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生活保護の水際作戦みたいなことをやって国民を殺すために公務員は存在するんでしょ
007年7月10日、北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52歳)が自宅で亡くなっているのが発見された。生活保護を受けていたが、2007年4月に受給廃止になっていた。最後に「おにぎり食べたい」と書き残していた(朝日新聞 2007年7月11日付 東京夕刊17ページ)。
彼は、長年働いていなかったわけではない。前の年である2006年の10月まではタクシー運転手だった。アルコール性肝障害になり、通院した。2006年12月7日、「病気で仕事ができない」と生活保護を申請し、認定された。だが翌年2007年2月、福祉事務所のケースワーカーから「働いたらどうか」と勧められ、生活保護を辞退したという。専門家は、この事例に関し「たとえ本人が自発的に辞退届を出したとしても、ケースワーカーは受給者が困窮する恐れがないかを検証し、受給者にきちんと説明しなければならない。自治体の対応は疑問だ」としている(2007年7月12日付朝日新聞西部朝刊27ページ)。
Aはタクシーの運転手をしながら独り暮らしをしていたのだが、2006年10月に肝障害や糖尿病などで働けなくなってしまった。
2006年12月に生活保護を受け始め、仕事を探して自立するように指導も受けていた。
2007年1月の段階で、福祉事務所のケースワーカーが仕事をして自立するよう2度にわたって指導。
2月の段階でも、ケースワーカーが主治医から普通に働けると事情を聴きとり、
さらに福祉事務所の嘱託医も同様のことを言ったため、ケースワーカーはAに働きなさいと指導。保護打ち切りもちらつかされた。
だが、主治医は後日の検証で、Aは確かに内臓方面は治りつつあったが、酷い鬱状態になっており、
せいぜいデスクワークがちょっと可能な程度で、普通に働けるなどとは言っていないと反論している。
実際、死後に見つかったAの日記には生活保護を受けている間から
「亡くなった父や弟の所に行きたい」「なかなか人間って死ねないものだ」
と、素人が見てもわかるレベルの自殺願望が表れており、当時の彼が精神的に危険な鬱状態であったことは間違いないとされている。
ところが、働けると認定されたためか、Aに対する「就職しろ」という圧力は非常に厳しくなっていった。
3月も終わりになると、福祉事務所はAを6か月以内に仕事を見つけさせて生活保護を打ち切るために重点的に指導することにした。
4月2日、生活保護費を受け取ろうと思って福祉事務所に赴いたAに対し、ケースワーカーはまたしても働けとせっついた。
だが、当のケースワーカーもたった数日前にAの精神状態がおかしいのではないかと疑い、精神科への受診を勧めている状態であった。
鬱状態の人間に「もっと頑張れ」とせっつくなどは論外の禁句である。
そしてこの日、Aは生活保護の辞退届を出した。
しかし、辞退するにあたって、福祉事務所は就職先がどこか、収入の見込みはどれくらいなのかなどを全く確認していなかった。
おりしも、生活保護を切るにあたっては就労先や収入見込みについて確認すべしという判決が、前年に出たばかりであったが、全く無視されていた。
日記では、担当者に生活保護を打ち切られたかのような記述もあり、
辞退届を無理矢理書かされたか、働けという指導に精神的に耐えかねて辞退届を書いたのではないか、とも言われている。*1
少なくとも、Aが働こうにも働ける状態ではなかったことは間違いないだろう。
しかも、その時点でもガスと水道は止まってしまっていた上、住居地はボロボロであった。
そして、福祉事務所は保護を打ち切った後、Aの安否については何の連絡も取ることはなかった。
Aが死んでいるのが見つかったのは、たまたま彼の友人が家に訪ねてきて異変に気付いた7月10日のことであった。
残されていた日記には
具体的には自治体の福祉事務所に行って、何ができるか、何をすべきか、教えてもらうのがいいのでは?
