はてなキーワード: 福原愛とは
子供を産む前は、絶対に一人っ子でいいと思ったんだけど実際に子供を1人産んで、自分は子供を産む力があるんだとわかるとじゃあ第二子も産めるなら産みたいという気持ちになってきた。
でも、第二子産んじゃったら贅沢はできなくなるし、きっと家計は苦しい。子供一人だったら貯金も貯まるだろうし、色んなところに旅行に行ける。
子供のとき妹と仲が悪かったんだけど、私の出産後、妹が色々と育児をサポートしてくれてありがたかったのでやっぱりきょうだいがいるっていいなぁという気持ちになってきている。
まあ、きょうだいだからって必ず仲が良くなるとは限らないし、「きょうだいは他人のはじまり」という言葉通り大人になってから全然付き合いがないきょうだいもいる。
第二子ほしくなってきたなぁ。今専業主婦なんだけど、パートとかフルタイムの仕事しながら子作りする自信はないので(一人目は専業主婦のときに頑張って作った)第二子作るんなら就活せずに専業主婦を続けなくちゃいけないと思う。
大変だと思うけど福原愛ちゃんみたいに年子産んでしまったら高齢出産のカウントダウン気にせずに済むから一気に産んでしまいたい気持ちがある。
はてなー的には、悪いに決まっているだろう、というのが多数派なんだろうけど、福原愛とか貴景勝とかみてると、どうみても抑圧されてたっぽいし、吉田沙保里なんか、明解に「お父さんが怖かったから、レスリングやめたいなんてとても言えなかった」と語ってる。
でも皆さん、人間的にさほど歪んでるようにも見えないし、福原愛なんて早速二人目も妊娠しちゃって本人も幸せだし、めっちゃ世間にも好かれてるし。
なんとなくだが、スポーツとかクラシック音楽(ピアニストとかバイオリニストとか)は子供の意志なんぞ芽生える前に親の夢を押し付けるくらいの方が成功するイメージがある。
一方で、将棋なんかは、羽生善治も藤井聡太も子供が勝手に強くなっていって、親は「もっとお勉強しなさい」なんて言わずに見守ってたみたいで、その辺りの対比も興味深くはある。
私は貞操観念に厳しい家に生まれたが、不幸にも好奇心が強く、小学生の頃から親の目を盗んではアダルトサイトに入り浸っていた。婚前交渉するなという母からの教えは、大学に入って早々に破ってしまった。
当時の彼氏は早く処女を脱したい一心で作っただけだったので、そんなに好きではなかった。あと今思い返すと、彼はセックスが下手だった。
でも、彼はとてつもない変態だった。私の変態の蕾を花開かせたのは確実に彼だった。端的に言えば彼はドMだったのだ。私のサービス心は彼の手により加虐心へと変化していった。
そして、私は立派なS女になった。
その彼のことはかなり好きだったし、最初はこの人となら結婚したい!なんてことを考えていた。本当に好きな人とするセックスは夢のような快楽だった。
でもそのうち、セックスしかすることがなくなった。趣味も性格も違い、共通の話題も少なかった。性欲でしか繋がっていない関係だった。
加えて、彼はとてもノーマルだった。その時既に変態性に目覚めていた私は、彼のノーマルっぷりに頭を抱えていた。私の鍛え上げられた加虐心が顔を出し、引かれることもままあった。
自分が結婚に向いていないことを完全に自覚してから、若い女という称号がまだ使えるうちに遊んでおくのが懸命だと考えるようになった。そして、特殊な性癖の人間が集うサイトでセフレを募集した。
そのサイトで私は、小学生から蓄積された性癖を余すことなく羅列した。自分でも引くくらい変態的な文章ができあがった。すると、そんな変態を求める男性から大量の返信が来た。
私は感激した。私以外にもこんなに変態がいるんだ!皆気持ち悪い!人間ってすごい!
