はてなキーワード: 祟りとは
話数 | 怪獣(星人)名 | 出生地、出現地 | 侵攻方向(あれば) |
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第1話 | バザンガ | 宇宙 | 都市 |
第2話 | ゲードス | 地球(海洋) | 港(食料である魚を求めて) |
第3話 | タガヌラー | 地球(地中) | 工場地帯(エネルギーを求めて) |
第4話 | レヴィ―ラ | 地球(人口生命) | 都市(コントロールされていた) |
第5話 | ドルゴ | 地球(山岳) | ―― |
第6話 | カナン星人・ハービー、カナン星人・ロビー | 宇宙 | 都市 |
第7話、第8話 | ニジカガチ | 地球(山中) | 祟りとして都市部を襲った |
第9話 | ガラモン、セミ人間 | 宇宙 | ガラモンは侵略兵器として都市部に落下 |
第10話 | デマーガ、ベビーデマーガ | 地球(地中)宇宙 | 発見地域からほぼ動かず |
第11話、第12話、第13話 | ゲバルガ | 宇宙 | 都市に落下 |
第14話 | デルタンダル | 地球(地中) | 出現は地中だが生活は全て空中 |
第15話 | ガヴァドン | 人の想像 | 都市に出現 |
第16話 | モグージョン | 地球(地中) | 郊外に出現、人間を捕食するため都市部に出現 |
第17話 | ザンギル、ニジカガチ(怨霊態)、タガヌラー(怨霊態)、レヴィーラ(怨霊態) | 怨霊となった怪獣を霊体となった宇宙人ザンギルが成仏させている | 一体色々強すぎて実体に近い形になった |
第18話 | イルーゴ | 宇宙 | 都市部に落下 |
第19話 | ブルードゲバルガ、イルーゴ | 宇宙 | イルーゴは都市部に落下し、ブレードゲバルガに成長した |
第20話 | ズグガン | 地球(地中) | 郊外里山地下で営巣 |
第21話 | デルタンダルB | 地球(地中) | 地中生まれだが、生活圏は空中 |
第22話 | レッドキング(二代目)、ギガス、ガンキリュウ | 全て地球(山岳) | 山岳地帯 |
第23話 | ヴァラロン、タガヌラー | ヴァラロン(宇宙)、他(地中) | ヴァラロンは地球に落下する軌道を逸れ月に落下。タガヌラーはエネルギーを求めて工業地帯へ |
第24話 | ヴァラロン | 宇宙 | 月面で交戦するも地球(都市部)に侵攻される |
第25話 | ヴァラロン、デマーガ、ズグガン、デルタンダル | ヴァラロン(宇宙)、他(地中) | ヴァラロンとは都市部で交戦、他はヴァラロンと対峙 |
もちろん読んでるけど、それはおれのコメントのどこに関係してくるんだろうか。
ちなみに元増田の言う通り、欧州の原発の一部はすでに需要ベースの出力制御を始めてるけど、出力調整でコスト割れ〜マイナス価格での売電量を抑えることはできても、「再エネに対して多くの時間帯でメリットオーダーで劣位」という根本問題は解決できていない。
電力自由化が「祟り神」かどうかはともかく、電力自由取引市場が導入された国や地域では割高な発電コストが原発に引導を渡す、というのは元増田の言う通りで、ほぼ確定した流れ。エネルギー安全保障という曖昧な名目のために再エネより割高な電力を買ってくれる消費者や需要家はいないし、事業者だって原発が儲からないビジネスなら手を出さない。
考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。
投資マネーが再エネに集まり、既存電源に行かない状況が続いている模様。
再生可能エネルギーは、施設の製造・建設・設置、さらに運営のノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。
例えば、利回りなども、再エネ設備の耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。
一方で、相対的に既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障の観点から、イギリス、フランスなどで原発の新規計画が出てる。
今時、国の金だけでやると言う計画をイギリスが建てるはずも無く、資金を募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。
これとは別の話として、エネルギー安全保障の観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業(中国"系"ですらない、中国の国営企業)しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。
エネルギーの安定供給・安全保障の観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。
が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITのデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。
国策である程度電力価格をコントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。
欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランスは原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。
ところが、再生可能エネルギーが市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。
既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。
そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなものと価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。
特にLNGのガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギーに追従して運転をするのに適している様だ。
一方、そんな器用なことができない電源がある。
それが原発。
原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資の割合が大きいといったことだ。
そのため思いっきり市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナスの金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面で追従を迫られる。
それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである。
また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発の場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。
これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。
電源関係の投資ってかなり安定的な投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。
そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発に投資が集まらない状況が続いている。
環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的なリスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。
もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。
ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素・アンモニア製造するなりしかないと思われる。
実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなものは設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準は再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。
日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれてはいない。
また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合、原則的に建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格に転嫁することが認められている。
