はてなキーワード: 移動図書館とは
移動図書館の拡大版と考えれば、それもありかもしれんね
『ゆっくり茶番劇』が、上海アリス幻樂団でもアンノウンXでもない第三者によって、商標登録がされてしまう https://togetter.com/li/1887094
本件、企業の知財部員増田が考察してみた。4年ぐらい前には商標実務も担当していたけど法令上の有資格者じゃないので
現実に遭遇した具体的な事件・事案に関してはちゃんと弁護士・弁理士に相談してね。
(栗原先生あたりが何か書かないかな:同業の方からのツッコミはむしろ大歓迎)
どこまで類似と判断されるかはケースバイケースだが、例えば「ゆっく~り茶番劇」のようにちょっとズラしただけで
実質的に「見た目・読み方・意味」が同じになるものについては類似と判断されうる。
一方で、商標法上は「単に商品の産地、販売地、品質等又は役務の提供の場所、質等のみを表示する商標」は登録の対象となっていない。
(商標法第3条第1項第3号)
「ゆっくり」という単語自体は一般的なものであり、動画の性質を示す単語とも捉えられるので、
今回の出願ではやはり「ゆっくり茶番劇」という合成語になっている事で商標登録が認められたと増田は考える。
それであれば、「ゆっくり実況」「ゆっくり解説」などの他の言葉との結合語は、今回の商標登録で排除できる権利範囲には含まれないと思われる。
今回の商標出願がカバーする役務(サービス)範囲は、下記の通り。
商標登録された名称は何でもかんでも権利主張できる訳じゃなく、今回は下記の一覧に該当するサービスの名称として
「ゆっくり茶番劇」という商標を使用すると、「この商標を使用した」と法的にみなされることになる。
電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,移動図書館における図書の供覧及び貸与,オンラインによる電子出版物の提供(ダウンロードできないものに限る。),図書の貸出し,書籍の制作,オンラインで提供される電子書籍及び電子定期刊行物の制作,コンピュータを利用して行う書籍の制作,映画・演芸・演劇又は音楽の演奏の興行の企画又は運営,インターネットを利用して行う映像の提供,映画の上映・制作又は配給,オンラインによる映像の提供(ダウンロードできないものに限る。),ビデオオンデマンドによるダウンロード不可能な映画の配給,インターネットを利用して行う音楽の提供,演芸の上演,演劇の演出又は上演,音楽の演奏,放送番組の制作,教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く。),興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。),娯楽施設の提供,映画・演芸・演劇・音楽又は教育研修のための施設の提供
しかし、上記にあるような「インターネットを利用して行う映像の提供」は、例えばプラットフォームの名称や個別に提供されるサービスの名称等を想定していると思われ、
そもそも投稿された動画のタイトルそのものが「サービス」の名称とみなされるかどうかは争いがありそう。
(個人的にはサービスというよりデジタルコンテンツ商品としての性質が強いんじゃないの?と思う。
そして彼らの言うコンサルティング業務みたいなのは指定されている役務に入っていないと思われる)
その商標が登録されるものでなかったことを、商標実務に則って特許庁に説明して登録無効と判断してもらう手続。
その際の証拠は当たり前ながら審判請求する人が用意する必要があるし、
証拠の選定、出し方、主張の仕方に独特な実務ノウハウが要る。正直素人では無理。
(また、匿名で手続きできず、個人・法人の実名で申し立てる必要あり)
その商標が登録後3年以上不使用だった場合、その事実を以て登録の取消を申し立てることが可能。
(この場合、商標権者側が使用していた証拠等を提出して対抗する)
商標が出願されると公開公報が、登録されると登録公報が発行される。
これらは特許庁の無料DBや商用DBに当たらないと調査できないものだが、
公報として公開されていることで商標登録の存在が周知されたものと法的にみなされるので
「その商標が出願/登録されていることは知らなかったので、自分は悪くない。」という言い訳は通用しない
(=たとえ一般人であっても調べなかった方に過失があるという理論)
そもそもが二次コンテンツであるものに商標登録するか普通?と個人的には思うが
正当な手続方法で成立した権利ではあることは変わらないので、潰したい方はぜひ専門家と頑張ってほしい。
(そういう意味では、今なんか特許庁/裁判所に提出するとかいう署名活動やってるけど全然無意味だし本当に迷惑だから止めて。)
↑(追記:ごめんね、ここは適切な表現じゃなかったから書き換えさせて。
あと現段階では無関係の第三者の意見で特許庁が登録を再検討することは制度上ないので、電凸や公式Twitterへの爆撃もマジでやめてあげて・・・
特許庁は定められた基準に則って仕事をしただけだし、業務が止まると困る人が山のようにいるんだ・・・)
ただ、少なくとも一部の人が過剰にイメージしているようにゆっくりコンテンツ全体に影響が及ぶ訳ではないし、
動画のタイトルに「ゆっくり茶番劇」とつけることまで権利が及ぶかも争いの余地があるんじゃないかと考える。
知的財産権の話は難しい話が多く、出てくる度に吹き上がるが、少しでも正確な理解をして欲しいと思いまとめた。
(追記)
リアルタイム検索でウォッチしていたけど、『特許庁に問い合わせろ(特許庁は出願人でも代理人でもない無関係の人の意見なんか聞かない)』とか
『何か言われても先使用権がある(商標の先使用の要件は、ゆっくり茶番劇が「自分の商標」であることが「周知」されてる必要があるから無理)』とか、
地域性ゆえか実際に見たことはないし、なんならどんなものなのかも分かっていないが響きがカッコいい!ショパンの曲とかを流しながら町を移動しているイメージがある 豆腐屋みたいなもんなのか?
