はてなキーワード: 競泳水着とは
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
shields-pikes 近年、陸上短距離の女子選手の露出度が高過ぎるのは謎。空気抵抗を減らすためと言う理由はわからなくもないが、それなら大会本番だけで良くない? そもそも、なんで男子は腹出してないのに女子だけ腹出してるの?
俺が学生だった頃は女子のセパレートは一般的ではなかったし(少なくとも周囲では)し、種目が中長距離・競歩だった俺は(セパレートの恩恵が大きいと思われる)短距離のことはあまり分からないので想像も多分に混じってますが。
女子は胸があるので、その分だけ胸~腰にかけてシャツの中に隙間ができます。
風を受けるとその隙間のせいでシャツの布がバタついて余計な空気抵抗が生じてしまうのでセパレートになっていると思われます。
(そういう意味では、短距離はセパレートが合理的な一方で中長距離はセパレートである必要性はないのでは?と個人的には思います。後述の涼しいというのはあると思いますが。)
[追記]
女子用のウェアを調べてみたところ、セパレートの上にはパッドが入っていて1枚で着用できるみたいです。
普通のユニフォーム(男子みたいなやつ)だと下着 + ユニフォームの2枚になって暑い & 洗濯物が増えるので、女子だと種目に限らずセパレートの需要が高そうです。
[追記ここまで]
「ユニフォーム = 本番の勝負服」というイメージがあるのかもしれませんが、ユニフォームは勝負服ではなく陸上競技に取り組む際の専用服です。
基本的に本番だから着る(or 練習だから着ない)、とかそういう理由で着る(or 着ない)ものではなく、可能なら練習時もユニフォーム着用が望ましいです。
練習の時点で本番と同じ格好をしていないと体の感覚が狂います。
例えば、ハーフパンツとランパンでは脚の可動域が変わるので、フォームも微妙に変わります(特に短距離だと影響が大きいと思います)。
本番は間違いなくユニフォームなのだから、本番に合わせてユニフォームで練習するのはおかしい話ではありません。
(もちろん気温等の状況に応じて適切な格好はあると思いますが、Tシャツ・ハーフパンツよりはユニフォームが極力望ましいという話です。)
[追記]
[追記ここまで]
また、陸上競技(というかスポーツ全般)は現在の実力から目標までの距離を埋めるために練習をします。
可能な限り本番と同条件で練習をしないと現在の実力と目標までの距離を正確に測れないので、最適な目標や練習メニューを立てられません。
ユニフォームからは話が逸れますが、トラック種目に出場予定なら土のトラックではなく全天候型のタータントラックで練習した方が良いのも同じ理由です(土とタータンだとタイムがかなり変わるので正確な実力が測れません)。
「Tシャツ & ハーフパンツでも大差なくない?」と思うかもしれませんが全然違います。
肌の露出が少しでも多い方が(布と体の間に)熱がこもらない & 肌に風が直接当たって体を冷やしやすいので、特に夏は練習時でもユニフォームが良いです(日焼けによる体力の消耗との兼ね合い等は当然あります)。
[追記]
冒頭の追記の通り、女子用は1枚で着られる(下着不要)なのでセパレートの上は圧倒的に涼しいと思われます。
[追記ここまで]
・下半身は男子と女子で大差ない(少なくとも胸のような大きな突起はない)はずなのに女子だけランパンの形状がブルマになっている理由はよく分かりません。
・「涼しい」という観点では男子もセパレートの方が良いと思いますが、女子と違って「胸による空気抵抗」があまり問題にならないのでセパレートに移行する動機が薄い(& 需要が低い)のだと思います。
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
性に目覚めたのがいつだったか、覚えている者は少ない。たとえば、裸がエッチだということを知っていて、のぞいて見たいと思うことがあっても、その願望とおちんちんをいじっていて気持ちよくなることと結びつくのは、おそらく思春期以降なのだと思う。性欲は、具体的な対象を持つよりもずっと前から心の奥に不可解なエネルギーとして蓄えられていて、それが将来何に向かうのか、誰にもわからない。
小学生の頃の自分にとって一番エッチだったのは、成熟した女性の裸やおっぱいよりも、同級生のパンチラだった。姉妹と一緒に風呂に入っていたので、女性の体など珍しくなかったのだろう。それよりも、めったに見る機会のない同級生の下着のほうが、性器そのものよりもエッチだった。
