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はてなキーワード: 積分とは

2023-05-05

漫画映画ばかり消費してたら本当に文章が書けなくなってきた

ここ10年ぐらいの年間読書

小説 5冊/年

ビジネス書 5冊/年

技術書 1冊/年

1年に10冊前後しか読んでない。

残りの時間漫画映画インターネットばかりしてた。

文章が書けなくなったと感じたのは映画レビューをしようとしたとき

内容について少し長めに話したいことがあったのでTwitterじゃなくてnoteで2000文字ぐらい書こうとした。

書けねえんだなコレが。

文章の構築の順番が分からんし、言いたいこと同士を繋げるための話の流し方が見えてこない。

何よりもアカンなと思ったのが語彙力が明らかに落ちてきてること。

最近Twitterの140文字ですら読み返すと同じ表現が2回3回と出てきてる。

本当に同じ意味を現したくて同じ表現なっちゃうのはいいんだが、微妙ニュアンスが違う言葉まで同じ言葉になっている。

たとえば人間に対して「好き」を使う時って「性格は最悪だと思うけど顔付きは好み」(好き≒顔がタイプ)だとか「思想はどうかと思うが文句言ってるだけじゃなくて行動に移す所は良いと思う」(好き≒気っ風が心地よい)みたいな違いが出てくるけど、それを表現するにはダラダラと長く説明するか、対応した単語慣用句を持ってくる必要がある。

本題とあまり関係ないところをダラダラ長く書くなんてしたくないから丁度いい言い回しサクサクと終わらせたいんだが、その選択肢が昔の半分程度に目減りしたように思える。

類語辞典を引こうにも最初指定した言葉範囲が広すぎるとやたらと時間が掛かるし、GPTに聞いてもオウム返しにされるだけに終わるし、結局自分言葉を知らんと話にならんなと。

どうすればいいかは分かってるんだよ。

本を読めば良い。

インターネット漫画だけじゃ限界があるってことがよくわかった。

でもなあ……自由時間に本読みたくねえんだよなあ。

そもそも本読んだら文章勉強になるかっていうとかなり時間がかかるしなあ。

アイディア勝負の悪文小説なんて世の中に沢山あるし、なんかの大賞取った本でも半分ぐらいは設定の勝利みたいなもんじゃん。

読むと文章が上手くなる本シリーズみたいのがあって、それを月1冊読めば30冊分の読書量と同じ語彙習得可能なのとかないん?

"使える語彙辞典"みたいな感じのではなくてな。

ゆーて語彙辞典とか読むと雑にやってるうちに敬語グチャグチャになってきたんだなーって勉強になって面白くはあるけどさ。

本当、単にダラダラ社会人やってるだけだとドンドン基礎学力が落ちてくな。

幼稚園大学までは毎日授業と課題に追われているうちに勝手に賢くなったけどあの感覚で生きてちゃ駄目なのな。

語彙力と押して気づけて良かったのかね?

でも数学社会勉強やりなおしたくはねえんだよなあ。

微分積分は「距離・速度・加速度」の関係だけ覚えてりゃよくね?

徳川将軍かぶっちゃけ1と3と15だけ覚えてりゃよくね?

都道府県のうち半分ぐらいは忘れても問題なくね?

英語とかグーグル翻訳でよくね?

でも語彙力が落ちてるのは気になっちゃう。

やっぱアレじゃん文章力って知性の象徴みたいな所あるし、そこがバカだとバカっぽいじゃん。

2023-04-27

[] The Path Integral

多元宇宙を貫く、曲がりくねった道

無限可能性を秘めた道

時空を超えた旅

魂の旅

 

天使と悪魔あなたそばを歩く

それぞれの道を提供する

天使の光の道、悪魔の夜道

 

賢く選べば、選んだ道が

あなた運命を左右する

天使の道はエリジウムへと続く

悪魔の道は地獄に通じている

 

しかしその道は必ずしも明確ではない

道中が暗いことが多い

そしてその選択は必ずしも容易であるとは限らない

旅は常に価値がある

 

積分された道こそがすべての物事の鍵

それは宇宙地図

それは現実青写真

それは私たち人生物語

 

