は様々なことを理解できないし、その最たるものが自分の人生だ。自分の気持ちは自分がいちばんよく分かるとか、自分の人生は自分自身で理解できるとか、まるで嘘っぱちだ。人間は五感で入力された情報を99%廃棄しないと理解できないし、それ以上に何か起きた物事をあるがままに受け止める精神的な強靭さにかけている。
ブッサイクに生まれた男がいたとして、その原因は遺伝子とか節制とかあるだろうが、「そう生まれなければならなかった理由」なんてものはない。他でもないその男がそのような顔に生まれつき、そのことで傷つき、劣等感を抱え込まなければいけない理由なんてものは(宗教的には前世の因縁とか解説されるが)存在しない。
人間社会で起きることの大半は、大きな意味で言えば偶然で、要するに運だ。俺が日本人として生まれてきたのは運だし、50年代ではなく70年代に生まれたのも運だ。そういう意味でいまスマホを持っているのも運だし、個人用の飛行車を持っていないのも運だ(もう50年もすれば所持できるかもしれない)。富裕層である場合もそうでない場合も運だ。もし俺が、まだ65歳なのに寝たきりになってしまった要介護の父親を抱えているとして、それもまた運でしかない。でも、ただそれだけのことが、多くの人間にとって正面から受け止められないほどの苦痛を伴う。
人間はそういう世界とか摂理とか人生とか運命の有り様を、本質的には受容できる能力がない。
だから、普通の人間は物語の中でしか、つまり物語という形に希釈した現実でしか、生きられない。納得できない何かを納得して生きていくためには物語が必要だし、そもそも物語がなければ人間の現実把握能力はおそらく犬猫レベルでしかない。脳という解釈機関を搭載している以上、すべての人間は物語の中を生きていくしかない。
そして他人を理解するためにも物語が必要だ。自分の人生ですらまともに飲み干せないのに、他人のそれなんてとてもじゃないが手に負えない。ダイジェストのダイジェストにして、初めて人間は他人の人生に触れることが出来る。あるいはそれはあんまりにも恣意的な抜粋で、もしかしたら相手の気持ちを無視したストーカーの妄想のようなものでしかないかもしれないけれど、人間はそういう形でしか他人の人生に共感することが出来ない。
そういう虚構に虚構を塗り重ねたような先で俺たちは社会を形作ってるのだけれど、その社会がないと現代において人間は人間として生きられない。
人生に物語は必要だ。「人生に物語は必要ないという物語」でさえ必要だ。
唯一の救いは、おそらく俺以外の全員も、つまり全人類がその程度のポンコツだということだ。同病相哀れむとお互い様の間で、よろめきながら存在できるというのは、多分最悪よりはかなりマシな状況だと言えると思う。
本題に入る前に、いくつか検討を行うべき点がある。
社会に流通する特定の表現を具体的に名指しして『有害』と評価する場合、その評価の責任は、そのような評価を下した主体が負うのが一般的である。
例えば、都道府県の定める条例に基づき『未成年者の健全育成に有害である』と評価された特定の出版物を、『有害図書』に指定し流通を差し止める場合があるが、その指定(あるいは指定の基準)の責任は当の都道府県が負う。
実際に、都条例(「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)の条文が変更され、近親相姦描写が指定の根拠に加えられた際、またその条文を根拠として実際に書籍が『有害図書』に指定された際に、都を批判する声が少なからずあった。表現を『有害』と評価する主体はその評価について責任を問われる、という社会的通念が如実に現れた実例と言えるだろう。
『有害情報』はインターネット上に流通する表現についての評価であるが、これも評価の主体が責任を問われるという点は『有害図書』の場合と同様である。
例えば、特定のウェブサイトが、検索エンジンサービス・セキュリティソフトウェア・フィルタリングソフトウェア等によって『有害』と評価され、アクセスを妨げられた場合、その評価の責任を当該サービスないしソフトウェアの提供者が負うという点については、広く合意されるところである。
どのような表現を『有害』と評価するか、具体的な線引きについては評価の主体により差はあれど、大別すれば、「援助交際や違法薬物の取引」といった実際の犯罪行為と一体のものと、「(現実・架空の別を問わず)暴力・性行為・犯罪行為の描写」といった未成年者の閲覧に不適切なもの、の2つである。
このうち後者について、評価の主体が行政ないし公的機関の場合、表現の自由や知る権利とのバランスを取る必要から、未成年者による閲覧を抑止する施策(ゾーニング)が講じられていれば表現そのものを禁止はしないという形を取ることが多く、またそのような施策が予め講じられた表現に対して『有害』か否か積極的に評価することは(必要が無く、にもかかわらず上記のような責任を無用に負うことになるので)避ける運用となるのが通例である。
