はてなキーワード: 管制とは
鈴鹿の信号機柱が折れた原因が犬のおしっこだというNHKのニュースが人気だけど、この報道ちょっと短絡的なんよ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210713/k10013135901000.html
地中に尿素が沢山検出された→尿に含まれる塩分のせいで腐食が速く進んだって理路だが、この科捜研の推理、間違いじゃね?普通こういう場合に一番に疑うのは「近くに電話線が埋設されていないか?」って事なのだ。
https://goo.gl/maps/syr4awTVenxKDcHZA
無塗装無被覆の亜鉛メッキ鉄柱だ。
信号を動かすには電気が必要だから電線が引き込まれている。最初期のリレー式信号機はこれだけで良かった。
ところが最近、と言っても30年以上前からはそれだけじゃなくて通信線が必要になっている。国道などの信号機はある程度のグループにまとまって連動して動いている。バラバラだと渋滞を惹き起こし旅行時間(到達時間の行政用語)をいたずらに長くする。
これは最近進んでいる歩道橋の撤去にも絡んでいる。スタンドアロン信号機しかなかった昭和中期では歩行者の安全の為に信号機を設置すると渋滞が酷くなってしまう。その為不便で高価な歩道橋を設置するしかない。しかし年寄りなどの交通弱者には利用が困難でジェイウォークが頻発して結局事故になる。現在のネットワーク化された連携信号機なら赤と青が連続させられるのでいくら設置しても渋滞は悪化しない。
更に最近(と言っても30年前から)では警察署で中央管制が出来るようにしている。
これには多くの利点がある。まず現場まで行かなくても信号パターンをプログラム出来るので柔軟に運用できる。更に大きいのがカーチェイスの抑制だ。市街地でパトカーの制止を聞かずに逃げるとやがて前方の信号は全て赤になる。追尾の警邏パトカーは結構やる気ないような走り方をするがやがて管制室が作り出した渋滞につかまるからそれでいいのである。交差交通の方も赤の全赤にしておけば事故の可能性は更に減る。カーチェイスの事故で警察も悪い、悪くないの論争になる事があるが、警察の肩を持つ余りカーチェイス事故の責任をも全面的に免責するのはこういう理由で間違っている。責任があるから予算を組んでこういうシステムを整備するのである。
矢印信号をデフォルト装備にしておけば災害時に特定地区への進入を阻止する事も可能だ。
この為の通信線は「専用線」を使用し、アナログとデジタルがある。専用線は何も交通信号だけではなく、銀行ATMや企業の支社間、マスコミ企業なども使用していて警察電話などもそうだ。アナログ専用線は要するに専用の電話線である。
https://goo.gl/maps/bdENtmii5Ck6nJ4e6
ボックスへの曲がりが緩いので光ファイバのようだが更新前はアナログだった可能性もある。
電柱に掛かる線というのは高さによって3つに分かれている。
一番上には3本の線が距離をおいて張られている。これは高圧線でそれぞれ3300Vの電圧がある。3つがそれぞれ電圧の波がずれて送電されているので電線間では6600V。触れると危なすぎるので一番上に張られている。
柱上変圧器で家庭で使える100Vに変圧された電気は真ん中の線を流れて家に引き込まれる。これも三相で電線間の電圧は200Vだが家庭の電灯契約ではそのうちの一本100Vだけを使用する。
先ほどのストビューで見ると3つの線群に分けられているのが見えると思う。
となっている。終端装置へは専用線が中継器無しで引き込まれているのが判る。なお、終端装置柱の一番下にあるのは電力メーターだ。警察もちゃんと信号機の電気代を払わなきゃならない。
また、ストビューで見回すとこの交差点周囲の電柱からは電話線が多数地下に引き込まれている事が判る。このアナログ電話線に流れる電気は結構特殊だ。「-48Vの直流電流」なのである。
電話線が-48Vなんて変な電流を使う理由はボルタ電池とめっきの原理が関係している。
異種金属を導線で繋いで電解液中に置いた場合、イオン化傾向が大きい金属の方はイオン化して溶け出し電子が過剰となり、イオン化傾向が小さい方に電子が流れて水素が発生する。
逆に両極に外部から電圧を掛けるとイオン化傾向の差は無視されて陽極の方がイオン化して溶け出し陰極に析出する。これが陽極酸化現象でめっきの仕組みでもある。
アナログ電話では直流電流が必要だが、この直流が+電圧だったらどうなるだろうか?土中で漏電して、その漏電箇所ていうのは要するにめっきの陽極と同じだ。電解液である土中に銅イオンを流し続けて、近くに金属があった場合はそれを銅メッキし続けてしまう。その結果電話線はやがて無くなり断線してしまう。
逆に-電圧にすると周りから金属イオンを漏電箇所に集めて析出させるという形になる。つまり断線しない。
だがこの時近くに鉄で出来た構造物が埋設されていたら?