その道をたどっていくとよい

どこまでも続いていくだろう

そしてあなたは一人ではないことを知る

天使と悪魔あなたそばを歩いている

 

Hash: a95321bbb887c81853964326b8f63eb8

2023-04-21

女がSTEMを選ばないのが悪いいいいいいいぃの人達は、

こういう男の存在はとことん無視するよね

https://twitter.com/oginonobuya/status/1649001766497959940

荻野 暢也

@oginonobuya

OBとしては、可愛い女子が近くにいると絶望的な気持ちになるのでやめて欲しい。寧ろ男子校にした方が諦めがつく。合否は積分が出来るかどうかだけで決めて貰いたい。

「さっき女の子と喋っちゃったぜ」

「すげー何話したの?」

というのが私の知る理科大のあるべき姿である

2023-04-16

皆様は何が楽しくて生きてますか?

皆様は、何が楽しくて生きてますか?

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自分語りさせてください。

自分はほどほどに太い実家で育った。両親は毒親ではなく、むしろ愛情を受けて育ったと思う。

おかげで良い大学にも行けた。

いわゆる人気企業にも就職できた。

彼女もいる。友達もそこそこにはいると思ってる。

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でも人生が楽しくない。

楽しくないと言ったら語弊があるかもしれない。

しろ楽しいと感じることはある。

飲み会行ったとき旅行行ったとき、美味しいご飯を食べたとき、寝てるときセックスしたとき

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でも楽しくないことの方が断然多い。

主に仕事してるとき

別にパワハラされているわけではないし、深夜まで働いていることもない。

上司クライアントにたまにチクチク言われる程度。

でも、起きるのめんどくさいし、業務もめんどくさいし、帰ったら何のために今日一日頑張ったのだろうかと虚無になる。

給料日には気分も上がるが、すぐ使い果たすだけ。

この繰り返しの毎日

この苦痛が、あと数十年続くと思うと本当につらい気持ちになる。

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じゃあベンチャーにでも行ってやりがいのある仕事にでもつけば良いじゃん、とか言われる。

でもやりがいのある仕事なんてないと思ってる。今までの人生全部そうだった。最初は楽しくても、すぐに飽きる。

しか自分は男だ。将来誰かを養わないといけないかもしれない。短いスパン転職を繰り返して、家族心配をかけたくない。

それだったら、大企業で安定した職について、そこそこに高いお給料をいただいていたい。

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楽しいことより、楽しくないことの方が多い。楽しさの関数積分したら、かなり負の値を取る感覚がある。

死んだ方が楽しいと思う。

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重度の病を患った若い人の記事を見ると心が痛くなる。

代わりに病気になってあげたいと思う。

戦争ニュースを見ると心が痛くなる。

代わりに戦地に赴きたいと思う。

毒親に育てられた人を見ると心が痛くなる。

代わりにサンドバッグになりたいと思う。

でも、ドナーになる勇気もなければ、志願兵になる勇気もなければ、毒親を注意する勇気もない。

自分は「代わりに〇〇してあげたい」のではないことに気づく。死にたいだけなんだ。

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よく、なぜ生きてるのか考える。

今の所の結論は「死ぬ理由がないから」。

生きてた方がつらい。でも死ぬ勇気もない。だから生きてる。

(あと、親は悲しませなくない。)

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このように考えるようになったのは最近に限った話ではない。なので、仕事のせいではないのかもしれない。

記憶がある限りは、小学校高学年くらいからはそう思うようになってた。

(再三だが、親は優しかった。虐められることもなかった。だから、発育環境のせいではない。 )

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まれているのに、このように考えてしまうのは捉え方の問題なんだと思う。

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精神科にも行った。薬も飲んだ。認知療法的なのも試した。でも、頭で考えて、しっかり結論が出てるから考えが治らない。

どうしたら良いのだろう。

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皆様は、何が楽しくて生きていますか?