なんせカッコいい ハウルの動く城くらいのサイズでもいいし、もっとクソデカくてもいい メガフロートみたいな感じの海上漂流都市路線もいいし、ラピュタみたいな飛行都市も捨てがたい
男のロマンだ(これセクシスト発言?) 移動都市とかぶる所も多いけど、やっぱこう黒煙を吐きながらドシンドシン動く鋼の城って良い
たいていすごい威力の主砲みたいなのを積んでるんだけど、期待するほどの威力は発揮できないパターンがメチャ多い印象
このあたりがかっこ良すぎて「移動」ついてるだけでロマンを感じるようになってしまった
「移動祝祭日」はサーカスみたいでかっこいい、「移動ド」はテクニカルで強そう、最近じゃ「移動平均」なんてのも見るようになったけどこれも重心をずらして相手の予測の裏をかく技みたいで渋いんだよな
(追記)
複数言及があったモータルエンジン冒頭部見ました いいねえこの…なんだろう…馬鹿馬鹿しさというか勢いというか 移動都市ってこれだよ!!って感じ
増田やっててよかった
お母さんを捨てて、自分のことを考えたいのにお母さんに好かれたい選択肢を選んで苦しくなるんです。
私の中から消えてほしいんです。
物心がついてからの一番古い記憶は「お母さんかまって」「遊んでほしい」だった。
けれど、かまってもらえず、カラーボックスに入っている絵本を繰り返し読んだ。
お母さんはつまらなそうに、みのもんたが出ているテレビをつまらなそうに眺めてたね。
ときおり、移動図書館がきて、いつもと違う本を読んだ時だけ空虚な気持ちが消えた。
お母さんに触れたくて、でも触れるのを嫌がられた。
一緒に布団の中に入って、髪の毛を触らせてもらえたのが唯一のふれあいだった。
ある日「うざったい」と髪の毛を触るのを拒否された。
かなしくて、母親のいないタンス側の隙間をのぞいて、じっと泣くのをこらえた。
タンスの隙間から湿ったようなかび臭いにおいを今でも覚えている。
鏡でもよく遊んだ。好きな設定は鏡の中に、将来の自分が映るというもの。
女の子というものは年頃になれば、みんなきれいになるんだと思って妄想していた。
お母さんは、クラスのかわいい子に「○○ちゃんは華奢でかわいい」とか「笑顔がかわいい」と言っていた。
私のこと可愛いって言ってくれたことあったっけ。
おばあちゃんが服を買ってくれると言ってくれたから、淡いピンク色に二足歩行のうさぎと花畑が刺繍されていたワンピースを買ってもらった。
かわいい洋服を買ってもらい満足して、お母さんに見せたら「なんでこんなもの買ってもらったの」と責められた。
私にはセンスないよね、お母さんのいないところでお洋服買ってもらってごめんなさい。
小学生のころは週5で習い事があり、放課後に同級生と遊ぶのは稀だった。
ピンクと答えようとしたけど、それはかわいい子しか使っちゃいけない色なんだって思い出して「水色」と答えた。
それから、水色のものをもらうことが増えていったけど、本当はピンクを持てる子がうらやましかった。
気に入る内容のものはなくて、一番印象に残っていたのは種子島銃の本。
小学校1年生になっても補助なし自転車に乗れないのは恥ずかしいといわれて練習したね。
言い出しっぺはお母さんだったけど、練習は1人か、週末だけいるお父さん。
補助輪つき自転車に乗るより、誰もいないで1人練習するほうが恥ずかしくて心細かった。
乗れるようになってもほめてもらえず、できて当たり前で終わっちゃったね。
お母さんに悲しいことがあって泣きついたときに慰めてもらえることはなかったね。
「泣くのは甘え」といわれて育られたね。
だから、人前で泣かない子になったよ。
クラスで泣いている子がいても、慰めず「あいつは甘いヤツだ」って見下してたよ。
でも、高校生のころに人前で泣くのに怒られないで、慰められているところを見て、私の中の何かがぐらついてしまったんだ。
それから人の目がないところだと、今まで泣いてなかった分を取り戻すように声を押し殺して泣いたよ。
気づいたら、声が出ないで涙がツーっと落ちるようになったよ。
お母さんとの思い出、たくさんあって書ききれない。
でも思い出すと苦しいことばかり。
仲の良い親子がうらやましい。