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2024-05-03

anond:20240503002018

世の中には金以外の指標を軸に生きてる人間がいるってのを理解できない人は一定数いるよね

そういう人に限ってたった年収1千万円程度さえ達成できてなくて笑える

金を第一に考えてるのにね笑

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 3/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

大学3回生の頃~

この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。

就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイト巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。

リクナビとかあるじゃん。あれで友達かにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。

当時は、LINEとかTwitter一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。

5.学内TOEIC受験の思い出

 本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃からTOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。

 受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプ学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。

 人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。

 その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。

 これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動通用しないはずがない。祇園木屋町などの飲み屋街、東本願寺渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!

※そんなふうに考えた時期が俺にもありました

そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。

あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。

6.佛大就職の話

 いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌大学職員給料ランキングでは、慶應関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記趣旨ではない)。

 大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。

 あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。

 考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。

 まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOBOGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。

けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。

就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。

二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。

その組は、男子女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。

その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。

最後レポート仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっとかにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。

と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。

当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかい次元ではない。消失している。全然からない。

なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である

余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。

根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉教育に強い大学はそうなのだろうか?



大学4回生の頃~

就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。

うちの大学卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。

7.偉大な先輩方の話

 当時は社会学部政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。

 ほかのゼミ交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだからレベルが高い人は一定存在しているのだ。

 社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分入学する数年前に総合商社内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売仕事に明け暮れていたらしい。

 単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。

 学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴現在地位相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。

 アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分同意である。どんな中学高校大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。

 どんな瞬間だって自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているかそれが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。

就職活動の話に戻るけど……就職活動面接で問われる内容(志望動機自己分析自己アピール就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。

就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材会社方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。

若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。

自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」

就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。

経済社会バリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなた大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。

将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい

結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。

大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。

当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。

両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダール小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。

両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。

この年度の終わり頃、卒業間近だったか大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。

「うちの学校から、こんな会社内定が取れるんや」

「ん。どこどこ?」

「ほら、ここや。この会社

「ああ、それマンコやろ」

「……」

「女の一般事務職だって総合職ちゃうし。こんな掲載詐欺に近い」

俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。

こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193041

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

相談は踊るの好きな回

酔った勢い告白してしまうかもしれません・・・!」(2016/5/3)

open.spotify.com/episode/532kEyQP9a5X0HVk9fTii4?si=f89RxzfyQmSh_Ya9Lz5PFQ

相談者が明るい

彼氏持ちだけど、他の男性から告白されてしまった」(2016/5/11)

open.spotify.com/episode/0v1kgKMPkAO5knQ8scbCHJ?si=MtIceBeISv61bZFiM2Bl-w

楽しそうだった。長い目で見たアドバイスをしていた。

アトピーについての相談」(2016/5/4)

open.spotify.com/episode/3hbadGIPEEfwujYS8HBW2k?si=RovUsKb5Ti-5JrZj-WEy8w&context=spotify%3Ashow%3A5nJKphQrMYlsdERY7w9hpX

アトピーは辛いって聞くなあ

「恩師に3年前の報酬を払って欲しい」(2016/6/2)

open.spotify.com/episode/4fCQP8lK5vhjq20nnlhuyB?si=NiTFl2xeTHWEEZ6tAfeMeQ

どんな事情があるんだろうなあと思った

「二人目の子供を作るか迷っている」(2017/5/3)

open.spotify.com/episode/1FjAvvh7olzdDQohccFdl3?si=M3CUvJgBQk-AbUrfEnIYJA

相談者はそんなに怒られるようなことは言ってない気もしたけど、わかる

「生まれてくるお腹の子のお宮参り。そのベビードレス義母の母に買ってもらったことで、実の母を傷つけてしまった」(2017/12/14)

open.spotify.com/episode/2XI9MgbSe1Y3WvDTxsgTNU?si=gvPy6SfhTxuYkvmsBiWlNQ

この実母みたいな人リアルにいる

同窓会きっかけに、6年付き合った元カレと再会しました。その彼と2人きりで会って話がしたいと思ったのですが、夫に話してから会いに行った方が良いでしょうか?」(2018/1/8)

open.spotify.com/episode/5j7vQpJJNxncXYUdHoRBPJ?si=HmlDi5qdSuC-q3t76TjLtw

「嘘をついて会社をさぼったことが上司にバレた。なぜ嘘をついてしまったのか自己嫌悪でいっぱいです」(2019/9/13)

open.spotify.com/episode/6M8043nMrHHz3JAgTlCucC?si=9xgMGFvbToy6Ka-hPuJp0A

こういう力の抜けた回最近なかなかなくて寂しい

「今から9年前、第一子を出産した際、夫が写真を撮ってくれたのですが・・・もやもやした気持ちの整理をしたいです」(2021/1/20)