セフレは、とても楽だった。すごかった。どんな要望でも口からスラスラ出てしまう。こんなこと言っちゃって引かれるかも、みたいなことを考えなくていい。だって相手も変態だからだ。
変な駆け引きも要らないし、気を使って演技をしなくてもいい。あと、無駄な期待を持ってしまったり、ちょっとしたことにイラついたりしない。
しかし、私は危惧している。セフレはあまりに楽しすぎる。これでは恋人ができない。
変態だって恋がしたいのだ。純愛とかすごい憧れるのだ。シーブリーズが似合う恋とかしたい。福原愛さん夫婦とか超羨ましい。
ただ、私は変態だ。エロいことばっか考えている。この人はどんなセックスするんだろう、と一番に考えてしまう。
それに、最初から人間性に惹かれ、きちんと好きになったとしても、結局は性的な問題が絡んでくるではないか。結局自分の変態性から逃れられない。
変態にはもう、セフレから恋人を探すか、脳みそをシーブリーズで洗い流すしか残されていないのだろうか。
それか、変態であるがゆえの業として、愛している人には自分のことを隠し続け、変態性を解放してくれるパートナーを別に持ち続けたりする器用さが求められるのか。
ああもう、隠れ変態のヒロインが、自分が変態であることを忘れさせてくれるような王子様に出会って幸せになる少女漫画が読みたい。
自分は最近の福原愛について特に何も感じないんですが、福原愛を叩く人、執拗にこの人に対し嫌いだと宣言したがる人がなんとも言えず好きで好きでたまらない。
何と言うか、嫌いと言わずにはいられないくらい彼女の現状報告に感情がかき乱され、何か一言言ってやらなければ済まないくらい瞬間的に精神バランスを崩してるのが手に取るように分かる瞬間が何とも言えず人間臭さを感じさせてついついガルちゃんやらの福原愛叩きトピックを食い入るように見てしまう。
また愛ちゃんは最近Twitterでは現状報告を殆どやめ、その代わりweiboではガンガン本来書きたい事(日常の事や旦那との生活について)を書いている、という事実が、こういう層がまともに相手取られず賢くフワッとあしらわれてるようにも取れて、その構図も何とも言えず面白さを増幅させてしまう。
それでも叩く層が「いちいち報告するな」と口では言いつつもweiboからわざわざ報告内容掘ってきて訳して、「叩き」というエンターテイメントに興じている(視界に入ったが最後興じざるを得ない精神状態に一時的にさせられている)事が何とも言えず面白い。
何だろうこの魅力は…是非分析してほしいです。
多分、彼女たちが何故そういう心理に何故させられているのか分からなくない所が自分の中にあって、それが面白さを感じる要因ではあると思うんですが完全に分析しきれない部分があります。
吉田沙保里が「やめたいと思わなかったんですか?」と聞かれて「(父親が)怖すぎて、やめるなんて思いもつかなかった」とか答えてるのとか。
(吉田は、あんまりその話を今回はしてないが、前回のオリンピックが終わった後はこのエピソードを語っていた記憶がある)
いや、福原愛も吉田沙保里も、すばらしいメダリストとしての人生へと導いてくれた親に心から感謝してるんだろうと思うが、
親の夢を押し付けるために物心つかない子供を洗脳したといえなくもないような気がしてもにょる。
あれ、うまくいったからいいけど、ああいうのを目指して「失敗例」になった親子とかいないんだろうか?
家族メチャメチャになったとか。
親子とは違うが、シンクロの井村コーチが「死ぬ気で頑張りました」という選手に「死んでへんやないか!」と怒鳴りましたよ、なんてエピソードを笑いながら言ってる図も
これが企業だったらすごいブラックなんだけど、まあ、「井村コーチの下でメダルをとりたい!」って選手が集まってきている以上、外部の人間があれこれいう話でもないんだけど、
いい話、なのかどうか、よく分からん。
「中学校の生徒は、やりたくて来てるわけではないが、シンクロの選手は自分から『うまくなりたい』って来ているから、中学の教師よりシンクロコーチの方がよっぽどラクだ」という
もしここで福原愛が勝ったら、世の中って希望がないんじゃないかなって思ってしまったということ。
確かに愛ちゃんは才能もあって小さいころからものすごく努力してて、だからこそ日本人なのにあの場所に立つという快挙を成し遂げたのだと思う。
ただ、相手選手である李暁霞を見た時にまずはその規格外な体格に驚いて愛ちゃん負けるな!と思ったと同時に、でも、これで愛ちゃんが勝ったら世の中ってすごく不公平なんじゃないかって思ってしまった。
愛ちゃんはかわいい。卓球界においては天使のような存在だ。誰からも好かれる性格で、世界中にファンも多い。つまり、女の子としての幸せを存分に手に入れている。
もし自分が李暁霞だったら、それでタイトルまで奪われてしまうだなんてことになったら世の中全てに絶望するだろう。
かたや愛ちゃんはまだ捨てきれないものがあって、かたや李暁霞ははじめから持ち合わせていなかったのだから。
愛ちゃんのいない表彰台を見て、心の何処かでこの3人にメダルが与えられてよかったと思ってしまう自分がいた。
彼女たちは本当に卓球が全てなのだろう。全てを卓球に掛けて来ただけではない。卓球を失えば他になにも残っていないのかも知れないのだ。
リオオリンピックは日本のメダルフィーバーで大いに湧いて4年後の東京に向けた大きなはずみになったし、これがきっかけで世の中の景気も少しずつ上向きになるのではないかとさえ感じられるほどだった。
誰もがメダルに向かって一生懸命に努力をして、それで勝ち取った結果なのだから当然そこに怨恨があってはいけないし、清々しいものであってほしいと信じている。
ただ、もし本当にそう思うのであれば、4年後の大会ではただ自国のメダル数を誇らしげに掲げるだけではなく、他国の選手を日本のスポーツ教育の中に数多く受け入れて、他国のメダル獲得にどれだけ貢献したかを誇るような大会になってほしい。
日本にメダルを勝ち取ることができたのは中国のおかげだったとなるなら、世界の未来に対してなんと希望ある言葉ではないだろうか。
4年後の東京オリンピックは、今までのように国の技術力や経済力をひけらかすだけで終わってほしくない。
軍隊を持たない先進国日本だからこそできる、国境を超えてメダル獲得を喜び合えるような本当の意味でのグローバルな大会になってほしいと願う。