スカートめくりはしてはいけないことだと知っていたので、掃除の時間の雑巾がけの時間に、ばれないようにのぞいていたことを覚えている。どうして中身よりも布切れに興奮していたのか、今になってもわからない。ただ、今でも生のおっぱいよりも長袖レオタードやブルマーに興奮してしまうのだから、おそらくおっぱいよりも、パンツというかお尻の曲線に対する執念が根深いのだろう。
そういうわけだから、初めてチアリーダーを見たときには、子どもながらに衝撃を受けた。なぜなら、パンツが見えていると恥ずかしがる普通の女の子たちと違って、彼女たちは大胆にも片足を上げてスカートの中を見せるし、時には飛び上がって開脚しながらブルマーを見せる。スカートの色とおそろいのブルマーはかわいらしいし、逆にスカートとブルマーの色が違っていたときには、ますます本物のパンチラっぽいというか、見てはいけないものを見てしまったとき特有の興奮があった。今にして思えば、あれだけの体を鍛えている人に対して欲情してしまうのは失礼だと思うのだけれど、きれいな人が多いし、性に目覚めたばかりの少年にとって性欲は未知のもので、どうやってコントロールすればいいのかもわからず、困惑するばかりであった。
ところで、チアリーダーの歴史は古い。チア衣装のコスチュームは1920年代にまでさかのぼる(https://cheer.epicsports.com/cheerleading-shorts-history.html#:~:text=Cheer%20shorts%20or%20bottoms%20worn,of%20spectators%20at%20football%20games.)。もちろん、保守的な時代のことだから、今みたいに下着のようなものを見せることはなかった。
流れが変わったのは1960年代だ。スカートの長さが膝丈くらいになり、下着が見えるのを防ぐために、ブルマーを導入したようだ(同上)
ただし、あまりにもスカートを短くしすぎてブルマーが丸出しになるのもだめらしい。次の資料によれば、米国の高校のチア連盟では、スカートの丈は12から14インチ、(30から35センチ)と指定されている。また、ショーツ型ブルマーよりも2インチ(5センチ)、ボクサーショーツよりも1.5インチ(4.25センチ)長くないといけないらしい。
(https://www.wisegeek.com/what-is-cheerleading-underwear.htm)
NFLでは、さまざまなチアの衣装があって、かっこいいけれども、やっぱり高校生のチアみたいにシンプルで、色気がありすぎないのが、私は好きだ。
(https://www.insider.com/history-of-nfl-cheerleader-uniforms-2017-2)
純白のテニスウエアの下にブルマーをはいているところにとてもドキドキしてしまった記憶がある。やはり、見られることが前提ではないものを見てしまったことによる戸惑いなのだろうか。それとも、同級生の女の子がパンチラ防止にブルマーをはくようになったせいで、ブルマチラにまで欲情するようになってしまったのだろうか。
さて、古い英国の小説を読んでいると、しばしばテニスをやる場面が出てくる。当時のことだから、やはり長いスカートを身に着けて行っていたようだ。それが、やはり60年代にミニスカートが流行し、そういうスタイリッシュな姿で運動することがもてはやされた。その結果、パンチラを防止するためにアンダースコートを身に着けるようになったのだろう。
https://www.allure.com/gallery/tennis-fashion-history
ただ、資料が少ないために、フリフリのアンダースコートと、今のようなホットパンツのようなアンダースコートがどのように移り変わったのかの資料は、まだ見つけられていないわざわざ写真に残している人が少ないというのもあるのだろう。下着の服飾史を研究している人々は、こういう人々の恥じらいというか慎み深さで、苦労しているに違いない。
ところで、とある人から、テニス部の少女でスカートの下にはアンダースコートを身に着けているのはレギュラーで、それ以外の子はブルマーだ、という説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか?
