はてなキーワード: 福祉センターとは
てきとーにぐぐったら京都市だけど出てきた
https://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000229522.html
第10条 第3条各号に規定する者のうち,次の各号に掲げる要件を全て満たす者については,生活保護費を宅配することができる。
(1)心身等の状況により外出困難であり,保健福祉センターにおいて生活保護費を受領することができない者
(2)他の世帯員や扶養義務者の協力を得られず,成年後見制度や日常生活自立支援事業等の利用も困難である者
(3)宅配の実施によらなければ,直ちに日常生活の維持に支障が生じる者
2 前項の規定に加え,次の各号に掲げる要件を全て満たす者については,生活保護費を現金書留により送付することができる。
(1)被保護者が保健福祉センターから遠隔地の医療機関等に入院又は入所している場合において,医療機関等の長等に対して生活保護費の受取に係る委任に基づき当該医療機関等の指定する口座に振り込む方法(病院長委任払)を行うことができない者
(2)被保護者及び被保護者の入院又は入所する医療機関等職員から,郵送により生活保護費を支給することの了承及び領収書の速やかな返送等に係る協力が得られている者
他自治体も同じじゃねーの?
大阪市在住で20代、一人暮らしをしており、慢性的な体調不良(肉体的、精神的)があり、生活保護を利用している
症例がほとんどない病気の疑いがあり、継続して微熱・アレルギー様症状・筋肉痛・倦怠感・気力の低下がある
症状はコロナ副反応、慢性疲労症候群、LOH症候群などに類似している
二回目の副反応で三日ほど、発熱・倦怠感があり、腕を上げたり、寝返りを打つのが辛いモデルナアームも出ていた
医療扶助があるが生活が厳しく、診察費がかかる場所に行くのは難しい
また、自身から二次感染を発生させるリスク、自身がコロナに感染するリスクを考え
できるだけ公共交通機関を利用せず、無料で診断が受けられる病院を探した
電車移動、自宅で少し話をする
マスク、手洗い、換気はしていた
その後は現在に至るまで一度も外出をしていない
腹痛は良くあるので少し様子を見ることにした
消化器症状が継続していたので、かかりつけ医にて診察を受けたいと伝える
コロナの可能性があるのでまず、コロナの診療を受ける様にと言われる
断続的に数回電話をかけるが繋がらない
その後、#7119、病院に連絡後を含め計七回電話をかけ、一度繋がったが自動音声で混み合っているので後ほどおかけ直しくださいと切断される
#7119
二箇所が近かったので連絡
繋がらない
有料の場所を二箇所案内される
風邪などの症状があり、かつ保健所から医療機関に紹介された場合に限られると案内される
厚労省のページにあり、excelとpdfで見ることができますと案内される
昨日同様、合計九回、断続的に電話をかけたが、一度も繋がらなかった
咳、発熱、消化器症状の(程度を問わない)いずれかの症状がある場合は無料で検査を受けられる対象ではないと案内される
つまり、何の症状も出ていない健康体でないと対象ではないということか?と聞くとその通りですと案内される
慢性的な体調不良が継続している人間が、医療崩壊が進行している中で消化器症状を発症させた場合
コロナの可能性があるため、一般の病院にかかるのを控える様に言われる
複数の窓口に電話してもコロナの症状は具体的に何か?という回答は得られず
詳しくは保健所にと言われるが繋がらない
保健所から診察する指示が出ない場合は行政検査にならず、自費診療になる
費用は概ね3000円から30000円程度であり、比較的安価な検査は梅田・なんばなど人出が多い場所で行っている様だ