ある意味、再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格に転嫁できる仕組みであるということ。
例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。
これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。
ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる
と、国内だけを見てればいいのだが。
既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。
直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。
原発は燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費の割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。
だから短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州が再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。
さらに、欧州は環境対応を大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。
環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。
その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。
その結果、国内の商社と組んでいた海外の電源開発会社が投資を引き上げちゃったんだよな。
せめてそういうことは二度と無いようにしたい。
"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら
評する評さない以前に、死ぬまで存在を認知する権利のないコミュニティなんだよね。
そもそも、今回のように世に出回らない。
うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?
今の社会は放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。
その時々の社会なわけ。
今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら
それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは
昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。
今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって
そもそも、知的障がい者に知的障がい者を育てられるわけがない。
それすら許されない社会になった。
で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。
単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして
ひまわり学級のアパルトヘイトで解決しようという世の中になったわけ。
そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし
最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。
だからそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢な人間に
親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。
隣の席の人が亡くなりました
私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。
きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。
その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。
だからその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。
今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰が祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています。
それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。
隣の席の人が亡くなりました
私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。
きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。
その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。
だからその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。
今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰が祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています。
それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。
私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。
きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。
その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。
だからその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。
今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰が祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています。
それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。
言うほど面白くない、という意見に反論したのではなく、比較すること自体がナンセンスだ、という意見に一貫していると思うのだがどのあたりを反論ととらえたの?
レベルE読んだことなさそう、っていうのとは俺の投稿でないことはあらかじめことわっておくね
書籍も発行していなければ漫画も小説も書いたことのない一般人の俺が【その分野で成功している】他者の作品を並べ連ねて【その分野で成功している他者同士で】優劣をつけ、だれの目にも触れる可能性があるインターネットに出すのが嫌というだけで比較が嫌な訳ではない
これには作者やそのファンの目につくと木村花のような事件を起こしかねないから触らぬ神に祟りなし、という考えからだ
そして一言でもフリーレンが面白いともつまらないとも言ってはいないんだが個人的な考えを言うと
旅先で人助けをするパート、戦闘をするパート、試験のパートや過去に戻るパートなど様々な切り口を用意していて中弛みやマンネリ化を防ぐ作りをしているのは過去の作品にも存在した
いやいや、無理があるだろ、という後付けらしき設定やポッと出て消えたザインの行方はどうすんの?とか色々言いたいことはあるが過去に巡った旅の足跡をたどるというのは新しい切り口だなと思う
いうなれば東京卍リベンジャーズがタイムスリップとヤンキー漫画という新しい組み合わせと似たようなものなのかな
それに加えて今現在から丁度12年前に戻る、という縛りがドラえもんのタイムマシーンのような何でもあり感ではないところも新しい切り口だろう
そういった新しい試みや切り口が一般に受けている、と思う
君の知りたい面白さの度合い、は俺の考えというかポリシー上の関係で伝えることはできないのだがこれで多少は満足してくれただろうか
雨模様よ。
昨日使った折り畳み傘を濡れたままだとと思って干していたけれど、
これが傘の役目と知っておきながら、
なるだけ傘は使いたくないから私は手ぶらで楽チンなスタイルが好みなので、
長い傘をできるだけ持つ日以外は持たないようにしているのよ。
天気予報と雨雲レーダーとにらめっこしまくりまくりまくりすてぃーで、
えいや!今日は傘持って行く!って気合いとか入れたくないそこにエネルギーを使いたくないのよね。
なので、
何も考えずに鞄の中にしまっておける折り畳み傘は
雨が降ろうと降らまいとプラスマイナスで余計なこと考えなくて良いから気持ちが楽よ。
晴れ空みたいに!