スカートの中が見えないようにブルマーあるいはそれに準ずるものをはく習慣は、おそらくミニスカートが流行しだした60年代に端を発する。そうしたファッションを受け入れる下地が、その時代までにはできていたということか。とはいえ、ビキニの発明は1946年のこと、ずっと早い。
今後は同じようにレオタードやバニーガール、競泳水着の起源について調べ、脚を見せるようになる習慣が同時多発的に発生したのかどうかを検証したい。時間もあまりないので、今調べた範囲でごく簡単に述べておくと、バニーガールについては、ヒュー・ヘフナー氏が1960年2月29日に、バニーガールコスチュームを発表したそうである。
https://www.pixiv.net/artworks/64464179
また、レオタードについては、元は男性の衣装だったように記憶している。
それが、自由を求める女性の間で1960年代以降に広まった、と書かれている。ただし、資料によっては年度のずれがある。
https://fashion-history.lovetoknow.com/clothing-types-styles/leotard
また、暇ができたときにでも調べるつもりだ。
幼いころからブルマーが大好きで、それは一貫しており今でも変わっていない。
ただし、ブルマーを盗むような真似をしたことはなく、単純にお尻が好きらしい。ブルマー単体にはそこまで興味はない。お尻の部分に色がついていてふとももは素肌のまま、その色の対比に対するフェティシズムだ。
そうしたわけで、競泳水着もレオタードも好きだし、パイロットスーツも色分けされていれば許容範囲だ。バニーガールもかわいい。
逆に、お腹の見えるビキニはそこまで好きではない。おっぱいとお尻を隠すだけの扇情的な姿よりも、上半身にパーカーを羽織ったビキニ姿のほうが興奮する。上半身をしっかりと覆いながらも下半身が露出しているのが好きだ。だから上半身ジャージ下半身ブルマー、いわゆるジャーブルは最高だ。同じ理屈でミニスカートにパンチラ防止のブルマーも素敵だ。もちろん、チアのアンスコも好物だ。ショートパンツ女子もいい。ただ、なぜかストパンにはそこまで食指が動かない。白い下着は紺色のブルマーほど好きではないからだろう。臙脂や緑のブルマーもかわいいが、紺色にはかなわない。でも、陸上女子のレーシングショーツは、ブルマーに似ているからかへそ出しでも興奮する。腹筋もかっこいい。
それはさておき、これには何か原体験があるのだろうか。確かに、YMCAの体操教室で、優しいブルマー姿のお姉さんが、といっても自分は低学年で相手はせいぜい高学年くらいなのだけれど、よく構ってくれたから、そういう好印象があったのかもしれない。それに、跳び箱や鉄棒、平均台やマット運動をするために並んでいると、必然的に後ろからブルマーを見ることになるから、それでお尻が大好きになったのではないか。あるいはプールの授業の女子のスクール水着に何か思うところがあったのか。
そういう風に説明できれば、さぞわかりやすいことだろう。しかし、自分にはそれよりもさかのぼる記憶がある。鉄腕アトムだ。子供のころ、白黒時代のアニメを紹介している番組で見たのが、アトムとのファーストコンタクトだ。
鉄腕アトムは少年の姿をしているが、なぜかパンツ一丁で空を飛ぶ。その姿を、自分はなぜかかっこいいと思っていた。どうしてパンツ一丁がかっこいいと思ったのか、その理屈はわからない。でも、小学校に上る以前に青のパンツ一丁でポーズを決めてみたいという願望があった。持っていたパンツは白だけだったのに。今にして思えば、それは性器と直結する以前の性欲だったのかもしれない。おちんちんよりもお尻のほうがエッチだと思っていた覚えがあるのだが、これはフロイトのいう肛門期性欲なのだろうか。