症状が出ていれば病院判断でも行政検査が可能な様だが、具体的な症状の記載がなく、医者による判断になる
結果、コロナかどうかが不明確な状態で安価な検査しか受けられない場合
公共交通機関を利用し、コロナの感染拡大に寄与してしまうリスク・自身の感染のリスクを犯して
ただただ症状が収まるのを待機するかの判断を迫られる
私は「うつ病」を患って生活保護を受けています。おまけに貧血気味で三半規管が乱れているため足腰が弱く、よく転びます。
保健福祉課は年度毎に担当が代わるようで、本年(2021年)6月3日に電話がかかってきて、「担当が私“Yまなか”に代わりました。こういうコロナ渦の時期なので、電話で失礼します」とのことでした。「一度お会いしたいな」ともおっしゃってました。
再度同日に電話があり、「通院のタクシー料金をなんとか検討します」との事でしたが、私は「以前駄目でしたよ」と伝えました。
本年(2021年)6月24日.再び電話があり、申請書に事由や氏名を書いてもらうために来てもらわないと行けない、との事でした。
私は、「うつ」が非常に調子悪かったので、それでも早いほうが良いと思い、来週の金曜日(7月2日)を提示しましたが、立て込んでいるとの事で木曜日(7月1日)にされてしまいました。
私は、“Yまなか女氏”と面と向かってお会いするのは初めてなので、軽い面談などがある物と思っていましたが、「お疲れ様でした」で終わりました。
健康福祉局では、私が「うつ病」で「貧血と三半規管の乱れで転けやすい」ということを把握しているものだと思っていました。
また、保健福祉センターはスーパーマーケットに連結した上階なので、どうしても多くの人と接触する事となります。「緊急事態措置」は終わったものの「まん延防止等重点措置」が施行されています。
3行程度を8日間隔で記載するのなら、郵送で済まなかったのでしょうか。郵便代を節約するために、市民を死の危険にさらしたのでしょうか。なぜ職員は感染させないようにするのに、受給者には感染の危機を与えるのでしょうか。
27歳、社会人7年目
最近将来への漠然とした不安が強くなってきたので今の気持ちを書き起こす。
多分地頭はそこまで悪いほうじゃないと思うが、小学中学の成績は数学を除き1や2のオンパレードで悲惨なものだった。母親に児童福祉センター的なところに連れて行かれて、「この子は大丈夫なのか」と心配されるくらいには悲惨だった。そこでADHDということもわかった。
勉強を頑張ることもしてこなかったし、努力をするってことが全く出来ない人間ってのは今も全然変わってない。
勉強するのがいやだったので大学にはいかず、興味があった情報技術系の専門学校で、願書を書けばほんとに誰でも入れるところなので学歴なんて高卒も同然。
年齢=な人見知り陰キャコミュ障の自分でもびっくりするくらいのコミュ障が周りには多かったが、なぜかかなり優秀な人も片手で数えれるくらいはいて、そういう人たちを見て頑張った。
卒業できる程度の勉強をし、掴んだ新卒のチケットは無駄にはしないように就活だけはしっかりやった。学費をだしてくれた親にも申し訳ないので。
結局一社目に受けた一部上場の大手に内定して、こんな自分が採用してくれるのかとびっくりたし嬉しかった感情は今も忘れない。
内定式、周りには専門卒なんてほぼいなかった。
ウェーイ系とまでは言わないが、みんな意識の高い知的な大学生が多かったし人見知りコミュ障なんて自分くらいだった。
今も不安が多いが、気持ちばかりの技術力はあったのでとりあえず今もなんとかなってる。年収も700万くらいにもなった。
入ってくる後輩はマスターが多くドクターの人もいる。めちゃくちゃ優秀な人ばかり。
そのせいか自分の中の劣等感も年々強くなり不安も強くなっていく。
恋人が欲しくなった時期もあった。