そう、この鉄構造物はめっきの陽極となってどんどん溶け出し、電話線の漏電箇所に鉄めっきされてしまう。埋設電話線は腐食に強いが、周囲の金属を犠牲にするシステムなのである。
だから埋設金属が早く腐食した場合、電話線の埋設は真っ先に疑われるのである。この電流はほんの微量で構わない。単三電池でも簡易的なめっきは出来るのだから。
だから科捜研は折れた柱周囲を掘り返し鉄分分布を取って変な分布傾斜が無いか調べるべきだったし、土中に電位差が無いか調べるべきだった。それ以前に電話線の埋設が無いか、過去無かったかをNTTに聞くべきだった。何しろ信号自体が電話線(専用線)を使うシステムであるし、その端末装置がある柱は折れた柱の直近なのであるから。更に近くの電柱から電話線が地中に引き込まれているのだから。
2016年に大阪の池田市で街灯が倒れて女児の指が切断されるという事故があり、池田市が「犬の尿が原因」という調査結果を出した事があった。それに寄せる為の調査が行われたという気がしてならない。
一方、NHKは科捜研がそれらの可能性を調べ尽くしたかを確認すべきだった。その上で犬の尿という仮説しか残っていないのならニュースバリューがあった。
犬の尿で倒壊っていうのは面白ニュースだからその説に飛びついてしまったのだろう。仮令誤報でも問題も起きない類のイシューだ。
しかし知的好奇心を途中で放棄してしまっている。犬の尿説で笑ってお仕舞にしたら交通信号の仕組みも個人では馴染みの薄い専用線の事も電話線とめっきの関係も頭に入ってこない。電柱を見てもただの邪魔な風景としか映らないままだ。路上観察の動機を逃しているのだ。
最後に散歩時の犬の放尿について愛犬家に尋ねたりして倫理問題にしてしまい、論拠が不十分である事を視聴者に忘れさせる構成だ。この構成の効果はメディアリテラシーの問題でもあるだろう。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
「バカとナンとかは高い所がお好き」、ということで、バカである自分は、しばらく高いもの談義、高層物談義をしようと思う
高層「物」というのは、高層「ビル」以外が話のメーンだからである
★高層物の定義は?これは時代と文化により異なるが、とりあえず現代日本では、
高さ60m以上のマンションを「タワマン」と呼ぶ不動産屋の慣習もあるので、
とりあえず「現代日本では、高さ60m以上を高層物という」と定義したい
★「高層物」を網羅的に分類した人って、あまりいないんじゃないか?
2.産業の為の高層物(電波塔、送電鉄塔、煙突、風力発電など)
3.交通の為の高層物(橋脚塔など)
5.樹木
★「1.ヒトの為の高層物」は、
「1-1.高層ビル」
「1-2.展望塔」
「1-3.アトラクション」
「1-4.アリーナ」に分かれる。
★展望塔とは、最上階の展望だけを目的として建設され、よって中間階が無いもの。例:ポートタワー。
★ジェットコースターも、ナガシマスパーランドの奴は高さ97mあるらしいから、立派な「高層物」です。
富士急も、ジェットコースターは高層物間違いないですが、空中ブランコ「鉄骨番長」は、50m台で、わずかに高層物要件満たしてないんですね
「観覧車」というのは「展望塔」と「アトラクション」の中間の性質がある。これもだいたい100mはあるから、立派な「高層物」です
★「アリーナ」で言えば、福岡ドームは80m以上あるらしいので「高層物」、でも東京ドームは60m未満なので高層物じゃない、的な。
ドーム球場以外の、例えば体育館つて、高層物なのか?日本武道館で、高さ42mなのか。
ビッグサイトで、高さ58mだから、ギリギリ高層物じゃないのか
目的として「オフィス」「マンション」「ホテル」「レストラン」「病院」「役所」「大学・専門学校」が日本では確認されてる。
商業物販つまり百貨店で、高さ60m超えてるのはあるかな?高校で高さ60m超えは?