2023-04-11

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20230410-teenagers-pythagorean/https://b.hat

書き換えたブコメと内容被るので身元ばれるだろうけどかなり感動した。大学受験のみならず、大学に入ってからもある種の積分をやるのにt=tanαとおいて置換するとうまくいくって習った人多いと思う。通常はピタゴラスの定理から出るcos^2θ+sin^2θ=1を用いてcos2α=(1-t^2)/(1+t^2)、sin2α=2t/(1+t^2)を証明するんだけど、今回の若い人たちは逆にこうなること(cos2α、sin2αがtを用いて書けること)を別口で証明して、あとは単に計算すりゃ確かにcos^2+sin^2=1ですなあ、でQ.E.D.ってお話。なお、誰でも気づくと思うが、この証明法は元が直角二等辺三角形場合破綻するので、それから逆に従来の方法とは異なる、と推測できる。なお、無限級数の和は1+r+r^2+...=xと置けば1+rx=xからxが求められることと同じになり、それを図形で表せば単なる相似問題帰着するのでこれが美しくないと思う人はそうするだけでよい。

引用サイトの図でいうAがその結果2tc/(1-t^2)(この段階では分母が1-t^2なのがまた憎い)であることが純粋な相似図形による比例計算(この部分が無限級数バイパスから示せ、C=tA=2t^2c/(1-t^2)がわかる。証明者に従ってC+1計算する(!!!)と、C+1=(1+t^2)c/(1-t^2)、よってsin2α=A/(1+C)=2t/(1+t^2)、cos2α=c/(1+C)=(1-t^2)/(1+t^2)、と懐かしい形に。ちょうびっくり!!!!!!!!

私は数学愛好家であって生まれ持ったセンスがあるわけではない(悲しいけど)ので、今回の証明法がそれなりに新しい発展をもたらすのかどうかは全然からないが、素直にビビるほど感動した。

2023-04-07

石の中にいる

石の中に転送されたとして、自分が入る前に存在した自分の体積分の石はどこに転送されているのかいつも気になる

2023-03-29

anond:20230329163422

778ご冗談でしょう?名無しさん2023/03/28(火) 16:02:36.43>782

>777

脳障害義務教育受けてないから極限とか知らねえんだろうなwwww

微分積分も全く知らないまま死ぬんだろうな脳障害ってwwwwwwwww

2023-02-24

文系学問文系でもできる範囲で発達しているに過ぎないと思う。

物事には理系しかできない論理構造というのがあって、それが必要ものについてはいまだ解明されていないと思う。

理系の方が論理なのだ法曹も目じゃない。

文系論理はなんというか線条的なんだ。ああなったら、こうなるという論理。雨降って地固まるというような思考様式さえ理解できるなら片がつく。双方向的な論理もあるかもしれないが所詮一次元のなかでのUターンに過ぎない。

俺はディ二の定理ガウス積分も「理解できない」ことで完全に理系素養がないと悟った何者かである

https://mathlandscape.com/dini-theorem/

たとえば上リンクのディ二の定理説明に使ってるグラフによる関数列の定義理解できない。

fn(x)についてfn(2/n)=1とは一体どういうことだと言うのか。

xについて解けばn=2のときx=1らしそうだがそれってどういうことなのか。つまり関数列のxを固定して数列としてみたfn(1)についてn=2のときの項は少なくとも1だということになるがそれ以外のnについても項が全く不明ではないのか?

理解できる人の脳が異次元に思える。

ガウス積分も同様だ。どうしても変数変換のところで理解が追いつかない。rとθが同時に動くような状況を理解しなくてはいけない。高校の置換積分とは理解必要な脳のスペックCPUでいうならbit数が根本的に違う。

ようするにこれらは変数の数の問題だ。文系論理変数でいえば一個の変化を辿っていくようなものしかない。

しか理系のそれは二個以上が容赦なく変化するような論理の流れを追えなければ理解が追いつかないということになる。

しかし私のような人間は一つの変数についてたどろうとするとそれ以外の変数に対する考慮がおろそかになってしまうような理解しかできないのだ。

この状況は絡まった糸で例えられるかもしれない。糸の端が外側に出ているという前提であれば、複数の糸がそのように絡まった糸玉に対してある端から辿ってその糸の別の端を探すということはできるはずだ。