半年くらい頑張って計3人くらいの人とお会いして食事やデートぽいことをさせてもらったが、一度も付き合ったことがない自分はリードをしてあげることができるわけでもなく、どれも1〜2回くらいお会いして終わった。
回数を重ねれば上達はしていくのかもしれないが、3人目とのデートが終わったときには自分のコミュ力の無さとその成長のしてなさに絶望した。
デート終わったあとは毎回すごく疲れたし、乗り越えても結局付き合うことはゴールではなくスタートなんだと自覚しそこから恋人を作る活動はやめた。
なにか没頭できる趣味でもあればいいが、それもない。
そんな生活を続ける中で、自分を支えてる芯がなにもないことに気付く。
今のところを辞めて転職したらどのくらい収入は下がるのだろう。自分の市場価値はどれくらいなのだろう。
この先定年まで35年くらい虚無感と不安を抱えながら生きてくのだろうか。
番号札システムではなく、誰に声をかけていいかわからず、きょろきょろとしていたら、1番手前の女性職員が「福祉課に御用ですか?」と声をかけてきた。
「はい」と答え、私はそこで着席し詳細を伝えようと思った。
ほんの少しの間があり、着席を促されないので、自ら席に手をかけようとするかしないかぐらいのところで、同じその女性職員に「どういった事ですか?」と聞かれる。
着席を促されないことに少し違和感を持ちつつも、「あ、その、生活に不安があったり、えと、こころの…精神面での」ぐらいのとこで食い気味に「あぁ、精神支援については保健福祉センターが担当なんでそっち行ってください。」と案内書を片手で差し出し言われた。
相談の緊急性は低かったが、気乗りしない中わざわざ出向いたのにという気持ちになり「いや、その精神福祉としての相談になるのか、生活支援の相談なるのかもわからな」と、また言い切らないぐらいで「生活保護の相談でしたらー」とまた、おそらく自分の担当ではないであろうところに誘導してくる。
(人の話を最後まで聞いたらどうなんだ?)と内心思いつつ
「あー、いや、そうですね、そういった話も含めて総合的に相談をしたいので、社会福祉士さんみたいな専門の方はいますか…?」と尋ねると
(社会… 福祉士…?)と疑問のあるような顔しつつ「確認しますのでお待ちください。」とラックを挟んで反対側の席の人に確認をしている様子。ちなみに待たせている状況でも着席は促されず。
確認を終え先程の冊子をもったまま「あのぉ…やはり、精神の話についてのご相談は保健福祉センターが担当となっておりましてー。」といいながら戻ってきた。
「あぁ…じゃぁ…もういいです。」とその場を後にした。
腹立たしさと、悔しさと、惨めさで、立ち去る背中に福祉課の「なんだったんだ?変な客(失笑)」という様な雰囲気すら感じた。
正常な精神で正常な判断ができる状態なら、「まぁ分業なのか。」と思い、そこから車で15分かかる保健福祉センターとやらにむかえるだろう。
しかし、福祉課に出向くような人は大体の人が正常な判断ができないだろう。
(調子がいい時に相談に行けばよいのでは?と言うような意見が聞こえてくるかもしれないが、調子がいい時は不安や相談事は自分の力で解決する事ができるので、相談に行こうという思考にならない。)
最終的には保健福祉センターに誘導するにしても、とりあえず話だけは聞いたらどうだろうか?精神支援案件なのか福祉支援関係なのかの切り分けもままならない状態で他部署案内をするのはどうなのか。
そもそも、"福祉"の看板を掲げておいて生活支援と精神支援の窓口が同じ建物にすらないというのは、政策として疑問を感じる。
人が人ならそのまま帰り道に自殺をはかるような人もいるのでは…?
と、いうか、希望して所属になっていないにしろ、仮にも"福祉"となのつく部署にいるのだから、せめて来訪者ぐらいには親身に丁寧に共感をもって接してもいいのではないだろうか?
