はてなキーワード: 祇園祭とは
私が昔住んでいた地域は、祭りの費用は町内会費とは別会計だった。お祭りがその土地の神社の祇園祭だから、信じてもいない宗教行事に金を払わせるなという抗議が来たのでね。
でも、大人がそういう考えでお金を払わなくても、子供達はそんな事情なんか知らないから祭りに遊びに来るのだが。お祭りでくばられるお菓子、全部無料なのだった……。
今住んでるとこの町内会は、祭りをやるけど形ばかりで氏神とかなくって、それなのにパフォーマンスとして神輿担いだりする。宗教行事ではないので祭りの費用は町内会費で賄う。
しかし、元からの地元民でないとものすごく居づらいし、食べ物をもとめても無視されたりして貰いそびれる事もよくある。むしろこっちの方がお金払いたくない。
趣味は読書に映画鑑賞、ただしお金がないので休日に図書館かTSUTAYAに行くのが数少ない楽しみである。
死ぬのが怖いからずるずると生きているだけの、くっそつまんねぇ一番生きてちゃいけないタイプの人間。
先日「限界女の性事情」なるエントリがバズったらしい。私が気付いたころには削除されていたので中身は知らない。
さて、恋愛や性のこととなると、必ず現れるのが「女はイージー」という声であるけれども、
性愛をさほど重要なものと考えていない人間からすればばかばかしいのでやめていただきたい。
だいたい、「男性器、精液の入れ物として"だけ"の女性器」として求められるなんてごめんだ、
私はたしかに美しくもないしかわいくもないけれど、ゴミ箱ではない。
そう、私は美しくもかわいくもない。
つまり、恋愛や性にかんして「自己決定権」を与えられていない。
私のような人間が「恋愛なんて興味ない」と言ったところでどのような視線を向けられるかは明らかであるし、
ノリに合わせて「彼氏ほしい」と言ってみたところで「高望みするからだめなんだ」と言われるだろう。
もう人づきあいがいやでいやで仕方ない。SNSでさえうんざりする。
きっと生涯独身だ。この先、誰かと性的接触をもつこともないだろう。
私の望みと言えば、ひとりでひっそり生きて、苦痛なく死ぬことだけだ。
見た目がだせぇってだけでオタクだ腐女子だと決めつけられて、そうあることを期待されるのがめんどくさくて、
体重を標準体重から美容体重を下回るまでに落とし、無理して以前よりもちょっとだけ高い服だの化粧品だのを買って、
メガネからコンタクトに変えて……ほんと何やってたんだろうな。
財布も心も貧しくなっちまった。
唯一のとりえであった健康も損なっている。もう何年も精神科通いの薬漬けだ。
しかし、そう悪いことばかりでもない。
あれは昨年の夏だった。
近所の中年男性に挨拶をして、「祇園祭の季節ですね」なんて話をした。
彼は祇園祭がいかに素晴らしいかを語った。そして私に言ったのだ、「彼氏と行ってきなよ」と。
そうか、私は一緒に祇園祭に行く彼氏がいるような「普通の女」に見えたのだ、と。
単なることばのあやでもいい。
とにかく、こんなみじめったらしい不健康な生活をおくっていても、精神を病んでいようとも、
彼には私が普通の、「正常な」女に見えたのだ。これ以上の喜びがどこにある?
これが、睡運瞑菜を実践しなかった者のの末路である。もうどうしようもない。私こそが本当の「限界女」ってやつじゃないのか?