それを元に目標を決めて、方策を立てるのが、一番重要でしょう。
増田の書きぶりを見ると生活保護が必要そうに思うけど、何か手があるかもしれません。
それに、増田の困窮ぶりを聞く限りではお金が足りないのは確かだけど、それ以前に、生活の基盤そのものが不安定で心配です。
とりあえず、定職に就くのを目標に、フルタイムが難しいならパートタイム、毎日が難しいなら週数日、なるべく臨時収入ではなく安定的に収入が得られるようにしていくべきでしょう。
あと、生活の基盤を整えるために一時的にお金が必要、となれば家族親戚の協力も得やすいでしょうし。
引っ越し等は、方策が決まってから対処すればいいのではないでしょうか。
大家さんに家賃の交渉をするのも手だし、(大家さんが、新たな入居者を探すより家賃を少し下げた方が得だと判断する可能性もありますし)
アルコール依存でろくに仕事もしなかったので、養育費なんてもちろん貰えなかったし、「空き巣に入って捕まった」だの「祖母の葬儀の後祖母の家に立て篭もった」だののろくでもない噂を聞き、まだ生きてんだなあくらいに思っていた。正直顔も声も、何もかも覚えていない。3歳の頃に別れてから、20年程も会っていないのだから当たり前だ。
ある日、家に帰ると某県の福祉事務所から封筒が来ていた。嫌な予感がした。風の噂で、父が今住んでいると聞いたことのある場所だったからだ。何より、父のこと以外に、福祉事務所から連絡が来る心当たりがなかった。初めは、もしかすると父からの手紙か何かだろうか、と思った。きっと手紙であっても、ゴミに捨てていたと思うが。
中身を開けると、「扶養援助のお願い」という紙と、8月末まで回答せよ、という調査書が入っていた。返信用封筒や、着払いで送れ等の配慮はなし。気の利かない仕事だ。どうやら日本の法律では、直接血族は一応、生活保護を受ける前にその血族を援助せよということになっているらしかった。離婚してもう何年も経つ子供に対しても、それは例外でないらしい。
大人気ないなと思いつつ、書類はゴミ箱に捨てた。なんとも言えない胸のつかえを、好きなお酒で薄めて眠ろうかとも思ったが、なんだかそれは自分と酒好きで酒に溺れた父との血縁を表しているような気がしてやめた。ドロドロした話なので、名の割れるところでは書けないと思い、こうしていち増田になって散文を書いている。
もうすぐ12時だ。そろそろ寝ようと思う。もうこんなばかばかしい手紙が来ないことを祈るが、向こうも仕事だろうから、おそらく定期的にこの手紙は来るんだろうな。そしてそのたびに、私はそれをゴミ箱に捨てるのだろう。
つまり労働収入の有無に関わらず、衣食住のそろった最低限度の生活が奪われかけているのであれば、生活保護の受給対象になるということです。
といっても、いきなり福祉事務所に駆け込んで「最低限度の生活が送れないのでお金をください!」と叫んでも、生活保護費はもらえません。
福祉事務所が調査を行った結果、現在の収入が「最低生活費」を下回っていると判断されることで、はじめて生活保護の受給対象者となれるのです。
ここまでに述べたことをまとめると、「働いていても収入が最低生活費を下回る場合は生活保護を受けることができる」ということになります。
こういうものらしいぞ
ガタガタ喚かず早く行け
1 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
2 前項の規定による通告は、児童福祉法第25条の規定による通告とみなして、同法の規定を適用する。
3 刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第1項の規定による通告をする義務の尊守を妨げるものと解釈してはならない。
平成16年児童虐待防止法改正法により、通告の対象が「児童虐待を受けた児童」から「児童虐待を受けたと思われる児童」に拡大された。これにより虐待の事実が必ずしも明らかでなくても、子どもの福祉に関わる専門家の知見によって児童虐待が疑われる場合はもちろんのこと、一般の人の目から見れば主観的に児童虐待があったと思うであろうという場合であれば、通告義務が生じる
https://anond.hatelabo.jp/20180604145952
(児童虐待に係る通告)
第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
罰則規定がないので、何もしなかったとしても犯罪にはならない。
頭の中に泣き声が残っているんだな。
カレーを食べるたびに思い出す。赤ちゃんの泣き声を聞くたびに思い出す。
そして自問自答のループに入る。あのときのあの子はどうなっただろうか。あの時の自分にはもっと出来ることがあったのではないか。思考の迷路に迷い込んでいる間、現実から離れている。食べ物の味を感じない。人との会話も気が乗らない。ボーッとしてるうち、気づけば何時間も経っている。