他方で、ゾーニングの必要性の有無を判断するのは表現を発表する側であり、通常これは『有害』評価を下す側とは別であるから、『有害』ギリギリのラインでゾーニングが行われることはない。すなわち、表現を発表する側はより大きな安全マージンを取り(安全側に倒して)ゾーニングを実施することになり、そして上記のとおりゾーニングされた表現については『有害』評価が保留されがちであることから、もし仮にゾーニングされていなかったとしても『有害』とは評価されなかったであろう表現がゾーニングされてしまっている(が、そうとはわからない)という例も珍しくないはずである。
したがって、ある表現がゾーニングされているからといって、その表現が直ちに(例えば行政や公的機関などの評価主体の判断に照らして)『有害』であるとは断言しえない。
業として表現を流通させている者(出版社や小売店、ウェブサービスなど)がゾーニングを実施するのは、上記条例をはじめとする法令を遵守することが第一義的な理由と考えてよい。そしてそれらの業者を介して自身の表現を流通させんとする個々の表現者は、業者との契約や規約に基づく形でゾーニングに同意し、間接的に法令を遵守することとなっている。
このことは、当該法令の理念や目的や基準について、必ずしも表現者は賛同ないし納得はしてないけれども、業者を利用する都合上その定めに従っている、というケースが内包されている可能性を示唆する。より具体的に言えば、表現者自身は「未成年者にとって性的表現は有害ではない」と考えていたり「この程度の性的表現は『有害』にあたらない」と考えていたりした場合でも、業者を利用するため業者が実施するゾーニングの基準に従った結果として(あるいは、閲覧者の利便性を図る手段としてゾーニングを活用する意図で、もしくは、自身の思想と食い違っても「悪法も法なり」という判断の下)法令を遵守している、というケースがありうる。
同時に、上記のとおり行政や公的機関はゾーニング済の表現への『有害』評価を保留するので、動機はどうあれゾーニングに従っている以上、自身の表現が『有害』にあたることはない、という意識が表現者にあったとしても不思議ではない。これは逆に言うと、『有害』評価を下されること=ゾーニングの努力を怠った粗忽者ないし社会に迷惑をかける厄介者のレッテルという意味を包含し、表現者にとってのスティグマとして機能しうる。
著作物の二次利用は原則的に著作権者の許可を要するが、著作権法32条により『引用』であれば無許可に行うことができる。正当な『引用』と認められるには「引用部分とそれ以外の部分の主従が明確であること」「引用する必然性があり、その必要な量のみの利用に留まること」「出典を明記すること」などの要件を満たさなければならない。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
しかしながら、著作権法113条6項には、次のような条文がある。
これは上記の『引用』と矛盾するように見えるが、そうではない。無許可で『引用』することはできるが、その結果として著作者の名誉・声望を害したら著作者人格権の侵害とみなされる、という形である。つまり、理論上は、正当な『引用』であっても著作者人格権の侵害になる場合があるとされており、ゆえに「例の論文は『引用』の要件を満たしてるから法的にセーフ」とする主張は、全て誤りである。
このような条文があると、否定的な論評・批評のための引用ができなくなるのではないか、と心配する向きもいるかもしれないが、意見表明による名誉棄損を免責する『公正な論評法理』が、上記条文における「名誉又は声望を害する方法」の当否判断にも準用され、否定的な論評・批評のための引用も内容の公益性や妥当性次第で免責されると考えられている。
例の論文では、R18としてゾーニングされた10作品を標本として利用しているが、ゾーニングされていることをもって直ちに『有害』であるとは言えず、またその作者らが自らの作品の『有害』性を自認していることにもならないため、「この10作品は『有害』である」との評価は自明ではない。
にもかかわらず、論文ではこれら10作品を「『有害情報』のフィルタリングアルゴリズムの学習用データ」と位置付けており、このことはつまりこれら10作品が『有害情報』の代表例であるという評価を下しているに等しい。その際、法令や制度あるいは他者によって定義された『有害』評価に準拠する旨の記載がないため、この『有害』評価は論文著者が主体的に行っているものと解され、その責任は論文著者が負う。
これら10作品が『有害情報』の代表例として紹介されたことは、作者らにとってスティグマとして機能することが懸念され、名誉・声望を害したと言えるのではないか。
整理すると「論文著者が主体となり10作品を名指しで『有害』評価したことが、10作品の作者らの名誉・声望を害したと疑われる」。
論文ではこれら10作品に含まれる性的表現を引用しその意味内容を批評しているとは言えるが、『有害情報』の代表例としてこれら10作品を名指ししたこと自体について十分に論証するだけの記述が割かれ『公正な論評法理』に適う内容になっているか、といえば、議論が分かれるように思う。少なくとも「論ずるまでもなく法的にはセーフ」とは断言できないと考えるが、どうだろうか。