理系やばいのはこの辿るという作業を二つ以上の糸に対して同時に行えてしまうようなところにあるのだと思う。とてもじゃないがワーキングメモリーが足りねえよ。

まり二つ以上の変数を一挙に思考範囲内に収めてみんなまとめて辿れてしまうんだ理系ってのは。

ちなみに文系でも理系仕草をすることはある。

応用数学を解いたり、初等的な計算が早かったり、フラッシュ暗算が得意だったりというところだ。なかに理系以上の計算力を持ってる人もいる。

しか理系もみんなそれなりの計算力はあるのである大事なのは計算力があるなら理系であるとは限らないこと。百ます計算公文式で得意げになってる子供理系としての将来を期待するのは早計なのだ

だって俺でもガウス積分を使わなければならない問題でも一定の演習を積めば答えの法則をそれとなく察してパズルのように解けるようにはなってしまうと思うから高校数学の延長上の応用数学はみんなパズルであるナンプレと大差ない。パズルとして解こうとする限り計算問題はみな線条的な論理理解力があれば事足りるのである

しか原理的な理解がなければ既存定理を発展させることはできない。

実は文系という人間にありがちと思われるのは、正しく新しい定理証明までできた気になって得意げになってるか、既存定理について延々と具体的な数値を代入してみたりして納得を試みようとするが一般的にそうだと言えることについてはついに何度人に教えてもらってもいまいち理解には辿り着けないかのどっちかだろう。

前者は無知の知すら弁えてない傲慢人間後者合理的知性主義によって既存の知性となんとかすり合わせを行おうとしているがそれができない、という違いだ。

ちなみにツイッターに棲息していがちな、法律の話で独自解釈をしているのにそれに気づかない人間は前者である

やや急進的な言い方かもしれないが、位相集合を基盤とした数論幾何をはじめとする現代数学と一部の物理以外はだから文系なのである理論や主張を腹落ちするのに複数の糸を同時に辿れるような能力はいらない。

というかそういう人間しか研究に携わってきてないから、そこから出力される理論もその程度なのだろう。理系の頭をもってしか理解できない領域が人文社会科学にもあるならば、それについてはいまだベールに包まれたままなのかもしれない。しかしなぜか真の理系人間の誰一人として文系学問には進まないか文系学問において理系脳をフル回転させようとしないのだと思われる。

dorawiiより

2023-02-23

へんな能力者みたいだった自分を思い出した

FGOの若いモリアーティからバレンタインイベントもらっておもいだしたんだけど

自分高校で(大学受験前に)公文式数学をSコースくらいまでやってたか大学数学は(行列以外は)あまり苦労しなかったな

回転積分とか普通に体積もとめるのにつかってるやつの元か~ってな感じ

ただ、公文式しろZ会物理しろ、眠かった マジで鉛筆にぎったままz-z-して、起きたら答え書きだすの、へんな能力者みたいになってた

公文から小学生くるんだけど「先生あのお〇ちゃん寝てるよ!」「いいのよむずかしいとこやってるんだから」みたいなやりとりされてるのうっすらおぼえてる

やれるけど眠いの、脳ががんばってたんだとおもう

今は文系理系両方の能力バランスよくつかってて脳みそらくちん~

2023-02-22

高校生が新物理入門読むのはやめとけ

ちゃっかりベクトル積分積分変数ベクトルみたいなのがろくな説明なしに出て来るからけがからなくなる。

経路の積分は長さみたいなのもちょっと理解がおいつかない。数3の曲線の長さを求める積分とは明らかに趣が異なるからどうして両者が同等なのか理解がまとまらず混乱する。

2023-02-14

[]ノイマン思考トレースする感じで文章を書く

知的作業本質を論じることは困難。数学の最も重要な特徴は、自然科学もっと一般的に言えば、純粋記述的なレベルよりも高いレベル経験解釈するあらゆる科学との、極めて特異な関係にあるとノイマンは考えていた。

ほとんどの人が、数学経験科学ではない、あるいは少なくとも経験科学技法はいくつかの決定的な点で異なる方法実践されていると言う。しかしその発展は自然科学と密接に結びついている。

