はてなキーワード: 第二位とは
急性アルコール中毒患者の応対が怖いという看護師の話を思い出したので、別の業界だが、私の立場からの話を書いていく。
年末年始のこの時期というのは、とにもかくにも列車内で嘔吐するアホが増加する。
従来ならば忘年会・新年会シーズンだからある程度しかたのない面もあるが、度し難いことに今年も今年で酩酊して嘔吐するどうかしている奴らが各地に出没している。
このコロナ禍にバイオテロを敢行するその精神性はどうかしていると言わざるを得ない。
「「飲んだら公共交通機関のご利用を」であって「吐くほど飲んで電車に乗ろう」ではありません」だの言ってやりたいものだが、
そんな不毛なことを考えるのはさておいて駅や鉄道車両内での嘔吐してほしくない場所と(比較的)マシな場所を紹介したい。
■非常に困る場所
・介助中の係員に対しての嘔吐
死ねどす。あるいは死にはったらよろしおす。
バイオテロ最上位に位置するクソオブザクソ。というか業務災害。
死ぬほど酔っぱらって係員の手を煩わせて置きながら、その係員に対しての直接的ダメージを与えるとか人間として恥ずかしくないのだろうか?
なお、業務災害として周知される際には「応対時は直接被害を受けないよう立ち位置等に気を付ける」という注意喚起がなされる。
無茶を言うな。
・車両連結部
単純に掃除ができない場所なので、鉄道事業者にもよるが、車庫に入れて掃除してはいおしまいとは行かないことが多い。
嘔吐物の回収も困難なので、嘔吐物処理用の薬剤の散布だけ行い、後日車両点検時に清掃なんてことになりかねない。
あそこで嘔吐だったり小便(酔っ払いは吐くだけではない)された日には時間の経過とともに何とも言えない不快な臭いが立ち上り始める。ダメージ床かよ。
吐いているところを見られたくないのかどうか分からないし理解したくも無いが、そもそも自分の限界を知らずに泥酔して嘔吐する時点で人間の尊厳なんてものはないということを良く理解して死ねばいいと思う。
清掃員がホームの掃除に使用する水栓があるが、清掃する人間に気を使ったのかその排水口に向かって嘔吐する輩がいる。
たいていそういう場所の排水口は嘔吐物を流せるような構造をしていない。
排水管が詰まったらことなので本当にやめてくれ。乗車料金に嘔吐物の処理代は含まれていないが、嘔吐物が詰まった水道管の修理代はもっと含まれていない。
■困る場所
・座席
基本的に嘔吐物の処理は、処理用の薬剤(粉末)を散布し箒などで回収するという手順の為、座席等には使用できない。
そのため、座れないように覆った上で、そのまま列車を運行、後で処理をするという流れになる。
正直これに関しては被害はあまりないが、座席に嘔吐されると完璧に清掃することが不可能である。なのでやめてほしい。
・壁
理由は座席と同じ。粉末状の薬剤を使用する関係で処理が難しい。
座席とは違い、乾燥すればある程度マシなのでランクは落ちるが迷惑であることに変わりない。
■マシな場所
・床
我慢ができないのならできるだけ空いている場所でど真ん中で嘔吐するのがいい。
そうなればあとは薬剤を散布し回収するだけである。
当然だが常に移動を続ける車両内よりは駅ホームの方が処理が容易だ。
車内の場合は、時折傾斜や加速の都合で嘔吐物が徐々に広がる地獄絵図が展開されることがあるが、清掃可能な分まだマシだと思う。
・ゴミ箱(可燃物)
薬剤を適当にまいておけばあとはゴミとして廃棄するだけで非常に無駄がない。
ただ車内にゴミ箱がある車両も一部事業者には存在するが、そこで嘔吐するのはやめておいたほうがいいと思う。
・トイレ(駅の)
やっぱこれだね。
水で流せて清潔で、周りに見られる心配もない。むしろなぜここで吐かないのかまである。
ただ注意してほしいのが、一部事業者の車両に設置されている車内トイレでは嘔吐しないほうが賢明だと思う。
流せるとは思うが、車両に積んでいる関係上節水の為洗浄力が弱い。
こんなところか。
最後に改めて言っておくが、自分の限界を把握できずに泥酔して公共の場所で嘔吐する、その時点でまともな社会人として論外だ。
マシとは書いたが吐いていいというわけではないし、そんな人間に尊厳なんてものは必要ないので恥ずかしがらずに清掃のしやすい場所で他の客と距離をとって吐け。
まあその程度の知能があれば泥酔して吐き散らかしたりなんてしないだろうが。
ドラマ版ゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメの大垣そのままだったことに感動して、大垣に関係するものを何かしてみようと思い、大垣を観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。
岐阜県大垣市のJR大垣駅から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城は関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北を山地で囲まれた関ヶ原が琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。
私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトルと劇画調の石田三成と徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士の価値観を決定するイデオロギーの闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間と説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVDの再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。
私は高校で日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである。関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。
映像は豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥の筆頭株主兼社長に例えて、五大老は秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉の会社から株式を譲り受けて豊臣財閥の取締役になったという設定である。五奉行は執行役員部長で秀吉生え抜きの社員だという。それぞれの大名の石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。
秀吉の跡を息子秀頼が継いだものの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉の遺言である。遺言に反して株式保有数第二位で副社長の徳川家康がクーデターを企て、それを社長室長兼企画部長の石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長の家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやすく解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。