また、そんな態度でも同等かそれ以上の給料を税金から支給されていると思うと、税金を支払っているのが馬鹿馬鹿しく思うし腹立たしい。
普段は、人運が悪かったな。と悪質接客に対してなにもモーションしないのだが、今回は納得がいかず、帰ってすぐ人事課にご意見を述べさせていただいた。
知人に話たら、担当した福祉課の女に文章で詫び状を送らせてもいいレベルの話だ。と当人である私よりも怒って言うので、改めて人事課に意見をうけとめた旨と詫びを文章にして送ってもらうよう要求した。本人の反省を知りたいから本人に書いてもらってくださいと伝えたが、あちらの都合で課長からの一筆で勘弁してくれというので応じた。
人事の電話を受けてくれた方は全く関係ないのに、嫌な思いをさせて申し訳ないと思う。
しかし、対応してきた女は、自分の手抜き仕事によって色んな人が嫌な気分になるのを理解することはないだろう。
そう言うことが理解できる人間ならば、はなからそんな対応にはならないと思うからだ。
できる事なら引っ越したいぐらいに腹がたったがそうもいかないので、これからも私の税金の一部はその無能女に払われていくのである。
ちょっとはみ出た、つづき
入院が決まった直後に、入院時に必要なものを買い込みレンタカーで母の元に向かった。
徘徊が多く、連絡手段も無い為、朝、荷物だらけの新居に迎えに行っても空振りになってしまう可能性があったからだ。
破たんした呪いの言葉を一晩聞き続ける程度だったら何とかなるだろうと踏んで寝袋を持って家を出た。
アパートにいた母を、最後の晩餐さならが母を食事に連れ出し、禊を済ませるが如く、深夜営業の温泉に連れて行った。
これまで母の病気が進行してから、弟を含め3人で食事をすることは何度かあったが、
私が成人してから母と二人で食事をしたり、温泉に行ったりしたのは初めての事だったと思う。
しかし、あのアパートで母と二人きりで一晩を過ごすのはやはり心理的に無理だった。
そこで、仕事で徹夜を強いられる彼女がいる自宅に、彼女に無理を言って連れて行く事にした。
自宅に母を招いたのも初めてだし、彼女に合わせるのも初めての事だった。
彼女も親に対してトラウマを抱えており、軽くパニックにさせてしまったのは本当に申し訳ないと思っている。
しかし、この母親に対して、親孝行らしい親孝行を始めてしたのかもしれない。
母は何度も夜中に起きて二人の息子が襲われる、警察に助けを呼ばないと、言った事を不安になってしゃべっていた、
うとうとすることもあるが、眠りかけた際は幻聴として聞こえる言葉をそのまま声に出してしゃべっていた様だ。
母にとってみれば、もう25年間、四六時中不安な時を過ごしているのだ。
翌日、車で病院に向かう途中、母は、私が子どもの頃、家族でドライブに行って以来車に乗れて楽しいと語った。
家族の同意があれば、本人の意思に関わらず強制的な入院が可能な制度だ。
その際、思わず、ここまでとても長かったです。と医師に話した。医師も私の苦労を察してくれたようだ。
診断時、私から事情を話す際に、精神科へ行っても結果的に治療が受けられない件を話したくだりで、
やっぱりそうか、といったニュアンスだろうか、ため息を漏らしていた。
法律上定まった手順であろう医師が保護入院の説明をを本人に読み上げる際も、
聞きはするが当人になにが起こるのか 理解していない様子だった。
閉鎖病棟に送る際、持ち込み禁止となる物が母の身に付けたものからいくつも出てきた。
不安からか何枚も重ね着した一張羅のポケットや、鍵だらけのウエストポーチからは、
刃物であるハサミや安全ピン、 南京錠などの金属、ワイヤー錠等のひも状のものが、
わんさと出てきた。しかし、 体を傷つける可能性のあるこれらのものは閉鎖病棟内には一切持ち込めないそうだ。
手続きを済ませ、病院に母を預け、弟や彼女に報告をし、帰路に向かう際は、
涙も出なかったし、ざまあみろ、といった感情にもならなかった。
これでひと段落ついたんだな。という感慨はあったが、正直、いまだに母への気持ちは整理がつかないし、
私が多分死ぬまでこのもやもやした気持ちに整理はつかないのかもしれない。
ともかく、これで弟にかかる負担も減るし、母の不安もいずれは多少なりとも解消されるかもしれない。