そして数学のいくつかの重要な例がある。

まず幾何学力学熱力学のような、間違いなく経験的な他の学問は、通常、多かれ少なかれ仮定的な扱いで提示され、ユークリッドの手順とほとんど区別がつかない。ニュートンプリンピアは、その最も重要な部分の本質と同様に、文学的形式においてもユークリッドと非常によく似ている。仮定的な提示の背後には、仮定裏付け物理的な洞察と、定理裏付け実験的な検証存在する。

ユークリッド以来、幾何学の脱皮は徐々に進んだが、現代においても完全なものにはなっていない。ユークリッドのすべての定理のうち、5番目の定理疑問視された最大の理由は、そこに介在する無限平面全体という概念の非経験性格にあった。数学論理的分析にもかかわらず、経験的でなければならないかもしれないという考えが、ガウスの心の中に確かに存在していたのである

ボリャイ、ロバチェフスキーリーマンクラインが、より抽象的に当初の論争の形式解決と考えるものを得た後も、物理学が最終決定権を握っていた。一般相対性理論発見されると、幾何学との関係について、全く新しい設定と純粋数学的な強調事項の全く新しい配分で、見解修正することを余儀なくされた。最後に、ヒルベルトは、公理幾何学一般相対性理論の両方に重要な貢献をしている。

第二に、微積分学からまれたすべての解析学がある。微積分の起源は、明らかに経験的なものであるケプラー最初積分の試みは、曲面を持つ物体の体積測定として定式化された。これは非軸性で経験的な幾何学であった。ニュートンは、微積分を基本的力学のために発明した。微積分の最初の定式化は、数学的に厳密でさえなかった。ニュートンから150年以上もの間、不正確で半物理的な定式化しかできなかった。この時代の主要な数学精神は、オイラーのように明らかに厳密でないものもあったが、ガウスヤコービのように大筋では厳密なものもあった。そして、コーシーによって厳密さの支配基本的に再確立された後でも、リーマンによって半物理的な方法への非常に独特な回帰が起こった。リーマン科学的な性格のものが、数学の二重性を最もよく表している例であるワイエルシュトラス以来、解析学は完全に抽象化、厳密化され、非経験的になったように思われる。しかし、この2世代に起こった数学論理学の「基礎」をめぐる論争が、この点に関する多くの幻想払拭した。

ここで、第三の例。数学自然科学との関係ではなく、哲学認識論との関係である数学の「絶対的」厳密性という概念のものが不変のものではないことを示している。厳密性という概念の可変性は、数学抽象性以外の何かが数学構成に入り込んでいなければならないことを示す。「基礎」をめぐる論争を分析する中で、二つのことは明らかである第一に、非数学的なものが、経験科学あるいは哲学、あるいはその両方と何らかの関係をもって、本質的に入り込んでいること、そしてその非経験的な性格は、認識論経験から独立して存在しうると仮定した場合にのみ維持されうるものであること。(この仮定必要なだけで、十分ではない)。第二に、数学経験起源幾何学微積分のような事例によって強く支持されるということ。

数学的厳密さの概念の変遷を分析するにあたっては、「基礎」論争に主眼を置くが、それ以外の側面は、数学的な "スタイル "の変化についてであり、かなりの変動があったことはよく知られている。多くの場合、その差はあまりにも大きく、異なる方法で「事例を提示」する著者が、スタイル、好み、教育の違いだけで分けられたのか、何が数学的厳密さを構成するかについて、本当に同じ考えを持っていたのか、疑問に思えてくる。

極端な場合には、その違いは本質的なものであり、新しい深い理論の助けによってのみ改善されるのであり、その理論の開発には百年以上かかることもある。厳密さを欠く方法研究を行った数学者の中には(あるいはそれを批判した同時代数学者の中には)、その厳密さの欠落を十分認識していた者もいたのである。あるいは、数学的な手続きはどうあるべきかというその人自身の願望が、彼らの行動よりも後世の見解合致していたのだ。たとえばオイラーなどは、完全に誠実に行動し、自分自身基準にかなり満足していたようである