★「2.産業高層物」の分類。
「2-4.送電鉄塔」
「2-5.風力発電」
「2-6.煙突」
「2-8.気象観測塔」、他にもあるかもしれん
かつて、旧住金の鹿島製鉄所を見学したことがあり、それは大きな製鉄所だったが、
なので、日本のどこかに、高さ60mを越える工場建屋がある気がするのだが
★放送電波塔は、言わずもがなのスカイツリーや、名古屋のテレビ塔、あと埼玉にNHKのラジオ送信鉄塔とかある。
通信電波塔、昔であれば、街の中心にNTT鉄塔があったが、あれは60m超えてるのか?
★「煙突」もバカに出来なくて、池袋の清掃煙突は200m超えてるし、いわき市の火発の煙突も高かった。ライトアップもするらしい。
川崎とか千葉あたり、煙突の高さのデータベース無いのか?相当数が「高層物」の筈だが
「エレベーター実験塔」、日立がひたちなかにあったり、三菱が稲沢に作ってたりする奴ね。国内に4~5本はあるのだろうか
「気象観測塔」というのは、つくばの200mクラスの奴を念頭に置いてたのだが、あれ解体されてしまったのね。
国内にはそうすると、気象観測とか宇宙観測目的の高層物は存在しないのか?
★「風力発電」の高さの定義、プロペラを支える柱の高さで測るのか、プロペラの最高点で測るのか?
プロペラ最高点の計測だと、大半の風力発電は60mを超えて、「高層物」の仲間入りになる
★恐らく、日本でもっとも多い「高層物」とは「送電鉄塔」じゃないかと思ってるのだが。
50万ボルト送電線で、大体80mの高さがあり、東電の幹線で500塔はあるらしいから、
全国の「高層物」になる送電鉄塔は3000~5000はあると思うが、データが手許にない
あとは「3-2.ロープウェー鉄塔」「3-3.灯台」「3-4.管制塔」「3-5.ロケット発射塔」、他にあるか?
★明石海峡の鉄塔などは、300m近くあるから、文句なしの高層物。レインボーブリッジでも126mあるのね。
三重・御在所ロープウェーの鉄塔は、高さ61mあるらしいので、ギリギリ「高層物」の仲間入りしてる
「灯台」の日本最高って、日御碕灯台で、でも40m台でしかないらしいので、「日本国内には、高層物の灯台は無い」らしい。
★羽田の管制塔で115mあるのね。なんか、管制塔より灯台の方が高いイメージあるが、真逆だな。
管制塔は、広々とした空港にあるから、実際より低く見え、灯台は狭くて高台にある岬の突端にあったりするから、実際より高く見える
★「ロケット発射塔」というのは、日本では種子島にしかなくて、80m級なので「高層物」。
自衛隊が、どこかにミサイル発射塔を隠しもってるのか?イージスアショアとか、60mあるのか?
北海道大樹町のホリエモンロケットは、発射塔が60m越えないのか?