* * *
22歳の頃は京都駅から地下鉄で数駅のところに住んでいた。京都駅までは真っ直ぐな通りを歩けば辿り着く事もできた。東本願寺でにわか雨に遭って屋根を借り、駅前のヨドバシカメラの地下にあるスーパーで食材を買い込んでから帰った。夏の明け方にバイクで琵琶湖まで走った。祇園祭の宵山を見た。三条のお気に入りのカフェはコーヒーが美味しくて煙草が吸えて、いつも賑わっていた。冬の鴨川の河川敷や高瀬川沿いの桜が好きで、木屋町から祇園へ抜ける小道の小川が好きで、思い出せばきりがないけれど、石畳みを跳ねるように歩きながら私は本当に必要なものや人たちを東京に置きっ放しにしていること、この自由な振る舞いには時間制限があること、もっともらしい理由と確かな結論から逃げている後ろめたさにいつも潰されそうだった。ただただ楽しい毎日の中でいろんなことを忘れたけれど、地に足がつかないまま判断能力をなくしていく自分の不健康さに胸が焼けた。
鱧はうまい。ほろっとした口ざわり、主張の強い骨の匂い、ぎゅっと噛み締めるといくらでも出てくる旨み。うなぎや穴子などは脂の味で子供の味、とつくづく思う。
しかし関東ではほとんど召し上がっておられない。ぜひ召し上がって。美味しいから。
①手軽に:スーパーで今の時期ならお目にかかることもあるボタンハモ。あれでもちょっと工夫すればそこそこうまい。鱧はポテンシャルが高いから。そのままだとやや臭みがあるのと皮が硬いので沸騰したお湯にさっとさらすといい。さらしたあと、決して水にとってはいけない。そのままあら熱をとろう。チューブでもいいから梅肉で召し上がって。
②本格的に:この時期は祇園祭の時期でもある。そのため、毎年京都の実家に帰省するのだが、親父が凝り性なので帰省に合わせて魚屋さんで骨ぎりを済ませた鱧を買ってきて家で湯引きをしてくれる。もちろん湯引き後は水にはさらさないし冷やさない。これがうまい。こればかりはわさびとちょっとの醤油でいただく。ほろほろ…っと崩れるうまみ…ふわふわほくほく…。例えが下手すぎるが、めちゃくちゃ歯応えのあるめちゃくちゃうまみのある白身魚のフライの中身のみを想像してほしい。さいこうにうまい。これを食べるとあー夏だな~と思う。
鱧、この夏どうですか。
大阪の人と話していて、沖縄の人の労働感覚の話になったんだけど。
那覇空港にテナントとしてコンビニでも、1時間半後に出る航空券の発券を頼んでいるのにチンタラやってる。
非常にイライラさせられました。
そういう経験は私もした。
沖縄の女性は、割と接客は上手かったり、人の気持ちを察するのが上手い人はいると、思う。
沖縄は、基地やら国際大学もあって外人も多いので、パーリーピーポー(?)な人もいるようだし。
アラサーを超えて、飲み会の機会が増えたり、車社会で夏は炎天下だから歩く機会がないせいか、体重も増えるようだし。
だけど、表に出てこない苦労みたいなのがある。
エイサーって踊りがある。
うるま市なんかだと、若者はエイサーに駆り出される。那覇や浦添の方は都会だから、そんなこともないみたいなんだけど、
エイサーの練習って、夜中の3時か4時までやるらしいんだよね。
伝統の踊りを守るために、厳しいことを言う人もいるからこその伝統らしいんだよね。
ムラ社会的な部分ですか。
(京都の祇園祭とか、そうらしいけど。お嫁に出て娘が実家に呼び戻されて、その時期に山車の引き手の人の為のおにぎりやお茶作りに駆り出されるとか。)
ほんと、働く意識とかはないけど、仲間意識とかはすごいのよね。
コミュニティーに馴染むまでが大変なのかな...。
私は、関わり合いを持たずに沖縄から去ることになったのだけど。
第1位 やよい軒
さんまの塩焼き定食が最近美味しい。家で魚を焼く気力はとことんないので、助かる。
おまぜ定食もうまい。最近レギュラーメニューっぽくなった気がする。確か、祇園祭の時にはあった。評判がいいのだろう。
個人的にとりカツが苦手だ。衣が多い。油っこいのが辛い。自分の顔も膿とか脂まみれで、凹凸だらけだ。僕の顔はとりカツかもしれない。とりカツに失礼か。
やよい軒の素晴らしいところはメニュー以外には、もちろん米のお代わりし放題と、熱いほうじ茶飲み放題だ。
自分の通うクソ大学本部の隣のやよい軒まで暗い部屋から、自転車で15分。
素晴らしいことばかりだが、カップルがよくいるのが玉に瑕だ。
自分も、メニューから一番美人(美味しそう)なのを選んでいるから文句が言えないのかもしれない。
いやそんなことないか。
木屋町が一番熱いらしい。そこで、自分の知り合いはクラミジアと淋病を同時に頂いたらしい。
第3位
パン屋。意外と都内と違いパンを自分たちでこねて焼いているところが多い。都内は工場から持ってきたものを焼いている。
暗い部屋の近くのパン屋で可愛い女の子が働いている。ルッキズムだ。以前とてつもない美少女がパンを買っているところも見た。
夜店の出ない日があるから、気をつけてね!
あれって絶対、京都に対して超意識高い中学生っていないわよね!
私は京都行ったことはないけど。
さて。
増田はWEBの文章だから、紙の本とは違ってWEBの書き方がいいと思うの。
具体的に言うと、1行短くリズムよく改行していく感じかな。
なるほどーって思ったわ!
もうこの手のノウハウは書き尽くされてるから、もっともらしく真似して言ってみただけ。
どんなにがんばっても4コマ分の話の流れの描画が私の限界なのよね!
何気ない一瞬をいかにしてどうてんこ盛りまくるか!
何も考えないで勢いでバカ書いた方がハイ&ナイスレスポンスもらえたりして
でも、長い物語や話を書くのは超大変だと思う。
あんな壮大なことすら思いつかないし。
食べ比べてみると美味しい。
デパートになかなか売ってなくて3軒まわってやっと見付けたわ。
ドラゴンフルーツって言うくらい、
初めて食べるとき食べ方分からなくてどうしようかと思ったけど、
皮は意外とぺろんと剥けるわ!