これがずっと続いていく。
おそらく彼女に悪意はないと思う。だから彼女を憎む必要はないんだ。
ただ、気づいてないだけ。
そして来週もその次の週も、これからずっと赤ちゃんはカレーを食べさせられるだろう。その度辛い思いで泣くだろう。
それに実は、親が与えてる虐待はカレーだけではないかも知れない。赤ちゃんの感情を軽視する彼女は、もっと酷いことをしてるかも。児相に相談すれば店に連絡がいく。親子はまた来るかもしれない。それどころか常連の可能性もある。店員さんがシフトの都合で気付かなかっただけで。上手くいけば追跡できる。
赤ちゃんを救える。
それが出来るのは、増田。君だけだ。
いまこそ動くべきだ。「怒りの瞬発力」を発揮するときだ。
もしも杞憂だったなら …それはそれでいいんだ。母親が大袈裟だっただけで普段はカレーの王子さまを食べているとか。今回の増田の意見で反省して態度を改めたとか。
申請の前に、まず本当に働くところがないのか。もっとよく探してみてはどうか。
親だけでなく、親戚も難しいか⇒ 難しい。疎遠になっている
生活保護を申請するにあたって、親元に確認の書類が送られるが⇒恐らく援助できないという返事を送るだろう
すぐに申請するのではなく、まずは別の方法で支援を受けてからになる。順番としては、まず一ヶ月分の食料を支援する制度があるので、それに申し込んでいただく。その間に、仕事を探してもらい、もし見つかるようなら申請をせずにその仕事をして賃金を得ること。その間どうしても仕事が見つからないようであれば、また相談に来てほしい。職安のOBもいるので相談に乗ってくれると思う。
(光熱費について)電気等が止まるかどうかについては、こちらが関与する話ではないので相談者で何とかしてほしい。
(貸付金について)過去に非営利団体に勤めていた時に利用していた事があり、再度貸し付けることはできない。住宅手当も借りているようなので、こちらも再度の利用はできない。(非営利団体当時の給与は14万円)
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ということで、ひとまず食料支援(フードスタンプ?)を受けることになった。近日中に食料が送られてくる模様。
あと、仕事でいくつか進展。知り合いの方がある事業を受けているので、週末だけだが働かないかというありがたいお誘い。今月だけの仕事だが、当面の凌ぎということで引き受ける。
派遣会社経由の応募はことごとくお祈りまたは無視が続いたが、内1社が「面談しましょう」と言ってくれたところので来週早々に行く予定。就業に繋がるようがんばってきます。
今後の予定として、
という流れで行きたいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170408143806
適応障害で療養してたとのことだけど、今は働けるぐらいに回復したの?
通ってる心療内科の先生は、働けるって許可を出してくれてるの?
働くってのは凄くエネルギーのいることだから、体調が悪化するリスクもある。
もし、しばらく病院に行けてなかったり、主治医から働くことを勧めていられなかったりするのなら、今働くのはお勧めしない。
じゃあどうするのか?っていうと、まず考えられるのは生活保護。
持ち家であっても、預貯金額のトータルがだいたい6〜10万円以下なら、申請自体はできる。
保護の決定は申請から14日以内に行うことになってるんだけど、本当にお金がないなら当座の生活費も貰える。
精神科通院歴があって、増田の状況であるなら、福祉事務所は保護を認めないといけないはず。
会社でのパワハラから鬱病を発症し、就労困難状態になって引きこもり、あっという間に貯金はゼロ。
見かねた保険衛生士が生活保護の受給を勧めてくれて、即受給(水際とかもなく福祉事務所の対応も早かった)。
5年くらい何もする気がせず、一日中寝ている生活をしていたが、徐々に回復して、医者と相談しつつ5年くらいかかって少しずつ働けるようになって、
去年の夏前から新しい職場で本格的に働きだした(とはいえ非常勤なので給料は安いが)。
半年働いて、自信がついたころ福祉事務所のCWが「もう大丈夫だね。でも体調が悪くなって働けなくなったらすぐ言ってきて。その時はまた支給するから」
と後押ししてくれて、とうとう今日、「廃止」と話し合いを持った。
最近取り沙汰される受給者叩きなんかまったくせず、気長に親身に自立を助けてくれた担当CWと上席の方に感謝。
そして生活保護は必要な人間には本当に大切なセーフティーネットだと思い知ったこの10年だった(あと、CWが任期付き職員で非正規雇用と言うところ
に闇を感じた)。
仕事頑張ろう。