★「4.宗教的高層物」としては
「4-1.塔」(一般人が入れない)
宗教じゃなくても、モニュメントやアート作品で60m超えたら、ここのカテゴリに入る。太陽の塔とか。
★今までは人為的な高層物でしたが、最後に天然の高層物として「5.樹木」を挙げてる。
日本では、京都府のスギの木が、60m超えてるから「高層物」なんですよね。
もっとも、天然のスギの樹高を、わざわざ測定することは滅多にないから、
見つかってないだけで、他にも高層スギは多数あるんじゃないか?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 93 | 9874 | 106.2 | 40 |
01 | 249 | 21997 | 88.3 | 40 |
02 | 37 | 2970 | 80.3 | 32 |
03 | 10 | 2562 | 256.2 | 51.5 |
04 | 11 | 1436 | 130.5 | 120 |
05 | 30 | 2574 | 85.8 | 29.5 |
06 | 92 | 11522 | 125.2 | 58.5 |
07 | 60 | 5118 | 85.3 | 52 |
08 | 116 | 16420 | 141.6 | 44.5 |
09 | 195 | 13784 | 70.7 | 41 |
10 | 205 | 14848 | 72.4 | 38 |
11 | 161 | 12645 | 78.5 | 36 |
12 | 186 | 13889 | 74.7 | 28.5 |
13 | 140 | 15898 | 113.6 | 47 |
14 | 177 | 13190 | 74.5 | 41 |
15 | 199 | 17363 | 87.3 | 47 |
16 | 188 | 14995 | 79.8 | 35.5 |
17 | 151 | 16740 | 110.9 | 49 |
18 | 223 | 23010 | 103.2 | 43 |
19 | 160 | 17499 | 109.4 | 44.5 |
20 | 164 | 12524 | 76.4 | 33 |
21 | 190 | 22850 | 120.3 | 46 |
22 | 177 | 16360 | 92.4 | 37 |
23 | 127 | 14199 | 111.8 | 46 |
1日 | 3341 | 314267 | 94.1 | 41 |
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小池都知事が午後8時以降は店頭の灯りを消灯する様に業界団体に要請するってニュース
令和の灯火管制と話題のこのニュースについて友達と会話してたらやらかした
俺「夜の街を歩く時は頭にヘッドライト付けるルールとかあったらよくね?」
友達「どういうこと?」
俺「みんな頭にヘッドライトつけてるから暗がりでもお互いが視認できるじゃん。ヘッドライトしてない人はマスク付けてない人みたいな感じで犯罪者予備軍扱いだから警戒の対象になるし、それでもヘッドライトつけて犯罪しようとする人はヘッドライト付けてるからめっちゃ目立つし、治安めっちゃ良くなるくね」
俺「まあいいや忘れて」
俺は悪くない
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
高校三年の夏、僕のバットは空気を切り裂いて、放られたボールはキャッチャーミットに吸い込まれた。
ストライクのちぎれるようなアンパイアの声とともに蝉の音が滲んだ。僕への代打は見送られた結果だ。
イーロン・マスクという男がいる。
彼は何度となくテスト飛行を繰り返して、スペースXプロジェクトにて火星への夢を見上げる訓練をしていた。
そんな言い方は君たちを混乱させるだけかもしれないね。
見えない草の匂い、球場の太鼓の音、きっと小さい粒になって眼差しを向ける彼女だった人。
イーロンのロケットが墜落した。
2020年12月のことだ。ロケットはバットに当たるわけじゃない。空振りもない。
だけどもロケットは大きな成層圏に拒否されておずおずと地球に舞い戻って消えてしまった。
イーロンはそれを大きな一歩と称賛した。
僕が土を持って帰った夏が今乗るロケットの窓に重なる。
甲子園、土はどこまでも黒く、絶望の彼岸へと続いているように見えた。
僕の首は重たく、空を見あげることができなかった。
フォークと判断した指先からの白い楕円は、吸い込まれるように拾われて運ばれてしまった。
その後気落ちした僕は彼女の声も耳に入らず、疎遠になり別れてしまった。
全てが灰色になってゆく中でごく普通に就職した。コンビニで惣菜を買うようにだ。
痛みも和らぎ始めた頃、何かを始めようと笑顔で前を向く男を見た。
時代はインターネット全盛期だった。僕らの味わった暗闇もスマートフォンで見ることができる。
くたびれた僕の中で若芽が透き通る空に伸びてゆくように感じた。
JAXAに勢いで電話し、メールも打った。僕の人生がここから変わってゆくような気がした。
周囲の人間はお前の歳で宇宙を目指すのは自殺行為だとか、何も達成したことがないのだろうとか、成功するやつは若くして成功してる、イーロンだってそうだろう、とたしなめてきた。
全てが耳に入らなかった。僕はあのときの打球を思い描いていた。
こんなに努力できたんだと思い、自信がついてくる。
気づけばイーロンに肩を抱きしめられていた。ロケットの前でだ!