2023-02-07

多分100人に1人(上位2.5σ)くらいは小学生からきちんと教えれば方程式線形代数もひいては微分積分もできるようになる素養を持っている人がいると思う。

そういう生粋天才たちをどうにかして発掘して伸ばさせられないもの

2023-02-06

anond:20230206181010

あいや、俺の言葉の使い方が怪しいのかもしれん。学際というのは複数の分野にまたがることを前提として作られた学問って意味合いで言ってる。

超ひも理論などはもっぱら数学活用した物理のための学問だろう。別に他の学問に一切活用されてない学問を所望してるわけじゃないし(そんなこと言ったら代数学できないし)、それにしても物理学で数学に対抗するのはなんか力士野球で決着をつけようとしてるようで違うかなーって。

数学の現段階での(数学という系譜上に)最終到達点としての学問領域って数論幾何以外になんかあるのかなとシンプルに疑問に感じただけ。たとえばルベーグ積分を学ぶのを最終目標にしようって全体じゃそんなのは数論幾何踏み台としての解析学のしかも中間地点あたりの成果の技法しかないわけだしねえ。

別に本気で学びたいとか言ってるんじゃなくて数論幾何がもてはやさてるなかでの、他になんかないのかっていう素朴な興味やら反発心混じりの疑問ってだけだよ。

2023-02-05

anond:20230205160216

既に納得したのかもしれんけど読んでて何が言いたいのかよく分からんかった

1=xという方程式があったとして、それはx=1でだけ成り立つ、というだけなのでx=1以外を含む区間積分すると統合は成り立つと限らんよ

f(x)=g(x)がx ¥in Xで成り立つなら両辺それぞれをX上で積分したものは等しいが、X以外の領域積分したものは等しいと限らない

1=xの両辺も統合が成り立つx=1の一点で積分したものは等しい(なお両辺とも0になる、ただこの例だとゼロ集合上の積分ゼロってだけなので例としては微妙かも)が、xが1以外のところを積分区間に含めて、かつ積分区間ゼロ集合でなければ積分は一致しない場合がある

例えばf(x)=x, g(x)=|x| (絶対値)とすると、2つの関数区間[0,1]では等しいので[0,1]上での積分はどちらも1/2と等しいが、

[-1,0]ではf(x)とg(x)が等しくなく、区間[-1,0]上での積分もそれぞれ-1/2, 1/2, となって等しくならない

anond:20230205150735

いやだからさたとえば1=xって等式があるやん。これのxに対する解は明らかに1のみやん?

で、これの両辺を積分するとx=(x^2)/2+Cになるじゃん。これのxに対する解はその個数の時点で明らかに積分前と異なるじゃん?

等式で結ばれてれば両辺積分微分しても同値じゃない例になってるよなこれは。むしろ感覚的には等号で結ばれたものは両辺足しても引いても同じなんだから当然微積分しても同値だって感覚に陥ってそこで思考停止しがちだと思うけど(俺もつい先日までそうだった)。

で、変数分離形dy/dx=f(x)*g(y)は積分しても同値からこそ、積分することによってf(x)を求めようとするんだよな。

この場合f(x)やらg(y)やらは先の場合でいうxに対応してると思うんだ。

xに関する多項式の等式は積分すると同値性が崩れるから解も変わる。しか変数分離形の等式はそもそも積分せずに解けないというのもあるが、積分しても解であるf(x)は変化しない、もっといえば積分前も積分後も等式を満たすf(x)は変化しないわけで、これは積分前後同値性が崩れないからだよな。(逆に積分して同値性が崩れるならもうこのような等式を解く手法が無くなるともいえるが。)

追記恒等式方程式かの違いは考えなきゃいけなかったな。でも変数分離形って関数方程式じゃないのか…?え、恒等式なの?あーもう頭ぐるぐるぱあだよ。

まあ純粋数学証明に挑むんでもないかぎりこのあたりの理解の欠如が誤った計算助長するということもないから深入りするだけ馬鹿なんだろうけど。

フーリエ変換とか重積分分からんし、英語もろくに喋れないそんな状態でもここまで生きてこれてしまった

そのレベル自分から見ても世の中自分より頭が悪い人間も多い

1億人以上いる世の中で下を見てたらキリがないんだなと思う

anond:20230205141709

そいつらに変数分離形で両辺を積分してもなんで同値性が崩れないか理解させられる?