やがてその原=性欲が対象を少年から女性へと移し、ブルマーフェチに変わっていったのではないか。今でもレオタードも競泳水着も、青や紺が一番かわいいと思っている。
競泳水着に乳首も浮き出させてくれてるロリ巨乳なんて最高過ぎる pic.twitter.com/plwbdPzKJl— まつうら (@iHfdnaGb790TQHw) October 8, 2019
人生の中で、棚上げにしていた問題に再び向き合うことになるときがある。そうすると問題が期せずして解けることもあるし、まだまだ力不足だとわかるときもある。
今回は、人生で初めて性行為をしたソープ嬢のお姉さんと再びお相手を願った。
初めての性体験は、初めての風俗だった。それまで、まったく女性体験がなかったのでどのようなものか性欲に駆られて行為をした。
ちなみに、その後私の風俗経験は増えたが、風俗に行くたびに精神的な空虚感を感じる。いまも、金銭的にはお金を浪費してしまったしたいして良い思い出でもない。
初めてのお姉さんに再び会った。自分の性欲に再び向き合うときが来た。久しぶりにあったお姉さんは、写真より顔がエラばっていて、独特だった。体はきれいだった。はじめて見たときはAVのように抜群のプロポーションではないと落胆したが、いま見ると非常に整っている。きっと競泳水着を着せたらすごくセクシーだと思う。体の一部に根性焼きと思われる跡があってさ、ああ自分とは全く違う世界に生きているんだなと醒めた気持ちになった。
ひたすらお姉さんは私にしゃべらせた。すごーいとか相槌を打ってくれて、申し訳ないけれど、そんなに話すことが楽しくなかった。
何だろうな、お姉さんの前にいることを申し訳なく思った。
身体はきれいであった。顔はちょっとキツそうな感じだった。話してみても掴みどころはなかった。性行為は単調だったので、なるほど性行為には上手い下手があるのだとおもった。
例えば、流行りのアニメキャラのコスプレした女の子に「きみ、気持ちよくなるためには何でもしますって言ったよね? なら、私のアソコ舐めなさい」と顔面騎乗してもらったり。
それから、塩対応な低身長風俗嬢に女子高生コスプレをしてもらい、しぶしぶスカート越しに太ももをスリスリしてみたり。ああもう、すごおく興奮した。
あと、コスプレオプションを指定したら、セーラー服のチャックが閉まらないほど豊満な女の子が出てきて、気づいたら姉弟プレイで「お姉ちゃんと弟はシタらだめなんだよぉ」て囁かれながら絶頂したり。
ああ、腰まで掛かる黒髪ロングのお姉様に四肢を押さえつけられながら言葉攻めされて絶頂したのは、本当に楽しかった。
きっとこれからも、学習せずにときどき風俗に行くのだろう。まあ、身を滅ぼさない程度に楽しんだらいい。
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お姉さんとは、数年ぶりの再会であった。不思議なことに、思い出の中のお姉さんより現実のお姉さんのほうが若返っていたのだった。
ほとんど競泳水着に防具を付けただけでは、と言いたくなるようなセクシーなコスチュームがいい
おっぱいドーンだし肩だしで、ほんと見せびらかし感がよい
たぶん衣装はレースクイーンがすごくかわいく見えるのと同じ動作原理
まあ、FGOやったことなくてエロ同人誌でしか知らないキャラなんだけれどね
なんというか、着衣フェチ成分というか「抜くためのデザイン」という確固たる意志みたいなものを感じる
しっかりオタクの性欲に寄り添って、的確にツボを突かれている
最近、基本的に服を着ている状態のキャラに対してしか欲情できなくなってきたので、本当にありがたい
ほんと、こういうキャラデザしてくれる作者さんには感謝しかない
まじで、ありがとう