open.spotify.com/episode/3TfOaCHQmc2krYRTEaDBFk

エグい

「孫が生まれとき対応で長年の親友と気まずくなり既読スルーされている」(2017/6/23)

open.spotify.com/episode/2CmBfokSayHHkhYpa1P3o0?si=-umsFCLiRmW-Ei2Gddb-LQ

幾つになっても…という話

元彼の今の状況を知る度に、“選ばれなかった自分”のことを思い知らされて惨めな思いがこみ上げてしまう。どうすれば・・・・」(2019/10/10)

open.spotify.com/episode/1MsjXHufKOsXawUGXbGPgl?si=T8x_zvauTG-bGnE3pbeYPg

知り合いが有名人になるのって辛いだろうなと常々思う

「数年ぶりに会うことになった友人が、部屋着のような服、すっぴん、唇ガサガサ、髪はプリン状態でやってきてモヤモヤしました」(2018/12/28

https://open.spotify.com/episode/0kC4VpJyp39ZFVTaT7zXKK?si=nGgY1pE4RHy2qNTil0afXg

相談者酷くね〜?と思ってたから怒られててよかった。

双子のお子さんのお母さんからの「秋に小学校受験をしてみたら、一人は合格でもう一人は不合格。一人だけ合格の時はあきらめて一緒に公立学校に通わせようと、夫婦で話をしていたのですが…」(2022/12/8)

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%BC-%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AF%E8%B8%8A%E3%82%8B/id1630372322?i=1000589338042

結局どうしたんだろう

自分は受かった子は入学させた方がいいと思った

35歳男性会社役員クラス上司から休日ランチに誘われました。何の話をされるのかも検討がつかず、内心ブルブルしています。どうしたらいいか…」(2022/3/31)

https://open.spotify.com/episode/0ovCRemnE9PlPhrMCKwdIK?si=IlmgFoxVTFatPt9fjNSOng

堀井さん退社の日の回

リスナー居たら好きな回ききたい。

鬼滅の刃で知性ある無惨様の場合

第一

無惨「もし、青い彼岸花ご存知ですか?」

炭治郎母「はい。みかけます

なんやかんやあって青い彼岸花みつけて号泣する無惨様の後ろでドン引きする炭治郎母。

2024-05-01

きょうだいの変換の第一候補

姉弟だったのに少し動揺してしまった

「してい」で出したいのだが、候補に出てこない

「けいまい」は出てくる

anond:20240501220107

君は初心者かい?小便小僧機微というものがわかっていないようだね。

だが心配するな。ここにいらっしゃるベテランの私が、仕事の極意を教えてやろう。

第一に覚えておくべきは...トイレを綺麗に使うことだ!

便器の水しぶきが壁に付くような下品仕草絶対に許されぬ。

紳士たる者は、いつでもトイレ掃除の準備okでなければならない。

これが我が社の伝統なのだよ!

令和5年(タ)第12号 離婚請求事件

           原   告          深 川 恵 李

                          小 池 美 帆

                          赤 木 美 琴

                          尾 崎 正 和

                          永 山 悟

                          永 谷 正 男         延岡消防署消防長

            代理人弁護士         渡 辺 純 一       延岡総合法律事務所

                           西 山 律 博

                           松 岡 優 子

                           成 合 一 弘         延岡是々非々弁護士事務所

                           成 合 陶 平               〃

            被   告          前 田 記 宏

   事案の概要  本件は、令和4年4月11日に、キーポイント嶋田という氏名で、妻のぷちくらが、夫の、当時、字下げと婚姻をしたが、令和4年6月8日に来た振替嬢に対してアパート玄関で大声を上げた、9月以降にLIPなどで不貞行為があった、令和4年11月30日に強制保護され、令和5年2月頃から弱者男性は嫌いだから殺そうという思想が芽生えた、令和5年5月1日頃に自転車を盗られた、令和5年6月13日に祖父熊谷と一緒に歩いて出て行ったら大声を上げられた、令和5年7月19日に、戸田と言う名前で近寄って行った際に、あすかきらら馬鹿にされた、などのことから離婚請求をしている事案である

  主文  本件請求棄却する。

   第770条【裁判上の離婚

① 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。

一 配偶者不貞行為があったとき

二 配偶者から悪意で遺棄されたとき

三 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき

四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき

五 その他婚姻継続し難い重大な事由があるとき

② 裁判所は、前項第一から第四号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情考慮して婚姻継続を相当と認めるときは、離婚請求棄却することができる。