10人規模のこじんまりとした会社につとめているんだけど、今年の3月に転職してきた女性がいた。仮にAさんとする。
高校卒業後、地元の会社で働いていたんだけど、上京してアパレル関係に転職し、その後そこそこ知られている上場企業で営業をしていたが、うちの上司の知人からの紹介で、私の会社に入ってきた。
うちの会社は本当に小さいんだけど、とある商品を扱う業界で独自の立ち位置を築いている。それなりに堅調に業績をのばしていたところ、もう少し取引先を増やすために営業体制を強化したいねということで、社長のつてでその人を新しい営業として雇うことになったのだ。
上場企業の営業……と言われると、なんとなく「髪の毛巻いているキラキラバリキャリ女子」がやってくるのかなと思って、いまだに森ガールみたいな格好が好きで北欧っぽいインテリアに囲まれて暮らしている社会人3年目の私は戦々恐々としていたんだけど、やってきたのは、短めの黒髪ボブにすっぴん、服装はいつもシンプルなパンツスタイル、中学からバスケを続けている、という体育会系の空気をまとった34歳の女性だった。
森ガールみたいな格好と北欧が好きとはいえ、基本オタクで女子校育ちの私は「タイプは違うけど、こういう人なら仲良くなれるかも……」と思った。うちの会社は本当に社長の人脈だけで保ってきた会社だから、営業経験のある人がやってくるのは心強い。Aさんが話すこれまでに手がけた仕事の実績や、地元の話などもおもしろく、私をふくめた社員たちは多大な期待で迎え入れた。
しかし、これがやばかった。Aさんは半年にわたって私たちを悩ますことになる。
最初に違和感を感じたのは、Aさんが「やたらと他の人の仕事に口を出し始めた」ことだった。
営業とは関係ない他人の業務のやり方に「前職では〜」「常識的に言えば〜」とやたら口を挟んでくる。私は弊社では4年目でAさんより先輩だけど、社会人経験が長く、大きい会社にも勤めていたAさんの言うことにはそれなりに一理あるのかな、と思い、最初したがっていた。
しかし、そのくせ、こちらがAさんの業務にかかわることで質問をすると「いや、それは知識があればそういうふうに考えないんですよ。営業の世界では常識なんですけど」というようなことを言ってきて、論理的な根拠などは説明してくれない。
口を出すのは業務そのものだけではない。職場でのふるまいの一つ一つにも、Aさんは「小さい会社の社員はこれだから……」と批判をしだした。
朝礼のときに新人の子が隅の席に座っていたら、「会社で一番歳の若い人間が一番隅にすわっているなんてありえない」と言ってくる(なぜか私に)。
たしかにあまり見た目に頓着していないバイトの女の子について、「あの子を見てると、人間って見た目が大事だなあって思うよね」というメールを送ってくる(なぜか私に)。
見た目も仕事もきちんとしているバイトの子にすら、「なんかさー、動きが男にこびていて嫌なんだよね」という悪口を言う。
私の化粧がちょっと簡略化されている日には、「社会人女子として化粧はマナー。いい加減にしろ」と言ってくる(自分はスッピンなのに?)。
来客用の紙コップがめずらしく切れたので近所に買いに行く話をしていたら、「前職ではちょっとの経費を削減するためにこまめに電気を消したり、紙コップは大量にまとめ買いしたり、隅々にまで気を使っていました。この会社のコスト意識はちょっと低いんじゃないでしょうか」と言ってくる(ふだんはアスクルで仕入れていて、このときは運悪く切れただけだ)。
定時にはかならず間に合うように来ている人に対して、「若手は普通は15分前には着席しているのが当たり前」と文句を言う。
そして人にいろいろ言うわりに自分のほうは、仕事中でもまったく仕事に関係ない猫の動画を観ていたり、恋人と別れただとか最近気になっている人がいるなどという話を仕事中にメールしてくる(興味のない人の恋バナほど苦痛なものはないと学んだ)。
さらに前職の同僚の誰それが結婚したけどすぐ離婚したとか、婚約していたと思ったら婚約者に浮気相手がいて妊娠が発覚して婚約破棄されたとか、誰と誰が不倫していたとか、私達の全然知らない人間の不幸話をしきりにシェアしてくる。
みんなで雑談をするときにも、そういう不幸話を話して、「ねえ、どれが一番嫌?」というような持って行き方をするから、話しかけられるたびに憂鬱になった。
個人的に「やっぱこの人やばいんじゃないかな……」という気持ちが高まったのは、私の誕生日だった。小さな会社なので、社員の誕生日には誕生日ケーキを用意する習慣があり、私の誕生日にはAさんが素敵なケーキを用意してくれたのだが(そのケーキは確かに美味しかった)、残ったロウソクを私が放置したという理由で怒りの長文メールを送ってきたのだ。え、残り物のロウソクって、祝われた人が持って帰るべきものなの? 社会の常識だった? それにしてもそんなに怒る?