角川主導のラノベ原作アニメで主要キャラが新人女性声優ばかりで、その後消えたみたいなのは除くと
デビュー作ではないがメインヒロインをはった「タッチ」が有名、共演の三ツ矢雄二から下手くそと言われるレベル。声質を買われてたらしいのである意味その後の活躍を考えると音響監督はめちゃくちゃ有能。
みんな大好き舞浜サーバー、ゼーガペインの未来の大監督リョーコ・カミナギこと守凪了子。
いきなり英語セリフで月面のハードな戦闘からうってかわって男同士のキスシーンから主人公が競泳水着になるという自然な流れ花澤香菜の下手さが、薄まる感。
やっぱり声質で選んだらしいので音響監督めちゃ有能。
その下手さは今の上手いざーさんに慣れてると720度回ってある意味ありっちゃあり。
会長はメイド様!の紗奈や緋弾のアリアのレキなどで棒読みっぷりを発揮。ただ、二人共そういう喋り方のキャラなので、下手というのとはまた違っているかもしれない
久しぶりにがっつりプレイ始めたら季節的にちょうどクリスマスデート目的にするゲームだったねこれ
たった一か月で恋人つくる、ねえ。。
七咲七咲七咲
おまけモードで恥じらい顔+競泳水着七咲のポーズを変えてずっと眺めていられる
でもおまけモードだと股間の部分が見えないのが悔しすぎる
頭なでてもらって髪きれいですねって言われたけど俺坊主なんだよなあ・・・
それにしても七咲はほんとやばいな
きつそうでいて実は一番甘々っつーかだめんず好きで身を滅ぼすタイプっぽい・・・
しかし空気が甘すぎる・・・なんかもう実質両想いなのにまだ最後の一歩の告白ができてないから正式にカレカノになりきれてない感じがもうね・・・
うーんでもいまだにシステムが完全に把握できてないのはだめだめすぎるな
turn5でhighにしてアタックしないといけないのはわかるけどノーヒントすぎて難しい
七咲はもともと難しいらしいが・・・
しかしかおるとかりほことかかなり親しくしてたのにたった一か月で疎遠になりすぎだろ・・・
逆に七咲とはたった一か月で仲良くなりすぎだけど
あー七咲かあいい
マジ七咲好き
人気はほかのキャラに比べたらひくいのかもだけど俺の中では一番だ
七咲になでてもらったらちくちくするとかいうんだろうか
水の抵抗がなさそうとかいうんだろうか
ああでもキャップかぶるから髪の毛は別に問題ないって話あったな
七咲に会いたい
七咲に会いたい
死にたいよ
もう20年近く前のことだけど、高校の頃、クラスメイトの水泳部女子が、プールの授業のときに部活で使っている競泳水着を着てきたことがあった。
今はどうなのかわからないけど、当時の競泳水着って薄かったので、乳首が結構目立った。で、男子は大体見てみぬふりをしていたんだけど、俺はバカだったし、その子のことがちょっと好きだったこともあって、かなり見た。見まくった。
当然向こうにもバレてて、ちょいちょい目があったりもしたんだけど、嫌がるわけでもないっつーか、むしろ普通に見せてくれたというか。授業のあとにも何もいわれなかったし、嫌われたりとか、女子のあいだで噂を流されたりとか、そういうのもなかった。
……ってなことを書くと、フラグが立ってたのかとかなんとかもしかしたら思うかもしれないけど、別にそれから卒業まで何があったわけでもなく。
っていうか、その子の彼氏は同じクラスにいた軽音楽部のちょっと不良っぽい男だというのは有名な話だったりなんかして。
なんだったんだろうなあ、と夏になるとしばしば思い出してしまうのである。
なお、高校時代の夏の一番エロい思い出は、部活が休みの日の放課後に部室に行ったら、友達と友達の彼女(Gカップ)がふたりきりでいて、俺が入って行ったら何事もなかったかのように振る舞っていたけど彼女の衣服がめっちゃ乱れていたこと。どう見ても事後です、本当にありがとうございました。