時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作:堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老や五奉行を会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり、合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下巻構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉と撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉の葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落ついたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説は関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。
原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。
堺屋太一は元通産省の官僚であり、大きな業績として大阪万博の企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会のプロデュース・ドラマなどテレビ番組のプロデュース・大臣・学者・政治運動とマルチに活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュースも堺屋太一の活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作のストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。
堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一の小説のタイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後生まれの世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。
1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代のバブル景気とその崩壊を予測できなかったものの、団塊世代の出世が頭打ちになること、無駄に役職者が高い人ばかりになり組織のピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代が関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在を予測している。
団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代に復讐をする世代間対立の物語である。ただ、原作でも世代間対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代の人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代がバブル世代や団塊世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代間対立は関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォースや民主党の事業仕分けをネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである。
閑話休題。しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来を予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年が舞台になっており作中では、団塊世代が既得権益をむさぼりレジャーにうつつを抜かして経済や技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。
ちなみに、堺屋太一は1935年生まれで2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一の小説の面白さが色あせることもないので今も読んでいる。
ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。
コンビニへの拘りは多少あるほうです。が、増田の言うことは分かる。近いところ行っちゃうよねー
拘りとしては、ゆるい糖質制限(ロカボ)してるので、個人的にローソンが一位。ロカボ向けお菓子とか多いし、サラダチキン等もローソンのが個人的に美味しい。
第二位がセブンイレブン。理由は単純。スイーツやサラダ等単純に美味しいのが多い。
糖質気を付けだしてからはあまり買っていないが、惣菜パンも美味しいものが多い。詐欺サンドイッチや詐欺弁当はひどいけど……そこは気をつけて選ぶ……しかないかな。
大手三社中最下位がファミマ。ただこれは個人的な理由が絡んでるw
サークルKが好きだったんですw
ファミマは、吸収して、飲み込んで、跡形もなく消してしまうからなぁ……いやまぁそれが吸収合併ってもんなんだけどさ
サークルKの好きだったスイーツも消え、ファンの熱望で形だけ残した焼き鳥は、どうもサークルK時代より味が落ちている。
そして、さらに超個人的理由になるけど……なぜかハズレ店員にあたる可能性が、ファミマだけやたら高いのです(´・ω・`)
ただ、オーナーという話であれば、知り合いの知己にローソンのオーナーさんがいるんだが、やはりセブンイレブンの評判はよろしくないようだねー。詐欺サンドイッチとかの件も合わせて、印象的には激悪です。
でも、増田の言う通りなんだよねー。印象は悪くても、車での帰り道とか、妥協しちゃうことはたしかにある……ほんっとセブンって多いもんね……
コンビニへの拘りは多少あるほうです。が、増田の言うことは分かる。近いところ行っちゃうよねー
拘りとしては、ゆるい糖質制限(ロカボ)してるので、個人的にローソンが一位。ロカボ向けお菓子とか多いし、サラダチキン等もローソンのが個人的に美味しい。
第二位がセブンイレブン。理由は単純。スイーツやサラダ等単純に美味しいのが多い。
糖質気を付けだしてからはあまり買っていないが、惣菜パンも美味しいものが多い。詐欺サンドイッチや詐欺弁当はひどいけど……そこは気をつけて選ぶ……しかないかな。
大手三社中最下位がファミマ。ただこれは個人的な理由が絡んでるw
サークルKが好きだったんですw
ファミマは、吸収して、飲み込んで、跡形もなく消してしまうからなぁ……いやまぁそれが吸収合併ってもんなんだけどさ
サークルKの好きだったスイーツも消え、ファンの熱望で形だけ残した焼き鳥は、どうもサークルK時代より味が落ちている。
そして、さらに超個人的理由になるけど……なぜかハズレ店員にあたる可能性が、ファミマだけやたら高いのです(´・ω・`)
ただ、オーナーという話であれば、知り合いの知己にローソンのオーナーさんがいるんだが、やはりセブンイレブンの評判はよろしくないようだねー。詐欺サンドイッチとかの件も合わせて、印象的には激悪です。
でも、増田の言う通りなんだよねー。印象は悪くても、車での帰り道とか、妥協しちゃうことはたしかにある……ほんっとセブンって多いもんね……
タイトルの通り。
トニトニの売り上げが少なすぎる。
15組75名参加でこの枚数。
トニトニと同様の目的で作られた、Jフレの1stシングル『明日が聴こえる』は1,021,010枚の売上だ。
V6、TOKIO、Kinki kidsの3組13名でこの枚数。トニトニの倍以上。
確かに最近はダウンロードで曲が手に入るからCDを買わなくなってきていることは理解しているつもりだ。
各グループの最新曲の売上枚数などを調べてみたが、長いので結論から。
すべて最高。好き。
特に若い世代のグループのファンがトニトニを無断転載や配布をやっているを見かけるけど、犯罪行為だからね?有償なんて以ての外。その売上金額すべて寄付しろよ??