ちなみに俺も理解してない

(chatgptに聞いたら両辺の変数独立してるだの、積分定数が両辺で別々で影響しないからだの言ってきたがさっぱり腑に落ちない。dy/dxにおいてむしろyはxの関数で明らかに独立してねーだろとか思っちゃう独立に関して意味がすれ違っちゃってるのかなーと。)

https://anond.hatelabo.jp/20230205140325

昔、パンフ撮影のために黒板に数学の難しそうな式を書いてくださいって頼まれたことがあって、

自分が知る中でかなり高度な式を書いたら式が簡潔すぎて全くウケなかった

仕方ないか高校学部レベルのすごく初等的な積分計算を書いたらすごくウケが良くてそのまま撮影された

数学って難しくなればなるほどハイコンテキストかつ簡略な表現になるので何も知らない人が見るとそんなに難しそうに見えず、結局応用数学みたいな感じでゴリゴリ計算して煩雑な式がいっぱい出てくる、みたいなほうが難しそうに見られるジレンマがある

2023-01-24

そういえば今の高校数学って微分積分だけ残ってて

線形代数とかフーリエまで行かないか

物語の始まりだけで結論がない意味不明な感じになってるよな

さらAIのせいで確率論が入ってきてもっと学習時間が圧迫されてるようで草

2023-01-23

高校卒業後も問題演習は大事

某トレーターの言じゃないけど分かってることとできることは違うわけだよね。

自分問題を設定してそれを解くというときにはその分野の問題をどれだけ解いたかがやはり生きてくる。

問題を解くのでなく、解かれた問題解説を読むというのであれば、たとえばああだからこうというふうに書いてあったとして、それは論理学表現を使えばp⇒qという風になるだろうが、解説中にpとqは既に提示されているわけだから、あとはpとqを絡める公式なり法則なりを思い出しさえすれば確かにp⇒qは真だと納得できるわけだ。

pとqと二つも手がかりがあって(比ゆ的にだが)両側から思い出すべき公式なり法則なりが束縛を受けるわけだから比較的思い出しやすいというわけだ。

しか問題演習の問題はざっくりいえば「p⇒x,xを求めよ」という類型なわけで、pはともかくqにあたるものは未知数なのだから、その少ない手がかりのなかでxを導き出すためにどの公式なり法則なりを適用すれば解けるのかということを考えなくてはいけない。

問題演習をしなくても最悪参考書を熟読すれば同じ分野の科学的な解説理解できるようになるかもしれないが、自分で設定した問題を解くということについては問題演習を通じて、問題に応じて使える法則等を都度見つけ出すという練習をしないと出来るようにならない道理なのだ

なんだか大学以降になると一気に「問題集」と呼べるようなものが少なくなる感じがする。

それは高校までに何度もいろんな教科で問題演習をしてるのだから、いい加減手取り足取り鍛えなくても自分公式とかを見つけ出すことができるようになってるだろうという考えによるのだろうか?

ならいやいやそれはないでしょと言いたい。

高校でも単元が変わるたびにベクトルでも2II程度の初歩的な微分でも三角関数とかが入った定積分でも都度問題を解いてやっとできるようになったんじゃないか。それは高3の最後まで変わらなかった。

ようするに人間ちょっとでも扱う分野が異なればすぐ応用できなくなっちゃものなので、また公式などを見出す力というのはいくら多様な分野にまたがって訓練を積んだところで次の新しい分野に活かせるような普遍的な力として身に付くものではないから、言い換えれば「貯金」が利くようなものじゃないから、大学に入ってからも当然新しい理論を学ぶたびにその理論を使いこなすために問題演習が不可欠なのだ

これは反ワクチンの話にも通じる。

コロナの中には専門家の言ってる難しいことは分からいから、たとえ根拠不明の噂話でもその人が発言力があって理解できる内容なのでその言説を受け入れて支持しているみたいな人もいる。