定時より早い時間に打ち合わせが入っていたときに私が「あ〜定時前に予定があると、『なんか仕事した』って気になっちゃいますね。午後休とっちゃおうかな」と冗談で言ったときもブチ切れメールが来た。「私はいつも定時前から準備をしているし、世の中にはあなたよりもっと早い時間から仕事をしている人もいるし、あまりにも意識が低い発言だ」みたいな内容だった。意味がわからなかった。
あと、一度、会社のおじさんとAさんが似たような灰色の服を着て出社していたときに、私が間違えてAさんが通りがかったときに「あ、◯◯さん、ちょっと聞きたいことが〜」と呼びかけてしまったことがあるんだけど、すぐ謝ったのに、おそろしい形相で頭を叩かれた。「え、いくら何でも殴ることないんじゃないですか?」と反論したら、「犬や猫だってしつけないときかないでしょう」と返された。たしかに私は粗忽なところが多々あり、「気が利かない」と怒られることも多いんだが、会社の同僚に「犬や猫」と言われるとは思わなかった。
「まあちょっとクセの強い人なんだろうけど、わざわざ大きいところをやめて、来てくれたんだから」と我慢していたのが、いよいよ「たとえ仕事ができるにしても、この人はどう考えても会社の雰囲気を乱している。このままでいいのだろうか」と社員たちが考えだすようになり、重大な事実が発覚した。そもそも、Aさん、営業の仕事ができなかったのだ。
やたら打ち合わせに出たりランチミーティングを入れているくせに、うちの商品を扱ってくれる会社が、一向に増えない。「今日も新しいところを5件はしごしてきた」とか言うくせに、社長ひとりでやっていたときに比べて取引先は数件しか増えず、売上も横ばい。
信頼している知り合いの紹介ということで様子見をしていた社長も、社員からの評判のイマイチさがいよいよ高まっているということで面談。いろいろ話すうちに、これまでの業務内容についてどんどんボロが出てきて、結局「営業経験はあるけれど、この会社の扱っている商品へのアプローチに対しては、私は成果を出せない。そもそも、この業界についての知見がないことは最初から話していた。それなのに私を雇ったそちらが悪い」というようなことを言い出し、社長と大げんかした。
Aさんは社長と大げんかした日、深夜0時にLINEをしてきて、「今ちょっと電話いい?」と聞いてきた。よくねえよ、と思ったけど、めんどくさいので電話に応じた。自分がいかに仕事に一生懸命取り組んできたか、社長が最初に提示してきた仕事内容と自分が実際にさせられた仕事がいかに違ったか、前職との文化の違いにいかに戸惑ったか、「増田さんも君のせいで困っている」と言われたがそれは本当なのか、などということをえんえん2時くらいまで話された。「聞いていた仕事内容と本当に違ってもうしかたないって言うんなら、やめたほうがお互いのためだと思うし、やめたくないなら求められている仕事内容をやるしかないんじゃないですか」と答えた。ちょっとかわいそうに思ったので、「Aさんがうちの会社のために、いろいろ考えてくれてるのはみんなわかってますよ」と励ました。でも電話を切ってからすごいむかついてきて、自分がAさんのどういう行動に違和感を持っていたかを説明したメールを書いて翌朝送った。次の日に返信がきて、すべての件について長文で言い訳が連ねられていた。「あなたがぶっちゃけてくれたから私も言うけれど、なぜ増田に厳しく言うのかといえば、社会人歴も浅い、しかもうちの会社のみ経験のあなたが心配なのよ。苦労すると思ってるから言ってるの。実力も才能もあると思ってるから、10年後のことを考えて言ってるの」と書いてあった。とてもそうは思えなかったので、返信はしなかった。Aさんは会社をやめた。10月のことだ。
あんなに仕事のできない人、退職して一体どこに行くんだろうと思っていたら、なんと、誰でも知っているような上場企業のマーケティング部だという。転職1日目に、彼女がLINEで喜々として報告してきた。え、同じ営業での転職でも「知見がないからできない」とか言ってた人が、今度はマーケティングって、なおさらできないんじゃないの? 聞けば、それもやはり知り合いのツテで、正式な面接を経たものではなく、フリーランスでの契約なのだという。美人でおじさんを転がす、というタイプではまったくないんだけど、体育会系の空気を身につけて自信満々に実績を語るから、なんかおじさんに気に入られやすいのだと思う。
Aさんがうちの会社を離れてから、職場環境は驚くほど快適になった。毎朝嫌な夢を見て目を覚ますこともなくなった。もうAさんにはかかわりたくない。