果肉は白いけど赤いのもあってそっちの方が甘いんだって!
お試しあれ!
すいすいすいようび!
今日も頑張ろう!
恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。
ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。
彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対、安倍辞めろ、その他諸々、駅前で毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。
変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである。
その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市が伝統的無形文化遺産として指定するかもしれない。
それはそうとして。
実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。
そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。
僕個人としても立憲主義プロセスを無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。
しかし。
果たしてこの現代版踊り念仏が政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。
「迷惑」と「聞き飽きた」。
ただでさえ混雑していた四条が行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸や川端、果ては堀川辺りまで波及する。
『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人に負担掛けてまでやらんといて』と。
その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。
これが良いことであるとは僕には到底思えない。
重要なのは政権批判そのものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。
左派には民主主義、国民主権を叫びながら国民に主権があることを忘れて政権そのものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。
『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。
この違いこそ日本のリベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。
より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。
彼らは先述のようによく政権批判の演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。
またこの手の奴か、と。
普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。
これが大人しい田舎なら話は別だ。
ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。
その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。
こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。
重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。
と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方のサムライ・マチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。
しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである。
報道によるとこのデモは若者が主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。
彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。
書き起こし、ざっくりと読んだつもりで書きます。
要するに、
為末は、異文化のものは、そこの文化のものとして作品を仕上げろ、
宇多丸は、異なる文化だけれど、それを色々とアレンジして作品を作り上げてもいいのでは?
という主張のように読めた。
話飛んじゃうけれど、最近知った話に、京都の祇園祭のほとんどの山車にはペルシャ絨毯が飾られているらしい。伝統的な日本の着物柄と思われている京都の西陣織の柄、あれはペルシャ絨毯の柄から影響されて出来上がったと見るのが妥当な見方じゃないかと思った。要するに、いくら伝統的な文化といえども、他文化に影響されあって成立してくるもの。文化てそういうもんだと思う。
なので、宇多丸の言い分はぐちゃぐちゃ言い訳がましく見えるかもしれないけれど、宇多丸が言ってる方が納得がいく。
そもそも、ラップはスラングとしてジャマイカ英語がよく入ってくる、他文化混入を否定するようなら、ラップやヒップホップの全否定につながりかねないんじゃないかと。
一時的な流行が、長年の年月を経て生き残り、一定の方向性を持つと、初めて一つのスタイルやジャンルとして認識される、とかなんとか言ってる人が居たような。だから、日本のラップが時間を経て、一つの形を形成すれば、それこそ演歌(これも西洋音楽をベースにした民謡ちっく音楽)のように残り続けてスタイルを確立できれば、そのうち一つのジャンルとして認識される事も有ると思う。間接的に宇多丸が言ってる事でもある。
あとは、好き好きの問題。演歌が嫌いな人に演歌の良さを分かれと言っても無理なように、日本ラップの良さを分かれと言っても無理な話(自分には解らないけれど)。好みの問題。
スタイル云々で批判される時点で、まだまだ確立されたジャンルではないけれど、結局は日本ラップが補完されていくプロセスの一つになるので、ジャンルとして確立する手前まで来ているのかもしれない。
インフルエンザでキャンセルが相次いだ、しかも数千万単位つうことは修学旅行生が良く来るような関西地区か。大文字とか祇園祭とかあるだろうけど、大口の予約が入るのが秋の五連休と秋以降の修学旅行だからそれに向けて対策をとる、ってことなんじゃないの。修学旅行だったら今から動かないとたぶん予約してもらえないだろうし、五連休もそろそろ旅行会社各社がパック旅行の宿泊先を決めるころだろうし。
あと旅館業許可をとるのはたぶん結構めんどくさいから、もしつぶれても経営者が変わるだけで、中の人は変わらんのじゃないかね。
まーあと増田は若いから、さっさと辞めてしまうのがいいと思う。傾いた船からはさっさと脱出すべき。残っていてもいいことはない。たとえバイトでも。
11:35の時間の書いてあるところのすぐ右のあたりがはてな本社のはず。
交差点のすぐ近くのはずだから、窓を開ければすぐみえる立地だと思う。
階数を考えれば、山鉾のてっぺんよりも高い位置からみることになる。
しかもすぐ下の通りはいちばん前は有料観覧席になっており、
金を払わねばみられないくらいのところ。
下から眺めるのは誰でもできるけど、同じ高さからみるのは余程の人しかできないよ。
はてな本社があるのが、1Fにセブンイレブンがあって、直ぐ近くに地下鉄の入り口があり、
通りを挟んだ正面にホテルのある建物ならば、まず間違いない。
近くでバイトしてたから、オフィスの窓から山鉾がみれることは保障する。
ただ、9階だと高すぎて、近くにきたときに屋根についている棒しかみえない可能性がある。
だけど、絶景は絶景。山鉾を上からみる経験なんてできるもんじゃあない。