買う買わないは個人の自由だけど、買わないんだったら我慢しようね。犯罪者に頼っちゃだめだよ。
別件になるが、サマパラ、ドリアイの配布もやたら多いけど犯罪だからな。パルコステージが名指しで配布を注意したツイート見ても配布を続けるのか?よく考えろ。交換もだめだからね。
配布する人は映画館で録画をして配る人、大げさに言うと密売人、受け取る人はチケットを買わずに映画を見る人、万引き犯、という認識。
ということで、まだ買っていないジャニオタはトニトニを買おう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結果は以下の通り↓
(エクセルに纏めたのを貼っただけで見にくいです。)
kinki 『KANZAI BOYA』(3形態)200281枚
KAT-TUN 『Ask yourself』(3形態)152988枚
JUMP 『Last Mermaid』(3形態)219898枚
キスマイ 『Edge of day』(3形態)182637枚
スノ/スト 『D,D』『Imtation Rain』(6形態)1721420枚 ※
※スノスト纏めての売上枚数しかわからなかったため、纏めてしまいました。不快に思われた方申し訳ありません。
こんな感じ。
トニトニが1形態での販売のため、それぞれの売上枚数を形態数で割ってみた。やることが単純だが許してほしい。
Kinki kids 66760.33枚/形態
WEST 65168枚/形態
計 1318855枚/形態
この数値は、それぞれのグループのファンが全形態購入しているという考えになっているから、全くあてにならない。それでも131万枚。
全形態購入していないファンもいれば、複数枚購入しているファンもいる。掛け持ちだっている。
ということで、トニトニ買ってくださいね。
配布してる人は早く捕まってね。
おわり。
なおこのほかに、「争いは同じレベルの者でしか発生しない理論」を逆手にとった「こいつはこいつと同レベル詐術」という物が存在する。
つまり、格上の都市(例えば仙台)と格下の都市(例えば新潟)を戦わせることにより、「仙台と新潟は同レベル」と思わせる詐術である。
これにより争いはよりカオスになり、
「新潟を持ち上げて仙台と戦わせているのは、仙台と張り合っている広島市民」
「金沢を持ち上げて新潟を戦わせているのは、『仙台=新潟詐術』を否定したい仙台市民」
「富山を持ち上げて金沢と戦わせているのは、『仙台=新潟詐術』を否定されたくない広島市民、もしくは金沢と張り合っている新潟市民」
「福井を持ち上げて富山と戦わせているのは、『金沢=富山詐術』を否定したい金沢市民、もしくは『新潟=金沢詐術』を否定されたくない仙台市民」
あっちの界隈で時々見かけるけど、無理筋だよね。
そりゃ、日本が併合する前の韓国なんて旧弊な中国の属国で、近代化なんて無理だったんだろうし、日本がインフラつくったり、ハングルの教育すすめたり、白菜持ち込んで白菜キムチの発展に寄与したのは事実かもしれないけどね。
でも「だから日本に感謝しろ」ってもそこは素直に感謝なんかしにくいだろ?
あっちの界隈の人たちが、原爆落として本土決戦を回避しつつ、旧弊な大日本帝国を滅ぼして、戦後日本が、一時的とはいえ世界第二位の経済大国になるためにいほいろやってくれたアメリカさんに心から感謝するかというと、んなことはないでしょ?
びっくりした。
スタッフも二次元だとでも思ってるんだろうか。アニオタよりアニメ脳だ。
殺人だと判明している日本の単独犯による大量殺人事件の死者数トップ3を発表する。
第三位 相模原障害者施設殺傷事件(2016)死者19人負傷26人
まだ記憶に新しい凄惨な事件だ。この事件はまだ犯人が全く反省していないし生きている。
被害者、その家族、この事件が社会的にどんな影響を現在進行形で与えているか。
その点に置いて冷静に知見を持って考えていくべき大量殺人だった。
もはや都市伝説級になっているが、まだ生き証人が居るので終わってはいない。
詳細を見ると犯人の置かれた状況について考えてしまう。もちろん凶悪事件であり犯人の身勝手さは酷いものだ。
しかし『村八分』について今一度考えてみる必要を現代に説くことになる。
この事件がいまだに二位だということに、戦慄も覚える。
どこかで思っていた人もいるだろう。日本でこの事件を越えることはないだろうと。
第一位 京都アニメーション放火事件(2019)死者35人負傷者33人
死者がこれ以上増えないことを切に願っている。