これもワクチン効用なり副作用なりの原論文にあたって理解する力があるのならこうはならなかったはずなのだ

さきほど解説は最悪問題演習しなくても理解できるといったがやはりこう高度な専門的な話を理解するのにはその分野の問題自分でも解けるような力が背景知識みたいなものとして必要になってくるんだと思う。

というわけで私も手始めに分子生物学問題集が欲しいんだけど無いんだよなあ…。

2023-01-22

方程式を解く最中自分が何をしているのか分からないということになっている。

数学においてはなんとなく生きてなんとなく死ぬという酔生夢死で終わるのではなかろうかという心地だ。

たとえば速度に関する関係式としてx(t+Δt)-x(t)≒v(t)Δtというのがあるわけだ。

ここから変位xを求めようという解法のテクニックとしてΔτ=t/nとおくとかΔτk=kΔτとおくとか、極め付けにはt=τkとおくことで区分求積法に帰着させる解法が載ってたりするわけだ。

しかしこうした変換式の設定が無意味ではないとどうして分かるのかと思ってしまうというわけだ。

上記の変換式には2つの式にtが登場している。

もしそれぞれのtが出てる式についてt=と変形したとき、各式の左辺を等式で結ぶと恒偽式になるような状態だったら無意味な置き方だということぐらいは私にも分かる。

たとえばa=x+yと置く一方でa^2=x^2+2xy+y^2+1と置いたのではこれは1=0を導く関係式を導くのでこの置き方は無意味だと分かる。

他にも自明な例だけどもx=1と置きながらx=2と置いたり、x+y=2と置きながら2(x+y)=2と置くのも無意味だろう。

しかしこれらは経験的に自明なだけでなく各式をxy平面にグラフとして表したときに交わらないということでも視覚的に自明と分かる。

a+b=tとおくと同時に(a+b)^2=t+1と置いたらどうだろう。これは経験的には自明無意味な置き方に思われるが実際にtだけの式に直すとt^2+t-1=0となる。少なくとも恒偽式ではない式が出てくるわけだ。

となれば経験的にそれとなく直感されない置き方についてはそれが無意味な置き方であるかどうかどうやって検討すればいいのかという話になる。

物理の式なんてものは多変数で高次式なわけだから恒偽式かどうか到底視覚化して判断できるものじゃない。もちろん経験的な勘が働くほど単純な式というのも多くはない。2aF/(M(a+b)+4ab)-gと(F+Mg)ab/(2ab+Ma+Mb)が常に等しいか常に等しくないのかなんて判断きっこないのだ。ある式で置くということにこうした複雑な式を出されたらその置き方が論理的妥当かという検証などもうあきらめてとりあえず従っておくしかないわけである

思えばなんで連立方程式は加減法や代入法で解けるのか、それをその方法で解くということの意味について深く教わった覚えがない。二元二次方程式までならグラフなり平行移動なりの考えで方程式を解くことの図形的な意味合いの考察を垂らされた覚えがなくもないのだが、それは一般方程式について解くことの意味説明にはなっていない。

かくして応用が利かない中途半端説明しか教授されてない結果として自分が何をしているのかも分から形式的方程式を解くだけかあるいはその連立方程式妥当性が検証できないような悲しい人間が出来上がってしまっているわけである

とはいえ任意の個数だけそれぞれが任意関数であるもの同士が任意の個数の任意演算子で結びついている表現されている何ものかについて、それを解くことの意味解説されても分かる気がしないわけだけども(たとえば∫a+bはaという関数に一項演算子積分演算子作用した後、二項演算子+によってbと結び付けられ何がしかの値を示している、みたいなことをものすごく抽象化した話を言っている)。

この問題の難しさは、ある変数が変化すればそれ以外の全ての変数が変化する一方である変数以外の変数が変化した場合もある変数を含む全ての変数が変化するというそ挙動の掌握することの難しさにあるのだろう。これが変化したらあれもこれも変化するという条件の中で論理的整合性を考えるというのは変数の数だけ変数挙動を追跡する考える余力がないといけないというわけで凡人なら簡単に頭がパンクしてしまうわけだ。

効率重視の学習生涯学習において足をひっぱってくるとは思いもよらなかった。

今日も煮え切らない理解方程式を解く式を追っている悲しさよ。

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