でも今日は雨が降ってるけどね!
それの欠点は使ったら塗れたままの傘をまた畳んで鞄の中に入れられないよ絶対に!って槇原敬之さんの歌詞回しの節で言いたいぐらいそんなこと言わないよ絶対になんだけど、
なので、
しっかり傘は明日雨が降ろうが降らまいが考える余地もなく干すの。
折り畳み傘は乾かしてからカバンに入れることをお忘れなく!が私のテーマ。
そして雨の日は靴もちょっと違うので、
いつもとヒールの高さが違っていたりするので、
これで車なんか乗ると
あ!今日この靴だったんだ!って気付いて若干の運転のし易さし難さってのがあるけど、
あとさー
雨のことで思い出したんだけど、
そしたら浄水器の裏っかわ、
浄水と源水が出てくるそれぞれのシャワーの部分がドロドロでこれ定期的に洗わなくっちゃー!って思ってドン引きしてしまったわ。
終わったら窓から投げ捨てたらいいんだけど、
本体の方の源水が出る方はなかなか浄水器の本体を交換するべく機会というかチャンスというか
チャンスは前髪で掴めって言うけど、
チャンスも前髪もなく
ペシンと手のひらでおでこを叩いてあちゃー!ってジェスチャーともいうポーズを取ったの。
あれってやっぱり
浄水器の本体も定期的に何年か一度に買い替える方がいいのかしら?って思うけど、
1回取り外して洗ってみるわ。
雨の日と言えども油断はできないわっ!
たまに浄水器の裏っかわを覗いて見てみることをオススメするわ。
傘をさして風に吹かれて飛びそうになったら
そのぐらい子どもの時に気付かなかったこと大人になって気付くことがたくさんある、
そうよ、
この浄水器の裏側の謎を知ったように、
でも大丈夫!
そう言う時には
見なかったことにして蓋をしちゃえばいいのよ!
その水を使うんかーい!ってずっと心の奥底に澱んだ文字通り澱んだ水のように思ってしまうのよ。
だから
浄水器を取り外して洗うことは
たまには浄水器のことも考える気持ちも昨日より今日今日より明日!っていう具合に強めた方がいいと思ったわ。
プラシーボ効果かも知れないけれど、
面倒くさいから浄水器のモードを切り替えずにどーでもいーわ!って思って源水のままありのままの水で飲んだとき、
なんとなく比べたら浄水した方のお水の方が美味しいと思える気持ちを私が失っていなかったから、
逆に言うと、
水で心がみずみずしいって気持ちを持ち合わせている証にもなるかも知れないし
とにかく凄い自信なの!
そのぐらい今日はえいや!って浄水器を取り外して洗ってみることにチャレンジする私の新しいステージに突入よ!
うふふ。
お腹がぐーっと空いていい音が鳴ったので、
美味しく朝ご飯を食べられるからボリュームのあるものにと思ってチキンサンドにしたのよ。
美味しい!
朝もこれでご機嫌さんよ。
珍しく前に書いたっけ?
黒大豆茶ってのを大豆なのにお茶って言ってるぐらいだからどんなものかと試してみたけど、
うーん、
香ばし大豆の炒った風味の香ばしさ
ってところかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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