この窓の外に見える小さな蜘蛛の渦や大きなアフリカ大陸や、僕の青春が詰まった島国や、全てが蒼いんだ。
ロケットの噴砂音が聞こえなくなった。管制塔の通信が耳元に響いてくる。
管制塔から拍手と歓声が聞こえる。そして緊張した声で彼らの仕事が再開される。
僕の夢は宇宙間を飛んだんだ。
宇宙間を、飛んだんだ。
了
1940 年代後半から 1950 年代前半、土木技術者は、今日の技術者と同様の問題を経験していた。しかし、1950 年代と 1960 年代の一時期、これは変化した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)計画の運用計画が始まったことで、ミサイルの地上環境の設計者は、ミサイルの設計者と一体となって仕事をしなければならないことが明らかになりました。
第二次世界大戦後、空軍はドイツの科学者を採用し、ドイツのV-2ロケットの備蓄品を捕獲してミサイル開発に着手した。1953年8月にソ連が熱核爆弾の実験に成功したと発表するまでは、資金不足がその努力を妨げていた。突然、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、ソビエトに追い抜かれないようにICBMの開発に向けた大規模な努力を求めた。空軍の Bernard Adolph Schriever 少将は、ミサイルとその地上支援を開発するための努力の先頭に立った。
ICBMs
1.5段のアトラスと多くのサブシステムを交換可能な2段のタイタンの2つのICBMの開発がほぼ同時に開始され、知識ベースを広げ、最短時間で兵器を完成させるための競争を活性化させました。ICBMの開発と開発へのプレッシャーは強烈でした。推定 13 年かかっていた作業が、5 年以内に達成された。このことは、空軍の土木技術者にとって大きな意味を持っていた。時間的な制約よりも重要なのは、兵器システムの開発において、地上環境が後回しにされていないという事実であった。"飛行機は最低限の地上支援があれば飛行できるが、弾道ミサイルは適切な発射設備がなければ意味がない」というのが、このプロジェクトを主導した民間技術者の一人である空軍研究開発司令部弾道ミサイル部(BMD)民間技術部副司令官ウィリアム・レオンハード大将の見解である。
用地選定
ミサイルの特殊な要件と圧縮されたスケジュールは、建設作業のあらゆる面に影響 を与え、まず候補地の選定プロセスに着手しました。空軍のエンジニア、工兵隊の代表者、建築家・エンジニアファームのメンバー、BMDの職員で構成される数十人の調査チームが、アトラス計画だけでも250以上の候補地を調査するために、全国に散らばっていました。チームはネブラスカ州からジョージア州まで、ニューメキシコ州からニューヨーク州までを調査しました。候補地の適合性を判断する際に使用された厳格な基準には目を見張るものがありました。深さ174フィート、直径52フィートのミサイルサイロ、幅40フィート、深さ40フィートの発射管制センターサイロ、2つのサイロをつなぐ人員用トンネルとケーブルウェイを建設するためには、厳しい土壌と地質条件が必要でした。さらに、距離の要件は、サイロがその支援基地から少なくとも18マイル、人口25,000人以上の町から18マイル以上離れていなければならないことを意味していました。また、互いの距離は7マイル、人が住んでいる住居から1,875フィート、公道から1,200フィートでなければなりませんでした。サイトへの公共アクセス道路は、大型のミサイル運搬車を収容しなければならなかった。技術的基準が評価された後、最終的なサイトの選択は、サイトの経済的実現可能性に依存した。サイトが選択され、承認されると、作業を開始することができた。
地上設備の設計・建設を担当した技術者が直面した困難の一つは、ミサイルとその支援構造物の作業が同時進行で急ピッチで進められていたことである。ミサイルの準備ができたときには、発射設備を準備しなければならない。ミサイル自体に必要な設計変更が設備の変更に反映されてしまうため、ほぼ戦時中の緊急性の高い状況下での工事を余儀なくされていた。