本人がいつか病識を持つようになって、まともに話せる日がくれば、また母に対して憎しみの感情が沸くかもしれないし。
そんな日は来ないかもしれないが、ともかくこれで一区切りついた事になる。
繰り返しになるが、「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という
声もあるだろうが、自分の気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書いた。
自分を棚に上げてなにか説教じみた一言を添えて終わりたい気持ちを抑えてこれでこの長文は終わります。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
追記:少しだけ文章校正をしました。多くの読んでくれた方、改めてありがとうございます。
乱筆乱文、誤字脱字、事実誤認、諸々失礼。
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追記
とても参考になる知見も多くいただきました。
これで終わりではないので、是非、今後に生かしたいと思います。
この話は私の人生のある側面の、ある時間だけをバッサリ切り取ったもので、
別の面では幸せであり、大半の時間は、苦労はありますが、それなりに恵まれた生活を送っています。
悲劇性や誘因性の強い文章になりましたが、自分自身を奮い立たせるために自己演出した部分も多分に含まれていますし、
それなりに珍しい経験をしたので「保育園落ちた日本死ね」位の話題にならないかなー、と。
ただ事実と異なる事柄は書いていないつもりですが、母の性格を受け継いだせいか、感情基準での記憶をする傾向があり
事実の認識に多少の誤りがあるやもしれない事を明記しておきます。
特に地元の総合病院の精神科医師が話してくれた、治療の可能性や、相談内容、他の施設の紹介といった、
具体的な情報のくだりは、今思うと当時の余裕のない状況で色々思い違いをしていたり、
その時点で必要な情報だけを記憶に留めようとした傾向があるので、もしかしたらきちんとした説明を受けていたのかもしれません。
心理面での負担や苦労をねぎらってくださるコメントも多くいただきましたが、
母の事で本当に辛いと感じていたのは母の病気が発症するよりも前の方がはるかに多く、
病気が進行してからは、母の事であまり辛いと感じたことはなく、やっかい毎が面倒だ。
調べ物が面倒だ、なかなかうまい方法が見つからないで面倒だ、事務処理が面倒だ、
と、いったような仕事での面倒毎に近い感覚だったかもしれません。
もやっとした問題に対して、検索するには言葉もあいまいで、答えも方法論も様々過ぎるし制度もたくさんあるしで、
的確な道順や回答を出せる所にいつまでも辿り着けず、情報迷子になった側面は多分にあります。
普段はGoogleさんをそれなりに使いこなし問題解決の為のITリテラシーはそれなりに自信がありますが、
実は 『ケースワーカー』さんという言葉の存在はかなり最近になってから人づてに知りました。
それまでは地元の総合病院に電話した際や行った等、もしかしたらそれに気づかず『受付の人』という認識で相談をしたこともあったかもしれません。
本文には書きませんでしたが、昨年末あたりから、精神科のある病院への電話問い合わせの窓口や、福祉センターの精神保健福祉担当で、
『ケースワーカーさんと相談したい』とわざわざ言ってから色々相談する様になって、
ここには書かなかった世帯分離の手続き等に対しての答えにも、光が見え始め徐々に事態が好転してきた次第です。
『ケースワーカー』さんはここ数年認知され始めたマジックワードで『当番弁護士を呼んでください』
という言葉を知っているか否か、みたいなものかもしれませんね。
もし、私と似たような境遇でどうしてよいかわからない場合は、役所や病院等へ電話をかけ、
まず『ケースワーカーさんと私の〇〇の問題について相談したい』と言うのが良いのかもしれません。
地元の総合病院の精神科の待合室で、母と初めての診断を待つ際の事。
待合室の傍に、精神科病棟への通路があり、おそらく統合失調症の方が、看護師に連れ添われ、
意味不明な話しをしながら歩いて行くのを見て言った母の一言が最高でした。
『かわいそうにねー、頭がおかしいのねー』