マジで一切かかわりたくないんだけど、十年来の友人から毎日彼女の愚痴が届く。そう、彼女が転職した先には、私がずーーーーっとAさんのことを相談していた友達がいるのだ。
うちの会社にいたときの愚痴を散々聞いてもらっていたぶん、相手の愚痴にも耳を傾けねばならない。ただ、そちらの企業はとても健全で人事体制がととのっており、しかも営業やマーケティングをしている人間も多いので、働き始めて2ヶ月で、彼女の仕事のできなさに気づいているのだという。「試用期間中にどうにかしたいよね」と友人は言っていた。
やっぱり、端々の態度がおかしい人って仕事もできないものだ。そのことにもっと早く気づくべきだった。知り合いづてで後から聞いた話によれば、彼女が弊社に来る前に在籍していた会社の人たちも、だいぶ迷惑を被っていたらしい。Aさんがいなくなって、会社の雰囲気はだいぶ取り戻されたけれど、半年間Aさんに払われた給料とか、Aさんが信頼を失わせた取引先とか、私ふくめた社員の士気とか、そういうものは戻ってこない。私も転職しようかなあ……。
かなりの長文になってしまった。まず1.から3.でとりあえずの経緯。4がちょっと長すぎる注釈というか補足資料。
かつてはたしか「アルファブロガー(死語)」にも選ばれたはず。現在はTwitterが主戦場。フォロワーは1万人を超える。俗に言う「軍事クラスタ」の一般人の中では、その知名度と攻撃性、「面倒くささ」においてトップクラス。2ちゃんねる国防板には、彼について語る専用スレ「オブイェクトスレ」まである大立者だ。
ツイッターやブログ、mixiで彼に突然説教され、一字一句をあげつらわれ、訂正を強要され・・・不愉快な思いをした人は数知れず。往時に比べ数は減ったものの、未だ熱狂的なシンパも存在する。彼らはJSFのことを本気で「魔王」だと思っている。
しかし、彼の知識は一見豊富に見えるが、実は付け焼刃だ、との声は昔から多かった。しかし、彼に反論しても、多数の「信者」の反発・突撃がその声をかき消した。また「軍事クラスタ」の有識者は、そういう面倒を恐れて沈黙を守り、結果としてJSFらの増長に手を貸した。
そして、決定的に彼が馬脚を現したのが、3.11原発事故だ。彼は核兵器や原子炉にも造詣が深いと自称していたのだが・・・知る人ぞ知るJSFの致命的失言「メルトダウンとかおきるわけないでしょう」については後ほど。※■1
JSFは以前から、Twitter上でオスプレイを徹底的に擁護していた。「欠陥機呼ばわりは許さない」のが基本。※■2 軍事知識が乏しそうな一般人相手に「教育的指導」するのが彼の日課というか生き甲斐と化していた。
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今年4月、モロッコでオスプレイ墜落2人死亡。Twitter上でもオスプレイ批判が増える。それでも必死に擁護し続けるJSF。あまりに必死すぎて、次第に論理構成が粗雑になっていく。これは彼の昔からの癖だ。
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そして先月、彼はこう高らかに宣言した。
JSF (ω・っ \з @obiekt_JP
@twinseagull あ、ブログも今度の週末には書くから。Togetterはその前の簡易纒めね。オスプレイがマンハッタン上空を飛んでる動画と中国リャン国防相が搭乗した事と事故率の計算と環境影響評価書と、特集コーナーも付ける。最近流れてるデマにも全部ツッコミ入れるよ。 #普天間 2012年6月12日 https://twitter.com/obiekt_JP/status/212550559088132096
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ところがその2日後、フロリダでまた墜落。ついに一般メディアにまで延焼。ヘタすると日米関係に影響しかねない雲行きに。
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今や完全なアンチスレとなったオブイェクトスレなど一部では「『魔王』様、週末すぎたけど約束の記事は?w」と揶揄する声。私は「JSFの手口からしてブログの内容は想像がつく。恐らくこう書くだろう」と、あらかじめスレにいくつか書き込んでおいた。アンチスレなので、JSFは当然それを読んではいない。