ミサイルの保管モード、発射モード、ミサイルの分散度の多様性が技術者の作業に影響を与えました。例えば、アトラスDの一部のモデルは、サービスタワーで露出した垂直方向に保管されていましたが、他のモデルは水平方向に保管され、風雨から守られていました。アトラスEは半硬化構造の中で水平に保管されていました。アトラスF、タイタンI、IIはすべて、硬化サイロに垂直に格納されていました。
サイロの建設は膨大なエンジニアリング作業でした。例えば、カンザス州のシリング空軍基地では、エンジニアがアトラスFミサイルを収容するために12個のサイロを建設しました。作業は深さ40フィートの掘削から始まりました。これが管制センターの基礎となり、トンネルとサイロの上部を接続しました。その後、サイロの下部の残りの部分は、開 発部からさらに1.5m下で採掘されました。サイロ自体を構築するために、作業員はスリップフォームプロセスを使用しました。フレームがサイロの壁から約140フィート上に上がったところで、1時間に約14~16インチの速度でコンクリートが連続的に打たれました。作業員は昼夜を問わず、1つのサイロにつき、わずか6日間で500トンの鋼材と5,000立方ヤードのコンクリートを打設しました。完成時には、アトラスの1つのサイロには、15階建ての構造用鋼製ビル1棟の重量約1,500トンに相当する複合質量が含まれていました。
電力供給
打ち上げ施設に電源を供給するために、エンジニアはディーゼルエンジン、原子力、燃料電池、電池、ガスタービン、商用電源との様々な組み合わせなど、いくつかの代替案を評価しました。電源は、信頼性が高く、無停電で、打上げ施設内で自己完結するものでなければなりませんでした。また、核爆発による地上衝撃によって引き起こされる非常に高い加速度を吸収できるか、ショックマウントに取り付けられていなければなりませんでした。システムのイニシャルコストと運用・保守コストの両方が評価されました。サイトへの動力供給には、信頼性の高い旧型ディーゼルエンジンを選択しました。システムの設計では,水や流入空気の加熱など,装置から発生する熱を可能な限り利用しました.典型的なアトラスのサイトでは,各プラントに1,000kWのユニットが4基ずつ設置され,ミサイルのクラスターを支えていました.
サイロ上部ドア
サイロのオーバーヘッドドア設計は、エンジニアリングのジレンマを生み出しました。300平方フィートの開口部を覆うドアは、極端な天候、核放射線、過圧、構造的な反発からミサイルを保護し、ミサイルの発射と誘導に影響を与えないこと、発射合図後30秒以内に完全に開くこと、ミサイルのカウントダウン手順の中で連続した項目として動作すること、などが求められました。また、クロージャの構築、完全な組み立て、設置、フィールドでのチェックアウトを可能にするように設計されていなければなりませんでした。シングルリーフ設計やロールアウェイ設計のようなそれぞれの潜在的な設計には、それを考慮から排除する独自の特定の欠点のセットがありました。最終的に、ダブルヒンジ、ダブルリーフ、フラットドアのデザインが採用されました。2つの半分の間の中央の亀裂の問題は、ドアの特別なくさびの設計と、さらにシール性を向上させるためにネオプレンガスケットとステップメッシュを使用することによって解決されました。
様々なミサイルサイトの建設とアクティベーションに関与する多様な要素をすべてまとめることが、サイトアクティベーションタスクフォース司令官の仕事であった。彼は、親コマンドに関係なく、与えられた基地の弾道ミサイルサイトアクティベーションプログラムに参加しているすべての空軍の要素に対する作戦上のコントロールを与えられました。主に土木工学と諜報機関のキャリア分野から来た司令官は、現場支援施設と住宅の建設を指示し、建設監視を提供し、サイトの設置、チェックアウト、戦略航空司令部への転換を管理しました。土木、機械、電気技術者、低温工学、熱応力、衝撃実装の専門家、資金管理者、広報担当者、議会調査官への説明役などが求められた。要するに、彼らは空軍のためにそれを実現させた人物だったのです。1961 年までに、彼らはアトラス・ミサイル 120 発のアトラス・ミサイルを 11 基地に、タイタン・ミサイル 54 発のタイタン・ミサイルを 5 基地に配備していた。