令和6年4月22日

       宮崎地方裁判所延岡支部民事

                                   裁判官  原 健 太

    これは謄本である。                同日同庁

                         裁判所書記官    荻 原 由 香 子

CCさくら第一話を久々に見始めたら雪兎が登場するあたりで鳥肌が立って無理だった

もうだめだ

anond:20240501073137

東大第二部を作れば良くね

補欠合格者だけ集めた学部

成績次第で第一部の生徒と入れ替え

2024-04-30

黙って人を診断し人の好き嫌いを見透かし型にはめて役を決めてあげることが人たらしの第一である

否が応でも関与させる状況に陥らせ自分企画提供ドーパミン中毒にさせるギャンブラー精神がないと何も手に入れられない

しかったね、よかったでしょと押し売りすることが大事

キャリアがあり金持ちだが親の仕事をせず子を無視する母親(何なら子をキモがる母親)と子とでは人間関係ができるわけもなく

子は保険をかけられぶち殺されないよう第一◯命や大◯生命調査しては通報するが、省庁がわざわざ動くはずもなく

子は砂漠のような国でどうやら生きてはいるがいつ暗殺者が現れるかもしれず、憲法など飾りだと思う

それで自己憐憫に陥らないためだけに怒ってみたり不安のない人のフリをする

anond:20240430175206

炒飯弁当とか、中華弁当食ったこと無いだろ

第一シウマイ匂いダメとか偏食なんだな

暖めて食べてないか匂いだけきついのでは?

面接つかれたあああ

あああ!

特に第一志望ってわけでもないし!

なのに緊張して全然寝れないし!

てか非正規だし!

なんかちょっとブラック寄りのグレーぽかったけど!

働いてないよりマシかなと思わなくもないけど!

でもグレーっぽいのがきになる!

最低賃金だし!

面接官やさしそうに見えてパワハラしてそうにみえるし!

でも資格職歴もないか最低賃金でもしょうがないし!

うわああああ!

あああ!

相談は踊るの好きな回

酔った勢い告白してしまうかもしれません・・・!」(2016/5/3 )

open.spotify.com/episode/532kEyQP9a5X0HVk9fTii4?si=f89RxzfyQmSh_Ya9Lz5PFQ

彼氏持ちだけど、他の男性から告白されてしまった」(2016/5/11)

open.spotify.com/episode/0v1kgKMPkAO5knQ8scbCHJ?si=MtIceBeISv61bZFiM2Bl-w

アトピーについての相談」(2016/5/4)

open.spotify.com/episode/3hbadGIPEEfwujYS8HBW2k?si=RovUsKb5Ti-5JrZj-WEy8w&context=spotify%3Ashow%3A5nJKphQrMYlsdERY7w9hpX

「恩師に3年前の報酬を払って欲しい」(2016/6/2)

open.spotify.com/episode/4fCQP8lK5vhjq20nnlhuyB?si=NiTFl2xeTHWEEZ6tAfeMeQ

「二人目の子供を作るか迷っている」(2017/5/3)

open.spotify.com/episode/1FjAvvh7olzdDQohccFdl3?si=M3CUvJgBQk-AbUrfEnIYJA

「生まれてくるお腹の子のお宮参り。そのベビードレス義母の母に買ってもらったことで、実の母を傷つけてしまった」(2017/12/14)

open.spotify.com/episode/2XI9MgbSe1Y3WvDTxsgTNU?si=gvPy6SfhTxuYkvmsBiWlNQ

同窓会きっかけに、6年付き合った元カレと再会しました。その彼と2人きりで会って話がしたいと思ったのですが、夫に話してから会いに行った方が良いでしょうか?」(2018/1/8)

open.spotify.com/episode/5j7vQpJJNxncXYUdHoRBPJ?si=HmlDi5qdSuC-q3t76TjLtw

「嘘をついて会社をさぼったことが上司にバレた。なぜ嘘をついてしまったのか自己嫌悪でいっぱいです」(2019/9/13)

open.spotify.com/episode/6M8043nMrHHz3JAgTlCucC?si=9xgMGFvbToy6Ka-hPuJp0A

「今から9年前、第一子を出産した際、夫が写真を撮ってくれたのですが・・・もやもやした気持ちの整理をしたいです」(2021/1/20)

open.spotify.com/episode/3TfOaCHQmc2krYRTEaDBFk

「孫が生まれとき対応で長年の親友と気まずくなり既読スルーされている」(2017/6/23)

open.spotify.com/episode/2CmBfokSayHHkhYpa1P3o0?si=-umsFCLiRmW-Ei2Gddb-LQ

元彼の今の状況を知る度に、“選ばれなかった自分”のことを思い知らされて惨めな思いがこみ上げてしまう。どうすれば・・・・」(2019/10/10)

open.spotify.com/episode/1MsjXHufKOsXawUGXbGPgl?si=T8x_zvauTG-bGnE3pbeYPg

「数年ぶりに会うことになった友人が、部屋着のような服、すっぴん、唇ガサガサ、髪はプリン状態でやってきてモヤモヤしました」(2018/12/28

https://open.spotify.com/episode/0kC4VpJyp39ZFVTaT7zXKK?si=nGgY1pE4RHy2qNTil0afXg