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そして7/11未明、JSFが満を持して?ほぼ1カ月遅れでブログを連続UP。だが、内容はやはりTwitter発言の繰り返し。新味ゼロ。内容スカスカ。それに、私が「多分彼は(論拠になってないが)論拠として貼るだろう」と予想した動画をそのまんま貼ってるのだから笑える。
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で、スレの該当URLを付けてブログにコメントしようとしたが、何度やっても弾かれる。httpをttpにしてもダメ。分量を減らしてもダメ。そこで、リンク先などのURLをかなり削除したらすんなり投稿できた。http://obiekt.seesaa.net/article/280176542.htmlコメント2.~4.がその私の投稿。
この件を明確にするため、さらにコメント5-7を投稿。なお、スレの元URLはhttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/war/1337359150/880-883 (あと数日で落ちるはず)これを細工して、やっと投稿できた。
↓
ちょうどこのころ、JSF本人が私の投稿に気付いたようだ。私のコメント2-7のうち5-7を削除。間一髪の差で魚拓は取れなかったが、スクリーンショットは撮った。現在のコメント欄と比較してほしい。http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/145757.jpg http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/145759.jpg
いちおう、削除されたコメント5.~7.を以下に示す(一部改行を詰めた)。
(5.)
>>4.の続きというか・・・
ブログ主は、おそらく、「某スレ」のURL関係でNGワードを設定しているらしい。
何度やっても、分量を削ってもダメだった。
こういう姑息なことはやめようよ。
ちなみにもう一度言っておくが、上記の書き込みは7/1のもの。「その17」の880-883。
で、ブログ主はその予想通りのエントリを仕立ててしまったということだ。
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月11日 01:29:32
(6.)
>>5.の続き。
この状態なら貼れるかな?
http://eng●awa.2ch.net/test/read.cgi/wa●r/1337●359150/880-883
なお、このスレはもう950を超えているので、あと数日で落ちると思われる。
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月11日 01:37:26
(7.)
>>6.の続き。
やっぱり。自分にとって都合の悪いスレは、URLごとNGワードに登録ですか。
これはちょっとどうなの?
↓
そしてAM2時ごろ、再度書き込みを試みたが、すでに私はアク禁にされていた。同時にUPされた他のエントリ※■3 にも書き込みたかったが、もうそれも不可能になった。
その意味では、私のコメント7は消されるだろう、とは思っていた。「どうせ削除されるだろうが、他人の目に触れずとも、本人が一度目にし、少しでも反省してくれれば」との思いで書いた。
http://obiekt.seesaa.net/article/120144841.html http://obiekt.seesaa.net/article/133736708.html http://obiekt.seesaa.net/article/167737856.html 「基本ルールは一つだけ。記事題材と無関係な話をしない事」「記事違い投稿でなければ異論反論であろうと削除はありません」
私のコメント5-6は、2-4と一体で、出所及び作成日を明らかにするため不可欠だ。よって彼の管理ポリシーには抵触しない。余計な文も混じってはいるが、そもそも、まさかスレのURLがNG対象とは思っていなかった。URLが弾かれてしまう以上、やむなくURLを分断して投稿した。それすら消してしまうのは明白な隠蔽行為だ。
http://obiekt.seesaa.net/article/136573066.htmlのコメントNo.216以降を参照。今はどうなのか、私には確かめる術がない)
ならば、「風圧の問題はどの機種のヘリコプターでも起こりえます」の表現は明らかにおかしい。直ちに訂正すべきだ。例えば、ライト級のロビンソンR22が、オスプレイのように太い樹木の幹をヘシ折るとでも言いたいのか?