おわりに
この記事では、この大規模な取り組みに関わった人々が直面した様々な工学的課題について簡単に触れただけです。その規模の大きさは今でも注目に値するものであり、土砂、岩石、泥の総量は3,755万立方ヤードに及びました。これは、ロサンゼルスからピッツバーグまでの深さ10フィート、幅10フィートの灌漑用水路に相当します。現場で使用された鋼材は、サンフランシスコからワシントンD.C.までの鉄道線路を建設することができました。当時、全国ニュース誌は「ミサイル基地建設計画はピラミッドをティンカー・トイの演習のように見せている」と述べています。アメリカ土木学会は、ICBM施設建設プログラムを1962年の "Outstanding Civil Engineering Achievement of the Year "に選出した。同様に重要なのは、この取り組み全体が、空軍の土木技術者に対する見方の転換点となったことです。空軍の技術者が自分たちのプロフェッショナリズムに対する尊敬と認知度の向上を求めていた時期に、ICBMプロジェクトでの彼らの仕事が道を切り開いたのです。
半分正解であると思える。残り半分は「当たり前でしょう」という話。
戦車を活かせたのがアルメニアではなくアゼルバイジャンであった、という点で
だがそもそも、領土を奪い合う地上戦において戦車が重要なのは当たり前の話である。
占領とはそれ即ち軍事力による領土の確保であり、地上における軍事力の最たる物が装甲戦闘車両の王である戦車だからだ。
なので「地上戦で重要だったのは戦車だった」と言われると「当たり前でしょう」としか言えない。
肝心なのは戦車を活かすことができた要因であり、そこにアルメニア・アゼルバイジャン最大の差があったのだろう。
近年のアゼルバイジャンの軍事費増大により、軍事バランス的にはアゼルバイジャン側が優勢であった。
対するアルメニア側はナゴルノ・カラバフ自治州東部に対アゼル陣地を構築していたが
↓
航空偵察により陣地の位置・陣容が露見し航空爆撃や砲撃で陣地が無力化、または放棄を余儀なくされる
(後述する杜撰な運用による陣地の脆弱性も無力化に寄与したものと思われる)
↓
といった具合で徐々に都市を失い、最終的に自治州の首都ステパナケルト直前までアゼル軍が迫る事態となっていた。
なお、アゼル軍は当初ナゴルノカラバフ自治州の北部と南部から攻勢を開始したが
北部の高山地帯では陣地に阻まれ思うように進軍できなかったものの、比較的平野部の多い南部で突破に成功していた模様。
詳しくは戦況の変化を調べてもらいたい。
本戦争において最も注目すべき点であり、アゼル軍進撃最大の立役者が無人戦闘航空機(UCAV/ドローン)の活用だった。
(アゼル軍はMiG-29戦闘機、Su-25攻撃機を十数機程度。アルメニアに至っては戦闘機ほぼ0、Su-25攻撃機が数機程度)
アルメニア軍はS-300長距離地対空ミサイル、SA-8/SA-15短距離地対空ミサイル等のロシア製地対空ミサイル複合コンプレックスを保有・形成しており
これら防空ミサイルをアゼル軍が保有する少数の航空機で破壊するのは困難であり、アゼル軍側は航空作戦を実行できないと戦争前なら予想されていただろう。
ところがアゼル軍は外国から多数のドローンを購入し実戦に投入した。
アルメニア側は当初健在であった地対空ミサイルシステムにより、投入されたドローンの大半を撃墜したものと思われるが
それでもアゼル軍はドローンを投入し続け、ついにはアルメニア防空網の破壊に成功したのである。
活躍が目立ったのは次のような機種だ。
遠隔操作または自律飛行が可能で、対戦車ミサイルや誘導爆弾等の各種対地兵器を運用できる。
カナダ製の高性能なイメージセンサを(勝手に)搭載しており、偵察機としても優秀な性能を持つ。
※勝手に搭載しているのがバレたのでカナダからトルコへは輸出停止に。現在はトルコ製国産センサに切換中らしい
→イスラエルIAI社製の「カミカゼ特攻ドローン」。1機辺りの値段:諸説あり(1000万円~1億円程度?)