双子のお子さんのお母さんからの「秋に小学校受験をしてみたら、一人は合格でもう一人は不合格。一人だけ合格の時はあきらめて一緒に公立学校に通わせようと、夫婦で話をしていたのですが…」(2022/12/8)

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%BC-%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AF%E8%B8%8A%E3%82%8B/id1630372322?i=1000589338042

リスナー居たら好きな回ききたい。

2024-04-29

anond:20240429184403

ハガレンアークナイツコードギアスあたり。ハガレンサービス終了してるけど。

プリコネ無課金で進めていったけど、第一部?が終わる前に詰んだよ。

anond:20240429165559

そのへんのガキ餌付けしようとする行動とかグルーミング第一歩やろ

   憲法第一部              石川健治

      憲法第一部では、 幸福追求権を定める14条、公共の福祉規定する13条を中心に扱う。 哲学者ゲーテは、自由平等を同時に約束する者は山師であると述べるが、

    人間自由であるとともに、制限されたものの中に真理があると言明する。この観点から福祉国家規定する憲法25条が、必ずしも、平等約束するものではないことに加えて、

    制限されたものの中における競争という原理憲法採用していることを解説する。ゲーテは、自由社会平等などは存在しない、ということである。この観点から金融証券取引法などの

    行政法が、我が国における資本主義社会修正し、そこに確立されている制限的な美の有様を暴き出していくこととする。

    平成17年4月1日年度から平成19年9月28日までに、法学部担当していた教員の氏名は、分類で以下のとおりであり、平成19年10月13日以降の法学部

  の担当教員ではなく、 下坂行雄の前任者であって氏名不詳の者が担当している時代とは関係がない。

    平成17年~19年9月28日まで

   憲法第一部  省略

   憲法第二部  高橋和之             現在   弁護士就任以後にコメンテイター

   民法第一部  森田宏樹

   民法第2部  能見善久

   民法第3部  内田貴

   民法第4部  道垣内弘人

   刑法第一部  佐伯仁志

   刑法第2部  西田典之                  平成25年6月13日に死去

   商法第1部  江頭憲治郎

   民訴法第1部   ネクタイ

   刑訴法      川出敏裕

   政治学      加藤淳子               

   英米法       寺尾美子の後任に、浅香ちもと

      平成19年10月13日以降不明

                      教務課学部チーム   もりわきのまま 総務課の糞女 下坂行雄

   学部3年生向け 講義    刑事訴訟法       担当教員  川出 敏裕

     令和6年度の第1回講義では、昭和51年最高裁決定(岐阜呼気検査拒否事件)の法廷意見を取り扱う。この問題は、警察官が有形力を行使できる場合を、

   強制捜査において根拠規定がある場合ではなく、根拠規定存在しない、任意捜査場合の、 判断枠組みが存在することを発見し、これを示したものである

    29日の第一講義では、この問題を題材にして、関係する刑訴法法令検討するので、ポケット六法などを持参すること。なお、判例六法は、有斐閣のものは、推奨しない。

                                法  学  部

2024-04-28

anond:20240426152923

女の人生をイージーだなんて言うから、男の辛さを分かって貰いにくくなるんだよな。

性欲をぶつけられるという入力に対し、出力は快感なのか、恐怖なのか。

その関数の違いを認知することが大事だよな。

自分の生きづらさを理解してもらうための第一歩は、「異性」等々別の立場を生きる人間の生きづらさを理解し、共感することだよ。

公立中学校上級生には知的障害者か聞かれ

母親首吊り死体第一発見者になり

不登校になった高校卒業アルバムは誰の寄せ書きもないまま直帰し

会社説明会では非大卒ゆえに担当者露骨無視をかまされ

派遣労働会社電話番には吃音ゆえに日本国籍の方か聞かれ

服屋の店員にはクレカ審査が通らなかったことを苦笑いで伝えられ

客が入ってる売り場のど真ん中で次はねえからなとバイトリーダー恫喝され

結婚式にも同窓会にも呼ばれないし足を運べない無職の子供部屋おじさんになり

なんだったんだろうなこの吐瀉物みたいな人生

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