「風圧の問題はどの機種でも起こり得るが、その危険性・影響は機種によって大きく違う。円板荷重の大きい大型機ほど危険」が正しい。で、オスプレイのダウンウォッシュは、物理法則・実測値のいずれも、明らかに現用ヘリの中で最大級だ。
さらに、CH-47のスマトラでの事案を引き合いに出しているが、これとて、オスプレイならもっと酷いことになるだけの話だ。
あ、もし訂正するなら、訂正履歴が分かるようにね。以前、私が、彼のブログエントリで明らかにおかしい点を指摘したら、
>メルトダウンとかおきるわけないでしょう
>馬鹿は黙ってろ
>核物理学を知らずに騒いでる人の頭の方がお天気です
こういう修羅場でこそ、その人物の本当の人間性が見えてくるものだ。改めて見直しても、その粗忽さ、無知、無駄な攻撃性・・・酷すぎる。正常性バイアスとチェリーピッキングの塊だ。
そもそも、「十日以上放置しない限り心配は要らない」の30分後に「メルトダウンとかおきるわけないでしょう」とは何なんだ。他にもツッコミ所満載だが、長くなるのでもう止めておく。
こういう活動を彼は日々たゆまず行っている。この情熱はいったいどこから来るのか。特徴は、ほとんどの人が日頃互いにフォローしているとは思えない人ばかりなこと。恐らく「オスプレイ」でエゴサーチし、獲物を探しているのだろう。そして「また論破した!」という快感に酔っているのだろう。
https://twitter.com/obiekt_jp/status/166908488235237376
https://twitter.com/obiekt_jp/status/177219528068050946
https://twitter.com/obiekt_jp/status/177212460149907456
https://twitter.com/obiekt_jp/status/177240511546011649
https://twitter.com/obiekt_jp/status/177372378593099777
https://twitter.com/obiekt_jp/status/177362314981416960
https://twitter.com/obiekt_JP/status/205656428755693568
https://twitter.com/obiekt_JP/status/210503539691241472
もうアク禁で書き込めないので、ついでに寸評しておく。
①『オスプレイのモロッコとフロリダの事故』http://obiekt.seesaa.net/article/280173146.html
「事故率は…若干悪い程度」と認めたのは一応評価しよう。まだオスプレイは累積飛行時間が少ないので、事故が起こる度に数値が大きく跳ね上がる。
そんなことすら考慮せず、上記にもあるように「ここ10年の海兵隊機で最も安全!」などと浮かれていたわけだ。
フロリダでの事故の直後、お仲間のdragoner_jp氏が珍しく苦言を呈した。名指しこそしていないが、JSFに遠慮して何も言わないのが通例の軍事クラスタでは異例のことだった。
前々から言っているけどさ、オスプレイの事故率云々で安全、と言う事にはあまり意味がないんだよ。バートルより安全だとしても、落ちる時は落ちるんだから、事故率ばかり言っていると、事故多発した時に言い逃れできなくなるんよhttps://twitter.com/dragoner_JP/status/213153265238540289
参考値を絶対の指標として用いると、後で痛い目見るよhttps://twitter.com/dragoner_JP/status/213154138761084928
それと、ブログのリンク先の英文にあるが、「ヘリモードでは、後続機は先行機の250ft以内及び後方5時~7時方向に入ってはならない」と書いてある。つまり、75m以上離れなければならない。ろくに編隊飛行すらできないということだ。それほどオスプレイのダウンウォッシュが強烈だ、ということの一つの証明でもある。
また、これは、操縦士に厳密に守らせるのは非常に難しそうだ。先行機が急に速度を落とすなど、いくらでもありそうなシチュエーションだ。「操縦士に改めて教育しました」だけでは、また似たような事故が起きるだろう。
②『FAAとオートローテーション』http://obiekt.seesaa.net/article/280181863.html
これもJSFが日頃さんざん言っていることだが、理屈として成立してない。オブイェクトスレでは5月時点で終わってる話。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/war/1337359150/222
222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 00:39:27.62 ID:co9DeStc
@sawada0515 @KarinDog そもそもパワードリフト機(ティルトローター機)にオートローテーション機能は必要無いとFAAが裁定を下すんじゃないかな。これからアグスタウェストランドAW609(民間型ティルトローター)が形式証明を取るから、それで分かる。 #普天間https://twitter.com/obiekt_JP/status/207022478852235264