ステルス形状の機体そのものに爆破弾頭を内蔵し、自律飛行により目標近辺を徘徊・滞空。
対空ミサイル等の電波発信源を探知すると機体ごと突入し自爆攻撃する。
またイメージセンサも搭載し遠隔操作も可能。目標を識別して攻撃する事もできる。
バイラクタルTB2は射程10km以上の誘導爆弾が運用可能であり、
ハーピー/ハロップは地対空ミサイルのレーダーが稼働していればそこに向かって突っ込んでいく。
レーダーを漫然と運用していれば、これらのドローンには容易に探知されてしまうし、ドローンが近くにいる事に気付かずレーダーを起動してしまっても探知されてしまう。
特にSA-8/SA-15短距離防空ミサイルはレーダーと発射機が一体型の車両なので、ミサイルごと破壊されてしまえば戦闘続行は不能である。
これらドローンの攻撃により空いた短距離ミサイル防空網の穴に入り込み、長距離防空を担うS-300までも破壊に成功し
さらにアルメニア地上戦力をドローンで一方的に攻撃することができたのだろう。
前述の短距離地対空ミサイルはそもそも、地上付近を飛行するヘリコプターや巡航ミサイルの迎撃を目的として運用されるものだ。
それが何故、同じく地上付近を飛行するドローンの探知に失敗し攻撃を受けたのか?
ここからは予想されている事に過ぎないが、防空システム運用の失敗として
・防空ネットワークが存在せず、ミサイル発射機ごとに単体で運用されていた(=ミサイル部隊の連携ができていなかった)
・電波管制(EMCON)が徹底されておらず、逆探により位置が容易に露見していた
・ミサイル発射車両に偽装がされておらず、ドローン搭載のイメージセンサで容易に発見できた
等が考えられる。
いくらドローンとはいえ、それよりも小さくて速いミサイルを探知できるレーダーがドローンを探知できないという事はないだろう。
(低速すぎて探知できない、あるいは探知するが閾値以下の反応でノイズとして弾かれる場合はある)
形状やレーダーの種類により探知性は変化するし、迎撃ミサイルとの位置関係によって迎撃の確率も変わるので単純な比較は禁物であるが、
従来の巡航ミサイルとドローンのスペックを書いてみるとこんな感じである。
トマホーク巡航ミサイル:全長5m/直径50cm/巡航速度800km/h
バイラクタルTB2:全長6.5m/幅12m/巡航速度130km/h
山頂付近に設置されたレーダー、早期警戒機やルックダウン能力があるレーダーを持つ第4世代以上の戦闘機なら低空目標も探知できるであろうし
ネットワークを通して友軍防空部隊に位置情報を伝達、レーダー起動無し・もしくはミサイル発射直前の照準時のみレーダーを起動しミサイル発射・迎撃も可能であろう。
こうしたミサイルシステム以外の警戒網がアルメニア側には不足していたと思う。
偽装については地対空ミサイルだけでなく車両全般や陣地にも同じ事が言える。
SNSやネット上で出回っているアルメニア軍兵器が撃破される、ドローンの空撮とおぼしき映像をいくつか見てもらいたい。
その殆どが偽装をしていない、あるいは偽装はしているが中途半端でバレバレなのである。
(車輪の跡が残ってる、周囲の植生や地形に溶け込んでいない、赤外線暗視装置対策が皆無)
電波管制や偽装はアメリカやロシア、中国、そしてもちろん日本の自衛隊においても、現代の軍隊における基本中の基本であり
ネットワーク化は現代の高度化した戦争において優位性を保つための必須条件である。
これらが徹底されていなければ、敵部隊の偵察により自軍の存在は容易に発見されてしまい
逆に言えば、これらを徹底することで偵察に対する被探知性は低下し、
ドローンの画像センサ/赤外線センサに対しても発見される確率は低くなる、
もしくは発見するために接近しなければならない距離は短くなり、自軍がドローンの接近に気付く機会も増えるというものである。
自衛隊の演習で隊員がヘルメットや服に草をボーボーになるまで貼り付けたり、車両が草にまみれすぎて草そのものが動いてるような写真や映像を見た事があるだろうか。
あれらはふざけているのではなく、偽装という戦闘に必要な技術を実践しているのである。
また最近では偽装網(バラキューというらしい)にも赤外線放射を抑える物があり、これを使用すれば赤外線暗視装置にも効果があるようだ。
今回のナゴルノ・カラバフ戦争ではドローンの活躍が華々しく喧伝された。
だがその活躍も、一つ一つ紐解いてみれば軍事的には常識と思える要素の集合体であり
それらの対策を強化していくことでドローンへの対処は可能だと考えられるのである。
懸念しなければならないのは、ドローンは戦闘機よりは安価で数を揃えやすく
アゼルバイジャンのように多数を集中運用することで十全な防空網でも突破されてしまうかもしれないという事だ。