オスプレイがFAAを取得してないのは民間市場にはオスプレイの技術から派生したAW609を投入する予定だったから。AW609はパワードリフト機(ティルトローター機)としてもうすぐFAAを取得する予定なので、FAA取得云々という難癖付けはもう出来ませんよ。#普天間 #futenma https://twitter.com/obiekt_JP/status/207073470469775361
FAAはそもそもパワードリフト機にオートローテーション機能を要求してないんじゃないかな? オートローテーションの有無をFAAに絡めてオスプレイを批判する行為は、オスプレイの兄弟機AW609のFAA取得で否定されると思う。 #普天間 #futenma https://twitter.com/obiekt_JP/status/207074400359559169
近い将来、アグスタウェストランドAW609が民間用パワードリフト機としてFAAを取得する。→AW609の飛行特性はオートローテーション機能を含めV-22オスプレイと同一である。→FAAはパワードリフト機を市街地で使って良いとお墨付きを与える事になる。#普天間 #futenma https://twitter.com/obiekt_JP/status/207093339948982272
・・・普天間タグまでつけて、何度も何度も同じことを言ってるけど・・・
そのAW609って、開発開始の1996年からもう16年。初飛行2003年からでももう9年経ってるが、未だ実用化できず。
しかも、そのFAA取得「目標」は2015年から2016年w まだまるまる3年先の話だし、さらに遅れる可能性もある。
普通の商業用航空機なら、初飛行から1年でFAAを取得するのも珍しくないのに。
それだけティルトローターは色々とややこしいということだ。
それに、JSFは「AW609がFAAを取得すれば、イコールV-22の安全性の証明になる」的なことを平気で言ってるが、
これまたアホとしか言いようがない。
だいたい、AW609の最大離陸重量は8t弱。オスプレイは3倍以上の27t級(VTOL時は22t)。
エンジンも機体規模も全く違う。共通点は「ティルトローターである」ということだけ。
言うまでもないが、FAAライセンスは、各機種それぞれの安全性を総合的に審査して与えるもの。
JSFの脳内世界では「1機種が取得したら他のティルトローターも全部安全!」そんな理屈が通るらしいw
たとえAW609が取得しても、まったく機体規模・空力特性・重量・エンジンの違うオスプレイまで証明されるわけではない。こんな単純な話を、なぜ「軍事クラスタ」の連中が放置しているのか不思議でならない。
それに、例の円板荷重で言えば、AW609も依然高いが、オスプレイよりは低く、CH-53並みの77kg/m2程度で納まっている。オスプレイではできないとされるオートローテーションが、AW609ではできる可能性もある。
③『未亡人製造機と呼ばれていないオスプレイ』http://obiekt.seesaa.net/article/280184121.html
まあ、「Osprey widowmaker」で検索し、1年以内を指定すると確かに数は少ない。そういうファクトをつければ、多少は説得力が増すと思うよ。また、それ以前に、どう呼ばれようが、本当に安全性に自信があるなら泰然自若と構えていればいい。
あと、NY上空を数回飛んだぐらいで自慢・満足してもらっては困る(追記:イベントで飛ぶのは年に数回。一方、24機が配備され、全てが平日に1回づつ飛ぶとすると年におよそ6000回飛ぶことになる。全く次元の違う話)。
NYのように、沖縄の人に笑顔で試乗してもらう日が来ればいいのだが。そのための日米当局の努力は明らかに足りていないし、JSFの努力は、向いている方向が逆。
④『オスプレイ事故映像の真相』http://obiekt.seesaa.net/article/280226111.html
この映像を使うのは卑怯だ!と言いたい気持ちは分かる。が、問題は、そのジャイロ配線の誤接続を防ぐ具体的な再発防止措置が取られたかどうか。ただ「教育しました」だけではヒューマンエラーは根絶できない。コネクタ形状の工夫で物理的に誤接続を防ぐ、など。それに触れないようでは片手落ち。整備ミスだろうが操縦ミスだろうが構造的欠陥だろうが、事故は事故。(追記:このジャイロ配線については、たしか対策が取られたように記憶する。しかし、繰り返すが、それに触れないようでは記事として意味がない)
むしろ沖縄の人たちの神経を逆なでし、事態を複雑にしている点で米軍にとっては「有害」とすら言える。
http://obiekt.seesaa.net/article/150581500.html のコメントNo.96とNo.144。内容を詳しく説明すると長くなるのでぶっちゃけて言えば、JSFは、他人に『お前はこんな有名な史実も知らないのか?w』といつものようにケンカを売っていた。で、私は『君こそWW1とWW2の潜水艦戦史もろくに知らないじゃないか。それに、撃沈うんぬんの事実関係もおかしい』と書いた。で、JSFはこそこそと該当部分を書き換え・消去した、と。
あと、コメント96以降の、信者たちの「俺も知りませんでしたが何か?」と開き直る様もぜひご覧あれ。
(7/12夜:数カ所補足・追記した。また、引用記法や強調表示などを見直した)
(7/14夜追記:続編?を書いた「【アク禁】オブイェクトJSF氏の言い訳が大津市教育委員会並みに酷い件」http://anond.hatelabo.jp/20120715020655 )